表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユキナDiary-  作者: PM8:00
147/150

ユキナDiary---第拾話 その者達、戻れぬ道を進み、

約四か月ぶりの更新でございます。大変お待たせしました。の割には今回は少し少なめの上に展開があんまり進んでいないという二重苦ではありますが、どうかご了承ください。それではどうぞ









 全世界で異形なる軍勢が殺戮を展開してからおよそ一時間半。

 安住の地であるはずの街に怪物たちが侵攻してきたという避難勧告を受け、住人達は最寄りのシェルターへと避難の真っ最中であった。幸いワイトの方では東側のみ電子機器が使用不能になっており、怪物たちも防壁のすぐ内側に展開しているのみなので比較的避難行動は順調に進んでいた。

 いた、それは当時の回想に耽った言葉ではなく、その時、その場にいた住民たちの認識であった。


 住宅街エリアの上空に、一体の怪物を引き従えたその者が現れるまでは。


 その者は難なく侵入した街中の上空にて、パルシに何かを告げる。

 すると、パルシは周辺に光線を撒き散らして周囲を焼き払うと、頭を垂れた後に身を引く様にする。その姿は空気と混ざる様にして溶けていき、消えてなくなった。






 パルシをワイト内で解き放ったその者は仮面の中にある瞳に燃え盛る家々を眺めながら佇んでいた。


「……パルシを持ってきたはいいが」


 静かに独り言のように零すその者の声色に僅かながらの怪訝そうな様子を滲ませる。

 そしてその者は振り向くこともせず佇んだまま尋ねるように声を出す。


「何のつもりで付いてきた、ヨークス」


 その者の背後からおよそ四メートルほど下がった位置には、虚名持の一人であるヨークスがいた。

 彼は少しだけ掛けた眼鏡に触れ、少しおどけるようにした口調で話す。


「勿論、散歩ですよ我らの主よ」

「…………」


 その者は特に気にした様子もなく、眼下に広がる光景に眼を移したままである。というのも、付いてきた時点で彼が何をしに来たのかは大凡察しは付いていた。だからこそそのまま次の言葉を待っていると、ヨークスが身体を横にして少しその場から離れるように歩く。


「今回の我々の目的は『間引き』と仰いましたね。そして今し方パルシを直接召喚し、その目的を達成しようとしている」

「…………」

「しかし我らが主はこう考えてもおられる。果たして名前持てごま一体を召喚したとはいえ、それは確実に目的達成の王手チェックメイトに成り得るのだろうか」


 ヨークスの見解では、たかが名前持一体を敵地のド真ん中に送り込んでもそれでは役不足なのではと暗に、しかし明確に告げる。


「……ならば伏兵がいるな。私だったらそうだな、名前持てごまの支援ではなく相手の王の周りに居る四つの手駒をどうにかしてほしいものだな。おっと、一つは他盤であったな」


 ヨークスの話に乗っかる様に、その者も合わせる。

 話に乗ってきたことに対し嬉しそうな口調でヨークスも繋げるように言う。


「それはさぞかし王は『次回』に備えて切り札を出さざる負えないでしょうね。今回の王手をあえて宣言しない、ふふっ、非合法王手ステルスメイトですね」

「そもそも平等の許で行うという誓約をした覚えもない。好きに散歩するがよい」

「ええ、では少しだけ散歩をしてきます。主も長くに此処に居られぬように」


 そう言ってヨークスは丁寧なお辞儀をすると、その場で掻き消えるようにいなくなった。

 ヨークスが一瞬で移動したのを僅かに起こった風を鎧で感じながらも、その者は微動だにせずそのままでいた。パルシが焼き払った家々の屋根が燃え盛り、その紅と橙色を装甲の表面が鈍く映し取る。おそらく避難している人間達の何人かはもしかしたらこちらに気がついて見ているかもしれない。しかし今のその者の興味を引く人物はそこにはいない。

 彼はただ、静かに胸中にて思っていた。



(…………久しいな、此処を踏み入れたのは)



 まだ自分に懐かしむ心があったことに静かに驚きながらも、その者は暫しの間そこに佇んでいた。








 体内に熱した金属でも入れられたかのように、シバは動かしていた足を止めて硬直、顔を虚空に向けていた。

 先刻、判別不能な気とおそらく名前持ネムラスであろう一体がその存在を残さずに立ち去ったのを感じ取っていた。そしてその後に追い打ちのように名前持ちとは比べものにならないモノがいたのも感じていた。


(これはおそらく……―――虚名持ラバンダス!)


