21日目 いざ、出発
まるで嫌らしい悪霊にでも取り憑かれたようなユキナのチョーク攻撃をくらいながら護熾は背中から引き剥がそうと首を絞めている腕を手で払いのけるが、ユキナはすぐにこめかみを撫でていた左手を首に抱きつかせ、そして護熾の背中をまるでふかふかの布団のように頬擦りをした。
「やめろぉおおおおおおおおお!!! てめぇ!! どうなっちまったんだよ!?」
必死に引き剥がそうと背中に両手を回し、ユキナの身体にできるだけ触れないようにするが、まるで子泣き爺のようにしがみついて頬をゴシゴシ背中に擦り付けているユキナに効果はなかった。
『うっへへ〜〜〜護熾の背中広いね〜』
と何やら嬉しそうに頬擦りを終えた後、ゆっくりと右手を護熾の腰に巻いているタオルへと忍び込ませた。そしてギュッと結び目を掴むとそれに気が付いた護熾は驚愕の表情で後ろに振り返るが、ユキナは左手で強制的に護熾の顔を前に向け直させると耳元に顔を近づけ、もう一度囁いた。
「護熾はまだ こ ど も。だから私が大人へと導いてあげるね♪」
「ちょっと待て! それどういう意味だ!? 何!? 何でお前そんなエロく――」
反論も抵抗ももう遅かった。
タオルの結び目に忍びこませていた手は護熾から追いはぎのようにタオルをあっさりと湯気が舞う空間へと持ち去ってしまった。護熾は顔を赤らめて急いで両手で男の華を隠す。
取り上げたタオルをまるで旗のように宙に二、三度振ったユキナはそのまま適当に手を離し、湯船の中に突っ込ませた。
「これでもうあなたは裸同然(もともと裸だが)、お楽しみはこれからよ♪」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ〜〜〜〜やばいやばいってユキナ!! てめぇ!! 自分が何してんのか分かってるのかって、うぉい!」
必死にユキナにやばい道へと繋がる行動を止めるように説得するが、ユキナはそんなこともお構いなしに、ユキナの裸を見ないように前に向けていた護熾の顔を体ごと無理矢理自分のところへ向けさせた。
両手で“漢”を隠しているため封じられている護熾は為す術もなくユキナの顔と向き合い、眼球が少しでも下を向けばあられもない女の子の裸体が見えてしまうので必死に目を見るようにした。
ユキナは両手を護熾の頬に添えると
「護熾……私をよく見て」
そう呟いたあと、目をつむり、顔を切なげな表情へと変え、唇をぷっくりと突き出すと、護熾の唇と重ねようと顔を近づけ始めた。突然豹変したユキナの行動に呆気にとられるばかりのであったが、いきなりキスを求めてきたことにこんなことには慣れていない護熾は一気に頭の中が真っ白になった。
今、護熾の瞳には自分の口に重ねようと迫っているユキナの顔が映っている。
そのユキナの表情は護熾から見てもとても可愛いらしいもので、思わず見とれてしまう。
―――やべっ、か、可愛い
もう、このままでもいいとつい思い、覚悟を決めて護熾は目をつむった。
互いの顔があと数センチ進めば重なるところまで来たが、それはすぐに終わった。
残り一センチのとこでユキナは急に電池が切れたように力が抜け、護熾の頬に添えていた両手がだらんと落ち、体を床に沈め込むように倒れ込んでしまう。
一方、覚悟を決めて目をつむった護熾は固く目をつむっていたが接吻が来ないことに気が付き、片目を開けると、理由は不明だが床で気持ちよさそうに寝ているユキナの姿が見えたので湯船に浸かっているタオルを取りだして腰に巻くとぶっきらぼうに
「…………何さっき俺迷ったんだ? ……ああ〜〜〜〜〜考えるの止め!!」
首をぶんぶんと横に振ってさっきの自分の愚かな考えに反省した護熾は一旦、風呂場から出てバスタオルを一枚取り出すとユキナの裸を見ないようにしてユキナの体に巻き、抱き上げるととりあえず絵里を呼ぼうと立ち上がるとユキナが『げふ〜』と溜めていた肺の空気を押し出すかのように下品なげっぷをした。
かすかなアルコール臭が護熾の鼻につんとくる。
「酒くさっ!!! え!? もしかしてこいつ酒飲んだのか!!?」
脳裏にやな予感が浮かぶ。
護熾はまず大声で居間の方向に向かって叫んだ。
「絵里!! 絵里!! ちょっと来てくれ!!」
10秒後、やけに騒がしくドタドタと足音が近づいて洗面所のドアが勢いよく開けられる。
洗面所に入ってきたのは護熾の望み通りの絵里だが、その表情はどこか慌ててた。
「護兄!! お父さんが!! ってユキナ姉ちゃんが何でこんなとこにいるの!!?」
