五十二月日 終焉 下
長らくお待たせしました! 今回は何と挿絵付き! 初の護熾の姿とユキナの共演ですよ! さあ、大戦の行く末をあなたの目で見送って下さい!
では、どうぞ!
談合場所から戦場に変わった。
そのとき血と屍で肥やされる大地を駆け抜けた中で少女は青年の脇下に頭を入れて引きずるように歩いていた。
この青年は、背中に何本もの矢が突き刺さっており、それぞれ刺さった場所から血が滲み出ていた。
意識はなく、力なくさっきまで剣を握っていた手に力は込められていなかった。
周りではまだ戦闘が起こっている気配がする。
それでも少女は、自分達で切り開いた活路に向かうために、生き残るためにソラがいる方向へ重い足取りながらもゆっくりと進んでいた。
裂傷と刺傷、打撲、骨折している箇所も幾つかあり、こうして担いで歩くだけでも危うい満身状態。
「…………! ソラ…………何故君が…………」
ソラを見つけたツバサの声に力はなく、こちらを驚いた表情で見ているのを見ながら歩く。
握られた右手の大太刀には血糊がへばり付いており、ここまで来るのに幾度と無く、人を斬ってきたのが窺えた。
「ツバサ…………!! リュウさん!!」
二人の出で立ちの変貌振りにソラは此処までの疲労など忘れ、急いで地面を蹴って今の周りの現状などに目もくれず駆け寄る。
ソラは急いで駆け寄ると同時にツバサはゆっくりと地面に矢がこれ以上深く刺さらないようにリュウを落とした。
ソラはまず地面に横たわったリュウに駆け寄ると
「リュウさん……リュウさん……!」
「案ずるな…………まだ息はある…………その馬鹿者は…………私を庇ったばかりに…………」
二人は、テントを抜け出してから懸命に戦い抜きながら刃を敵と交えた。
時に相手を殴って気絶させ、時に飛んでくる矢を叩き落とし、時に、人を殺めた。
それは、普通の街の兵士よりも勇敢で、強く、一つ頭が抜け出ているほどだった。
しかし敵はどうやら二人が来た山道の方から来たらしく、敵は多く、予想以上に戦闘に晒されることになったので徐々に二人は傷を増やしていった。
そして、もう少しで山道に戻れるというところで、それは起きた。
まだ生き残っていた弓兵がこちらに背を向けて逃げている二人を見つけ、姿格好から敵と判断すると背中に背負っていた矢を一つ摘み出し、それを弦に掛けて狙いを、少女の方に付ける。
丁度二人は頭の中はこの場から逃げ出すとしか考えていなかったのでそのことにまったく気が付きはしなかった。
そしてリュウが後ろを振り向くと同時にツバサを肩で押し退けた。
ぐらりとバランスが崩れ、突然のことで驚いたツバサは急いで横を見ると同時にリュウが矢が背中に刺さった反動で波打ち、血沫を撒き散らしながら倒れているところだった。
『リュウ!!!』
ツバサは叫んだ後自分達の後ろを見て弓兵を数人見つけると太刀を握りしめて安全確保のために弓兵に向かって突き進んだ。腕に矢が刺さろうとも関わらず、一気に近づいたツバサは刀身を兵の首に奔らせて、数秒後には赤く染まった動かない体に仕立て上げていた。
ボロボロの身体ながらも、ツバサはいつものような穏やかな表情でリュウに手を掛けているソラに静かにあることを頼み込んだ。
「ソラ…………リュウを連れて行ってくれ……」
「ツバサ……! 何を言ってるんだよ? ……今の内にならツバサだって―――――」
「すまないな――――――でも時間稼ぎくらいは、させてくれ」
そう言って振り向くとツバサの背後から20メートルほど離れた場所に弓兵が十数人ほど仲間がやられたとの情報を聞きつけてこちらの姿を見つけるなり集まってきていた。
それから逃がすつもりはないようで、一斉に弦に矢を仕込み始めていた。
この状況からもう交渉を持ちかけてきた友好的な街の兵士がどれほど生き残っているのか分からなかった。ただ一点見えるのは、自分達を敵と認知して弓矢の先に殺意を込めている敵の兵のみ。
この状況でツバサは誰かが生き残るには誰かが犠牲になるしかないと嫌でも思いついたのであろう。
そして自分は傷ついた幼馴染みを捨ててまで逃げようとは一切考えてはいない。
「あとは…………任せたぞ―――」
「あ――――ツバサ――――――」
その時の微笑みが、ソラの見た、元気で、男らしく、名主としての誇りを持つ少女の生き様だった。
敵は三人を逃がす気はなかった。
弦は目一杯引き絞られ、矢先の狙いは間違いなく三人に向けられる。
ツバサは片手で太刀を持ち、切っ先を横に向けたままソラがリュウと共に逃げる時間を一秒でも増やすために弓兵達に向かって突進を開始する。
兵達は武器を持った少女が勇敢にこちらに向かってくるという不確定要素に少し取り乱れるが、すぐに対象を三人から一人に絞り上げると矢先が全て接近してくる少女へと切り換えられていく。
「あ…………ツバ――――――――」
それがおそらく、ツバサが聞いたソラの最後の言葉であった。
とうとうツバサが弓兵達が最も狙いが付けやすい距離に入ると、容赦なく、弦を摘んだ指が離された。
矢はひどくゆっくりと見え―――――
そしてツバサがそれに反応して目の前で太刀を横に一閃させる。
初撃の矢はすぐにツバサの目の前でへし折られ、凶器としての役割を終えていく。
だが集団の弓兵相手に防具も盾も持っていない生身の状態では、最早矢を防ぐことはできない。
振り終えたツバサに二撃目を控えていた弓兵達がすぐに矢を放つ。
それは鋭い斬音を立てながら大気中を突き進み、最初の一本がツバサの肩を貫く。
そして次に一本、そしてさらに一本。
少女に対して慈悲のない殺意を一点に込めた矢先が可憐な身体に朱色と共にドンドン突き刺さっていく。それでもツバサは突き刺さった矢の所為で肉が抉られ、動かすたびに激痛が奔ろうとも太刀を握った手は開かず、矢が体中に刺さっていようとも突進を止めなかった。
これにはさすがの弓兵達も驚いた。
弓兵達は目を見開いて次の矢を仕込もうとするがその合間には既にツバサが目の前に来ている頃合いである。ツバサはこれを狙って一気に駆けだし始める。
そして太刀を横に一閃に――――――身体を何かが貫く感覚がした。
「ぅ………………………」
