二十一月日 夢にまで見たような世界
何で……私がそうなの?
少女は目を見開いて大人でいっぱいの部屋で茫然とそれを聞いて立ち尽くしていた。
言い渡される審判。引き離され、手を伸ばし、泣きそうな顔で離れていくユリアと、会えなくてアルティに抱きついて泣いているミルナと泣くのを我慢しているラルモ。そして目をつむって静かに悲しんでくれているのか、背中だけを見せてくれたガシュナ。
大丈夫だよとみんなに見せた、強がりの笑顔。
そして案内された繋世門を潜り抜け、到着し、目の前に広がっていたのは自分が知っている人もいなければ自分を知っている人もいない異世界。
でも彼女は五年なんてすぐよ、と自分に言い聞かせて町を走った。
ずっとずっと走った。自分を誤魔化すように。
支給されたお金で何とか食いつないでいき、この世界の知識も図書館などで得て、ここへ来る前に色々とこの世界のことについては勉強していたのでその点では困らなかった。
だが困ったのは、心にぽっかりと空いた何か。
それがおそらく寂しさから来るモノであろうとは理解し、自分は英雄の娘なんだからこんなのへっちゃらよ!と自分に言い聞かせてまた走った。
時々、自分の失敗で起こったこの町でのトラブルもよくあった。
お金が入った財布を落としたり、雨でずぶぬれになったり、自分を何度か見かけたのか心配をして声を掛けてくれたお巡りさんを怖がって逃げてしまったこと。
そして時には夜にでも動くためか、ガラが悪そうなお兄さんに捕まってボコボコにして泣きながら逃げたことや、悪い大人達にどこかに連れて行かれそうになったこともあった。
ここの人達は信用してはいけない、信用するのは自分と、通信機越しに聞こえる声だけ。
何時しか、人を信じることができなくなっていた彼女は止まり木がない鳥のように町中に出てくる怪物達を追った。
暑くて倒れそうになったことや冬の寒さに凍えたこともあった。
そして栄養バランスがおかしくてどこか体の調子がおかしいこともあった。
そして少女は、自分の存在が何なのか、分からなくなってきていた。
日常で繰り返される光景はまったく変わりなく、彼女の心を蝕んでいった。
最初は怖くて、でも自分がやらなきゃと小さな少女とは思えない勇気を出して勇敢に立ち向かい、人々を救っているのは自分なんだと誇りを持ってこの長期任務に就いていたが、それも時が経てば単なる日常の一貫。
人々が助かるなんてどうでもいい、これは私自身のウサ晴らし。
自分の存在を証明して立つには、怪物達を倒していき、そこに存在し続ける証明としていく。そのときを振り返ってみれば、本当に彼女は殺戮の天使であった。
小さな姿ながらも、刀身を振るい、夕陽色の美しい髪がくすんで周りからは返り血を浴びたような姿に一瞬映ったかも知れない。
ナンデワタシハ、コンナメニアッテイルノ?