「その話は後だ!! 親父に何かあったのか!?」
「うん! 顔が赤くなって変になってるよ!!」
「…………よし分かった! 絵里、こいつに服を着せてやってくれ!」
絵里にユキナの面倒を頼んだ護熾は着替えを持って洗面所から出て、ドアを閉めてから急いで着替え終わると猛ダッシュで武のいる居間へ向かった。
そして急ブレーキを掛けて廊下を滑りながらちょうど居間の入り口の前に止まると顔を赤らめてテーブルに突っ伏して気持ちよさそうにイビキをかいて寝ている武の姿が映った。
寝息を立てている顔のすぐ近くにはビール缶があり、護熾が近づいて手に取ると少し中身が残っていた。
この状況から推測すると武がまずビールを飲み、しかしあまり酒に強くないのが仇となって今現在進行形でベロンベロンになって寝ているのであろう。
そして武と何か会話をしようとやって来て、この謎の飲み物に何かしら興味を持ってしまったユキナが残っていたビールを飲んでしまい、自分のところへ特攻してきたことが容易に想像できた。
酒を飲んだからいつもと様子が違ったのか、
ユキナの意外な一面を垣間見ることができた護熾の心情はさっきのあのどんな男子もノックアウト級の迫り顔で少しドキドキしていたが、その気持ちはやがて怒りと苛立ちで塗り替えられた。
持っているビール缶を紙細工のようにべきべきと握り壊し、残っていたビールで手を濡らしながら護熾の額には血管が浮き出て呆れたような、怒ったような表情を気持ちよさそうに寝ている武に向けて、言い放った。
「何ビール一本で倒れとるんじゃーーーーー!!!!! アホォーーーーー!!!!!」
それから一樹にも協力してもらい、武を居間の隣の和室に敷いた布団に寝かせるためにまるで戦場で戦死した兵士を運ぶように両腕脇に手を通してずるずると引きずって運び、何とか寝かせることに成功した。
そして一樹に布団を掛けてやってくれと頼んだ後、次に自分が運ばなければならない人物のトコへと足を向け、その場を後にした。
洗面所に戻ると護熾を待っていた絵里と絵里のパジャマを着たユキナが床で気持ちよさそうに寝ていた。護熾は床で寝ているユキナをそっと抱き上げ、下ろしていた腰を上げると絵里の方に顔を向けながら
「すまねえな絵里、こいつは俺が何とかするからもう行っていいよ」
「うん、分かった。でも何でユキナ姉ちゃんが―――?」
「はいはいはいはいはい!!! そこは訊くな、じゃあな」
小学五年生の、しかも女の子の絵里に風呂場で何があったかをとてもじゃないが話せない護熾はその場凌ぎの誤魔化しを混ぜ込んだような慌てた口調でそそくさと洗面所から出て行った。
二階の自分の部屋のベットで寝かせようと思った護熾はいつもより大きく軋む音を響かせながら一つずつ段を上り、登り切った後ドアを開け、中へと入った。
そして、ベットへと近づく中、ユキナの口元がにやりと緩み、不気味な微笑みを浮かべたのに護熾は気付かない。
「よっこらしょっと」
抱き留めていたユキナをそっと仰向けにベットに寝かせ、やっと一仕事終えたと安堵の息をついた瞬間、突如護熾の首にユキナの腕が巻き付き、引き倒されるように体がユキナの方に倒れ込む。
一体何があったんだ!? と状況が理解できない護熾の疑問に答えるかのように
「んっふっふ〜〜〜〜今度はベットの上〜? 護熾ったら積極的じゃないの〜」
悪魔っ娘が目覚めた。
護熾は心の中で絶叫をする。
寝ていたから油断した、と後から後悔の疑念が波のように頭の中に流れ込んでくるがユキナはそんなことはお構いなしにもっと護熾を引き込み、覆い被さる状態にさせた。
そしてぐいっと引き込んだ護熾の背中に手を素早く回し、逃がさないわよとしっかりと両手で組むと何かを狙っているような怪しい眼差しで護熾の顔を見つめた。
「お、おい! やめろ! て、てめぇまだ酔ってたのか!?」
護熾が悲鳴に近い声を上げると、ユキナはくすくすと笑い、
「ふふ、でも私で相手が務まるかな? だって私……背も低いし……胸も小さいし……小さいし……ち……さいし……」
最後は言葉になっていなかった。
喋りながらユキナの表情は妖艶の微笑みから、普通の顔になり、それを飛び越して泣き顔になると、とうとう声を上げて泣き出してしまった。
護熾はもう何が何だか分からなくなっていた。
酔った勢いで自分に襲いかかっている少女が突然泣き出し、口からは自分が気にしている容姿について鼻を啜りながら延々と話し始めたので精神的に疲れた護熾は
