十一月日 死への狼煙
テオカ、という人物がバルムディアにはいた。
“彼女”は人望厚く、凡庸で人の心が分かるかのように他人に気を掛け、セントラル内では彼女を知らないものはいない。そして女らしさを全て隠しているような服装だったのでよく男と間違われたり、同姓から別の意味でのあこがれをよく抱かれたりした。
誰に対しても態度は同じ。誰に対しても優しく平凡。
そして彼女は日常的に下町へ遊びに行っていた。それが唯一、セントラル内で困らせていることだった。彼女は、子供が好きだった。
共に遊び、何をしているのか、何かを自慢したりとまるで同じ子供のように接してきた。
だが彼女にもやがて、別の生活が来た。
結婚、という女性なら誰もが憧れる式を挙げた彼女はやがて “テオカ・シファー”と名を改め、そして子供もできた。その子供は両親のどちらにも似なかったが心はしっかりと受け継がれていた。
そして彼女は、九年前、謎の事件に巻き込まれて死んだ。まるで自分を止めるかのように、死んだのだ。
だが彼女の心は死んではいない。その心を受け継ぐ娘と、昔共に遊んだ子供達が、やがて隊長格という地位に就いて受け継いでいったのだ。
彼女の心は、終わらない。
「ふああ〜〜〜〜何か眠いな……」
緊張感ない大欠伸で護熾は目を擦りながらトボトボと用意されているシングルソファーに移動し、ドッシリと座る。既に夕食を食べ終え、その前に風呂にも入り終わっているのであとは寝るだけ。だが、頭の中では不安でいっぱいであった。
やがて、浴場室から入浴を終えたティアラがやってくる。その姿は―――身体が薄っすらと透けて見えるベールのように薄い衣を羽織ったような姿だった。
「おっ、ティアラ上がったのか……ってなはぁ!!?」
こっちに近づいてくるティアラに気が付いた護熾は顔を急激に赤らめてあたふたと顔を手で覆い隠す。ティアラはそれでもゆっくり近づいて両膝を付けてすぐそばまで来ると護熾の視覚を奪っている両手をぺいっと退かし、それから互いに見つめ合う位置まで顔を寄せる。
「な、な、なあ〜〜〜〜!! 何だ何だ!? どうしたティアラ!?」
「ゴオキ、聞きたいことがあるの……」
しょぼん、と悲しそうな顔をしながらティアラが尋ねてくる。護熾はいつもと様子が少し違うティアラに?を浮かべ、冷静さを取り戻してから、質問を待つ。
「護熾って……その……好きな人とかいるの?」
「え? ……俺に好きな人? ………いや特には…」
護熾は答える。すると一瞬キョトンした表情になったティアラは、満面の笑みを浮かべると首に手を回していきなり抱きついてきた。いきなり抱擁を受けた護熾はびっくりして立ち上がるがまるで蔓のように抱きついて離れない。
「そうなんだ〜〜!!!」
「何がそうなんだよお前!! ちょっ、バランスが―――」
ティアラが体に抱きつき、激しく揺れるおかげで護熾はそれに足を取られ、半ひねりの形で横に転ぶと柔らかいベットが二人を受け止める。そして丁度、ティアラの両手首を掴んで護熾が覆い被さる形になる。そして互いの顔が鉢合わせし、見つめ合う。
「………………」
「………………」
「……いいよ」
「何が!?」
その気になったティアラに護熾は首をブンブン振って手首の拘束を解き、離れるとそのままゴロンと同じように寝転がる。
ロキとの対戦でもそうだが、何よりも普段の開眼状態での疲労が想像以上になっており、実は結構フラフラだった。それがティアラの抱擁攻撃を受け流したために少し息が上がっていた。
「どうしたのゴオキ? 何だか疲れてるみたいだけど…」
体を起こして顔を伺いながら護熾の苦しそうな息遣いに心配になって言うティアラに護熾はニッと少し微笑んでから『大丈夫だ、少し疲れただけだから』と心配させないように言って呼吸を整える。
「……ちょいと早いけど…俺寝るわ」
護熾は何か少し慌てた様子で起きあがり、ベットから降りようとすると急に腕が重くなった。何故重くなったのかを怪訝な顔で振り向くとティアラでガシッと右腕を掴んでいるのが分かり、何だよ、と少し低い声で言う。
「待ってよ……私怖い、ゴオキがいないと怖いの……」
