ユキナDiary--その前シリーズ ~白昼の二十五時~
先に更新が遅れたことをお詫びいたします。
どうもすいません! 九月中に出せないとは本当に申し訳ありませんでした。何故かここのところ書く気が失せていたというか、色々と弄んでいました。
えー、ここでだらだら言っても仕方がないので続きは後書きで。
ではどうぞ~
夢を見て、夢を見て
目覚めるたびに、隣にいた人は変わっていた。
夢を見て、夢を見て
目覚めるたびに、あなたがいた。
夢を見て、夢を見て
目覚めるたびに、あなたがいない。
夢を見て、夢を見て――――――
あなたはずっと、私の隣にいてくれた。
少し寒気が迫ったのか、身体を振る振ると小刻みに揺らす。
それから何度も鼻をヒクヒクさせると息を軽く吸い込んで、
「へっくちゅっ……! ムニャ、う~……」
午前11時。
ベットでお昼寝をしていたユキナはくしゃみをし、うっすらと眼を開ける。
それからごしごしと軽く眼を擦ってから、目の前の人物を見る。
それは自分の恋人であり、世界を救った少年であり、そして将来のお婿さんでもある。
そんな彼が今、無防備に、彼女にしか見せない姿で眠っている。
ユキナはその姿を見ると柔らかく微笑み、顔を肩に埋めてみる。
そしてちゃんと護熾にしがみつくようにしてから薄目で彼の顔を覗き込む。
「護熾、護熾」
付き合い始めてから最初の頃、こんな風にそばにいて、目が覚めたら彼がこの世にいないという夢を、何度も見てきた。そう、彼が帰ってきたあの日の夢のように。
同じ例として、アルティもそんな夢を毎晩見ていた時期があったと話してくれたが、自分は未だにその不安をぬぐい去ることができない。
彼女との違いを述べるのならば、実際にユキナはこの目で最悪の展開を見てきたことだ。
一回目は、彼が胸を撃ち抜かれ血まみれで息絶え絶えに、それでも友人や自分の将来を願ってくれた。
二回目は、彼が消えていく最中、やはり彼は自分が幸せに生きて欲しいと願いながら、死んでいった。
それを間近で見ていたのだ。彼女は。
だからこそ、この不安は神髄の奥深くまで刻みつけられているのだ。
彼を失うのが、怖いと。
しかし今は手の届かなかったところにいた彼は届く距離にいる。だから彼女は彼に一つだけ約束して欲しいことがある。
でも――――
「ん、愛してる」
それはもう少し後で言おうと、ユキナは軽く護熾の頬に口づけをすると覗き込むのを止め、彼にぴったりと身体を寄せるとそのままもう一度体温を目一杯感じるために再び眠りに就いた。
薄ぼんやりとした藍色の光が両目の瞼越しに差し込んでくる。
ずっと真っ黒だった世界に新たな変化の兆しが入り込んできたところで、口からはやや抵抗感のあるくぐもった声を漏らす。
それから少しずつ受け入れ、両目をゆっくりと開けていくと黒一色から様々な色の世界が移り混み始める。そして横にしていた身体を静かに持ち上げ、
「…………あれ、此処か」
寝たはずなのに自分が本来居るべき世界に戻ってなかったことに対し、少し驚いたような感情を含めた朝の第一声を零しながら、護熾は起きた。
時間にして五時半くらいであろう、陽がまだ登り始めかけたくらいであった。
そしてその出始めの穏やかな光が、結界内の架空の町にゆっくりと降り注ぐ。
護熾はそんな町並みを眺めながらもゆっくりと首を動かすと、彼女を見付けた。
彼女は一晩中起きてたらしく、屋上のフェンスに寄り掛かりながらノートとペンを手に持って座っていた。そして彼女の周辺には、立体映像のようなものがいくつか取り囲むかのように存在しており、何かしらを映し出しているのが見えた。
「…………よぉ、おはよ」
「ん? あ、起きたの?」
「……何してんだ?」
こっちの世界で眠っている間は本来いる世界に戻れるという予想を裏切られた直後なのに、護熾は彼女が何をしているのかとこの立体映像のことが気になり、優先的にそのことを訊ねた。
