押入り
別視点
日も傾き始め、辺りが薄暗く染まりつつある頃。影の濃淡が色濃く映し出された部屋で、部下から提出された資料に目を通していた俺は、文字の判別がつかず、乱雑な魔法行使で燭台に仄かな灯りを灯した。
「クソッタレ」
言葉にしたところで周囲よりも暗いこの気持ちが薄れることもなく、沸き起こる衝動を散らすように頭を掻きむしる。
どうして俺がこんな指揮をやる羽目に。
この数日でもう幾度となく巡った思考のループに再び迷い込みそうになったが、それはドアを叩く音で妨げられた。
「ああ、入れ」
「は、はい!」
俺の言葉に応えて入室したのは部下だった。えらく恐縮した様子なのは俺の機嫌が最悪であることを知ってのことだろう。
「――で?」
言いづらいのか何なのか知らないが、中々要件を切り出さない部下の先を促す。
俺がそういうのを嫌ってるのは百も承知のはずなんだが、よほど説明しづらい内容なのか。
「う、うちに客が来てるんですが、どう対応しましょうかね?」
「客……?」
「それが――」
要領の得ないこいつの話をまとめると、どうやら暗緑色のボロ切れを纏った霊魔のような人物が中に入れろと言っているらしい。それだけでも頭が痛いが加えてアポなし身元不明ときたもんだ。
単純に追い返せばいいのではとも思ったが、どうやら相手が内部の話に随分と精通しているようで、数人の対応したやつらも判断がつきかねているらしい。
まさか本部からの増員か? 確かに要請していたが、まったく返事がないので無視されたものだとばかり思っていた。
今この支部に“幹部”と呼ばれる者はいない。少し前に“超人”と呼ばれる冒険者に幹部を軒並み潰されたからだ。
「アンドリューの野郎……」
俺が指揮を取る羽目になった元凶を否が応でも思い出してしまい、再び胸にタールのような感情が湧き上がる。
そもそも唯一残った幹部のあいつはどこをほっつき歩いてる?
アンドリューのための餌になりそうな運び屋を捕まえてくると言ってからかれこれ数日だ。さすがにこの状況で遊び歩くほどイカれてはいないはずだ。
たかだか運び屋に下手を打つ訳もないし、衛兵に見つかった?
いや、あいつの能力からしてそれも考えにくい。一兵卒程度では気配にすら気づかないだろう。
その上正攻法の戦闘能力はからっきしらしいのにも関わらず、戦闘一本の俺と同程度の力を持っているんだから本来の幹部という立ち位置は相当のものだ。
……まあ、それを手で払うように鏖殺したアンドリューは文字通り“超人”なのだろう。
そんなことよりも、あいつが帰ってこないせいで上が頭を除いていなくなり、ただの班長レベルだった俺が上がることになったんだ。
ストレスから再び掻きむしろうと無意識に手が上りかけるが、報告書に散らばった抜け毛の量に思わず手が止まる。そしてスキンヘッドへと刻一刻と進んでいる状況をも憂いて負の感情のループにひた走って行く。
ふぅ、こんなことを考えるのもやめだ。
考えに耽って放置していた部下も、この間の静寂に居心地が悪いのか、身動ぎこそしないが視線をあちこちに彷徨わせていた。
この紙の束と向き合うよりは来訪者に会いに行く方が息抜きにもなるか。
少なくとも誰かと話していたほうが思考のループに陥らない分余程いい。
「わかった、俺が行こう」
「は、はいっ」
部下を引き連れて来訪者の元へと向かう。
その間で部下との会話は一切ないが、相手の待っている入り口は吹き抜けとなっており、俺の部屋から階段まで距離と言える距離もないため重苦しい沈黙を感じることもない。
相手を入り口で立って待たせるのもどうかと思うが、うちは教育のなってない荒くれ者ばかりだし期待するだけ無駄だろう。まあ聞く相手の風貌からして客間にハイどうぞと通すのもな。
――?
