ユキナDiary---第陸話 瞬変
どうもー、やっぱり例によってこの時期はいつもより遅れてしまいます。その点に関してお詫びを申し上げると共に、今回は少々多めなのでご注意下さい。ではどうぞ!
装置の安定稼働の確認から一週間が経過した日の終わりである。
この日も特に出動命令は出ず、中央での訓練と内勤仕事を済ませ、帰宅後の愛しい家族との時間を過ごし、寝床に就いて日付が変わろうとしていた。
その感覚に伴って瞼を開け、前を見据え、いつものように前へと黒い地面に足を付けて歩む。
こうして歩きながら、頭に思い浮かべることがある。
ここ最近、自分とあの少女の力が実力伯仲になってきており、今日こそあの課せられた目標を達成できるかもしれない。そんな期待を胸に秘めるのと同時に、それを達成したら、もう立ち会ってくれないのではという不安もある。今まで自分の眼の使い手としての意味を見出してくれた師と会えなくなるのは、正直喪失感に似たものを感じる。
しかし、だからと言って手を抜いたりするのは言語道断。それこそ失礼極まりない行為であり、今日も全力で臨む。
そう思っていると、前の方から気配がし、立ち止まる。
案の定、白いワンピース姿でいる仮面の少女が来るのが分かっていたかのように佇んでいた。
しかしその顔を隠している白皙の鬼面は切傷だらけであり、少し小突いただけで幾つもの破片になって散ってしまいそうであった。
そんな状態であるにも関わらず、少女から発せられる気配は微塵も気にしておらず、むしろ好戦的にもとれた。おそらくその鬼面を壊せば、彼女の素顔と共に真の実力を刮目することになるだろう。そう思うと今夜は長くなりそうだという愉悦が生まれる。
そんなことを考えていると、佇んでいる少女から声が掛けられる。
「用意はいいか?」
「何時でも」
短い掛け声と短い返答。両者は声が止むと互いに態勢を整える。
少女は太刀の柄をしっかり握り込み、アスタは眼と髪の色を紅に染め上げると踏み足で周囲に武具を召喚する。しかしその手に取るのは蒼い刀身を載せた太刀。しかもただ一振りのみである。その一振りを握りしめ、血糊でも払うかのように下に振ると他の武具は控えるよう光の粒子となって空間に散る。
両者の準備は整った。
あとは開始を告げる『その時』まで待てばいい。
少女の方もその瞬間を待っているのか、一見リラックスでもしているかのようなゆったりとした姿勢でこちらを見据えている。
彼女の方から動くのか、それとも自分から先に仕掛けるのか、緊張の糸がまるで延性に富んだ金属の如く引き延ばされる中、
「…………少し、話したいことがある」
不意にその緊張感を破る唐突な言葉。
アスタは初め、全身の筋肉に一瞬力を入れたが次には心底驚いた表情でその場に固まっていた。意外にも、その沈黙を破ったのは他でもない少女の方であった。
その予想外な言動にアスタはどうしたらいいのか分からなかったが、彼の目に見えない困惑のそれが分かっているのか、少女はそのまま話を続ける。
「……お前は今日まで、私の許で眼の使い手としての知識、技量を学び、そして遂に最後に課した課題さえも完了しようとしている。言わなくても分かっているだろうが、それが終われば私はこの場から立ち去る」
少女の言葉に、アスタは表情も変えず声も出さず、ただ構えたまま耳を傾け続けている。
「私が訊きたいのはつまり、最後の課題を完了した後、お前はどうするのだ。私が去ったそのあとに何かしらの目標があるなら、話してほしい」
「…………言っている意味がよく分からないな」
アスタは構えを解きながらそう呟き、やれやれと呆れたように首を振る。
「それじゃあまるで俺がその仮面ぶっこわしたらもう二度と会わないって言ってるようだ。それにあんた言っただろ。俺が最大限解放を使わない限り本気を出さないと。だったらだ、今俺に目標があるとしたら、あんた。あ ん た だ! 勝手に逃げてんじゃねえぞこら!」
そうアスタは指を向け、少女のことを強調するかのように叫ぶ。
少女は忘れていたことを指摘されたかのようにキョトンとした姿勢で固まっていたが、それに構わず彼は続ける。
「だから今の課題が終わっても勝手にいなくならないでくれ。これが終わったらあんたと俺、本気で手合わせを願いたい。それが終わってから今後のことは考える。それに、あんたの顔も知らないし、まだ言ってもら―――」
そこで一旦言い切るのを止め、
「―――いや、何でもない。とっとと始めようぜ!」
強めの語調で締めくくり、再び臨戦態勢に戻り、構えを戻す。
そして刀身を横向きに、切っ先を前に向け、刃と一体になるようにすると直ぐさま走り出す。
彼が指を向けながら語尾を荒くしたのは、言葉では言わない思い、つまり納得できないものが少し滲み出たからであろう。
それを長年の付き合いから読み取った少女は少し顔を下に向けた後、すぐに上げ、同じく構え、迎え撃つ。
その表情は今なお鬼面に覆われて読み取れないが、おそらく微笑んでいるであろう。
正面から互いに全力でぶつかり合う機会が控えているのならば、さっさと終わらせてしまおうと心底嬉しく思えるのは、自分が無意識に望んだものだからであろう。
今日は大丈夫。あれから気力が乱されて集中を欠くこともないし、もう一度奴の全てを把握し直した。個人的にはぬかりはない。
(だがアスタよ、気付いておるか)
しかし準備万端とはいえ、こちらに確実に真っ直ぐ迫ってくる男の姿とその足音を聞きながら、少女は思う。
(お前は既に、私でさえ圧倒するほどの力をもう持っている。手を合わせなくても私が保証する。それが意味するのは、もうすぐ世界に変化が訪れる兆候。お前は眼の使い手史上初めて誰も行けなかった領域に足を踏み入れ始めたということ)
