ユキナDiary--その前シリーズ ~暗雲流れし白夜~
すいません。予定より遅れてしまいました。
先に言い訳を致しますと、親族の方が危うかったのでそれの見舞いと、先日お亡くなりになったのでその葬儀にと動いていたわけです。
とまあ、このまま続ける暗い話題になりますんで皆様はさっさと読んで楽しんでください。いきなりテンションが下がる話でしたが、ご勘弁ください。
ではどうぞ! ではでは~
昔、その手はあまりに小さくて、あまりに弱々しくて
今、その手は相変わらず小さくて、でももう弱々しくはない
海洞家の休日はどこの家庭でもあるように朝食から始まる。
そして一番初めに起きるのはもちろんこの家の家事を全て担っている護熾であり、もう既に着替えて自分が済ますべき仕事に取りかかり始めていた。
「うー、おはよ護兄~」
「よお絵里。今日は晴れてるけど寒いからさっさと喰って暖まりな」
そう言って味噌汁を注いだお椀を食卓の上にコトンと乗せ、食べるよう促す。
もっぱら寒い朝には温かい大根味噌汁が定番な海洞家ではこういったスープ系の朝食が必ず出てくるようになっており、冷えた身体を素早く温めてくれる。
「そういえばまだ一樹とユキナ来てないな」
「そうだね。じゃあ今から一樹起こしに行くからユキナ姉ちゃんは護兄ね」
「ちくしょあいつ二度寝しちまったか? そうだな。んじゃあ起こしに行くぞー」
そう言って四人分の朝食を丁寧に並べ終えた護熾は絵里と起こしに行く人物の役割分担を決め、そして決めてから朝食が冷めてしまう前にすぐさま行動を移す。
寒い廊下を歩き、ギシギシとなる階段を登り、そして登り終えた後に冷たいドアの取っ手を捻って部屋の中に入ると、案の定、ベットの上に毛布でできた不自然な膨らみが存在していた。
「おーいユキナー飯だぞー?」
「…………」
「…………二度寝ですかこの野郎ー」
返事がない、お寝んねのようだ。
そう判断した護熾はやれやれと呟いて頭を軽く掻きながらベットまで歩み寄り、そして睡魔の根源となっている毛布の端を掴み、ピラッと軽く捲って顔を覗き込んでみると、
「あれ? 起きてんじゃん」
「…………」
そこには横になって寝ているものの、ユキナがちゃんと着替えており、眼を開けて起きていた。
ただ少し違う部分と言えば、その表情がどこか不満げそうなところであった。いやむしろ、頬を小さく膨らませて怒っているようにも見えた。
「おーいいつまで寝てんだー? 起きてるんならちゃっちゃと出てこいー」
「…………」
「…………どうした?」
言っても返事が来ないので少し不思議に思った護熾は顔を近づけてみる。
するとユキナは視線だけ護熾に動かして、少しだけ睨み付けるような眼差しを向けると、
「…………護熾の、奥手」
「は?」
「ふーんだ」
そう言って毛布をぐるぐると自分の身体に巻き付けるように動いたかと思えばそこには毛布の簀巻きができあがっていた。護熾には何故彼女が拗ねているのかの理由の見当が付かなかったがこのままではせっかく作った朝食が電子レンジで温め直すという手間が掛かるため両手を置いて揺するようにする。
「お~い何が不満なんだよ」
「…………」
「このまんまだと味噌汁冷めちまうから困るんだが」
「…………(ブツブツ)」
(ん? 何だ?)
