薄暗い
突如襲った力場の発生に、直前で悟った僕はなんとか両足で踏みとどまる。
――が、その力は凄まじく、間髪おかずに膝、腕と首を垂れるように下がっていった。
発生させた重力場はかなり強力なようで、僕の力を持ってしても抗うことができない。
最終的には胸や顔も床へ張り付く形となり、床の木材がギィギィと悲鳴を奏でるのを最前列で聴く羽目になる。
複合魔法か。合わせることで相乗的に効果が跳ね上がることは知っているが、ここまでとは。
だが、その分発動の難度もかなり高いはずだ。仮にこの魔法だけだったとしても、それを成したのが見た目通りの年齢ならば確実に天才だろう。
女は僕がプレスさせるのを待つ気はないらしく、人差し指を唇に当てて思考に耽っている。
「焼け焦げるのと痺れ焼けるの、どちらがいいかしら?」
それも僕の回答など端から聞く気はなかったようで、問いかけが終わるや否や、けたたましい音をたてた雷の刃を僕へ放つ。
さすがに当たったらまずいだろう。
動かせるのは腕や頭くらいか。それも微かにだけ。
魔法による雷が僕へと到達する刹那の時間、微かに動く腕を有らん限りの力で床へ叩きつけ――元から力場によって負荷がかかっていた床はいとも容易く破壊された。
そしてそのまま上からの力に逆らわずに階下へ打ち付けられるように落下。
女が立っていた範囲まで床が落ちたため一緒に落下し、よろけながら着地するが、力場が女にくっついて階下まで影響を及ぼし始める様子は見られない。
想定通り、設定した力場は2階の床までだったのだろう。階下に落ちた僕は重力の檻から逃れることに成功する。
「……まさか、この魔法から逃れられるなんて」
詰めが甘かったな。消費魔力のせいで出来るだけ力場の発生範囲を抑えたかったのかもしれないが、もっと地理的要因を考慮するべきだった。
影響下から離れ、距離をとったところで一旦相手の情報を整理するか。
先ほどの魔法は【業】の負域と【貴族】だった。
まあ、闇ギルドに所属している魔術師である以上【善】はないだろう。【中立】に留まっている者もいるかもしれんが確実に【悪】が魔法適正の標準的だ。
だからこそ【悪】の適正はわかるが――
「お貴族様だったんすね」
【貴族】を行使している以上、その血は青く尊いことは確かであるということだ。
出立ちから高貴な生まれだとは思ったが、支部規模とはいえ貴族が闇ギルドの頭か。半グレか単純な好奇心か。
「半分ね。パパに捨てられたの」
「――そうっすか」
その一言で話を切る。これ以上踏み込むつもりはない。
どうせ、“側室だった平民と、その子が捨てられた”というありふれた面白さも退屈さもない話だろうから。
「まあ、事実上の手切れでも家名を名乗ることを剥奪されたわけじゃないからこうして【貴族】を使うことができているのだけれど。パパもまさか私が魔法を使えるなんて夢にも思わなかったみたい」
女も風化した傷となったのか、大して気にした様子もなく僕が絶った話を続ける。
「でもそうね――唯一惜しかったのは、【血統】魔法を教えてもらえなかったことかしら」
ダラダラと話を続ける女に嫌気がさした僕は左腕を【側枝】へ変化。さっさと攻撃を仕掛けることにする。
先ほどの剣の舞いでインスピレーションを得たのだが、上手くいくか。
先を鋭利に尖らせた【側枝】を鞭のように振り抜き、同時に端部を分離させる。タイミングは完璧で、加工した枝先は投剣のように空気を切り裂きながら女へと向かっていった。
――カキィィインッ‼︎‼︎
「――残念ね」
投枝が女に接する直前、点滅するように現れたのは薄暗く濁った魔力障壁。
それに阻まれた投枝はつんざくような衝突音を轟かせるが、影響自体は女の髪を何本か揺らすだけに留まった。
戒律:【悪】《第一篇》、『無力な私ではこの鉄の檻は何より越え難く』――か。
お貴族様だというのに随分と行儀の悪い魔法を使うんだな。
試しにもう何回か投枝を放ってみるが、相も変わらずその障壁は異物の侵入を許さない。
この投枝、身体を切り取っている分消費が激しい。使いどころを見極めないで馬鹿みたいに使っているとあっという間にガス欠だな。
僕の攻撃が止んだタイミングを見て、女が口を開く。
「中距離戦がお望み? なら次は私の番かしら」
言うと同時、女の周囲に真っ黒な矢を形取った魔力体が出現した。