ユキナはジロッと護熾を数秒見た後、映像に再び目を戻し、そのまま話す。
「ただの授業よ。この時間帯じゃあんまり怪物は出てこないからこうして暇を潰してるの」
どうやらユキナは異世界で授業が受けられない代わりにこうして手持ちにある通信機器で授業を受けているようである。さしずめ通信教育っと言った方が分かり易いであろう。
そういえば、ユキナって宿題をすいすいやってたな。この習慣のおかげか。
そんな立体映像を用いた近未来的な授業を受けている様子を見て、そんなことを思った護熾は珍しそうな顔をしていると、突如映像が途切れ、ユキナはノートを閉じるとスクッと立ち上がる。
「もう授業はお終い。ほら、ボヤボヤしないで見回りに行くよ」
「お、おお、ってちょっと待ってくれよ」
朝日が差し込む一日の始まりの中、ユキナが待たずに宙を蹴って置いていってしまったことに対して、護熾はまだぼんやりとした身体を動かして追いかけていった。
基本、異世界から派遣されてきた兵やガーディアンというのは自分が守護する地域の中央あたりに待機するのがセオリーである。理由はと言うと無闇に動いて、もし端末のセンサーが捉えた標的が遠かった場合の最悪の展開を少しでも減らすためである。
しかしそれはあくまでセオリーであり、訓練した普通の人間である場合である。
ではイレギュラーな行動パターンをとっている人物はと言うと後ろに護熾を従えてスタスタと道路の歩道を歩いていた。時間は既に十時頃。今日の天候は晴れと曇りが五分五分の天気。日差しが和らいでやや快適である。
「なあ、どうして結界から出てわざわざ見回りするんだ? どっか一点に身を置いて待ち伏せておけばいいんじゃねえのか?」
過去に自宅を拠点として町の守護をしたことのある護熾は今のユキナの見回りについて疑問を投げかけてみる。彼もまた待ち伏せてセンサーの反応が合ってから動けばいいと考えたのであろう。
一方、そんな質問をされたユキナは立ち止まることもなく、顔を向けることもなくただスタスタ歩いて、
「確かにその方が"普通"の人には効率がいいわね。でも眼の使い手なら怪物の出現は直後に分かるの。それに結界から出てた方が人間が攫われたときの微弱な気の消失でさらなる位置特定ができるしね。まあ、眼の使い手でないあなたには理解できないことだろうけど」
道なりに進み、横断歩道を渡りながらユキナはそう説明してくれた。
護熾はその説明を受け開眼者だった経験として実は理解できるが、はいと言えない現状にどこか苦みを感じていた。
ユキナの説明は、ようは眼の使い手に内蔵されたセンサーの方が結界のセンサーより敏感である、と言ったところであろう。ではなおさら担当エリアの中央で待機すれば良いのでは? と疑問を持つのが普通だが、彼女の開眼の能力は『浄化』と『神速』が備わっているのでそれが動き回るリスクをカバーしてくれるし、彼女が歩き回っているのにはちゃんと理由があるのだ。
「それにこうして歩き回れば『気力の高い』人間である私に怪物達が食いつきやすくなるしね」
「……! なるほど」
怪物達は自分たちの仲間やより強力な怪物を生み出すために捕獲対象は高気力の人間の傾向がある。
なので彼らは自分たちが持っている低能ながらも気力を感じ取ることができる器官を持ってして標的を探り当てているのだ。そしてユキナは眼の使い手、気力の高さは人間の中でも最上級に入る。
なのでいくら低能なセンサーを持つ彼らでも静まりかえった湖に小石を投げられるが如く彼女の存在を強く認識し、近寄ってくるのだ。ただ、近寄って来る過程で他の人間を捕獲するのは多々あることだが。
「でも今回はあなたもその部類に入るから気を抜かないでよ」
「あ、ああそうだな。……ってことはさしずめ俺も釣りの餌みてえなもんか」
「そのようね。普通ならあなたみたいな人はワイトで大人しくしていればいいのにね」
そう言うと、彼女は口を閉じてとっとと歩いていく。護熾もそんな彼女に従順についていく。