 そう答えに行き着く間に、まるでそこに居なかったかのように虚名持の気配が掻き消える。

 一瞬、何か報告が済んだから立ち去ったのではと考えるが、その者がすでに街に進入している時点で、安堵な考えは捨てる。そもそも自分が感じ取れない程の速度で移動したのならば、まだ街の中にいると考えてもおかしくはないのだ。

 ともかくとして、一通り起こった出来事は、全てにおいてワイト側に不利な展開が増長しつつあるという事実である。

 そして現在、とうとう避難中の住人達に向かって刃が滑り込んでいる真っ最中である。悲鳴が聞こえたらすぐさま急行し、怪物たちの殲滅。その後襲撃された住人達の怪我の様子や精神状態の確認などを急ぎ、できる限り随伴する兵士を付けるが、中には手遅れで亡くなり、しかも処理する時間もないのでやむ負えず放置するケースも発生していた。

 シバはそんな中、最優先に倒さなければならない名前持のことを全軍に報告し、早急に追討するために向かっていた。リーディアは戦えない身であるし、トーマは何らかの策で手を離せない状況であると決めつけていたが、本人の知らないところでトーマも戦場に身を走らせていることは露知らずのことであった。

 ともかくとして、無人と化した煙くさい住宅街を走り抜ける中、あらゆる一事を頭から退け、兵士としてでなく眼の使い手として名前持を倒す使命を秘める彼が足を止めたのは、たった一つの音であった。


「……! 悲鳴……?」


 怪物たちがまだ侵入していない地域にも関わらず、不吉で胸に突き刺さるその小さな響き声は、すぐさまシバを立ち留まらせる。きっと避難している人間が何かしらのトラブルで揉め事を起しているのではと僅かに疑うが、次の瞬間、彼は身体をその場に止めていたことを後悔した。



「……怪、物だとっ!?」



 思わず声に出して知った事実に、シバはすぐさま悲鳴の方向へと走る。

 よくよく考えれば名前持と虚名持が侵入している現状、街の中枢部に怪物たちを送り込むことくらい連中には可能かもしれない。しかし一体どんな方法でと考えたところで、


(侵入した名前持ネムラス虚名持ラバンダスではないとすると、あの正体不明の気の奴がやったのか……?)


 辿り着いた一つの答えに対し、シバは妙な胸騒ぎを秘めつつ、現場へと進路を変更して突き進んだ。

 後にこの行動が、結果的に彼が生き延びる選択をしたという事実となったのは、本人すら知る由もなかった。

 







 一方トーマの方は避難するためにシェルターに向かう人々の中、名前持と虚名持、そしてその者の正体不明の気を感じ取り、その場に留まっていた。

 突如として現れた敵勢力のうち、名前持と虚名持が気配も残さず消えるなどさらなる災禍の予兆としか思えない。トーマはそう考えていると誘導のために来ていた兵士の一人が不審に思ったのか近寄り、声を掛けてきたのでそちらに応対する。眼の使い手兼研究員であることを告げたトーマは現場で何が起きているかを尋ねる。聞くところによると通信機能がダウンしているのは東門付近のみであり、さらに現場に居たシバからは名前持と虚名持、そして正体不明の気が一つワイト内に侵入しているという情報であり、その辺は彼は既に承知済みである。次に彼は自分は眼の使い手と縁ある人物がその東門方向にあるシェルターに居るので確認しに行くことを告げ、兵士の方は少し困惑したようだったが引き留めはせず気を付けていくように言ってくれた。

 

 トーマは頷いてから再びその場から彼女らがいるであろうシェルターの方に向かうため、人々の流れに乗る様に移動しようとした時だった。

 向いた方向から迸る緊迫の空気。それが再びトーマを留まらせ、空を見上げさせる。

 

