34日目 覚悟
「なっ―――――!!」
翠色の瞳に写るすごい速さで来た銀色の怪人が手を槍のように真っ直ぐ伸ばし、護熾はそれを反射的に顔を横に逸らすと怪人の手の先が頬に掠り、ピッと小さな横線を作る。そして血が滲み出るのと同時に怪人は横を通り抜けて、腕を家の壁に突っ込ませると
ズガガガガガガガガッシャン!!!!!!
大きな音を立てて亀裂が奔り、家を形成していた部品はあちこちに吹き飛び白煙を巻き上げてまるで爆発処理をされたビルのようにその場で一気に崩れ落ちてしまった。護熾はすぐにその場から離れ、シバ達がいる方向に背中を向けて家を手だけで壊してしまった白煙に紛れている怪人を睨む。
奴は間違いなくこちらに来る。自分の感覚がそう伝えてくる。
だが、それよりも警戒するべき点があった。それは顔を掠めた程度で済んだあの攻撃でもこちらまで一気に跳んで来る跳躍力でもなく、横を通り過ぎた一瞬、今までに感じたことの無いような“気”であった。そして白煙の中からボウッと紅い光が霞んで見えた。
近くにいた兵隊や一般住民の人々はいきなり起きた事がまったく理解できず、茫然と翠の少年と家に衝突した何かを見ながら立ち尽くしていた。
相手の矛先はこちら。後ろには状況を把握していない兵や一般人。
護熾はすぐにその人達に向かって吠え声に近い声で叫ぶ。
「逃げてくれ!!!!!!」
「え…………」
「逃げてくれええええええええぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
その瞬間、紅い閃光が迸り、瓦礫やコンクリートの欠片が家を中心に周りに飛び散って護熾の声が掻き消され、すぐ横を紅い光球が通り過ぎる。シバはすぐに横にダイブして避ける。
そしてコンクリートでできた道路を抉りながらシバの部隊と一般人の方へもの凄いスピードで駆け抜け、白煙を作りながら近くにあったビルに突っ込む。そして――――
「え…………そんな……」
茫然と立ち尽くしていた兵士の“生き残り”が首を回して辺りを見回す。
一般人と兵がそれぞれ半分、抉れた道路と共に蒸発したかのように跡形もなく消え失せていた。それが何を意味するかをやっと理解した兵と一般人は貧血を起こしたかのようにその場でへたり込んでしまった。そして泣き声や絶望に駆られた声が生まれ始める。
「あ……あ……あああああああああああ!!!!!!」
人が目の前で死んだ。護熾はその事実を受け入れるのに目を震わせながらやっと理解し、そしてその犯人をギロッと今まで見せたことのない怒り顔で睨み付ける。拳が震え、歯をギシギシと軋ませながらシバに背中を向けたまま言う。
「シバさん、みんなを連れて逃げて下さい」
「…………それはできない。君だけ置いて逃げるなんて、せめて一緒に――」
「シバさん!! 兵隊なら任務を優先させんだろうが!!! 俺には分かる!! あれはただの怪物じゃない!!! だから俺が時間を稼ぐ!行ってくれ!!!」
横を通り過ぎた時のあの嫌な感じ。ただの怪物の気でもなければあの猿顔の『知識持』の時に感じた気でもない。もっとずっとずっと邪悪な気。
それを感じ取ったときから護熾の頭には人々を巻き込みたくないという一つの概念が既に浮かんでいた。
シバが自分と同じ【眼の使い手】だということは分かる。そして全員で一斉に逃げれば間違いなくさっきの奴に皆殺しにされるだろう。仮に実力は分からないがシバと共闘でやったとしても勝てる見込みは未知数。つまりそれほどの相手なのだ。
しかも近くに怪物がいることも感じ取っておりその数はおよそ二十体。第一先陣から潜り抜けてきた怪物達でこの数の怪物が逃げる一般市民に手を掛けないとは考えにくい。どのみちこのまま行くと全滅は免れない。護熾は即座にその事をシバに伝え、それなら俺がここに残るから君が皆を連れて行ってくれ!!と返事をしようとしたときだった。
「さて、お話は済みましたか?」
いつの間にか家の中ではなく護熾達がいる道路の上に怪人は立っていた。その姿を見た護熾とシバ、及び後ろに控えている兵士達の表情が緊張で引き締まる。
怪人はそれに全く動じることなく護熾を見ると
「翠の瞳、翠の髪、そして人間の男の子供………ふむ、間違いは無いようですね。」
