63日目 究極の恐怖
気合いを込めた声で叫びながら護熾は、攻撃を仕掛けるが、マールシャは足で簡単に護熾の左ストレートを止めると、まるで空のバケツを蹴るかのように、その拳を弾き飛ばし、隙の生じた護熾の頭をむんずと掴み、遠慮容赦なく地面に叩き付ける。
「うおっ!?」
「ふははははっ! どうした? 先程の勢いはどうしたァ!? この程度なのか!?」
横に手を広げながら床にヒビを作り、顔を歪ませている護熾にそう訊く。
呻きながら睨む護熾はマールシャの悪意が近づくのを肌で感じ、マズいと思ったときだった。
マールシャは何か感じたようにピタッと動きを止め、怪訝そうな表情で明後日の方向に、顔を向けている。
すると、突然マールシャの表情が一変し、すぐさま自分の手の指を額に当てた。
謎の行動に驚いた護熾はその隙にゆっくりと立ち上がり、マールシャが何をしているのか様子を見る。
表情と取り乱した態度で何か本人にとって良くないことが起こったのがすぐに読み取れる。
そしてそれが待っていたものだと期待を膨らませる。
「…………何!? ……煉獄の檻が消えている!? ……何故だ!? 人間共がいなくなっている!?」
これで護熾は攫われた生徒全員がイアル達の活躍によって助け出されたのだと理解した。
マールシャが何かに困惑している間に護熾はボキボキと拳を鳴らして、マールシャに歯を見せた獰猛な笑みを向ける。
護熾の不敵な笑いにマールシャは額から指をどけ、ジロリと睨むと低い声で言った。
「お前達、何をした?」
「護熾、"時間稼ぎ"はもういいよね?」
「ああ、いいぜ、ユキナ」
マールシャの質問に対して護熾は別の台詞を吐くと、体に力を入れるように身構える。
ユキナも先程の様子とは違い、刀の柄を力強く握ると改めて先程より強い力を感じ取れるようになる。
「……!」
そして、ガシュナ、ラルモもフィールドに上り、四人で彼一人を囲むように立つ。
「もう、これで安心だ。みんなを返してもらったぞ。マールシャ!」
それは、ようやく待ち侘びていたことを表す微笑みがあり、同時にやる気満々と言った表情でもあった。
あとはこいつを倒せばいい、それだけだからだ。
この部屋に入る前、つまりマールシャと一戦を交える一分前、
「ユキナ、マールシャと戦う前にちょっと耳に入れておいてくれ」
赤い空間の通路を走っている護熾はユキナにそう告げる。
他の二人は先程聞いたのでその提案に対し、馬鹿じゃないのと言いたげだったが、構わず話し続ける。
話し終えてから、ユキナは不思議そうな顔をしながら顔を横に近づける。
「何?」
「あのさ、まだイアルやシバさん達がみんなを救出していないから少し時間を稼いでくれないか?」
「――正気!? あなたも知っているでしょ? マールシャは本気でいかないと私でも倒せないわよ!」
「だけどあいつが何時みんなに何をするか分からねえ。だからみんなの気が消えてから全員で行けばいいんだよ」
「…………それまでに失敗して死んじゃったらあんパンを奢りなさいよ?」
「ははっ、了解」
護熾は笑顔で答えて、走ることに集中し始めた。
ユキナは左腰のベルトに差している青い鞘の刀を触りながら、今は亡き父にこの戦いに勝てるよう、目をつむって祈り、そして瞼を開け、暗く、赤い空間を走り抜けていった。
「―――……ほぉ、どうやらお前達の中に私と同じ能力者がいたのか……気付かなかったぞ」
冷静を取り戻したマールシャは改めて二人の顔を見た。
真っ直ぐにこちらを見る眼差し。
そしてさっきまでとは違い、力が何倍にも膨れあがっているように見える。
今まで本当の実力を隠していたことにマールシャは戦いの凶酔者として大いなる喜びを感じ、楽しそうな、凶悪な笑みを浮かべると四人に向かって手で挑発を掛けた。
「なるほど、お前達が囮だったわけか。これは一杯食わされたなァ。だが、これは同時に私を本気にさせる切っ掛けでもあるぞ? さあ来いよぉ? 楽しみはまだまだ此処からだ」