少女は構え、迎え撃つ姿勢を取ったのを視認したアスタは、さらに接近速度を加速させる。
(その領域で、お前自身、果たしてどうなるかは私でも分からない)
その接近速度が最高に達した瞬間、開いていた距離など無視したかのように目の前に現れると少女の一歩前に踏み込みと、手に持ちし刀身を振るう。しかし少女の方もそれにしっかり反応し、鍔迫り合いに持ち込もうと相手に合わせて振るう。
互いの必殺の威力を込めた刃は丁度その刃の進行方向で交差するようになっており、衝突することが事前に予測できたとき、一瞬遅れて手応えのある衝撃と火花と金属音が辺りに響く。
瞬間、アスタはその場で左に高速で半回転、少女の刀身を圧倒的な力で一瞬流したと思えば、左手に持ち替えながら右斜め下から左上への袈裟切りを―――しようとしているのが鬼面越しからでもよく見えていた。見えていただけで動けなかったのは、それは、少女の反応速度を遙かに上回った証拠でもあった。
(ああ、本当に――――)
そして防禦が間に合わず、目を細めて捉えている瞬間、その刃は空を切ることなく右斜め下から左上まで、鬼面に切り傷を刻みながら一閃、パリンと、決して軽くはないものが割れたような音がこの空間に小さく響く。直後、斬撃に引っ張られた空気は突風となり、少女の髪を撫でるよう、飛んでいった。
(―――よくぞ、ここまで腕を上げたな)
今まで小さかった視界が広がるのを感じると共に、充足感に浸れたのは、一体いつぶりなのだろうか。
「…………!」
少女の鬼面が割れるその光景の中、一番驚いていたのは紛れもなくアスタの方であった。
自分の打った一手には自身はあったし、確実に当てるために、そして臨機応変が可能な力を今日まで磨き続けてきたのだからこの結果は当たり前になるはずなのだが、とにかく斬り上げた姿勢のままで固まっていた。
「……何を驚いている?」
そんな中、突風は過ぎ、鬼面が壊れて露わになったはずの素顔を何故か片手で覆い隠している少女の声に気が付いたのか、アスタはようやく自分が何を為し終えたのか、その結果によって生じた出来事に意識の焦点を向ける。
「別に私は一瞬足りとも油断したつもりもないし、それに対してお前も全力で取り組んだ。そしてこのような結果になったのは、お前の今までの努力の表れだ」
実に四千九百七十八戦目にして初めての敗北、にも関わらず隠れていない口元は楽しげに微笑んでいる。
今までずっと眼の使い手の基本やその応用、知識や技量を教えてくれた師と言っても過言ではない少女からの言葉は勿論、彼にとってはかけがえのないモノなのだ。
「何を呆けておる。今こうした結果があるのは、お前が日々の鍛錬を怠らなかった証拠だ。まあもちろん、私の指導があってというのも忘れないでもらいたいな」
「それは! も、もちろんだとも! いや、その通りです!」
「うむ。よくぞ音を上げず今日まで耐えてきた。以前に培ってきたものを忘れぬようにな」
何故少女に彼が勝つことができたのであろう。
少女は彼本人の欠かさなかった鍛錬の賜物だというがそれだけで片付けられるほどのもので得られる勝利ではないことは彼女自身分かっていた。
全体的な基礎能力の底上げ、そこから繋がる彼自身の成長の方向性、自身の能力を最も生かせる武具の選択、様々な要因が絡んでくる中、今回の勝利に最も大きく影響したのが、
(私の反応よりも早く動けるほどの速力を得たのが一番だな)
今回にて最も顕著に表れたもの、それは彼が見せた速力。
それには得物の種類も関係してくるがその際に選択したのが少女と同じ太刀である。
それならば攻撃の機動性が得られやすくかつ動きを殺されない大型のナイフでも用いればいいのではと思われるかも知れないが、別に隠密や携行性は必要ではないし閉所で戦うつもりもない。そもそも大剣ですら片手で扱える眼の使い手にはむしろ軽すぎて必要がないモノである。
様々な刃物、というと語弊があるが、様々な刃物状の武具を用いるアスタにとって、太刀は手頃なリーチ、重量、あとは彼自身何かしっくりくるものがあったのであろう。
(素早く動けるように、しかも得物は太刀、面白いものだな、本当に)
度重なる手合わせに於いて、突如読みが冴えなくなったのも速力によるものである。少女がアスタの気力や動きから先を読んでいたが彼の成長した速力により、早い気力移動や読みの先の行動に移していたからだと思われる。
今回、少女が出した最後の課題で圧倒することができるほどまでに彼は腕を上げた。
もう教えることはない。何しろ彼は自身の気力さえ『変化』させてしまったのだから。いや、というよりは性質をもう一つ『覚醒めさせた』、というのが正しいであろう。
そう目覚めさせるのが目論見通りになったわけで、あとは自分でその腕を磨き続けて行くであろう。
「あとは先程約束した件についてだけどその前に……」
しかし、と思っていた矢先、アスタの声に気が付くと彼は自分に向かって指をしていることに気が付く。
何故こちらに向かって指など向けているのであろうかなどと思っていると彼はそのまま言葉を続ける。
「あんた、いい加減その手、退けたらどうだ?」
無論、彼が言っているのは少女の素顔のことである。
確かに少女は一向に、隠している顔、細かく言うと顔の上半分を片手で覆ったままである。
「何だ、そのことか。しかし別構わないがその前に話したいことがあってな」
「いやいや、あんたその手を退けるだけでいいじゃねえか。何でそんな状態で話さなきゃいけねえんだ」