急に毛布の中でユキナの小声が聞こえ始めたので気になった護熾はそっと耳を近づけてみる。
すると声の調子などですぐに不満を口にしているものだと分かった。それからもっと内容を正確に聞き取るために耳を近づけてみると、
『まったく護熾って何でこう、リクエストに応えてくれないのかな? 別に護熾が単にそういったものを求めにくい性質なのかも知れないけどせっかく準備したんだから応じるべきじゃないの。一週間に一度しか会えないんだからそういったスキンシップは大事だと思うけど護熾が奥手だから……』
「…………あのな、…………ほれっ」
「むきゅっ!?」
ユキナが言いたいのは、要は彼女が臨戦態勢(?)に入ったんだから男はそれに応じるべきなんだからそうしてくれなかった護熾は男じゃない、と言いたいようである。少なくともそう聞き取れた護熾は毛布の端を掴むと勢いよく持ち上げる。するとするするとユキナの身体が回転し、見事彼女だけがポフンとベットの上に舞い降りた。
「うっ、う~~~~寒い~~~~~~」
「まったくよ。ほら」
急にぬくぬく地帯から極寒地獄に投げ出され、ブルブルと震えるユキナ。それはさながら雪の降る夜に捨てられてしまった子猫のようであり、温もりを求めようとしたときだった。
護熾が、ソッと、ユキナの身体を持ち上げるかのようにすると、包み込むように抱き寄せた。
「…………!」
ユキナにとって護熾のこの行動がまったく予想できなかったので驚いた表情で固まる。
一方護熾はトントンと軽く背中を叩くようにしながら落ち着かせるようにし、
「あのな、俺は、何というか…………そういう愛情と性を混同させたくないっていうか……」
「…………」
「まあ、雰囲気とかが重要かな…………さっきから何言ってんだろ俺?」
「……はむっ!」
がぷっ。
するとユキナが今回は強めの甘噛みで護熾の肩に噛み付く。
「おっといてて。何だ何だ? まだ怒ってんのか?」
「む~~~~」
あぐあぐあぐあぐあぐあぐあぐあぐ。
別段歯を立てて噛み付いているわけではないのでほとんど痛くはないのだが、珍しく噛み付く回数が桁違いに多い。すると護熾は何かに気がついた表情になるとユキナの方に顔を向け、
「何だ、お前顔真っ赤じゃねえか」
「…………!」
「あーお前もしかして誤魔化してるのか?」
「……! むっ、む~~~~べ、別に護熾の言っていることが正しかったからその、今は自重しとくね」
そこでようやくユキナは口を離し、いつも通り素直な態度に戻った。
そして護熾が抱擁を解こうとするとガシッガシッとユキナが服を掴んで引き寄せ、
「コタツまでおんぶ」
「自重しろよコラ」
「う~~いやだ~~~む~~」
「あ、てめっ、文句を言いつつ背中に回んじゃねえ! あっくそ取れねえ!」
「おんぶ♪ おんぶ♪ おんぶ♪」
結局、子泣き爺の如く背中に張り付いたユキナを剥がすことが叶わず、一方彼女は温かくて広い背中をゲットしたことに満足したのか先程からゴロゴロと喉を鳴らして勝利を満喫していた。
数分の間剥がすのに奮闘していた護熾は背中にユキナをしがみつかせた状態でベットに腰掛け、呼吸を整えてから、
「あーもうしゃらくせえ。もうこのままでもいいか。とりあえず一階に行くぞ」
「レッツゴー護熾ー。うーそれにしても護熾温かいねー」
「そりゃあんだけお前を剥がすのに動きまくったんだから当たり前だろうが」
そう言いつつも、護熾は彼女が背中で甘いひとときを過ごしているのがよく分かった。
そしてふと、背中越しに彼女を見ると、いつも通りで、可愛い笑顔を向けてくれた。
それを見た護熾は何だか急に身体が誤魔化し行動に無意識のうちに移り、それに気がついたユキナが悪戯顔でニマニマと彼の頬を指で突いたりとちょっかいを出す。
ユキナのちょっかいを適度に押し退けた護熾は、ふと思った。
そんな無邪気で、天真爛漫な彼女に、俺を何を聞こうとした?
この笑顔を、また、嬉しいこと以外で泣かせようとしたのか俺は?
あの夢のことでユキナに何を訊ねようとしたのかを再確認した護熾は、ふと、それがどれほど無責任な行為だったのかを改めて思い知らされた。
(…………訊けるワケ…………ねえよな)
今が幸せな彼女の古傷を、わざわざ自分からえぐり出そうなど、残酷極まりないモノなのだから。
ともかく、四人揃っての朝食が済み、お昼ご飯までの午前を各個人個人自由に過ごしていた。
一樹と絵里は公園に遊びに行き、ユキナは究極のテリトリーのコタツに潜りながらもそもそと学校の宿題を淡々とこなしていた。
護熾の方も今日は特に買い物の必要がないので、洗濯物を物干し竿に掛ける作業を終え、勉強なども普通に終わりそして今、自室で珍しく暇を持て余していた。
「…………あー、昼飯まで一時間半かー……暇だ……」
既に今日のメニューは昼夜共に決まっているため工夫も必要なく、漫画でも読んで時間を潰そうかと思ってみたがご生憎そんな気分ではなかった。ユキナのとこにでも行って何か喋ろうとも思ったが彼女は今勉強中なので邪魔するのも悪いと思い、行動に移すことができなかった。
となれば、方法は一つ。
「まあ飯喰う前だし、少し寝っ転がるか」
そう独り言をごちると背中から倒れてベットの上で身体を軽くバウンドさせる。
それから頭の後ろに手を組み、天井を見つめながら少し考え事を始める。
(あの夢……いや夢にしてはよく出来過ぎているし、でもそれだったらどうしてあんなのを見たんだ?)
