四十九月日 遠景3
白髪の少女に連れてこられた少年がまず目にしたのは、在り来たりで棚状に築かれている村だった。
ここは少女に発見された場所から何キロも歩いた場所にあり、少年は両膝に手を付いてぜぇぜぇと肩で息をし、少女は息切れ一つ無く少し高い位置から村を見下ろしていた。
家の造りなどは少年の村のとほとんど変わりないが、違いを見つけるならまず村の端の方でもくもくと煙が絶え間なく上がっていること、それから棚状の土地の頂点に他の家より少し大きな家が建っていることだった。
「名も無き村だが、皆仲良くやっている。」
少女はそう言い、『こっちだ』と言って少年の手を引いた。
少年は引かれるがままに歩き出し、やがて坂を一緒に下りて村の中へと入っていった。
村では、少年がいつも見てきた光景の繰り返しかのように村人達が田を耕したり村の中を流れる川で土の付いた着物を洗っていたりしていた。
二週間ぶりに見る街の兵が襲ってくる前の光景。こんなごく自然な営みが壊されたのかと思うと、溜息しか出てこない。だが驚いたのはここからだ。
白髪の少女と少年が今度は坂を上り始めたときだった。
すると少女に気が付いたのか、村人達は目に少女の姿が入ると元気よく手を振り
「“ツバサ”殿ーーー! お帰りーー!!」
「おおっ、今帰ったぞ!」
ツバサと呼ばれた白髪の少女も村人達に元気よく手をふり、それから続いて村人達からの質問。
「その後ろの子は誰だーー? あんたに似てるけどーーー」
「さっき拾った! 話は家で聞くつもりだ!」
「分かったーーーーー」
なんて、なんて隔たりもなく互いに話せるのだろうか?
これがその様子を見ていた少年の感想だった。
そう、同じ容姿をしているこの少女は村人達から差別もなにもされず、寧ろ尊敬の対象になっていることが少年にとっては大きな衝撃だった。自分はこんな容姿の所為で孤立した存在と化していたのに、この少女は村人達と仲良くやっている。
だから村人達の自分を見る目は、こんなにきつくないのか。
少年は心底呆けた表情でそう思い、それから少女がまた歩き出したのでそれに付いていった。
着いた場所は少年が見た棚状の土地の頂点に建てられた大きな木造の家だった。
木の匂いに満ちた素朴な感じの部屋に引き戸と、つっかえ棒で蓋を支えている窓。部屋の中心には囲炉裏があり、鍋が丁度吊り下げられていた。
今は正午なので日差しが心地よく家の中に差し込んできてポカポカとした陽気になっていた。ドカッと男らしく胡座で床に座った少女は名を名乗り、そして少年を座らせて自分が何者かを話し始めた。
「紹介が遅れたな、私の名は“ツバサ”、この村の名主の娘だ、と言っても父上と母上はもうこの世にはいないが。」
名主、田畑などを管理する村の長のことを指す。
この村は代々名主によって築かれた土地であり、それ故名主への村人の信頼は厚く義理堅いものとなっている。しかしツバサの両親は五年前に流行病で二人とも倒れてしまい、以後ツバサが責任を持って村の厄介事に携わるようになったという。
「君の名は何だ?」
不意にツバサからそう聞かれた少年は焦った。
同じ容姿とはいえ、やはり相手は他人だしそれに初めて歳の近い少女と話しているのだ。それすら夢のようだというのに自分の名前を××××と伝えてしまうとこの少女の表情が変わってしまうのではないかと懸念してしまう。
故に以前の“自分”を相手に知られてしまうことが、自分の傷を抉られてしまうことがとにかく嫌だった。嫌だったから、少年は嘘をついた。
「分からない、気が付いたらあそこにいた。」
「…………やっぱり記憶がないのか?」
目論見通り、ツバサは驚いた顔で少年を見据える。
「……困ったな、一度家で預かってから帰すつもりだったがそうか……そういえば近くに村はないし…………まあ今はゆっくりしていてくれ。」
