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ユキナDiary-  作者: PM8:00
120/150

四十七月日 遠景1

 


 


 



 少年が立ち去った後、その怒り顔が頭の中でもう一度浮かび上がっていた。

 残されたユキナとイアルは、一瞬で場所を移した護熾の背中を見送り、ただその場で佇んでいたが、


「行かなきゃ…………護熾は勝つけど……このままじゃ…………止めさせないと……」

「え、ちょっとユキナ! どこへ!?」


 ユキナが急に歩み始めたので、イアルは驚いて声を掛けるが、ユキナは首をふるふると振ってその場にいるように言いつけると、その場にイアルだけを残し、オレンジ色のオーラをその場に残して掻き消えるようにしていなくなってしまった。


 ただ一人、残されたイアルは何か悔やみきれない表情を顔に出すが、


「海洞が勝つ…………? でも何を止めるつもりなのよユキナ………」


 すぐに居ても立ってもいられず地面を蹴って来た方向へ踵を返し始めた。








「センサー回復、東大門にて巨大反応、及び『翠眼の護熾』…………目標の気力を完全に上回り、いえ浸食していく形で…………敵の時空空間を打ち破りました!!」

「計測装置のメーター、オーバー。…………有り得ない数値です! 目標の気力を完全に包み込む形で抑えています!」


 サイレンが鳴り響くワイト中央地下オペレーター室で実況報告されたその内容に、思わずその場にいる全員が耳を疑った。敵のあの絶対防禦を破る者が、あの異世界の少年なのだ。一体どんなことをしたらそうなるのか、そんな超科学な現象に研究員達はただただ茫然とするが、その前に、絶望から希望に変わった瞬間の高揚感が何よりも先に生まれた。


「護熾が…………やったのか…………」


 もはや打ち破るモノなどこの世のどこにも存在しない、そうトーマも確信していたが、レーダー反応からしてその報告の真実性は裏付けられ、さらには相手の想像を絶する気力も圧倒的に勝り、計量表示もギリギリの状態なのだ。

 これは…………勝てる。

 この四百年、人類と怪物達との戦争に、最初に勝利を確信したトーマは何よりも喜びを感じたが、その前に護熾の体のことが心配であった。

 これほどの気力を一体どこから持ってきているのか、最早想像に難くはなかった。

 そう思うと、素直に喜べず、隣にいるユリアと一緒に、砂嵐が時々混じるモニターの映像を見ながらただ立ち尽くした。









 こんなに頭の中が沸騰しそうなほどの激情を刻んだのは、おそらく初めてであっただろう。

 今、第三解放状態になって、目の前にしたその者など、別に恐れの感情を抱く相手ではなく、怒りの対象になったのは自然の成り行きだったのだろうか。


 その者は、多くの人達を犠牲にしてきた。

 その多くが、今や現世の人々。

 そしてその者の理の存雑な扱いを止めるべく、または世界の秩序を安定させるため、その理から力を与えられた人々も普段、歩むべき道とは別の道を歩かされたのだ。

 そして今の、大切な何かを失ってきた仲間も、普通の夢を願うことさえ、叶わない。

 そして、ユキナにさえも手を掛けたのだ。彼女は、もう少しで知っているユキナではなくなっていた。

 本当に雪みたいに、消えてなくなってしまうところだったのだ。自分が愛している、世界で最も想いを寄せている黒髪の少女を、消そうとしたのだ。

 愛する人物に手を掛けたことが、今回の激怒の要因。


 理性という名の感情の鉄枷が外れた瞬間、頭の中に植物のタネのような弾け飛び、気が付けば手を横に思いっきり振っていた。するとその者の刀が割れ、もの凄い速さで波動が突き抜けると、鎧の周りを覆っていた膜が斜めに切られ、攻撃可能になったことを確信した。

 それから、護熾は自身の内なる感情に引きずられる形で走り出した。己の全て叩き込むために、そして全ての異世界の人々のために、この闘いを終わらせようと、駆けていった。






 バッキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン


「な…………何?」


 ――そんな……! 完全覚醒状態……に――!