周りから見ればまさに小さな彼女が背後に眉間にシワを寄せた表情の少年を従えているという構図で色んな想像を描き経たせてくれるわけだが、当の本人達はお構いなく進んでいく。
そして何も起こらずに進んでいた二人は、昨日行ったいつもの商店街の前に着いた。
今日も昼前補正の影響なのか雑踏が辺りに鳴り響いており、一種の威圧感が二人の前で覆われている。
「商店街か……」
人々が行き交う見慣れたこの場所を眺めながら、護熾は何だか妙な既視感を覚える。
確か、自分はこの場所で、二年後のこの少女に出会い、助けてもらったのだ。
でもその時の彼女は、確か―――
「慎重にカイドウ。連中は主に人が多いところに眼を付けたりするの」
護熾が何かしらの違和感を考えるのを遮るように、ユキナが言う。
「異空間から待ち伏せをしておけば、いざ獲物が見つかったときに裏通りの空間に引き摺り込むのが簡単だから連中は人が多くて限定された空間を好むの」
「なるほどな。っていうのもあれか? お前の担当区域で此処が一番人が密集しやすいと?」
護熾の質問に対し、ユキナはコクンと頷く。
「だから此処は何度も何度も見回りをしなきゃいけないの。いくら私でもこう人が多いと気の流れが乱れて捉えづらくなるから、特に用心が必要なの」
「……ってことは、こういう場面では、探知機の方が使えるってことでいいのか?」
「…………そういうこと」
前にも言ったが、眼の使い手は微弱な気ですら拾い上げる優秀な索敵能力が備わっている。
しかし敏感すぎるセンサーも、外側ならば捉えられる気もその微弱な気の渦に入り込めば、自ずと鈍ってしまうのだ。だから彼女は自らここに出向くことで怪物の僅かな気の揺らぎを探知したり、すぐさま討伐に迎えるようにしているのだ。
「ははーん。さすがの眼の使い手でもこう言った弱点があったりすんのか」
「な、何よっ」
自分が眼の使い手の頃、当時自分が怪物達を引き寄せるバキューム的な存在だったため(そして同じ家にユキナも居合わせていたおかげで)商店街などという地形に討伐に向かったことのない護熾は改めて眼の使い手がどういうものだったのかを再認識していた。
一方ユキナの方は何か自身の尊厳のような何かを触れられたような感覚を覚えており、いつもの冷静顔を少し困惑させたかのような表情で顎に手を添えて考えている護熾を睨んでいた。
「…………ん? 何だお前。さっきからこっちを睨んだりして」
「…………」
ユキナは無言で軽く護熾の脛を蹴るとその場でくるっとターンし、そのまま商店街の方に向かう。
「……っておーい! 何だお前急に!? 若干痛かったぞ!?」
「早くしなさいよ!」
「そして何で怒ってんだよ!?」
「怒ってないわよ!!」
「顔とさっきの行動が嘘付いてんぞ!?」
何故彼女が怒ったのか、護熾には理解できない。
「怒っていないったら怒ってないの!! それとも何!? 怪物が出やすいこの場所に怖じ気づいたのかしら? 普通のガーディアンであるあなたが来るのには難が過ぎたかもね?」
「いや別に怖じ気づいたわけじゃねえけど」
そう言って護熾が歩き出す。そして彼がある程度ユキナに近づくと、彼女はやってきた護熾に対して若干の戸惑いを覚えながらも、
「ふんっ」
そう鼻を鳴らしてそっぽを向き、雑踏に向かって突き進み始めたので、未だに彼女の不機嫌の理由を理解できず首を傾げながらも護熾はそのあとに付いていった。
雑踏の中を歩き回ること約一時間半、怪物の出現は感じられなかった。
それとは裏腹に、商店街内の人々の雑踏は絶えることもなく、足の音や喋り声などが入り交じった音が辺りに響き渡っていた。今日は休みなのではと、護熾がそんなことを思ったのは商店街の店の中だったりする。
今は十一時半頃。朝食を早く摂ったということもあってか妙に腹が空くのが早いとぼやいた護熾にユキナが反応し、じゃあ早めにお昼を食べておこうということで商品を買い込んでいるところであった。