 不意に轟く雷鳴がトーマの向いた上空に向かって一直線に空中を駆け抜けていく。そして紫電が蜘蛛の巣状に留まり、一種のイルミネーションのように蠢く。

 その刹那、まるで恒星がその場で生まれたかのような凄まじい光が周辺を白で覆い尽くし、トーマも直視できずに顔の前に手をかざして失明を防ぐ。周りの住人達と兵士達も光を視覚に入れないように防いでおり、その後に訪れた砂塵を含んだ突風にも同様に耐えて見せた。


 ―――十数秒後、遠くの戦闘音が耳に鮮明に入り始めた頃、人々はようやく顔から手を退け始めた。

 そして上空には依然、あの紫電でできた蜘蛛の巣が絶えず蠢いていることは間をおかずにその場に居る全ての人間が認知していた。先程の異常な事態と絶えず展開されている上空の光景に周りの住人も兵士も呆気にとられた様子で立ち尽くしている。ここで兵士達の方は何かに気がついたらしく、しきりに何かをいじくっていたが、どうやら解決せず他の兵士達に顔を合わせるが、他の面子もそうらしく、小さな混乱が生まれていた。



 が、次の瞬間、上空をのたくっていた紫電が一斉に地に立つ人間達に向かって放たれたと気が付いたのはすでに手遅れのことであった。それは雷とも光線とも見え、遅れて気がついたその場にいた住人達は逃げ惑うが、近くの建物に光線が当たってその破片に襲われたり、または直撃して吹き飛ばされたり、一瞬でその場は悲鳴と恐怖に包まれたが、それも長くは続かなかった。


 アスファルトや建物を攻撃した余波で白煙に包まれ、静かになった道にて、一通りの攻撃を終え、手を緩めた紫電は先程の上空に再び集まり、そこからようやく人型のような透明な輪郭が生まれ、色がついて遂に実体化を果たす。



「……ざっと、こんなもんか」



 たった今の殺戮を終え、姿を見せた怪物、基い名前持であるパルシは軽い準備運動をした後のような余韻に浸っていた。ここに来る途中、車や住宅街を適当に焼き払ったりしながら力を溜め、そしてついに中央に近いこの場所にて再びあの電子機器を停止させる光を発生させた。しかも今回はしっかり発動したようであれだけ行き交っていた通信電波も今ではぱたりと止んでいた。

 これで人間達の戦況は大きく不利になるであろう。あとは適当に雑兵かいぶつ共が目的を達成してくれることであろう。そして自身がその大きな役割を果たしたと自覚する頃には、えもいわれぬ美酒を喉に通したかのようだった。

 しかし酔いしれる中、唯一の出来事がパルシを覚まさせる。

 それは一つの気配。

 それが示す方向にパルシは上空から白煙に包まれた道路を見下ろすと、人影が見え、そしてその姿が煙がはれるのと同時に鮮明になっていった。





 トーマは腰を屈んで眼の前に倒れ込んだ人間に手を伸ばしていた。

 手を伸ばした先は力なく投げ出された手であったが、赤黒く焦げて既に事切れた様子であった。

 彼はその手を暫しの間握った後、離して立ち上がり、上空に居るパルシを睨み上げる。その双眸には憎しみの身を光らせる鬼の相そのものであり、その手には既に亡骸の手ではなく、先の兵士達が携行していた自動小銃アサルトライフルが握られていた。

 


「よくもまあ……、正々堂々と胸糞悪いもん見せてくれちゃってさあ……」



 この時彼は胸の中で自身の本来の目的を果たせないことを詫びながら、同時に眼の前の敵は絶対に許すことのできない対象として認めていた。

 迫りくる紫電や光線を唯一紙一重で避けることができたトーマは、眼の前で繰り広げられた惨劇を目の当たりにしていた。吹き飛ばされる人、破片で崩れる人、そして先程手を握った人間が、紫電が直撃してその断末魔の痙攣を残して息絶えるその様を、何もできずに見ていたのだ。その双眸に込められた憎悪には、おそらく自身の無力さも含まれていることであろう。

 しかしそんな私事を知らぬパルシは不快さを露わにしたような怪訝な表情で銃を持つ白衣の男に視線を向けており、掌を軽く帯電させると小さな雷玉らいぎょくを生み出し、それをさもボールを放るような気軽さで投げつける。ただ投げつけた瞬間、その速度は目にも止まらぬもので第三者の視点があればそれは既に槍と化した凶器に他ならなかったであろう。


