30日目 一日の終わり、始まり
「ユキナ、ちょっとちょっと!」
お風呂に入り、今日の疲れを洗い流し、タオルを頭に乗せてさっぱりした気分で廊下を歩いているパジャマ姿のユキナにユリアはキッチンから呼びかけ、自分の真ん前まで来させると楽しそうな微笑みを浮かべ、何か感心するような仕草で拳を顎に当て
「今日、あなたが帰ってきたことにも十分びっくりしたけどね」
「ん、何お母さん?」
「まさかあなたが男の子を連れてくるなんて夢にも思わなかったわ」
ユキナはキョトンと首をかしげた。
彼女にとっては護熾は護るべき存在、または友としての自覚しかなかったのでユリアの言葉を理解することはできなかった。何が言いたいのか、どういう意味なのか? ユキナは腕を組んで畏まるとこまで来てしまったのでユリアは『まだ早かったかな?』と呟きつつ
「さあ、もう寝る時間よ。一人で寝る? それともお母さんと寝る?」
「お母さん、それは五年前までよ。一人で寝れるに決まってるじゃない」
「ふふ、そうだったわね。…………じゃあ、おやすみ」
暗闇の視界が段々と白くなっていき、やがて真ん中に横線が引かれると、そこから風景が入り込み始め、染み一つ無い天井が入ってきた。
元の世界に意識が帰ってきたのだ。
護熾は『たくっ、あんなことを言うためにわざわざ呼び出したのかよ』とブツクサ文句を言いながら寝返りをうち、部屋のドアに背中を向け、寝直そうとした時だった。
コンコン
「護熾〜〜〜〜起きてる?」
ノック音と共にユキナがドア越しに聞いてきた。
『起きてるけど何だ?』と返事をするとドアを開け、パジャマ姿のユキナが入ってきた。
手には黒い通信端末が握られている。
護熾は何しに来たのかと思っているとユキナがベットの手前まで来て、手を前に差し出し、通信機を受け取るように促してきたのでそれを怪訝顔で受け取ると
「護熾、一樹君や絵里ちゃん、それとお父さんに連絡したほうが良いんじゃない? これならあっちまで繋がるから貸してあげるよ?」
「……だな、ナイスな考えだなそれ」
電話は確かにしたほうがいい、でなければ武が死ぬほど心配して寝不足に追い込む危険性も看過できないのでユキナに操作方法を教えてもらいながら、自宅の電話番号を打ち込み、スピカー部分に耳を当てた。そして繋がったと知らせる特有の電子音が耳に届き始める。
――ツ、ツ、ツ、プルプルプルプルガチャ!!!!
『もしもし!!? 護熾かい!?』
夜の眠気も吹き飛ばす武の大音量の声が護熾の耳を襲い、キーーーーンという高い音に頭をくらっとさせ、一旦耳をスピーカーから離すがすぐに気を取り直し、返事をする。
『ああ、そうだよ親父』
『おお!! そっちは今どこにいるんだい?』
『――――――ホテル』
当然嘘。
ホテル、若い男女が泊まったらそれでこそ『異性との交流を以下略』の度を超えたことをやらかしかねないデンジャラスゾーンの固有名詞が耳に届いた武は震えた声で確認するように尋ねる。
『ご、ご、護熾、ユキナちゃんは無事かい?』
『ああん? 何いってんだ? ユキナは【妹】として扱ったから大丈夫だぜ』
確かに家族と見立てれば、ホテルの人には怪しまれない、そういう納得できる見事なでっち上げの嘘で武を誤魔化そうとしたが武には『妹プレイで来たか!?』と思いこませ、まるで人質の声が聞きたい警察官のような口調でユキナに変わってくれと頼むと護熾はホイと言ってユキナに手渡した。
『ハイハ〜〜イ、お父さん私は元気ですよ〜〜〜』
『ユキナちゃん!? 大丈夫かい!?』
『え? どこも怪我してませんけど?』
『いいかい! もし可憐な君に男が襲ってきたら遠慮無く股の間を蹴り上げるんだよ!?』
『はい? 何だか分かりませんけど心得ておきま〜す、ではお休みなさいです』
ガチャッ、ツー、ツー、ツー
一樹と絵里は既に寝ていたので、話させてあげたかったと心残りはかなりあるが、武はとりあえずこれで釘は刺すことが出来たのでホッと息を漏らし、受話器を元の場所に置いた。
ユキナは電源を切り、ポッケに丁寧にしまい込んだあと、ドアの方に踵を返し、取っ手を掴みながら
「じゃあ、おやすみ護熾!」
「ああ、おやすみユキナ」
互いに言葉を交わし、ユキナはドアを閉めながら部屋を出て行った。
ユキナの姿が見えなくなると、護熾はハッと気がついたようにベットから飛び降り、部屋の隅に置いてあったリュックを手に取り、ゴソゴソと引っかき回してお守り代わりにもらった家族全員が写った写真入りペンダントを掴み上げた。
護熾はそれを見据え、パカッと蓋を開け、写真を見つめた後、再び閉じてふと窓から見える月を仰いだ。