そして今、ユキナは甘いコーヒーパックを買おうかそれともただのミルクにしておこうか迷っているところである。
(何つーか、こっちの世界じゃ料理できねえから調理の勘が鈍りそうだ)
ユキナはこんな生活を五年も続けてきた、というのであれば料理が下手なのは無理がない。
しかし、普通の生活をしていたとしても、何となくだがやはり彼女は全く料理ができなさそうなイメージがあるのだが。
「何ぼーっとしてるの? 早くしなさいよ」
何か悩んでいる様子を察したユキナが声を掛けてきたので、護熾はそちらに意識を向ける。
「ん? あ、いや、そうだな。俺はそのサンドイッチパックでも喰おうかね」
「ん」
ユキナは護熾がごく適当に指さした期間限定らしいサンドイッチのパックを手に取り、それを護熾が手にしている買い物かご(つまり、護熾は荷物持ち)、既に自分用に買った昼食類の中に入れる。その昼食の量は年頃の女の子が食べるにしては多く、およそ誰もが胃の中に収まるのかどうか疑問に思ってしまうがご生憎彼女は普通とは違う。いざ開眼状態ともなれば、普通にしているだけでエネルギー消費は早く、なにしろ一日中歩き回ったり走ったりするのだ。
それを考慮し、自分が持っているかごの中を覗き込んでいた護熾はポツリと言った。
「…………何でこんなに喰うのに、どこも成長しねえんだろ……」
「ん? 何かすごく気になること言った?」
「いや、何でもねえ」
まともに耳に入られると両脛がオダブツになりかねないので護熾は適当に躱し、ユキナの方は何か不満げな表情でひょいひょいと欲しいものを買い物かごに入れて重量を増やし、もうこれで十分と言うことで二人してレジへと向かった。
「なあ、」
「ん? 何?」
二人は昼食を食べるために、結界を使って見知らぬビルの屋上にいた。
何故此処に来たかと言えば、食事をしつつ索敵のために高い場所を確保するためでもある。
そんな中、護熾が手を止めて訊ねてきたのでユキナはホットドックを食べようとした口を閉じ、少し鬱陶しそうに言葉を返す。
「こうして他の奴と食事をするってのは、何日ぶりだったりする?」
「……そんなくだらないこと聞いてどうすんのよ」
「あ、ああ悪い」
どうやら彼女は今食事に夢中のようである。
なのでこれ以上何か訊ねると大凡十割の確率で不機嫌にさせる可能性があるので、護熾はこれ以上の詮索は止め、再び食事の手を動かし始める。
因みに護熾が選んだ期間限定らしいサンドイッチはパンの両面に辛いマスタードとマヨネーズを塗り込んでいて、しかもわさびソースが使われていたりする。
なので普段から食事を自分で作ってしまうことが加工済み商品選びの仇になったのか、
「っっっっ………………ぐはっ」
思った以上の辛さで口の中でむせる。
そして無言でお茶のペットボトルのフタを開けるとグイッと辛さを流すように飲む。
五秒間のゴクゴクタイムを経て、ぷはぁと苦しさから解放された護熾はふと、何かしらの視線を感じ取ったのでそちらに顔を向けてみると、
「…………」
既に食事を全て平らげてしまったユキナが、まだ物足りないのか、それとも護熾の食べている激辛サンドイッチに興味があるのか、ただジーッと大きな瞳でこっちを見ていた。
なので、護熾は一つサンドイッチを持つと、それをユキナの前に差し出し、
「…………喰うか?」
「あ、え!? べ、別にそのサンドイッチがどんなものなのか、きょ、興味ないんだから!」
「とか言いつつもう貰ってんじゃねえか」
否定の言葉を発している間に彼女の手はソロソロと動き、護熾が差し出してきたサンドイッチを受け取り、ジッと珍しそうに見つめる。
そして数秒後に、小さく、それこそ遠慮がちに一口パクッと囓る程度に食べてみる。
「……どうだ?」
「…………」
彼が感想を聞いても、ユキナは返事をしなかった。