 通常の人間であったなら致死電流を軽く超えた雷玉なので触れたら感電死ものであり、同じく槍に見えるくらいの速度で心臓に向かって投げつけたのだから回避は間に合わぬはずである。


 しかしその予想を裏切る様に、トーマはその雷玉に対し手にした銃をバットのように振り、軌道を無理矢理捻じ曲げて近くのアスファルトに叩きつけるようにする。雷玉の直撃した道路には斜めに直撃したためか楕円形の穴が穿たれ、白い砂塵がその周囲にこびり付き、焦げ臭い匂いを僅かに撒いた。


 その一部始終にパルシは僅かな関心を抱くと共に、たかが人間如きが作った玩具に慢心気味であったとはいえ、自身の雷玉を『傷一つ』付かせずに打ち払らわれたことに対し静かに驚いていた。

 

 と、そんな中、突然自らの頭部に鋭い衝撃が奔り、視界が一瞬あらぬ方向に向く。

 再び視界を人間に向けると、先程雷玉を打ち払ったライフルの銃口をいつの間にかこちらに向けており、そこから漏れ出る硝煙が発砲したという動かぬ証拠を突き付けていた。

 それに対し、パルシはいよいよもって苛立ちと憤怒の感情を湧き上がらせその人間を一瞬で葬り去ろうと動く。

 ただし、次に瞬きした刹那――――その人間の姿は変わっていたのでその動きを止める。



 その髪は淡紅色に染まり、こちらに再び向けられた双眸も同様の色に染まっていた。

 そしてその全身からは先程とは比べ物にはならないほどの力が満ち溢れており、それだけでパルシは先程の一連の流れを理解した。それと同時に、歓喜にも似た高揚感に思わず声を漏らした。



「眼の、使い手っ……!」



 互いにようやく潰し合う存在だと認知し合い、パルシは今度は全身を帯電させる。

 ここに避けようのない一つの戦いが切って落とされた瞬間であった。













 いよいよ海洞家にて、豪華な料理が食卓に並べられ、最後の一品である七面鳥の丸焼きが中央に盛大に飾られると、夕食を始めるために全員が席に付いていた。

 食卓に並べられたメニューは順に表記していくと、

 ポテト&シーザーサラダ。クリームシチュー。握り寿司。オムライス。コロッケ。海老フライ。渡り蟹のトマトクリームスパゲティ。フルーツポンチ(予定にはなかったが沢木達がこれがあるとそれっぽいとのことで追加)。すべてバイキング形式である。

 そして食卓の中央に彩られるべき最後の品物は、七面鳥の丸焼きである。香ばしい匂いをたて、しっかり焼けたその圧倒的存在感は、今回の面子でも初見の人間もいることもあっておお~っと感嘆の声が漏れていた。しかもこの七面鳥、中には炒めたご飯を詰め込んでおり、オーブンで焼き上げることによって肉の旨味を染み込ませるように仕上げられていた。

 さて並べられるものは並べ終え、いよいよ夕食の開始である。

 その開始を務めるにあたり、今回は主催者である護熾ではなく、ユキナが務めることになっていた。

 何故彼女かと言うと、彼女の眼の前にある皿にあるものがその理由を物語っていた。

 彼女の皿に盛られているものは、それは既に切り分けられた七面鳥のモモ肉丸々一本である。大きさ的に彼女の小顔にも匹敵しそうなものである。


「さーて、さあユキちゃんがぶっといって! がぶっと!」

「え、ええっと~、いいの?」

 

 近藤に勧められる中、ユキナは少し困惑気味にきょろきょろと周りを見渡すが、全員各々に頷いている。それを見たユキナは両手でモモ肉を持ち、小さな口を大きく開け、


「あむっ」


 大きな肉の塊に噛み付く。

 噛み付くとよく焼けた表面の皮のパリパリっとした気持ちのいい音を立て、肉の柔らかさがまず歯を伝って感じられる。それから肉汁による旨味と油の甘みが舌の上で蕩け、ユキナは噛み付いたまま引き千切る様に肉と口の距離を離す。すると大きな肉の欠片を口に含め、もぐもぐと食べる。

 その豪快な食べっぷりに周囲はどよめきに包まれる中、

 

