15日目 太陽の陥落
夜、護熾は妙に胸騒ぎがした。
ユキナは怪物の“気”を察知したらしく急いで窓から飛び出して行ったのだが遅いのだ。
かれこれ二時間は経過していた。
不気味に夜空を照らすほぼ満月の月がユキナの身に何かがあったように光っていたので護熾は帰ってくるまで起きて待つことにした。
やっと帰ってきた。
窓から開けて入ってきたユキナに護熾は安堵の息をついて近づくがその姿に目を丸くして立ち止まってしまった。着ている服が刃物で切り刻まれたようにボロボロなのだ。
幸い、本人にはケガが一つもないように見えるが護熾は心配になって声を掛けた。
「おい! ボロボロじゃねえか」
「ん? ああ、これね。思ったより数が多かったから油断して不意打ちを食らっただけよ。大丈夫、私はケガしていないから」
自分の服の状態を見て、大丈夫だと言い張ったユキナに近づいた護熾は頬を隠している髪を手で優しくどかした。そこには横一文字で切った小さな傷があり、少し血が出ていた。
「お前、血がでてんじゃねえか……」
「え? あっ、ホントだ」
「手当をしてやろうか?」
「いっ……いやいやいやいや! 大丈夫!!! ほら! 護熾は寝てなさい!」
やや慌てた口調でユキナは護熾の背中を押すとそのままベットに押し込んだ。押し込まれた護熾はやや不機嫌そうな顔をして上体を起こし、少し悲しそうな目で視線を下ろしたので
「どうしたの? 私なら大丈夫だから」
大凡自分のことを心配してくれているだろうと思ったユキナが声を掛けてきた。その通りなのだが護熾は顔には出さず『ああ、そうだな』と呟くように言って布団に潜り込んだ。
寝たのを確認したユキナは壁に背中を付けて座り込むと窓に目を向けて見張りをし始めた。夜空には同じように明日満月になるであろう月が部屋の中に注ぐように月光を放ち、寝ている護熾とボロボロの服を着ているユキナを照らしていた。
―――ユキナ、………………大丈夫か?、無理すんなよ
さっき言えなかった事を頭の中で思い浮かべた。
「まだ治らないのね、その傷」
「ああ、割とひどかったぽいな、この傷」
眩しい夏の太陽は今日は雲でちょくちょく隠れる天気なのであまり暑くない今朝、左頬の絆創膏がとれないのでそのことを気にしたユキナと頬の傷をさするように絆創膏に触っている護熾は学校へと平坦な一本道を歩いていた。
左側の土手を見ると川が流れており、右側を見ると田んぼが広がっている。二人はそこを通り過ぎて橋を渡り始めた。
エアコンが効いた教室内で護熾は保健室で貼り替えてもらうかどうか考えていた。ユキナは隣で一時間目の休み時間で買ったであろうあんパンにかぶりついて満足そうに声を漏らしている。
しかも袋で買ったらしくまだ四つくらいのストックがあったので、護熾はユキナのあんパン好きに少々呆れていた。
昨日、ユキナの頬にあった切り傷はきれいさっぱり治っていたことに護熾は気付いていなかった。
そんな時、あんパンにかぶりついているユキナの所に来て、ユキナの頭を撫でて、近藤が参上した。ユキナの頭をがしがし撫でながら近藤は護熾の絆創膏を貼っている頬に指を指すと
「そういえば海洞〜〜〜その傷治らないわけ?」
傷のことを聞いてきた。護熾は傷に目をやりながら
「あ?これか、治らねえんだよな〜これ」
「保健室で絆創膏貼り替えてもらえば?」
「やっぱそうした方がいいか、」
保健室に行くことに決めた護熾は席から立ち上がると教室を出て、保健室へと向かった。空いた護熾の席に座った近藤はあんパン三つ目に突入しているユキナに向かって
「思ったよりユキちゃんの引っ掻き攻撃って強力なのね」
少し感心した声を上げた。
ユキナは何とも複雑そうな顔をしてあんパンをくわえていたが、やがて一気に口の中に押し込んで三つ目を腹の中へと入れていった。
放課後のショートホームルームの時間。
教室の前の引き戸を開けて入ってきた担任の先生は教卓に手を置いて座っている生徒を見渡した後、ゆっくりと話し始めた。
「さあ、次の週で今学期は終了します。みなさん、今から夏休みの計画でも立てて、夏期休業に臨めるようにしといてくださいね」
ショートホームルームの時間が終わった生徒達は家に帰ったり部活に行ったりとそれぞれがそれぞれのする、したいことのために教室から出て行き始めた。
――あと一週間で勇子やユキちゃんや…………海洞君に会えなくなっちゃう……
斉藤は複雑な心境を抱えながらもみんなにさよならの挨拶をした後、部活をやりに教室から出て行った。護熾はカバンを背中にぶら下げて、ユキナは両手でしっかりとカバンを持って、教室から出て行った。
来た道を戻っている時、ユキナが尋ねるように聞いてきた。