護熾は初め、ユキナが加工者の悪意としか感じられない地獄の両挟み、つまりその辛さにやられたのかと思ったが、意外なことに水も飲まずに彼女は再び食べ始めた。
「お、おい平気なのか?」
「んぐっ、別に、辛いけど、うむ、おいし、」
どうやら、この程度の辛さでは彼女には有効ではなさそうである。しかもどうやら美味しいと感じているらしく、年頃の少女らしい顔のほころびが見られた。
そんな様子を見て、ああ、そう言えば、と護熾は思った。
彼が知る現在のユキナは、目の前にいる彼女と変わらずよく食べよく飲む。そして何でも食べる。
ようは好き嫌いが無く、美味しいモノは美味しい、不味いモノは不味いと素直なのだ。
(こういうところは、昔から同じなのか)
五年間の任務の中、彼女が唯一心安らぐ時間。それが食事なのだろう。
それに今は、少し身勝手な考えだが、誰かと一緒に食事を摂ることで微量ながらも安心しているようにも思えた。そしてやっと気がついた、というかむしろその機会がなかったというか、初めて彼女をじっくりと見ることができた。
小柄な身体で、可愛らしさと幼さが大分残っている小顔で眼は大きく、艶やかな黒髪は日光を浴びてより艶を帯びてそこらでは見かけない美しさを纏っていた。
だからこそ思う。素直に、美しいと、可愛いと。
「…………九日」
すると急に、食べ終えたユキナが呟いた。
「ん、え?」
「九日。九日前までは他のガーディアンがいたの。私が英雄の娘だからビクビクして話あんましてないけど」
そう言って彼女は立ち上がり、彼に顔を合わせない代わりに屋上から見える景色を眺めるようにする。
「くれた分の代金よ」
「……? ……ああ、そういうことか」
どうやらサンドイッチをくれたから彼の質問に答えた、ということらしい。
別段答えに期待していたわけではなかったので不意打ちを受けたような、そんな奇妙な気持ちに、護熾は自然と微笑んだ。
それに気がついたユキナは顔を向け、怪訝そうな表情で訊ねる。
「? どうして笑ったの?」
「ん? ああ、その答えとサンドイッチ一個って割に合うかねーって考えてさ」
「じゃ、何? 何かまだ訊きたいことあるの?」
「いや、お前の腹がそれで済むんならいいよ」
そう言って護熾は昼食の包みをせっせとビニール袋に詰め始める。
その様子を見ながら、ユキナは少しの間黙っていたが、やがて、
「カイドウって、変だね」
「ん? そうか?」
「うん、変」
「……そうか」
「変」
「…………」
何か別の意味で変だと言われたような気がしたが、敢えて気にしないことにする。
そんな時だった。
静かなる無音の町に、世界の違和感となる二つの反応。
その突然の出現に、ユキナは表情を一瞬で険しくしてその方向に顔を向け、朧気ながらも感じ取った護熾もバッと顔を向けて彼女と同じ方向に眼を見張る。
今、二人が感じ取っている気の量からして普通の怪物達であろう。
そして方向は、ほぼ逆方向に位置している。
「二体、だよな?」
「ええ。…………此処は二手に分かれて行きましょ」
「あ、ちょっ!?」
「何? ガーディアンなら一人でやってみなさいよ」
そう言うとユキナは屋上のフェンスにその場から飛び乗り、勢いよく蹴って怪物が居ると思われる方向にあっという間に跳んでいってしまった。
ものの数秒でその場に置き去りにされた護熾は慌ててフェンスに駆け寄って見下ろしてみると、彼女は人のいない家や建物を屋根伝いに進んで索敵しながら消えていってしまった。
此処で護熾は、一瞬どうしていいか分からないという絶望感に襲われた。
今の自分は、ただの気力の高い人間。
開眼ももう使えなければ、死纏も使えず、武器のまともな使い方も分からない。
「…………どうしろっ、つうんだよ」
もちろん、ユキナは彼がガーディアンだから任せたのであろう。
なので自分はガーディアンではありません、と言っても言い訳どころか信用すらなくすであろう。
そして何より、今は人の命が懸かっている。一刻を争う事態なのだ。
(くそったれ…………!)
