1-4 幼女様を乗せて
「起きろ、おいこら、起きろ」
俺はそいつ、女騎士の傍に座り込んで、肉球でほっぺへの、ぺちぺち攻撃を行った。だが、まったく目が覚める気配がない。
「こいつめ、俺といい勝負なくらい寝ぼすけだな」
「ああ、サリーは一度寝たらなかなか起きないからね」
「よくそんな奴にお姫様の護衛が務まるな」
「御者のエルンストさんは腕が立つ冒険者さんだったんだけど、真っ先に狙われたみたい。あの怪物は隠密が凄かったの。誰も気がつかなかったわ。私は足じゃあなくって毒攻撃を受けたから逆に助かったのよ」
仕方がない。俺はしゃがんで、そいつを器用に前足で背中に乗せると、ルナも背中に乗せて立ち上がった。
それから馬車のところに案内させて、馬と御者、そして馬車の残骸ごと荷物を回収することにした。
「エルンストさん、ごめんなさい。そして今までありがとう」
彼女は涙ぐんで手を組み合わせて彼のために祈った。
俺は神の子の身分を証明するための特別な首輪をしているので、そこに内蔵してある掴まるための特殊な形をした輪っかを出した。
いわゆる車でいうところのアームレストだ。これも例の黒小人どもを呆れさせた装備なのだが。神の子ともあろうものが、背中に人間なぞを乗せるのかと。
いや、役に立つ時があるかと思って。案外と、こういう地味な装備の方が役に立つ事があるものさ。
「じゃ、行きますか」
俺はなるべく乗客を揺らさないようにしながら、フェンリル・タクシーを発進させた。
俺はたいそう御機嫌で、街道というにはあまりにもお粗末な未舗装の道を進んでいた。
「俺の乗り心地はどう?」
「あ、なかなかいいよ。最初はふわふわした感じで慣れなかったけど。慣れると馬車よりも乗り心地はいいわ。温かいし」
馬車も検分したのだが、特に凝ったようなサスペンション機構などは見受けられなかったので、大体の乗り心地は想定できていた。
地球の観光馬車とかって、アスファルトとか石畳の上を馬がゆっくりと歩くので、うまく比較できないんだよね。
少し背中で揺らしてしまっていたので、お姫様は寝てしまったようだ。俺は二名の乗客が寝ているので落とさないように注意しながら、ゆっくりと歩いた。
一本道なので特に迷う心配はない。のどかな空気。季節は春から初夏といった感じだろうか。自分が乗せる側なのでなければ、一緒に寝てしまいそうないい陽気だ。
鼻面を撫でる風は爽やかで、時折蝶がふらふらと恋のダンスを踊っている。この世界の人間もイモムシ類は食うのかね。
日本は比較的昆虫食は盛んな方だと思うが。地球全体でも、世界中どこでも何かの虫は食っているしな。
俺は峠の頂点、小高い丘のようなところに立つと、眼下の風景を見下ろした。そこには中世くらいの西洋の絵画のような風景が広がっていたので、思わず見とれた。
農村だな。そういや、今夜はどこに泊まる気なんだろうな。聞いておくのを忘れた。姫様もまだ小さな子供だから気が回っていないんだろう。
確か、お花畑ではまだ昼を回ったところだったはずだ。だが、俺はふと視線を感じて振り向いた。
そこには真っ青になって声もなく震える爺さんの農夫が突っ立っていた。いつの間に来ていたものやら。
思うよりも風景に見惚れていた時間が長かったかな。そして爺さんは鋤のような農機具を取り落とし、大絶叫で叫んだ。
「ば、化け物ー」
「おい爺さん、落ち着け」
「うわあ、化け物が喋った~」
爺さんは村へ向かって、蛇行しながら手足をわたわたと振り回しながら転びそうになるのをかろうじて堪え、一目散に駆け下りていった。