四人はマールシャの言ったことが合図のように、その場から体を前へ弾き飛ばした。
同刻。
生徒、及び職員のみんなを救出したイアル達三人のガーディアンはシバ達兵士グループとと何か揉めるように言い争っていた。
いや、実際はイアル一人でシバに向かって何か納得がいかないらしく、怒った表情で面と向かってしゃべっていた。
「なぜですかシバ先生! 私達三人だけで帰れというのですか!?」
「ふー、だから君たち"生徒"を連れて行くわけにはいかない。此処から先は眼の使い手と、大人達の領分だ」
「私達は命を懸けてここに来ました! それならば海洞、及び討伐班の加勢にいくのは当たり前の事です!! 仲間ですから!!」
「…………」
言い返すことができなかったシバは、後ろに控えている部下達に目をやり、それから顔を前に戻した途端、三人に背を向け、前へと歩き出した。
その行動を、イアルは否定と捉えると、後ろの二人に振り返り、『帰還しましょ』と言おうとすると、
「お~~い、何してるんだ? 置いていくぞ~~」
声を掛け、それに反応した三人は、少しの間信じられないと言いたげな表情になったが、急いで何振り構わずシバの後を追いかけた。
九人はマールシャの元へ、護熾達の元へとアルティを先頭にして急いで向かい始めた。
明くる日の七つ橋高校。
青いシートが張り巡らされ、調査員、警察官、その他の関係者は突然いなくなった生徒、及び職員の行方を捜していた。
しかし痕跡がなく、あるのは近所とある少年の事情聴取で言っていた“大災害”のような揺れで引き起こされた混沌の世界となった学校内であった。
あまりの奇怪な事件に誰もが見つからずに悲しい結果で終わるんじゃないかと思っていた矢先、それは終わりを告げる。
ガラスが床に散って朝日を受けてきらやかに輝いている教室内を一人の警官が立ち入り調査をしているときだった。彼もこの史上初の大量喪失事件に大きな不安とあきらめの色を心に浮かべていた。
乱れた机、その上に乗っている教科書類などがさっきまでそこに人がいたように思わせる。
(―――本当に見つかるのかなあ? でも子供達がいなくなったのは事実だしなあ)
隈無く教室内をカタツムリみたいに這って調査をするが、やはり何も決定的な物など見つからなかった。
ふ〜、とため息をついて立ち上がり、他の教室をあたってみようと移動したときだった。
何か柔らかいものが足に当たり、思わず叫びながら警官帽を頭から落とし、後ずさりをした。しかもそれが何であるかを理解するのは数秒を要した。
警官が見たのは床で気持ちよさそうに寝ている生徒。
周りを見渡してみると三十人ほどの生徒達と一人の先生が床に横たわっていた。
何時現れたのか、どこに行っていたのか?、様々な疑問が浮かび上がる中、警官が第一に発声したのは
「みんなが帰ってきましたあああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
そう叫ぶと急いで下で調査している人達に伝えに行った。
学校内では攫われる前にいた場所に全員が横たわって寝ている。
―――二人を除いて
銀色の刀身が頬を掠め、まるで大砲を思わせる拳が胸へと飛んでくる。
威力をふんだんに詰め込んだ、重い拳が突っ込んでくる。
爆発の能力を秘めた、一撃必殺狙いの槍が、突き出される。
ある時は矢が飛び、ある時は様々な武具が、こちらを襲う。
それらを必死に避けながらマールシャは驚いていた。
「そんな馬鹿な!?」
口から青い血を流し、そう叫んでいる間にも護熾のパンチが硬いはずの腹の皮膚に簡単にめり込んだ。まるで柔らかい枕を殴っているかのように護熾はマールシャを殴りとばすと、そのままガシュナが床と平行に飛んでいるマールシャを追いかけ、追いつくと瞬時に槍で叩き落とす。
コンクリートの砕ける音が聞こえ、体が叩きつけられた衝撃で大きくヒビがおき、床に沈め込む。
フィールドは穴だらけになり、ボロボロになっていた。