何が起こったのか分からず、視線をやや下に向ける。
金属製の剣。見ると目の前の弓兵がいつの間にか得物を持ち替えて剣を自分の腹部に突き刺しているところであった。いわゆる弓兵達の接近戦用の武器である。
その剣は赤い液体を滴らせ、ツバサの身体に真紅の大きな点を刻み込むと何の躊躇いもなく引き抜き、銀色の刀身を朱銀に染まらせると大地に赤い雨を降らせる。
「く…………………」
それでもツバサは最後の力を振り絞って太刀をもう一度横に振る。
が、途中まであった太刀を握りしめていた感覚が無くなり、よく見ると太刀が他の兵の剣によって後方へ弾き飛ばされたことが分かった。
もう自分には相手を殺める力は残ってはいない。
最後にツバサは目を閉じた。後ろにいた二人がもう逃げてどこか上手く隠れていることを祈りながら。
グラリと傾いた身体がゆっくりと後ろに倒れていく。今がトドメの時とばかりに群がる兵達の無数の剣が、ツバサの身体を貫いた。
ソラはその一部始終をリュウを引きずって逃げず、ずっと見ていた。
白い髪をした少女が赤く染まった刀身の太刀を振り、体中に矢が刺さりながらも突進を止めず、そして敵の刃に今倒れ、トドメの一撃を鳥葬のように群がって残酷無慈悲な引導を渡した。
そして今、兵に弾き飛ばされた太刀が激しく弧を描きながら手前に落ち、地面に対して垂直に突き刺さった。
「………………ツバサ?」
目の前で起こったことが信じられず、ソラは大きく開いた赤い瞳にその姿を映す。
血だまりの中に倒れた少女、かつて、自分を愛してくれた両親の死に様と姿が重なる。
ドクンッ
深い震動のような拍動が胸に響く。少年の中で、何かが渦巻いた。
遠くでツバサの身体に触れようとしている兵、こちらの姿を見つけ、武装していないと分かって近づく兵士。その鎧と街の紋章からして、親を奪ったかつての兵士達であることが分かると、もう、少年の中は言い表しがたい感情しか浮かび上がっていた。
それを無理矢理言葉に変換させるならば――――――
「何でこんなところに子供が居やがんだ?」
近づき、目の前に到着した一人の兵が白い髪をした子供を見ながらそう言う。
他の兵達は先程討ち取った少女と容姿が似ているからそいつは姉弟じゃないのか、そばで倒れている男はまだ息がある、反撃される前に殺してしまおうなどと口々に話し合っていた。
「おっ、リーダー、この武具思ったより価値がありそうですよ?」
「土産のつもりか? はたまた討ち取った証か?」
「どっちも、っと、中々深く刺さっているようだ……」
刺さっている太刀は思ったよりも深々と刺さっているのか、抜こうとしている兵が苦労の姿を見せている。
その中で兵のリーダーらしき男がまだ戦闘は終わっていないから他のに援軍として行けと命令し、この子供と男はこちらで何とかしておくと言い、そして少年の手を思いっきり引いた。
「こっちに来いガキ! お前はどうやら此処に来ていた連中が交渉してきた村のモンみてえだから居場所を案内してもらおうかっ」
力加減の知らない引きにソラは何も言わず、歩き始めた。
兵長はそのまま連れて行こうとし、太刀を引き抜こうとしている兵達の横を通り過ぎる。
そして少年がその横を通った時だった―――――――
ツバサの使っていた太刀が、震えた。
「『“憎イ”』」
「あ? なん――――――――――――」
不思議な響きを持った声でそう呟いたので思わず兵長は少年の方に顔を向ける。
その瞬間、自分の後ろ頭の方で風を斬るような音がし、振り向く前に兵長の視界は、真っ暗になった。
その時引き抜き係をしていた兵の目の前に太刀はなかった。残っていたのは刺さった後のみ。
そして生温かい液体のようなモノが頬撫で、その発生源の方に顔を向けた。
そこには返り血を浴びて赤い斑点を黒い仮面に付けた少年が、小さな放電現象を起こしながらその場に立っていた。
表情を隠す漆黒の仮面を付けた少年が、自分の身長ほどもある太刀を薙いで、兵長の首をかっ飛ばしていた。血は噴水のように面白く噴き出し、ドシャッと後から首の上がない身体が地面に倒れる。
「う、うわああっ!!」
それに気が付いた兵士は恐怖といきなりのことで顔を引き攣らせ、その場から逃げようとしたが肝心の顔がその方向には向かなかった。そして世界が斜めに斬られ、紅黒く視界を覆っていった。
二人目を斬り伏せた仮面の少年は次に周りと兵長の命令通りに動こうとした兵達を瞳に映す。
「なっ、何だてめえ!?」
「こいつ、一体…………!」
「『“ボクの大切なモノ……傷ツケタ……壊シタ……オ前ラ……憎イ……憎イ……憎イ!!”』」
さっきまで無抵抗の少年が突然牙を剥いた。
それだけでも十分驚きだが、兵達はそれとは違う別の恐怖を感じ取る。
まるで、大河を相手にしているかのような、はたまた人間の手に終えないような想像上の生き物に出会してしまったような感覚。
少年はゆっくりと顔を動かし、周辺にいる兵士達の顔を一瞥し始める。
それに反応した兵士は一瞬我に戻り、剣と矢を少年に向ける。
そして――――――先に兵士達の方から攻撃を始める。
近くにいた兵は剣を振り下ろし、遠くにいた兵は味方に当てないよう狙い違わず少年の方に矢を放つ。
――――全て、少年の肌に触れず、謎の金属音を立てて弾かれた。
「わっ、何だよこいつ…………こちらの攻撃が…………」
「『“死ネ”』」
少年が太刀を抱え込むような体勢を取る。
そしてその際仮面の口腔部が大きく開かれて野獣のような咆哮を挙げる。
それから目にも止まらない速さで突きを唖然としていた兵士の開けた口の中に突っ込ませると、それが今から起こる惨劇の合図になった。
「はっ……………………」
ふと、太刀を握っていることに気が付き、立ち止まった。顔にはもう、仮面は付いてはいない。
気が付けば、自分が武器を持っているなんてことは少年にとって意外以外の何でもなかった。
自分は確か、敵の兵のリーダーに連れて行かれそうになって…………
その後の記憶はまったくない。
「僕は一体…………血の、臭い?」
鼻を突くような強い鉄の臭いがしたので辺りをゆっくりと見渡す。
そこで最初に見つけたものは―――――
