最終月日 ~下~ 海洞護熾とユキナ
は~い最終話です!
そして注意書きの前に一言。一度その部分を読み返して見たんですが、想像力豊かな人にはちときついかもしれませんね。あ、それが楽しみな人は別ですけど(但し直接的表現無し。ハッキリ言って直接的な描写らしいのは省いて書いたのですけどそういう禁止事項を運営様が決められましたので)
それでは最終話、とくとご覧下さい! 以上、今までで一番長い前書きでした!
蒼空を削る太陽 そこを駆ける翠龍。
この世界は、醜くて美しい。間違っていて正しい。知っていて知らない。脆くて強い。
―――哀しくて、大切。
大切なモノは、もう隣にいる。
歩んでいこう、共に。
いつもと違う日々、いつもと同じ二人。
世界は、二人を祝福する。
命を懸けて戦った二人へ、永遠の絆の贈り物を
こんなに嬉しいことはない。
こんなに、望んだことはない。
今精一杯抱き締めてくれている、または抱き締めている黒髪の少年は、まさしく自分が求めていたモノ。
ユキナはギュッと抱き締め、並ばせていた頭を横に振り向き、軽く頬に唇を当て、温度を頬と等しくさせる。
護熾は少し驚いたように眼を大きく開き、そしてすぐに微笑むと右手をユキナの後ろ頭に回し、ゆっくりと、安心させるかのように撫で始める。
「お帰り……お帰り護熾…………また……一緒になれるんだね……?」
ユキナは撫でられながら、涙を流しながらも嬉しそうにそう言い、ギュッともう一度力強く抱き締める。
が、不思議とそこに手応えがなかった。
まるでそこに何もないような、空を抱き締めたような感覚。
ユキナは怪訝そうな顔をし、抱き締めた腕を見ると、もうそこには黒髪の少年の姿はなく、また一人、ポツンと部屋の中に取り残されていた。
暫しの間、状況を理解できなかったが、ユキナは辺りを見渡し、
「護熾…………?」
そう呟くと突然、意識が何かに引っ張られるように浮上していった――――――
「――――夢?」
ユキナは眼を醒まし、横にしていた身体を起こすとベットに広げていた髪を持ち上げ、背中に垂らすと不思議そうな顔で部屋の中を見た。さっきまでいた少年の姿は、ない。
机の上に置いてある時計が静寂に音を刻み、置かれている白いノートは無造作に置かれている。
誰もいない。
さっきは確かに…………しかしあれが現実なら、護熾が側にいてもおかしくはない。
それに突然の意識の途切れ方や、いないと言うことはこの事実は受け入れなければいけない。
ユキナは自分が被っていた布団をまくり上げ、首から提げているオレンジ色の御守りを握りしめると、それを顔まで持ち上げて押し当て、呻くように、
「……そうだよね……護熾はもう、帰ってこないもんね……バカだなぁ……私、夢ではしゃいじゃって……」
そう呟き、再び訪れた現実と向き合おうと目頭を熱くし、そしてもう一度泣こうとしたときだった。
丁度さっきまで寝ていたユキナに布団を掛けようとしていた人物がいた。
それは、先程この少女が眠るように倒れてしまったので、とりあえず布団を掛けておこうと行き着いた行動なのだが、いかんせん、今は状況が悪い。
ユキナの背後からその様子を見ていた人物は、鬱陶しそうに後ろ頭を掻き毟り、自分の存在に気が付いていないことと、寂しさ全開状態になっているのを見据えながら、ゆっくり声を掛けた。
「お~い、人を勝手に殺すな」
「うひゃぅ!!?」
突然後ろから自分に対して声を掛けられたユキナはビクンッと背筋を伸ばして驚く。
ついつい可愛い声を出したユキナはそれから恐る恐る自分の後ろを見ると、勝手に自分の幻想だと決めつけようとしていたユキナに少々イラっときている表情を出している護熾が、布団を被せようとしている体勢で、小さな背中を見ていた。
「護熾……? …………護熾!!」
護熾の姿を確認してから数秒後、ようやく事態を飲み込み、理解したユキナは嬉しそうに叫んだ。
あれは夢ではなかった。
そう確信したユキナはベットの上を這うなり護熾の許へ駆けつけ、マジマジと上目遣いでその姿を見つめる。背の高い容貌、いつも不機嫌そうに眉間に寄せているシワ、金平糖みたいにトゲトゲした頭。
一方護熾はTシャツに白いパンツ一枚姿のユキナから少々視線を外し、頬を朱に染めながら『さっきから何でこいつは、こんな姿をしているんだ?』と独り言を呟いている。
そしてユキナに妙な気遣いをさせないよういつまでも視線を逸らしているわけにはいかないのでできるだけ身体の方を見ないようにしながら眼をユキナに向け、見つめ合う状態にする。
暫し見つめ合った後、ユキナは今度こそ夢でありませんようにと何度も祈った後、両手を精一杯広げて甘える声で、
「ハグハグ」
「ハグハグ? って何?」
「抱擁して、護熾。」
「あのな~~さっきしたよな? それよりさ、お前さっき自分に何があったか―――――――」
グキュゥルルルルルルルルル!!
「う、お腹空いた~~~~~」
「言う前に起こったな」
ユキナに向かって不機嫌そうな顔をし、指を差して言った護熾の言葉を遮るように、ユキナの小さな体から羞恥心というモノを弾き飛ばした静寂を破る大音量の腹の虫が鳴く。
ユキナはひもじい表情でお腹を押さえ、護熾の顔を見ると、護熾は言う。
「お前大戦開始から何も飲み食いしていないだろ? 丸二日近く食べてないんだから俺と再会して抱き合うなりお前倒れたんだぞ?」
よくよく考えてみると、大戦開始からユキナは一切の水分補給も栄養補給もしていない。
しかも護熾が一度姿を消したあの後、病院で他の眼の使い手達は食はあまり進まなかったものの、キチンと病院食は食べ終えていたが、ユキナだけはずっと眼を醒まさなかったので食事はお預け。
そして今日の今朝も食欲がないと言って朝食は摂らず、中央から此処まで走って帰ってきたのだから空腹はさらに飢えを増していた。
そして護熾に再会した今、抑え込んでいた空腹感が一気に解放され、エネルギーの消費を抑えるために眠るようにぐったりと自分の胸の中に倒れてきた。っと護熾は呆れたように言った。
その話を聞き、ユキナはお腹をさすりながら、
「うう~~~そういえば何も食べてない…………」
「戦い終わっていきなり餓死寸前だもんなお前。ったく、此処は冬山の遭難地帯かよ。すぐに旨いもん作って喰わせてやっから下に降りようぜ。」
「!! 護熾の手料理だぁ!! うわ~~~い!」
グキュゥルルルルルルルルル!!
「うぅ~~~~~~~~~~」
「あんま喚くな。お腹の虫を聞かれたくなかったらな?」
そう茶化すように言いながら護熾はユキナに『とりあえずズボンは履け』と言い、ズボンを履き終えると同時にユキナに対して護熾は背中を向けてしゃがみ込み、腰の辺りに手で作ったイスを見せると、
「ほら、下までおんぶしてやっから、乗れ」
「あ…………う、うん」
ユキナはその大きな背中を見て、一瞬乗ろうか乗らまいかを躊躇したが、その身にこの人の温もりを感じたいという欲求が生まれると、飛びつくように護熾の背中に乗り、手イスにお尻を載せ、首に両手を回してギュッと抱き締めると、スクッと身体が持ち上げられる。
「んじゃ、行くぜ」
「出発~~~~~~」
そして部屋を出て、階段を降りている間、ユキナは一段一段、段を下りる感覚を感じながら、目の前にある大きな背中に顔を埋める。
自分が安心する人、自分を安心させてくれる人の、匂い。
そして僅かに抱き締める力を強くすると、自分にしか聞こえない小さな声で呟いた。
(お父さん、リーディアさん、ツバサさん、護熾を、ありがとう…………)
最終月日 ~下~ 海洞護熾とユキナ ――Interplay to the following story――
「ども、少し遅くなりましたッス」
「遅かったなストラス。…………師匠の墓は見つかったか?」
「ええ。昔の記憶を頼りに何とか……」
中央の庭にて、葬儀が行われてから二十分後、トーマとストラスはこんな会話を続けながら、足並みを揃えて歩いていた。ストラスは元ワイト出身。師匠のミョルニルに報告したことは大戦が終わったことと、結界、強化服が今の今まで役に立ってきたことと、その2つをこれからどうしていくかについてだった。
結界はもう、現世では不要品。
何故なら怪物はいなくなったのは当然のことで、怪物がいなくなったことで好き勝手に現世で不要なる影響を起こさせないように取り締まるためなので、信用がいく人達で結界を取り除いていこうという話しであった。
一方強化服はこれから宇宙用のにカスタマイズしたり、はたまた医療で重宝されて行くであろう。
「さてと、そろそろそっちの隊長さん方は引き返す頃か?」
「ハイ、ティアラお嬢さんはすごく悲しんでいますけど…………護熾さんはもう…………」
「…………前見たく、フラッと帰ってくれればいいんだがな……生憎今回はそう簡単には――――――」
いかないんだよな、そう言い切ろうとしたとき、二人の後ろから誰かがこちらに向かって走る足音が聞こえてきて、それが段々と大きくなっていったので二人は何事かと思い『?』を頭に浮かべて振り向こうとした時、黒光りする物体が二人の横を通り過ぎていった。
黒く、いかにも高級感溢れる車体の長い艶が掛かっている高級車。
こちらで分かりやすく言えば、よくお金持ちの人が乗るようなリムジンというモノであった。
そしてその車体が二人の横を通って東大門へ向かおうとし、車体の半分ほどが通り過ぎようとしたとき、急に車は止まり、黒いスモークの掛かった窓が下ろされると、中から人物が見えた。
それは女の子のようで、暖かそうな服装でスカートを履き、風に靡く長い髪が二人の視界に入ってきた。その奥にはこれまた金髪の男性が座っている。
金髪の煌めく髪、二人にはそれはすぐに分かった。分かったので先にストラスが声を掛ける。
「ティアラお嬢さん! 元帥! どこ行くんですか!?」
声を掛けると、手前にいたティアラが慌てたように早口言う。
「トーマ博士とストラス博士! さっきシバさんからゴオキが帰ってきたっていうお話を聞いたの! 隊長さん達や他のみんなももう行ってるって! だから見て確かめたいの! 」
そう、今まで一番驚いているような、遊園地に速く行きたい子供のようなはしゃいでいる。