あの夢の中の彼女が言っていることが本当ならば今から二年前、護熾が中学二年生の時代と言うことになる。もちろんその情報が本当だとは限らないし、第一あの夢が本当だという確信がない。
しかしあの夢を思い出して、やはり思うのは、
「……随分、人を警戒してたよな……あいつ」
今でこそ言えることだが、ユキナは随分人懐こい性格の持ち主である。
誰とでも仲良くなるし、誰にでも笑顔を向ける。それが例え、怪物の頂点に立っていたソラにしても。
その性格が多くの男子に勘違いをプレゼントさせてきたわけだがその話は置いておき、夢の中の彼女は結果的に初対面にしても冷たくあたってきていた。
今の彼女は今朝のように抱きついてきたりおんぶを請求してきたりと好意を前面に出して甘えてくるので夢の中の彼女の行動には少なからず衝撃を受けていた。
(……もう一度寝りゃ、会えたりして)
ふとそんなことを思ってみるが、世の中そんな都合の良いようにできていないことは彼は重々承知している。なのでそんな安易な考えに至った自分にやや自嘲的な笑みを浮かべて、ため息をつく。
(もしできたとしても、俺が彼女に何かできんのかね)
そう考えながら、まあどうせやることもないし寝てみるか、と瞼を閉じようとしたときだった。
キイイィ。
突然ドアの開く音が聞こえたので、護熾は眼を開け身体を少し起こしてそちらに顔を向けると、
「何してるのー? 護熾ー」
勉強を終えたのか、噂をすればユキナがドアを開けて中に入ってきており、ベットに寝っ転がった彼の様子について訊ねてきているところであった。そしてドアを閉めるとユキナはベットに近づいてきて丁度目線が同じくらいになっている護熾の側まで歩み寄っていった。
「ユキナか、って珍しいな。お前が自主的にコタツから出てくるなんて」
「ん、だって護熾の姿が見えないからちょっと心配になって」
「お前本当に心配性だよなー」
どうやらずっと二階の自室にいた所為か、姿を確認できなかったユキナは彼の身を案じて普段なら抜け出ることのないテリトリーを自ら抜け出てきたようなのだ。
普段ならば買い物やら家事で一階にいることが多い日常で今日のような恒例通りでない日がどうやら彼女に無駄な心配をさせてしまったことに護熾は苦笑いし、わざわざこちらに来たユキナにお詫びとして軽く頭を撫でてあげる。撫でられた彼女は眼を細めて気持ちよさそうにし、改めて訊ねる。
「あうー、あ、そういえば護熾はさっきから何してるのー?」
「あ? えっとまあ、やることないんで少し寝ようとしてたとこだ」
「! むー護熾ったらー、それだったらほらっ」
「おわっ!?」
そう言ってユキナは軽くダイビングすると護熾に飛びつくような形になり、二人してベットの上で何度かバウンドすると丁度二人で寝るような感じになり、
「私、添い寝するー」
「え、ちょっおまっ、それじゃあお前に起こしてもらえねえじゃねえか」
「それだったら目覚まし使えばいいんじゃん。う~」
そう言うとユキナはギュッと護熾に抱きつき、スリスリと頭を擦る。
今は二人っきりの状態。この状況になると途端、デレデレと甘えてくるのが彼女の特徴である。
どうやら彼女はすっかり添い寝の態勢に入ってしまったので護熾は仕方なく目覚ましを弄くって希望の時間に目覚ましをセットする。因みに寝過ぎ対策に布団は被らないで寝ることにした。