「ん? いやまあそうだが……」
「?」
ここでアスタは首を捻り、それから何かに気が付いたように声をあげる。
「あ! もしかして傷でも付いたんじゃ……」
「そんなことはない」
しかしキッパリと彼女は言い切ったのでどうやら杞憂だったようである。
それでも彼女は一向に顔から手を離そうとしないのでアスタはますます困惑する。
「じゃあなんで顔を見せないんだ? あんたがどんな顔だろうと俺は構わないんだが」
「失礼だな。別に顔を見せるくらい何て事はないんだが、その……」
「何て事はない、だけど?」
「その……お前は必ず驚くだろうし、何て言うかその、面と顔を会わせたことないからきまりが悪いというか何というか」
「…………え、もしかして」
ここでようやくアスタは彼女が何で渋っているのか何となく解り始めていた。
きまりが悪い、要するに彼女は、十年以上も鬼面を付けっぱなしで付き合ってきたので顔を改めて見せるのが恥ずかしいと思っているのではなかろうか。それとも仮面を付けている間強気になれるとかいうものだったりして。などとそうだとしたら、それはアスタが初めて見る彼女のユーモラスなところなのかもしれない。一言で纏めるならば可愛げがあるじゃないかということである。
「……変なことを考えているようだが、安心しろ、見せる覚悟はできた」
などと考えている内に素顔を見せる決心を彼女は既にできていた。
こういう風に思い切りがいいところはアスタは何遍も見てきているので内心少し残念がったがそれを読まれて見られなくなると困るので表情に出さないように気をつけておく。
「言っておくが鬼面を付けていた意味、お前は考えたことはあるか?」
「……いや、最初の頃はそんな怖い仮面付けてるから雰囲気作りだと思っていたけど」
「まあ、あながち間違いではないな。しかしその趣旨は途中から変わった。ほれ―――」
そう言いながらとうとう、少女は顔から手を離し、その素顔をあっさりと露わにする。
アスタは突然のことに生唾を飲み込むと改めてその顔を凝視し、―――全身が硬直した。
透き通るような長い白髪を持ち、大きな目と幼さとあどけなさを併せ持った凛々しい小顔。
それは、今までの付き合いの中、アスタがまだ鬼面を付けていた頃、想像していた顔に見事なまでに似付かわしいものであった。
しかし、それともう一つ、それはあまりにも自分がよく『知る』顔でもあった。
アスタは硬直が解けたが眼は見開いて震えており、同じく震える指を少女に向け、
「ユッ……ユッ……!」
よく知るその顔を持つ人物の名前を叫んだ。
「ユリアッ!?」
「さて、今夜は少し、長くなるぞ?」
そう白い髪を持つ、愛妻と愛娘に似た顔を持つ少女は、驚愕しているアスタに向かって力強ささえとれる微笑みを見せていた。
昼を過ぎて少し経ったからなのか、寒気を徐々に取り戻しつつある商店街ではあったが人々の熱気でまだ気になるほどのモノでもない。
むしろ気になるのは、これから戻ってからのことだ。
そう考えていた三白眼で端整な顔立ちの少年、ガシュナは今、雑貨店が建ち並ぶエリアにて先程買ったものをもう一度見る。
少し小さめの紙袋に丁寧に包装された品物がこちらを仰ぐように鎮座しているだけである。
(……色々考えた結果、こういうのに納まったはいいが、気に入って貰えるだろうか)
そんなことを思いつつ、覗くのを止め、顔を前に向けて自分が今から向かわなくてはならない場所の方向を確認する。それから周りの状況から大凡の到着時間を考慮すると今は人が向こうから後ろから歩いてきているが、まあ時間には余裕を持って帰れるだろうからその点は安心して良い。
(今頃ミルナは起きているだろうか。もし起きているなら置いていったことを不満に思っているだろう)
食疲れのユキナの眠気に巻き込まれたとはいえ、容易に頬を膨らませた不満顔の彼女のことを思うと、微笑ましいと思う。しかし前にも言ったように未知の土地にできるだけ彼女は連れて行きたくないし、今回のこの混みようからはぐれていた可能性は否めない。
そもそもこのエリアは彼女の気を引くものが多すぎるので時間内に帰って来れなかったかもしれないのだ。
とにかく、自分が済ませたい用事は完了した。
今持っているものを貰い、喜ぶ姿の彼女を想像しながら、ガシュナは踵を返し、指定された集合場所に向かって歩き始めた。
昼を過ぎて少し経ったからなのか、寒気を徐々に取り戻しつつある商店街ではあったが、人々の熱気でまだ気になるほどのモノでもない。
むしろ気になるのは、これから戻ってからのことだ。
そう考えていた端整で活発そうな面持ちの少年、ラルモは今、雑貨店が建ち並ぶエリアにて先程買ったものをもう一度見る。雑貨店が建ち並ぶ、と言ってもガシュナが向かった場所とは違うエリアで売られているモノも少し異なる。とにかくラルモは買ったものを覗き込んでいた。
紙袋に入った丁寧な包装は、こちらを見上げるように鎮座している。
(行き当たりばったりで結局ピンと来たのがこれだけど、大丈夫なんかなー)
そんなことを思いつつ、覗くのを止め、顔を前に向けて自分が今から向かわなくてはならない場所の方向を確認する。それから周りの状況から大凡の到着時間を考慮すると今は人が向こうから後ろから歩いてきているが、まあ時間にはギリギリ間に合うと思う。何しろ悩みに悩んだのだから。
(よくよく考えたら何上げたらいいのか結局まとまんなかったな。あいつは何で良いよって言ったけど、やっぱ確実に喜んで欲しいわけで。本、とか考えたけどあいつの好きなジャンルよく知らんし。だから俺はこれで勝負するぜ!)