腕を胸の前で組んでしばらく唸るように考えていたツバサはそう答えると『お腹が減っただろ? 精の付くモノを喰わせてやる』と言い、立ち上がって食事の用意をするためにその場から離れていった。
少年はキョロキョロ辺りを見渡し始める。
知らない土地で知らない家で知らない少女と一つ屋根の下にいるのは歳が少し離れていても、やはりソワソワしてしまうものだ。
ふとそよ風が吹き、それを肌で感じた少年はそちらの方に顔を向けると窓が開いていることに気が付いた。
そしてそこへフラフラと歩き、そして覗き込んでみると一瞬目を奪われた。
眼下に広がる雄大な村。思えばここは結構高い場所に位置しているのだ。高所恐怖症や心配性の人は大雨などで崩れないかと心配するだろうが、見た目よりは結構頑丈な土地のようだ。
それから近くで草を踏みしめる足音が聞こえ、同時に金属がぶつかり合う音もしてそれがハッキリと耳に届いたときには、窓の向こうに青年が立っていた。
その青年は背中に大きな籠を背負っており、中から木製の棒みたいのが上に向かって突きだしており、純朴そうな顔立ちの下には少し髭のようなモノが生え、少年に気が付いた青年は驚いたように動きを止めた。
「…………」
「…………」
互いに見つめ合い、青年はゆっくりと籠を地面に置くと
「ツバサ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!! お前!! 隠し子がいたのか!!!?」
嘆くような、ふざけんじゃねえ! と言いたげな大声を必死な表情から生み出し、猛ダッシュでこの家の引き戸まで滑り込むように行き、それからガラガラと勢いよく開けると
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン ドス! ビイィィィン
「五月蠅いぞ“リュウ” 今は飯時だから静かにしろ。」
風を切るような音がし、それから何かが刺さって反響音を残す中威圧するような低い声が奥の部屋からし、それからリュウと呼ばれた青年はカクカクと機械仕掛けの人形のように首を九十°左に動かす。
すると太陽の光がきらんと反射し、見事に壁に刺さった包丁のような調理器具がリュウの二十センチ横で睨み付けるようにそこにあった。その様子にリュウも少年も青筋を立ててぞぞっーーーと寒気がし、後ろも見ずに刃物を投げたツバサに恐怖心を掻き立てるのであった。
「あ、危ねぇええええええ!!! ツバサお前刺さったらどうするんだよ!!?」
リュウは草履を履き捨て、床の上に上がり込んでツバサのいる部屋の方に入り込むが、中でガタガタと何かが擦れ合うような音が響くと突如ポーーンと簡単に蹴り出されると面白いようにリュウの体が床の上に滑り込む。
それからツバサの姿が入り口から垣間見え、
「安心しろ、刺さったら薬を塗ってやる」
蹴り終えた体勢でツバサはそう言い、
「それからそこにいるのは隠し子でも姉弟でもないぞ。今朝方拾った。記憶はないそうだ。だから家で少し様子を見ようと思って置いている。嘘は言っていない。」
それからそう付け加えると再び部屋の奥へと姿を消していった。
リュウは質問したい全ての事柄を先越され、それからそんなツバサのあっさりとした返答を受け止め、ジロリと少年の方に顔を向けた。
「…………本当に違う?」
「うん…………おじさんの頭違いだと思うよ。」
「! おじさん違うぞ!? オレまだ18だ!」
髭が少し生えている容姿から歳を喰っていると勘違いされたことに慌てて修正を加えるリュウはそれから外に籠を置いてきたことに気が付き、慌てて取りに行って戻ってくると、籠の中のモノを一つ取り出してそれを少年に見せた。
「オレ、リュウって名前でツバサとは幼き頃からの知り合いだ。一応鍛冶屋を営んでいる身で今日はツバサに修理を頼まれていたからそれを返しに来たところだ。めちゃくちゃ時間掛かったけど今日でやっと納得がいったんだ」
リュウが持っていたのは何やら妙に長く、そして見事な装飾が為された物体だった。