一方、二人はしばらくの間ティアラが一体何のことを言っているのやらと言葉が詰まってしまったが、ようやく話の意図が掴めてくると二人とも顔を合わせ、
「あいつが、戻って来ただって!?」
「そのようッスよ先輩!! ってうわっと!!」
「ほれほれ二人とも行くぞ!! 何をボケッとしてやがるんだ!」
そんな元気の良い、ご機嫌な声が二人の耳を通り、それを誰だが確認する前に二人の身体が引っ張られる。二人は引っ張られ、車体の中に引きずり込まれると二人ともソファーの上にお尻を落とす。
そして改めて周りを見ると、二人を引き込んだ張本人のシバと、運転を任されているロキ、及び他の隊長達が各車内の席に座り、こちらを見ていた。
「シバ、どうしたんだ? 何があった?」
「さっきユリアさんから連絡が入った! ユキナを追いかけて自宅に着いたら護熾の野郎がいたそうだ! ユリアさんが言うからには間違いない! ロキさん発進してくれ!」
「分かりました!」
かつて、息子みたいな奴だと言ったことのあるシバは、拳を震わせて喜びと期待を抑え切れていない様子だった。トーマはその横顔を見て、フッと溜息を付く。
自分達は何もできず、護熾の死を見送った。
自分もそのことについてはいつまでもクヨクヨしていた。
特にシバは、自分の無力さに憤ることが多く、親しい人物として接していた護熾の死は引きずっていた。トーマはそのことを承知しながら茶化すこともなく、シバにポツリと言った。
「いたら、なんて言う?」
「お帰り、だろ?」
そして期待を込めた空気に包まれながら、車体は東大門へ動き出した。
ハムハムハムハムハムハムハムハムハムハムハム
「お前、食うペース速すぎ。ほれ水飲め」
クピ クピ クピ クピ クピクピクピクピクピクピ
「だあーー! 零れてる零れてる!!」
アムアムアムアムアムアムアムアムアムアムアム
「ちょっとお前こっち向け、顔が汚れてる」
そう言いつつ護熾は手に持ったフキンでユキナの顔を拭い始める。
ユキナは瞼を閉じて護熾に口を拭いてもらい、恥ずかしそうにありがとう、と短く礼を言うと再びお盆の上に乗せている品々に手を付け、それを口に運び始める。
今ユキナはお食事の真っ最中であった。
護熾は疲労と寝不足な彼女のためにユリアと共にすぐに食べれる美味しい料理を朝食兼昼食として多めに作ることにした。そしてそれをお盆の上に載せ、ユキナに見せると空腹なユキナには何の変哲もないメニューが高級レストランのフルコースに見えた。
その運ばれてきた品々が―――――
まずは前菜に小皿に盛りつけた緑が綺麗なほうれん草と人参のごま和え。
白ごまと砂糖醤油の香りが食欲をさらにかき立たせてくれ、前菜としては充分な一品である。
次からは続いて三品。
よく炊いたご飯を用意し、溶いた卵を油の引いたフライパンに投入して固まる前にご飯をさらに投入し、お米の一粒一粒に卵を絡ませてパラパラにし、胡椒と塩を程よく振り掛けながら、別のフライパンで炒めていた細切れのお肉と野菜も食えということで微塵切りにした人参とタマネギを一緒に入れ、最後の味付けと油がしっかりと米全体に艶が出るまで炒める。
そしてできたのが護熾手製のお皿に盛った一品 名付けて『スタミナチャーハン』
続いての品、厳密に言えば一皿に納まっているが敢えて分けて短く説明をする。
その一皿は少し大きく、まずはクリームコロッケが、カラリと揚がり、コーンがたっぷりと入り、熱々で黄金色のクリームコロッケが2つ。フォークで割れば中身のホワイトソースがとろり。
そしてお次はエビフライが長く真っ直ぐでサクサク衣にぷっちぷちのエビが詰まったエビフライがこちらも二本。囓ればエビの肉汁が溢れ出し、しかも護熾お手製の絶妙な酸っぱさのタルタルソースがその脇に盛られていてより一層ご飯と合う。
そして2つの揚げ物の臥所にシャキシャキの千切りキャベツが油っこさを抑え、彩りを演出している。
そして重要なのはチャーハンにも使用された銀色に輝くまばゆい茶碗に盛られたご飯。
これがクリームコロッケやエビフライをより美味しく際だたせる最高の主食となる。
「―――――ふひィ~~~~満足満足♪」
「あらあら、よく食べましたねユキナ」
「さすが二日も食べてないだけあって、食欲魔神と化してたな」
茶碗を三杯ほどおかわりを済ませたユキナは、お腹を軽く叩いて満足そうに呟く。
その様子にユリアは食欲を戻した愛娘の回復振りに微笑み、護熾はユキナの向かいに座って片腕を付いてその上に顎を見せ、目の前にある空っぽの皿を見てそう呟く。
「お母さん、護熾。ごちそうさまです!」
「はいはい、じゃ、お皿を下げますね」
そう言ってユリアは皿を片付け始め、護熾も立ち上がって目の前にあるお皿を手に取り、流し台に入れ始める。カチャカチャと皿の擦れる音が響き、護熾はユリアの隣に立って皿を洗い始めようとすると、横から手が伸び、
「護熾さん、片付けは私だけでもしますよ」
「いや、でもそれじゃあ…………」
「それよりもそろそろ皆さんが来る頃です。シバさんものすごく驚いていましたよ?」
ピンポーン。
ユリアが言い終わると同時に、家のチャイムが響き渡り、誰かが家に尋ねてきたことを知らせる。
「あ、来ましたね。護熾さん、行ってきてください」
「護熾、私もいた方がいいかな?」
「いやいいよ。ユキナとユリアさんには後で話せるから。じゃ、行ってくる。」
ユキナの体力を考え、気遣いのつもりで軽く手を振り、護熾はその場をさっさと立ち去ってしまうと、自分との再会を待ち望んでいる人達の元へ向かい始める。
ユキナはその背中を見送り、見えなくなってから、ユリアの方に顔を向けると、ユリアは微笑み、
「よかったね、ユキナ。護熾さん、帰ってきてくれて」
「うん! でも……一体何があったんだろう?」
「それは後々聞きましょ。とにかくユキナ、今日は休んでね?」
「は~い、じゃあ私はここで待ってよ~~とっ」
「はいはい分かりました。」
「あっ、そういえばお母さん…………ちょっと聞きたいことがあるの……」
「ん? なあにユキナ。質問ならどうぞ」
「あ、あのねその…………“子供”ってどうやったらできるの?」
少し小寒い外の空気の中、家の前で人の集団が佇んでいた。その後ろには先程のリムジンが停められている。
ユキナの家の前では十七人もの人々が、期待を胸に膨らませながら、チャイムを鳴らしてから玄関のドアの取っ手が捻られるのを今か今かと待ち続けていた。
そして玄関の取っ手が捻られると、全員の視線が一気に注目する。
ある者は目を見張り、ある者はその場でグッと力を込め、ある者は声を掛ける準備を始める。
そして取っ手が完全に捻られ、ドアに隙間が生まれる。
そしてその取っ手を掴んでいる腕が見え、身体が見え、そして顔が見え始めると――――
「うーーすっ、皆さんお揃いで――――――」
「護熾――――――!」
「護熾さん―――――――!」
「カイドウはん―――――!」
お馴染みの眉間にシワを寄せたような顔。黒色の髪をした異世界の少年の姿。
かつて、町を二度救い、現世もこの世界をもたった一人の力で救った、少年。
誰かを守るために、自身の命を省みず、二回死んだ少年。
全員、玄関から出てきた見覚えのある人物に声を向け、自然と表情が綻び始める。
やっぱり、帰ってきてたんだ。
全員がそう思う瞬間、声をかけ終わる前に、護熾を待っていた人々の集団の中から一瞬の躊躇もなく我先にと護熾に向かって走る影があった。
そして護熾が顔を上げて、前を見ると、
「ゴオキ~~~~~~~~~~~~~~~!!」
「ん? ってティアなはぁ――――――――!!?」
流星の如くみんなの中から飛び出してきたティアラは、手加減無しの飛び付きを真っ直ぐ護熾にかまし、金色の髪を日光に煌めかせながら両手を精一杯横に広げて飛ぶ。
一方、それに気が付いた護熾は目を丸くして両手でティアラをキャッチ、そしてグラリと既に一般人レベルの身体には耐え難い衝撃が奔ると、あわやティアラを怪我させることはなかったが、護熾は思いっきり尻餅を付き、キョトンとその場に落ち着く。
「うう~~~~ゴオキ…………ゴオキ!」
飛び付き、護熾の胸に納まったティアラは甘えるように顔を埋め、本物かどうか確かめるようにし、かつて味わったことのある温かみだと知ると一層抱き締める強さを上げる。
そんなティアラを、護熾は驚いたことと、ティアラの突発的な行動に短い溜息を付き、そして目に見える範囲で死に様を見せてしまったことを詫びるように、柔らかい金髪の頭を撫で始める。
「うぉおおおおおおおおおおおお!!! 護熾!!! てんめぇマジで死んだかと思ったぞ!!」
その様子を見ていたラルモは、ティアラに続いてダッシュし、抱きつき攻撃を首に向かって伸ばす。
そして丁度立ち上がった護熾をぐわしっと抱き締め、同様に生きて此処にいることを実感する。
「おおラルモ、久し振りだな。随分と怪我したな?」
護熾はまだ怪我の完治していないその姿を見て、言う。
他にもお馴染みの眼の使い手達、アルティは怪我は完治しつつあるがまだ頭に巻いた包帯はとれておらず、おそらくこのメンバーの中で一番の怪我をしたガシュナに至っては、体中を包帯で巻いている状態なので、虚名持との戦闘に勝ち、尚かつ今までで一番激しい戦いを乗り越えてきたことを物語っていた。
「おおおお!! このガキ!! 本当に生きてやがる!!!」
「はっは! たまげたもんだな!」
「ホンマ、ホンマ死んだかと、うちらは思ってたのに! このアホウが!!」
「護熾さん! よく生きて帰ってこれましたね!」
「テオカさんと同様、死んじゃったかと思ったわよ! えいっ ハグしちゃえ!」
「よくぞご無事で護熾さん!」
続いて隊長達が、自分達の故郷を、世界を救った一人の少年に駆け寄り始め、頭を撫でたり、抱き締めたり、肩を叩いたりなど、もう一度生きて再会できたことに感動を覚えながら、嬉しさを表情に出し、声を上げる。
そして、続いて現れるのは―――――
「カイドウはん!!!!」
「カイドウさん! よく生きて帰ってくれましたね!」
「おっ! ギバリ! リル!」
抱きついてきた二人の後に、続いて現れた二人に気が付いた護熾はその無事な姿を見て、安心したように声を出す。
ギバリやリルは、ソラの超然たる気にアテられた程度なので、これと言った外傷はない。
