7日目 日常との別れ
上半身が消し飛び、下半身がゴロンと崩れるように倒れると塵に姿を変え、サーッと風に吹かれたかのように完全に消滅した。
消滅を確認したユキナは翳すように向けていた掌を自然体に垂らし、肩で息をし、臨戦態勢を解くと護熾の方に向く。そして彼が不思議そうな目で見ていることにここで初めて気がつき、自分の今の姿の説明をしなくてはと思い、変に緊張させないために刀を肩に担いで切っ先を向けないようにする。
その結果、多少は警戒心が薄れたのか、護熾は恐る恐る口を開いた。
「…………教えてくれ、お前のその姿は何だ?」
「……私の今の姿は限られた人にしかなれない状態で、私達は『開眼』って呼んでるの」
「か、開眼……?」
ユキナの話によると先程の気の説明を踏まえ、この開眼というのは自身の生体エネルギー、及び気を爆発的に増やす潜在的な能力でその仕組みは分かっていない。が戦闘では大きく役立ち、通常とは異なった動きを可能にしてくれる。そして自身が持っている刀については先ほども話したように生体エネルギーには個人差があり、一つ一つ能力が違いがあるのでこの刀は自身が持っている気を具現化させたものであると説明した。
「まあ、ちょっとワケ分からないけど、お前が言うんだからそういうこと何だろうな。……ところでもう一本だけ刀があるみたいだけど、それは?」
「ん? ああ、これね」
説明を受け、ようやく死の脅威から解放されたように緊張が解けた彼はコンクリートの床に腰掛ける。
ユキナは開眼状態になったときに一緒に出てきたベルトに固定された左腰にある蒼い鞘に包まれた日本刀について訊くとユキナは左手で鞘を何か大事そうに撫でる。
「これはね、抜けないのよ」
「え、抜けないって、どういうことだ?」
「文字通りよ。鞘から抜けないの。でも武器としてじゃなくても、私の御守りだから」
そう言い、熱した鉄が冷めるように、元の黒髪と瞳に戻る。
すると持っていた刀もベルトに固定されていた刀も光の塵となって霧散し、そのまま空間に溶けるように消えていった。護熾から見れば白い光を放つ蛍のように見え、幻想的な光景を醸し出し、消えていったように見えた。
「さて、怪物も討伐したし、少しの間は大丈夫だから。だから今聞き入っていることを利用して悪いんだけど、もうちょっといい?」
「え、あ、ああ。この際だ、話してくれよ」
「うん!」
さっきの戦闘もあり、話の信憑性が上がり、素直に聞き入れる彼の態度に満足げに微笑む。
「あなた知ってる? この世界は【理】っていうものに支えられているって事を」
「……いや?」
急にユキナが訊いてきたので護熾は反射的に知らないと答えたが、当然だった。
護熾はその“理”というのについて説明を要求するとユキナは護熾の隣まで来て座り、話し始めた。
「理っていうのはね。私の世界とここの世界を繋ぐいわゆる“橋”みたいな存在でね、この世と向こうの道理と循環を司っている、って話なのよ」
護熾はそんなのがあるのだろうかと思ったが否定してしまうと今さっき自分の身に起きたことを否定してしまうことになるのでとりあえず信じることにした。
ユキナは続ける。
「でも、その理という場所にはさっき交戦した怪物達がうじゃうじゃいて、しかも何者かがいるらしいのよ。その何者かが怪物達に人間をさらわせて怪物に変えてるみたいなの」
「そうなのか…………そりゃ随分とまぁ」
言葉が続かなかった。
今日一日でこんなにも色んな事が起き、色んな事を教えられたので護熾は頭が混乱しそうになっていた。普通に考えればやはりどこか嘘くさい、いやあり得ない話なのだがそれをどう否定しようが、結局は百聞は一見にしかずの通り、実際この目で見てしまったので信じざる終えなかった。
ただ、一つだけ確信できることがあった。
この不思議な少女に自分は二度も救われたということだ。
「ま、まあ、それは後から詳しく聞くとして、その……住んでいる家とか、宿とかは無いんだろ?」
「う、うん。私達は根無し草だから」
「そうか、…………その、良かったら、うちでよければ住んで良いぞ?」
