3日目 黒髪黒瞳の少女、ユキナ
護熾は裏路地からお母さんを背負った状態で魚屋に赴くと預かって貰っていた女の子がその姿を見るなり走って近づいた。
護熾は女の子と女性の目が覚めるまで一緒にいて、3分ほど経つと、やがて目が覚めた女性に女の子が泣きながら抱きつく。
女性は女の子の頭を撫でながら涙を浮かべそうな表情で何度も何度も礼をする。
「礼を言うなら、今ここにはいないけどある女子に言ってくれ。その方がたぶん喜んでくれるだろうから」
護熾は親子が帰るのを見届けたあと、預かってくれていた魚屋の店主に礼を言い、すぐ振り返って自宅に向けて歩き出した。自宅まで帰る途中で落ちていた小石を蹴りながら、護熾は路地裏で出会った謎の少女の言葉を思い出していた。
「はあ~、何が『また会いましょう』だ、いつ会うんだよ」
―――さっきの出来事は……一体何だったんだ?
護熾はさっきの出来事についてはあまりにも流れるように過ぎ去ったので、よくは考えてなかったが、よくよく振り返ってみるとさっきのカエルみたいな怪物は何だ?、それを相手していた少女は何者なのか?
さまざまな疑問が浮かぶが、これは自分が見た何かの見間違いだと思いこみ、後ろ頭を一回掻いてから小石を思いっきり脇道の野原の方に蹴り飛ばし、自宅へと歩き出した。
護熾が立ち止まったとこはどこにでもありそうな一軒家の前である。
レンガ造りの門扉の表札に『海洞』と書かれており、護熾はその門扉の片方を開け、夏の暑さや先程の出来事からの疲労か、かったるそうに中に入り、一旦ドアの前で止まるとポッケから鍵を取り出し玄関のドアを開け、くぐり抜ける。
そんなとき、この家の二階ではドアの開いた音に反応した何者かが ん?と呟きながら二階のドアに顔を向けていた。
当然そんなことに気付かない護熾は靴を脱ぎ、床に足を付けると廊下を歩いて6歩ほどの地点のすぐ脇の二階へと続く階段を上り始めた。
一歩一歩、段に自分の体重を掛けながら上り、終点まで登り切り、部屋の中へと入るためのドアには『護熾』と書かれた掛札が帰りを待っていたかのように静かに掛けられていた。
護熾はドアノブに手を掛け、目に部屋の中の光景を映し込ませた。
あまり飾りっ気のない部屋だった。
一応、窓際にベットが置かれ、その右隣には机、家具などの生活必需品は揃っているがそれ以外は机に置かれている漫画本やベットの上に座っている少女しか目に映らなかった。
(―――ん!? ちょっと待てこら!)
明らかにこの部屋の中にはいないはずの人物がいたので護熾は目を丸くして再確認をすると、顔は幼く凛々しい又は可愛らし顔立ち、スカートを履きフード付きパーカーを身に纏い、艶やかな黒髪のセミロングをした少女がベットに座っている。
「あら、意外と遅かったね。待ちくたびれたわよ」
なんと先ほど会った少女が部屋の窓側に置いてある護熾のベットに足を投げ出して座り、両手であんパンを持って食べながら入ってきた護熾に声を掛けた。それが当たり前と、まるでこの部屋が自分の部屋下のように落ち着き払った態度で少女がベットに鎮座している。
しかもまわりにほかのパン類の袋が散っている。それは護熾が昨日、昼飯用に買ったパンだった。
「…………あーーーーー!!」
カバンを手から落とし、護熾は口を開けて指を少女に指しながらこう叫んだ。少女は護熾の反応が予想通りだったのか、少し嬉しそうな顔を浮かべると、
「まあ、驚くのも無理ないわね。どうやって入ったか知りたい?」
あんパンを食べきってからベットから立ち上がり、腰に手を当てて得意そうに言った。少女との会話の方向性にズレが生じているのは明らかなのだがそんな客観的心理整理など忘れた護熾は両手をワナワナと震えさせながら胸の辺りまで持ってくると、勢いよく叫んだ。
「俺のあんパンーーーーーー!!」
少女は的外れな返事を聞いて正直ズッコケそうになった。そして傾いた態勢を直し、気を取り直し、
「今はあんパンより大切なことがあるでしょ? 私も聞き―――」
「てめえ!! 何、人様の昼飯をーーー!!」
そう少女の言葉をかき消しながら護熾は今、何故ここにさっき会った少女がいるのか考えず、昼飯を食われたという事実に腹をたて、ずんずんと掴みかかるように少女に近づいた。