するとふと、突然ユキナは身体を起こし、今まさに枕に頭を置こうとしていた護熾に声を掛けてきた。
「あ、そういえばやってみたいことがあったからいい?」
「ん? 何をだ?」
「えーとね、頭をここに乗せてっと」
「うん? これって」
護熾はユキナに誘導されるがままに頭を動かすと、丁度正座をしていた彼女の膝の上に乗せられた。
いわゆる膝枕である。
護熾は不思議顔で視線をユキナに合わせると、彼女は軽く微笑んで、
「えへへ~膝枕だよー」
「…………何だろ、恥ずかしいなこれは」
「いいじゃん。今は二人っきりだし、それに今気がついたけど護熾が何か可愛く見える」
そう言って護熾の頭を、まるで母親のように撫でるユキナ。
いつもの立場としては逆だが、別段護熾は慌てることもなく、ただされるがままに撫でられた。
そしてユキナは撫でる手を止め、そっと護熾に顔を近づけると、
「ねえ、子守歌歌ってあげようか?」
「え?」
突然訊かれたのですぐに返事ができなかったが、言葉の意味をすぐ理解するとすぐさま言った。
「ちょっ、この歳になって子守歌とかないわ。俺はそんな幼稚になった覚えはねえが?」
「でもでも昼寝するんでしょ? それに将来役に立ったりするし…………」
ここでユキナは何故か赤面し、護熾の方も若干頬を朱に染めるがすぐさま彼女は誤魔化すようにする。
「と、とりあえず歌うから護熾、文句ないよね!?」
「あ、ああ」
「じゃあ始めよう始めよう! はい護熾リラックス~~」
結果的に彼女の押しに負けるという形で護熾はユキナの子守歌を聴きながら寝ることとなった。
ユキナは護熾がどうしたら寝やすくて聞きやすいか微妙な調整で頭の位置を決めてから、何度か発声練習をする。そんな中で護熾はふとある疑問点が思い浮かんできた。
(あれ? そういえばユキナって上手だっけ?)
彼女と出会って半年が近づこうという中、一度も歌声を聞いたことのない護熾はそのことについて疑問を持つ。彼自身、歌声は普通なのだが肝心の彼女の歌唱力が分からない今、大凡長い間歌を歌うという行動がなかったのならば大体どんな結末になるか予想は付いたので別の意味で覚悟を決める。
そのことを察したのか、ユキナは少し不機嫌そうな表情になると、
「何? もしかして失敗するとでも?」
「え、あ、いや、すまん」
「むぅ、これでも練習したんだからね!」
その練習光景は何となく悲しい気がするぞ、と護熾は思ったが口にせずただ黙った。
そしてようやく彼女のリサイタル、ではなく子守歌を歌う準備が整った。
護熾は瞼を閉じ、聴く体勢に入る。
ユキナは何度か音程を口の中で調整しながら、ゆっくりと―――歌い始めた。
「――――♪」
幻想に思いを 描いた夜に誘う 暗い雲が西から東に流れる こんな夜には
そっと手を握っていてほしい そっとそばに居て欲しい
私の大切なモノを そっと護って
誰にだって寂しい日がある 寂しい夜がある 寂しい時間がある
でもそんな時には 私がずっと手を握ってあげるから 安心して
だから今夜は 全てを忘れて寝なさい 私はここにいるから
それでも眠れないなら ずっと抱き締めてあげるから
あなたの大切なものも一緒に 全部全部抱き締めてあげるから
だから今夜はお休み 明日になれば 暗い雲なんて消えてるから
そしてあなたが目覚めたときには 私が一緒にいるってちゃんと見ててね
ほら 怖い夢なんて 見なかったでしょ?