そう思うと自然と身体がもう片方の怪物の方向へ向き、そちらに向かって走り出す。
このまま行くのは、実に危険な行為である。気力の高い無力な自分が、わざわざ怪物の下へ向かうのだから。
今にして思えば、戦闘に特化したガーディアンや眼の使い手の強さが羨ましいと思える。
それでも、今このまま黙って待機しているのは、よくないと思える。
ならばせめて時間稼ぎくらいは、そう思い、宙を蹴る足で飛び出すと、できる限り早く現場へと急行していった。
途中で即席武器として鉄パイプを拾ったのだが、正直心許なかった。
しかし何もないよりはと思い、護熾は暗い裏通りの方を歩いていた。
こんな怪しくて気味の悪い場所を歩いている理由はもちろん、この辺で怪物の気配を感じ取ったからである。そして護熾は恐る恐る曲がり角の方へ忍び足で進み、顔を少しだけ覗き込ませると、少しだけ眼を大きく見開く。
護熾が覗き込んだ先には、案の定、狼のような怪物がたった今引きずり込んで気絶させたのか、すぐそばに若い女がぐったりと倒れており、うつ伏せなので顔はよく見えなかった。
しかも怪物の方は、気力の高い人間(護熾)を探知したのか、しきりに辺りを見渡して探索を開始している。しかしせっかく攫った人間の側から離れるのが嫌なのか、約半径二メートル以内から抜け出そうとしない。
(いやがった……どうする……? 鉄パイプ無理矢理振り回しながら行けば追い払えるかもしんねえが、……ああ、ほんと役に立たねえな俺ってよ)
能力無しで戦場に立つのは、あの日以来だ。
あの日は、ただ彼女を護りたくて、ただずっと傷つくのを見たくなくて、ただ、彼女を助けたいと思って、そんな無茶ぶりや、偶然が重なって、あの日から自分の人生が一転したのだ。
しかし今は、っと護熾は此処で考えるのを止めた。
(やるしかねえ…………今やつは、俺の気力の所為で探索状態になってる。でもこのまま引き留められるかどうか分かんねえし、第一このままだと見つかる。ユキナを待っている時間もねえ……)
だったら、と護熾は近くの小石を静かに拾い上げると、それを怪物のいる道の上に放り投げてみせる。
小石は軽く放物線を描き、護熾はどうか音が鳴るようにと祈る。
すると小石は―――近くにあったゴミ箱のフタに直撃し、気の抜けた乾いた音をこの静寂なる町に一際大きく鳴り響かせた。
怪物の反応は、予想通り。見事に音のした方向に注意を惹き付けられる。
瞬間、護熾は何振り構わず建物の物陰から飛び出した。
ワンテンポ遅れて、怪物はようやく背後に風を切る音を感じて振り向こうとする。
しかし怪物が眼中に捕らえたときには、鉄パイプを横薙ぎに振りかぶろうとする少年が映っていた。
「だぁあああああああああああああ!!」
雄叫びを上げながら、護熾は右足を踏み込んで力の限り思いっきり鉄パイプを振るう。
すると完全に隙を突かれた怪物は頬の辺りにめり込ませ、ミシミシと嫌な音を立てる。
そしていくら人間よりも強くとも、並の高校生の鉄パイプでの本気のフルスイングでは、二メートル近くある巨体も簡単に吹っ飛んでしまう。
「グガッ!?」
怪物は勿論、自分に何が起きたのか分からず、そのまま一回転しつつ地面に平伏すように倒れる。
その隙に護熾はやや乱暴ながらも片手で女性の片袖を掴むとそのまま引き摺り、倒れた怪物から急いで離れるようにする。
「どれくらいの実力を持ってるのかと思えば、鉄パイプ?」
その様子を、建物の屋上から、ユキナは見ていた。彼女はやや呆れた表情で、女を保護する彼を見る。
ユキナは護熾から姿が確認できなくなった後、とっとと開眼状態に入り、一直線に怪物の下へ向かうと人が攫われていたわけではなかったので開始五秒で斬り捨てると、もう一体の動向が気になったため、こうして護熾の実力の確認のために高見の見物をしているのだ。
そして今、彼は鉄パイプで怪物を殴り飛ばした。
普通、この地域に派遣されてくるガーディアンは、一般の兵士と違って飛び道具の使用が禁止されており、各々で武器を携帯しているモノである。しかし彼は、いかにもその辺で拾いました的な少し錆付いている鉄パイプである。もちろん、あれが彼の武器かも知れないが、使い慣れていない様子や、斧や剣のように鋭利な武器の方が一撃で怪物を仕留めやすい方が効率が良いのにそれを持っていないことから、彼はまったくガーディアンではない可能性がより濃厚となった。
(でも、兵士でもガーディアンでもなくて、この世界のことをよく知っていて、でも怪物相手に怯みもせずに普通に保護に回った。本当に、何者なの?)