そして少女が立っているベットの横まで行って立ち止まる。しかし彼のそんな怒った表情にも怯まず、まるでもっと恐ろしいものを見慣れているかのような、そんな堂々とした態度を醸し出す少女は呆れたように瞼を閉じ、溜息を付く。
「ふうーー…………うるさい!!」
少女は一息ついてから近づいてきた護熾の脇腹に音速かと思えるほどの蹴りをかました。ベットで高さが稼がれていたので重心より上へ、バランスを崩すクリティカルヒットが決まり、護熾の腹はメキメキッと悲鳴をあげる。
「ふごぉ! …………」
内部破壊的なダメージを感じ、息を詰まらせたような声を出し、小さい体から出たとは思えない蹴りでバランスを崩し、倒れ、手で脇腹を押さえ、痛さに耐えながらも床に頬を押さえつけているようにする。
「て、てめぇ……! お、おのれ……食べ物の恨み、後悔、すんぞ……」
正体不明の彼女の、これまた我が儘な行為により、護熾の意識は撃沈されてしまったのである。
大凡痛みの引いた2分後である。
「で、どうやって入ったんだお前?」
何とか痛みを乗り越え、持ち直した護熾はベットに座り込んでいる少女にまず質問をする。だが完全に消えたわけじゃないようでまだ脇腹をさすっている。
「窓が開いてた。鍵ちゃんと閉めなさいよ」
少女は窓にゆびを指して言った。
確かに窓に掛かっている鍵が閉められておらず、護熾の完全な不注意だったところ指摘されるのは痛いところであるが不法侵入者に言われるのもどうかと思ってしまう。だが、ここは二階。屋根を上って行かない限りここに来るのには一般人ではかなり困難で護熾はすぐさま目の前にいる少女がとった行動を想像し、顔を半分覆い隠すようにして手を当てて呆れかえった。
「お前、普通の人だったら警察呼んでるぞ。あとなんでここがわかった?」
護熾が次の質問をする。
さっき会ったばかりなのに短時間でここを突き止めたのが心に引っかかっていた。自分がここに帰る間にどうやって? っと、だが帰ってきた返事は、
「調べたからよ。えっへん」
少女は得意そうにそう言った。どこから自信に溢れているが知らないが、やっぱり完璧な不法侵入罪である。護熾は頭痛に似た症状に悩まされるようもう一度額に手を当てる。
「はあー、調べたってどんだけ早いんだよ。てかなんでわかったの? 犯罪の領域じゃね?」
少女が答えたことはあまりにも普通だったので驚きと呆れが混ざったような顔をしている護熾に少女はどうやって調べたかの返答をせず無視しながら立ち上がって、
「まだ名前を聞いてなかったね、あなたの名前は?」
と顔を下にやや向け、見下ろしながら聞いてきた。どうやらその高さから見下ろすのが好きなようだ。
護熾は自分勝手に話を進める少女を見上げ、一旦顔を下に俯いてこっちから質問をするのは時間の無駄そうだなと大きく肩で息をするともう一度見上げてから、
「まずは自分から名乗れ。いきなり人の家に上がり込んだ奴に俺の名前を言えるわけがないだろ」
もっともらしい事を言われ、それもそうだと納得した少女は自分の名前を名乗った。
「そうね。私の名前は“ユキナ”」
その名前は普通ではあるが、どこか美しい響きで言いやすい名前だった。
「ユキナか……俺は護熾、海洞護熾だ」
ユキナと名乗った少女とは対照的に、自分の名を名乗った護熾の名前はとても珍しい名前だった。
「いきなり本題で悪いけど、あなた何者?」
時に彼の名前を期にすることもなく、ユキナは護熾にいきなり尋ねてきた。
いきなり訊かれたので護熾は混乱するが、すぐにそれは自分が訊きたいことだ!っと思うが、聞き返す前に少女が眉根を寄せて首を傾げていた。
「おかしいわね~~“気”が消えてる」
ユキナがわけの分からないことを口にしたので護熾は口を噤む。
ユキナは大きい眼で護熾の全身を観察するように下から上まで顎に拳を当てながらじっくりと見た後、護熾と目が合ったところで止める。それを機に護熾は言う。
「なあ、何でお前ここに来たんだよ? さっきの女の子のお母さんなら無事だったけど」
さっきから自分ばっか行動し、目的が見えないことにある種の不安を覚えた護熾はユキナに家に乗り込んできた真相を問い質す。
それを訊かれたユキナは神妙な面持ちで護熾をじっと見て、口を開いた。
「あなた、あの怪物“視えて”いたでしょ?」
「はあ? あのみょうちくりんの生き物をか?」
「そう、なんであなたは命を狙われる可能性があります」
ユキナから告げられた言葉はどこか重く、恐ろしいものだった。