「え…………何だよ………これ? …………何で、何で」
自分を中心に開かれた、赤い花々。
その赤い花々は吹き飛ばしたような後、溜めたような後、染みこませたような後。
そして必ずその赤い花の上には元人間達がゴロゴロと転がっていた。
その数およそ百近く。
此処で何が起こったか、その阿鼻叫喚の地に中心に誰が居たのか。
自分に付着している夥しい血の量からその答えはすぐに弾き出された。
「………………ツバサ」
少年はここから離れた場所で倒れている少女を見る。
血溜まりの中で倒れている白漣の少女。
少年はその姿を見つけると覚束ない足取りで近づく。
自分達を護るために命を張ってくれた勇敢な少女。ここから見る限りではもう動く気配などなかった。
少女の許に辿り着いた少年はゆっくりと膝を折り、持っていた太刀を暫しの間見つめた後、ソッと胸の上に置き、そして両手を取って胸の前で祈る形にしようとしたときだった。
僅かながら、心臓の鼓動の音がしていた。
「…………! まだ生きてる…………!」
少女は吹き消されかけの灯火同様だが、まだ心臓の鼓動だけは、僅かだが動いている。
それを知った少年はすぐに傷口に手を当てた。
自分で何をしているのかよく判らなかったが、こうするのがいいと誰かが耳元で囁いたような気がしたからだ。
そして変化は起こる。
少年の両手に、穏やかで小さな光が宿る。
それを迷わず傷口に注ぐよう、押し込むと光は何の躊躇いもなく少女の身体に入り込み、徐々に傷口を塞いでいった。
少年はずっと、手を当てながら、ただただ、息を吹き返すのを待った。
そして――――――再び呼吸音が、聞こえ始めた…………
「うっ…………うう…………」
それから数分後、背中に痛みを感じなくなり、意識を取り戻したリュウは呻き声を上げて目を醒ました。
自分は確か、ツバサを庇ってその後………でも何で痛くねえんだ?
そう思いながら辺りを見ようとするが、丁度目の前に黒い何かがあって見えず、鬱陶しそうにそれを退けようとすると手に何かがへばり付いたので慌ててそれを眼前に晒す。
未だ乾ききっていない、血。
「わっ!!」
リュウは驚いて身体を起こすと日の光が入り、その血の答えを見つける。
その答えはすぐ側にあった。もう動かない鎧を纏った人体が側に無造作に転がっていた。
リュウは一瞬ビクッとなるが、すぐに死体をから離れる。そして辺りに目をやると、
「うわっ…………何だっ、何が起こったんだ!?」
感じるのは風。目に見えるモノは、こちらを悲しそうな目で見下ろしている少年。
リュウは一瞬驚くが、その人物が自分のよく知っている人物だと認識するとすぐに安心するが、その少年の異様な出で立ちに気が付くと血の気が引いていくような気がした。
全身真っ赤。白い髪にも血がへばり付き、日の光で乾ききっていた。
そして朱い瞳には炯々と自分がよく知っている少年の純粋な輝きはなく、人殺しの眼をしていた。
「…………ソラ……何でお前が……まさかお前がこいつらを………?」
「…………ごめんなさい」
ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい――――
少年は、何度も何度も呟いた。呟くたびに溢れる涙は、朱い回廊に落ちて小さく弾けた。
そして一度、先程降ろした何かをもう一度見下ろしてから、その場から逃げるように走り去っていた。
「お、おいっ! ソラ!! お前どこ行くんだ!!」
突然の行動でリュウは急いでソラを追いかけようとその場から立ち上がって走るが、屍が邪魔して追いつけず、少年は森の中へと姿を消していってしまった。
リュウは走るのを止め、茫然と立ち尽くしてその場に立ち尽くすが、さっきまで少年が居た場所を見ると、目を見開いた。
白く長い髪の少女。ツバサがさっきまで自分の隣で、力なく横たわるようにして倒れていた。
「ツバサ!!」
リュウは叫んで駆け寄り、膝を折って屈むと肩を揺さ振って起こそうとする。
傷は、なかった。まるで何もかも起こらなかったかのような状態で。
やがて、ツバサは意識を取り戻してリュウの元気な姿を確認した。
ツバサは自分が生きていることに第一に驚いた。
それから、リュウにソラの安否を尋ねるが、リュウは首を横に振った。
そして、生き残った交渉相手の兵とその隊長が二人を発見し、無事保護された。
そして隊長にソラ捜索を頼んで一緒にしてもらったが、結局見つからなかった。
それから何ヶ月も、ソラは見つからなかった。
それから何年後、村はやがて街へと変わっていった。
それから幾年も過ぎて町となり、世界を代表する発展都市へと変わり、名を“ワイト”と定めた―――
「―――――っとまあ、おそらくさっきソラが言ったように理の力の所為で畏れられるのを本人が危惧したから二人の許から離れたんだろう。その後二人は夫婦になって、そして戦は終わった。だが――――」
「だが?」
「だが、そのあと今度は人が次々と消える事件が起き、そして人外の者が姿を見せるようになった、っと相次いで世界でその情報が飛び交った。」
「それが、怪物か?」
「そうだ」
ソラが二人の許から離れた後、ツバサとリュウは結ばれた。
もちろん、子供も生まれた。
その時だ、世の中に“非日常”が見え隠れするようになったのは。
全てを話し終えたアスタは、ソッとツバサの背中に目を送る。
それから護熾とユキナの間を通ると歩きながら、
「そう、そして最初に怪物に対する手段を持ち得た人間が現れた。それは誰だが分かるか? 護熾?」
「…………いや、……いやまさか……」
「そう、そのまさかだ。理を己の激情で覚醒させた護熾なら分かると思うが、ソラはまだ息のあったツバサに治癒の気力を目一杯注ぎ込んだ。そしてこれから先、こんな目に遭わせないように、力を授けたんだ。」
そしてアスタはツバサの背中の前に辿り着くと抱き締められているソラを見下ろし、そして、
「ツバサは、彼女は“最初の開眼者”だ。そして俺とユキナの、遠い『先祖』さ」
理とは、道理を司る世界の柱である。
そして現理の力が弱まってくると、千年ごとに新しい理を現理が及ぼしている世界の物質にその身を宿した。それは、例えば海、空、大地、川、木、はたまた強い生き物。