でも、もしプレゼントするこれを気に入って微笑んでくれたらと思うと、早く渡す時間にならないかなと期待で胸が高まる。せっかく家でわざわざ待ってくれたのだからそうでないと困る。
今までプレゼントの交換とかはしてきたが、より相手を意識した交換というのは今回が初めてである。そう思うと期待と共に若干の不安もあるが、そんなのはキャラじゃないので胸の内で吹っ飛ばしておく。
とにかく、自分が済ませたい用事は完了した。
今持っているものを貰った彼女の反応を想像しながら、ラルモは踵を返し、指定された集合場所に向かって周りに気をつけながら走り始めた。
買うべき品物は済んだのか、会計を済ませた残りのメンバーは既に集合場所へと向かっていた。
主に荷物持ちを担っているのは沢木達男子陣であり、女性陣は持っていたとしても軽量なものばかりである。そんな中、移動中のメンバーの中で最後尾にいたイアルは目の前にいるギバリ、リルに小さく声を掛けていた。
「ねえ、」
「ん? 何だもんよ」
「なーに、イアル?」
「前を向きながらでいいから質問に答えて」
彼女の要望を聞き入れた両名は一度顔を合わせるが、すぐに聞き入れ自然に歩く。
それを見計らってから、イアルは尋ねた。
「あんた達って、付き合ってるの?」
「ぶっ!?」
「えぇっ!?」
もちろんこの事に驚いたギバリとリルは前のめりに転けそうになるが、すぐに態勢を立て直し顔を振り向かせる。
「いやいやイアルはん、これは海洞はんが俺に言い付けたからもんよ!」
「うんうん、私も驚いたから理由を尋ねたらどうも現世側の男子陣と面倒なことにならないようにしておくための釘刺しなんだって」
彼らからの言い分に対し、イアルは頭の内にあったささやかな疑問が解消されたのか、なるほどと納得した顔でいた。確かに今日の向こうの男子陣はイアルから見ても色々と挙動不審だったのだ。
因みにイアルが狙われないのは、七つ橋高校の時に近寄ってきた男子をもろもろ撃退した功績と、そもそも本人自体色々と高スペックなので彼らには高嶺の華すぎているのだ。
それはともかくと、疑問は解消されたがここで新たな疑問が一つ生まれたのでこれを機にもう一度訊ねる。
「そういえばあんたらって、誰か好きな人がいたり、海洞達みたいな関係になりたいと思ったことはないの?」
「んんっ!? 今日のイアルはんは攻めますなー!」
「そうだねー。私は今んとこないかな。今が十分楽しすぎてるだけかもしれないけど」
「俺は……」
リルはそう答えたが、目の前のギバリは少し悩む仕草をしたあと、
「好きって言えば。俺はリルもイアルも好きだもんよ」
「ちょ、ええっ!? 何告白してるのよ!?」
「待って待って落ち着くもんよ! そういう意味じゃなくて親友として!」
何故かイアルが赤面しながら蹴りの態勢に入ったので慌ててギバリは静止を促す。
何とか彼女が踏み留まってくれたので安堵の溜息をついてから、話を続ける。
「別に俺だってそういうのに興味がないわけじゃない。いつかはそんな関係にも憧れてるもんよ。でも結局リルと同じで今が楽しすぎるってのがあってその―――」
「その、って、何よ?」
「そんなことよりは、今はこっちに時間を割きたい、ってのが本音だ。だからこれからもよろしくだもんよ!」
胸を張って、そう言える、と付け足してギバリは言う。リルもそれに同意したのかうんうんと頷く。
「…………はぁー、ほんと、馬鹿みたいな考え」
しかし、そんな彼らに対し、イアルは溜息を付くと呆れ顔で二人を抜かして先に進むようにしてしまう。
「ちょっ、イアルはん待って!」
「どうしたのよイアル~!」
突然、不機嫌になって自分達を置いていったので二人は慌てて追いかけるようにする。
しかし半ば、彼らは同時にそうしたのか理由は感づいていた。
イアルは素直ではない性格、というのは馴染み故に嫌と言うほど知っている。だとすると、先に進んで置いてけぼりにした理由は自ずと分かってくるものだ。
(ほんと、バカみたい)
先行く彼女の表情は既に不機嫌顔ではなく、笑っている表情だ。
こんな顔、二人に見られたら、からかわれるに決まっている。
だから見られてないからこそ、思う。
あんたらが何より、私にとってかけがえのない親友なのだ、と。
これから家に戻るが、自分達はまだまだ宴を楽しんでいない。
ならば今宵、忘れられない思い出にしようと彼女は心の中でそう誓った。
その、かげがえのない親友と、戦友達とで。
海洞家にて、あれから大凡護熾達が集合し、そろそろこちらに帰ってくる頃であった。
そんな彼らを居間の炬燵で温むお留守番組の彼女らはそれぞれ自由な一時を過ごしており、その中の一人であるユキナも炬燵を嗜んでいた。
が、不意にゴロゴロ鳴らしていた喉を止め、気持ち良ささに閉じていた目も開け、
「…………」