「ねえ護熾。あなた“夏休み”っていう長い休暇の時、時間ある?」
「ん? ああ、うちの“親父”が確か二週間くらいこっちに来るって言ってたからできるっちゃできるけど何で?」
「それは ひ み つ♪」
青々と茂った草原が脇に広がる一本道で、護熾はユキナに何を企んでるのかを聞き出そうとしたが相手にされず、『家まで競争! 勝ったら教えてあげる』と勝手にレースを始めたのでしぶしぶ付き合ったが結局、疲労という商品を貰って勝負に負けてしまっていた。
夜、今日は雲に隠れたり現れたりとはっきりしないが満月であった。
護熾は寝付けなかった。またユキナが遅いのだ。
また昨日みたいにボロボロになって帰ってくるんじゃないかと懸念したがここで心配しても何もならないのは本人が一番分かっていた。
しかし、いくら身を挺して町を、自分を守るといっても守ってくれているのは一人の異世界の守護者 (パラアン)。しかも年齢は自分より低いかもしれないのだ(実際は分からないが)。
――――どうする? 昨日みたいに服がボロボロになるだけならまだしも、すごい怪我を負ってしまったら……
次のことを考える前に、既に護熾は結界に入り、窓から外に飛び出していた。
例え足手まといになろうともすぐ側にいてやりたいから…………
まっくらな住宅内で大きな白煙を上げる轟音が響いていた。
建物を破壊し、瓦礫の山が築き上げられ、白煙の中からむっくりと起きあがろうとしている怪物にトドメを刺すようにオレンジ色の光弾が空から撃ち放たれて怪物に当たり、新たな白煙と瓦礫を作った。
空中ではオレンジ色の瞳と髪をしたユキナが先ほど倒した怪物がいたとこに手のひらを向けていた。右手には月光で光らせている銀色の刀身を纏った日本刀が握られている。
不意に後ろから怪物が飛びかかるように襲ってきたがユキナは両手で柄を握ると振り向き様にバットのように横薙ぎに斬って怪物を横真っ二つにして一気に塵へと変え、風に流れていった。
「ふう、これで11体目。この数、異状だわ……間違いなく“奴”が来ているわね。」
一旦、息を漏らしたその口調からは少し焦っているのが分かる。
“奴”を倒すのはこれと言って苦労はしないのだがこれだけの数で全部が自分に向かって襲いかかってきているかどうかが正直不安で、このうちの一体が家で待っている護熾のとこへ行かないとも限らないので急いで他にいないかを辺りを見渡したり探ったりするがどこにも“奴”の姿も“気”も感じられなかった。
「おーーい!! ユキナ!!」
聞き覚えのある声に驚き、急いで声のした方に振り向くと宙を地面の代わりにしてこちらに走ってきている護熾の姿が目に映ったので
「なっ、何であなたがここに来ているの!?」
叫ぶようになぜ家で大人しくしていないのかを思いっきり走ってきて、すぐ側で膝に手を置いて息切れをしている護熾に言うと、顔を上げ、しっかり目を見るようにして
「ハァ…お前が…ハァ…心配だからだよ……」
「危ないでしょ!! もし来る途中で襲われたりしたら助からな……」
途切れ途切れに言った護熾に対して母親がまるで子に叱りつけるように叫んだユキナはハッと何かを感じ取ったように月がある方へ急いで顔を向けた。
“ターゲット発見! 任務開始、行け!”
ユキナが顔を向けた直後、月を背にして6体ほどの怪物が一斉に姿を現して襲ってきた。一メートルほどの背丈で人獣型の怪物は二人目掛けて四足歩行で宙を犬みたいに走ってくるとまず先頭にいた3体の怪物がユキナに飛びかかってきた。
「護熾!! 私から離れないで!!」
ユキナは悲鳴のように忠告した後、刀を中段に構えるとそのまま動かずに護熾を守るようにすると、それが合図だったのか、体からオレンジのオーラを噴き出し始めた。
吹き出したオーラはユキナを中心に風のように周りに吹き、ユキナの髪を揺らす。近くにいる護熾も服などに風をはらんで膨らみ、手で風を防ぐようにしながら
――――すげぇ、
その光景に感嘆の言葉以外で表せるものはなかった。
そして体を覆うようにしていたオーラがやがて中段に構えている刀の刀身に凝縮するように集まっていく。吹き出したオーラがすべて刀に集まったとき、銀色の刀身から太陽のように輝くオレンジ色の刀身が姿を現した。
深夜の暗闇の町に突如太陽の光が出現する。
「元の場所に還りなさい、哀れな“人達”」
前方からユキナの行動にたじろぐこともなく、背後に残りの怪物を率いた3体の怪物はなにふり構わず自分達が持っている武器で目の前にいる二人の命の灯火を吹き消さんと迫ってきた。ユキナは両手で持っている刀を横に構えると
「私があなた達を浄化する」
呟くように言った後、叫んだ。
“疾火!!”