今頃になって命を狙われた恐怖が込み上げてきたティアラは小さな子供のように震えていた。初めて命を狙われた感覚。その恐怖は中々ぬぐい去ることはできない。だから今は、自分を助け出してくれたこの少年にそばにいて欲しかったのだ。
何度も命を狙われたことがある護熾はその気持ちが痛いほど分かっている。そして自分の持つ強大な気を狙ってくる怪物達から自分を護ってくれていた少女の顔が浮かんでくる。
「………………けっ、しょうがねえな」
何か諦めがついたのか、吐き捨てるように言った護熾はそっと手をティアラに伸ばすと優しく、包み込むように胸板に引き寄せて抱きしめた。護熾の思いがけない行動にティアラはびっくりし、一瞬ビクリと体を震わせるが気が付けば、その温もりのおかげで体の震えは止まっていた。
「ど、ど、どうしたのゴオキ?」
「大丈夫、大丈夫だ。俺がそばにいる。」
そう言いながら背中をポンポンと叩いて落ち着かせる。
「―――温かい」
「そうか? ……今回だけだからな、こんなことすんの」
『うん、分かってる』、ティアラは嬉しそうに言い、身をもっと預けてきた。
おそらくこうしてないとティアラは今晩安心して眠れないだろう。そして改めて触れてみると金色の輝く髪からは香水のような甘い香りが鼻を擽り、細い体を自分に預けていることがよく分かる。こんな自分にこの少女は頼ってくれているのだ。それだけでも護熾は嬉しかった。
「気が引けるけど、寝るか」
抱きしめている手の一つを解いてシーツを手に取ると横に倒れながら二人の体の上に掛かるように被せ、そしてもう一度抱きしめ直す。好意を寄せている人にこの上ない振る舞いを受けているティアラは顔を赤くしながらもそっと護熾の背中に手を回し、ギュッと抱きしめ返す。
「フフ、ゴオキって、お母さんみたい」
「……初めて言われたよ、そんなこと」
しかしここで、突然護熾に眠気が襲う。しかしその眠気は普段の眠気とは違い、死を誘うような眠気。目を閉じ始めた護熾にティアラ少しだけ残念そうに
「もう寝ちゃうの?早いよ〜〜」
「仕方ねえだろ、眠いんだからさ」
「でも、ありがとね」
「……………どういたしまして」
そして静かに視界が暗闇に覆われ始める。もう時間がない、これでもし、自分が帰って来れたらあいつらに、ユキナに怒られるだろうな。そう考え、思わず笑みが零れると最後に自分を見届けてくれる人物に顔を向け、
「それじゃあ、お休み」
「うん、また明日ね」
「ああ、じゃあ―――」
“行ってくる”
護熾は何か誓うように言ったが小さな声だったのでティアラは聞き取れなかった。
「……寝ちゃった」
起きてるのと眠るのが入れ替わるようにあっさり眠ってしまった護熾の顔を見ながら、ティアラは安心感を胸に、同じく床に就いた。
―――護熾、お前は優しい。だが相手はその優しさにつけ込んで来るだろう。護熾、鬼のように強く、鬼のように冷酷になれ。冷酷な相手には冷酷で行くしかない。トドメを刺すことを躊躇うな、相手の最期を見るまで気を抜くな。それがお前を“モノ”から“者”に変える唯一の方法だ。
「分かってるよアスタさん、俺も今回ばかしは全力で行かないとやばいからな」
瞼を閉じたまま護熾は言った。そしてゆっくりと持ち上げるとまず明かりが入ってくる。そして辺りを軽く見渡すと海が見え、上空を見ると日食が始まっており、もうすぐでダイヤモンドリングが起ころうとしていた。
澄んだ海が周りに広がる中、自分は大きな高速道路を兼ねた巨大な吊り橋の上に立っていることに気が付き、そして自分から20メートル離れたところで“それ”はいた。
それは、片膝をついて座っており、全身は真っ黒で人型をしていることしか分からなかった。
「「ヨウ、来タノカ」」
それはゆっくり手をつきながら立ち上がり、ゆらりと姿勢を正すと一歩一歩近づきながら護熾に向かって言う。
「「ヤット決心ガ着イタノカ? ソレトモマサカ“オレ”ヲ倒シニ来タノカ?」」
バカにしたような口調でそう言い、5メートル手前で止まるとやがてその姿が皮が剥がれるように変わっていく。まるで蛇の脱皮みたいだが、護熾はまったく動じずにその姿が誰になろうと構わなかった。例えそれが黒いローブを羽織った“自分”でも。