何かを感じ取れたのか、既に索敵するかのような雰囲気を纏っていた。
それに気が付いたのか、再度ミルナ、アルティ、ユキナの髪型のチェックをしていた近藤が声を掛ける。
「どうしたのユキちゃん? 急に黙り込んだりして」
「…………」
彼女は少しの間無反応であり、それに対して近藤も何かしらの疑問を覚えようとしたときだった。
不意にユキナは炬燵からよいしょと抜け、立ち上がると、
「近藤さん、護熾が来たら二階で拗ねてるって言っておいて」
「えっ、ってあ、ちょっと!」
ユキナは居間にいる人間の視線を背中に受けながらも、そそくさと廊下に出て、徐々に小さくなる階段を上る足音を響かせ、小さなドアの開け閉めの音がしたと思ったら後は沈黙しか残らなかった。
そんな手際の良い移動に終始ポカンとした近藤はう~んと悩むかのように腕を組み、それから周りに意見を求めるように顔を向ける。
「う~む、さっきの伝言からするに、やっぱユキちゃん怒ってるのかな?」
「うーんそれは違うと思います。私も置いて行かれて寂しいとは思いましたけど拗ねるほどってわけでもないので」
「それは同意見。でも私の場合は自分の意思でここに残ってるので。となると原因はこの手紙では」
「あー、確かに。ユキちゃん、茶新ちゃんからの手紙を見て何か驚いた表情でいたもんね。そのあとは普通に炬燵でゴロゴロしてたけど……」
となると、やっぱり彼女のこの行動は謎である。手紙が原因ならさっさと二階で拗ねてるだろうし、わざわざ伝言を残す必要もない。
ここで何故ユキナが二階に行ったのか、その意図を読んだユリアはハッとなり、それから微笑ましい表情で言う。
「なるほど、そういうことですか」
「え、何々? 何か分かったんですか!?」
「近藤さん、護熾さんには伝言の際にこの手紙も読んでもらうようにして下さい」
「え、あ、はい。ってことはやっぱりこの手紙なんですか?」
「半分正解、だと思います」
ふふ、と微笑むユリアに対し、近藤は混乱気味に『?』を頭に浮かべるだけでよく分かっていない様子であった。因みにこの中でその意図を読めたのは他にミルナだけであり、アルティの方はよく分かっていないようであった。
それから少しすると、玄関前で何やらゴソゴソと物音がし、気配が大きくなると鍵が開けられ、ドアの開く音が響く。
「「「「ただいまー!」」」」
大勢が異口同音でそう言い、戻ってきたことを告げる。
その声を聞きつけたのか、居間で待機していたお留守番組が次々と廊下に顔を出して返事をする。
「ほいほーいお帰りなさーい」
「皆さん、お帰りなさい」
「お帰り」
「皆さん、お帰りなさいです!」
「お帰りー!」
「お帰りなさい、っと」
そしてその返事を聞いた護熾達外出組は次々と廊下に上がり込み、最後に入った沢木がドアを閉める役割を担う。
「どうもご苦労様です。護熾さん」
「どうも、ってあれ、ユキナの姿が見当たらないけど」
「はいはーい! そこは私の出番でしょ!」
案の定、お留守番組の中で唯一姿が見えないことに気が付いた彼は怪訝そうに首を振る。
そんな時、ここで登場せなばといかんばかりに近藤が横から割り込むとあるものを護熾に渡す。
あるもの、とは当然、彼女からの手紙である。
「何だ? 手紙みたいだけど。封が既に切られてるが」
「それね、茶新ちゃんからの手紙よ」
近藤の簡潔な説明が終わった瞬間、護熾は望みもしない冷や汗を感じた。
何か嫌な予感はしていた。それは商店街についた瞬間に感じた。ということは、と手紙から目を離し、一度近藤の方に顔を向ける。
「それでね、ユキちゃんがあなたに伝言残したのよ」
「…………何て?」
「『二階で拗ねてる』、だってさ」
はい、痛覚刺激コース確定ですね、と護熾の冷や汗は最高潮のものになる。
いやまてまて、まだ手紙の内容すら読んでないのに確定するのは早計ではないか。そうだとも、ユキナだってあれから少し落ち着いたし多少の内容でも怒りはしないであろう。
しかし事実、彼女は二階で拗ねている(らしい)。
ただ躊躇していても始まらないのでまず彼女が拗ねた理由を探るべく、封筒から手紙を取り出すと広げて読む。
(…………あいつ、こんな上品に書けるんだな)
最初、超難関な企業の合否通知でも見るかのような気分であったが、読み始めると奇遇なことにユキナと同じ感想を抱いた。
それから読み進めると健康についてや今後の縁について書かれており、前のお泊まり会は大いに楽しんだことが読み取れた。
(そっか、元気にやってるんだな)
かつて彼女の境遇と自分の境遇が似ていたためか、同情に似た何かを向けていた彼にとって、元気な様子でいることは喜ばしいことである。
そして締めの一言が終わり、そこで『P.S』と書かれた追伸に気が付き、それに目を通す。