そんな二人だが、またも死に行く姿を見せられ、今度こそもうダメかと思った矢先、こうして帰ってきてくれた護熾に改めて声を掛けられ、泣きそうな顔で感謝の言葉を言う。
「ホント、よくぞ無事で帰ってきたもんよ! ホントにもうっ、死んだかと…………」
「あの時は助けてくれてありがとうございます! カイドウさんがあそこで現れていなければ、今の私達はありません…………」
「いいよいいよ、こうしてお前ら無事に―――――――」
そう言いかけようとしたとき、さらっと長い黒髪が空にふわっと浮かび、キュッと軽いステップで護熾に近づいている二人の間をするりと抜け、隊長達が見ている中、護熾の顔面に見事に誰かさんの拳がメキョッと入り、
「こんのバ海洞――――――――!!!!!!」
「おっほぉおおおおお―――――――――――!?」
容赦無用、遠慮無しのグーパンチが、いつの間にか素早くギバリとリルの前に出てきていたイアルから放たれ、防御ゼロの状態で喰らった護熾は顔を右に九十°曲げ、首振り人形のようにぐわんぐわんと首を揺らした後、後から来るジンジンとした痛みに堪えつつ、殴ってきた本人をキッと茫然とした顔で見る。
「痛ってぇえええええええ―――――――――!! 何すんじゃイアル!!」
「何よいきなりフラッと帰ってきて!!! どれほどあんたは私達を泣かせたいわけ!?」
「うおおっ」
「まったく、また死んで……もう帰ってこないと思っていたのに…………必死でちゃんと成仏できるように祈ったのに…………このバ海洞、バ海洞、バ海洞、バ海洞……………………!!」
フルフルと震えながら、強気の表情を護熾に向けるイアル。
今はもう、想いを寄せていた人物ではなく、かけがえのない友人として、もう二度と会えない寂しさにどれほど耐えたかを、素直ではない言葉のみで、護熾に伝える。
そんな様子から、護熾は自分のことを心配してくれているのだと分かり、微笑んで、
「ただいま、もう俺は、どこにも消えやしないよ」
「うぅ、バカ…………」
ソッと、人目を気にせず、『お帰り』とただ一言だけ呟いて、護熾の頭を抱き締めた。
途端、周りから囃し立てられ、恥ずかしい思いをするハメになったのは言うまでもないが。
「よくぞ、帰ってきましたな護熾殿。護熾殿はどのような状態で、どのような使命を背負っていたかは博士二人とシバ隊長から聞いた。よもや、よくぞ、その使命を全うしましたな」
「さて護熾さん、以前にもこのようなことがあったのは聞いています。今回はどのようなことがあって、生還できたのですか?」
イアル達との無事再会の場を終えた護熾に、ジェネスから労いの言葉、隊長代表としてロキが、今回の護熾の死亡から黄泉がえりの成り行きについて問い掛ける。
「それは、是非とも自分も興味があるッス! 是非聞かせて下さい!」
「護熾、話せるか?」
「また向こうで、アスタには会ったのか?」
「……ああ、その者……ソラって名前なんだけどな―――――」
続いて、ストラス、トーマ、シバからも是非とお願いをされた護熾は、少し憂鬱そうな面影を表情になりながらも、この先決してソラは悪意があってやったわけじゃないということを知ってもらうために、真実を知って貰うために、護熾は躊躇していた口を解き、全員の注目を集める。
開眼の正体、理とは何か? その者=ソラのこと、最初の開眼者、そして、自分がどうやって此処に戻って来れたのかを――――――
「ソラの心の壁を破壊した俺とユキナは、結晶の塔の中で、ソラとツバサさんっていう人と会ったんだ―――」
「そうか…………リーディアは、待ってくれているのか……」
「先輩、師匠はどうやら、元気みたいですね。」
「ああ、まさか、あの世があるなんて思いもしなかった……そうか、師匠は元気か」
「そうかテオカは、私達を見てくれていたのか…………元気に過ごしている、か…………」
「お母様が、私とお父様を、見守ってくれてるの?」
「ああ、まさか俺に似てたなんてびっくりだよ」
護熾は、自分とユキナは、結晶の塔の中で全ての発端となる少年ソラと、ソラの保護者的存在であった最初の開眼者ツバサについて話し、そのあと自分は理の作った世界で今は亡き英雄、現世に思い残しのある人々を残してきた人々に出会い、そして最後に、自分は真理によって時間を戻され、今此処にいることを話し終えた。
シバはリーディアから、トーマとストラスはミョルニルから、そしてティアラとジェネスはテオカから、それぞれ護熾に託したメッセージを受け取り、今は亡き者でも向こうで元気に、気長に過ごして自分達を待っていることを知ると、感慨深い、言葉にできない想いが溢れ出してくる。
「なるほど、じゃあ貴様は既に開眼者ではなく、ただの人間であるのか?」
「ああ、元々俺の開眼は真理によって発動してたモノだからな。お前らと違ってもう開眼はできねえ。まあ、少し若返ったくらいだな」
護熾の話を静かに聞いていたガシュナはそう尋ね、護熾は頷いて答える。
ガシュナは事の発端となる少年のことは両親の仇がとれたことでスッキリする素振りを見せるが、あまり喜んでいるような様子はなく、ただ黙っていた。
「ま、これでこの世界は普通に戻ったわけだ。これでようやく、眼の使い手の人は普通に、世の中は怪物に脅かされることはなくなったわけだ。」
「それでは護熾殿、我々から今、言わせて欲しい」
そうズイっと前に出たジェネスは、ティアラに側に来るよう手で招き、そして隣に並ばせると顔を振り向かせて隊長達を見て、それを合図にか、隊長達は横に整列して一斉に敬礼のポーズをする。
それを見た後、ジェネスは顔を前に戻し、護熾を見ると、愛娘のティアラと共に、静かに頭を下げた。
「本当に、感謝している。そなたとユキナ殿のおかげで、テオカのことも知り、今こうして此処でそなたに礼が言えている。大国の代表として、そして一人の父親として、礼を言わせてもらうぞ」
「「「「「「この度は、本当に感謝しています!! 本当に、ありがとうございます!!!」」」」」」
ジェネスが礼を言い終えるのと同時に、後ろの隊長達も一糸乱れぬ声音で同時に礼を言い、頭を下げる。護熾は一瞬驚くが、すぐに柔らかく微笑み『どういたしまして』と言おうとすると、他の人達も頭を下げ始める。
ラルモも、アルティも、ミルナも、リルも、ギバリも、イアルも、ストラスも、トーマも、シバも。
その光景に驚きながら、護熾は最後に、頭を下げていないガシュナを見て、少しつまんなそうな表情を見つける。
「俺は貴様なんぞに頭は下げん。だが、感謝しているのは不本意ながら事実だ。貴様のおかげで此処にいる人達は今生きている。」
「へっ、まさかお前に感謝される日がくるなんてな、明日は雪でも降りそうだな」
頭を下げないのは彼なりのプライドの所為である。
護熾はそう砕けて見せてから、改めて、全員に向かっていつもの調子で、しかしゆっくりと、自分もみんなが生きていることを感謝するように、
「…………どういたしまして」
ただ静かに、そう言った。
「さてティアラ、もう時間がギリギリだから早く行くぞ」
「ええ~~!? お父様! 私はゴオキと一緒にいたいです!」
「護熾殿には世界を一度救った男の娘、ユキナ殿がおるであろう。二人の邪魔はしない方がいいぞ」
「むう~~~別に私は……ゴオキの愛人でも……」
「はいはい、お嬢様、危険発言は慎んで、護熾さんに別れの挨拶をしてください」
「うう~~ロキ隊長さんも~~~、う~~~~~、じゃ、ゴオキ…………近いうちにまた会おう、ね?」
「いいぜ、そん時は何か食わしてやっから。楽しみにしてろよ?」
「うん! じゃあねゴオキ!」
「博士、現世にはすぐにいけますか?」
「今は新しい理になったからな、おそらく構造の新しい再解析が必要になると思うから、明日にはできると思う。ま、今日は休んでな。」
「護熾、お前もうどこにも行くんじゃないぞ? これ以上、大切な仲間が消えるのは懲り懲りなんだからさ」
「博士、分かりました。 シバさん、大丈夫ですよ。もうユキナを一人にはしませんから。」
「これから、お前らはどうするんだ?」
「まあ、まだ収拾がつかないこのご時世だ。俺たちの能力はまだ使い道があるし、ミルナに至ってはこれから真価を発揮してくるだろう。まあ、世界が落ち着いたら、もう一度旅行に行こうと思っている。」
「え、ガシュナそのことを考えてくれたの? あ、ありがとう」
「ん~~~俺はどうっすかな? …………まあ少しの間は思いっきり休みたいな!」
「私は…………このあとちょっと寄るところがある……」
「私はいつもどおり風紀委員の仕事に戻るわ! これからビシビシと取り締まっていくわよ~~!」
「ああ、これから普通の日常が帰ってくるのかもんよ……嬉しいような、後悔のような……」
「まあ、生徒のみんなは喜ぶと思うけどね。カイドウさんはこれからは?」
「とりあえず、明日までには向こうに戻れねえみてえだから、今日はユキナん家に泊まるわ。じゃあお前ら、気をつけて帰れよ!」
「お~い、ユキナ~ いるか~?」
玄関前で顔馴染み達との再会を果たし、話も済ませ、難なく解散に至った護熾は家の中に戻り、そこでユリアからユキナは既に自室に戻っていることを聞いたのでこうして部屋のドアを開け、滑り込みながら入ると、ベットの上で規則正しい寝息を立てながら、呑気に寝ているユキナを発見した。
それを見つけると、護熾は起こさないようにソーッと近づき、ベットの前に着くとその姿を見ながらその場に座り込み、胡座をかいて落ち着いた。
―――……どうやら、落ち着いているみてえだな。
腹も膨れ、想いを寄せている人物が理由はともかく、こうして帰ってきてくれたのはユキナにとっては大きな精神へのプラスとなったため、こうして安心して昼寝をしているのだ。
「ん、んん……」
するとユキナはくぐもった声を出し、横向きに寝ていたユキナはごろんと仰向けになる。
無防備で穏かな寝顔は、幼さを残してあどけなく、日の光で艶を帯びた黒髪は、彼女の自慢と言えるほど、改めて独特の妖しさを纏う美しさと魅力を醸し出していた。
同時に、淡い桜色の、柔らかそうな、自分と何度も重なったことのある唇も垣間見える。
―――……俺は……本当にこいつと……キスをしたのか?
