待望む
別視点
雨粒の跳ねる音が支配する。
それは冷たい鉄のようで機微など感じさせず、暗雲から落ちた大量の雫が一定のリズムで奏で続けていた。
ここは“森”の《外域》よりもひとつ奥に位置する《界域》。文字通り、《最外域》や《外域》と比べ、ここから生息する魔物の強靭さ、狡猾さに区切りが付けられることからその名がついている。
その中でも、更に次の領域と変わらぬ戦闘力を持って種族競争の繰り広げられている場所を《特異地》と呼び、その一つがここ、【雨止まぬ暗闇】であった。
冒険者たちからそう呼ばれるこの地は、その名に相応しく樹々等の遮蔽物がほとんどないのにも関わらず一日を通してなぜか暗闇に包まれており、さらに降り続ける強雨によって視界はかなり悪い。
雨雲が視界を消し、雨音が衣擦れの音を消し、雨が臭いを消す。そして最後に雨に濡れた身体が体の感覚を消していく。
この場所が発見されてから、ほとんどの者が訪れることのないこの地で、雨音に微かに混ざる複数の足音が響いた。
視界不良の中、朧げに動く影が四つ。
それは、自前の鎧で雨を弾き、鋭利な脚爪をスパイクのように踏みしめながらぬかるんだ地面を進んでいる。
隊列の先頭を歩むそれは、他に比べて人一倍大きく、身体中に刻まれた傷跡にも燻むことのない濃い緑の鱗をまとわせていた。
それ――蜥蜴人・変異種は思う。
身体が痛む、と。
雨に濡れる古傷が、ではない。
最近付けられた生傷、でもない。
――だが痛む。
想起するは己の誇る鎧と似た系統の色味が印象に残る人族の雌。
その雌との戦闘から今に至るまで、己を蝕む幻痛は身体から抜けることはなかった。
そして、自らも理解していた。
これは屈辱を受けた、仲間を討たれたが故の気から起こったものであり、原因となったあの人族を討たぬ限り解放されぬものであると。
何度目かわからぬ後悔が身を強張らせる。
確かに時期は悪かった。
蜥蜴人は逸っていたのだ。
ここから奥、更に奥深くの領域に広がる蜥蜴人たちの帝国。そこでの種族内競争に敗れた主人が身を寄せたのが、この先の領域である《戻域》であった。
領域を超える度にその領域に住まう苛烈な原生生物たちから主人を逃がそうと囮になり姿を減らす配下たち。《戻域》へ辿り着く頃には数えるほどになっていた配下も、主人が子を産んで少し経つと全て気が抜けたように息絶えた。
だからこそ、主人は身の安全を固めようと繁殖と周囲の掌握に躍起になった。
――そしてそれが結果として、新たに足を踏み入れた《外域》にてあれに出会ってしまった。
ここで新たに生み出された変異種には及びもつかない。
この領域の魔物を歯牙にもかけずに虐殺できる主人が、弱者のレッテルを貼られる森の奥地に。
そして、魔物が弱くなっていくはずの《外域》の更に先から現れる人族の存在に。
だからこそ、蜥蜴人たちは力を欲する。
外敵を打ち砕くために。主人を守るために。
ふと、足を止める。
環境の影響は確実に蜥蜴人たちにも及んでおり、中距離としか言えない位置までそれが接近していた。
一拍遅れて後方の蜥蜴人たちも認識する。
そこには、灯るように発光する白兎が無邪気に水たまりを渡るように跳び回っていた。
「――ガァ」
それを見た一匹が、名乗りを上げるように短く発して兎へと近づこうとするが、変異種が無言で斧を振って遮るように制する。
変異種は、サブウェポンとして使っていた雷蠍の尾を縛っていた腰から引き抜くと力の限り兎へと投擲した。
自身の腕ほどの太さのある尾は、ちょうど飛び跳ねた瞬間を狙い澄まして兎へと直進。
接触するであろう直前――飛び跳ねて身動きが取れないはずの兎が、まるで何かに引っ張られるかのように上へとスライドした。
不発に終わったタネを解き明かす前に四体は理解する。
宙から浮かび上がるように現れた巨大な魚が、尾を鋭利な歯で咥え止めたことによって――。
斧を構え直しながらすぐさま状況判断。
先の兎は魚の額から伸びるように繋がっていることから疑似餌のようなものと推察する。
雷蠍の尾に噛みついたようだが感電する様子はなし――電耐性又は雷に連なる魔法持ち?