小さな口から流れる透き通るような歌声から紡ぎ出される子守歌は、聴く者に不思議な安心感をもたらしてくれた。それは護熾とて例外ではなく、意外に歌が上手かったことに正直に驚いた。
そしてユキナは歌い終わり、少し得意げに護熾の顔を見下ろす。
「……歌、上手いな」
「えへへ~♪ でしょー?」
「お前んとこの奴なのか?」
「うん。お母さんが歌ってくれたのを歌ってみたの」
その子守歌はユキナが小さい頃によく聴かされたものらしい。
そんな話を聞いた後、護熾は瞼を手で擦り、
「んまあ確かに眠くなってきたわな」
「おっ、護熾ってホントに子守歌で寝るタイプなの?」
「さあな。でもまあ、とりあえず寝かせてもらうぜ」
そう言って護熾は重くなった瞼に従い、ユキナの膝の上で寝始める。
ユキナの方はと言うとすぐに添い寝に入らず、眠り始めて眉間にしわが寄らなくなった穏やかな寝顔を見つつツンツン頭を愛しそうに撫で、
(護熾って実は結構寝顔が可愛いからねー。今見ておかないと中々見れないし)
そう思いながら撫でていると、いつの間にか護熾は静かな寝息を立てて既に眠っていた。
それに気がついたユキナはあまりの就寝の速さに驚いたが、そっと膝から護熾の頭を下ろすと脇の方に移動し、ずぼっとその間に潜るとぎゅっとしがみつくような形で抱きつき、頬同士をくっつけると、
「もう、寝るの早い。でも…………可愛いから許す」
そしてそのまま彼女も、ちょっとした意識の深淵の旅へと舞い降りていった。
穏やかな風が、頬を撫でたような気がした。
とりあえず今自分は寝ているという自覚が不思議と分かった。
そうだとすると、確か自分はベットで寝ているはずなのに何かに凭れながら座っているような感覚も、何かに座っているような感覚に違和感を感じ取った。
それにさっきから、まるで外にでもいるかのような……
「いい加減起きなさい」
ゲボカッ
不意に少女の声が聞こえたかと思えば、足の方、特に脛の辺りに変な音と共に衝撃が加わる。
それはみるみる内にじーんとした感覚から突如津波のような痛みが襲いかかり、それを脳が感じ取ったとき、無意識に口からこの感覚に対する反応が出てきていた。
「あぎゃああああああああああああああっ――――!?」
護熾はベンチから飛び起きるとすぐさま脛を手で抑え、痛みの拡散行為としてその辺をゴロゴロとのたうちまわって収まるまで続ける。
「何いつの間に寝てんのよ。いくらガーディアンでも気を抜きすぎ」
護熾にこのような状況をもたらした当の本人は転がり回る彼を見下したようなジト目で見る。
「痛って!! くそっ! 何が起きてやがんだって…………あれ? お前?」
「何……? あなたがいくら呼んでも起きないからこうしただけよ?」
転がる速度を徐々に落とし、それに伴って痛みも引いてきた護熾はようやく冷静になった頭で今の状況を理解した。と言うよりも正直目の前の人物と周りの様子に対して驚いたと言った方が適切である。
目の前の人物―――そう、ユキナである。
しかし先程子守歌を歌ってくれた彼女のような穏やかさは欠片も感じられず、小柄な少女にあるまじき威圧感が全身から微々に発せられているかのようであった。
つまり今の状況をひっくるめると、脛が痛いこととまたあの夢の中と言うことである。
「って…………ああ」
目の前の少女、ユキナにそう言われ、護熾は改めて周りを見渡してみると、自分はどうやら建物の壁に凭りかかって寝ていたようだ。どうしてそのような経緯になったのかはイマイチよく分からなかったが、どうやら自分はここで眠ってしまったようなのだ。
「わ、悪い。つい寝ちまった……みてえだな?」
「何で疑問系で返すのよ。ほら行くわよ」
そう冷たく言ってユキナはプイッと背を向けるとスタスタと歩き始める。
護熾は少し慌てながらその小さな背中に付いていき、隣に並んで二人して町中を歩く。
(…………まさか、本当にまた来れるとはな)
町中の人混みを掻き分け、小さな彼女を見失わないようにしながら、護熾は歩いていた。
再び、この過去の世界らしきところに来れたのは少し意外ではあったが、此処に来れたからと言って何かができるわけではないのでどうしたものかと思っていた。
そして何かしらの鍵を握ると思われる隣を歩いている彼女に視線だけ動かして、
(にしても、やっぱ過去のこいつは冷めてんな)
彼女が長い間一人だったというのは以前聞いたとおりである。