「あれ? 認めてくれてなかったんだ」
「たりめぇだ。…………俺はこれからも狙われるのか?」
「おそらく」
おそらくと言うことは狙われる頻度が他の人より高いってことであるがユキナの話では今回、あの怪物にマーキングされていたから狙われていたのであって、めったに狙われないよと励ましのつもりで言ってくれたのだが、狙われるには変わりはない。
護熾は立ち上がり、右頬を軽く指で掻くとユキナの方には顔を向けず、少し恥ずかしそうに言う。
「れ、礼は言わねえぞ。また襲われたときにいちいち言うと面倒だからな」
「ふふ、分かったわよ。ほら、帰ろうよ」
居候の許可を受け、日常に戻ろうと、彼女は誘う。
そう、日常に戻れるのだ。先程の非日常から、日常に戻してくれた少女。そんな彼女に、自然と頭にある言葉が浮かぶ。それを何故か、思い留めることはせず、口に出す。
「ああ、でも、ありがとよ」
「あれ? 護熾ったら言わないんじゃないの?」
「あ、………べ、別にいいじゃねえか! ほ、ほら、帰るぞ」
その時護熾は気がついた。
ユキナが初めて自分の名を呼んだことに。
どういった心境の変化なのか知らないがユキナは護熾の名前を初めて言ってくれたのだ。
(……何だろうな。何だか…………悪くは、ねえよな?)
まあ、元々自分も彼女のことを名前で呼んでいたので、そう気にすることでもないと流し、
「そういえば、こっからどうやって帰ればいいんだ?」
「え? まあ普通に、こう――――」
帰宅方法を模索しようとした矢先、ユキナは既に蹴っ飛ばす体勢でいた。そして踏み込んだ足を支点に、力を込めると前方に跳び、崩れそうな廃ビルのドアを蹴る。
蹴られたドアは年季も入って錆びてたためか、ギチギチと軋む音を立てながら金属が裂けるように留め金部分も全部外れ、ドアは真ん中からくの字に曲がり、本来の機能を果たさず押し倒されるように奥へと飛ばされてしまう。そして夏の夜にしては些か五月蠅い騒音が廃ビル内に響く。
「っと、こんなもんでしょ」
「……もっと穏便に脱出したかったが、そうするしかねえよなぁ」
夏の夜に廃ビル、そして歳が同じらしい少女と一緒にいる。端から見れば肝試しに来た男女カップルのようだが、今のところ目撃者はいないし、先程の出来事は青春と呼ぶにしてはあまりにも夢がないであろう。
そんなこんなで、気付かぬうちに不法侵入になっていることから逃れるため、行く手を阻むモノはとりあえず彼女に任せるとし、二人は戦場になったこの廃ビルを降り、その場を後にした。
やがて蒸し暑い夜の道を歩き、家にたどり着くと破壊されたはずの自分の部屋が無傷だと言うことに気付き、首をかしげていたが、考えても仕方がないのでドアは鍵を閉めているので一樹と絵里を起こさないように慎重に屋根づたいにこそこそと窓から部屋の中に入った。
鎌倉時代には存在していたという忍者の気分を味わった護熾は汗を腕でぬぐい取り、ベットに倒れるようにし、何度か体を跳ねさせてから枕に顔を埋め、ユキナに質問した。
「そういや聞いてなかったけど、お前っていつから七つ橋町でそんなことしてんだ?」
「ん? 五年前から」
「ふーん、五年かー、…………ちょっと待ておい! 五年か!? 俺の聞き間違いでなければそう言ったか!?」
「しー、静かに、下の一樹君達が起きちゃうでしょ」
今日一日の間で、この少女は一体何度驚愕の事実を告げてくるのであろうか。
それが本当なら、彼女は約十一歳の頃からこの町でこんなことをしてきたと言うことになるのだが。
護熾は彼女の滞在期間に今日一番で驚いた表情でいたが、その事実を確かめる前に、当の彼女は唇に人差し指を当てて静かにするように言う。
「あなたも寝たら?」
「あ、ああ。それもそうだな。……そういやお前どこで寝るんだ? 押し入れでいいか?」
「……暗にサイズが丁度良さそうって言ってそうだけど、ご生憎様。私はこのまま見張りを続けるわ。睡眠はそのあとでね」
彼女のその言葉には、安全などと言う妄言は保証されていないことを暗に含んでおり、その意味を理解する。しかし、というか、そういうことを続けてきたんであろうが聞き出さずにはいられなかった。