文章自体は本当に置きメモ程度の長さでしかなく、サッと読めるものなのだがそのサッとの間で護熾の顔色は一気に青ざめた。
手紙の最後の追伸は、先程の丁寧語ではなく彼女本来の口調でこう書かれていた。
『P.S この前買って貰ったペンダントは今も大切にしてるよ! ずっと私の宝物だよ☆』
ユキナが拗ねた理由は一目瞭然であった。
何故追伸でこんな報告をしてきたのだろうか。
しかし彼女を恨む道理もないし、実際護熾は微塵も恨んでいない。しかも護熾だけに読まれると思って書いたのだろうから仕方はない。恨むとしたら、あの日ペンダントを買ってあげたことをユキナに言わずに内緒にしてしまった自分に責任がある。まあお泊まり初日に手痛いモノを貰ってたから渋ってしまったのは無理もないのだが。
とりあえずそのツケが今回返ってきたのだ。ならば早急にそのツケを支払わなければならないのは明白。
「分かった。みんな、とにかく今日買ったものはテーブルの上に置いておきにいくぞ」
各員は返事と共に台所にあるテーブルへと向かう。
さすがに七面鳥があるとはいえ十七人分の夕飯の量は中々のものであり、テーブルはあっという間にエコバックやビニール袋によって占拠されてしまう。
そんな一仕事を終えた中、千鶴は先程のことが気になったのか、イアルに声を掛ける。
「ねえ黒崎さん、ユキちゃんどうしたの?」
「ん? ああ、さっきのね。どうにもあいつ拗ねてるみたい」
「それは、あの茶新ちゃんの手紙で?」
「大方そうでしょうにね。あー、知らなそうだから言うけどね。あの子ああ見えて割と独占欲が強いのよ」
「あー、うん、まあね」
それは手紙の差出人が来たお泊まり会でその片鱗は見えていた。それを思い出すと苦笑いで応えるしかない。
「でもまあ、仕方がないことなのかもね」
「仕方がないって言うのは?」
「ほら、海洞とあの子ってさ、遠距離恋愛ならぬ異世界恋愛だからね。距離が空けばそりゃ不安にもなるしね。私だって不安になるわよ。それにあの子は普通じゃない過ごし方をしたからそういうのは人一倍強いのかもね。そんなあの子にとって一番警戒されてるのは事実、あなたかティアラちゃんなのよ」
「ええっ!? 私もっ!?」
意外だったのか、思わず叫んでしまい、周りの注意を引きそうになるが口を自主的に押さえて何とか堪える。それを見計らってイアルは続ける。
「そりゃあ海洞に一番近いのはあなただし、いつ不意打ちで来るか分からないティアラちゃんも十分不安要素なんでしょ。そりゃあの子だってあなたやティアラちゃんのことは信頼してるけど、自分の体型がこうだから不安なんだよー、って弱音は吐いてたわ。でも私なんかこういう時でしか来れないからそういうのには除外されてるようだけど……」
ふっふっふっふ、と自嘲気味に笑う彼女に千鶴は冷や汗を掻きながら苦笑いをするしかない。
それはともかく、と笑うのを止めたイアルは、
「でも、あの子は正直なだけ。悪気はないから。気分を害したらごめんね?」
「う、ううん。気にしてないよ。でもそれだけ海洞君のこと、好きっていう証拠なんだし」
「そうよねー、お熱いことで」
そう言い、互いに笑えるのはやはりそれだけお互いや彼らを認めあえている証拠である。
「さて、」
ふいに笑うのを止めたイアルは視線を横にずらし、
「例の彼氏は二階に向かうみたいだけど」
釣られて千鶴も顔をそちらに向けると、まるで戦場に向かうかのようなぎこちない足取りで、しかも手には先程の買い物で買った『ヨモギあんぱん』なるものが入ったパックを持っている。
そんな彼、護熾はそろそろと廊下に出て、二階へ向かうための階段へ向かう。その背中を見送りながら、彼女たちは言う。
「差詰め、あのあんぱんはご機嫌をとるためのものでしょうね。あいつも大変よねー」
「『三十分経ったら絆創膏と傷薬を持ってきてくれ』、って言ってたからね。大丈夫かな」
楽しげにするイアルと不安そうな千鶴に見送られながらも、護熾は知らずして二階へと向かう。
二階の自室がよもやこれほど入りにくいと感じたのは今回が初めてであろう。
護熾は既に自室のドアの取っ手に手を掛け、あとは捻って入ればいいだけなのだがいかんせんその覚悟を決めるのに少々時間が掛かっていた。大凡開けたら何か飛んでくるかもしれないと注意頭に叩き込みつつ、それと手紙の内容についても正直に話す気にはなった。
あとは覚悟だ。そう思い、一呼吸吸って、吐く勢いと同時に部屋の中に入る。
「あー、ユキナ?」
声を掛けながら部屋の中に入るが、幸い物は飛んでこなかった。それから周囲を見渡してみるとすぐに目を引くモノを見つけた。
それはベットの上であり、毛布の中に小柄な人間が丸まって入っていそうな塊が鎮座しており、護熾は一目で彼女だと確信した。この様子だと、本当に彼女は拗ねているようである。
(やっぱりかー)