怪物に捕まっていた人間を最優先に保護する辺り、悪い人間ではなさそうだと判断できる。
しかしそう判断しただけで、彼の全てが分かったわけではない。
自分をガーディアンだと言い、証明性は見せず、しかし自分よりこの町のことをよく知っている。
(正体不明、としか言いようがないのね。でも…………)
それでも、彼もまた、自分に普通に接してきてくれた人間なのだ。
そして、今まで出会った人達よりも、何か別のモノを感じる。
それは、優しさだけではなく、何かこう、今までの人達がそうしてくれなかった何かを。
それは、とうに自分が忘れてしまったものなのかもしれない。ただそれを知ってみたい。
だから、
「ま、ここで見捨てていいようなものでもなさそうね」
一見冷酷で、しかし今の状況から見てそう判断したユキナはヒョイッと建物から飛び降りていった。
丁度ユキナが屋上から飛び降りたとき、護熾は背後で何かが起き上がる気配を感じた。
護熾は保護した女性をできるだけ引き摺ってから振り向くと、先程ぶっ飛ばされた怪物が既に怒りを露わにした顔で犬歯をむき出しにし、今にも飛びかかってきそうになっていた。
「……マジかよ」
護熾がこのように呟いたのには、理由がある。
先程ほぼ顔面を、力の限り殴り飛ばしたのだ。普通の人間相手ならば、起き上がってこないくらいに。
しかし眼の先にいる怪物は起き上がった上に、打撃を受けた顔面は痛々しいながらもこちらを見ている。あれほどの力で殴ったのにかかわらず、こちらに反撃を既に開始しようとしている。
「ガァアアアアアアアアアア!!」
怪物は、怒りの矛先を護熾に向けるとその場を弾丸のように飛び出し、一直線に突進する。
護熾はすぐさま鉄パイプを構えて迎撃態勢を取ろうとすると直後、怪物はその場で素早く跳躍し、五本の鋭い爪を掲げる。
護熾は本気で殴っても大したダメージも与えられない自分の攻撃では弾き飛ばすことはできないと考え、すぐその場で回避行動を取ろうとしたが、思いとどまった。
自分の後ろには、誰が居る?
今、背後には先程救出した女性が横たわっている。自分がもし、下手に避ければその攻撃進路は?もし当たらなくてももう一度奴の手に墜ちて逃げ出されたりしたら?
「くそったれ……!」
こんな状況に仕立て上げたのは自業自得だ。
護熾はすぐさま苦虫を噛みつぶしたような表情になると得物を握りしめ、回避行動から一転、迎撃に入る。相手は人間を殺すほどの力でやっても立ち上がってきて、人間より強い。上空から襲いかかる怪物は、このとき彼にとって本当に怪物のように思えた。
そして怪物が落下してくる。
護熾はすかさずもう一度横薙ぎの体勢をとる。そして大きく力一杯振るい―――
怪物は護熾の目の前に着地し、ごくあっさりとその攻撃を避けると思いっきり爪で薙ぎ払われ、鉄パイプは上空へと攫われていってしまった。
「っ!? あ、まずい」
急いで手を貸そうと近づいていたユキナはもうじき到着というところでこの光景を見ていた。
唯一彼を護っていた得物が失われた今、怪物がする行動など一つであろう。
このままでは、ろくに訓練も受けていないはずのあの少年はすぐに八つ裂きにされるであろう。
ならば、と彼女は走りながらすぐさま髪の色と瞳の色を瞬時に変えると掌を前に付きだし、狙いを正確に定め、一撃で決めようと飛光を放とうと構えた。
しかし次の瞬間、彼女にとっても、怪物にとっても予想外の出来事が起きた。
ゴン!!という強く鈍い音が響き渡った。
怪物の顔面は見事めり込み、思いっきり叩き付けられる。
「え?」
声を漏らしたのは、もちろんユキナの方であった。
彼女は思わず、飛光を放つのを中止し、その場ですぐさま停止した。
「な、何なのあいつ……」
彼女の大きな瞳に映りしは―――怪物相手に素手で殴り飛ばす少年の姿。
「今だ、今の内に……!」
怪物の顔面を得物が飛ばされた瞬間に実行し終えた護熾はすぐさま女性の元へ駆けつける。
今のは完全に、経験から来る反射行動に近かった。
唯一の武器にして盾である鉄パイプを弾き飛ばされたときには、思考が止まった。
しかし次の瞬間、右拳を握りしめると爪を振り終えた怪物の顔面に吸い込まれるようにして、入った。
顔面を容赦ない一撃を見舞われた怪物はブリッジでもするかのように後ろに派手に倒れた。
護熾は一瞬自分が何をしたのかよく分かっていなかったが、状況を素早く判断するとすぐさま行動に移す。自分にはもう、身を守るための武器も何もない。ならば怪物の探索有効範囲から今の内に逃れられれば。
それが、まず希望的観測であることくらいすぐに思い知らされる。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
先程の鉄パイプと違い、ダメージ量が少なかったため怪物はすぐに起き上がっており、吠え声に気がついて振り向いたときには既に今度こそ仕留めるという気迫を纏って飛びかかっていた。
敵の両手には、人間などあっさり引き裂きそうな十本の凶器。
(やっぱ開眼じゃねえとダメか……!!)
