1-7 襲撃
「来ませんね、大蜘蛛」
子供達を取りまとめている、栗色の髪とオレンジの目をした美少女ライナは丘の方を見ながら呟いた。
俺を追ってきたなら、蜘蛛の野郎はあちら側からくるはずなので。大人達はお仕事の作業があるので、蜘蛛の見張りは村の周りに散った子供達が受け持っていた。
そのまま好きにやらせておくと収拾がつかないので、子供達に人気のお姉さんである彼女に白羽の矢が立った。
もうこの歳では純粋に労働力なので、本来は仕事してないといけないのだが、監視任務の指揮官として抜擢されたので。
簡素な、いかにも村娘らしい感じの長袖シャツと少しピッチリとした長ズボンに皮の靴を履いている。いかにも、その辺で狩られた獲物から剥ぎましたという感じの靴だ。
男の子なんか八~九歳以上はもう大人並みに農作業を仕込まれている最中でサボらせられないし、女の子も織物や縫物、子守りなどで忙しい。一番年少の子供達が懐いている彼女が自然に選ばれたらしい。
みんなで踊っている時も、快活でディスコチックな踊りをご披露して、ついでにおへそもご披露していた。
声も大きく、はきはきとしているので、子供達もビシビシと言う事を聞かせている。しかし、子供達には優しく面倒もよく見てくれるので小さい子から人気抜群らしい。
昨日も自分はなんとか失禁を思い留まったようだ。それどころではない事態が待っているので。昨日の彼女の夕方の仕事は子供丸洗い百名以上だったようだ。いやすまんね、俺の不注意のせいだ。
「まあねえ、用心深い奴ならフェンリルがいるのに、そう簡単に現れないさ。しかし、あいつは俺にまったく怯まなかったな」
「あの大蜘蛛は、かなり恐れを知らないようですから。虫系の魔物はそういう奴が多いそうですよ」
「なるほどな」
恐れを知らぬ虫けらめ、というわけではなく、社会行動が我々動物っぽい感じの奴とはまるで異なるのだろう。
エイリアンみたいなものだ。地球では、昆虫の先祖は宇宙から来たという説を唱える学者もいた。この世界でも宇宙人とか宇宙生物とかがいるのかねえ。
そもそも、俺は狼だが魔物ではなく神の子であり、人間のメンタルを持っているのだから。俺は知覚力というか、魔力放射によるレーダーを張り巡らせていた。
魔法は使えないが、そういう芸はできるのだ。あの魔物の気配はよく覚えている。
「あん?」
何かが俺の鼻腔を微かにくすぐった。そして感じる魔力レーダーの気配。
「こいつは!」
「どうなさいました?」
「いかん。子供達を隠れ家に撤収させろ。ライナ、お前はその世話を。こいつはヤバイ」
そして俺は鼻面で天を衝くかのような感じに仰け反りながら、激しく吠えた。
神の子フェンリルの遠吠えが辺境の村の隅々にまで響き渡った。これはあらかじめ決めておいた、子供達を全面撤収させるための合図なのだ。
それからロキの鎧、草薙を瞬時に展開し神速で駆けた。神の子フェンリルの黒い疾風。
「くそ、間に合え!」
『奴ら』がやってきたのだ。来たのは番の奴ばかりではなかった。
なんと、大量に仲間を集めてきやがった。くそったれ、これだから虫っていうのはよ。あいつら、うじゃうじゃ生まれてきやがるからな。
「野郎、虫のくせに妙に義理堅い連中だな。いや、匂いかフェロモンのような物質で集まったりするわけか」
どうやら浄化の魔法でしっかりと取れていないようで、俺の体にべったりとあの蜘蛛の死臭がこびり付いているのも同然なのだろうか。
後で消臭剤を取り寄せて試してみるか。まず一匹。スピードを落とすことなくそのまま攻撃に移り、そいつの周りを神速で三度駆け巡り、全てを切り落とし、妙な匂いか何かをまた撒かれない内に収納する。
そして、次々と襲い掛かって倒していくが、まだまだいる。村人が大丈夫だったろうか。だが、俺は走った。とにかく奔った。
この俺の武装は駆け抜けるだけで、この程度の魔物など簡単に行動不能にできる。しかし、こいつらは手負いにしておくとまたスズメバチのように仲間を呼びかねない。
「よおし、あれをやるかあ。出てこい! ロキ十本槍」