そう言い、いきなり前に飛び出してくると銀色の拳を振り下ろし、護熾はそれを後ろに一歩下がって間一髪で避け、空を掠めた拳は地面にそのまま突っこみ、軽い地響きと共にヒビを作って穴を大きく開けた。
「いい動きですね。獲物は元気がなくては面白くないですからね」
怪人は楽しそうに口を横に広げたような、裂けたように広げ凶悪な笑みを顔に浮かばせる。そしてゆっくりと拳を戻し、護熾と対峙した。
護熾はすぐにこいつの狙いは明らかに自分であると理解し、このまま戦えば間違いなく巻き込んでしまうので頭に即浮かんだとるべき行動は一つ、できるだけ遠くにこいつを引きつけることだった。
怪人が不敵な笑みを浮かべている前で、護熾は住宅街の横道へなに不利構わず走り出した。
「あ、おい!! 護熾どこへ行く気だ!!!?」
急な行動に驚かされたシバの声も耳に入れず、ただ走って行ってしまった。
怪人はその背中を見ながら
「ほう、追いかけっこですか?」
そして次にシバの方に顔を向けるとシバは左手でベルトに差している苦無を手に取り、右手で後ろ腰に差している小刀に触れていつ戦闘が起きても大丈夫なように体勢に入る。
「まあそんな顔をなさらずに、生憎私が興味があるのは向こうの翠の子供だけで、別にあなた達にさらなる危害は加える気はさらさらありませんよ。せいぜいあの子供が稼いでくれた時間を有効に使って逃げて下さいな。私は追いかけっこをしなければならないので」
怪人は自分の目的を楽しそうに、そしてあえてシバ達を見逃す形でその場を大きく跳躍していき、護熾の後を追い始めた。
残されたシバは自分がどうするべきか分かっていた。
今ここであの怪人の後を追いかければ護熾がせっかく作ってくれた時間を無駄にしてしまうしおそらく近くに怪物達が潜んでいることも重々承知していた。
結局、自分は何も出来ず、生き残った人を連れて行くという結果が頭に過ぎった。
「――――ちくしょ!」
ならばせめて早く人々をシェルターまで送り届けて早く自分が加勢に行く。それだけを心に決めてシバは急いで本来の任務の実行を果たしに自分が進みたい方向とは逆に体を動かし始めた。
一方、先に第一先陣に向かった残りの眼の使い手達は文字通り加勢を行っていた。そして文字通りの事柄がもう一つ。
「す、すごい! …………ここまでとは………」
集団で行動していたカルス所属の部隊は時が止まったかのように漠然と銃を持ったまま固まっていた。今まで自分達が苦労を重ねて相手をしていた怪物がまるで木の葉のように倒されている光景。今はその表現が似合っていた。
なぜなら色とりどりの自分達より若い戦士四人がとうてい普通の人間では為しえないような戦闘力、機動力、そしてたった四人というあまりにも少ない数で200体近くの怪物の相手をしているのだから。
「はああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
ユキナが叫び、右手に持った刀が一瞬輝いたかと思えば前に踏み込みながら横に薙ぎ、前にいた怪物四体が上と下にそれぞれ別れて塵へと姿を変える。だが振り抜いた刀を元の位置に戻そうとすると後ろから怪物が飛び掛かってくる。
「―――!!」
それにすぐ反応し、反転しながら左に差している蒼い鞘を引き抜いて防ごうとすると突如自分の周りが薄い紫のバリアに包まれたかと思うと怪物がバリアに触れ、その途端雷撃が怪物の胴体を貫いて絶命していった。
ユキナは右手に刀、左手に蒼い鞘を持って自分を護ってくれた人に笑顔で礼を言う。
「ありがと!! アルティ!!」
「どういたしまして、ユキナ」
アルティはユキナに向けていた手を下ろすと後ろの方で派手に怪物達を蹴り飛ばして蹴散らしている少年、ラルモが蹴り飛ばした勢いで地面を滑りながら両手に飛光を溜め、ちょうど双方から襲いかかってきた怪物の顔目掛けて放つ。爆発音と共に白煙ができるとラルモの姿は隠れ、見えなくなる。そこへ怪物が一気に20体くらい雪崩れ込む。
「ラルモ!!!!!」
いくら眼の使いだからとはいえ、一度に二十体の怪物の相手を無理なのでユキナは急いで助けに行こうとするとアルティが腕を横に伸ばして進路を妨げ、首をふるふると横に振った。
「え……まさか……」
「いえ」
アルティはそう短く言うとまっすぐ見据えながら
「やられてはいないわ」