しかも彼女はこの世界の人達だけでなく同じ世界の人間に対しても同様の態度を取っているようである。
すると急に彼女が立ち止まり、護熾も釣られて止まる。
彼女の表情はいつも通り変化はないが、何かを探っているように見えた。
「おい、どうし……」
「しっ、静かにして」
護熾の発言を遮り、ユキナは目線を左右にゆっくりと動かす。
周りの人達が避けていくのでまるで二人の周りの時間が早くなったような世界の中、何かをジッと感じ取ろうとするユキナと何か異変が起きているのではないかと緊張する護熾。
そして数分後、ようやくユキナは集中するのを止め、
「……気のせいみたいね」
「…………気のせいかよ」
ようやく緊張が解けた護熾はやや呆れ気味にそう呟く。
「まあ、さっき倒したばっかだし、そんなにすぐには来ないしね」
そう言うとユキナはさっさとその場から離れるように歩き出したので護熾もその後に付いていく。
町中は平日のためかいつも通り賑わっており、時折信号待ちの人混みやその温度を感じ取りながら、二人は縫うように移動していく。
そしてある程度人混みがなくなり、進むのが楽になってきた頃に、
「あ、あのさっ」
「? 何?」
護熾が呼び止めたのでユキナはそれに対して不機嫌そうに返す。
こんなところで時間を取らせないでよ、まさにそう言いたげな表情であったが護熾は構わず聞いた。
「俺がついうっかり寝ちまった時(理由は知らないがそのつもりで)、何で置いて行ったりしなかったんだ?」
その質問は些か妙なモノであったが、今のユキナ、は人に対して冷たくあたってきたり中々馴れ合おうとしない性格の持ち主である。なのに明日帰るかも知れないガーディアンでつい壁に凭りかかって寝ていた彼を置いていかないでわざわざご親切(?)に蹴って起こしてくれたのだ。
そんな彼の疑問に対して、彼女はやれやれといった感じで首を軽く振ると、
「それは単にあなたの気力が高いからよ。もし置いていったりして怪物に攫われたりしたら、被害を受けるのは私か私の故郷だもの。当たり前のこと聞かないで」
そう言って、まるで時間無駄を取り戻すかのような早足で見回りを再開し始めてしまった。
その様子を見ていた護熾は、何だかやるせない気持ちを内に秘めながら、
(ちぇっ、結局は任務優先思考か。どっか可愛気があるかと思ったんだが……)
やはり、自分が知っているユキナのような人懐っこさは欠片もなく、ただただ怪物を倒すという使命を帯びた機械のような彼女の背中を見つめながら、護熾はゆっくりと歩きを再開した。
日が沈み、いつのまにか夜になった。
しかし夜特有のあの遠くから届く騒音はなく、人の気配もなく、ただ町明かりがそこにあった。
「…………暗っ」
護熾はそう呟き、背後でガサゴソと音がしたのでそちらに顔を向けると、丁度ユキナがあの後買ってきた食料庫ならぬ、食べ物いっぱいのビニール袋に手を突っ込んでおり、適当に一つつまみ上げているところであった。
今、二人は七つ橋高校の屋上に来ていた。
無論、無断侵入だが、此処は結界内なので普通の世界の法律など適応はされないし、この辺の地域では今現在護熾とユキナの二名しか存在しないので何ら規制を受けることはない。
(そういえば、ユキナって確かよく此処で寝てたとか言ってたな)
彼女と出会ったばかりの時、学校案内の件でそんな話を聞いたことを思い出しながら、護熾は身体を屋上の方に向ける。するとこちらに向いたことに気がついたユキナはビニール袋から何か取り出すと、それを軽く放るようにすると、
「受け取りなさい」
「お、おおって食いモン投げんなよ」
パシッと飛んできたものを片手でキャッチした護熾はその手に収まったものを覗き込むと、ハムとキュウリのサンドイッチパックでパンの両面にマーガリンと胡椒を塗ってあるタイプであった。
一方ユキナも同じくサンドイッチで、こちらは鶏肉とトマトとマスタードマヨネーズであった。
護熾はビニールとパックを外し、投げられて少し形が崩れてしまった夕食を持つとそれを食べ始め、同じ時にユキナも同様に食べ始める。ただ、彼女はよほどお腹が空いていたのか、護熾の約二倍の速度で食べる。
「そんな喰い方よくねえぞ?」
「んぐっ、何よ、はむっ、別に、あむ、いいじゃないのよあぐ」
そんなこんなでペロリと食べてしまったユキナは注ぐにポテトサラダのパックに手を出し始める。
護熾はその様子を見ながら、自分の分をゆっくりと食べる。
夕食を食べ終え、二人は暫く無言のまま、人のいない明かりの付いた町並みを眺めていた。
