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ユキナDiary-  作者: PM8:00
142/150

ユキナDiary---第伍話 静変










 冬の冷たく乾いた空気が、七つ橋町を幾度も吹きぬけていく。

 その中で、買い物組が出かけてからおよそ十分後、一人の訪問者が海洞家に赴いていた。見た目は背が高めで若い男であるがこの国では珍しい染めていない金髪をしていた。その男は数度海洞家を見て確認した後、表札の下にあるチャイムボタンに気がつくとそれをひと押し、



 ピンポーン



「あ、ちょっと行ってきまーす」



 そのチャイムに対し、長女の絵里が廊下に出る。

 廊下にあるインターフォンまで行くとそれを取り耳に当て返事をする。



「はい、御用件は何でしょうか?」

『どうも。護熾さんのお宅で合ってますでしょうか?』


 

 受話器越しから聞こえる若い男の声。そして自分の兄の名前がいきなり出たことに絵里は少々戸惑いながらも返事をする。



「そうですけど……今、兄は買い物でいませんが?」

『あ、別に構いません。預かり物を届けに来たまでですから。ティアラ様から、と言えば分かりますでしょうか?』



 ここで絵里は聞き覚えのある名前に反応する。

 ティアラ、というのは確か自分の兄の知り合いでこのまえお泊りに来たのではなかったかと。なのでそちらに向かうことを伝えると戻し、玄関まで向かう。

 玄関を開けると外の寒気を感じ、室温で温まっていた体が思わず震えるが空けた先には声の主が立っていた。


 そこには一目でわかるほどこの国ではない人間が立っており、絵里から見ても端正整った顔立ちである。しかし感じるはずであろう抵抗感や違和感がないのはその人物が楽しそうに裏を含んでいない微笑んだ表情でいたからであろう。

 

(わー、護兄って一体どれくらい交流してるんだろう)


 内心兄の底知れない交友関係に対してそう思っていると、向こうの彼は軽く会釈し、懐に何かを取り出しながら言う。



「お忙しいところすいませんね。こちらがお届け物になります」



 そう言って彼が差し出したのは、一通の白い封筒である。 

 見たところ書類やそういう類ではなく、ただの手紙のようである。

 絵里はそれを恐る恐る受け取ると、表紙を見て裏面も見る。

 するとそこには『ティアラより』と書いており、差し出し人が彼女本人であることを確認する。それら確認を終えたのを見計らって受諾してくれた彼女に対して彼は軽く頷く。


「はい、直接持ってきたので別に判子やサインは要りませんよ。それに配達員でもありませんしね」

「あー、そうなんですか」

「これにて用件は済みました。では、良い聖夜を」


 そう言うと男は軽い敬礼をし、それから踵を返すとものの数十秒でその場を立ち去ってしまった。

 絵里は姿が見えなくなるまで見送っていたが、やがて気配さえも感じ取れなくなると玄関に入りドアを閉め、靴を脱ぐ。それから廊下に足を付けると先程受け取ったものをもう一度確認する。

 

 あの金髪で元気な外国の少女、から送られてきた手紙。

 一体何が書かれているのだろうかと気にしたが、それを知る権利があるのは兄である護熾だけなのでさっさと居間で暖を取るべく歩を進める。








 一方、絵里が訪問者に受け答えに行った直後の居間の炬燵にて、


「ん、んんっ…………?」


 先程まで心地よい眠りに浸っていたユキナが目を覚ました。

 ちなみに自然に起きたわけではなく、何やら頭がもぞもぞすると感じたので醒めたわけである。


「あ、ユキちゃん起きたの?」


 頭上から知っている声、近藤の声が聞こえ、それから意識を徐々に覚醒させる。


「…………」


 それから今自分がおかれている状況を理解するために頭を働かせ、その中でやけに髪が纏められている感触を得ると首を振りむかせて後ろにいる近藤に顔を向ける。


「何してたの?」

「えっとね、せっかくだからユキちゃんの髪型をポニーにしてた」


 自分の後ろ頭を触ってみると、確かに纏められた髪の束が触れる。

 どうやら近藤は暇だったのか、ユキナの長めの髪で髪型を変えていたらしい。もちろん、こういうことは七つ橋高校でもやっていたし、何よりも男は髪型を変えるだけで気を引けるという情報もあったので別に抵抗感などはなかった。