これは四人が暴れた結果であり、マールシャは劣勢に追い込まれていた。
床に倒れているマールシャに向かって空中から落下してきたユキナは切っ先を下にして下突き攻撃をするために刀を両手でほうきを握るように逆手に持ち替える。
マールシャはめり込んだ体を瞬時に持ち上げ、横に転がって回避する。
ユキナはマールシャのいたとこに深々と刃を埋める。
立ち上がったマールシャは自分の速さについて来れない護熾をまず仕留めようとその場から姿を消した。護熾は立ち止まり、急にいなくなったマールシャを見つけようとキョロキョロと辺りを見渡した。
「もらった!!」
背後から現れたマールシャは拳を後頭部に向かって突き出すが、護熾はマールシャに向かって背中を見せながら後ろに下がり、体を反転させ、パンチを避けるとそのまま顔面に強烈な一撃を逆にいれた。
攻撃をかわされ、しかも逆に決められたマールシャは片手で顔を押さえながらフラフラと後退する。
そして背筋に悪寒が走る。
振り向くと黄色い少年が大槌を振りかぶった状態で構えており、それに対してすぐに防御姿勢に入り、腕を持ち上げて弾いてしまおうと思った瞬間、ガラ空きになた胴体にその大槌がブチ込まれる。
「うおおおおおぉぉおおぉお―――――――!!」
マールシャは大きな衝撃を受け、砕けた胴体を押さえて悲鳴を上げる。
「終わったな」
ガシュナがこの勝負の勝者を確信したかのようにそう呟く。
ユキナはそのまま畳み掛けようと一気に攻めに行く。護熾も同じくダッシュで向かい、邪悪な怪物を絶たんと向かう。ガシュナも戦いを終わらせんと、向かう。ラルモも全ての元兇である相手を立とうと、向かう。
しかしユキナは突然足を止め、護熾も驚愕の表情で急ブレーキを掛けて止まり、ガシュナ
も目を丸くして止まり、ラルモもすぐさま止まって身構える。
何かが、おかしかった。
マールシャの絶叫がいつの間にか笑い声に変わっていたことに。
「クックックックック―――」
そして痛みなど忘れたかのように、顔を仰ぎ、両手を横に広げて大いに笑う。
「はァっはっはははははは―――――!!」
痛さなど最初からなかったかのような楽しそうな狂喜の叫び声。四人はゾッとした。
相手の、気でも狂ったかのような笑い声に、何か、とんでもないことが起きるんじゃないかと予想させるようなその様子に、四人とも何があっても対応できるように体勢を整える。
「―――ちょっと訊くが、お前達のその姿は開眼というのだな?」
マールシャがそう言い、全員に尋ねてきたので護熾が軽く頷く。
マールシャは、破壊された胴体を見下ろし、それすらも笑って見せると、四人全員の顔を一人一人見るようにしながら首を回す。
「フフ、お前達は最高だぁ、まさかこれほどまでとは、心の枷が外れただけで―――実に強い…………フンッ!!」
それから一気に力を込めるように、息を吸うと、身体に異変が起こり始める。
「なっ、そんな」
「嘘」
「!」
「おいおい、マジかよ?」
四人が驚愕の声を上げる中、マールシャの胴体にあった傷は、一瞬で無くなり、元の強度を誇った鎧へと戻る。
マールシャは新しい身体の調子を確かめるように何度も握ったり、開いたりした後、顔を少し向け、
「そう来なくちゃ私が"これ"を使う機会がなくなるとこだ。感謝するぞ」
マールシャが浮かべたその微笑みは全ての生物が震え上がるような威圧感が含まれていた。
"これ"とは何か?意味不明の言葉に四人は疑問を浮かべる。
「そしてそこの二人の眼の使い手よ」
護熾とユキナの戦いを見守っていたガシュナとラルモに指が向けられる。
ラルモは驚いた表情でマールシャを見つめ、ガシュナは片眉を上げる。
「お前達も本気で参加した方がいいぞぉ~? おそらく生半可な覚悟だけでは、私を止めることはできない」
二人に忠告するように言った後、マールシャは再び護熾とユキナに顔を向け、獲物を仕留めようとしている狩人のような眼でにやりと笑うとその瞬間、体から禍々しい黒い煙みたいなオーラが噴き出し始めた。