その直後、怪物が白煙の中からまるで弾き出されたかのように飛び出し、それぞれお腹に穴が空いていたりすでに頭が無くなっていたりと不思議な姿が白煙の周りに落ちていく。
そして蒼い閃光と黄色い閃光が光り、白煙を散らせて晴れさせていくとそこには
「油断するなラルモ。俺が手を貸さなければ、やられていたのは貴様だぞ?」
「悪い悪い、助かったぜガシュナ」
両手を合わせてすまねえと言っているラルモとそれを平然と見ているガシュナが煙から姿を現し、周りにいる怪物達は姿を見せた二人に吠え、唸り、今にも飛び掛からんとしている。
四人はキリが無いんじゃないかと思うほどの怪物達を見据え、再び身構え、また薙ぎ払おうとしたときだった。急に怪物達が静かになった。急に、静かになったのだ。
その静寂は四人の足音がはっきりと聞こえるほどのもので突然の状況に四人は足を止める。
何だ? 後ろで後援に回っているカルスとワイトの兵士達が互いに顔を見合わせ、大人しくなった怪物達について話す。
すると突然、風を飲み込むような音がし、その音源は遙か町中で起こっているのだと分かり、そちらに顔を一斉に向けると
「なっ………何だアレは………?」
全員が見た光景は天に向かって放たれた大きな翠の光球。光球はカルスの防衛装置が作り上げたバリアをいとも簡単に壊し、突き抜けて轟音を響かせながら空の彼方へ消えようとしていた。
あまりにも大きな気の塊、そしてその気は知っている気で色は翠色。それがすぐに誰が撃ったものであるかユキナ達には分かった。
「あれって……護熾の……飛光?」
バカげているほどの大きな気。それが護熾であるのはすぐに分かったことだがそれイコール護熾が何者かと戦っていることを示している証拠にもなる。つまり、あれほどの力を使ってまでも倒さなければいけない相手。
護熾が何かと戦っている!! そう頭が理解する間に右耳に付けた端末から連絡が入り、ユキナは手を添えて聞き取れるようにするとトーマからのひどく慌てたような口調でスピーカーから声が聞こえた。
『シバ!! ユキナ!! 聞こえるか!? 護熾が今交戦しているのは普通の怪物じゃない!!さっきまでこちらで解析していたらレーダーが紅色反応を示した!!【名前持】だ!!』
トーマからの緊急報告を聞いたユキナの表情が一変し、すぐさま他の三人に顔を向ける。三人はユキナの表情からただ事ではない雰囲気を読み取ったらしくその中でアルティが歩み寄り、肩に手を乗せると耳に顔を近づけ、小さな声で言った。
「行って」
ラルモも同じ事を言う。
「どうやら護熾に何かあったんだな!? ユキナ! お前の足の速さならまだ間に合うかも知れない!」
「で、でも」
「大丈夫だって! オレ達だって五年間でとても強くなったんだぞ!? ここはオレ達に任せて護熾を助けに行ってやってくれ。頼む!」
護熾の元へ行って欲しい、アルティとラルモはそう促すが最後に許可を取らなければならない人物が一人、ガシュナに顔を向けるとガシュナは再び戦闘態勢に入りつつある怪物達を睨みながら
「さっさと行け!! お前が抜けたくらいで何の変わりはない。」
「分かった! ありがとみんな!!」
みんなから承諾を得たユキナは早口で礼を言うと体を反転させ、三人を置いて一人町の中心部へ風のように走り始めた。そして後援をしている兵士達の間をすり抜け、自分が守らなければならない人の元へと向かう。
もっと速く、速く、
人離れした足の速さで大きく縦に跳躍し、足場を作りながら気を頼りにまだ生きていることを確認しながら戦場を皆に託し、ビルの間を走り抜けていく。
――数分前
「おや? 追いかけっこは終わりですか?」
人気のない、既に無人になった民家の道路で怪人は先ほどまで自分が追いかけていた少年と五メートルほど距離を空けて対峙していた。
「ああ、ここなら―――」
そう言いながら同時に体から翠のオーラが噴き出し、怒りの表情で返事をした。ここなら万が一大暴れをしても建物に影響が出るだけで人には影響はない。
「お前を倒すのに充分だからな!!!」
人が殺された憎しみ、怒り、今の護熾の頭にはそれらが濃く深く巡り、オーラが暴れ回る蛇のようにのたうち回って開戦を告げる。
「ほお、たいした気の大きさではありませんか。」
怪人は護熾の大きな気を感じ取り、賞賛の言葉を述べる。しかしあくまで褒めただけでそれが自分にとって脅威になるものではないと解釈しており、ただの暇潰し程度にしか理解していなかった。