―――誰か、助けてくれ
そう思い、体を動かすと簡単にユキナの呪縛から抜けることが出来た。
よく見ると、いつの間にかユキナは目から涙を流してスースーと気持ちよさそうに寝ていた。
護熾はゆっくりと体を起こし、背中に回していた手をどけ、また目覚めさせないようにそ〜と寝ている肉食獣を相手しているかのように警戒しながらベットから降りた。しばらく様子を三メートル離れたところから見ていたが、深い眠りに堕ちているらしくホッと胸を撫で下ろして安心すると、突然空気が震えるような感覚に襲われた。
この町のどこかで怪物が出現したと知らせるあまり良くない感覚。
「ちっ、そういえば最近姿を見せてなかったからな」
気配を感じ取った護熾はすぐさま窓際に移動すると窓を開け、縁に手を掛けて夏の真夜中へ飛び出して行った。やがて、闇夜にエメラルド色の光が照らされたかと思えば、また町は平和を取り戻し、静かに朝を迎え始めた。
翌朝
「う〜〜〜〜ん、頭が痛い〜〜〜」
ベットの上で額に手を当ててユキナが二日酔いで唸っていた。
因みに武はお酒に弱い割りには回復が早いので、もうすでに朝食の準備に取りかかっていたが後々に護熾に叱られるので、子供のように反省することとなる。
ベットの脇では護熾があきれ顔であぐらをかいて座っており、膝に肘をついて頬に手を当てている。
「たくっ、昨日何でビールなんか飲んだんだよ?」
「だって〜〜〜〜〜見たことがない飲み物だったし、匂いも悪くなかったし」
「お前気をつけろよ。お前みたいなガキが口にいれちゃいけないものだってこの世に存在するんだからな」
「うん〜〜分かった〜〜〜でも、私、昨日のこと覚えてないな〜〜〜」
それを聞いて護熾は安心した。昨日のことを覚えていたのならユキナは激情し、自分に総攻撃を仕掛け、記憶が二日分無くなるくらいに滅多打ちにしてきたであろう。
―――やっぱ酔った時に生まれた別人格か……よかった〜殺されるトコだったぜ
小さくため息をついて安心した護熾に疑問の表情を浮かべたユキナはあることを思い出すと起きあがり、伝えようとしたが、かき氷を食べた後に襲ってくるキーンという頭痛に似たのに見廻られ、またふかふかの布団の上に倒れ込んだ。
このままでは伝えることが出来ないので護熾に自分のすぐ側に顔を近づけて欲しいと頼むと、昨日の事があったので護熾はかなり躊躇ったが仕方がなく耳をユキナの口元に近づけた。
「―――と言うわけなの。どう? できる?」
「…………これまた急なことになったな」
「やっぱダメ?」
「いや、ちょっと時間をくれ」
どこか神妙な面持ちになった護熾はユキナにもう少し寝るように言いつけ、部屋から出て行った。顎に拳を当てながら護熾は悩んだ表情で一歩一歩階段を降りながらユキナから伝えられた事について人生での分かれ道に差し掛かっているような気持ちになっており、正直どうすればいいか、分からなかった。
『護熾、今日でちょうど私の任務期間が終わるの。だから向こうの世界に一旦帰らなくちゃいけないんだけどその時、あなたに一緒に来て欲しいのよ。もちろんこの町は別の人が配置されるから大丈夫だよ。護熾、私と来て』
ユキナの話によると一週間近く向こうにいることになるというのだが、護熾は数分足を止めて考えた後、行ってみる価値は十二分にあると踏み、行くことに決めた。
そのためには色々と準備や説得が必要だった。
護熾はまず向こうに行くための必需品を買い揃えるために外へ出て行った。
一時間後、家に帰るとユキナは二日酔いが回復したらしく、ベットの上で元気にしていた。ベットの両脇には一樹や絵里、そして武が回復したユキナに声を掛けたり、謝っていたりしていた。護熾はちょうど全員が一箇所に集まっているのでこれを機に全員にこちらに向くよう呼びかけると、四人は一斉に護熾に顔を向けた。
「一樹、絵里、親父。ちょっと聞いてくれないか?」
「何?」
「どうしたの護兄?」
「どうした護熾?」
三人が続けざまに返事を終えたのを見計らって護熾は普通に、何気ない口調で三人に向かって話した。
「全員、ユキナの家族がバラバラだというのは知ってるだろ?それでユキナが一緒に家族を捜して欲しいって俺に頼んできたんだよ」
「何!? そうなのかユキナちゃん!!」
驚愕の表情で武がユキナの方に振り向く。
ユキナは護熾の言ったことに一瞬理解が出来なかったが武が自分に顔を向けていることに気がつくと激しく上下に頭を動かした。