「どう? ユキちゃん?」

「お、おいし~~~~~!!」


 近藤の問いに対し、ユキナは満面の笑顔で答える。彼女の裏表のない天真爛漫な笑顔は本当に美味しく仕上がっている証拠である。


「ほい、んじゃあお前ら喰うぞ~!」


 ユキナの笑顔を見届け、改めて護熾が全員に食事の開始をするように告げる。

 かくして海洞家にて、盛大な夕食パーティーが始まり、聖夜前日の宴を楽しみ始めていた。













 避難用のシェルターというのは、ワイト内にていくつも建造された一般市民の最後の砦であった。

 シェルターは基本、閉塞感を和らげるためにドーム状に作られており、怪物たちの侵入をできるだけ阻められるよう、出入り口には強固な鋼鉄の扉を三重層にし、水道や電気を通しそこでの避難生活を可能にするよう設計されていた。

 しかし、最後の砦であった、と表記したのは今し方このシェルターの機能に不備が生じ始めていたからだ。それは丁度パルシの二度目の攻撃と同時に起こっており、避難していた住民達は安全と言う信用を揺さぶられて混乱に陥っており、見張りに立っていた兵士達に対し質問攻めを行なっていた。

 そんな混乱と不安が渦巻くシェルター内で、ユリアとユキナ、そしてリーディアの三人がそこに居た。


「ねえ、リーディア……」

「うむ、おそらく先程現れた名前持ネムラスの仕業だろうな。そして……、トーマの奴が交戦を始めた」

「トーマさんが?」 


 不安になっているユキナを安心させるように撫でていたユリアは隣に居るリーディアに尋ね、彼女はそう答える。彼女は事実のままに伝えたが、何故中央に居る筈の彼が近くで、しかも名前持と戦うことになっているかまでは彼女とてよくわかっていなかったが、もしかしたら自分達の安否を確かめる途中、接敵したのではと予想を立ててみる。

 ここでもし自分が加勢すれば、易々と名前持を討ち取れるだろうと考えるが、今それを実行できるほど、自身の体は自身だけのものではなくなっていた。そう、彼女のお腹にはシバとの子が眠っているのだ。それに本当にその名前持だけなのかどうかも分からない。彼女も正体不明の気を感知しており、その『姿』を見た限り、まず出会うべきではないと結論に達していた。

 しかし、離れたところでは技師が水道と電気の復旧に挑んでいるが、彼らでさえも一目で絶望するほどの壊れっぷりであったのか、その不安が伝染していってシェルター内をより一層陰気なものにしていた。気がつけば、少し息苦しさも感じられるようになってきていた。換気の機能もダウンしているのだろう。しかも今はまだ住人が避難中である。何も知らないでこちらに押し寄せてくる者達は増える一方であろう。その混乱の最中、もし怪物たちが嗅ぎつけて攻め込まれた時には、ここは大層な金を掛けて作った墓に成りかねない。



 いよいよ住人達の不安が最高潮に達したのか、兵士達に詰めよって冗談じゃねえよだとか、ここは安全なはずだろうが、だとかこれから先の解決についての説明を求め始めた。それに対して兵士達は大丈夫ですから、だとかどうか冷静に、などとどうにか宥めようとするが、他の地域に居る兵士達と連絡が取れない今、少数の彼らで大多数の住民たちの不安を解消する方法など思いつき難い状況であった。



「…………」



 その様子を眺めながら、リーディアは少しの間眼を伏せて押し黙っていたが、やがてその場から立ち上がるとわだかまりを抱えている住人の集団に向かって声を張り上げた。


「ならば中央に向かおう!」


 住人達の雑声を掻き消す凛々しい声は、すぐさまシェルター内に沈黙をもたらす。

 全員視線を向けるが、それに怖気づくことのない彼女はすぐさま話す。


「現在水道も電気も停止し、此処に居残り続けるのは大変危険な状況だ。私はこれ以上外での戦闘が激化する前に新たに中央に移動することを提案する!」


 リーディアの声はひとまずこの場に居る住人たち全員の耳に届くが、それでもまだ納得のいかない表情であった。


「おい、確かに此処にいるのは危険かもしれねえが、何を根拠に中央なんだよ。それに今移動ができるだけ外が安全だとも限らないよな?」


 住人の中から一人の若い男が問いを投げる。言うからにはちゃんとした理由を聞きたいのか、それとも女性であるリーディアの発言を疑っているかのどっちかであろう。

 それに対してリーディアは的確に中央に向かえばこのシェルターの問題点を解決できる旨を話す。


「中央ならば知っての通り防壁がならんでいるし、あそこには食糧の備蓄やパイプラインに頼らない水源が確保されている。多少の人間が生活するには困らないほどの敷地もあるしな」