生命が循環する世界をその身に受け、次第に理の力を受け継いだ理は、やがてとって変わって新しい循環を世界に築き続ける。その長い繰り返しが今の今まで続いてきていた。
そして、理が宿った物質は他より強力な生命力を持ち始める。
植物に宿れば、それはすなわち古の大木となり、生き物に宿れば、それはすなわち伝説の生き物となる。
そしてとうとう理は人に宿った。
人、すなわちソラと言う名の少年に。それは偶然であり、必然的であった。
最初、理は強い生き物と定めたこの人間も単なる循環する生命としか捉えていなかった。
だが、理は周りに影響を与える物質でもあれば、周りから影響を受けやすい物質であることを忘れていた。
人間のみが持つ、感情の激しい起伏。
しかも、ソラは生まれたときから周りから拒絶されるような環境だったので徐々にその感情が理にも浸食していった。
そして、それは起きた。
目の前で大切な人達を傷つけられた少年の気持ちに理がとうとう反応してしまい、少年の力添えという役割に回った。それからだ、理がソラに支配されるようになったのは。
「薄々気が付いていたけど、ツバサさんってユキナのご先祖?」
「うん、最初は私も驚いたけど、何だか納得しちゃった。だって私に似てるし、少しだけだけど理の気とも似ているから……」
「そうだ……そしてそれが怪物にも対抗できるように授けた力、人間達が言う『開眼』だ。」
改めてユキナに聞いた護熾の話を割くように、ソラはゆっくりとツバサの腕から抜け出るように立ち上がった。ツバサもそれに気が付き、ゆっくりと立ち上がってその顔を見る。
ソラは言う。
「もう、隠すことはないな。…………私は、三人で暮らせる環境を作りたかったんだ。だから、自分と同じような異形の存在を作り上げ、もう二度と人間の戦が起こらぬような平和な世界が欲しかっただけなんだ……だが……」
ソラは振り向いてアスタの方に目をやる。
それから、さらに後ろにいるリーディアや護熾、そしてユキナの順に目を向ける。
そして口調を落とし、続ける。
「私は当時、人の寿命の長さを知らなかった…………もう、気が付けば幾年も重ね、ツバサとリュウは姿を消していた。そして理は私の目を盗んで世界の秩序を乱している私を倒すために……ツバサと同じ力を持つ人間達を作り始めたのだ」
「でも、私とお父さんの先祖は代を重ねていた。」
「…………そのよう、だな」
ユキナの言葉に素直に頷くソラ。
そしてゆっくりと右腕を持ち上げ、護熾に指さす。
「そして、私は次第に目的を忘れ、よく分からなくなってきていたようだ…………そして理が代を変えると知ったとき、目的は真理に移り変わった。理の力を使いすぎて限度が迫っていたからな…………だから私は真理が宿ると考えた眼の使い手達と戦争を起こした。だが、見つからなかった…………そして真理の方は、もう一つの世界、現世の人間に宿り、私を倒すよう仕向けた。」
その理解者が、護熾。
戦争というのは、おそらく13年前にトーマの師匠のミョル二ルとリーディア、そしてアスタが命を落とした第一次大戦のことであろう。
当時ソラは通常一千年の時を使って使われる秩序の力を無理矢理悪用し、自らの意のままに動く世界を作るために敵となりうる全ての人間を怪物に変えようとしたため通常の倍の速さで力が消費され、寿命が迫った。
一方、理の方も理の寿命が尽きれば世界の混沌、すなわち崩壊を招かざる終えないほどの窮地に迫られていたため、異世界の人間に真理を宿すのではなく、たまたま命の循環で見つけた護熾の元となる生命体に真理を託し、そして、何時しか一人前になるまで時を待ち、そして時期が来たら信号のように気を発信させるようにしたのだ。
そのことについて、アスタが話す。
「そしてその時、オレは死ぬ間際に遺言で…………『ユキナが開眼したら現世で最低でも五年間の任務を』っと、残したんだ。」
「…………あんたが、言ったのか?」
怪訝そうな顔と不満そうな顔を混ぜたような表情で護熾はアスタを見る。
ユキナの孤独な五年間、辛すぎる五年間。それが実の父親が遺した遺言であることを知った護熾は、娘バカな父親が何故そんなことをしたのか納得のいかない様子で見る。
アスタの方も、憂い顔で視線をやや下に落とし
「……仕方なかったんだ。ソラは第二解放を遂げたオレを危険視してたから、その子供なんてすぐに殺されてしまう。だから、開眼を会得させた後すぐに、現世に隠してもらったんだ。それは本当にユキナに済まないと思っている。それに――――」
そう一度区切り、ユキナを方を見たアスタはゆっくりとした足取りで近づき、そして目の前に立つと目をパチクリさせているユキナの頭に手を乗せ、優しく撫でると、
「二番目に理に一番多く触れた人間の血が入っているから、その内に絶対真理を宿した人間を見つけるだろうと信じたんだ。オレは精神世界で出会った師匠さんに真理の存在を知り、先祖のことも知っていたからな。そして今は、理の力のおかげで血の盟約からツバサを呼ぶ扉の代わりにもなった。」
「……それは、どういう意味があるの?」
「簡単さ、大切な人をソラに会わせられたことだよ。」
話をまとめるとこうだ。
理は、人に宿った。しかし人間の感情に激しくアテられ、逆に支配下に置かれることになった。
ソラは、自分達の世界を脅かすことのないよう、自分に純粋に従う怪物達を作り上げていった。
だが、その前にツバサとリュウの寿命が尽き、その子孫が後を継いでいった。
その子孫も開眼を使い、人々を怪物から護っていった。
それから理の方も開眼者をどんどん増やし、秩序の大逆者から自分を解放させるよう仕向けた。
そしてソラは、真理の存在を知って13年前、第二解放を会得したアスタが理解者ではないかと狙い、戦争を起こしたがハズレで、そして一旦手を引いてそれらしきモノが現れるのを待った。
八年前、護熾の母、朔那はそれに巻き込まれた犠牲者となった。
アスタは先祖の血を一番引いているユキナを現世に放ち、そして真理の気を辿り、護熾を見つけ出させた。
そして今に至る――――――――
「結局、オレ達は理の掌で、俺たちの同族が犯した罪の尻ぬぐいをさせられたわけだ。」