吹き抜けの一階へと続く階段を少し先に捉えたとき、微かな音を俺の耳は拾った。
「今の聞こえたか?」
「はい?」
不思議そうに聞き返す部下はまるで気づいていない様子だが、確かに俺は聞いた。
何かが風を切る音から始まり、少しのタイムラグもなく続けて漏れた刹那の濁音。
獣が発するようなその音は少なくともこの場所には似つかわしくなく、発声もかなり短かった。――まるで誰かのあっけない断末魔のようで。
そして、そんな俺の予感はすぐに確信へ変わる。
「気をつけろよ」
「えっ」
吹き抜けから流れてくる空気に混ざり乗ってきたのは嗅ぎ慣れた臭い。だが、この状況では嗅ぐことのないはずのもの。
部下も遅れて気がついたのだろう。流れてきた”血”の香りに驚愕と不快感が入り混じったような表情を浮かべた。
何が起きている? 気性の荒いうちのやつらを怒らせて嬲られたのか。だが――それにしては静かすぎる。
音を立てないように廊下を進みながら目的地へ、2階の吹き抜けに差し掛かった角からゆっくりと様子を伺う。
――なんだよこりゃあ。
目に飛び込んできたのは、真っ赤に染まる床と、そこに伏す部下たち。
どれも頭部だけが破砕しており、かろうじて原型が残っているものも正面から大穴が開いている。
対して頭部以外は綺麗なもので傷一つ見当たらず――逆を言えば抵抗する間も与えずに殺されたというわけだ。
しかも数人すべて。
つまりは数人まとめて同時に、反応するラグすら与えずにやられたということだ。
そしてその凄惨な現場の中心、これを成したであろうそれはひとりきりで佇んでいた。
部下の話通りの姿形。暗緑色のボロ切れを纏い、どこか霊魔を想像させるような存在の希薄さを漂わす実体がそこにいた。辺りの血の海に沈む俺の部下たちの姿と相まって、余計に現実感を奪っている。
――それこそ本物の幽霊のように。
床に敷かれた絨毯は部下たちの紅を吸って赤黒く――一種の悪趣味な絢爛さを孕んだ生地へと変貌しているが、対して暗緑色の布には一部の朱殷の染色さえ見当たらない。
考えれば考えるほど、目の前の存在から質量が消えていくようであり、それだけが異質であった。
「ぅ、あ……」
後ろで状況を察した部下が言葉にならない声を漏らす。
突然この光景を見せられれば当然の反応だ。
この状況……数の利はあるが能力は一切不明。迎え打つべきか引くべきか。
今この拠点にいる部下は下で転がっているやつらだけで残りは外にいるため当てにならない。かと言って奥に籠る頭に情けなく縋るわけにもいかねえ。
どうするべきか――
「う、うおぉおおおっ!」
突如この静寂を破ったのは、俺でも侵入者でもなく部下だった。
「待っ――」
突然飛び込んできたこの状況は冷静さを奪うには十分すぎたのだろう。俺の静止など耳に届いた様子もなくデッキの手すりに足を掛ける。
「――ぼッ」
だが、2階デッキから飛び降り、侵入者へ一直線へ向かっていった部下は、頭を弾け飛ばしながらくぐもった断末魔を響かせて落下していった。
「チッ……馬鹿野郎」
呆気ないもので、侵入者も頭部を失って力なく転がった部下には微塵も興味がなくなったとばかりに視線を切り、ゆっくりと次は2階の俺へと視線を向ける。
薄汚れたローブから微かに覗く瞳は翡翠の澄んだ色を放っていた。
「――」
瞳に魅せられたらように一瞬の間が過ぎ、はっと我に帰った俺は飛び退いて後退。
間髪おかずに俺の前を風切り音を伴った何かが1階から過ぎて行く。
「……っ!」
――こいつはやばい。
ここで初めて向けられた攻撃に、ようやく一種の実感を伴い始める。
やるしかないが、武器は部屋だ。迎撃するにもここで素手のままじゃあ心許ない。
不可視の追撃が放たれる前に俺は部屋まで逃走を始める。
できれば追ってこないでくれればありがたいんだが。
そんな希望が叶うはずもなく。
無情にも相手は俺を逃すつもりはないようで、走る俺の背後からゆっくりと階段を登る音が響く。
コツ、コツと軽く乾いた足音はどこかカウントダウンのようで、なぜだか俺を不安にさせた。