横に構えた刀を一気に振り抜く。その途端、刀身に宿っていたオレンジのオーラは刃先へと集まり、超高密度の【生体エネルギー】が飛ぶ斬撃となってまるで炎の蛇のように6体の怪物に襲いかかった。
怪物達は為す術もなく斬撃の中へと飲み込まれていき、一瞬にして塵へと姿を変えていった。しかし斬撃は勢いが止まらずそのまま無人の一軒家へと突っ込み、大きな瓦礫の山を作って止まった。これがもし、結界の中でなければ大きな被害をもたらしていただろう。
後ろで間近に見ていた護熾は唖然としていた。
目の前にいる少女が嘘みたいに斬撃を飛ばし、一瞬で6体もの怪物を撃破したのが信じられなかった。
ユキナは“疾火”を放った後、力なく肩を落とし、息切れをしていた。
「お前……すげぇな…」
「ハァ……えっへへ、これ、もの凄い…ハァ…疲れるのよね……」
笑顔で答えたユキナは姿勢を元に戻し、護熾の方に振り返ろうとしたときに目を見開いて遙か上空の方に顔を向けた。まだ終わっていなかったのだ。
“獲物発見だ”
遙か上空のほうで二足歩行型の人型で猿のような外見をした怪物は二人を蔑むように見下ろし、尻尾の先に付いている漆黒の色のナイフ状の棘を護熾へと向け、そのまま狙いを定めるようにする。
“狙い上々、攻撃開始っと”
尻尾の先から勢いよく数本の棘が護熾目掛けて発射された。
同時刻、再び顔を空へと向けたユキナに護熾が不安そうに尋ねていた。
ユキナは険しい表情で自分が感じ取った“気”が“奴”であるかどうかを確認していると―――
「何? 攻撃対象は私じゃない?」
上空から発せられている殺気に似た“気”は自分に向けられているものではないと気付いたユキナはすぐさま護熾のほうに身を翻し、そして護熾を刀を持っていない手で突き飛ばし、そして両手を横に広げて守るように立ちはだかった。
すると空を切る音がしてユキナの背中に立て続けに黒光りをする棘が数本勢いよく突き刺さった。
棘が突き刺さるごとに体は波打ち、そして目をつむり、奥歯を噛みしめたような表情で天を仰いだ後、カッと目を開き、
「―――かはっ!………」
息を漏らしたような苦痛の声を出すと同時に口から血反吐を吐くとオレンジの瞳と髪を元の黒に戻しながら地面に向かって頭から落ち始めた。
「 !!!! ――――ユキナァアアアアアァァァァァァァ!!」
護熾は絶叫をすると急いで落下するユキナの元へと全力疾走で向かい、地に落ちる寸前に見事抱き留め、地面に足を付けた。着陸した衝撃で足が痺れたが今はそれどころではない。
「おい! ユキナ! おい!! 頼む、目を開けてくれ!!」
腕の中でぐったりとしているユキナに呼びかけるようにして必死に揺さぶった。揺さ振った甲斐があり、うっ、と呻くように呟き、閉じていた目をゆっくりと開くがその目には光が失われていた。
「あ…護熾……私は大丈夫……大丈夫だから…………それより……無事で……よかったわ…」
背中に激痛が走る中、ユキナは必死に心配を掛けまいと弱々しく上げた手で泣きそうな顔で自分を覗き込んでいる護熾の頬に触れた。
「馬鹿野郎!! ……俺が……俺が大人しく待っていればこんなことには……」
護熾はそう言いながらユキナを抱きしめた。触れて改めて知ったそのあまりにも幼く、壊れそうな体だった。
「あなたの責任じゃないわ……お願い……急いでここから逃げて」
「何言ってやがる!! お前を今すぐ病院へ……」
そのまま抱きかかえて急いで病院へと向かおう立ち上がろうとしたときだった。遙か上空から勢いよく地面に向かって何者かが急落下をして地面に激突をした。轟音とコンクリートが砕ける音。護熾は落下してきたものに気を取られ、立ちすくんでしまった。
そして白煙の中から漆黒の棘を携えた蛇のように動く尻尾が見え、そして煙が晴れ上がると二本足で立っている猿のような怪物が姿を見せた。
「!! 何だあいつは――――」
「……しまった、やっぱりいたのね…………知識持」
ユキナは呟くように言ったあと、護熾に顔を向け、『お願い……逃げて…』と逃げるように言うが護熾は目の前にいる怪物に視線を外さず、睨んだままだった。
「ターゲットを外したがこれでお前達は終わりだ! この場で俺にあったのが運の尽きだったな!!」
やけに嬉しそうに二人を見た怪物は他の怪物とは違い、吠え声や叫び声なのではなく人間の言葉で話していた。明らかに先ほどまで見てきた怪物とは違い、表情を浮かべ、人間に近い姿をしていた。
護熾は何を血迷ったのか、ユキナを抱きかかえたまま電柱の側まで行き、電柱に寄りかかせるように優しく降ろした。
護熾の異状な行動に声を出そうにも出せないユキナは目で訴えるが、護熾は恐怖に引きつった顔でも、怯えた顔でもなく、少し微笑んだ表情で
「いつも守られてばかりじゃ男失格だ。俺が逃げたってどうせ二人とも殺される。あの時の俺の“力”とやらを信じて、いくしかねえな」
そう言ったあと、ユキナをその場に残し、怪物の元へと走って行ってしまった。