それをリュウは丁重な扱いで両手で持ち、それから部屋の横の方に歩いていく。そこには仏壇のような大きなものが置かれており、丁度そこにその長いモノを置くような2つの金具が取り付けられていたのでリュウはそこにソッと赤子を扱うかのように丁寧に置いた。
「ツバサの家の代々纏わる大太刀だ。実際、切れ味は相当なものだけどこれは信頼の象徴だから武器としてではなく神器だからな」
少年にそう釘を刺すように言い、そこから離れると一度少年のとこまで歩いていき、置いてあった籠を取ると
「じゃあオレは戻るからちゃんと飯食えよ。」
少年にそう伝え、引き戸の前に行こうとしたときだった。
丁度食事の支度を終えたツバサが部屋の向こうから姿を現し、仁王立ちで両腰に手を当てると去ろうとしているリュウの背中に向かって
「せっかく来たんだ。お前も飯に付き合うがいい。お前が来ると思って三人分は用意してあるから。」
「…………ホントか?」
リュウはツバサに振り向いて一瞬目を輝かせるが、すぐに首を横に振って
「いいや、ダメだ。お前は名主の娘だから遠慮させてもらうぜ。」
「? 何故だ? もう私に両親はいない、なら名主である私の……いいや、馴染みとして飯に付き合っても良かろう?」
「〜〜〜〜お前な〜〜少しは考えろよ? そんなことしたらオレがどんな目で見られるか分かってるのか?」
「……まったく、たかが飯でビクビクするとは、それでもお前は男か!?」
「男だから言ってんの! 馴染みでも一応身分は弁えろ! まったく………嬉しいのは山々だけど……」
「何か言ったか?」
「何でもねえ!!」
ギャーギャーと喚き合う二人を見ながら、少年は辺りを見渡すがこの家の近くに家がないので隣近所の人がこの騒ぎを聞きつけてこちらに来るということはまず無かった。
しかしこの騒ぎを放置しているのもどうかと思われたので、少年は口を挟もうとしたときだった。
グゴゴゴゴゴゴゴォォォ………………
「……」
「……」
地の底から這うような音が、二人に少年の空腹を伝えた。
「クスクス…………どうやら待てないのが若干一名、居るようだなリュウ。」
「そうみてえだな……時間を掛けちまったことだし、しょうがねえな、オレも厄介になるか」
「………………すいません」
完全に二人の緊張にトドメを刺す切っ掛けになった少年は頬を赤らめて視線を落とし、ツバサは『そこで待ってろ』と一言言うとすぐに食事を持ってきてくれた。
魚を串で刺して焼いたものに山菜やイモの煮物、米を炊いたモノに汁物として菜っ葉のだし汁が振る舞われた。それぞれお膳の上に置かれていて、ホカホカとできたてを示すように湯気が立っていた。早速少年は少しずつ味見をしてみる。するとどれも味はなかなかのモノで少年はがっついた。
まるで腹ぺこの犬のようである。
「……相ッ当飢えてたんだな」
呆れたように呟き、リュウはツバサの方に向いた。
「リュウ、お前は食べ終えたら自分の分は洗えよ」
「なっ! 最後の最後にそれかよ!? この子は!?」
「その子は疲れてる。致し方ない。」
「そりゃ分かるけどお前トコトンオレにきついな!? あ〜あ、お前に何言ったって無駄だから分かりましたよ。飯が旨くて助かったぜ」
そのやり取りの何気さが、二人の付き合いの長さを思わせた。それなりの時間を共に過ごした呼吸があった。
―――なるほど、確かに。
少年はかっ込んだ状態でそう呟いた。確かによけいなモノだ。この二人の空気における自分の存在は。
護熾、ユキナ、ソラの理に閉じこめられてから二時間後。
地平線の方では太陽が沈み掛け、山吹色の空を世界に展開させていた。
もうかれこれ二時間、沈黙を続ける夕陽を映し込んで不思議な色に変化している結晶の塔に、ユリアはずっと立って二人が出てくるのは今か今かと待っていた。
嵐のように現れた少年が、且つ自分の娘を救い出した後、夫を葬った相手を怒濤の圧倒的力で追いつめ、そして嵐が止んだかのように全てが沈黙した。