「「マアイイ、コレガ俺の仕事だからな」
響きが掛かった声から護熾と同じ声になると楽しそうに、凶悪な笑みを浮かべながら完全に虫けら扱いをしてくるそれに護熾は睨みながらやがてその瞳が翠色に染まり、髪も同様に染まっていく。それからバッと腕を構えると肩の力を一度抜き、呼吸を整えしっかり相手から目を離さないようにする。そして飛び出す準備を終えると吠えるように言った。
「てめえを倒して、俺は“生きて”帰る」
「……それを馬鹿って言うんだぜ。たかが人間が“死”に勝てるとでも思ってるのか?」
互いに踏み込み、地面を抉り、そして拳を構えてそれぞれ繰り出すと拳同士がぶつかり、突風が生まれ、同時に日食のダイヤモンドリングが完成する。
時速二百キロ以上の速さで北東の上空を飛行するユキナは、かれこれ一時間ほど飛んでいるが、まだバルムディアの町明かりすら見えてこない。すると突如背中に走った不吉の予感に身を震わせた。
「なに? ……どうしたの護熾」
突然頭の中で感じていた護熾の気が急激に小さくなり、不安と焦燥感に駆られたユキナはさらに生体エネルギーを放出して突風を纏い、速度を上げていった。
拳に気を込め、渾身の一撃を顔面に繰り出そうとするがそれは片手一本で止め、衝撃が後ろに突き抜けて海を揺らした。
「なっ!!」
それはそのまま一本背負いをするように拳を掴んだまま弧を描くように投げ飛ばし、護熾を地面に叩きつけ、アスファルトを砕いていく。護熾は激痛に顔を歪ませるが、それが足を持ち上げて顔を踏みつぶそうとしてきたのですぐに横に転がって回避すると轟音を立てて護熾がいた場所が破壊された。
「ちっ、避けたか」
悪態を付きながら埋まった足を引き戻し始めたので護熾はすぐ後方へ飛び、距離を取る。それは足を引き戻し終えると距離を取った護熾を蔑むような眼差しで見て、言う。
「何でお前がこの“死”に抗ってるのかが不思議だが、今のところの実力じゃあ所詮は雑魚。諦めろ。“死”に抗ったのはお前が初めてだが、お前は【理】に反した大逆者だ。そして俺はそれを裁く断罪者だ。」
首をこきこき鳴らし、少し不思議そうな顔をしてから続ける。
「お前は一度死んだ。体が傷つき、魂も再生不可能なほど傷ついて確実に死んだ。だけどお前はこうして何故か俺と戦っている。何故だ?」
通常、肉体が何かしらの攻撃を受ければ当然魂魄も同じように傷つく。そして肉体がダメージの許容量を超え、そして魂魄も同様に超えると肉体をいくら治癒しても傷ついた魂魄は再生できず、そのまま死に、新たな命を生む材料に変わるのだ。だが護熾は、その魂魄が傷ついて死んだのにかかわらずこうして生き、しかも本来あり得ない“死”との戦いまで実現してるのだから変だとは思えずにいられなかった。
「まあ、でも。」
それは顔を俯きながら握り拳を作った右腕を持ち上げるとその手が突然閃光のように光り、護熾が手で光りを防ぎ、やがてもう一度それの姿を確認すると、うっすらと向こうが透けて見える血のように赤い大剣が肩に乗せられ、片膝を付いて不敵な笑みを浮かべているそれが護熾を見据えていた。
「てめぇ……何だ……それは?」
護熾は信じられないと突然出現した赤い大剣を見る。それは全ての命を刈り取るのではないかと思うくらい禍々しく、全身があの剣の斬撃を決して受けるなと伝えてくる。
「あぁん? これか? お前が知る必要は―――ねえ!!」
吐いた息と共にそれは一気に距離を縮め、護熾の感覚領域をすり抜けるとそのまま大剣の切っ先を護熾の目の前まで運び、咄嗟に気が付いて顔を逸らした護熾の頬を掠めながら突き出すとその延長線の地面がチーズのように横に割け、海も真っ二つに割れて水しぶきを上げる。
「!!」
「ほらっ、攻撃は終わってねえぞ!!」
呆気に取られている護熾にそれは大剣を横に振るい、ハンマーのように刃の横を叩きつけるようにすると面白いほど護熾の体は吹き飛ばされ、橋の鉄柱に叩きつけられる。
「うぐっ!!」
叩きつけられた衝撃で肺が損傷したらしく口から少し血が出てくる。それはそんな護熾に容赦はなく、大剣を両手で握るともう一度切っ先を護熾に向け、刃先にドス黒いオーラを掻き集めてくる。その技は! 護熾は驚愕の表情でオーラを纏っていく大剣を見るとそれがにやりと笑い