無音無風のこの世界では、ただ時間が流れていく。
そんな時、最初に静寂を破ったのが、
「あなた。家族いるの?」
「………………え? いや、その」
隣で二メートルくらい離れて座っていたユキナからの不意打ちの質問に、護熾は反応が遅れて慌てた様子を見せてしまうが、すぐに冷静に考え……冷静に考えて、
(あ、えーとっ、本当に二年前ならいるっちゃいるけどなんだこの矛盾感はーっ! いるって答えても色々嘘だし、いないって答えても大嘘だし…………)
手をわなわなとさせて困惑し、それから護熾は腕を組んで黙り込んでしまった。
実際にこの世界には二年前の家族が住んでいる。
と、言うよりはまだ確認はしていないが二年前の自分がいる可能性があるのだ。
そういえばタイムトラベルで自分に会うと何か変になって、いやこの世界はまったくの違う世界で会っても影響が出ないのか、何て話は聞いたことあるな。とにかく家族なのは間違いではないがそのための辻褄がどうにも合わない。
とりあえずこの少女に今から二年後の世界から来ましたー、何て言っても信じてもらえずさらに冷たくあしらわれるだろうな。
そんなことを考えていると、横から顔色を離れた位置から窺っていたユキナは一言告げた。
「…………もしかして、カイドウに家族、いないの?」
「えっ!? いや、その、いないと言えばいないが……」
この質問の答えにくさからユキナは護熾が独り身だと判断したのであろう。
「…………じゃあ、今から11年前の大戦で……」
「あ、その、」
答え方が不味かったのであろう。
今から11年前の大戦では、家族単位で殺されるケースが非常に多かったのでこうして戦争孤児ができるのはごく稀である。その戦争孤児は後の眼の使い手となっているがその話は置いておく。
とにかく護熾が答え方が悪かったせいでユキナは完全にそう信じ込み、彼女は膝を抱えて足の爪を遊ぶようにしながら言う。
「……帰るべき家がないんだね。……知らなかった」
「いや、まあ、確かにそうだけど、まあ気にすんな」
確かにこの過去の世界では自分が帰るべき家はないのだが。
「…………私、お父さんがいないの」
「あ、ああ知ってる。だってお前、あの英雄の娘さんだから。……お前の、母ちゃんが待ってるもんな」
「…………」
そう言うと、ユキナは視線を落として黙り込んでしまった。
護熾はそんな彼女の様子に心配になって様子を見たが、別段泣き出しそうな雰囲気ではなかったのでとりあえずソッとしておくことにした。
すると視線を外した側から、また声が掛かった。
「家族の話をする人なんて、ここに来てから初めてかも」
「え……? そうなのか」
「うん。カイドウが初めて」
「俺だってお前とこんな会話するとは思わなかったよ」
それと不機嫌な状態ではないまともな受け答えも今回が初めてである。
「そうね。でも、あなたも何時かは此処を離れちゃうのよね」
「…………えっとぉ……」
「? どうしたの?」
「あ、いや、その、」
「ま、それは置いといて。さっさと寝なさいよ。見張り、私がやるから」
そう言うとユキナは立ち上がり、護熾とは反対方向に顔を向けた。
「お、おい。見張りくらいなら俺が先にしても……いやむしろ眠気なんてさらさら……」
「お構いなく。前にそうして私に触れようとした馬鹿な人がいたから、うかうかしていられないわ」
「……そんなことがあったのか。まあ、お前見た目が可愛らし―――」
「本当は服を被せてくれようとしてくれたんだけどね」
「俺の心配を返せっ!」
どうやらその話によると見張りをしていた彼女に男のガーディアンがせめてもと思って親切心で防寒として服を被せようとしたところ、彼女の防衛本能の所為で蹴りによる一撃を加えてしまったとのこと。
そのあと彼は顔面に足の跡を残して帰って行ったとか。
「てなわけで私から半径二メートル以内は絶対に入らないでよね。痛い目みても知らないから」
そう言うと、彼女は再び顔を明後日の方向に向け、見張りに戻った。
護熾はこれ以上見張り役についての質疑応答は無駄だと考え、しょうがなく眠気を作るためにその場で横になってみせる。
(…………にしても、ホント、小さいよな)
彼女の姿を見て、自分で何を考えてんだがと呆れの気持ちもあるが、護熾はそう思った。
月明かりの下、その光を帯びて妖艶な美しさを纏った黒髪を持つ少女はこうした生活をずっと続けてきたのだ。おそらくは自分よりもこの町の地形や構造などは知り尽くしているだろう。