それを成したのは――戒律:【悪】《第一篇》、『暗闇にて狙い定める』。
これも知識にある――が、この矢は当たったらまずい。
宙に留まっていた矢たちは最初から弓が引かれていたかのように初速から目にも止まらぬ速さで僕へと向かってきた。
いやらしいことに、それぞれの矢は絶妙に時差を設けて放たれているが、触れることなく確実に回避を選択。
「よっと」
そして最後の一射の回避を確信した瞬間、女の口元へ目を向けると、口を吊り上げながら何かを呟くのが見えた。
「戒律:【貴族】《第二篇》、『この一射は狩による無数の命で培われている』」
「――っ!」
僕は女の呟きを最後まで確認することなく、避けた僕の方へと直角に進路転換した矢に目を見開く。
――魔法を重ねてきたのか。
曲がりながらも速度を一切落とさないままの矢は、僕にそれ以上の回避の選択を許さぬまま腹部を穿つ。
それに伴い女は深い笑みを浮かべた。
「あー、やっぱりこうなるっすよねえ」
この程度ならダメージは無視できるレベルだが、問題はこれに付加された異常だ。
笑みを浮かべる女を捉えたのが最後、僕の視界は漆黒に塗りつぶされていく。
「闇に包まれた世界はどうかしら?」
先の魔法は殺傷力に重きを置いたものではなく、主な効果は“一時的な失明”にある。
眼を蜘蛛のように増やしてみるが、効果は眼というよりは僕自身に働いているらしく視界は闇に閉ざされたままだ。
どうしたものか。
効果はすぐに切れるものじゃない。おそらく数分は続くはずだ。
視界が塞がれた分過敏になった他の五感に意識しながら気配を探るが、こういう時に限って[直感]は女の居場所を示すことはない。
まあ五感や六感が役に立たなくても対策がないわけではないがな。
――【泥蛇の頬窩】。
熱源探知のため目に頼るよりは周囲の構造が把握しにくいが、体温を伴っている女の居場所は把握できる。
これなら視えるな。
真っ暗闇だが大まかな感知はできる。間をとって“薄暗い”といったところか。
女は、一切微動だにしなくなった僕が未だ混乱の中にあるとでも思ったのか新たに動きを見せた。
肌が魔法行使の空気を感じ取る。
これから起こる魔法に身を固くした僕だったが、数秒過ぎても何も起こる気配がない。
だが、ここにきて発動の失敗はありえない。自己強化系か? 黒矢のように待機させている?
周囲の状況がわからない、なんとももどかしい薄暗さだ。
僕が答えを導く間など当然待つ筈もなく、女は次なる行動に移る。
僕を中心にゆっくりと時計回りに動き始めた。だが、足音といった一切の音が聞こえない。
これがさっき行使した魔法か?
「あははっ、何をしてるか分かってるぅ?」
そう思う矢先、先ほどまで女がいた位置から声が届いた。
――どういうことだ?
【頬窩】では女がさらに移動し、僕の後ろに周るのがわかるが、声や足音などは最初の位置から変わらずに聴こえてくる。
そういえば、【貴族】ならおあつらえ向きな魔法があった。自身の分身を創り出す創造系魔法で貴族連中には影武者代わりとして好まれている魔法だったか。
先ほど行使した魔法の正体はこれか。消音の魔法だけだと思ったが、また重ねて発動していたらしい。
姿どころか気配まで消したというのにその動きは慎重すぎるもので、先ほどの詰めの甘さが招いたミスがよほど堪えたと見える。
目指しているのは、俺の背後か。
確実な詰手を打ちたいのだろうが、彼女にとっては最悪なことにその姿は視えている。
この逆手にとれる絶好のタイミングを逃す理由がないが、どうしたものか。
対魔術師では近接戦がベターだが、細かな障害物までを把握することができないため避けるべきだろう。
となると中距離からの奇襲だが、どちらにせよ細かな動きはできない。
与えられた僅かな時間で最善手を見出そうと思考を巡らせるが、ゴリ押し戦術しか思い浮かばんな。
僕のスタイル的に力技が合ってるか。まあ、駄目ならそのとき考えるとしよう。
そして女が真後ろに位置取った直後に見せた、一息付いた際の隙。
背中の肉が脈動するように隆起を繰り返す。が、ローブに隠されて女はその様子を窺い知ることはできない。
隆起はそのまま時間の経過とともに激しく蠢き、遂にはローブを大きくはためかせ――
それは皮膚を突き破り飛び出した肋骨のようで、女を飲み込まんと背中から無数の枝を産み出した。