いつの間にか伸ばしていた手で柔らかい髪にソッと触れ、前髪を掻いた指で頬を撫で降ろす。
指先でソッと唇に触れ、見た目通り柔らかいことを確信すると、小顔の触り心地の良い頬に片手を添えると、静かに、唇に吸い込まれるように顔を近づけ始める。
―――もう一度すれば、俺はきっと…………
もう一度重なり合えば、自身の唯一の“不安”の答えが見つかるかも知れない。
そんなやや無謀な期待を持ちながらも、顔を近づけ、そして、ユキナの唇と重なり合おうとした時だった。
「んん……」
鼻先が触れる所まで顔を寄せた所で、ユキナの黒い瞳がボンヤリ開かれた。
護熾はビクッと一瞬硬直し、互いに見つめ合う状態に入る。
ユキナは、その瞳に映る護熾の瞳をぼーっと見つめた後、はてはて? と思ったのか、自分の頬に添えられている片手や、顔との普通の距離ではない近さですぐに状況を理解すると手を口元に持ってきてニマニマとした悪戯顔で、
「ねえ、キスしようとしたの? 私が寝ている間に?」
「うっ…………ほっとけっほっとけっ、忘れやがれ!」
護熾はユキナに図星を諭され、恥ずかしさと妙に悔しい気持ちを織り交ぜながら、誤魔化そうとするとユキナは蛇のようにニュルンとベットから滑り落ち、見事護熾の前に降りるとその胸に身を預け、顔を上げ、
「ふんふん、護熾の匂いがする。う~~」
「おわっ、って、お前は犬か! ……いや、どっちかっていうと猫っぽい気が……」
護熾が驚く中、猫のようにスリスリと頬摺りをするユキナはその行為を一度止めると少し不満げに頬を膨らませ、
「まったく~~、私の許可無しで、っていうか寝てる時にしないでよ~ 罰として此処で寝かせて」
「寝かせてって、此処でか!?」
「そう。護熾、抱き締めて」
「ダメダメダメッ、お前ここからどけっ」
手をブンブンと振って否定する護熾に対して、ユキナは少し悲しげな表情で、顔を見上げ、
「…………ダメ?」
「うっ…………」
その小さな顔の中、磨かれた黒真珠のような大きな瞳が潤ませながら上目遣いで見ている姿は、それはそれは可愛らしく、護熾でさえ言葉を失った。それでも、護熾は両肩に手を置き、
「でもやっぱダメだ」
「やだ、んっ」
ちゅっ。
そんな軽い音が聞こえたかと思えば、いつの間にかユキナは護熾の頬に唇を当てていた。
その瞬間、護熾は思考を一瞬フリーズさせるが何とか持ち直し、頬を赤らめながらも退くように説得する。
「あ、あのなそんなことをしてもな―――」
ちゅっ
「こ、こんなので動揺なんか―――」
ちゅっ
「う、嬉しくなんか―――」
ちゅっ
「……………………(思考停止中)」
「ふふっ、ふみゅっ」
かぷっ。
護熾に連続で接吻をお見舞いした後、謎の甘えた声を発し、護熾の肩を甘噛みするようにしたユキナは『ここで寝る』と密かな主張をする。
潤ませた目、身体を寄せていたいという欲求、決めたら絶対に止めないという決心。
護熾は鈍くなった思考ながらも直感で退かすのは無理だと判断すると、一息つき、わざとらしく両腕を大きく横に開いてみせる。
「えへへ♪ ありがと」
護熾の了承を確認したユキナは、ポフッと胸に身体を預ける様にし、頭を胸に載せ、その小さい身体が護熾の身体に納まると、布団代わりの護熾の腕が、身体を包み込む。
だがこれだけではやはり肌寒いので、護熾はユキナのベットから毛布を頂戴すると、それを自分とユキナに纏わせ、防寒を万全にする。
布団団子状態で、護熾は腕の中の人物を見下ろして、言う。
「これでいいんだろ? 文句は言わせねえぞ」
「十分十分っ、じゃ、お休み~~~」
そう言い、ユキナは何度か護熾の胸の中で頭の位置を調整した後、重くなった瞼に従い、とうとう静かな寝息を空間に溶け込ませるようにし、寝た。
三十分後。
日差しが少し強くなり、毛布がいらなくなるくらい暖かくなってきたので取り去り、腕だけでユキナを支えながら、自分もウトウトとし始めたときだった。
「うぅ、ごおき…………逝かないで……お願い…………」
不意にそんな声が聞こえ、護熾は眼を見開いて眠気を吹き飛ばし、辺りをキョロキョロとする。
そして声の発信源が腕の中の少女だと気が付くと、顔色を窺うようにするが、また呟く。
「寂しいよォ…………どこ?…………どこ?…………」
まるで寝ているとは思えない、感情が籠もった寝言。
おそらく、護熾が死んでしまうシーンを繰り返し見ているのであろう。
それは、マールシャの時も、命を使い果たして目の前で消えて亡くなった時のことだ。
この少女は、二度も大切な人が死ぬところを、間近で見た。
護熾は、フッと溜息を付き、悪夢に魘され、目元を濡らしている少女の頭の後ろに手を回し、ソッと胸に押しつけるようにする。それから、もう片方の手で小さい手を取り、優しく握りしめ、
「ここだよ。ここにいるぜ。もうどっかに行ったりはしない。ずっとお前の側にいるから」
「ごおき…………ごおき…………」
「もういなくなったりしないからさ。ずっとずっと一緒だ。」
腕の中で眠る愛しい存在。
自分が帰ってこなければ、ずっと寂しく、孤独で人生を歩もうとした、少女。
五年間よりもずっと長い孤独の刻を過ごそうとした少女。
護熾は、それから、安心させるように、抱き締める力を強くした。
すると安心したのか、はたまた深い眠りに入ったのか、ユキナはスヤスヤと静かな寝息を立て始め、静かに眠った。
陽が傾き、西の地平線に、完璧な円を作る光の塊が、隠れようとしていた。
昨日と打ってかわった雲一つ無い空は、オレンジから蒼、そして紫へと変化しながら、全天を覆っていた。
そんな中、ある家の中では若い男女がいた。
一人はテーブルのイスに座って、紅茶の入ったコップを手に持ち、ずずずと啜りながらキッチンでこちらに背を向けている少女を見つめていた。
その人物は、今日は料理は色々と手間を掛けさせたいという理由からこの時間から仕込みを始めていた。
「ミルナ、随分と張り切ってるな?」
「え? えへへ、今日は、何だか嬉しいから……」
ガシュナはコップをテーブルの上に置きながら言う。
そして立ち上がるとできるだけミルナの邪魔にならないように、その隣まで歩いて、並ぶ。
「……奴が帰ってきたからか?」
「うん、まあね。だってユキナは、寂しい思いをせずに済むんだもの……本当に……よかった」
顔の微笑みを浮かべながら、まな板の上に包丁を置いて一旦休息に入ったミルナはガシュナに向く。
「ガシュナ……」
「? 何だミルナ」
「その…………生きててくれて……ありがとう……」
「…………フン、俺が今此処にいられるのは、ミルナとあの隊長と、不本意だがモズクのおかげだ。感謝するならそいつらにしろ。」
「ふふっ、そうだね。…………そういえばガシュナは、両親のお墓参りは……?」
大戦は終わり、怪物はもうこの世にはいない。
世の中が平和になったことを、両親の墓があるガシュナに報告してはどうかと尋ねてみる。
ガシュナは暫し無言になり、それから、
「そういえばゴタゴタしててお前と結婚したことも報告してなかったな。だから、差し支えなければ、できる限り覚えていることでいいんだが……ミルナの親は、どんな人達なんだ?」
報告するならまとめてしたい。そして結婚の報告ならばどっちのお墓にもしたい。
ガシュナからの質問にミルナはう~んと頭の中の記憶をひねり出し、それからポンと手を叩くと
「お父さんは確か、タバコを吸う人で幼い私にべったりだったなぁ、お母さんは優しくて、綺麗な人でした。たぶん、私はお母さん似ですね。」
「タバコって……ミルナは嫌いだろ? 俺もだが」
「はい、あとガシュナみたいに風呂上がりに砂糖も何も入れていない牛乳を飲んでいました。」
「牛乳って…………そりゃまた」
ミルナは、家族の話を何気なくし、ガシュナはそれを聞き入れる。
話すとふと昔の光景を思い出すのであろう。
別に無理をしているようではなく、ただ懐かしむように。
「お父さんとガシュナだったら、話があったかも」
「牛乳で合ってどうする。やっぱり風呂上がりが最高ですね、いやいや、やはり瓶が王道で捨てがたいとか? どんな会話なんだ、それ」
想像したのか、吹きだしたミルナが苦しそうに引き笑う。
少し笑いすぎて、ちょっと涙がにじんだ目元を、ミルナは指先で拭いながら呟いた。
「―――会わせたかったなぁ」
それが決して有り得ない仮定であることは互いに触れない。
こんな世界で、悲劇に見舞われた人同士で、開眼者でなければ、ガシュナとミルナは出会っていない。
半分大事なモノを斬り落とされ、失っていることが前提の出会い。
ガシュナもミルナ同様、両親を失って出会っているのだ。
不幸の上で寄り添って立つ出会いは、手放しで喜ぶには多少後ろめたくて多少しょっぱい。
「会ってたら俺は殺されてるな。つか、こんな怖い顔の奴が、お前みたいな可憐な奴に近づくのは犯罪臭いからな」
「顔が怖いって……って! 犯罪臭いっていうのは何ですかっ! 私は確かにユキナと同じ、背は低いしスタイルだって……」
「そこに絡むな。まあ、出て行けとか言って鈍器とか飛んでくるだろうな、多分」
「そんなこと」
「本当に、そんなことないと言えるか?」
「ない、こともないかも……あ、絶対来ますね、……かも?」
考え込んでしまったミルナが、思いついたように顔を上げた。
「大丈夫ですよ、お父さんそんなに吸わなかったから小さいのばかりだし、だから致命傷は」
「ちょっと待て! 投げられるのは前提なのか!」
仮定の話でも、ガシュナは鋭くツッこむ。
想像しただけでも、灰皿の嵐が自分に向かって飛んでくるなど、悪夢以外の何でもない。
「――まあいい。それで気が済むのならば受けて立つし、それでも納まんないなら親父の気が済むまで殴られたっていい」
「すみません。でも私はガシュナが負けると思いませんから」
「フォローのつもりか? それは」
建前は謝りながら、ミルナは嬉しそうに頬を上気させて笑う。
こんな他愛もないもしもごっこで喜ぶなんてなんてお手軽で―――何て、
「ミルナ、ちょっと上を見ろ」
「え?」
ミルナは釣られて顔を上げる。
するとガシュナは顔を上げたミルナの頬に両手を添える。
互いに、悲しみを乗り越え、生きて会えた。それだけでも、充分だ。
ガシュナは今、ミルナと喋れていることに、見えない神に感謝しながら、軽く腰を折って屈んだ。
ミルナも瞼を閉じ、受け入れる体勢に入る。
それからゆっくりと、そのままミルナに顔を重ねた。
同時刻、人だかりが疎らになった中央裏の大霊園は琥珀色と茜色に染まっており、静けさが徐々に支配領域を増やしていた。そんな中、手ぶらでアルティは大霊園の中に入り、すれ違う人々と挨拶を交わしながら、奥へ、奥へと歩いた。
アルティが足を止めたのは大霊園の真ん中辺りだった。
広大の中、たった一人ポツンと残されたアルティは足を止めた墓の前で屈み、ソッと両手を合わせる。
アルティの両親のお墓。
一週間毎に、墓の花生け水を取り替えたりするために来ているのだが、今回はただ、世界が平和を取り戻したということを報告しに来たのである。
自分はこうして生きている、それも含めて。
それからアルティは、墓に添える花を後で入れるために、花生けの水を取り替え、それからもう一度静かに祈った。
そんな静寂の大霊園の中、アルティを見つけた人物は、邪魔をしないようにゆっくりと歩み寄り始める。アルティは祈り終えると、誰かがこちらに近づいていることが分かると、そちらに顔を向ける。
「よ、よぉ。お前も墓参りか、アルティ。」
肩に途中で買ったのであろうか、花束が担がれており、一目で墓に供える花生けに入れ花だと分かる。