「ユリアさん…………どうぞこれを」
後ろからシバが支給された毛布を被せ、それに気が付いたユリアは微笑んで礼を言い、また顔を前に戻す。他のメンバーも徹夜覚悟でこの場に居座ることを決めたのか、それぞれ毛布を被り、一番怪我の具合が重いガシュナは城壁の上に施した緊急用テントにミルナと一緒に身を置いていた。
「あの二人は……無事ですよ……」
「ええ……分かっています……」
シバが慰めるようにそう言い、ユリアは軽く返事をしてそのまま黙る。
今までだって二人で乗り越えてきたのだ。
だったら待とう、此処には二人の無事を願っている人達が結集しているのだ。自分達が心配しているだけでは失礼だ。
ユリアはそう決意し、ふと遠くで耳鳴りのような音が響いたのでそちらに顔を向ける。
夕陽に隠れるように、黒い物体がこちらに向かって飛んでいた。
よく見るとその物体の上部にローターのようなモノが2つ、一定の速さで回転しており、それが近づけば近づくほどその姿と音がハッキリとしてきた。
それは機体。内部の揺れをほとんど取り去る作りの軍用の移動ヘリであった。
機体の色は黒一色で側面には紋章が描かれている。その紋章を見たシバは一瞬で鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をし、すぐに横の方にいた隊長達を見る。
「あれって…………」
「うわ〜〜さすが。やっぱ留まっているとは思ってなかったけど……」
ロキが驚き、レンゴクが事前に予想しきっていたような口調でこちらに近づいてくる機体を見ながら言う。
じゃあそうなんだ、シバはそう呟き、やがて機体がもう細部まで分かるほど接近し、こちらに突風を叩きつけながら高度を落として数メートルほど上に来るとやがて機体をホバリング状態に移行させ、ドアのハッチが開かれる。
そしてガラガラと重い音を立てて完全に開かれると、金色の長い髪がそこから覗き込み、
「ロキさんレンゴクさん!! みんな無事ですか!」
「ティアラさん!? ってわあああああああああああ!!!」
かつて護熾に想いを寄せていた少女の一人、ティアラに気が付いたロキは珍しくニッコリした表情ではなく驚愕の表情で叫んだ。 無理はない、何故ならティアラが何の躊躇いもなくデッキからこちらに落ちてきたのでレンゴクとの連携で何とか受け止める。
そしてティアラは二人に支えられながら降りるとまずはユリアの方を見て驚く
「あ、あなたは…………」
「いいえ、この方はユキナさんの母親ですよ。それよりも無茶をなさらないで下さいティアラさん」
「だって…………研究所で見てたけどゴオキ……あそこにいるんでしょ?」
ティアラが心配そうに指を指した先には山吹色を取り込んでいる結晶の塔。
ここから約1000キロもあるこの場では、モニター越しの映像と端末での連絡の取り合いのみなので理の崩壊で消えた怪物達のおかげで、離陸準備が可能になったのでさすがに居ても立ってもいられなくなるのは、道理であった。続いて機体はドンドン高度を下げ、手を伸ばせば届くくらいに落とすとデッキから二人ほどさらに城壁の上に降り立つ。
「こらティアラ!! 怪我でもされたら私が困るんだ!!」
降りてきたのはバルムディア軍の元帥に身を置くティアラの父親であるジェネスだった。
ジェネスはそれは絵に描いたような怒りっぷりでティアラにズカズカと近づき、そして軽く拳骨を頭の頂点に当てると
「無茶なことしてゴオキ殿に会わせる顔がなかったら困るだろ?」
「…………ハイ」
そう柔らかい口調で言い、ティアラも反省したように項垂れるとジェネスは辺りを見渡す。
すると同時に隊長達全員は敬礼のポーズを取り、続いてシバもトーマも軽く会釈をする。
「先輩! 怪我したんスか!?」
するとジェネスの背中からヒョコッと見覚えのある顔が覗き込む。