俺が取り出したのは、黒小人達に作らせた魔法槍の数々だ。俺の魔力で浮かび上がり推進し、その超魔法金属ベスマギル製の筐体を超高速で敵に叩きつける超兵器だ。
俺は、そいつを魔力波によるレーダー連動でコントロールしている。目視していないと、あまり細かいコントロールはできないのだが、それはまあ仕方がない。
奴らは獲物目掛けて放たれた。神の子の力を持って。まるでミサイルのように唸り飛翔しては敵の頭を穿つ。
俺はレーダー連動で収納を行い、そいつらを次々と収納していく。とにかく奔って奔って、村の中にいれないうちに、ほぼ奴らを狩る事に成功した。
こいつらの目的が俺そのものだからだろう。村人が目的なのだったら、今頃は目も当てられない事になっていたはずだ。
そして、ついにラスト二体。だが、そいつのうちの一匹は! 今まさに子供達をその毒牙にかけんとしていた。
「危ない」
弧を描いていた俺の槍は、間に合わない。
だが、そこへ女騎士が走り込んで、子供二人を抱えて転げまわって避けた。だが追撃する大蜘蛛の足。しかし彼女も騎士としての意地を見せた。
何かが光り、信じがたい力を持ってして剣を振るい、その足を天高く打ち払ったのだ。
何かのスキルを使ったらしい。体力系か剣戟系のものだろうか。そして、もう一本襲ってきた足を彼女は大剣で切り払った。
そこへ落ちてくる、俺の魔法槍。脳天を縫い留められ、そいつはあえなく絶命した。それを収納してから、魔力波を放ち最後の一匹を捜すが、奴は敵わぬと見たか村の集落へ向かっているようだった。
多分、こいつが例の番なのだろう。凄い執念だ。せめて村人を道連れにしようってか。俺は槍を放ったが、集落では家などが邪魔になり、うまく倒せない。
「ちいっ」
俺は走った。コーナーでも速度は一切落とさない。
足元からキンっキンっというような金属音が聞こえてきそうだが、生憎と音など後方に置き去りにしているので、よくわからない。
風切り音の中から子供の悲鳴が聞こえた。さらにパワーを込め、瞬時に飛び、猛然と駆ける俺。
そして、なんと体を張って三歳くらいの子供を庇っているのがルナ姫だ。ファイヤーボールを蜘蛛の鼻先に連発して、せせら笑われているようだ。
しかし、それは蜘蛛を慢心させ足を少しの間だけ止める事に成功していた。村の大人達も助けたいと思いながらも体が竦んで動かないようだった。
だがさらに彼が動いた。例の脱糞おじさんだ。そう、彼こそはまさに真の脱糞王といえる。本日もすでにもう脱糞済みのようだった。ズボンの裾からコロコロと何かが転げ落ちている。
だが鋤を振り上げ、震える足が掲げた上半身には、大人の矜持を称えた力強い瞳があったのだ。蜘蛛はそちらに興味を示した。
自分を恐れないで向かってくる者、それは単なる獲物ではなくて敵なのだ。たとえ小さな相手といえども敵は倒しておかねばならない。
体は小さな強者などいくらでもいるのだし、逃がすと自分達のように後から徒党を組んでやってくるかもしれない。
本来なら無謀な行動でとても褒められたものではないのだが、今日はグッジョブな脱糞おじさんだった。
奴が囚われた、その僅かな逡巡の刹那、俺はぎりぎりのタイミングで飛び込み見事に奴の首を討った。
驚き、目を見開いたおじさん。一瞬にして気が抜けたのか、すとんっと膝をついている。さらに、もりもりといってしまったような気配が感じられる。おじさんは今日も洗濯が大変そうだ。
「あんた、やるねえ。今日のMVPはあんたで決まりだ」
そして俺は振り向いた。
「準MVPはお前さんにやるよ、女騎士」
そう、彼女が主のもとに駆けてきたのだ。
「姫様ー、ルナ姫様あー」と大声で叫びながら。お前、走るんなら、その重そうな鎧は脱げ!
そして俺は蜘蛛を片付け、姫様に声をかけた。
「やるなあ、姫様。見直したぜー」
「だって、王族は民を守る義務があるのよ」
「その通りだ。そしてルナ姫、あんたはその義務を全うした本物のプリンセスだ。神ロキの子フェンリルたる、このスサノオは、ルナ王女に加護を授ける」
ついでに勇気ある脱糞おじさんにも、ちょっとばかりな。