そう結論づけ、アスタはユキナの元から離れるとソラの方に向いてからリーディアに静かに低い声で言った。
「もう、そろそろ行くか」
「ああ、時間が、来たようだな」
「え? ちょっとお父さん! リーディアさん!」
唐突に背を向けて歩き出した二人にユキナが驚いて反射的にそう聞くが、アスタは愛娘の声を耳に入れず、ソラの方まで歩いていった。そしてソラの両脇にアスタとリーディアの二人が並ぶようにする。
それから手を軽く挙げて元気よく、
「すまない! ユキナ! 護熾! 色んな意味で時間が来ちまった! それにオレからはもう話すことはない!」
「理が崩壊を始める。もう我々が此処に居られる時間は僅かになったんだユキナ。」
わざと明るい口調でアスタはそう言い、リーディアはいつも通り、だが心配させないように微笑んでユキナにそう答える。
理の崩壊。すなわちソラの寿命が間近に迫った証拠である。
「…………あんたらは、どこへ行くつもりだ?」
護熾が静かに質問をする。
「元の場所に戻るだけだ。理が今こんな状況だから気力の高い魂が来られたわけだ。それに、お前達の顔が見れたし、真実も分かった。戦争で死んじまって今でもオレとリーディアはソラのことは恨んでいる。でも、お前は全ての人の仇を討ってくれた。もう何も残すことはねえよ」
そう淡々とアスタは最後にユキナの顔を見て、
「ユリアに、よろしくな。それとリーディアさんどうぞ」
「ああ、シバっちに元気で向こうにいると言ってくれ。それにトーマにもユリアにも、な」
「お父さん、リーディアさん………………さよなら」
「ああ、もうっ、じれったいな愛娘の別れ言葉って! 泣けるじゃねえかバカァ!」
そんなことを言いながら目頭が熱くなったアスタはゴシゴシと腕で目をこすり、そしてツバサの方を見た。何かいうことはありますか? そう伝えるかのように。
その言葉に甘えて、ツバサが二人に向かって言う。
「君たち二人には、返しきれないほど感謝している。ソラを、殺さずに止めてくれて、ありがとう。こんな償い切れないほどの罪を重ねた奴だが、私とリュウの命は救ってくれたんだ。……我々は一足先に行く。私からはこれくらいしか言えぬが、礼は必ず返す。じゃあ―――――」
三人が、蒼い床と無限に広がる蒼天の空の下に佇んでいた。
一人は白い衣で二人を見て、二人は白い衣を羽織った少年と対峙していた。
少年はじっくり、二人の顔を見た後、眼を閉じて視線を少し落とす。
「お前達に、私は負けた。だが詫びは言わない。その方がいいのだろう?」
「…………ああ、言われると頭に来て抑えていた分が噴き出るからな」
もう、少年の身体は崩壊を始めていた。ゆっくりと徐々に空間に喰われるように。
「…………娘よ。いや、ユキナよ。ツバサに会わせてくれたことを、感謝する」
「ううん、どうってことないよ。」
「…………そうか」
浸食はやがて、身体全体に起こり始める。それは風が木の葉を持ち去っていくように、穏やかで、ゆっくりで、音もなく徐々に全体から掠め取っていく。
その浸食の中で、ソラの表情は二人の顔をしっかりと見て、
「お前達は、あの二人のようだ…………もっと早く出会っていれば、或いは…………」
或いは何かが変わったかも知れない、若しくは何も変わらなかったかも知れない。
ソラは徐々に身体の感覚が無くなっていきながらも最後まで二人の顔を見て――――――そして二人の姿が、あの日の、まだ時代が発展していなかった頃の、姉弟のように接してくれた二人に重なる。
「………僕は、疲れたよツバサ。リュウさんも、疲れたでしょ?」
昔の記憶を探りながら、口々にそう喋る。そして両手を伸ばし、霞む目でその幻を追う。
昔のように、日だまりのような世界に、自分は確かに居た。
それを単に自分が捨て、そして自分の我儘に世界を振り回した。
その報いが今起こっているとすれば、それは穏やかな眠気。
「ごめんなさい……もっと僕が早く言ってれば、こんなことには―――――」
「…………ソラ」
ユキナが思わず前に出て、倒れ掛けた少年の身体を受け止める。
ソラはゆっくりと倒され、正座をしたユキナの膝に頭を置いた。
ユキナは静かに、少年の頭を撫でた。
「ツバサァ……目が濁ってきたよォ……」
それからユキナの顔を見上げ、怯えたように顔を歪ませた。目からは涙が溢れ始めている。
「……大丈夫だソラ、私が側にいてやる。だから泣くな。」
ユキナは安心させるために、一呼吸を吐いた後、ツバサの口調を借りて優しく少年の髪を触る。
もう髪は人としての柔らかさは無く、ざらついた感触が梳く指に走る。
「僕は、悪いことをたくさんしてきた……許されないのは分かってる……でも、でも、誰か一人に許されて欲しいんだ……我儘だけど……誰かに…………」
「君のしたことは許されない……だけど一つだけ…………言えることがあるんだ……」
話しかけながら、ユキナは少年の手を握った。
護熾は黙って二人の様子を見守った。この先はユキナに任すしかない。ユキナが最も、安らかに送れるだろう。
「ソラ……私とリュウを救ってくれて……ありがとう……これが私からの礼だ。だから、怖がるな。私がずっと側に付いている。もう、寂しがらないでいいぞ」
「そっかァ…………一人の時間が長かったから…………嬉しい………な……これから……三人で……一緒…………に」
少年はユキナの服を掴み、涙を目頭から流しながらも無邪気な少年のように微笑んだ。
最後に少年は見る。
目の前で、少し霞んでいるが、白い髪をした少女と、少し髭の生えた青年が自分の両手を引っ張っていることに。そして少年はあの日のように、楽しそうな笑顔で、二人の許へ旅立っていく。
ユキナは一度少年をしっかり胸に抱いた後、丁寧に頭を床に置いて、立ち上がった。
もう少年は、動かなかった。
ワイト、AM6:13。
護熾、及びユキナが理に閉じこめられてから14時間が経過していた。
朝日が昇る前、まだ曇天の総長の中、東の城壁に身を置いていた二人の関係者は、夜もあまり寝ずに二人が無事かどうかの安否をひたすら見守っていた。
あれから14時間。天を衝く巨大な結晶の塔は沈黙を保ち続けていると思われた矢先に――――