「因みにそっちのみるなちゃんはアルちゃんにツインテールにしてもらったんだよ! 可愛いでしょ!?」


 そういえば自分の隣にいたミルナはというと、長い頭髪を左右の中央で結わえられており、見事にツインテールになっていた。しかもアルティの方もポニーにしており、短めの髪なので小ぶりな尾が後頭部から垂らされていた。


「改めて見るとみんな最初の印象とまた違ったものになってるわね。男どもの反応が楽しみね」

「た、確かに普段はポニーしか変えたことがないのでどんな反応をするか楽しみです!」

「ん~可愛いねーみるなちゃんは~。そりゃ喜ぶに決まってんでしょう!」


 そう言ってミルナに抱きつき攻撃を仕掛ける近藤。どうやら既にこうするほどに仲良くなっているようである。そう思っているとここで重要な要素が抜けていることに気が付き、それを確認するべく周りを見渡してみる。

 この居間にいるのは、近藤、ミルナ、アルティ、一樹、そして一樹の相手をしていたユリアのみである。他の人間の気配はこの家にはない。その事実に気が付いている最中、気がついたユリアから声がかかる。


「どうしたのユキナ? さっきからキョロキョロして」

「んーっとね、護熾はどこ行ったの?」

「護熾さんなら買い物をしに出かけていきましたよ。外出をしたい人達と共に。なので私達はお留守番を任されているわけですよ」


 ユリアからの情報だと、どうやらここにいないメンバーは全員買い出しに向かってしまったらしい。

 そして自分は眠っていたので強制的にお留守番である。おそらく護熾が自分が寒いのが苦手なのを知っていることと、起こすのを躊躇ったことが容易に想像できた。

 そんな彼の気遣いはもちろん、嬉しいのだが我儘を言うならば、



「……私も、行きたかったな」

「だよね。私も寝ちゃっていたから行けなかったんだよ」



 同じく眠っていたために強制的にお留守番係になってしまったミルナも、そのことについては共感できることがあるのであろう。

 大好きな彼と一緒にお買い物がしたかった。

 その機会を改めて逃したと感じると、二人はしょんぼりとし、寂しさオーラを醸し出す。


(か、可愛い……! 寂しそうってのは分かるけどそれは反則でしょ……!)


 一方、近藤は二人のその姿に眼福を覚えており、例えるならば家でただ一匹お留守番している猫が玄関の前で主人が帰ってくるのが今か今かと寂しそうに待っている光景のように見えていた。

 その時、玄関方面から手紙を受け取った絵里が戻ってきたらしくドアの閉まる音がし、廊下を歩いてこちらに向かう足音が聞こえてきた。


「はーい、ただいまー。あ、ユキナ姉ちゃん起きたんだ、って、何かあったの?」


 居間に顔をのぞかせた絵里は入るなり彼女が目覚めたのを知るが、同時に寂しげな雰囲気を醸し出していたので少し心配そうに声を掛ける。


「彼女達は少し傷心に浸っているのですよ。ところで御用件はなんでした?」


 寂しそうにしている彼女達の代わりに、ユリアがそう答えると絵里に先程の用事について訊く。


「あ、はい。お届けモノを届けにきたという話なので行ってみたら金色の髪をした外国の人がいまして―――」


 絵里が説明をしている間、金色の髪をした外国人、という単語にユキナが反応し、顔を向ける。

 別に配達員が珍しい風貌であったから、という情報にももちろん関心が向けられたのだがどうにも聞き捨てならないような、確信にも似たものを感じ取ったのであろう。

 そうしていると絵里が最後に手紙のようなものを渡され、差出人の名を答える。


「ティアラさん、て、この前遊びに来た人から護兄宛に手紙が来たんです」

 