ラルモは静かにまた歩き出し、アルティを避け、そしてすぐ隣の墓で足を止める。
「お墓……隣なんだね」
「え? ああっ! ホントだ! そういえばお前とオレ、一緒に墓参りに来なかったからな」
お墓のあまりの近さに改めて驚いていたラルモはアルティを見ながら肩に担いでいる花束を下ろし、同じく墓の前で屈んで両親の眠る墓標を見つめる。
「……久し振りだな、母ちゃん、父ちゃん。花、持ってきたぜ」
そう、強い眼差しと幾度の覚悟をしてきたような声で、呼びかけるようにそう言い、花束から一輪の花を抜き取る。
………ラルモも、両親に報告に来たんだ。しっかりしてるなぁ
その様子を見ていたアルティ、少し嬉しい気持ちになり、ラルモの見えないところで微笑んで、それから近くの花屋に花を買いに出かけよう、そう思った時だった。
「うぅわっ、くっせ! やっば! 一ヶ月で水ってこんなに臭くなるのか!?」
前言撤回。
どうやらアルティみたいに真面目に日を決めて来ているわけではないらしく気まぐれで来ているらしい。アルティはその管理のズボラさにさっき感心した自分も含め、呆れるように軽く溜息を付く。
「アルティんとこは大丈夫か? 臭くねえか?」
「さっき入れ替えたらこっちは大丈夫。ラルモはもっと、お墓に気を使って」
「あははっ、耳に挟んでおくぜ。…………はい、これ。」
アルティに注意され、照れ笑いで誤魔化したラルモは、ふと何かを思いついたように花束を半分に分けてそれをアルティに差し出す。アルティはキョトンとした顔でそれを見つめ、
「それ、ラルモの両親のためじゃ?」
「いいっていいって、こんだけの量は一つの墓に納まらないし、お前持ってきてなさそうだからさ。迷惑じゃなきゃ、どう?」
「あ、ありがとう」
お花なら何でもいいってワケでもないが、こうして共に歩んでいきたいと思っている人からのお花だったら、そう思ったアルティは、心の中で『少し元気すぎるけどね』と付け足し、ラルモからそれを受け取る。
ラルモは自分の両親の墓の花筒を引き抜き、すぐに戻ると言って水を入れ替えに出かける。
残されたアルティは、渡された花を丁寧に花生けに供える。
綺麗に飾られたお墓。夕日に染まり、神秘的な雰囲気が醸し出される。
それからアルティは、少し横に移動して、ラルモの両親の墓の前で止まる。
初めて対面するラルモの両親。
きっと子供にも負けないくらいの元気な家族だったに違いない。
会ってみたかったな、そう思い、横を向いてみると、こちらに元気よく手を振っているラルモが見えた。アルティはそれを見ると、軽く微笑んで、手を振り返した。
これから、楽しい日々が訪れる。そんな予感を胸に秘めて。
夜。
終戦から二日目の夜はこの季節らしく乾燥しており、乾燥した空気の向こうで、幾億もの星が瞬いている。
明日か、親父や一樹と絵里、友達になんて言われるんだろうな。
まさか生きてこの世に戻ってこれるとは、そんなことを思いもしなかった護熾は、庭に出られる窓から外を覗き、そんなことを思っていた。
今、護熾達は夕食を終え、片づけが終わったところである。
そしてユキナが一番先に入っているので、こうして順番待ちをしているわけだが、明日、現世に帰る自分はどう言って誤魔化すのかを考えていた。
風呂から誰かが出る音がした。
それを聞いた護熾は、考えるのは風呂でしようと決めつけ、そっちに向かった。
明日、みんなに会える。
一度は全てを捨てて、ユキナと此処にいるみんなを助けるために、もう帰ってこれないと思ってた。
今思えばユキナと出会ってから四ヶ月、長くもなければ短くもない。
その期間の間に自分は色んなことを体験した。
開眼、死亡、自身の死との闘い、傷の痛み、自己犠牲、ミニマム化、そして――誰かを好きになること。
自分がそう思ってきたことを振り返りながら、廊下に出る。
廊下に出ると、丁度今上がってきたユキナが身体から湯気を出して方にタオルを載せ、スッキリしたという表情で歩いていた。
だが、風呂に入ったのに関わらず入る前と同じ服装だったので一声掛ける前に、護熾はそれに目が留まった。
「あれ? 服一緒じゃねえか」
「あ、うん。服は上でって、決めたの」
「決めたってわざわざ上で着る必要なくねえか」
「いいのいいのっ、護熾、楽しみにしてね♪」
「楽しみにしてろって…………それよりもさぁ――――」
とりあえずユキナの寝衣の話は置いておき、護熾は少し照れているのか、頬をポリポリと掻き、
「お前、“結婚”って前言ってたじゃん?」
「!!!」
それは、大戦が始まる前、ソラが理を持ち出す前に電波が繋がる状態でユキナが護熾に電話をしたときの話である。
ユキナは護熾の声が聞けたことにあまりにも嬉しすぎて、乙女なら誰もが夢見る好きな人との結婚をしようと言うのを通信が切れる直前に言った。
当然、ユキナは護熾と一緒になることは望んでいる。
この世で一番想いを寄せ、愛しているのだから。
だが、簡単にあの時口走った自分が恥ずかしくなり、
「それでさ、話が…………って、おぉ―――――――い!!」
護熾が何かを言う前に、ユキナは真っ赤になった顔を隠しながら、護熾の横を通り過ぎ、そして凄い速さで階段をドタドタと上がると、ものの数秒で自室に入り、バタンとドアを閉める音が聞こえた。
よほど慌てたのであろう、階段の一番下の段にタオルが落ちていた。
「…………まぁ、後でいっか」
護熾は落ちたタオルを拾いに行き、それから言い訳作りの空間の風呂場へと趣いていった。
風呂から上がり、用意された寝間着を着た護熾は、身体から湯気を出し、頭にタオルを載せ、廊下を歩いていた。
今からユキナの元へ行く。
若干恥ずかしく、やや期待の気持ちを持ちながら、歩いていると誰かが道を遮った。
「すいません、ちょっといいですか?」
護熾の前に現れたユリアは、少し憂い顔でそう言い、護熾は怪訝そうな顔で立ち止まる。
それを確認してから、ユリアは口を開く。
「私は、護熾さん達が結晶の塔の中で見たことは知りません。ユキナの話ですと、護熾さんと同じ、理解者の人がいたというのは聞いています。その人は本当はあまり悪い人ではないことも。でも、でも、それでも、護熾さんが現れなければ、今はありません。それに、その人は間接的ですが、アスタくんと、リーディアさん、博士の師匠を殺しました。ですから仇を――――とってくれて、ありがとうございます」
ユリアは少し涙声になりながらも、そう言い切ると、静かに、頭を下げた。
護熾はポカンとその場に佇み、少ししてから、ユリアは仇をとってくれたことについて礼を言っていることを理解した。
正直、複雑であった。
仇。
それは自分が討ったと言えるのか。
結局、自分はユキナに止められなければ、殺人者として此処に立っていたかも知れないのだ。
しかしユリアは現場にはいない。
護熾は言いたいことは抑え、静かに微笑んで、返事をした。
「う~~ん。ユリアさん、気持ちは分かりますが、あんまりそう言うのは…………それに、死んでもたぶん、上から見てますよ。」
「…………そ、そうですね。すいません。気分を悪くさせてしまいましたか?」
「いえ、それじゃあ、お休み」
「はい、お休みです。護熾さん」
ユリアに軽く挨拶を交わした護熾は、横を通って歩き出した。
行き先はユキナの元へ、彼女が、自分の解を持っていると信じて。
階段を一段一段上り、その間に言うことを決めて、進む。
大きな期待と少しの不安を抱え、一瞬会って良いのかと思ってしまうが、そんな思いを捨てて、進む。
そして階段を上りきると、目の前にユキナの自室があった。
護熾は一度咳払いしてから、軽くノックをした。
「起きてるかユキナっ! 話があるっ!」
しかし何度ノックしても、何度声を掛けても返事はなかった。
よく見ればドアの隙間から光は漏れていない。
代わりに暗闇が漏れていたので護熾は既にもう寝ていると判断すると、無理に起こすと何をされるか分からないし、疲れているだろうから仕方がない、明日にでもと決め、渋々借りた隣の寝室に進路を変更した。
冷たい廊下を歩き、ユキナの自室の隣にある元アスタの部屋。
護熾はドアを開け、すぐ近くのスイッチを付けると、部屋の中が明るくなる。
部屋の中は当然暖房など掛けていないので、冷え切った空間が部屋の中を支配していた。
護熾はイヤイヤながらも中に滑り込むと、ドアを閉め、つかつかと歩いて、この寒さを紛らわすために思いっきり寝よっと思い、いざベットを見下ろしてみると違和感があった。
不自然な膨らみが、護熾の寝室のベットに存在している。
分かりやすく言うならば誰かがシーツの中に籠もっているということだ。
その膨らみは、護熾が部屋の中に入ってきたことに気が付くと、ヒョコッと顔を覗かせ、こちらを見た。
大きな瞳、そしてシーツを剥ぎ取ると、中から姿を現す。
「やっと来たね。布団、温めてたよ♪」
そう、のんびりとした声が護熾に向かって放たれる。
自室ではなく、護熾の寝室に来ていたユキナはそう言いながら、護熾の前まで歩き、姿を見せる。
そして護熾は、少し苦笑いで何故此処にいるのかと思っていると、先程と服装が違うことに気が付き、下から上までマジマジと見つめた。
白い、純白のネグリジェ。
胸には三段式のリボンが結ばれており、身体と服を繋いでいる。
おそらくユキナは、これを見せたくて、部屋に潜んでいたのであろう。
何とまあ、勿体ぶる奴だな。
護熾はそう思い、ふぅと息を吐いて、顔を合わせた。
そして、物語の冒頭へと戻る――――――――
「どう思う? 護熾?」
「どうって………そんなこといわれてもな〜〜」
「もうっ! 素直に言いなさいよ!!」
「…………求肥に包まれたユキナ」
「何でそうなるのよ!?」
「はいはいはいはい、ごほんっ……きれいだよ」
黒い髪に白い服。
それは一瞬の妖艶美のような何かがあり、誰が見てもそれは綺麗で、愛らしい姿であった。
護熾にきれいと褒められたユキナは、照れなのか、頬を朱に染めて顔を少し俯かせ、目線を逸らす。
「それでさ、話が―――――――」
護熾は続きを言おうとするが、途中で言葉が止まる。
それから、少し目を見開いて、驚くような表情に切り替わる。
「あっ…………ごめん」
そう言いながらユキナは両手を使って顔を拭い始める。
先程の目線を逸らした辺りから、既にハラハラと泣いていたのだ。
それは護熾を黙らせ、ユキナ自身も狼狽えてしまう。
両手で涙を拭い続けるが、どうにも中々止まる気配がない。
「……大丈、夫か?」
「え、えへへ。ごめん、たぶん、嬉しくて、仕方がなかったの」
途切れ途切れにそう言い、ようやく少し落ち着くところまで回復した後、目元がショボショボになったユキナは微笑んで護熾を見る。
それから、ゆっくりと落ち着いた声で話す。
「ごめんね。こうして護熾と話せて、護熾に褒めて貰って、護熾と一緒に居られることが、嬉しいの。ああ、この人は生きてちゃんと私と喋れてるって思うと、胸が熱くなって」
自分は、護熾のために、泣いてきた。
自分のために命を張ったり、死んでしまったりと、その度に泣いてきた。
しかし今は、嬉しくて泣いている。
普通に回っている世界だったら、自分は護熾と会って居らず、アスタが側にいた。
どちらがいいなどとユキナには決められない。
「神様は、私からお父さんを奪ったけど、護熾に会わせてくれた。だから護熾、生きて帰ってくれて、………ありがと……本当にありがとう」
「……バカ野郎、それは俺の台詞だよ。……よく、生きててくれた。前にも言ったけど俺は真理があったからよかったんだ。お前は、死んだらそれっきりなんだから」