水中ではなく空中を泳ぐ特性。
黒い肌は周囲に馴染ませるため? 当初兎しか視認できなかったことから迷彩特性も併せ持つ可能性あり。
姿形からわかることを冷静に捉えて戦術を組み立てていく。
だが、それを容易に行えるのは場数を踏んだ者たちだけであり。
そうでない、巨大かつ醜悪な姿の魚に恐れを抱いた素振りを見せる蜥蜴人たちを見て、鼓舞するように変異種は真っ先に魚へと向かっていった。
まずは様子見の一閃。
ただし、度重なる戦闘を経て、どこぞの運び屋の左腕を切り取った際に放った本気の一撃へと迫る程度には磨き上げられた一閃。
だが、魚の反応速度も並のものではなく、額の肌を狙った一撃をすぐさま頭を振り上げて鋭く尖った歯にて迎撃した。
一度目の衝突は互角で持って再び距離を取る。
歯は枝のように細いものが不揃いにおびただしく並んでいるのにも関わらず、その一本一本はかなり硬い。
絶え間なく身体に降り注ぎ、額から鱗を伝って流れる雫をチロチロと舐め取りながら笑みのように口元を歪ませる。
歯の強度は想定外だが、肌への攻撃を嫌ったということは有効打になりうるということ。
変異種は未だ人族ほどの知能は有さない。しかし、魔物としての本能が戦闘の分析に関して人族のそれに近い域まで可能にしていた。
魚へと息つく暇を与えぬよう、変異種の先制に触発された蜥蜴人たちが、それぞれ手にした獲物を持って魚へと襲いかかる。
一匹がナイフのように加工した蜂の小針を面的に投擲。
魚は形だけというように乱雑に頭を振って撃ち落とした。中には皮膚へ向かったものもあったが、ゴムのように弾かれて地面に散らばる。
肌への攻撃が有効打になると言っても、このレベルの攻撃では話にならないらしい。
しかし、本命は今の攻撃ではない。
その間に左右へと散った蜥蜴人がそれぞれ剣と槍を携えて刺突――するはずだった。
「「――⁉︎」」
二匹が接近する直前、魚が透けるように溶け込んでいき、姿を消す。
その直後に魚がいた場所へ刺突が繰り出されるが、攻撃は宙を切った。
二匹からの驚愕が伝わる。
透明化したからといって手応えまでなくなるわけではない。
つまり、迷彩特性ではなく転移――。
瞬間、追撃を食らわせようと魚がいた場所へ向かっていた変異種の背後に気配が生まれる。
「――ッ!」
身を捩らせて後ろを見ると、そこには巨大な口と開いたことによって向けられたおびただしい牙。
瞬時に斧を、魚の歯にぶつかるように身体の前へと割り込ませて衝突。噛み殺されはしなかったものの、衝撃は凄まじいもので、そのまま吹き飛ぶように転がった。
肺の中から一気に息が漏れ出る。
その様子を見て満足げに、ゆらりとヒレを羽ばたかせるように扇いで変異種へと接近する。
当然、蜥蜴人たちも黙って見ているはずもなく、両者の間に割り込んだ。
が、通常種である三匹だけでは火力不足は否めなく、膠着状態。むしろ蜥蜴人たちの綱渡りのような連携が失敗すればすぐにでも壊滅するであろう。その上、魚が変異種を優先対象にしていなければ今の膠着も成し得ないだろう差。
行かなくては。ダメージでまだ震える腕を無理やりに動かそうと斧に力を込める。
衝撃の影響か、暗闇だというのに視界がチカチカと瞬く。
だが、それは幻視ではなく確かに光源は存在していて、一見するとそれは地面を疾る雷のようだった。
雷――魚から伸びる疑似餌の白兎が脱兎の如く近づいてきたかと思うと、その小ぶりな体格で体当たりをして――。
何を――と思う間もなく異変。
眩い閃光と共に、変異種の身体へと鋭い電撃が走った。