心のどこかでそうではないと期待はしていたが、いざ裏切られた時の落胆はぐっとくるものだ。
護熾は腹をくくり、ベットの脇まで移動すると片膝を付くようにして目線を合わせる。
気配で彼女も護熾が来ていることは分かっているであろう。それを踏まえた上で、護熾は毛布の中にいる彼女に向かって声を掛ける。
「その、ユキナ」
「…………」
「手紙、見たんだよな?」
「…………」
「そのー、追伸に書かれていたのは事実だ。でもお前が考えているように下心があって買ってあげたわけじゃないんだ」
「…………」
「…………すまん、返事くらいはしてくんねえか?」
あまりの沈黙振りに、護熾はとうとう白旗を揚げるようにベットに突っ伏すようにする。
するとその言葉に反応したのか、護熾の背後にある押し入れの襖が音も立てず、スーッと開けられ、下段に潜んでいた人物が抜け出す。
それに気が付くように何か気配が、と突っ伏すのを止めた護熾は顔を上げると、不意に視界に小さな手が映り、そのまま覆われる。
「誰だ!」
「…………」
覆われると同時に聞き覚えのある元気な少女の声。
護熾は暫しの間、無言で何がどうなっているのか考え、やがて理解するとその問いに対して答える。
「あー、誰だか知らねえけどたぶん身長145センチくらいのチ―――イデデデデデデデッ!!」
完全に言い切る前に、覆っていた手の内、二本の指を眼に食い込ませるようにして強制的に止める。
「テテテッ、何だ、っておわぁっ!?」
食い込み攻撃が終わり、護熾は眼をさすりながら振り向こうとすると背中を押され、ベットに倒される。彼が態勢を立て直して体ごと振り向いて座ると、その両足の間に入るように別の人物がスポッと入り込むように座る。
視力を取り戻した護熾はその人物を見下ろしていると、髪は後頭部で一括りにされているが、見知った彼女が無言で座っていた。
表情はこちらからはよく見えないが、護熾はとりあえず会話の切っ掛けでも作ろうと話しかける。
「……まさか押し入れにずっと居たのか?」
「…………」
しかしユキナは彼の声に対し先程見せたような様子は見せず、いつのまにか手にしていたヨモギあんぱんを一口、大きめに囓る。
護熾はその食べ方が今回は何か見えない不満をぶつけたかのように見えたが、一口目を飲み込んだ彼女がこちらにいきなり振り向いたのでそちらの方に顔を合わせる。
何というか、その、すごく気まずい。
「…………」
「…………あの、その、ユキナ、さん?」
それでも無言な彼女に護熾は脂汗が出ているのを感じながらも尋ねると、ユキナは暫しの間まるで観察するかのように彼の顔をじーっと大きな目で眺めた後、不意に―――――彼の胸に頭を擦らせた。
「ふっふっふっふ」
「??? ユキナ?」
「護熾、私は別に怒ってないよ」
「え、え?」
思わず聞き返してしまうが、ユキナの方も同じように答える。
「だから、私はあの手紙の内容でもなんでも、怒ってないよ」
不意を突かれた護熾は怪訝そうな表情でいたが、ユキナは擦り寄るのを止めて顔を上げるとそんな彼を楽しそうに微笑みながらそう答える。
何だか自分が想像していたのとまったく違うことにますます戸惑う彼だがまず一つずつ整理しようと彼女に一番尋ねたいことを言う。
「じゃ、じゃあなんで拗ねてるなんて言ったんだよ」
「んー、それはどちらかというと口実かな」
「な、何の?」
「こうするため、っていうか護熾と二人っきりになる時間が欲しかったの」
どうも彼女は初めからこうなるように工作していたようである。
しかしどうして、となると、どうやら彼女は今日のこのお泊まり会にて二人っきりになる機会が少ないことに気が付いたからだそうである。
そもそも彼女は母のユリアと一緒に来るだけで今回のような大人数になることは想定していなかったのだ。もちろん、それは嬉しいサプライズだし迷惑だとは微塵も思っていない。しかしいざよく考えてみると今日の就寝はこの部屋も空けなければならないほどの人数であり、甘えられる時間もそうそうにないのだ。前よりかは幾分か人前でも手を繋いだり甘えたりはできるようにはなったが思いっきり甘えるにはまだまだ無理で、その時間もなかったのでこのような計画を留守番中に考えていたのだ。
そこで今回使用したのが想定外ではあったがティアラからの手紙。まさか護熾が彼女にプレゼントをしていたのには驚きではあったが、
「いいもん、私は護熾を貰ってるしね」
「……俺は貰われたことになってんのか。じゃあ別にお前はプレゼントとかはいいのか」
「そ、そういうわけじゃないけど……いや、でも私は護熾でも、いやでも決して欲しいわけじゃあ……」
「はいはい分かったよ。欲しいんだなお前も」
こういうことらしいので拗ねるほどでもないそうである。
ともかく彼女は怒ってもないし、むしろ二人っきりになりたいという可愛い願望があっての行動だったので護熾は大きな溜息を付いて安堵する。