「護熾…………」
互いに、色々と乗り越えてきた。
別れる辛さも、恋人が死んでしまう辛さも、全部。
もちろん、互いを振り捨て、世界を護る前の初めてのキスも覚えている。
護熾は自分を三度も護ってくれた。
最初は知識持戦で、次はマールシャ戦、最後は、ソラの時。
でももう、護熾は側にいてくれる。もう、二人を裂くモノはない。
孤独と父親の代わりに神様がくれた、大切な人。
ユキナは、一度何かに躊躇するようにした。
一瞬だけだった。
何か覚悟したような凛とした顔立ちになり、胸のリボンに手を掛けると、護熾が見ている前で――胸のリボンを解いた。
「っておいイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
ユキナがリボンを解いた瞬間、護熾は反射条件のように顔を両手で覆う。
その瞬間、パサッと乾いた音が床に響く。
ユキナは、胸を隠すように腕を組み、下着一枚で護熾に歩む。
それから顔を隠している護熾をムスッとした表情で見ながら、
「す、好きでこんな格好しているわけじゃないの……護熾だけなんだから……もう、バヵ。………………ねえ護熾………さっきお母さんから聞いたんだけどね…………」
「聞いたんじぇねえっ! 服着ろぉ!!」
完全に慌てた護熾の言動は無視し、ユキナは話を続ける。
「子供がどうやってできるか聞いたんだけどね。それは好きな男の人に身を預けると、分かるって言ってたからその…………今日は大丈夫だからさ…………ね?」
「ね、じゃねえよ! 何だよ子供の作り方って!! ユリアさん何の抵抗もなく話したのかよ!? ってかお前酔ってんじゃねえよな!?」
ユキナは五年間、一人だった。
単純に言えば小学五年生から高一まで女の子としての情報はまるっきりなかったので当然子供はどうしたら生まれて来るというのは知らない。
しかし、女の子の身体は男を喜ばせる、という情報は知っているのでやや偏見があるものの、ユキナは今、護熾に抱いて欲しかったのだ。
もう、ただの関係ではないという、証拠が欲しいのだ。
一方、パンツ一枚で裸になっている彼女を目の前に、初心を満載させている少年はと言うと完全に両手で仮面を作って光も空気もシャットダウンしており、耳を真っ赤にして首をブンブンと振って思春期満載の男子とは思えないほどの狼狽え振りを発揮していた。
「お願い護熾…………護熾は、斉藤さんでも、イアルでも、ティアラちゃんでもなく、私を選んでくれた。背も低くて、子供みたいな身体をしている私を、選んでくれた。何の取り柄もないのに、魅力的って言ってくれたからさ。私は、いいよ?」
「お前何言ってるのか分かってるのか! お前の言ってるそれって…………その……」
この先は言えず、護熾は口を鎖す。
ユキナは護熾に歩み寄り始め、目の前まで立つと、
「私は、護熾を感じたいの。この想い、止められないの。だから、して?」
「いやいやいやいやいや!! あのなユキナ! 俺は! 別に…………!」
「……そ、そうだよね…………こんな子供みたいな身体をした女の子なんて……護熾の好みなんかじゃ、ないよね…………」
「!! たくっ、てめえはよぉ!!」
ユキナが自分の体型について自信のないことを述べると、護熾は何かに唐突に反応し、顔を隠していた両手を除けると、一瞬のうちにユキナを抱き寄せた。
急に抱き締められたユキナはびっくりし、ぐっと息を呑むが、やがて恐る恐る顔を見上げると
「俺はお前が好きだ。体型なんてどうでもいい。でも聞いて欲しいんだっ!」
「…………何を?」
護熾は一度肩で息を吸ってから、言った。
「俺は、二度死んだ人間だ。普通じゃ有り得ない。だから、此処にいる俺は、お前の好きな“海洞護熾”じゃねえかもしれねえんだ。お前はそれでいいのかってことだ。」
「……何が言いたいの?」
「だから、今の俺の記憶も、姿も、作りモンで、……本物じゃねえかもしんねえってことだ」
護熾の記憶の中では、自分はユキナを庇って死に、そして身体を真理に持ってかれて死んだ。
普通、死んだという記憶は普通に生きていくウチでは、絶対にない。
なのに護熾は二度も、その経験の記憶があるのだ。
新理の力は絶大。
故に、新理は一つの生物に疑似の記憶を入れ、自分を海洞護熾と思いこませているんじゃないかと言っているのである。
それが、今の護熾の大きな不安。
そんな曖昧な存在で、ユキナを好きで良いのか、ユキナに愛されて良いのか、分からなかった。
「だからさ、お前のことを―――――んっ!?」
護熾が何かを言いかけたとき、何かがその言葉を遮る。
いつの間にか、ユキナは護熾の顔を引き寄せて、口付けをしていた。
そして、唇を離し、ユキナは護熾と空気一枚間を挟むと、
「バカ…………そんなことで悩んでたの?」
「そ、そんなことはないだろ!? だって俺は……」
「覚えてる護熾? 最初に“気”の説明をしたときのことを」
最初、護熾とユキナが初めてであったあの晩、ユキナは確かに護熾に気という生体エネルギーの話をした。その時、彼女はこう言っていた。
気とは個人によって量や性質が違うと言うことを。
これは、遺伝子情報然り、本当にその人しか持っていない代物で、理ですら、人間から怪物に変えるときだって気の塊である魂を変えることはできない。
理は単なる世界の生命の循環を担う超物質。
故に、此処にいる護熾は本物であると言っているのだ。
「確かに今は胸の傷はないから時間が戻ったのは本当みたいね。でも、この温もりは変わらない。ポカポカする。」
「……いいのか、ユキナ、本当に?」
「うん、例え今いるのが護熾じゃなくて、護熾の記憶を持っている人間だとしても、護熾に変わりはない。あなたは考え過ぎなのよ。だけど安心して、あなたは護熾。私の大好きな、護熾なの。」
「ユキナ…………」
「護熾……好き………ん……」
そして、互いの顔が近づき、重なる。
それから、護熾はユキナを腕に抱いたまま、ゆっくりとベットに押し倒していった。
その倒れる最中、護熾は静かに思った。
“信じよう、こいつへの気持ちが、嘘でないことを”
そしてユキナを押し倒した護熾は唇を離すと、顔を赤らめたユキナがプイッと顔を横に逸らす。
それは少し怯えているような、まったく知らない領域へ入ろうとする未知の恐怖を感じているように見えた。
「は、初めてだからどこまでできるか分からないけど……頑張る……ね」
「……怖いのか? 何だったら止めるけど……」
「ううん……怖いのはほんのちょっぴりだけ…………だって護熾が……私と、その……するんだから緊張してるだけ……とりあえず、脱ぐね。護熾も、脱いで」
「……ああ」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「……これが……女子の…………」
「あ、やっぱり小さい…………よね?」
「そうかもしんねえけど…………俺はユキナだから好きだ」
「もうっ、見てるだけじゃなくてほらっ」
「って、おい!?」
「んんっ……」
「や、やわらけー。もっと骨張ってんのかと……」
「うぅバカっ、それってまったく無いってことじゃんっ…………ひゃうっ」
「気持ち、いいのか?」
「う~~よく分からないけど……感じるの……護熾に、触られてるからかな?」
「まったくおめえは…………可愛い奴だな」
「あ、ありがとう…………ん……んんっ」
護熾がそっと重ねた唇から、舌が侵入してくる。
ユキナも負けじと舌を伸ばし、そして絡める。
互いの舌が絡まって、一段落すると互いに顔を離す。
ユキナは頬を赤らめ、トロンとした瞳で護熾を見つめ、それからまだ続けて欲しいと、言った。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「ここ、か?」
「たぶん…………」
「俺、初めてで、うまくできねえから痛いかもしんねえけど…………」
「いいよ、来て…………お願い」
「じゃ、行くぞ……」
「ハア ハア……いっ たっ…………あぅっ……」
「だ、大丈夫か、ユキナっ。お前、小さいから」
ガスッ
「ってぇ!? エルボーはねえだろ!?」
「小さいって言わないでよ……ハア……ハア……うっ くっ……」
「うわっ……やべえ…………温っけえ……それに締め付けもハンパねえ……」
「そ……そう? ……うっ……護熾が私の中に…………入ってくる……」
「無理、すんじゃねえぞ……」
「あぅっ……あっ…ご、ごおき……キス……して……」
「あ、ああ……んっ」
「んっ、んっ……くちゅっ……んっ……キス……いい」
「んっ……ぷはっ……」
「ごおき……もっと……」
「ああ、これで気が紛れるんなら、いくらでも」
“もしかしたら、私は与えられる側から、与える側になることができるかもしれない”
「ちょっと体勢を変えてみるぞ…………よいしょ……っと」
「え? ちょっ、後ろ? って……う………んっ……ああっ……」
「どうだ? ユキナ……」
「あんまり、痛くない…………あっ……うっ……いいよ護熾……ハア……きもちいい」
「そうか…………ならいいんだけど……」
「あんっ……あんっ……やぁ……深すぎ……んんっ…………」
「そんなに、いいのか……?」
「うん……いい……はうっ……よ……護熾と繋がっているのが……すごく分かる……」
“きっと直接素肌を重ねてくれるのを、待っていたかも知れない”
「ちょっと護熾! 外に出してどうするのよっ!」
「いや……何故怒る? だってしちゃあ不味いんじゃあ……」
「バカ……私は今日は安全日で護熾を感じたいの……それに私は全然足りない……お願い……もう一度だけ……今度は……中に…………」
「じゃ、じゃあ今度はちゃんとするから……」
「うん…………護熾…………んんっ……また、入って……きた……」
「ずっと、ずっと側にいるから…………もう、一人にはさせないから……」
「あうっ……ご……ごおき……んっ……愛してる……」
「俺もだ…………絶対、もう一人には……」
「あ、ありがと…………」
"ねえ、護熾分かる? わたし今幸せだよ? 安心してるよ?"
「あっ……私の中に……護熾がいる……熱い……」
「ユキナ…………」
「護熾……んっ、んっ…………ぷはぁっ……馬鹿」
「いいのか? ほんとにおれで……」
「いまさっきあんなことしておいて修正できないよ? 責任、とってよね」
「分かってる。ユキナ、大好きだ」
「私も、大好きだよ。それと、お帰り、みんなの護熾、私の……護熾」
"もう一回、あの時繋げなかった手を、繋ご"
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
小さな身体の彼女を抱いたのは、果たして正しかったのだろうか。
俺には分からねえ。でも、少なくともこいつは、今までで一番安心して寝ている。
……可愛い寝顔しやがって、ほんと……俺の彼女で、いいのかお前は……でも、
ありがとな、俺を海洞護熾として、認めてくれてよ
早朝の朝焼けが来た。
カーテン越しから差し込む光で、護熾は目が覚める。
そして意識がハッキリしない頭で、寝ぼけ眼を手で擦り、軽く欠伸をする。
そして横を向いてみると、ユキナが気持ちよさそうに、自分と寄り添って寝ていた。
護熾は上体を起こし、一体何故自分の身体がつやつやと血行がいいのかと、ユキナが此処にいるかという疑問に襲われたが、自分が裸なのとユキナも裸だと気が付く。
それから額に人差し指を当て、
(ええっと、昨日は確か…………ああ、…………って俺やっちまった―――――――!!)