 この名に対し、ユキナは少し驚いたように目を大きくする。

 護熾を彼氏とし、将来を誓い合った仲だとしても、元帥の娘である彼女に対してはやはりちょっとした苦手意識を持ってしまっているのであろう。

 しかしこのタイミングで手紙を寄越してきたということはおそらくこの前のお泊り会での感謝の手紙なのであろうと推測する。


「ティアラちゃん? ってあの茶新ちゃんから!? あー、私読みたい! でも海洞宛ってところがまた憎いわよねー」


 知っている名に近藤は感激の声を上げ、手紙の内容をいち早く確認できないことに苦みを感じる。

 一方、隣のユキナはその手紙に書かれている内容について考察していた。


(まさかお礼に家に招待、ってことはないよね? いや、相手は貴族だしそんなことは簡単だからそうならば全力で阻止、または最悪同伴しておかないと。ただでさえ一緒にいる時間が限られているんだから)

 

 そんな思考を展開させていると、なんだか居ても立っても居られない焦った気分になる。

 その気持ちが限界まで膨れ上がると、思わず絵里に向かって声を掛けていた。


「絵里ちゃん。ちょっとその手紙寄越してくれない?」

「え、で、でもユキナ姉ちゃん、これは護兄宛だからその……」

「いいのいいの、護熾の彼女として年下の女子だろうとチェックをする権限があるのだよ」


 そんな屁理屈を並べ、手を差し出す彼女は微笑んでいるが、どうにも眼が笑っていない。まるで締め切り直前の原稿を受け取る編集長のような鬼気迫る雰囲気を纏っており、絵里はその緊張した空気を断ち切るのを思わず優先してしまい、渡してしまう。

 渡された手紙を受け取ったユキナは礼を言うと読むためにその場に座り、封筒を丁寧に空けると中のものを取り出す。

 事前に言われていた通り、手紙と思わしき一通の紙が折り畳まれて入っており、開いて文章を読み始める。





『拝啓  木枯らしの季節が訪れ、春の待ち遠しい日々となりました。

 ゴオキ様におかれましてはお変わりなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。

 さて、このたびはゴオキ様の友人の方々とのお泊り会、大変楽しませてもらいました。

 一緒に買い物に行ったり、美味しい夕食もいただき、夜は皆で話したりゲームをしたりと今までしたことのない新鮮な体験が―――』





(む、む~。あの小娘っ子のことだからえらくテンションの高い文章だと予想していたのに……)



 手紙に書かれた文章は、元気な彼女から送られたとは思えないほど丁寧な言葉で、しかも万年筆か何か高級なペンで書かれたような筆跡と伴って気品さえも見てとれるようであった。


 内心、丁寧な文章による不意打ちで驚きを隠しきれなかったが、文章の端からこの前のお泊り会を楽しんでいたのが手にとるように分かった。これを書いている間も、護熾に再会できた喜び、初めて見る数々の外の世界や食べ物、年の近い人たちとの会話、何から何まで初体験で忘れ難い大切な思い出を思い出しながら書いていたのであろう。



(……でも、本当に楽しんでいたのね)



 そう思うと、自然と微笑んでいる自分に気がつかない彼女は読み進めていく。





『――ゴオキ様のお心遣いに改めてお礼を申し上げますとともに、今後とも変わらぬご交誼のほどよろしくお願い申し上げます。

 寒さはこれからが本番でございます。どうぞご自愛くださいませ。

 略儀ながらも書中をもちまして御礼申し上げます。

                                                 敬具 』





 手紙はここまでであり、結語を確認すると本文はここまでということを理解し、一度手紙から目を離す。すると隣にいた近藤から声が掛けられる。

 

「ね、ね、何が書いてあった?」


 読み終えた頃合いを見計らっていた近藤が興味津津でそう言う。


「んーっとね。この前のお泊り会楽しかったよ、ありがとう。もっと寒くなってくると思うから体には気を付けてね。これからもよろしくね、じゃあね。―――って感じのことが書いてあった」