マールシャの異変に護熾とユキナは何が起こったのか分からなかった。
ただ体から出ているあの黒煙は"危険"だということが頭の中で知らせてくる。
ガシュナもラルモも異常な気を感じ取り、戦闘態勢に入る。
「13年間、あの『大戦』から我々が何もしなかったと思うなよ~、今目の前にいる二人の強さに敬意を払い、私の本気を見せてやろう」
叫ぶように言ったマールシャは顔に片手を押し当てるようにして、続けた。
「絶望しろ! 泣き叫べ! 恐怖しろ!! それが私への捧げものとなる! "あの方"から御授かったこの力を! 最初にして最後の目撃者となれ! 眼の使い手共よ!!」
体から溢れている黒いオーラはいよいよピークに達し、体全体を覆うように取り巻くとマールシャは叫んだ。
『"封力解除"!!』
叫んだ途端、嵐のようにマールシャの周りのオーラが暴れ始め、それに伴って体に変化が起き始めた。
顔を歪ませながら力を込め、護熾と同じくらいだった体が一回り大きくなり始め、二メートルくらいになる。
体を覆っていた皮膚は胸と肩を残して剥がれ落ち、ここの空間と同じような色の赤い皮膚が姿を見せ、体型はどこか俊敏そうで、胴体は部分的に赤く発光し始める。
肘には鋭利なカッター状の突起物が勢いよく飛び出し、口を覆うようなマスクがシャコッと音を立てて出現して表情が分かりにくくなり、眼は赤く発光を始め、赤いビー玉のような眼球へと変化した。
頭には何かの造形物みたいなオブジェが成長するように大きくなり、威圧感を溢れさせる。
そして変身が完了すると黒いオーラは落ち着きを取り戻し、空間に霧散して溶けるように消えていった。
改めて全体を見るとさっきほどまでとはかなり姿が異なり、人間のような表情があった顔は今では赤く発光する単眼とマスクで覆われて変わり、一回り大きくなった体は赤い皮膚で覆われている。その姿はまさに"怪物"であった。
護熾達は絶句した。声にならない恐怖が体を包み込み、まるで喉元に刃物でも突きつけられたかのような死への誘いが頭の中でざわめつかせる。
「――――完了だ……すばらしい……なんてすばらしい力だ!」
まるで子供のようにはしゃぐマールシャは変化した自分の体に酔いしれ始めていた。
何度も自分の両腕を見たり、体を見たりすると赤い眼を護熾とユキナに向けた。
護熾達は封力解除をしたマールシャの膨れあがった気と血のような赤い眼に見られ、体に何かが突き刺さるような感覚に思わず一歩引き下がる。
あまりにもおぞましい気迫に体が硬直し、脂汗が額に流れる。
「さてと、始めようか?」
マールシャがそう言い、その場から瞬時に残像を残して消えると、護熾が突然吹き飛んだ。
宙に体を持って行かれ、血反吐を吐いて舞っていく護熾をすぐ側にいたユキナは、
「えっ…………」
スローモーションのような世界にでも迷い込んだようにゆっくりと横に顔を向けると隣にいるはずの護熾の代わりに足を蹴り上げた後の体勢でいるマールシャがいた。
護熾の動体視力もすり抜け、移動したのかさえ分からない速度で動いたのだ。変化した体型に違わず、ユキナ以上の速度で動いたのが分かると戦士としての勘が働き、体に警告を発してきた。
避けなきゃ、そう思ったのもつかの間、ユキナが体を動かす前にマールシャの裏拳がビュンと音を立てながら腹に襲いかかり、当たった瞬間嫌な音を立てて大きく後ろに吹き飛んだ。
刀を握っていた手の力が抜け、一瞬何が起こったのか分からなかった。
口から何かが出る。
血、ユキナはそれを見ながら頭を床へと付けて落ちた。それと同時に少し離れたところで仰向けで護熾が温度のないコンクリートの床に顔を付けて倒れていた。
二人が床の上にドサッと音を立てて落ち、動かなくなったのを確認すると二人が一瞬で倒され、目を見開いて驚愕の表情を浮かべているガシュナに向かって蔑んだ口調で言った。
「究極の恐怖を今、見せてやろぉ」