 その者は、攻撃を受けた前方に六角形の割れた防御壁を纏い、高い金属音を周りに響かせながら、そう呟いた。

 後ろに吹き飛ばされ、円形に開きつつあった青空に顔を向けながらそう思った。

 相手が何をしたのか、その瞬間をまったく瞳に捉えることが敵わなかったのだ。

 そして、自身の絶対防禦を誇る鎧から発せられる時空の膜が斬られ、さらにはおそらくこの世に存在する中で最も高い気力硬度を誇る鎧にも、膜を破るために威力が弱まっても尚、切れ目を入れられてしまったのだ。

 一体相手が何をしたのか。

 攻撃の瞬間は分からなかったが、相手が何かをしたのはすぐに見当は付いた。


 手を振っただけで何か見えない波動が扇状に広がった。そして周りにいた怪物達を何十体も巻き込みながら、自分にぶつけた。


 事象の中和。これ以外考えられなかった。

 つまり相手も同じ時間を司る一種の能力を扱い、それを自身の鎧から発せられる異空間にぶつけ、自分を無理矢理この世に引きずり出してきたのだ。

 それを瞬時に為し、こなしたということは……

 どんなに認めたくなくてもすぐに分かる、相手の真理は完全覚醒している。最も自分が怖れていたこと、それが現実で目の当たりにしたとき、改めてこの男が自身の“天敵”だと理解する。

 

 そして後方へ飛ばされる瞬間、体に白く輝く帯状のベルトが巻き付く。ハッとなって顔を上げると護熾の左手に、先程纏っていた白い衣が納められており、それが帯状になって自分を絡めていた。すると今度は飛ばされた方向とは逆に、護熾の方に向かって引き寄せられる。


「――――オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 護熾はその者を吹き飛ばした瞬間、瞬時に地面がめくれ上がるほどの強烈な飛び出しを大地に叩き込み、それだけで5メートルほどの土の山を一瞬築き上げるほどの凄い速力で一気に近づく。それから左手でベルト状に変形させた纏っていた白い衣を引っ張り、右手を突き出して時空の膜を失ったその者の顔面をむんずと掴むと、互いのスピードが相殺し合って衝撃波を生む。その者は抵抗できず、自分の身に起きていることが信じられずにいた。

 そして、その者を絡め取っていた衣が護熾の顔面に収縮されたかと思えば純白の仮面が突如出現し、彼はそのまま掴んだ右手を引き寄せ、その者に強烈なヘッドバットを喰らわせる。


「ヌグッ!?」

「ウゥウウウァアアアアアアァア!!」


 護熾が憎しみと怒りしか籠もっていない声で吠えると、それに呼応するかのように仮面も口が開き、そして左手に拳が生まれ、唸りを上げる。

 護熾の左拳は、そのまま打ち下ろされ、その者の額に埋め込まれる。

 すると面白いようにその者は地面に仰向けの状態で思いっきりめり込み、同時に地面が半径8メートルほどの円形を描かれ、地面がへこむ。

 護熾は殴り飛ばした瞬間、すぐに上空へと飛び立ち、掌を地面に倒れているその者に向かって突き出すと、白い波動がそこから竜巻を纏って一瞬生まれ、その波動が発射されるとキュン!と大気を何かが移動し、そして手形状の気のエネルギーがその者に向かって叩きつけられる。


「ぬっ、おのれ……」


 怒濤の怒りに任せた完全な攻撃力重視の攻撃を叩き込まれ、その者は初めて顔を苦痛に歪め、そして鎧にさらなるヒビが入るのを感じる。

 だがやられているばかりが望みではない。

 その者は手を付かずに浮遊するように埋まった体を持ち上げるとそのまま姿勢を元に戻し、上空に佇んでいる護熾を見上げた後、スッと両手を持ち上げて護熾に向けると、ボコボコと音を立てて鎧から無数に近い刃が顔を覗かせ始める。そしてそれはやがて刀身となり、切っ先を全て護熾に向けると音もなく風を切って紅碧鎖状之太刀の雨が護熾単体に全て放たれる。

 だが、護熾はそんな刃の嵐に一切恐怖せず、逆に、


「こんなもんが効くかよォ!!」


 ほとんど獣の咆哮に似た声を上げながら、逆に護熾からも宙を蹴ってその者に突撃し、そして体中に纏っている火花を完全解放して竜巻状の気が前方に飛ぶと刃の嵐を吹き飛ばし、道ができる。

 その者はその光景に驚き、眼を見開くが一瞬判断が遅れてその場から離れようとするが、遅く、一瞬で移動した護熾の拳がその者の腹に叩き込み、同時にこの世で一番硬い鎧の耐久力が限界を超え、割れた。