ああ、なんで神の子なのに、俺ってこんなに真っ黒で一見すると怪物にしか見えんのだろうな。みんな、あの神の爺いがいけない。
農機具なんて大事なものだろうに、爺さんは忘れていっちまった。届けてやりたいが、そうしたら村がパニックになってしまうだろう。
この先、本当に大丈夫だろうか。というか、王宮のある場所に果たして入れるのか。
どの道、この村には泊まれそうもない雰囲気だ。そのまま、また歩き始めた。そのうちに上の乗客たちが起きて、今夜どうするのか決めるだろう。
俺は街や村の外で待つだけだ。俺は再び歩き始めた。だが、しばらく歩いたところで後方が何やら妙に騒がしい。
「なんだ?」
みれば、男達が手に手に粗末な武器を持って集団でやってくる。
角材、手製の木の槍。狩猟用の粗末な弓矢に、木製の鋤。どうみても戦闘集団には見えないが、それを持つ者達は屈強な農民たちだ。
「まさか。まさかと思うけど」
「この化け物め、その人間の子供をどうするつもりだ!」
やっぱりかあ~。だが、おっちゃん達め、見上げた根性だな。俺は走り去る事もできたが、彼らの勇敢な行動に敬意を払い、立ち止まり待った。息を切らし、追いついてきた彼らは得物を持ってぐるりと取り囲んだ。
「いいか、あの人間の子達を取り返すのが目的だ。あとは一目散に逃げるぞ」
……うーん、こんなに大きな狼相手に逃げられるとでも? それに第一、戦っても勝てないだろうに。
勇敢を通り越して完全に無謀だな。だが、まあこういうのは嫌いじゃない。俺は二人を起こさないように、そっと地面に降ろした。
そして伏せの姿勢で前足を思いっきり前に投げ出し、「ハッハッハッハッ」という感じに舌を出して尻尾を激しく振りまくった。
元々、狼の誇りなんか持ち合わせがないからな。媚び媚びにしちゃうぜ。おっさん達は目を見開いた。
「お、おい、こいつ本当に魔物なのか? なんか犬みたいに懐っこいんだけど」
「さ、さあ。ボール爺さんが泡吹いて知らせにくるもんだから」
「へー、あの爺さん。ボールっていうんだ。鋤の忘れ物があったから、あの丘に生えていた大きな木の根元に置いておいたから帰りに持って帰ってよ」
男達は全員、顔を見合わせた。
「「「狼が喋ったー!?」」」
「まあ狼っていうか、大神の子なんですが。ほら、これが神の子の御印の紋章さ」
俺は首輪に念じると、そいつの機能で空中にあの爺さんの眷属の証である、ルーン文字でそう書かれたロキのエンブレムを描き表した。
「うおう、それこそは、まさしくロキの紋章。そうか、お前さん、いやあなた様はロキの息子伝説のフェンリル! ははー、これは失礼をば」
全員が平伏してしまったので、俺も付き合ってゴロリと転がり、お腹を見せてやった。お腹の毛まで真っ黒なのさ。どこがおへそだかわからないね。
どうやら、この世界でもフェンリルの名は神話か伝承に刻まれているものらしい。他に初代フェンリルとかいたのかね。
もしかしたら、緊急だったので俺は出来合いのたくさん在庫のあるボディをもらって、そいつを異世界から来た人間の魂用に調整してくれただけなのかもしれない。
「それでさあ、この向こうに手ごろな街とかないの? その子達を夕方までには街まで送ってあげないといけないんだけどさ」
「あー、できたらうちの村に泊まった方がいいですだ。この先は少し街まで距離がありますんで」
「そっかあ、じゃあ村まで戻ろうかな」
「そうしなせえ、あなた様はともかく、そっちの小さな女の子に野宿はきつそうですじゃ」
「俺はスサノオ、よろしくね~」
俺は彼らのお言葉に甘えさせてもらう事にした。俺も藁の寝床くらい貰えそうな雰囲気だし。