降りてきた最後の一人はトーマと協力して強化服シリーズを立ち上げたストラスで飛び降りながらトーマの包帯姿に驚き、同時に元気でいることに安心し、すぐに駆け寄る。
「………あれが“理”って呼ばれる安定性形質伝播物質ですね…………あそこに、二人が」
「……もうかれこれ三時間近く経過してるが、未だ沈黙状態。おそらく長時間になると思うから、覚悟があるならお二方の席を作っておけ」
「了解ッス」
動きが見えない以上、徹夜で見守る覚悟がなければ二人の無事を確認する術がないので早速ストラスは動いてティアラとジェネスに概要を伝える。
ジェネスは一度躊躇してティアラを見るが、その瞳には既に聞くまでもない覚悟が宿っていたのですぐに了承した。それから隊長達全員に誘導され、姿を小さくさせていくとトーマは結晶の塔の方にまた目をやり、呟いた。
「師匠、リーディア、アスタ、どうかあの二人が無事でいることを、一緒に願ってくれ……」
夕方、少年を家で待たせていたツバサが帰ってきた。
手には籠を持っており、背中には何と大きな獣が力なく担がれていた。
少年はもの凄く驚いて後ずさりするとその場にドスンッと毛の塊が落ちる。既に絶命しており、首筋に一撃、刃物を走らせたかのような切り傷以外はどこも目立った外傷はなかった。
「今日は大量だ、先程仕留めた」
そんなことをいいながら少女らしくふぅーー、ッと額の汗を拭うがそれとは相反して恐ろしい形相で死んでいる獣が横に転がっている。
少年は改めて思った。この人に逆らっては狩られると。
ツバサは青筋を立てている少年の心の決意など知らず、ズルズルと見た目に反して力強く引っ張って調理場の方に持っていき、それからさらに勝手口に出て、少年に見させないように解体作業を始めた。
解体作業三十分後。
調理場に戻ったツバサの手には先程の獣の毛皮が納まっており、それを調理場の木棒に掛けると次にもう血抜きの作業が終わっているお肉が運ばれてまな板の上に置かれた。
「やはり肉が一番精が付くだろう? …………リュウの奴は今晩呼べばよかったかな?」
そんな少し後悔の言葉を言ってから、包丁を肉の中程まで入れてから、ふと何かを思い出したように顔を振り向かせ、チョイチョイと手招きで少年を呼んだ。少年は素直に動き、ツバサの前まで行くとツバサからあることを言われた。
「一応君も体力の回復はしたようだから外の洗濯物を入れておいてくれ。さすがに記憶が戻るまでは、此処では客ではなく居候の身として弁えてくれ。」
まあそれもそうだ。
少年は何の文句凭れず、素直に頷くと草履を履いて外に出ると、夕陽が山や田んぼや村を暖かい色で包み込んでいた。ずっと山の中だったので少年はすぐに目を奪われた。二週間ぶりに見る夕陽。
自分の村でも見た夕陽が、今でも鮮明に思い出される。
例え世界が終わっても手放さないと言ってくれた両親が恋しくなる。
街の兵達の牙に掛かった両親の姿が鮮明に思い出される。どうしてあんなことに。
そう思うと洗濯物を握る力が強くなる。もし自分に護れるだけの力があったなら……
ふと我に返った少年はオレンジ色に光っていた雫を眼から拭い去ると洗濯掛けから最後の物を籠に入れ、踵を返して家の中に入ろうとしたときだった。
心配そうにこちらを見つめる青年、リュウが少し困った顔で少年を見ていた。
「どうした? 突然泣いたりなんかして?」
「…………何でも……ない」
過去を詮索されるのは傷に障る。少年はわざと吹っ切れた口調でそう言ったが逆にリュウにはよほどのことがあったと言うことを感づかれてしまった。
しかしリュウは『そうか』と短く呟いただけにし、
「じゃ、何かあったらツバサかオレに相談しろよ」
そうお兄さんぶって手を振って去ろうとしたときだった。
「ところで何しに来たんですか? リュウさん」
ギクッ! 少年からの素直な質問にリュウは思わず歩みを止めて立ち止まる。
確かに用もないのにわざわざこんな高台に来るのはおかしいからである。