所詮、常人の拳では奴は倒れない。
護熾はすぐその場から逃げだそうとするが、肝心の保護する女性が重荷となり、すぐに動けない。
たかが一般人に戻った自分ができることは、精々この程度だった。
護熾は内心、そう強く思い、せめて女性だけはと庇うように抱き締めて、敵の方に背を向けた。
このままいけば、自分の背中は見たくもない姿になるであろう。
そう覚悟して、眼を固く瞑った。
そして怪物の刃が――――
―――来ない。
「…………………………?」
本当に、いつまで経っても背中に激痛が奔らないので、瞑っていた眼を開けて、恐る恐る振り返ってみる。するとそこには――――今にも飛びかかってきそうな姿をしている怪物がいた。
しかしまるで、時間でも吸い取られたかのように、ずっとその姿勢のまま佇んでいた。
「……初めて見たわよ、素手で怪物に対抗した人なんて」
不意に、怪物越しから声がした。いや、正確に言えば怪物の背後の方から声がした。
「でも結局何この有様。ガーディアン失格じゃないの」
そんな呆れと実力不足に対する文句を含めた声がした。
「……? 何が、どうなってんだ?」
護熾は時間が止まってしまった怪物と、さっきからする彼女の声に対して疑問を投げかけると、すぐに答えは見つかった。
ずっとその場で佇んでいた怪物の胴体に、横一線の切れ目が入る。
そしてその切れ目に沿って上半分と下半分にズレが生じると、パサッと全身が一気に黒い灰となって空中にばらまかれた。
それから、怪物の巨体で見えなかった向こう側に、日本刀を肩に担ぎ、こちらに小さな背を向けて立っている夕陽の髪を持つ少女が見えた。
「でも、庇って人を護ろうとするその意思だけは、評価できる」
そう言って、少女はこちらに振り返った。その表情は、少しだけ微笑んでいるようにも見えた。
それを見て、護熾はようやく肩の力が抜けた気がした。
彼女が、来てくれた。
「あ、…………来てくれたのか?」
「あなたが遅いからよ」
そうぶっきらぼうに言いながら、彼女はこちらに近づく。
夕陽のような美しい髪と、意志の強さを表すかのような大きな瞳。
その姿は力強く、こんなに安心させてくれるほどの力があるのか。
そう考えると、一体今までどれだけ緊張していたのかと情けなくなるが、助けてもらったのは事実だし、礼を言おうと口を開いたときだった。
「あ、ありがぼうっ!?」
瞬間、思いっきり脳天を殴られたかのような衝撃が彼に襲いかかった。
ぐらりと揺れる視界、そして横になる世界。彼は自分に何が起きたのか分からなかった。
「ちょっ!? カイドウ!?」
ユキナの方も、何か慌てて急いで護熾の元へと駆けつける。
そしてしきりに身体を揺さぶってこちらに呼びかけているが、何故か声が出なかった。
(あれ……? 何がどうなって?)
彼女に礼が言いたいのに、今の状態がそれを拒む。
何だ? まだ怪物が居たのか、いやそれだったら彼女が何かしらするはず。じゃあ俺に何が起こったんだ? 俺に、俺に、何、が、…………意識、が…………。
結局訳の分からぬまま、護熾は眠るかのように眼を瞑って、その場で気絶をした。
ただ、少女が何度もこちらに呼びかけてきてくれるのだけは、分かった。
思えば、ここから大きな変化があったんだなと、後になって気がついた。
今回のサブタイトルの『白昼の二十五時』は総じて言えば『非日常』という意味です。うん、分かってます、変ですよね(汗)。
さてさて今回でようやく何かしらの転機があったかな程度となっておりますが、この辺からいよいよ面白くなる、のか?(笑)。
とりあえず残りは二話か三話程度なので上手く物語をのんびり書いていきたいと思います。因みに締めは既に決めているので流れに沿って書くだけです。
それでは今回もこんなお話を読んでいただきお疲れ様です。
次回もまた、どうかお読みになっていただけると嬉しいです。
ではまた、ではでは~