ググッと両足に力を入れて一気に前に飛び出した護熾は力任せにパンチを繰り出すが怪人は紙一重で顔を横に動かしてあっさりと避ける。続いてそのまま跳躍して横薙ぎの蹴りを繰り出すが怪人はごく当たり前のように手を顔の横に出して足を止める。
「鈍い、何ですかそのあまりにも品のない攻撃は?力任せに懐に潜り込むとは――」
怪人はつまんなそうにそう言い、足を掴んでいる手を鞭を打つかのように地面に向かって振り、そしてつられて護熾の体が背中から叩きつけられる。
小さな地響きとくぐもった声を出しながら護熾は痛さに思わず呻き、悶絶する。怪人は顔を歪ませている護熾を見下ろしながら言う。
「良いことを教えましょう。あなたが戦っている私は何者であるかを。おそらくあなたは知らないでしょうから死に土産にどうぞ聞いて下さいな」
「な に?」
「私は―――」
怪物にはそれぞれ階級が存在し、一番下が【怪物】、怪物が知識を持ち、ある程度強くなったのが【知識持】、そしてそれらを統べ、殺傷能力も前記に話した二つの種類に比べればかけ離れそれぞれ名前が付けられている怪物の事を
“名前持”
そう呼ぶ。
そして自分はその一人だと自慢げに言ったが護熾は手を地面に付け、ふらふらと姿勢を持ち上げながら
「だから何だって言うんだ? てめえがどれほど強くたって、てめえがどんな奴だって………俺には関係ねえ!!!」
この距離で自分の攻撃が避けられるはずがない、そう考えた護熾は姿勢を直すと共に一歩前に力強く踏み込み、本気の、全身全霊の力で拳を怪人の胸に向かって伸ばし、そして―――
「怒りとは己の牙を鈍らせる。初めてですよ、自分の力量が分からずに私に刃向かったお馬鹿さんは」
確実に拳は怪人の胸に当たっている。だが相手は平然と何事もなかったかのように喋っている。護熾は顔色一つ変えない怪人に驚愕し、腕を引っ込めようとすると電気が走ったような痛みが伝わり、ゆっくりと腕を見ると、血をポタポタと垂らしながら逆に自分が血まみれになっていることに気が付いた。
これは単に相手の纏っている鎧みたいなボディの強度が自分の攻撃を勝り、自爆しただけのこと。
だが本気でやったのに傷一つ付かない相手に対して恐怖と絶望感を抱くには十分だった。
「次にそんなふざけたことをなさるなら―――――あなたを殺します」
殺します、殺します、殺します、殺します。
敗北が頭を過ぎり、絶望に満ちた情けない表情を浮かべ、恐怖に駆られた護熾は――背中を見せて逃げ出した。
「とうとう本性を現しましたか、これだから人間というものは」
当然それを見逃さない怪人はそのあとを追いかけ、殺しの一撃を繰り出そうと一気に接近する。
――死ぬっ!!!! 殺されちまう!!!
怪人の攻撃が脇腹を掠め、新たな傷が増える。そんな、命に別状がない攻撃でも護熾にとっては殺されたと誤認するほど、それほど恐怖が今の心情を染めている。
何のためにここに来たのか?何で自分はこんな目に遭っているのか?
今の自分の不幸さを呪うかのように自分の心に問いながらただひたすら逃げる。
転ばされ、迫り来る死の一撃を避け、また立ち上がって逃げる。そんな繰り返しの中で命が削られる感覚に襲われながらもただただ情けなく逃げた。
情けない
何なんだ俺は? 何故逃げてんだ?
俺の“覚悟”ってのはそんなちっぽけなものだったのか?
人を護る? 人を助ける? そんなもの自分すら救えない奴にできるわけがない
情けない、情けねえっ!!!
全く、救いようのないバカだ俺は―――
――臆するな、引き下がるな、恐怖を捨てろ、前へ突っきろ、信じれば必ず答えてくれる。その身に刻め、高鳴る鼓動、自らが思う願いを、決して臆するな、勝者はただ一人だけだ――
!!!!!
静かに、護熾は止まった。しかし先ほどまでとは様子は違い、死の恐怖に駆られた荒い息づかいも、強ばった表情ももうどこにもなかった。
「おや、死ぬ覚悟ができたのですか?」
怪人が嘲け笑うように立ち止まった背中に問いかける。護熾は少し顔を向け、右手に拳を作りながら
「いや、お前を倒す“覚悟”ができたんだよ!!!!!!」
叫びながら振り向き様に手から巨大な気の塊が唐突もなく放たれる。何の動作も仕草もなく、放たれた巨大な攻撃に怪人は呆気にとられ、
「何!?」
翠の閃光の中に飲み込まれていった。