リュウは明らかに慌てた様子でそれを聞かれたときの答えを用意してなかった! と言いたげに後ろ頭に汗が出る。
それからリュウは肩越しに少年を見て、少し苦笑した顔で
「何でもねえよ。ちょっと通りかかっただけだから……」
「リュウさん、もしかしてツバサさんのことが……」
「あーーーーーー! オレは別に馴染みの元に同じ容姿の子が来て不安がってるんじゃねえからな! お前、くれぐれもツバサに逆らうなよ? 逆らったら――――」
「逆らったらこうなるとでも?」
不意に少年の背中から声が響き渡る。
振り向くと左手に肉の塊、右手に包丁を持ったツバサが立っており、ニヤッと茶化すような表情でリュウを見ていた。
夕陽を反射する包丁の刀身が一層謎の恐怖心を掻き立てさせる。
その姿はさながら容姿も合わさって山姥のようである。
リュウは一瞬ビビるが、すぐに落ち着いてから
「……お、お前、また一人で仕留めたのか?」
「ああ、狩りなんぞ男のやることだと思ったら間違いだぞ? 女もやればできる。」
「お前は特別だ! たくっ、昔っから気だけは強いんだから……」
「それより丁度良かった。新鮮な肉が余って明日腐ってたら大変だと思っていたから、良ければ少し持っていってくれないか?」
「………いいのか?」
「ああ、男は喰わんと身が保たんし、第一お前も独り身だ。肉が身に効くだろ?」
「……じゃ、遠慮無く……」
リュウは両手を伸ばし、ツバサは先程取った小さな籠に肉の塊を乗せるとそれを手渡し、『ありがとな、ツバサ』と礼を言われると『気にするな、無かったらお前にあげてない』と少しきつい返事を言い渡し、リュウはもう一度苦笑いで軽く頷くと背中を向け、そして峠を下りていきながら二人に手を振ってその場を後にしていった。
リュウの姿が見えなくなったツバサは、やれやれと良いながら腰に両手を当てると少年の方に顔を向け、
「あいつも私と同じ、流行病で両親を亡くしてしまった。だがあいつもそのことを引っ張らず前向きの健気で良い奴だ。それに私の姿にもまったく気にせず、タメ口を張れるのは奴だけだ。まったくあいつも私と一緒に住めば良かろうに」
いや、それだとリュウさんギクシャクしちゃうよ。
敢えて少年はそう言わず、微笑んでツバサの文句を聞いた。
透き通るような美しい白い髪、名主の身分。
2つが合い重なって此処の村人は尊敬の念と同時に少しばかりの畏怖の念を持っているというのだ。
しかしあの青年、リュウだけは『姿形が問題じゃねえ、問題なのは中身だろ?』とそんな悩みを吹き飛ばす威勢のいいことを吐き捨ててくれた。そんな人物は、両親しか居なかった少年にとってはあまりにも羨ましかった。
「ほれ、もうじき冷えるから中に入れ。少し待てば飯の支度ができる。」
そう言われるがままに少年は素直に従い、やがてツバサと共に家の中へと入っていった。
その夜。少年は久々に布団で寝ることになった。
数メートル横には同じくツバサが敷布の上に身を置き、その上に布団を被って少年と同じように天井を見ていた。
外は静かに、虫の鳴き声が響いている。灯りはないので完全な闇である。
「怖いか?」
ツバサがこちらに顔を向けて少年に訊く。
少年はふりふりと顔を左右に軽く振って否定する。こんなのは山の中の生活で慣れてしまった、そう言いたげな風に。
「この村はいいところだろ? 私が言うのもなんだが」
「うん……いいとこだと思うよ」
ツバサの求めてきた感想に、少年はコクンと頷いて返事をする。
管理している村の感想を聞き、ツバサは満足そうにそうか、と頷き、再び仰向けになって天井を見始めた。
「久しく他の誰かと寝たな。リュウの時は何度かソワソワして寝付けなかったそうだから」
「あはは」
何というか、肝が据わっている人だな。少年はそう思い、寝返りを1回打つ。
ひんやりとした木材の冷たさは、今の季節には丁度良く、眠りの助けになってくれる。しかし完全に寝付くまでは時間が掛かりそうだったので少年は一瞬躊躇ったが、ツバサに背中を向けながらあることを訊いた。