「随分とバッサリな要約をありがとう。そっか、茶新ちゃん楽しんでくれたのね」


 前のお泊り会で十分楽しんでくれたことを確認した近藤は溜息をつくような声でそう言う。

 そんな憂える表情でいる彼女を見たユキナはふいに、手紙の一番左端が開き切った状態でないことに気がつく。

 そこを開くとまだ文章が続いており、どうやら追記を書き記した余白であるらしい。

 



 文章の最初は『P.S』と書かれており、ユキナはその短い文章に目を通し――――、

 

 









「―――うおっ!?」


 ユキナが追記を読み終えたであろうその瞬間、肌寒い小さな風が吹き抜けていく空気の中、護熾は背中に水を入れられたかのような素っ頓狂な声を上げていた。

 

「おおっとっ!? どうした海洞?」


 そんな見慣れない反応をしていることに異変を感じた沢木が声を掛ける。

 護熾の方は少し青ざめた顔色でキョロキョロと軽く周りを確認するように首を回し、


「い、いや。なんか得体の知れない悪寒を感じたんだが……」

「そりゃお前、木村辺りの呪いとかじゃねーのか?」

「俺じゃないとは言い切れないが、とりあえず濡れ衣だ!」


 木村の抗議の声が広がる道端では、彼を含む男女十名が商店街の入口に佇んでいた。


 先程まで彼らはこの入口を集合場所とし、各々で買いたいものを買いに行くということになっていた。

 護熾はもちろん食材集めに回るために食品売り場に行き、それについていくのが千鶴と沢木、木村、宮崎、イアル、リル、ギバリであり、ラルモとガシュナはそれぞれ別行動である。

 この二人の目的は詳しくは明かされていないがどうにも家で待つ恋人用の行動らしい、っと簡単な予想はできるがあえて訊く必要もないし答えることもないであろう。


 そんなわけで少ない制限時間と共に、彼らは商店街内へと足を踏み入れた。

 



 商店街に踏み入れ、ラルモとガシュナの二人の姿が見えなくなった頃、食品売り場の前にて改めてイアルが護熾にとあることを尋ねていた。


「勝手についてきてあれだけど、海洞は今晩何を作るつもりなのよ?」

「おお、そうだな。お前らに声を掛けてから考えてきたけど、まあこれから買うもんで想像してくれよな」


 そう言いつつ護熾は買い物かご二つとカートを手に入れ、荷物持ちのうちの一人である沢木に渡す。


「あー、今晩何が食えるんだろーな。……そういえば例のあれは用意してんのか?」

「ああ。焼けばいい状態になってる」

「オーケーオーケー。そんならこの役目も安いもんだな」


 例のあれ、というのはすなわち七面鳥の丸焼きである。

 しかし中学校来の友人である護熾と沢木だけに通じる話し方だったので、今年から友人になった以下六名は疑問符を頭に浮かべていた。

 そのことに気がつかない護熾は他の面子を引き連れつつ、今晩の夕食の食材集めのために行く。

 

 












 時が流れるのは早い。

 そう思うようになったのは一年というのが早く終わるのを感じるようになったせいなのか、はたまた奴が小童から成人になったのを見届けてからなのか良くは分からない。

 しかし今回、改めて時の流れと言うものを痛感した。良い意味でも、悪い意味でも。

 そしてさらに、運命さだめとやらに癪を感じた。これほどまでに、だがそれを覚悟してこの場にいるのだから仕方がないことなのだが、どうやら私もまだまだ人間臭さが残っていたのであろう。

 


 何もないまま、このまま過ごしてほしい。

 この男がそうではないはずだと思う矛盾した日々の中、ずっと師として在りたい。

 そう願っていたのはあの日が訪れるまでだ。

 




 四千七百九十八戦目――――奴に変化見られずこちらに軍配があがった。毎度意気込みを見せ、その腕をいかんなく発揮してくれるのは嬉しいことではある。しかし奴自身、己の弱点に早々に勘づいて欲しいものである。それを成し得た時、奴はまた一つ上へと足を付けることであろう。