この世界では今日はちょうど満月である。
「色んな事があったな」
異世界、この世界の進んだ技術、ユキナと同じ眼の使い手達、今日一日で出会ったこれらは護熾にとっては全て初めて。
自分の世界とはまったく違う世界。
ベットに体を預けるように倒れ、深く息を吸い込み大きく溜息をつく護熾は世界の広さを改めて知り、不安と期待を胸に瞼を閉じていった。
暗闇の世界でオレンジの髪と瞳を持つ少女が刀を横に構えながら何かに向かって疾走していた。その眼差しに秘めた光景が映し出すのは刀を向ける存在。走りながら何度か柄の握り具合を確かめた後、大きく前方に跳躍し、刀を上段に構えると
「ハアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!!!!!!!!」
喉から気合いと共に声を張り上げ一気に振り下ろす。
刀は風を巻き込み弧を描きながら振り下ろされるが、甲高い金属音を放った何かに防がれてしまった。
ユキナの渾身の一撃を受け止めたのは―――鏡のようにユキナの顔を映す長剣。
その剣の持ち主は上半身を鎧で纏い、髪は長く開眼状態のユキナと同じ鮮やかなオレンジをしている。
ユキナは悔しそうな表情を露わにし、打ち込んだ衝撃を利用して大きく後ろに下がり、距離を取って攻撃の機会を窺うように中段に構え、強く握る。
胸の高揚感がよく聞こえ、体中に熱を感じた。
「いいわよユキナ。その調子」
鎧を纏った若い女性、暗闇の世界。
そう、つまりここはユキナの精神世界【内なる理】であり、今ユキナと剣を交えたのはこの世界の住人、“第二”。
「それはどうも、鎧のお姉さん!!」
言い終わるのと同時に息をフッと吐いて弾丸の如く一気に間合いを詰め、斬り掛かり始める。
再び剣と刀が何度かぶつかり合い、その度に互いの顔を一瞬照らし、鍔迫り合いの状態になると
「打ち込みが強くなっているわね、それに剣術も上達している。でも」
腕を前に押し、ユキナが僅かに後ろに下がると掌を軸にして、剣を逆手に持ち替えるとそのまま一気に下から上へ斬り上げる。
ユキナはそれに即座に反応して刀を動かし、ギリギリで鍔で防ぐが十数メートル後ろに弾き飛ばされてしまった。
ずさささと地面を滑りながらも刀を横に構え、力を込め始めたユキナはこれしかない、これしか勝てないと強く思い、【これ】を放つ体勢に入った。
――来るのね!?
第二はユキナが何をしようとしているか咄嗟に気がつき、片手で剣を持ち、刀身に手を添えて盾代わりにして防御の態勢に入る。
やがてユキナの体から一瞬にしてオレンジのオーラが噴き出し、それがすべて刀に注ぎ込まれ始める。 オーラを吸収した刀身はぼうっとオレンジの光を纏い、ユキナは衝撃に備え、右足を大きく引くと叫んだ。
「疾火!!!!!!!!!!!!!!!!!」
叫び声と共に刀を横一文字に振り抜くと纏っていた光が刀身を離れ、焼け付くような温度を携え、凝縮された生体エネルギーが炎の飛ぶ斬撃となって対象を飲み込まんと放たれる。
そして防御態勢の第二を津波のように巻き込み、直撃の瞬間に炎の柱がうねりを上げながら立ち上った。そしてそこを中心に爆風が波紋を広げる。
やった!? 攻撃は確実に直撃した。ただでは済んでいないだろう。何しろ最大で三発しか撃てない疾火を一発分に押し込め、放ったのだから威力は相当なものになっているからだ。
そんな期待感に胸を躍らせるが煙が晴れると、その答えが目に飛び込んできた。
「うん、射程も威力も格段に上がっているわね。でもまだまだ今の【疾火】じゃ私には勝てないわよ」
ユキナの攻撃を賞賛しながら、剣を握った片手を自然に垂らし、傷一つ付いていない無傷の姿の第二が平然と立っていた。
さすがにあれだけの大技を放ち、それで無傷だと思い知らされたユキナは疾火を使った反動で体に疲れが溜まり、ペタンと座り込んでしまった。これ以上は無理。顔がそう伝えている。
第二は疲労困憊のユキナに近づき、目と鼻の先で立ち止まると剣を振り下ろすわけでもなく腰を下ろすと何も握っていない左手をポンとユキナの頭に乗せると撫でた。
「今日はここまで、あなたはいつか私を超えるわ。でも今は休んでね」
――ああ〜〜また負けたのか私〜〜〜〜〜
撫でていた手をユキナの目に翳すとユキナの視界は真っ白になり、元の世界に送り返されていった。
真っ白な光が部屋に差し込む。その光はベットで横向きに寝ているユキナを照らし、朝日に照らされる髪は艶を帯び始める。
「んん……」
朝日が目に入り込み、呻き声を上げながらごろんと仰向けになり、少し眉間に皺を寄せるユキナはやがてぼんやりと目を開き、ボーッと天井を見つめた後、ゆっくり体を起こした。