「知ってるだろ? これはユキナの“疾火”だ!てめえの記憶からわざわざ引っ張り出してきた。嬉しいだろ? 仲間の技をその身に受けれるんだからよ!!」
刃先から光球が生まれ、それが大剣を横に大きく振ると高密度の黒いオーラが飛ぶ斬撃となって護熾のいる場所へと飛び、その場を大きく飲み込んでいった。
「―――ちっ、少し待ってやるか」
黒い疾火を放ち終えたそれの視線の先には、既に鉄屑や瓦礫などが海の上に散ったりとさっきまでとの光景がまるで違っており、橋の半分が消えて無くなっていた。それはすぐ近くに転がり込んできた瓦礫に腰を掛け、まだ死んでいない護熾が姿を現すのを気長に待つことにした。
かれこれ二時間後、速さを保ったまま飛行を続けていたので体に疲労が溜まり、視界がぼやけてくるが、やっとのことで微かに町明かりらしきものが見えてきた。
「……見えた! 護熾、今行くよ!」
最後の力を振り絞り、ユキナはだんだん小さくなっていく護熾の気を感じながら落ちないように気をたしかに持って町明かりに向かって飛翔していく。
それが待ち侘びたかのような表情で先程疾火を撃った場所に顔を向け、立ち上がると大剣を肩に乗せながら歩んでいく。
「たくっ、生物の本能ってやつに従ってお前と“戦い”というのをやってみたがお前は弱い。弱いのに抗う。何のために?何のために?死には勝てない。時間に抗うのと同じなのにお前は何故見苦しく藻掻く?」
喋りながら14歩ほど歩いた先にある瓦礫の山から押し退けながら護熾が姿を現す。しかし先程疾火の直撃と余波で体中が斬れ、両膝を付くと米神からも頬に伝って血が流れており、もう虫の息の状態だった。しかしそれでも尚、闘志の付いた眼でそれを睨み付ける。
「生あるものは運命に従い、運命で死ぬ。終わりだ護熾。」
大剣を片手で持ち、それを大きく振り上げると赤くて黒いオーラが刀身に巻き付いていき、気が凝縮され始める。それはトドメを刺す準備。
護熾は後一撃繰り出せるかどうかという満身創痍。敵が大きな攻撃の準備に入っているため、その大きな隙を最後のチャンスだと考え、密かに右腕に全身全霊の気を溜め、最後の攻撃に出る。
「うっ! うぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「ね? やっぱり終わりでしょ?」
「なっ―――――!」
顔に届くはずの拳が寸前で止まる。その拳が震えている。
拳の先には可愛らしく、凛々しい顔が乗った小柄な少女―――ユキナが禍々しく光る大剣を振りかざしており、憂いを含んだ大きな瞳で護熾を見つめていた。
―――ちくしょっ、汚ねぇ
「さよなら、護熾」
無表情のままユキナは大剣を振り下ろし、護熾の左肩から右脇下まで切り裂いていく。切り裂かれたのと同時に鮮血が宙を舞い、刀身にも夥しい血がこびりつく。
「まだまだ」
だがこれだけでは終わらず、大剣を一度大きく振り回して血糊を取った後、護熾が前のめりに倒れる前に突きの構えにはいるとそのまま突き出し、まるで落ち葉のように護熾の体を貫き、そして貫通させると護熾の目からは光りが失われ、ごぼっと多くの鮮血を吐いた後、動かなくなった。
「だから言ったでしょ?生が死に勝つなんてありえっこない。でもこれで私の仕事は終わり、あとはあなたを冥府へ連行していくだけだから」
冷たく、ユキナの姿をしたそれは両手で柄を握りしめ、引き抜こうとする。
これで全部が終わってこいつは本当に死んだ。これで道理は護られる。
世界の秩序こそが死の全て、それが使命、それが仕事。中程まで引き抜くと突然大剣が引き抜かれるのを止める。
「え? 何?」
動かなくなった大剣を見ると、それの目が驚愕に一変する。そこには死んだと思われた護熾がまだしつこく、両刃の大剣の片側を掴んで手から血が出ようとも構わずにそれが大剣を引き抜こうとするのを妨げる。
「こいつ、まだ生きてやがって」
ユキナの声で悪態をつくそれは突然頭の中に“危険”だという信号が伝わり、勘を響かせると急いでその場を離れていった。その場に残された護熾の体からは―――禍々しい黒い気が纏い始めていた。