 四千八百戦目――――この日はある程度何かを掴んだらしいが変化見られず。何かを掴んだ時、少しだけ眼を大きく開く癖は相変わらずである。



 四千八百十戦目――――自身の使える武具をそれぞれ使ってきているようである。他にも飛光を使った目眩ましで死角に入りこむと同時に斬り込むなど何重にもした行動を即座に行えるなど腕は確かなのだと思える。それにしても敗北を喫しても修業と私情を分け、家族のことを楽しそうに話す奴は時折眼の使い手ではなく一人の父親そのものになる。



 四千八百三十戦目――――あれから半月。使ってくる武具は私と同じ刀だけに絞っているようだ。別に私に合わせているのではなく、奴自身考えた結果、己の特性を最も生かせるものだと気がついたのであろう。最初の頃を懐かしく思った。なので最初の頃と同じように敗北を授与させた。


 

 四千八百五十戦目――――どうやら初心の頃に戻って修業に望んでいるようである。自身の開眼を見つめ直すことは良き事。そういえば気力も少し増大したようで打ち込んでくる撃からそれが伝わった。まあそれが分かるということは奴もまだまだということだ。というわけで今宵も私の勝ちだ。



 四千八百七十五戦目――――初心から何かを得たのであろう。以前にも増した斬速や速力、気力から一段と腕を上げたことが読み取れた。しっかり目覚めている間の修業が実力に現れているのであろう。奴は昔から成長だけは早かった。しかしその成長を後押ししているのは怪物達に対する憎悪や怒りからではなく、近しい人間のためだけであり、他の眼の使い手も同様のようだ。これが時代の流れと言うものなのだろう。しかし……私には焦っているようにしか見えない。初心を見つめて何を思ったのであろうか。酸いも甘いも噛みわけられるようになってはいるようだが



 四千八百八十三戦目――――以前のような焦りは見られなくなった。その影響か、今日の動きはいい加減さがなりを潜めたような、気力のざわつきが治まったような感じだった。今までにないものだ。奴はまだ成長できる。伸び白がある。それが分かることは嬉しいことだ。まだまだ教えることができそうだ。





 この日まで、私はどうも勘違いしていたようだ。

 まだまだ教えることができる、などという思い込みや見栄で誤魔化したかったのであろう。しかし奴のことを理解しているつもりがその本質や意味を見失っていたのは今となっては小恥ずかしいものだ。

 それから一週間が過ぎた頃だ。奴に大きな変化が見られ始めたのは。





 四千八百九十一戦目――――少し、奴の動きに読めない部分が生じた。おかしい。いつもと変わらぬように思えたが、どうも違う。どういうことだ? 結局私が勝ったのだが、理解できないまま終わるのはホゾを噛む気分である。気の所為ならばいいのだが。



 四千九百戦目――――気のせいではない。現に奴から一太刀貰い、面が傷つけられた。あれが斬りではなく突きだったらと思うと、焦燥を否めない。奴自身の癖や技量、成長を把握している中で一撃をもらったということは私にもヤキが回ったのだろうか。



 四千九百十一戦目――――最初に一撃を貰ってから既に三回も面に貰った。どうにも奴は私の動きさえも見切り始めているようである。私自身、奴の全てを把握していたというのは今思うと少々驕りだったようである。しかし傷つけられずにいたあの頃よりは遥かに良いものである。だが少し寂しいと思うのは、師である故の情なのだろうか。



 四千九百三十戦目――――とうとう、勝敗が決まらない日が訪れてしまった。これはいよいよ私も本気で相手をしなければならないかもしれない。面の方も割られる日は遠くはない。これは喜ばしいと共に恐ろしいことだ。まさか『我々』のような存在を打ち負かそうとする者が現れるとは。




 驚きとともに、そうなるであろうという確信さえあった。

 この乱世の中、とうとう変化が訪れる時が満ちたのだ。

 古代から生き物たちがそうであったように、眼の使い手にもその刻が迫っている。

 成長、などという生易しいものではない。これは進化だ。これが『理』の導きだした最後の『道標』。


 