「5年間…………ずっとか?」
「そうよ?」
おそるおそる聞いた護熾の質問に当たり前だと言わんばかりに、逆に清々しいほどきっぱりと答える。
予想していたというか、やはり本人から伝えられるのは何十倍も重みがある。
「……こう喋ってでもなにもはじまらねえ、俺は寝るからな」
諦めたようにドアの横にあるスイッチを押して部屋の明かりを消し、護熾はベットに滑るように潜り込んだ。だが、部屋の明かりを消した後に部屋の中で足音が響いたので少し首を起こして音の正体を確認する。
音の正体は部屋の中を歩き回っているユキナだった。
「おい、うっせーぞ」
「仕方ないじゃない、暇なんだもん。それに少し場所を変えて索敵するのも有効よ」
そう言うと少しの間は大人しくしていたが、再び場所を変えるために部屋の中を歩き始める。
まるで動物園のライオンが檻の中でこちらを見ながらうろうろしているみたいで、護熾は行ったり来たりしている彼女を気配で感じ取っていた。
ただでさえ、同じ部屋に同い年、らしい(?)少女がいるのだ。そういったことに当然の如く免疫がないのだから落ち着けと言われて落ち着けるはずがないのだ。
それも相まって、十分も経った頃、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
「だああああぁぁぁぁぁ! 落ち着けよ!」
布団を勢いよくはね飛ばし、ベットから飛び降りると人差し指を驚いている表情でいるであろう、彼女に向ける。
「こっちはお前と違って寝ねえと身が保たねえんだよ! 道連れにする気か!?」
「も~う、仕方ないわね、これだからこの世界の人たちは。ちょっとベットに座って」
ユキナにそう指示されたので護熾はとりあえず冷静、落ち着くとそのままベットの縁に座った。
「で、どうするんだ? 何か良い方法でもあんのか?」
大して期待などしていないと言いたげな、そんな彼の隣に――――彼女がポフンと座る。
瞬間、心臓の鼓動が跳ね上がったのを直に聞いた、ような気がした。
(ぬおっ!? な、な、何だ!? 何をするつもりなんだこいつは――――!?)
が、彼女の方はドギマギしている彼を気にせず、
「はい、両手を上に上げて」
「こ、こ、こうか?」
言われるがままに両手を天井に向かって伸ばす。
彼女は何故か緊張気味の護熾に怪訝そうな表情でいたが、急に独り言のように、
「連中、って怪物達の事ね? それでね、連中は攫うとき必ず意識を絶った状態で連れて行こうとするんだけど救出した直後に、たまに覚醒しちゃう人がいるの」
「あ、ああ。そうなのか?」
「うん。それで大抵は戻せばいいんだけど中には混乱して暴れたりする人がいて、どうしても止めなきゃ行けない、手っ取り早い自己流の止め方があって……」
そういいつつ、何故かしきりに護熾の首の後ろを確認するように見ている。
「それでこうやって手刀で、首の後ろをスパンとね。油断しているときが一番効くの」
「なるほどな。そうやって……え、まさかそれで俺を、ってことはないよな?」
「あはは、護熾は混乱してるわけでも暴れたりしてるわけでもないじゃん」
「あー、まあそうだよなー」
「はいィッ!!」
護熾の紡いでいた言葉を掻き消すような掛け声と共に、油断している瞬間に、眼にも止まらぬ速さで自分の首の後ろに棒でブッ叩かれたような衝撃が奔り、息が詰まる感覚を喉に感じる。
「なっ! …………おまっ…………」
喉に留まっていた息を漏らしたような声を出し、そのまま天井が映り、そしてそのまま視界が暗闇に覆われ、薄れゆく意識のなか最後に聞いた台詞が護熾の記憶の限りではこうだった。
「あなたはおそらく連中にとって今までで一番、たまらない“餌”になるでしょう。そして私達が最優先で保護しなければならない大切な“対象”であることも。だから今日からあなたの守護を二十四時間体制で行うことにするわ」
その大切な何とやらに、この仕打ちですか。
と、思いながら言うことを聞かなくなった体と鉛のように重い意識と共に、護熾は静かに昏倒していった。