「あ………………塔に、ヒビが?」
最初に見つけたのは毛布に身を包み、支給された温かいココアを飲んでいたユリアであった。
ユリアが見つけたのは朝焼けの靄の中の結晶の中程の大きなひび割れである。
「どうかしましたか? ユリアさん」
ユリアの聞き慣れない声に反応したシバが、ユリアの見ている方向に目をやると同じくひび割れを発見する。続いて他のメンバーもその事態に気が付いてすぐに集まり始める。
お馴染みのメンバーの眼の使い手達。F・Gの生徒。
博士の二人、隊長達。バルムディアの元帥とその娘。
その人達が全員、結晶の塔のヒビ割れの存在に目をやったとき、それは起こった。
結晶の塔のヒビが、先程まで勢いを抑えてたかのような衝撃で一気に全体に広がっていく。
そしてそれが全体まで行き渡り、そして一瞬の静寂の後、音もなく大地に向かってバラ撒かれるように砕け散っていった。
「何だ? 二人が、やったのか……?」
氷の雨の――――否結晶の雨。
その様子を今見ているガシュナは完全には治っていない身体ながらもゆっくりと上の方を見上げ――――見つけた。
「いい、散り様だったな…………」
「うん…………結局、寂しかっただけなんだね。」
地上から100メートル上空。曇天の下で降る結晶の雨の中、二人は宙に佇んでいた。
この結晶は、力尽きた理の成れの果て、そして、ソラの抜け殻。
こうして今は少しの光で七色に光る光景の真っ只中でその命が風に運ばれている。
そう知ったユキナは、少年の最後の無邪気な微笑みを思い出しながら、そっと護熾に肩を寄せて、少し凭りかかった。
「終わった…………全部が終わったね……」
「ああ、……全部が終われば、スッキリすると思ったけど、何か、可哀想だったな……」
ソラも結局は、運命に弄ばれた存在。それは誰の所為でもなく、彼の所為でもない。
ただ、そうなる運命だったとしか、言えない。
彼も最初は生きて愛されたいと泣いた一人の赤子だった。人として普通の幸せが欲しかっただけだ。
あいつを倒すことは自分の母親の仇、そして過去の眼の使い手の悲願。
そのはずなのに…………
護熾は複雑な感情を胸に秘め、握り拳を微かに震わせた。
「おい! あれ護熾とユキナじゃね!!? ひゃっほっうーーーーーーーーーーー!!! あいつら奴を倒してくれたんだ!!」
「か、カイドウはんが生きているもんよ!!」
「あ!! ゴオキだ!! ゴオキが生きてる!!」
ふと二人は下の方で元気な声が二人に届いたので見下ろしてみると小さいながらも全員の姿が映っていた。
こちらを見上げて元気よく手を振るラルモ、ミルナ、ティアラ、ギバリ、リル。
よかったと、安堵の表情を浮かべるユリア、シバ、トーマ、ストラス、ジェネス。
冷静に、しかし微笑んでこちらを見上げている隊長達全員とガシュナ、そしてイアル。
「おっ、みんな、生きてたのか…………よかった」
「そう見たいね。護熾、あなたが世界を救ったんだよ!」
「はあ~~~、誰か死んでるかと思ったぜ~~よかったよかった」
「縁起でも無いこと言わないの! …………そういえば護熾は……このあとどうするの?」
護熾は確か真理の力を使って無理矢理こちらに来た。
そして大戦は終わり、もう戦うべき敵はいない。
ユキナもだが、護熾も相当疲弊しているので護熾は一度腕を組んで唸った後、
「ん~~どうっすっか…………一度お前の家に行って休んでから考えるか」
「それがいいみたいだね。じゃあ護熾、いこ!」
「……ああ」
全てが終わった。ユキナは満面の笑顔で護熾の手を引く。
護熾はその顔を見ながら、小さく微笑む。この笑顔を護りたいから、こうしてこっちに来た。
本当によかった。そう思い、ふと手に違和感を覚える。
そして右手を見つめ、僅かに表情を歪ませた。
「………………」
しばらく手を見つめながら護熾はやがて右ポケットに手を突っ込んであるモノを取り出した。
そして、声を掛ける。
「ユキナ、こっち向け」
「ん? なに、護――――――」
護熾の声に呼ばれ、腕を引かれながら振り向いたユキナを迎え入れたのは、護熾の精一杯の抱擁だった。その抱擁に小さな体のユキナはスッポリと納まり、ギュッと強く抱き締められる。
「え、何々護熾! …………何か、恥ずかしい…………えへへ」
そう頬を朱に染めながらもユキナは護熾の背中に手を回し、お返しに抱き締め返す。
しばらく抱き合っていた二人は、少し身体を離し、そして護熾は右手に握ったモノをユキナに手渡した。
「ほれ、お前と斉藤とイアルが作った御守りだ。一応返しとくぜ」
「あっ、これは……」
オレンジ色の布に三人が施した刺繍が刻まれた御守り。
ユキナはそれを受け取り、ずっと持っててくれたことに意外を持ち、ジーッと護熾の顔を見つめる。
「なっ、何だよっ。その顔はっ」
「いや、持っててくれたことが意外で……」
「それじゃあ何のために作ったか意味なくなるだろうが」
「えへへ、そうだね。……うん、そうだよね。何だか嬉しいな」
「はいはい、じゃあさっさとみんなのとこ行くぞ」
「うん!」
そしてユキナは歩き出す。
護熾は、その場から動かず、その背中をただ見つめた。
それからある程度、遠くも近くもない距離になるとその小さな背中に向かって言った。
「悪いな、側で死にたかったの、俺の方だ」
「え………何を言ってるの?………」
ユキナが聞き慣れない突然の発言に驚愕の表情を向け、そして見た。
護熾の足先の方から、塵のような浸食が徐々に護熾を食い尽くし始めていることを。
そしてその欠片が宙に零れる。浸食は止める勢い見せず、少しずつ護熾の身体を上っていた。
明らかに、それは普通の人間の状態では起こりえない現象だった。
「真理の力なんて、解放しちまったら人間の身体なんてやっぱり一日も保たなかったな。もう少しお前の側に居たかったけど…………時間が来たみてえだ」
「え………え………護熾? …………時間って……」
「“寿命”だ。第三解放状態は、俺の最後の命を使って発動させる、いわば半年の命を捨てて使う捨て身の解放なんだよ。」
元々、理というモノは大きなエネルギーの塊である。