「なっ…………そ……んな…………!」


 そして壊された箇所から光が漏れ始める。砕かれた鎧の破片が体から離れていく中、その全てが宙に散っていくとその者の右胸当たりに――――理が浮き出るようにあり、弱々しい光を放ちながら、その者は地面に叩きつけられる。意識は飛びそうになり、視界は一瞬ブレーカーが落ちたように真っ暗になった。

 

 勝敗は既に決したようなモノだった。

 理由はその者が支配下に置いているのは全ての理の支配下にあるもの、それは空気でも大地でも空でも水でも人でも当然存在をねじ曲げられた怪物でも同じである。

 だからこそ、その者には絶対の自信があった。絶対に自分の身体に触れるモノなど存在しないと。しかし今現在、自分にとって大きな不確定要素が自分を散々怒りを込めた殴りで赤子の手を捻るかの如く痛めつけてくるのだ。


 そう、護熾はその者が持っている理から独立した存在。

 故に、その者の持つ支配から唯一逃れ、そして天敵であることができる。


 時空の膜は中和され、刀も砕かれ、最強の気力硬度を誇る鎧さえも砕かれ、対抗手段を失いつつあったその者に護熾は一切の容赦はしない。

 その姿は逆鱗に触れられた龍の如く。そして逆鱗に触れた対象者を、文字通りこの世から一辺も残さず消そうと体に力を求める。

 仮面越しから分かるように完全に獲物を狩る眼になっている護熾は足をその者の胴体に乗せて着地し、それから両手の指全てをその者の両脇腹に突き刺す。そして鎧に指を突っ込んで掴んだまま、ほぼ馬乗り状態になるとお構い無しに引き剥がし作業に取りかかり始める。


 バキッ! バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキ!!



(俺が! 俺が!! 俺が!! 俺が!! こいつを殺す!!)


 

 コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス コロス



 もはや、理性を失った護熾の脳内は、今までの温厚な性格は全て取り去り、自らの怒りが一色を染め、それに伴って真理がさらに護熾に力を与える。

 こいつが、全ての悲しみの始まり。

 こいつが、自分の仲間達の不幸を生み出した元凶。

 こいつが、自分の母親を人間という存在から消した憎むべき敵。


 

 そして鎧がヒビを広げて割れ、護熾の手に黒光りする鎧の大部分も欠片が納まると護熾はそれを投げ捨て、何の躊躇いもなく右腕を持ち上げると顔面の仮面に容赦ない渾身の一撃を入れる。その瞬間衝撃波が辺りに一瞬だけ静けさを取り戻させ、そのあと護熾とその者を中心に大災害のような大地の津波を発生させ、もの凄い轟音が辺りに響く。


 広範囲に土煙が辺りを包み、視界を悪くするが、その中でゆらりと影が動く。

 その影は片手でもう片方の影の頭を掴んでおり、それからジッと顔を見上げるようにして見つめた後、もう片方に拳を作るとその者の胸に宿っている理に直接拳を叩き込む。すると理にヒビが入り、破片を一瞬散らしてすぐに消えると、その後、衝撃が奔る。

 そして影は思いっきり後ろの方に飛ばされる。

 蹴っ飛ばされた方の影はそのまま土煙のドームから体をくの字に折り曲げて飛び出し、漆黒の鎧の破片を辺りに撒き散らしながら三十メートルほど飛ばされ、何度も地面の上を跳ねるとやがて、仰向けの状態で地面の上を滑り、少ししてから止まった。





 その様子を、姿は見えずとも感じ取って見ている人達がいた。


「なんて奴だ…………まさか……あのもずくが……これほどの力を……!」

「ホントに……ホントに護熾さんなの? ………とても……怖い……」


 中央の庭では、姿は見えないが、気だけで感知していたガシュナは唖然とした様子でずっと顔を東の方向に向け、信じられないと言いたげな眼でそう言った。

 そして本来、元来戦闘向きではないので気を感じ取るのが乏しいミルナでさえ、護熾の怒り暴走時の気を敏感に感じ取り、自分達が知っている護熾という人物の枠組みを超えた別の恐怖を感じ取っていた。

 混沌とする状況、その中で今、東だけが戦火のように紅い怒りを纏い、自分達の中で一番の敵を異世界の少年が、倒そうと、殺そうと、怒っている。




「護熾は……どうだったんだ? アルティ」

「何だか…………怒ってた……とても怖かった……」


 一方、南門のテントに先程までその者と交戦していたシバ達、及び隊長格の二人を回収したアルティにラルモがベットの上から訊く。アルティは無表情のままだが、その声は若干震えており、味方なのにどこか異質の姿に本当に恐怖していることがそこから容易に読み取れた。