昨日、ユキナと共に夜の営みの体験を思い出した護熾は、頭を抱えて盛大にショックを受ける。
まさか初心満載の自分があそこまでできるとは。
…………アスタさん、見てなきゃいいけど。
不意にそんな不安に襲われ、見えない殺気が自分に向けられていないかキョロキョロと辺りを見渡していると、丁度ユキナも、朝日に当てられて目を醒まし始める。
「うん……あっ……護熾……おはよう……」
「お、おお……おはよう……」
いつもと違う朝、いつもと同じ二人。
互いに簡単に朝の挨拶を済まし、無言になる。
それから、ユキナは護熾の格好を見て、それから自分の素肌が露わになっていることに気が付くと、何かに絶句したようになるが、すぐにシーツを胸元まで上げると、上目遣いで、拗ねたような口調で言う。
「護熾の…………テクニシャン」
「ぐっ! お前人前で言うなよそれ! 恥ずかしいから!」
「分かってるわよ。…………でもね、よかったよ」
「そ、そうか? …………痛く、なかったか?」
「えへへ、ちょっと痛かった」
「もしかして辛かったか!?」
「ううん、平気だよ。むしろ気持ちよかったし……わたしの全部……護熾にあげれたからね」
ユキナの微笑みを見て、護熾は喜んで良いのか微妙な心境だったが、とりあえず微笑んでみせると、ユキナは視線を下ろす。
それから昨日のやり取りを思い出しながら、呟く。
「とにかく、嬉しかった。私の身体で、護熾が夢中になってくれたから…………激しかった」
「それは……男だったら誰だって……なあ?」
「励まし? フフ、ありがと…………あの時……言ってくれたこと、覚えてる?」
「え? な、何をだ?」
「“ずっと俺が側にいる”ってね…………言ってくれたじゃん」
そして、頭を小突くように護熾の肩に乗せ、身体を凭りかからせる。
護熾はソッと肩を寄せ、ユキナを見る。
ユキナも護熾の方に顔を向け、そして――――――笑った。
「えへへ、嬉しい。護熾、大好き!」
無邪気で、太陽みたいな満面な微笑み。
護熾はその笑顔を見て、目を大きく開くが、すぐに表情を柔らかくしてユキナの頭をポンポンと叩いた。
もう自分は、開眼者ではない、ただの普通の高校生。
もう、同じ力は持っていないが、この少女は自分の傍らにいてくれる。
自分の不安など掻き消すほどの力を持った、愛すべき少女。
コンコン
「護熾さ~ん、起きてますか?」
不意に、いつの間にか二階へ上がってきていたユリアがドアを開けて中を見ると、
「あっ」
「あっ」
「あっ」
ユリアの接近にまったく気が付かなかった二人は唖然とし、ユリアの方も二人の姿にポカンと口を開け、それからゆっくりと身を引きながら、
「ど、どうぞお楽しみに……」
パタンッ
「ちょっと、お母さん! 待って待ってっ!」
「ああ~~~~~~~~~!! うっわ、どうするユキナ!! 気不味っ!!」
ユリアにかなり不味い姿を見られたユキナは顔を赤らめて手を伸ばし、青筋を立ててこれをそう説明すればいいのかほとほとに困った護熾が叫ぶ。
朝から妙な緊張感を纏った一日が幕を開けた。
着替えを終え、朝食も済ませた護熾は中央で現世への通路を造る構造解析を済ませたと朝早くから連絡を入れてきたトーマの元へ向かうため、玄関に向かっていた。
ユキナはというと―――――今回は見送りである。
護熾自身は、別に家にユキナがいても問題ではない。
しかし、五年間の空白がある以上、ユキナはユリアといるべきだ、と説得するように言うと、ユキナは迷いながらも、そうすることを承諾した。
五年分の親の愛情を受け取ってもらいたいという、護熾の願いだからだ。
ただし、一週間に一回は必ず会うという約束もしたし、メールでのやりとりもする。
それと結婚の話。
結婚は、さすがに今するのはないということは互いに承知している。
理由は護熾は日本人、ユキナはワイト人。
法律も互いに違うし、色々と問題が生じそうなので結婚を前提にお付き合いという形になった。
「こんな朝早くから行くの?」
「ああ、学校を休むワケにもいかねえし、親父がいるとしたら早いほうがいい」
玄関で靴を履きながら、ユキナにそう返事をし、そして履き終わると振り返って見る。
そしてその廊下の奥からユリアが姿を現し、ユキナの隣に立つと、見送る形をとる。
それから、ユリアは何か言い足そうにモジモジとし、
「ご、護熾さん?」
「はい? 何でしょうか」
「あ、あの……“大人”になるというのは決して悪いことではありません! 護熾さんの歳なら、おかしくはありませんから!」
そう力んでユリアは言うが、あまりにも分かりやすい遠回しの言い方に護熾は頬を赤らめて視線を逸らす。だがすぐに表情を戻す。
これから、自分は帰る。
この家族には、お世話になった。
「それじゃあ、行ってくる」
「あ、護熾……また会おうね。」
「安心しろっ、絶対な! ユリアさん、ユキナをよろしくお願いします!」
「護熾さん、今までありがとうございました! どうか、無事に行ってきて下さい。」
「護熾、絶対! 絶対だからね!?」
「ああ! あったりまえだろ!! じゃっ、元気でな!」
そして護熾は外に出る。
後ろを振り返らず、中央に向かって一直線に、我が家へ戻るために、走った。
「――――っと、此処まで来たけど、さて、どうすっか」
中央のゲートを通り抜け、無事現世に着いた護熾は今自分の家の前まで来ていた。
夏休みの間に開けた時間の方が長いのに、何故か何十年も帰ってきてなかったような懐かしい感覚。
おそらく中では一樹と絵里達が眠っているのであろう。
あと三十分も経てば、いつも自分が起きている時間。
なんて言えばいいかは大体考えてきたのでその点はばっちりなのだが、どうにもこうにも入りづらい。
あん時のユキナの気持ちが今分かったぜ。
護熾はしばらくの間家の玄関の前に立っていたが、躊躇していては何も変わらないので、いっそ思いっきり行くことにする。
ドアの取っ手に手を掛けて、3 2 1
「ただいま~~~~~~!!」
「どこ行ってたんだバカ息子ォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
「おっほおおおおおお―――――――!!?」
家の中に突撃した途端、懐かしい声と共に頭の頂点から衝撃が舞い降りる。
そして玄関の床に叩きつけられるようになった護熾は、頭の上に『???』を浮かべながら手で抑え、何が起こったか分からない状態であった。
それから、頭の痛みが引き、顔を上に上げると、久々に見る父親の怒った顔を目にする。
「護熾! お前フラッと土曜日に消えるとは! 私はもの凄く心配したんだぞ!? 有給も延長して警察にも頼んで、それでも見つからないから朔那のようになったら私は、私は、まったく―――!!」
何時か戻ってくる。そう信じていた武は、あまり寝ずに玄関で見張っていたのだ。
怒った顔から、安心したような、泣きそうな顔に切り替わった武は、護熾を起こすと、首に手を回してヒシッと抱き締める。
護熾はキョトンとした顔で驚き、それから顔を少し向かせる。
「よく帰ってきたなぁ…………この、この……お前に何かあったら、朔那に会わせる顔がないだろ?」
「悪い、悪かった親父。心配掛けちまって。」
「もしかして護兄!?」
すると今度は廊下の奥に声が響く。
護熾はそちらに顔を向けると、パジャマ姿の一樹と絵里が、驚いたような顔でこちらを見ていた。
「護兄……護兄だよ!!」
武に抱き締められている人物が、自分達の好きな兄だと分かると、一樹と絵里は、急いで駆け寄る。
そして間近で見てから、改めて確信すると、武同様、ひしっと抱きつく。
「護兄、護兄。心配したんだよ……」
「バカ護兄、もう、心配させないでよ?」
「一樹、絵里。ごめんな、心配掛けさせチマって。でも、もう大丈夫だから。……ただいま」
自分が守った世界で、大切な家族達。
自分はちゃんとこの世界を護れ、こうして家族とも再会ができている。
今、ここに神がいるのなら、感謝する。
護熾は静かに、愛すべき家族に、優しく、ゆっくりと一言そう告げた。
火曜日の午前中。
既に一時間目を終えた七つ橋高校は休み時間に突入しており、生徒達はそれぞれ寒いから教室に籠もったり、トイレに行ったり、友達と喋ったり、売店でパンを買いに行ったりなど、自分が過ごしたいように過ごしていた。
「ああんもうっ! 海洞の奴どこ行ったのよ!? 昨日もいなかったし!」
「何か本当に不味いな……あいつ、死んでなきゃいいけど……」
「こら木村! 縁起でもねえこと言うな!! あいつは死なねえよ! ってかあいつがいなくて寂しくて死にそうだよ俺!」
「中学ではそんなことなかったのに……海洞の奴……どこ行ったんだろ?」
椅子に座り、円陣を組んで護熾のいないことにぼやいている近藤、木村、宮崎、沢木は朝早くから来て、護熾の目撃情報を交換していた。
そして同席している千鶴は、真実を知らない四人を見ながら、重そうな表情で俯いていた。
彼は帰ってこない。そう思っているからだ。
彼は去り際に自分はユキナのことが好きだと言った。
向こうで、ちゃんと会えただろうか。
そう思い、それから彼が一体どうなったかは、考えなかった。
人間でなくなり、自分のことを名前で呼ばせ、そして自分の名前を言ってくれた。
今でも、そのことが鮮明に思い出される。
そして護熾がいないことに不安がったり、本気で心配をしていたり、悲しんでいたりする千鶴達の思いとは他所に、その人物は今丁度休み時間終了の5分前に下駄箱で上履きに履き替えていた。
そして階段を上りきり、廊下にいたクラスメイトとすれ違いながら、1-2組の教室の引き戸の前に立つと、軽く深呼吸をしてから、中に入った。
引き戸を開けた途端、クラス内の視線が全部一点に集中する。
そしてあとから顔を上げた千鶴が見た人物は、決して帰ってこないと思っていた想いを寄せていた人物。
「わるいわるい、初めて遅刻しちまった」
「あ……ああ、か、か、かい!」
眉間に寄せたシワ。行方不明になっていた少年。
護熾の存在はクラス内のみんなを驚かせるのには十分だった。
全員の視線が固まる中、護熾は教室内を舐めるように見て、一つに固まっていた千鶴達を見つける。
そして千鶴達の方に足を進め始め、
「おっ、お前らお揃いで。花火見れたか?」
「海洞……? 海洞なのか!? 海洞!!」
音沙汰無しで行方知らずだった少年。
沢木はたかが三日程度会わなかっただけなのに、何だか何年振りに会ったような感覚を携え、うれし泣きの抱擁をかまそうと、走って両手を広げる。
てめえ! 人を散々心配させやがって!
そう言い添えようと考えたとき、沢木を止めたのは――――――護熾の容赦のないアイアンクローだった。
「ちょっ! お前感動の再会にそれはねえだろ!?」
「やめろって。お前がそれをやり出すと――――――――」
「海洞!! お前どこ行ってたんだよ!? 謝罪としてハグしてやる!!」
「どれだけ探したと思ってんだよ! ホントマジ心配掛けや勝手!」
「他の奴もしだすんだよ。――――あらよっと」
続けて第二、第三の沢木、木村と宮崎が魚雷の如く護熾に突っ込んでいくが、護熾は慣れた手つきでもう片方の手で木村を、上げた足の裏で宮崎を止め、見事、謎の光景ができあがる。
「うぐぐぐっ、帰ってきても手厳しい!」
「ああ、やっぱ海洞なんだ! 俺Mじゃねえけど、何かいいな!」
「うーーーっす。お前ら、昨日学校休んで悪かっ―――――――」
「こォんのバ海洞!!!!!!」
「え? って、ぬっはあああ―――――――!?」
三人を抑えて防御ゼロ状態のがら空きになった護熾が、全てを言い切る前に、素早い動きで護熾に近づいた近藤は、全部言わせる前に鉄拳を護熾の顔面にぶち込むと、護熾の顔は一瞬天を仰ぎ、三人を離して派手にその場に倒れる。
そして面白いほど鼻血を出してピクピク痙攣していると、ふぅーッと息を吸った近藤は、
「土曜の日の祭りに千鶴を振ったと思ったら急に姿を眩ましといて、あんた無責任にもほどがあるでしょ!? 鉄拳一発でも安いほうよ!」
「ひ、ひでぇなてんめぇ! マジ容赦ねえ…………!」
「ほら千鶴、何とか言ってあげなさいよ!」
「海洞くん――――――――――!!」
近藤の台詞とは裏腹に、千鶴はダッシュで護熾の元に駆け寄ると、人目を気にせず、ひしっと抱き締める。そして、千鶴の一番の豊満な胸が護熾の顔に当たると、護熾は一気に顔を赤くする。
その瞬間、現場を見ていた生徒達は我が目を疑ったが、どっからどう見ても護熾は飴を食らっているとしか見えず、男子生徒からは いいなあ、と声が漏れていた。
千鶴はもう、帰ってこないと思っていた。
この世界を護って、向こうのみんなを護って、死んだのかと思っていた。
でもこうして抱き締めていられるということは、彼は此処に存在している。
それが今、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
「海洞くん! 海洞くん!!」
「おわぁあ斉藤!! ちょっ、周り見てる周り見てる!!」
「おっと海洞! あんた振っても千鶴を寄せ付けるなんてどんだけの魔性の男なのよ!」
ガスッ!