それが一生物の身体の中で覚醒状態を固持し続けるのは溶岩を胃の中に閉じこめるのと同じくらい無謀なことで、一度完全覚醒状態、及び第三解放状態を発動してしまえばあとは抗いがたい力が浸食作用を引き起こし、こうして普通の死に方ではない現象が起き始めたのだ。
「え……じゃあ護熾は…………死んじゃうの…………?」
ようやくユキナは理解したように、震えた声でそう言うと、護熾は軽く頷いた。
ユキナは一度息を呑んだ後、
「嫌だよ……! 護熾!!」
「…………これでいいんだよ、ユキナ」
駆け寄ろうとしたユキナに護熾の穏やかな声が届く。
ユキナはビクンッと肩を震わせ、その場に立ち止まる。そして不安そうな表情で顔を見つめると、護熾は柔らかい微笑みでこちらを見つめてくる。
「これが、本来あるべき姿の世界だ。俺はもう、死んでいる人間。最後にお前が生きてるって分かっているだけでも充分だよ」
「護熾…………」
もう止められない死。
ユキナは目の前で今死に行く恋人を見ながら、涙を流し始める。
流れる涙は、止まる気配を見せず後から後から流れる。
「やだ…………やだよごおきィ…………逝っちゃだめだよォ……」
嗚咽を延ばしながら、首をブンブンと振る。
胸が、痛くて苦しい。さっきの護熾の抱擁は、別れを告げる合図だったのだ。
よくよく考えれば、護熾はいつも大きな戦いで何かを犠牲にしてきた。
最初は、自分の普通の日常。
次は、自分の人生。
その次は、寿命。
そして今は、生命。
「護熾がいない世界なんて……嫌だよ……! 何で……何で、理は護熾まで持っていこうとするの!?」
「仕方がねえんだ。お前を救うために俺は命を懸けたんだ。…………俺はただ、お前が生きててくれて、よかったよ。」
「よくないよくない!! よくないよ護熾!! 私は護熾がいなきゃダメなの!!」
「おい、モズクの様子がおかしいぞ…………あいつ……消えかけてないか?」
「お、おい本当だ! 護熾の様子が……!」
「徐々に気力が低下している…………このままだと……」
「護熾さん…………死んじゃうの? …………そんな……此処まできて……」
「ゴオキ…………どうしたの…………?」
「博士……護熾殿の身に、何が起きているのだ?」
「…………どうやら、彼は、もう此処には居られないようです…………」
「……! 何故……?」
「彼の身体には新しい理があります。そして……これで分かりますね……」
「え、え、まさかゴオキ……死んじゃうの……?」
「カイドウはんの様子がおかしいもんよ」
「……もしかしてカイドウさん…………」
「………………あの、馬鹿……」
その頃同じく護熾の異変に気が付いたメンバーが口々のそう話し、ラルモがすぐ側に駆け寄ろうと縁に足を掛けるがすぐにガシュナの止めが入る。
行ったところで、もうどうにもならないくらい察しは付いてしまったのだ。
「おい! 俺たちはみんなも、そして護熾を死なせないために強くなったんじゃねえのかよ!? 俺は納得いかねえぞ!! みすみす見殺しにできるか!!」
「落ち着けラルモ! もう手遅れだ! いくらお前でもそのくらいのことは判断できるだろ!」
「くっ…………何だよ…………最後の最後にあいつは死ぬのかよ!? ……ちくしょう…………ちくしょう!!」
もう手はない。残されたのは此処で見守ること。
ラルモは悪態を付いて城壁の縁を思いっきり殴り、少し欠けさせてから両手で掴み、二人を仰いだ。
「ユキナ…………俺のこと、好きになってくれて、ありがとな。それに、あとで俺のことを好きになってくれた斉藤、イアル、そしてあそこにいるティアラにも、礼を言っておいてくれ」
「バカ…………バカ…………!」
ずっと、一緒にいられるものだと思っていた。
例え居られなくても、今じゃないと思っていた。
「お前は、別の人と一緒になってくれ。ごめんな、お前を、幸せにできなくて……」
「護熾のいない明日なんていらない!! だから護熾、生きて!!」
何時か吐いたことのある台詞をもう一度吐く。
護熾はその言葉に困ったような微笑みを向け、そして静かに手を伸ばした。
ユキナは一瞬驚くが、涙で視界を遮られながらも恐る恐る手を伸ばす。
最初は、赤の他人。
その次は、家族、又は護るモノ。
そして、命を救われ、互いに心を交わし―――――恋人になった。
今がどんなに残酷な結果でも、この手は繋ぎたい。
そう思って必死に手を伸ばす。
そして手が繋がろうとしたその瞬間、
そして――――――――
『ユキナ……これでお別れだ』
「ご……ごおき……?」
『これから先は、もうお前の未来だ。俺はその隣にいられないのが、残念だけどな』
「ま、待って……! ごおき……!」
『おいおい、たくっ…………幸せに、生きて行けよ』
「や、やだ……! ねえごおき……!」
首の下が完全に消え、顔だけが残っている中、ユキナは急いで駆け寄る。
そして抱き締めると、丁度胸の辺りに、護熾の頭だけが収まる。それからその頭に顔を押しつけ、必死に消えて無くなるのを拒むように必死に抱き締める。
護熾は驚いた表情で眼を見開くが、その温もりで思わず眼を細める。
温かい、死に行く中でそう思った。
「ごおき……ごおき……」
『……温かい……本当に……あったけぇ……』
「ねえ、愛してる……ずっと愛してるから……ね? ごおき……」
『…………俺には、勿体ないな、その言葉は』
「大好きだよ…………大好き……大好きだからぁ……いなくならないで……」
『…………悪い、じゃあな、先、行ってるぜ』
「いやだ……私を一人にしないで……!」
ぐしゃぐしゃに汚れた顔を頭に押しつけ、嗚咽を引きながらユキナは叫んだ。
本当に、こいつに愛されてるんだな。
護熾はそう、確信にも似た感情を覚えながら、そっとユキナの胸に身体を預けるかのように頭を傾ける。
(俺は、確かに存在していた。こいつの隣で……いていいはずのない隣で)
死ぬ覚悟は、できた。ただ、彼女を一人にするのが唯一の気がかり。
(でも大丈夫だ。俺が死ぬ代わりに、こいつが生きる。それしかこいつが生きていく選択肢はなかったんだ。これからこいつは生きていく。刻が経てばまた笑って暮らせていけるはずだ。もう、二度と会えないけど、それでいいはずだ)