その答えを聞きたかったが、誰も答える人はいない。
自分以外の何もかもが憎くなり、時に何かをけっ飛ばしたり、時にうずくまって泣いたこともあった。
お母さんに会いたい、友達に会いたい、暖かい布団で寝たい。
そんな小さな幸せを、温もりを、彼女は欲していた。
彼女は見た目通り、ただの小さな少女でいたかったのだ―――。
怖い 怖い 怖い 怖い 怖い 怖い 怖い 怖いよ。
誰か私に、安心を。誰か私を、見つけて。 誰か私を、愛して。 誰か私に―――
“温もりを頂戴”
「ユキナ、ユキナ! どうしたんだお前?」
ふいに体が揺さ振られるのを感じ、ゆっくりと瞼を上げると心配そうな顔でチビ護熾が顔を覗き込んで肩を揺さ振っていた。
ユキナはう〜んと声を漏らし、目を覚ますと自分が冬でストーブに当たっていたわけでもないのに汗だくになって魘されていたと気が付いた。
そしてさっきのは夢だと分かり、あの時の寂しさ、恐怖を思い出すとすぐに人の温もりが恋しくなり、
「護熾!」
「なっ!? お前また――――」
目の前にいた護熾を抱き寄せて、ギュッと抱きしめる。
護熾はまた自分に抱きついてきたユキナの手を払おうと掴むと声が止まってしまった。
それは、この少女の手が、何かに怯えるように震えていたからだ。
「……ごめん…………怖い夢見ちゃった……だからこうさせて…」
「………………分かったよ」
護熾はワケが分からなかったが、ユキナが震えた声で何か悪夢を見たことを話し、少女らしくそれに怯えてしまったため、自分が今この少女の精神安定剤の役目を果たしているのだと考えると不本意ながらも震えが止まるまでじっと静かに待つことにする。
ユキナは護熾が承認してくれると、遠慮無くもっと力を込め、寂しさと恐怖を紛らわそうと懸命に抱きしめる。
「何を見たか知らねえけど……よほど怖かったのか?」
「うん…………」
じろりと見上げる護熾にユキナは短く言い、それ以上は言わなかった。
本当に怖い夢を見てたんだな、っていうか何でお前が俺と添い寝してるわけ?、と護熾はいつの間に隣で寝ていたユキナに尋ねたかったが、潤ませた目でジッとこちらを見ていたので何も聞かなかった。
護熾はぬいぐるみのように温かい。その温もりこそ夢の中の自分が探していたモノ。
そっか、護熾が私に……思い出させてくれたんだよね……
この少年といると、素直になれる。この少年といると、安心できる。
抱きしめながら、これは元の大きさの護熾の方がよかったかなと自分のワガママを頭に浮かべるが、そんなことを考えられるほどにすぐ回復したのは、彼女が護熾を信頼している証である。
「おい、力入れすぎ」
「あっ、ごめんごめん」
照れと羞恥で頬を染めた護熾は目を逸らしながら大人しくユキナの腕の中に納まっている。今は体の大きさが違うだけなのでどうも女の子に抱かれているのは恥ずかしい。そんな声が顔に書かれているように見えたユキナはくすっと笑い、抱きしめている手を解くと護熾の両頬に添える。
「お、おい、何だよ?」
「……ありがと……おかげで怖くなくなったよ……」
今はこんなにも小さくて自分より力が弱い護熾。このまま行けばもしかしたら……
ユキナは少しだけ頬を朱に染め、それからお礼を言われてさらに照れて視線を横に向けている護熾に気付かれないように、そっと顔を近づけていく。
好きだから、愛してるから、ならばさっさと自分の初めてをあげたい。
今なら誰もいないからいいでしょ?と神に願いながら唇を重ねようとした瞬間
「ただいま〜!! 斉藤さん来たわよ〜! それとユキナ、海洞に何かしてないでしょうね!?」
「うっひゃぁあ〜〜〜〜!!!!」
あと僅かのところでイアルが帰ってきてしまったのでユキナはびっくりしてタオルケットから飛び出すとコロコロと横に転がって見事に頭を窓にぶつけて う〜〜、と痛みに唸ることになってしまった。