「にしてもティアラからの手紙を使ってまでもするかねー」
「ふっふっふ」
そう言い、彼女は擦り寄り、頭を撫でるよう催促する。
護熾は促されるままに彼女の頭を撫でるようにすると、喉を鳴らす心地の良い声が聞こえる。
「そう言えばその髪型は、近藤か?」
「うん。ミルナとアルティも変えてたでしょ?」
「そういや変わってたような……」
何しろ解決に忙しかったのでよく覚えていないが、確かに変わってた様な気がしなくもない。
「ところでこれ美味しいね。たぶんご機嫌取るために持ってきたと思うけど」
「うっ、…………いや、こっちの身にもなってくれよ。確かに内緒であいつに買ってあげたことを黙ってたのは謝る。ごめん」
「んー? まあ本人は喜んでるみたいだし、護熾が何も上げてないわけないなって思ってたからいいよ」
そう言い、彼女は食べかけのあんぱんを二つに割り、彼に片方差し出すようにする。
「というわけではい、ちょっと早いけどプレゼント」
「これ、俺が持ってきたんだけどな」
「ふっふっふ、自分でも言うのもなんだけど私が好物をあげるのは珍しいことなんだよ」
「変な自覚があるようだけどたかがあんぱんだしな。まあ貰うけど」
そう言って受け取る彼に対して、彼女は可笑しく思いながらも美味しそうに残りを囓る。今日、二人っきりでいる時間は少ないかも知れないが、それでもこの瞬間はくすぐったくてとても心地よい。護熾の方もそう思っているだろう。目が合うと、やれやれと言いながらも照れ隠しで撫でてくれるのは、いつものことだ。だからもっと甘えてみせると、今度は持ってない方の腕で軽く抱き締めてくれる。
こうして二人は短い時間ながらも、睦まじく噛みしめるようにこの時を楽しんだ。
『良かった。ユキちゃん怒ってなかったんだね』
『なーるほどね。しっかし珍しい海洞が見れたのは結構貴重じゃない?』
『二人っきりだとあんな風になるもんなのねー』
護熾の自室のドアがほんの少し空けられ、ドアの前で小声で話す三人。正確に言えば六人おり、三人はドアの隙間から中を覗き込んでいた。因みに小声で話しているのが千鶴、近藤、イアルの三人で、現在覗き込んでいるのがミルナ、アルティ、リルの三人である。
別に彼女らは茶化しに来たわけでも覗きに来たわけでもなく、護熾の伝言と拗ねているであろうユキナを宥めにこうして来たのだがどうやらその必要はなさそうだし、むしろ貴重なものが見れたと思っている。因みにこのことで野次馬気分で来ようとした男子陣は撃退済みである。
そんな彼女らに見守られているとは知らず、彼らは身を寄せ合って短い時間を過ごすのであった。
前にいる人物は果たして『何者』なのだろうか。
アスタは緊張した脳内で、そんなことを考えていた。
今まで会ったことのない相手、今まで見たこともない姿、そして感じたことのない―――気力。
膨大な量、といえばそうだが過去にそれ以上のものなら感じたことがある。
要は感じたことのない気質であるのだ。
アスタがいる場所はワイトから東北およそ五百キロメートル地点にある小さな街で『あった』。
あった、というのはご察しの通り既に街としての機能を失いつつあったからだ。いや、そもそも既にないのか回復の見込みがあるのかなんて考えるよりも先に今、目の前にいる脅威に対して自分は動かなくてはならなかった。
目の前の相手とは、銀色の長髪と灰色のローブを纏っている人物であり、アスタとはおよそ十五メートルほど離れていた。そんな容貌であり、限りなく人間に近い姿であるが、アスタは気力や気質から既に『怪物』だと確信しており、それに限りなく人間に近い怪物と言ったら、と最悪の場合に備えて絶えずすぐ動けるように細心の注意を払っていた。
しかし、相手はアスタの警戒に対してまったく気にせず、むしろ自室にいるかのようなゆっくりとした仕草で、手を差し出すようにすると、
「待っていたぞ、眼の使い手」
深い男の声が、相手から発せられる。まるで耳元で話しかけられたようだった。
その男が次に発した言葉は、次のようだったと記憶している。
「すまないが少々、動かなくなってもらいたい」
そして、誰も知り得なかった開戦の一歩を、アスタは知らずに踏んでいた。
始まりを告げるのは災禍、終わりを告げるのは日常。
ここから全てが一変し、見えない侵攻が始まる。
どうもPMです。最後の展開がちょっと急かな、と思いましたがタイトル通りなのでそのままゴーしました。
さーていよいよこの物語の中枢である大戦まで漕ぎ着けましたよー!
これでようやく半分? それとも三分の一? かは分かりませんが、とにかく執筆活動が疎かになってしまっている点、誠に申し訳ありません。これを書き終えたらとりあえず四千文字くらいは行きたいと思います。
それではまた次回まで、でわでわ~