それでも、悔しいと思う。ずっと側で、ずっと隣で、彼女の未来を共に歩けないのが。
護熾にはもう、彼女が何を言っているのか聞き取ることができなかった。
きっと必死の想いで、何か言っていることだけは分かる。
だから、自分は伝えなくてはならない。
(…………疲れたな……俺も…………でも、これだけは、言わせてくれよ真理…………)
彼女と、
一緒にいたい、
好きだと囁きたい、囁かれたい、
頭を撫でてあげたい、撫でられたい、
寄り添いたい、寄り添られたい、抱き締めたい、抱き締められたい、
手を繋ぎたい、繋がれたい、ずっと一緒にいたい、一緒にいて欲しい、
共に歩いて欲しい、共にいて欲しい、一緒に笑って欲しい、一緒に落ち込んで欲しい、
そして時々口喧嘩、そして必ず仲直り、
そして――――幸せに生きて欲しい。
それら溢れる言葉と想いの全てを纏めて、最期の最後に――――
自分の正直な気持ちを――――
もう一度言いたかった言葉を――――――伝えた。
『“ユキナ、世界で一番―――お前を愛してる”』
そう最後に言葉を残し、ゆっくりと空間に溶けていくように、護熾は微笑んだまま、目を瞑った。
そしてユキナの胸の中で―――――緑の粒子となって、砕けて、消えた。
「馬鹿野郎……護熾が…………また…………」
仰いでいたラルモは、両拳を握りしめて、顔を下ろすと、ポタポタと、涙を下に向かって流した。
すぐ傍らに、アルティがソッと肩を寄せ、顔をラルモの肩に押しつけた。
ミルナは悲しさのあまり、両手で顔を覆い、それをガシュナが歯を食いしばった表情で天を仰ぎながら抱き締める。
ギバリとリルは、静かに消えていく様子を最後まで見届けようとずっと見つめている。
イアルは、静かに呻き声も上げず、目を瞑って、息を押し殺して、好きになった人物の最期を送る。
「ご……おき…………どこ? …………どこ、行っちゃったの…………?」
緑の粒子、護熾の生体エネルギーが粒となって風に流された後、それに手を伸ばしながら、身体を震わせていたユキナはまるで今起こったことが信じられないと言った様子でふるふると辺りを見渡していた。
さっきまで、自分を精一杯抱き締めてくれた、愛してくれた少年は、いない。
世界があるべき姿に戻った。
それは認めたくない、認めたくないのに………
そしてふと、握りしめられた御守りを目にする。
「……ずっと側に…………いるって言ってくれたのに…………嘘つき…………」
その御守りに、数滴雫が落ちて、弾ける。
気が付けば、それは涙となってはらはらと頬を流れ落ちていた。
ユキナは御守りを握りしめ、それを胸元に抱き、そして呻くように泣き始める。
「護熾…………護熾…………帰ってきてよ…………お願い……私の大好きな…………護熾……」
そして全てを受け入れる。
護熾はもう、帰ってこない。
真理と同化した身体は、一緒に時空の狭間に持って行かれたことを。
ユキナはゆっくりと天を仰いだ。
そして、口を開くと―――――
「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
喉が潰れるんじゃないかという勢いで、ユキナは最愛の恋人の死を慟哭した。
すると一気に第一解放、第二解放へ切り替わり、叫び声だけで頭上の曇天に大穴を空けた。
手には、護熾の遺品の、三人で作った御守り。
そして、目からは滞りなく、涙が溢れていく。
止まる気配を見せることなく、流れていく。
その内、頬に涙ではない水滴が、ぽつり、と落ちる。
それは見る間に数を増し、雨となった。
崩された雲でできた大粒の雨は、上を向いたユキナの顔に降り注ぎ、あふれるそばから涙を洗い流していった。
「あいつ…………死んでもうた……なんやねん……あいつまで……逝くことないのに……」
「護熾さん…………世界を救ってくれて……ありがとうございます……そして、安らかに……」
「あの馬鹿!! 何で、何で死ぬんだよ…………!」
「……護熾さん…………」
ユキナの作った雨に濡れながら、隊長達は口々に涙声を交えて言う。
そして傍らに、ティアラもいるが、ジェネスはそっと羽織っていたコートを着せると
「濡れると風邪を引くぞ…………」
「いいえお父様…………もう、濡れています……」
ジェネスが見た大きな蒼い瞳からは、雨ではない別のモノで濡れきっていた。
ティアラは静かに雨が降り注ぐ中、上空で泣き続けている少女を見ながら、泣き続けた。
「ユリアさん……護熾……もう……」
「ええ、ええ分かってます……でも今は……泣かせて下さい……」
両肩に手を置いていたシバの言葉に首を振って答えるユリア。
シバはこれ以上此処にいさせるのは酷だと考え、この場から静かに退場させようとするが、誰かが肩に手を置いたので振り向いてみると、
「今は、ソッとさせてあげてくれシバ。誰だって最後まで、気が済むまで此処に居たいんだよ」
トーマが目頭を熱くさせながら、できるだけ顔を見せないように、そうシバに頼んでいた。
「うう………うう……護熾…………護熾……」
慟哭するのを止め、第二解放を解いて元の姿に戻り、すすり泣く声で恋人の名前を呼ぶが、決して現れるわけではなくただ時が虚しく過ぎていく。
そして、雨が止む。
それから、ずぶ濡れになったユキナに、日の光が当たり始める。
いつの間にか、曇天に開いた穴が広がり、青空が見え始めており、そこからも光が漏れ始める。
朝焼け、誰が何をしようと変わらない。
穏やかで温かい朝日が、祝福するようにユキナに零れ日を運んでくる。
ただ少女は、胸に遺品を抱いたまま、すすり泣くのを止めなかった。
いつまでも、いつまでも、その場に佇んで、泣いた。
AM6:23。
大戦、終結。怪物は一気に消滅し、世界から消滅。
その首謀者と思われしき人物も、消滅を確認。
大戦は、人類の勝利で、飾られた。
ただ新たなる世界の始まりは、一人の少女のすすり泣く声で始まった。
終わりました……随分悲しい最期ですが、まだ物語はほんのちょっと進みます。
なのでそこで本当の最後を書きますので、どうか続きを心待ちにしていてください!
では読み終えた読者の皆様! 次の後書きで会いましょう!