 それがあの男アスタであり、一人の父親であり、私の愛弟子だ。





 四千九百四十五戦目――――突然奴の動きが読めなくなった理由。どうも私自身の気力に何かしら影響が出ているらしい。原因は不明。と、いうより奴が原因そのものであろう。私の存在すら干渉できるとは…………そろそろ、隠し通すのが難しくなってきた。覚悟をしなければならないだろう。



 四千九百六十七戦目――――随分、この面も切傷だらけになった。今にも割れそうである。奴に課した最後の修業目標もじき終わるであろう。予想だにしなかった。これを達成できる者が現れようとは。ということは、だ。奴のような眼の使い手はおそらく歴史上初めてであろう。そしてそれを連中が見逃すはずがない。それが意味するものは――――










 そしてとうとう四千九百七十八戦目を迎え――――








『よくぞ、ここまで腕を上げたな』


 この言葉と共に大きな喪失感と、喜びがあったのは今でも覚えている。





















 変化が訪れるほんの少し前の日である。

 今の時期は夏を過ぎ、木の葉が鈍色に染まる秋へと近付き、心地いい温度の風が街中を通り過ぎるようになっていた。

 時は既に八時を回っており、人々が各々の持ち場へと混雑する時間帯で合った。そんな中、とある一軒家では父親の見送りをしていた。

 父親というのはアスタで見送りをしているのは妻であるユリアと娘のユキナである。


「じゃ、今日も行ってくる」

「気を付けてね、あなた」

「お父さん行ってらっしゃーい!」

「あーもうユキナは可愛いなー!」

「う~」


 妻からの言葉と愛娘の可愛さでアスタはデレデレとした表情でユキナの頭を撫でる。

 いつも通りの見送り、いつも通りの触れ合い。変わらない日常の中での、今日への活力をくれる家族と言う存在は欠かせないものだ。

 そんな中、確かに変わった筈の彼は、いつもと変わらない様子でいた。


「さて、名残惜しいし後ろ髪を引かれる気分だが行ってくる!」


 そう言い、ユキナの頭から手を退けると時間を浪費しないために振り向くことなく彼は中央へと向かう。玄関先で残された二人は父親の背中が見えなくなるまで見送り、姿が見えなくなったところで、


「それではユキナ、中へ戻りましょう。最近は冷えてきましたから今日は中で遊びましょう」

「はーい」


 父親の帰りを待つ身として、無事帰ってくれることを願い、今日も日を過ごしていく。







「じゃ、行ってくる」

「気を付けて。何があっても冷静に対処するんだぞシバっち」

「肝に銘じてるよ。だからそっちも無茶なことをしないようにな」


 一方、シバとリーディアの夫婦も見送りをしており、居間にて言葉を交わす。

 リーディアのお腹もあれから半年も経っていることもあって大きくなっており、もうすぐ会えるのを今か今かと待つ時期になっていた。それに伴ってデリケートな状態になるので細心の注意を払わなければならない。


「分かってる。私にはこの子を護らなくてはいけない義務があるからな」

「ああ、俺もだ。それじゃ、元気にしてろよ」

「うん。それと午後になったら師匠せんせいのところへ行くかもしれん」

「ああ、うん。まあそれくらいなら……」

「場合によってはお前達の監督を―――」

「そういうところでハッスルしなくていいから! そういう意味で元気にしててほしいって言ったわけじゃないからな!?」


 冗談なのに、とムクれてみせるリーディアであるが言葉の端では本気だったのが窺えるところ、彼女も生粋な眼の使い手であることが分かる。

 こうして簡単な会話をし、とりあえず宥めたシバは、妻であるリーディアを残し、中央へと向かう。

 互いに果たさなければいけない義務を背負い、共に過ごせる時間のために今日も動くのだ。





 中央の研究所では、早朝から集まった三人がテスト専用ルームでとある試運転を開始していた。

 この部屋は文字通り試運転をするための場所であり、部屋の中央に置かれた機材に対してぐるりと囲むように設置された設備がある。今回は小さな機材を用いたテストでまだ人が集まっていない状態でやりたかったということもあり、前日から予定していたことであった。