武が顔を再び前に戻すと護熾の話が続けられた。
「そして今ちょうど親父が帰ってきてる。だから俺は探しに行くのに家を空けることができるから親父に一樹と絵里の面倒を頼みたい」
「ご、護熾! ユキナちゃんの家族の居所の手がかりはあるのかい?」
的を得た武の発言にユキナは不安げに護熾を見据えるが、護熾は何の動揺もせず軽く頷いた。
「ある、かなり遠いがそれはユキナが知ってるからな。だから今日から俺はユキナと一緒に探しに行きたいんだ。どうだ親父? 許可をくれねえか?」
自分の息子がさまざまな事情を抱えた少女のために自ら同行して家族を探しに行ってくれるという優しさに武は感動を覚えるが、同時に二人だけでそんな旅をさせるのはどうかという大人ならではの懸念も浮かんだ。
だが、護熾の目には決意と揺るぎない信念が現れている。その目を見たとき武の答えはもう一つしかなかった。
武は瞼を閉じ、瞑想をするかのようにした後、低い声でいった。
「―――分かった。お前だったらそんな旅も大丈夫だろうな。よし!! ちょっと待ってろ!!」
何かを決断したように、武はその場から立ち上がるとドスドスと部屋から出て行ってしまった。そんな武の背中を見送った護熾はベットの方に目をやると一樹と絵里が寂しそうな目でユキナを見つめていた。
「ユキナ姉ちゃん、行っちゃうの?」
「必ず帰ってきてよ?」
「一樹君、絵里ちゃん、心配しないで、私は必ずここに戻ってくるから。それに護熾もいるし」
寂しげな眼差しでユキナを見つめていた二人の目が今度は護熾に向けられる。護熾はにっと歯を見せて微笑むと二人の不安など吹き飛ばすほどの明るく、元気な口調で言った。
「大丈夫だ! 兄ちゃんはこう見えても結構頑丈なんだぞ。旅の途中でのたれ死ぬってことはないから安心しろ。何時帰ってくるかわからねえが大人しく待ってろよ」
信頼できる兄からの言葉で二人は同時に『うん!』と元気な返事をして大きく頷いた。ユキナはこの二人が本当に護熾の事を信頼し、好いていることを改めて知り、何だか申し訳なさそうな顔をして少し俯いてしまった。
護熾は二人に準備があるから部屋から出て行ってくれと頼み、二人だけになるとようやくユキナに話しかけた。
「これでお前と一緒に行動ができるぞユキナ」
「随分大胆な嘘をつけたわね。…………いいの? ホントに?」
「ああ、もう断ち切れない関わりになったからな俺たち。それにお前んとこの世界に興味あるし」
「…………何だかごめんね」
「あぁ? 何謝ってんだおめぇ!? ほら、さっさと行く準備しろよ」
「―――うん! 分かったよ護熾」
10分後、大きな青いリュックサックに主に一週間分の着替えを詰め終えた護熾は玄関に向かって階段を降りていた。ユキナはその後ろから続くようにする。
玄関前には一樹と絵里が二人を見送るために待っていた。
護熾とユキナはその二人の横を通り過ぎ、靴を履き、そして後ろに振り返ると二人を見た。
「じゃあ、行ってくるぜ」
「行ってくるね、二人とも」
「うん! 行ってらっしゃい!! 護兄! ユキナ姉ちゃん!!」
「お土産期待してるよ!!」
『お土産は難しいな〜』と苦笑いをした護熾に釣られて二人は大きく笑った。和やかな空気が四人を包み込む。
そしてドアノブに手を掛け、いざ外へというところで居間から慌てた声で武が叫んだので二人はもう一度振り返り、来るのを待つと武が右手に何かを握ってこちらに忙しそうに走ってきた。
「何だ親父?」
尋ねると武は答えを返すかのように右手に握っていた物を投げ渡した。護熾はそれを片手でパシッと受け取り、拳を開いて中身を確認すると葉っぱの彫刻が入った写真入りペンダントだった。
「親父……これって」
「ああ、海洞家全員が写った写真が入ってる! 旅の途中、寂しくなったらそれでも見るんだぞ」
「…………悪いな親父、ありがと、後の事は頼んだぜ」
礼を言った後、護熾はドアを勢いよく開け、ユキナと共に外へとくぐり抜けていった。そしてパタンとドアが閉まり、二人の姿は玄関からいなくなった。
一樹は不安そうに武の服の袖を掴んで見上げ、『大丈夫かな?』と訊くと、武は誇らしげな表情で言う。
「大丈夫だよ、お兄ちゃんが強いのは父さんが保証するから!! ほら、お父さんの胸に飛び込んで来なさい!!!」
三人は長男がいなくなった寂しさを互いに紛らわせるようにひしっと抱き合って無事、もう一度元気な姿を見られるように心から願った。