「きょ、今日一日泊まることになりました。さ、斉藤 千鶴です。不束ものですがどうぞよろしくお願いします……」
「いや、そんなに堅くなくていいから斉藤」
緊張でかくかくながらも和室であぐらをかいて座っている護熾に今日一日分の着替えを入れたバックを横に置いて、千鶴はきちんと正座をして頭を下げたところであった。
「それにしてもいいのか? ここ男の家だし無理しなくていいんだぜ? 今日は外食で済ませちまおうと思っていたけど……」
「うぅん、海洞くんに私は色々お世話になっているから今日は腕によりを掛けて作ります!」
「そっか、斉藤ありがとな。助かる。」
両手に拳を作って張り切る千鶴に護熾は軽く頷いて『今日よろしくな』と返事を返す。
護熾に礼を言われた千鶴は、その可愛さと好きな相手だと言うこともあり、鼻血が出るんじゃないかと思いって体を後ろに捻って鼻を押さえて悶え、護熾はその姿に後ろ頭に汗を掻いて少しだけ不安になっていたが、料理のほうは信頼できるので何とか大きな消費は免れたと今日泊まると言ってくれた千鶴に感謝した。
「はぁ〜〜食べた食べた♪ 上手だね〜斉藤さん!」
「ありがと、でも海洞くんには負けちゃうね。」
海洞家初の男一人、女三人でテーブルを囲んでの食卓。
お腹をパンパンと叩きながらユキナが満足そうな声で感想を言うと千鶴はそれを素直に受け取って微笑みで返す。
千鶴の料理が上手なのは、よく母親と夕飯の支度の準備の手伝いをするのでその合間にコツを教えて貰ったり、調理法などを見て覚えたりしたのでユキナとイアルよりはスキルは上なのである。
護熾は千鶴の作った、いわゆる女の子が作りました感が出ているこの夕飯をうまいうまいと食べ、『ホント悪いな斉藤』と再度感謝して、ユキナが『はいあ〜んだよ護熾♪』とフォークに刺さったお肉を突き出しまだ自分を子供扱いしていたのでそれにキレかけ、夕飯は護熾を覗く女の子三人の皿洗いで幕を閉じた。
「ふぅ〜〜〜何時入ってもお風呂はいいもんだわ〜〜」
湯船に浸かりながら、イアルが天井を仰ぎながら呟く。湯気が丁度良く出ており、寒い季節には打って付けの環境になっていた。
今この浴室にはジャバーッと桶に入れたお湯を上から被って髪を濡らす千鶴と髪の手入れを始めているユキナの三人がおり、湯船には最大で二人、外野で一人いれば何とかうまく入るので三人同時にはいっちゃえ!と決め、こうなっていたのだ。
「何だか勇子に悪いわ。海洞くんが普通の体であれば喜んで勇子はユキちゃんと一緒にお風呂に入っていたのに」
「それもそうだね。近藤さんとも一緒に入りたかったな〜〜」
体に石けんを擦りつけながらユキナが護熾があんな姿なのでみんなを呼んでレッツお泊まり会ができたのに〜と残念な声で溜息を付くが、そもそも護熾がそれを許したかどうか分からないのであえてそこは言わなかった。
「ほら、どっちかこっちに入ったら?」
「あ、じゃあ私が入りま〜す。」
縁に顎を乗せながらイアルが風呂にもう一人入ったらと訊くと千鶴が丁度体を洗い終わったので立ち上がり、『失礼しま〜す』と縁を跨いで湯船に足を付け、体を入れる。
お湯の量が増え、イアルと千鶴の肩近くまで上昇する。
「うっ、うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「? どうしたのユキちゃん?」
「何か言い足そうな顔をしてるけど?」
何か悔しそうな声でユキナの嫉妬の視線に気が付いたイアルと千鶴はその視線を追いかけていくとどっちも到達するのが胸。ユキナよりもある【胸】。
「どうして私は大きくならないの? ちくしょうっ!」
「ゆ、ユキちゃん……って私が何言っても説得力ないよね?」
「斉藤さん、それ言えてる」
恵まれたスタイルを持つ二人を見て、ユキナは自分の幼児体型と比較し、やはり愕然となる。
『どっかで聞いたことがあるけど何が貧乳は希少価値だ!』とガンガン壁に頭をぶつけて千鶴が止めに入ろうとするが、その前にユキナは頭打ちをやめて視線を落としながら頭を隠すように桶を被り、