「いって!! てめえ殴りすぎだろ!?」
それからしばらく、千鶴は護熾を中々離さず、妙な噂が立つのは確定であった。
そのあと、呼び出しを受けたり友人からの尋問を何とかあしらった護熾は友人達と共に帰り道を歩いていた。理由はもちろん、護熾が心配させた詫びで家に招待したからである。
今の季節に十分すぎるほどの寒風が吹き乱れる中、
「やっべ寒! 早く海洞んちのコタツ入りたい!」
「あっ、そういえばミカン買ってねえや」
「なにィっ!? あんたコタミカは日本の定番なのに! う~それにしてもホント寒いわねー。こんな時にユキちゃんがいれ――――」
擦り合わせた手で赤らめた両頬を温めながら歩いていた近藤がふいと言葉を途中で切って立ち止まったので他のメンバーも釣られて足を止める。
「? どうしたんだ近藤?」
「あ、あれ、私の見間違いじゃねければ……」
護熾の質問に対して近藤が恐る恐る指を指し示したのでその方向に全員が一斉に向く。
指された方向には曲がり角近くの電柱がある。
そしてその電柱の後ろには、誰かが二人ほどいた。
そしてその二人は顔だけこちらを覗き込むようにしており、二人とも大きい黒い瞳でこちらを見ていた。それを見た瞬間、護熾を除く全員が時間が止まってしまったかのように驚き見開いてその場に立ち尽くす。唯一状況をいち早く理解した護熾はため息をついて白い息を吐いて思う。
(そっか、今日来ることにしたのか)
全員が向けている視線の先には、ついこの間、クラス全員の惜しむ気持ちを受け取って旅立った二人が居た。一人はイアル。一人はユキナ。二人とも温かそうな服装をしており、全員の視線が集まってから数秒後に電柱の影からその姿を披露した。
「みんな~遊び来たよ~」
「どうもっ、元気そうで何より」
「き、木ノ宮さん!? 黒崎さん!?」
「な、な、き、木ノ宮さん!?」
「うわ何という不意打ちだこれは!?」
「ゆ、ゆ、ユキちゃんっ!?」
「黒崎さああああああんユキちゃああああああああああん!」
「あ、近藤さん~~むぎゅ~~」
その中でも特に素早く行動に移した近藤に二人は抱きつかれる。
そのあと千鶴も早足で駆け寄り、二人の無事を至近距離から確認する。
「黒崎さん! ユキちゃん! 大丈夫だった!?」
「あ、斉藤さん~~~どうにかこうにか」
「ええ、海洞とユキナのおかげで、何とか」
「よ、よかった~~ふえーん」
二人の無事で元気な姿に、心のどこかにしまっていた不安な気持ちが素直に溢れ、千鶴はさらに覆い被さるように近藤と共に二人を精一杯抱き締める。
そんな、四人の冬にも負けない温かい抱擁を眺めていた男子陣は、
「あ、あれ? 俺たちだけ何か余計に寒くなってきたんだけど……?」
「俺、あそこに入れるなら命懸けてもいいんだが……それにしても木ノ宮さんの相手って一体誰なんだろうか……?」
「おい海洞! 俺たちも負けずに熱い抱擁を―――」
「するかボケ」
「あぐほぉっ!?」
そんな沢木の提案を肘鉄で返した護熾はスッと息を吐く。
それから彼は順に辺りを見渡してみる。
抱き締められているユキナとイアルを、そして抱きついている近藤や千鶴、そしてその光景を羨ましがっている木村と宮崎や、立ち直った沢木達を見て、思った。
(……変わんねえな)
何も、そう何も変わってはいない。全部、そのまんま。
でも一番変わったものを知っていた彼は、ふと、ユキナの方に顔を向ける。
するとそれに気がついたユキナも顔を向け、近藤に抱き締められながらも、柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、いつも通りで、でもいつも以上に愛らしくて、可愛いと思った。
「…………」
照れなのかどうかは分からないが、いや、完全にその笑顔に対して顔を赤らめてしまった護熾は急に歩き出すとそのままみんなを置いていくように歩き出す。
「ってちょい!? おまっ感動の再会無視かよ!」
「ちょっと海洞それはないでしょうが!?」
感動イベントをぶち壊しにする行動に護熾フレンズがキーキーと文句を言いながら慌ててその後を追った。
唯一、三人だけは何故護熾がこんな行動をとったかを知っていたが。
「おおっ、こんなに来るなんて思わなかったよ。ってユキナちゃんとお姉さん!?」
家に着くなり、出迎えてくれた武(カスタード入りのアップルパイ作成中)は遊びに来てくれた護熾の友人達とユキナとイアルが来てくれたことに素直に驚いていた。
「おじゃましまーすお父さん」
「やっほー! 海洞ん家だ!」
「あ、じゃあ俺今からミカン買いに行くから待ってて――」
「あ、護熾私も行く!」
「なぬっ!? ユキちゃんが行くなら私も!」
「そ、それなら私も!」
「じゃあ私も」
「ちょっと何で女子全員海洞の方へ!? だったら俺も行く!」
「もちろん俺もだ!」
「俺も俺も!」
「……お前ら、何がしたいんだよ。でもまあ、とりあえず荷物は置いていってくれ」
家についてミカン買い宣言直後に全員が即護熾に付いていく切り替えの速さに呆れを感じながらも、友人達に手持ちの荷物を預けて貰おうと提案するとそれぞれ荷物を置くために海洞家の中にお邪魔していった。
海洞家の中にて、近藤達は荷物を置き、ユキナとイアルは一樹と絵里との再会に感動している最中、護熾は武にあることを聞いていた。
「なあ親父、この前渡した宝石みたいのは?」
「ん? ああ、あれならタンスの中にしまってるよ」
「分かった、ありがと」
季節は冬に近いので、時折寒い風が道なりに通り抜けていく。
そんなこんなで、ミカンを買いに行くという目的で住宅街の道を歩いている皆の中、護熾は急に立ち止まると全員に聞こえる声で話した。
「ちょいと勝手で悪いんだけど……」
「ん? どしたの海洞?」
いつもと違う声色に足を止めた全員の内、近藤が不思議顔で訊ねる。
護熾はゆっくりと親指を横の方の道に向けると、近藤と沢木だけがその表情を僅かに歪ませる。
「ちょっとこっちにも用事があるんだ。時間はかかんねえけどいいか?」
「ん? どうしたのよ海洞? ミカン以外に何か用事が?」
「あー黒崎さんいいからいいから。ほら、行ってきなさいよ」
「行ってこい行ってこい。その用事なら仕方ねえよ」
「悪い」
護熾が向かおうとしているところを察してくれたのか、近藤と沢木が口々に許可し、彼は横の道に入ろうとしたところでふと思いついたように振り返り、
「……それとユキナ、一緒に来て欲しいんだが」
「いいよー」
護熾の呼び出しについてユキナは素直に承諾すると、彼と共に横の道へと消えてしまった。
一方、残されたメンバーは何故護熾がユキナだけを呼んだかについて怪訝そうな表情でいた。
「あれ? 何で海洞の奴ユキちゃんを?」
「ちょっと待て待て。何で木ノ宮さんが海洞と?」
「あ、そっか。みんな知らないもんね」
「ん? 何よ千鶴? どういうこと?」
「あ、」
つい口を滑らせてしまった千鶴はオロオロとイアルの方に助けを求めるような表情を向ける。
するとイアルは軽くため息をつきながら、
「まあ、あの二人だったら隠すことはしないだろうしいずれバレるんだったら言うしかないわね」
「そ、そうだよね」
「何々!? 私の知らない秘密を二人は知ってるわけ!?」
二人が知る秘密に興味を示した近藤達は食い入るような表情でいると、
「じゃあ言います」
「はい、海洞とユキナはコレです」
千鶴が言い、イアルは小指を立ててみせる。
すると四人は初めはその意味が分からなかったが、数秒後に近所迷惑に成りかねない音量で大いに叫んだ。
「よお、母ちゃん、会いに来たぜ」
「護熾のお母さん、どうも」
一方、護熾とユキナはたったいまお墓の前に並んで立っていた。墓には「海洞家」と彫られている。
護熾は少しの間、その墓を見つめた後にゴソゴソとポケットからあるモノを取り出した。
それは日光の光で虹色に輝く蒼い六角形の小さな結晶の塊。
「護熾、それは?」
「母ちゃんの、形見だ」
そう言うと護熾は墓の後ろに回り込み、納骨室を開ける。
そしてその小さな結晶を優しくソッと置くと、そこで両手を合わせて目を閉じて祈る。
祈り終え、納骨室を閉じた護熾は立ち上がって墓の前に戻ろうとすると、ユキナも墓の前で瞼を閉じて両手を合わせており、
「護熾のお母さん、私、お似合いではないかもしれませんが、護熾のお嫁さんになります」
「お嫁さん、って、また随分と気が早いな」
「む~、いつかなるんだから。それに、昨晩私は処――」
「はいはいストップストップ! その話題をここで話すな」
ユキナの話そうとしていたことを遮るようにした護熾は、それからソッと、手を差し出す。
初めユキナはそれに驚いたような表情になったが、やがて恐る恐る差し伸べてみると―――繋がった。
ユキナは繋がった手を見て、その温かさを感じ、一種の感動を覚えた。
「……? どうしたユキナ?」
「……あっ! い、いや何でも……」
あのとき、繋がらなかった手は、繋がった。
「とりあえず急ぐぞ。あいつら待ってるしな」
「……うん!」
母親との別れは、心の中で告げた。
そして護熾とユキナは、手を繋いだままその場から去る。
繋がった手は、冷たい風に負けず、温かい。
それから墓場から抜け出すと、ユキナが急に立ち止まったので護熾も立ち止まる。
「……? どうしたユキナ?」
「ご、護熾、そ、その」
ユキナは不安げな表情で上目遣いで護熾を見つめ、
「もう、どこにも行かないよね?」
「……何だ、そんなことか」
「そ、そんなことって……!」
「もう、どこにも行きやしねえよ」
そうぶっきらぼうに護熾は言ってみせると、そのまま前に歩き出す。
「もうお前の悲しむ顔なんてみたくもねえし、」
少しずつ手を握る力を増しながら、
「俺はお前に幸せに生きて欲しいんだ。だから、」
まるで、愛してると言わんばかりの力で手を握りながら、護熾は言った。
「俺が、必ずお前を幸せにするから、一緒にいてくれ、ユキナ」
「…………うん!」
「よし、んじゃみんなのとこへ行くぞ!」
「うん!」
二人は駆け出す。冷たい空気の中を。
それでも、二人を繋いでいる手だけは、温かった。
何かが変わったかも知れない日常、何も変わらなかったかも知れない日常。
その中で二人は、世界の人々が欲する神の隠しものを、見付けた。
―――それは、最高に愛することができる、相手。
これにて、物語は終了である。
ただし、彼女の日記は、ダイアリーは終わらない。そして、始まってすらいない。
彼女の本当のダイアリーは、この瞬間から始まるのだ。
そして二人は―――いや、よそう。
これ以上彼らのことに首を突っ込むことに我々は権利を持たないし、日記を盗み見るのはよくない。
この後の、二人の未来は各々で想像して欲しい。
ただ、この二人の未来について言えることがある。
それは――――彼らは必ず、幸せになると言うことだ。
理由? それは二人の会話に耳を傾けてみると言い。ほら―――聞こえてくるでしょ?
「さあてユキナ。何か喰いたいもんあるか?」
「あんパン!」
「よしよし、分かった。じゃ、行くぞ!」
「うん!」
七つ橋町の住宅街を、二人が駆け抜けていく。
そんな二人を、枯れ木に残った枯れ葉が見送るようにし、やがて一際強い風に吹かれ、宙に舞った。
そして枯れ葉は何度も風に揉まれるようにし、彼方へと去っていった。
それからすぐあとに、騒がしい声が響いたとさ。
まさか最後の最後ら辺が消えてしまっていたのは予想外でした。なのでちょいちょいうろ覚えで加筆し、何とかこれにて、本編は終了です。ここまで読んでくださった方はお疲れ様でした。どうにかこうにか終わらせられましたが、このあとにはややテンション高めの後書きがあります。
そしてその後にはその後やその前シリーズが控えております。本編でまだこの後のお話を読みたいという方は是非是非そちらの方も楽しんでくれたら幸いです。
では最終話、お読みいただいてありがとうございました!
ではでは~