「さーて、いよいよね……」

「ああ、これがうまくいけば……」

「緊張の瞬間っすね……」


 集まった三人、ミョルニルにトーマ、ストラスは固唾を飲んでこの試運転に臨んでいた。

 部屋の端にて四角い形状をした装置が鎮座しており、データを取るための配線があっちこっち取り付けられていた。

 それともうひとつ、その四角い装置から離れたところにスクリーンがあり、そのスクリーンの前に配線がくくりつけられた透明な膜にぬいぐるみやらペン、はたまた飴の缶などが包まれており、こちらも今回の試運転に関係があるようである。


「さて、じゃあ行くわよ」


 ミョルニルはそう言い、設備の起動スイッチを押すと電源が入り、ローターが回るような音と共に運転が開始される。

 するとそれに伴って台の上に乗せられていたものが忽然となかったかのように姿を消す。

 それらを確認してから中央に置かれた装置の起動を行うと、数秒後に四角形を構成している線から蒼い光が漏れたかと思うと消え、それと同時に配線をつないであるディスプレイから様々な情報が抽出され、表示される。

 波は最初こそ荒かったが次第に落ち着き、どの波も一定の状態で保たれるようになる。


「あ、見て見て!」


 ミョルニルが声を上げて指をさした先を見ると、いつのまにか台の上に乗せられていたものが消える前の姿で鎮座していた。

 そしてそれらがおよそ十分ほど続き、これ以上何の変化も見られないことを確認すると運転を停止させる。

 

「……実験はとりあえず成功、ってとこか」


 とりあえず緊張がほぐれたトーマは軽く溜息を付く。


「いや~……とうとうここまでこれましたね!」


 何しろここまで長かったのだ。まだ完成とは言わないが予想通りの結果が出たのだ。

 これまでの課題、それは怪物たちのステルス化の無力化に対してこの結果を見るに、どうやら装置は安定した運転を見せてくれたことになる。

 今回使用した透明な膜には怪物たちと同じステルスのデータを入れており、乱数による強弱の迷彩性を入れていたのだがそれに対して装置の方は乱数に対しても安定した無力化を行えたのだ。


「また一歩前進、ううん、これは大きな一歩よトーマくんストラスくん!」 


 このことについて一番喜ぶのは、当然提案者であり製作者であるミョルニル自身であろう。

 そんな試運転の満足な結果に一同喜びの空気に包まれる中、こちらに向かって少し慌ただしい足取りで向かってくる二名ほどの足音。

 その足音が部屋の前まで来ると勢いよくドアが開けられ、


「おい! 何か今すげえの感じたけど何かしたのかっ!?」

「大丈夫か! つられて来たけど!」


 先程の実験にて感覚が刺激されたのか、軍服姿のアスタとシバが今にも入りそうなほど顔を覗かせており、何か問題が発生したのではと心配そうにしていた。

 そんな二人の誤解を解くべく、トーマはとりあえず中に入れ、先程の試運転の経緯を簡単に述べる。

 それを聞いた後、二人が喜んで見せるのは言うまでもないことだ。

 ここにきて、いよいよ眼の使い手以外に怪物たちに対する有効手段が完成しようとしている。

 ここでもようやく変化が訪れ始めたのだ。人類が怪物たちに怯える色も、これで少し薄まるかもしれない。そんな希望が持てるモノが、今日という日に確かに存在していた。














 人の世に知られていない『ことわり』と呼ばれるモノが鎮座する空間。

 その奥まった場所にある円形に柱を配した空間にて、とある人物が水晶でできた椅子に鎮座していた。

 その人物の容貌は頭に長髪のような漆黒の龍尾を生やし、篭手を填め、凱甲と衣を纏い、顔は口から上が仮面で覆われている、そんな姿をしていた。そんな威圧的な風貌に関わらず、どこか幼ささえ見てとれる雰囲気があるのは、仮面の下から僅かに見える顔のせいであろう。