「ふにゅ! むみょおおおおおお〜〜〜〜〜〜」
謎の声を上げながら伸びをしたユキナは元気よくベットから降りると昨日寝る前に着替えを机の上に置いてあったのでそれを手に取るとあれを脱いでこれを着、短パンとノースリーブの服装に着替えると部屋から出て行った。
護熾がまだ寝てるんじゃないかな?そう思いながら隣の部屋を覗きに行ったがすでにもぬけの空で自分より早く起きたことを示していた。
じゃあ1階ね、そうと分かれば階段に体を進め、1階に着くとキッチンから声がする。
「これ何スか?」
「これはね、この世界ではよく塩味と香りを付けるのに使われる調味料なのよ」
「胡椒と塩を合わせたみたいなもの何だな」
どうやら護熾はユリアから料理の手施しを受けているようだ。そして朝まだ何も腹に入れていない体はキッチンから漂う美味しそうな匂いに敏感に反応し、ぐ〜〜〜〜とお腹を鳴らしてしまった。
その目立つ音に護熾とユリアは気がつき、その方向に顔を向け、少しの間ジーッと見ているとやがて小さい手が見え、ドアの縁に触れると恥ずかしそうに後ろ頭を掻きながら、ユキナが
「えっへへ、お腹空いちゃった。朝ご飯、何?」
その瞬間、ユリアはクスッと思わず笑い、護熾は はっは と声を出して笑い、キッチンに楽しい笑い声が広がっていった。
今朝の朝食はタマネギのようなものが入った野菜スープとパン、サラダにミルク。
護熾がユリアと共に朝食の手伝いをしてくれたため、朝食というより高級ホテルで出されるような絶品料理に近いものとなり、魔法の味を楽しんだ後、護熾は皿洗いも手伝い、時折ユキナに手伝ってもらいながら洗濯物も干し、家事の一通りを完了した。
ユリアに家事を手伝ってあげたことを感謝され、『一宿一飯の恩義です。それにまだお世話になりますから』と言った護熾にユキナが裾を掴みながら
「ねえねえ、鍛錬をしたいから研究所のあそこに行こうよ」
鍛錬は重要、やらなければ強くなれない。
昨夜第二に負けを味わったユキナはリベンジに燃えまた、護熾も第二のサングラスを叩き割る目標があったので、二人は合意し、行く準備を始めた。
一旦部屋に戻った護熾は胸ポケットにあのペンダント、リュックからお菓子、中身の入っている水筒を取り出し、それをズボンポッケに入れたり掛け紐を肩に掛けたりとまるで遠足に行くような姿になると準備が完了し、部屋から出て行った。
玄関に行くとユキナが既に待機していた。だがいつもと様子が違った。
なぜなら艶のある美しい癖のない髪を二つに分けてツインテールにしており、一瞬誰だが分からなかった護熾は、他愛もないその変身ぶりに少し驚いた。
ユキナは少し変わった自分を見て、予想通り驚いてくれたので満面の笑みを浮かべ、留めてある髪のうちの一つを手に持ってクルクルと回すと
「どう? 似合ってる?」
「お、おお」
「どうですか護熾さん、ユキナ可愛いでしょ?」
居間の方から見送りのためにユリアが来る。
今、ユキナが付けている二つの髪留めはユリアが若い頃付けていたという代物であり、『鍛錬をするのはいいけど、女の子は髪を大事にしなきゃダメよ?』と髪が傷つくのを懸念して付けてくれた。
ユキナ可愛いでしょ? その言葉に護熾は これは近藤が飛びついて木村は鼻血を吹くだろうなと別のことを考えていたので
「え? ああハイ。可愛いんじゃないんですか?」
曖昧な返事を返すと、
「何よその疑問系は!?」
それに反発するユキナ。
「ああ? いいだろ別に、可愛いだろうが可愛くなかろうが。ほら!さっさと行くぞ」
二人は玄関の靴を履き、履き心地を確かめた後、同時にユリアの方に振り返ると
「二人とも、怪我をしないように練習して下さいね。」
二人を我が子のように心配の声を掛けると二人から元気な返事が来る。
「お母さん大丈夫ですよ。鍛錬といっても手合わせみたいなものですし」
「お母さん大丈夫よ! 私じゃなくて護熾だけが怪我をするから!!」
「おい、それどういう意味だ?」
「ふふふ、では行ってらっしゃい。夕方までには帰るのよ?」
「はーい」 「はーい」
門限を言い渡された二人は、母親の眼差しを背中に受け、家から出て行った。
ユリアは二人はきっと疲れて帰ってくるだろうから甘いものを作っておこう、そう考え何だか楽しそうに二人の帰りが待ち遠しくなる。
だが、そんな平和な日常とは裏腹にこの町ではない別の町が、闇に覆われようとしていた。
それは、闘いを予感させるものでもあった。
そんなことは何も知らない二人は喋りながら朝日で暖められ始めた歩道を歩き続ける。