「ねえ、ツバサさん」
「ん? 何だ?」
「どうして…………僕を拾ったの?」
自分と同じ容姿をしているから? そう言われるのが何となく嫌だったが、この先ハッキリさせとこうと思い、勇気を出して訊いてみた。そして率直に訊くが、ツバサは少年の背中にニッコリと微笑みを向け、
「寂しそうだったからな。それに同じ容姿というのもあったが……君がどんな容姿でも私は拾っていたな。こうして家族が増えたんだから、結果的には良かった」
少年はそう言われて、何となく嬉しかった。この少女が自分を家族としてもう受け入れていることに。
ツバサは差詰め年の差からして姉のような存在、というところであろう。
少年は勝手に家族関係を頭の中で立て、それからあることに気が付いて上体を持ち上げて振り向くと
「それは……ツバサさんも寂しかったってこと?」
「ん〜〜〜〜まあリュウの奴がいるからどうとは言えんが、まあ一人で寝るのは寂しいかな?」
変なところで女の子らしさが出てくる。
少年は思わず吹きだし、ツバサは『どこかおかしかったか?』と半ば困惑したかのような感じになる。男勝りの性格で自身の容姿を気にしないで居てくれている仲の良い友がいるこの少女。
この人となら、上手くやっていけるかもしれない。
二週間彷徨って、やっと自分の居場所が見つけれたかも知れない。
「ツバサさん………僕を拾ってくれて、ありがと」
「礼は受け取らんよ。感謝の気持ちがあるなら明日から一緒に家事の手伝いをしてもらうからな。まあその前にこの村の地理を覚えてもらうがな」
「うん!」
もう完全に家族扱いの少年にツバサは悪戯を思いついた子供のように『大変だぞ〜〜』とわざと言って見せ、それからふとあることに気が付いた。
それはそれはあまりにも重要な事柄であった。
「そういえば君は記憶がないから名を考えないと。無いと不便だろ?」
「あ………そういえばそうだね」
「う〜〜〜ん、私がツバサだからな〜〜〜〜〜」
少年の名前がなければ存在しないのと同じだと踏んだツバサは名付け親になるべく頭を回転させ始める。少年の方は新しい自分が生まれると期待の眼を寄せており、やがてツバサは『おっ、これならどうかな?』と何か閃いた口調で呟く。
「なになに? 僕の名前考えついた?」
「ああ、私の名前は“ツバサ”だろ?」
「うん! 言いやすくて良い名前だと思うよ」
「ありがと。でね、この名前は分かっていると思うが鳥の翼から取っているモノで、すなわち力強く羽ばたいて元気よく生きて欲しいという念が込められて居るんだ。だがその翼はあるものがないと飛んだことにはならないんだ」
「あるもの? それって何?」
少年はいつの間にか布団を出てツバサのすぐ側まで来ていた。
ツバサはゆっくりと上体を起こし、それから人差し指を一つ、天井の方に指した。
「空だよ。あれが無ければ飛べない。だから、お前の名前は“ソラ”ってのはどうだい?」
「ええ〜〜〜すごく単純〜〜〜〜!」
「文句を言うな。私は言いやすくていいと思うが?」
「む〜〜〜〜〜〜分かった。」
「じゃ、よろしくな、ソラ」
「うん、よろしく! ツバサさん。」
「さん付けは止せ。ツバサでいい」
僕の本当の名前は××××。しかしツバサから新たな名を与えられた。
世界を大きく抱き締める天空の略称、空。それは広大で、時に災害、時に恵みをもたらしてくれる。鳥が飛ぶのに必要な場所、それが空。
少年は何度も『ソラ、ソラか〜〜』と最初は気に入らなかったのに、何度も口ずさむ内に気にいったようであった。
「じゃ、お休みソラ」
「うん、お休みツバサ」
こうしてツバサは寝返りを打って深い眠りに入ってしまい、ソラと名付けられた少年は敷布の方まで戻っていくと体を滑り込ませ、そして同じく眠りにつき始めた。
自身の新しい名前と、新しい生活に感謝しながら、少年は心地のいい眠りについ、寝息を立てて眠ってしまった。