 その人物、その者の前には『虚名持ラバンダス』と呼ばれる強大な怪物たちが居並び、その後ろには『名前持ネムラス』、『知識持ナレジ』が並び、共に言葉を待っていた。そしてその者の口が少し開かれ、声を零す。


「お前達は既に承知していると思うが、近頃人間達、及び眼の使い手に変化が見られ始めている」


 怪物たちは声を立てず、その者の言葉のみに耳を傾ける。


「特に眼の使い手、そろそろ我らが望んでいるものが現れているかもしれない。あるいは危惧と言うべきか。単刀直入に言えばつまりは―――我々の待ち望んだ刻限が満ち始めているということだ」


 その言葉に対し、反応を示したかのように怪物たちは顔を上げたり眼を見開いたりしている。

 その者が何を言いたいかを理解したのであろう。

 その意味を誰かが口にする前に、一つの手が上がる。



「主よ、一つ良いか?」



 深い男の声でのその者への言葉に他の怪物たち、及び虚名持さえも表情で当惑を見せるが、



「何だ? 申してみよ」



 その者が発言の許可を告げたので他の怪物たちが内心胸を撫でおろす中、先程の静かな騒ぎを起こした張本人に眼を向ける。

 一目見れば、長い銀髪を持つ若い男、と言っても差支えないほど人間のような姿をしており、顔立ちは端正であるが冷たい印象を受け、灰色のマントでその身を包んでいた。

 その人物は他の怪物たちに眼を向けられる中、臆せずに自分の意見を伝える。


「確かに当代の眼の使い手達は今までに比べて強大な力を持つようになってはいる。しかしそれだけで果たして我々が攻めるべきなのか。無駄な浪費は避けるべきなのではないだろうか」


 要するにその者の考えが安易ではないかという指摘であったがすぐに切り返される。


「無駄ではない。むしろこれは徴候だ。例え、攻め入って望んだものが手に入らなくとも、次は出さざる負えなくなる。だからそのための間引きを行うと言っているのだ」

「…………」


 その者の言っている意図を理解したのか、男は黙りこむようにする。

 その様子をその者は眺めていたが、男は噤んだ口を開けると声を出す。


「では、私に先陣を切らせていただきたい」

「……何故か?」


 この提案に対して珍しく、その者が意外そうな声色で尋ね返す。

 先程からその者に対して発言をするこの人物の事を知っているその者だからこそ、聞き返さざる負えなかったのだ。


「主が戦いを望むならば、その流れを作るのは我々の使命。そしてその礎の命を是非私に課していただきたいのだ。それに提案がある。これは我らの大戦力である虚名持ラバンダスの手を下さない、そして私が一番適任であると自負している」

「申してみよ、シュニ―」

「御望みが儘に、我が主よ―――」

 

 シュニ―、と呼ばれた怪物は自身の提案をその者へと伝える。

 その提案を聞き入れ、その者は他の者に異議があるかどうか尋ねるが誰一人として、虚名持ですら異議を申さずに黙然と承諾したようである。

 こうして世界を巻き込む儀が執り行われ、着実に人々の日常を壊そうとし始める。











 凍りついていたかのような時間が砕け、動き出す。

 

 世界が悲鳴を軋み上げるその日まで、刻まれている。

 

 ただ世界は壊れず、続いていく。

 今から壊れるものを、その胸に抱きながら。













 どうもPM8:00です。

 今回のお話はようやく変化を付けれたかな、といった感じです。

 でも予定していたところまで書けていないのでああ、どうなることやらと内心冷や汗を掻きながら今回更新が遅れたことをお詫びします。

 さーて次回は四千九百七十八戦目についてから始めていきたいと思っています。さーて少しでも遅れないように(←早く更新する自信がない 笑)次の話に移っていきたいと思います。

 それではまた次回まで! ではでは~

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