「神様〜〜〜どうしてこの世は不平があるのよ〜〜〜」
桶を被りながらブンブンと頭を振るユキナを見ながら、千鶴は『でもユキちゃんは見た目がとても可愛いから大丈夫だよ』と慰めのつもりでいうのだが、『それじゃあせめて背は伸ばしたいな〜』と桶を胸元に置きながらユキナはもう一つの願いを天井に向かって呟く。
「さて、それじゃあ聞きたいことがあるから二人とも耳貸してくれる?」
「ん? 何イアルぅ〜?」
「何? 黒崎さん?」
二人に注目を向けさせたイアルは一度息を吐いてから、二人にあることを訊いた。
「―――やっぱり、考えることは一緒なのね…………」
「それは、想うからこそだと思うよ……」
「でもそれって……でもそうするのがいいのかな?とっても怖いけど」
イアルに訊かれた質問に二人は答えた。
多少の違いがあれど、三人とも同じことを考えていたようだった。
それは護熾関係で間違いはなく、それが最善の対処いや、残り少ない人生を真っ当してもらうための答えだった。
「まったく、あいつったら女の子三人に立派に悩ませちゃってホント……しょうがない奴…」
頭に手を当てながら、イアルは肩で息をして、お湯に体をさらに沈める。
「でも海洞くんはどうなのかな?」
「護熾はそんなこと一切口から出さないからもしかしたらいないのかもよ?」
千鶴に背中を洗って貰いながら、大きい桶に座っているユキナは足をぶらぶらと動かして言う。
一緒に生活をしていてそんなことは一度も聞かなかった。もしかしたら誰かが勇気を出して聞かなければならないのかも知れない。それは、とっても勇気がいることである。
背中をゴシゴシと洗いながら、千鶴は小さなその背中を見ながらふと言う。
「そういえばユキちゃんってさぁ〜」
「ん? 何斉藤さん?」
再び泡立てたスポンジを動かしながら
「学校では最初は『海洞くん』って言ってた時期があったけど今じゃあ何の躊躇いもなく『護熾』って言ってるよね?」
「あ………………そういえばそうだね」
夏休みが始まる前はちゃんと護熾の言うとおり『海洞くん』と呼んでいたのがいつの間にか夏休みが終わってから『護熾』になっていた。それは、夏の間に自分が信じている証拠になっており、自覚しているのか、普段名前で呼ばれるのは好かない護熾(その割りには異世界では呼ばれまくりだが)はそのまま学校でも呼ばせていた。
それが何を意味するかはユキナは即顔を後ろに向けて千鶴の顔を見ると慌て声で
「そ、それって不味いかな? やっぱり斉藤さんも言いたいよね?」
「うぅん。それが海洞くんがユキちゃんを信頼している証だと思うわ。それに……」
背中をお湯で洗い流し、それからイアルの方に振り向く。
「ユキちゃんも黒崎さんもこの家で一緒に海洞くんと暮らしていて、楽しそう……羨ましいな…」
ユキナ、三ヶ月。イアル、一週間強。
特にユキナは、自覚するまでに日数は掛かったが好きな人と三ヶ月同じ屋根の下で暮らしてきたのだから逆に何の変化もなかったことに驚きだが、しゅんと顔を降ろし、視線も降ろしてしまった千鶴に二人が慌てて弁明する。
「で、でもたまに手伝わされたりするんだよ!? 皿洗えとかこれ運べとかこき使ってくるよ!?」
「わ、私はたまたま居合がなかったからここで居候してるのよ?」
二人が顔を赤らめてあたふたと身振り手振りで説明をする光景は何とも見応えがある。そんな二人のあわてぶりに千鶴は微笑んで顎に拳を当ててくすっと笑うと
「でもたぶん、海洞くんも楽しいと思うよ。常に自分のことを想っている二人がそばにいるんだから」
「………………」
「………………」
二人は途端、顔を赤らめ、イアルは『こ、これ以上入っていたら逆上せちゃうから上がりましょ?海洞が待っているし……』と二人に言い、熱気が籠もった部屋から退場していった。