「り、リーディア! それってもしかして……!」


 彼女が何を考えているのか、その意図に気がついたユリアが立ち上がるが、リーディアは腕を軽く横に広げてその言葉を制止させる。ユリアは押し黙ってその背中を見る。


「だ、だとしても此処にいるほうがリスクが少なく済むんじゃ……」

「残念だが、怪物どもが此処に来るのも時間の問題だ。先程言っただろう、外の戦闘が激化する前に行こうと言ったのは」

「……あんた、何者なんだ?」


 中央の内部事情を知っている人間は兵士か研究者の類くらいなので男はリーディア自身に問いかける。

 リーディアの方は少しだけ不敵に微笑んで見せる。


「天眼の称号を持つ一人の眼の使い手だ。安心しろ、私がお前達を安全に中央に届けてやろう!」


 その言葉には、理屈などではない信頼たる響きが確かに存在していた。










 気が付くと、自分は血の海を眼にしていた。

 まず母親と共に避難している間に、父親とも合流でき、とにかくシェルターまで向かおうという算段に落ち着き、他の住民たちと共に向かおうとした時、黒い影が瞬く間にその場を地獄に仕上げた。

 眼の前で二人の大人が倒れており、その内の一人は自分を庇うように抱きしめてその胸に身体を収めようとしていた。だけどそれは温もりなんてものは徐々に消えていくのが肌から感じられ、それが自分にとって大切な人間が遠くに行ってしまうような、そんな風にも思えた。


 耳は相変わらず騒がしくなった街中での銃声や爆発音が絶えず聞こえている。その中でまた、あの唸り声が聞こえた。

 その唸り声はそう、眼の前の両親を動かなくさせた、黒い黒い獣達のものだった。

 その獣達はその場に生き残っているのが小さな子供であろうと、容赦はしなかった。

 すぐさま接近し、その子供を庇ったまま事切れているものを退かし、子供の眼に自らの姿を逸らさせることなく直視させる。退かした際、赤黒いものが子供の顔にこびり付くが、その子は拭おうともせずただ見つめていた。

 それほどまでに恐怖で固まっているわけでもなく、小さな子供でも理解できるくらい、希望を望める状況ではないと悟ったのだろう。或いは両親を殺したという彼らに対して、もっと強い気持ちで自らを括っているのかもしれない。


 だけどどちらの思いも成就する筈もなく、眼の前の怪物のほかに四体もの獣がこちらに気が付いて接近してきていた。

 ああ、自分はここで死ぬんだろうな。

 その時の子供の心情は、まるで他人事のようにこの状況を達観していた。

 そして眼の前の怪物がその手に秘める鋭利な凶器を振り下ろす―――せめて楽だったならいいな。


 子供がそう眼を閉じて自らの運命を受け入れようとした時、風が真横に少しだけ吹き抜けた。


 その風を肌で感じた時、ただの風ではなく何かある程度の大きさのものがすぐそばを通り抜けた時にできたものだと理解すると同時に、数秒経つのに眼の前で振り下ろされた爪が自身の脳天を割っていない事実に気が付く。


 

 そして眼を開けると、誰かが自身を抱きしめた。

 怖かったろ? もう大丈夫だ、大丈夫だから――――今でも最初に掛けられた言葉を覚えている。




 それでどれだけ自分が救われたのか、その子供、ガシュナはそう思った。




 二人の周辺には塵に変わった怪物たちの末路と、自身の子供を護ろうとした両親と、多くの住人達の亡骸が転がっている。

 それでも安心させようと抱きしめてくる男に、ガシュナはようやく自身が一人になったことを理解し、そして心許せる相手だと理解し、戦場と化しつつある街中で、静かに、静かにその胸の中でむせび泣く。


 その子供の背中をさすりながら、その男、シバは安堵の息を付いて良かった、とただ一言呟いていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