そう思いながらふと、自然と口から質問が出る。
「なあ、一晩中ずっとそうしてたのか?」
「ん? 変なこと聞くわね。まあ時々寝ることもあるわよ。連中が出てもすぐに感じ取れるから大丈夫」
通常この世界に来る人間はレーダーに頼らなければならないのだがそこはさすがは眼の使い手と言ったところであろう。因みに護熾もそういった索敵の経験と高い気力のおかげで精密とまでは行かないが何となく分かったりする。と言っても金曜日の夜にユキナがこちらに来ている、くらいにしか実践されたことがないのだが。
「そうか、」
護熾はそう言うと寝返りを打ち、彼女に背中を向けた。
そして寝返りを打ってから、いつまでこの世界に居るんだろうやとか、また戻れるよな? など自分の中で質疑応答をしていると、不意に何か違和感を感じだ。
別に怪物がどこかに出現したわけではない。
それは今日の記憶、今さっきの起こった何かについての違和感。
護熾はその違和感を見付けると、ユキナに再び質問をした。
「なあ」
「ん? また何か用なの? いい加減寝ないと……―――」
「何で、家族のこと俺なんかに聞いたんだ?」
「……!」
考えてみれば、確かにおかしいのだ。
この少女は他人に対して冷たい態度をとる。なので無論、相手の事情など興味を持たないはず。
なのに相手への質問はその人の個人的な事情、しかも家族限定で聞いてきたのだ。
そのことについて問うと、彼女は黙り込んでしまい、明らかに何か失敗してしまったような表情でいる。
そんな状態が続いて一分、ようやく彼女の口が開いた。
「その……何というか、私と同じ感じがしたから」
「同じ感じって、」
「だから何となくよ」
「…………そうか」
確かに護熾には母親がおらず、彼女には父親がいない。だから境遇が似たもの同士なので同じ空気を感じ取った、と言いたいようである。
それを聞くと護熾は特に言うこともなく、黙った。
何となく、彼女も思い出したのであろうか。自分を待っている人の存在に。
「分かった。じゃあお休み」
「お休み」
そう言って簡単な挨拶を済ませると、護熾はさっさと眠ってしまった。
「…………家族、いないんだ……」
護熾が就寝してから、ユキナは小さく呟いた。
実は、自分が家族の質問をした理由は、もしいるのであれば後に来る新たなガーディアンに正体不明な彼とその家族を調べ上げようとしたのが主なのだが、家族がいないとなれば彼自身が話さない限り、真実は闇の中である。
ならば、こちらが口を割らせればいいのでは、と武力行使も考えたが、彼女は人を護る任務に就いているため怪物ではない彼を攻撃するのは気が引ける。
それに、同じ空気を感じたことはあながち嘘ではないのだ。
そして、何よりも彼は自分に対して平等に接してくれる。
「そう、…………慣れ鳴れしいのよ。こいつ」
今まで来たガーディアンや兵士は、英雄の娘だからということで畏れおののいたり、お姫様扱いや、時には開眼者という人間離れしたこの力に恐怖を抱いたりする者もいた。
なのに、彼は、まるで友人のように接してきてくれる。
それは彼がこういう性格なのかも知れないし、偶然なのかもしれない。
しかし、それは事実なのだ。
そして、あの時の質問を思い出す。
『“……寂しくねえのか?”』
「…………分かんない」
今までも、優しく接してくれた人はいた。
でもその人達は一日くらい経てば、もう異世界に帰ってしまっていた。
でも、でももし、彼がガーディアンや兵士でも何者でもない人だとしたら。
ユキナはそこまで考えて、止めた。
どちらにせよ、彼と会ってまだ一日も経っていない。様子見はこれからだ。
するとふと、月明かりが暗くなったので見上げてみると、暗い雲が月を隠していた。
それは西から東に向かって流れており、無音の循環を見せつけていた。
やがて晴れ、再び月明かりが二人を照らし始めた。
というわけで第二回目でした。
またしても何かしらの進展が微々たるものでした。すいません。それとところ変わって今回のこのシリーズ、どうやら五話くらいになるんではないかと結論が出ました。
そして最近は一ヶ月一話更新。
完結にあと三ヶ月待てとげんなりの方もいらっしゃると思いますが私自身そんなに待たせる気はないのでどうにかして今月にもう一話くらいは…………新連載のほう、やんなきゃ(泣
とまあこんなワケでとりあえずババッとやっていきたいとは思っていますのでどうか気長にお待ちください。それでは!