 アルティが見た護熾の背中は、護りたいモノを護る優しさもあったが、最後に見たあの瞬間だけは、命を執る狩人のようだったのだ。

 もう、止められない。この闘いが終わったとき、一体、彼は何に変わっているのかが、怖かった。







「どう……やら………………」


 ピシッと音を立て、理のヒビが大きくなっていく。

 煙の中から蹴飛ばされたその者は弱々しく肘を付いて上半身を起こし、仮面を除いてほとんどヒビ割れが起こっている残りの鎧の破片を散らす。

 そして仮面の方にも徐々に亀裂が奔り始め、全体に広がる。

 その者が見据えている前方の方には、丁度土煙の中から少しだけ尾を引いて護熾が姿を現す。

 しかしその姿は最早人間と言えるほどの雰囲気ではなく、分かりやすく言えば殲滅者のような容貌で炯々と眼が光り、ユラユラと体を左右に揺らしながら重い足取りで、しかし確実にその者に近づいて歩みを続けていく。


「私が持っている……理では……もうお前の……真理に勝てない……ということか…………なるほど……足掻きは不要……か…………」


 全ての中で君臨すると信じていた自分の信念を、こっちに向かってくる復讐者と化した少年が突き壊すように全てを破壊した。最早、自分の攻撃も防御もこの世の何を持ってしてももう少年を止めることはできないであろう。

 その者は、眼を細めて見つめ、何も言わなかった。

 もう、この少年には勝てない。

 それはさっきのあまりにも一方的な戦闘で体に刻み込むほど分かっていた。

 この少年はおそらく自分を殺すであろう、その歩みは自分の命を鎖すカウントダウン。

 そしてその者は、見苦しい命乞いや誰かを盾にしようなどとは考えなかった。


「お前は、私を殺して………体内に宿る己の感情の行き先を見つけ出すか……」


 問い掛けるように、自分を打ち負かした少年にそう声を掛けるが、その少年は止まらない。


「そうか……結局……私の負けか……」


 そして全ての鎧が砕け、中から鎧の色とは逆に、白い衣が姿を現す。

 それから、仮面の方にも強度の限界が迫り、やがて砕け散ってすぐに横に落ちて顔が露わになる。

 

 

 白く透き通るような纏っている衣と同様の色をした少し長めの白い髪。

 顔立ちは良く、瞳の色は淀んだ赤。見た目相応の歳で言えばほぼ護熾達と変わらない少年の姿でその表情はただ穏やかで、全ての怪物達を掌握する、又は人類が最も怖れる人物にしては遠い姿だった。


 

 しかし、その姿を見たところで護熾の歩みは止まらない。

 そう、姿形は関係ない。今の護熾にとって大切なのは目の前にいるこの敵を殲滅すること。

 人情も容赦もないそんな様子にその者は目を閉じ、諦めたかのように視線を落とす。

 そして、目の前に護熾が到着し、止まる。


 それからその者は顔を上げて眼を開け、護熾の顔を見つめる。


「お前の勝ちだ……理も限界が来た……もう私に力は残っていない、殺すといい」


 そう言い、微笑んだ表情で眼を細める。

 そして護熾の右腕が持ち上がる。おそらくこれも容赦のない、渾身の一撃を込めた攻撃。

 今度は仮面がないので、おそらく受けた瞬間に終わるであろう。

 怖くはない。自らの死、それが唯一の絶対的自由、そう考えて眼を閉じようとしたときだった。

 

 ――――紅と蒼のオーラの双翼が、突然二人の間に入るように空から舞い降りてきた。








「ダメ!! 護熾止めて!!」

「……………!!」


 紅と蒼のオーラの双翼を背中に携えて現れたのは、ユキナだった。

 しかしユキナの行動に護熾とその者の両者はただただ驚いた。

 何故ならユキナは自分の心を壊そうと、自分の父親を殺したその者を庇うように、護熾の前で両手と翼を横に広げ、必死に攻撃の中止を求めていたからである。

 護熾はまるで子を護る母親のように立ち塞がるユキナの姿を見て、驚愕の表情のまま右腕を自然に垂らすとギリッと奥歯を噛みしめる。


「何だよ……何してんだよユキナ……? お前、何してるのか分かってるのか? …………頼む、そこをどいてくれ」

「ダメ!! もう彼には力は残ってないの!! 護熾が“心の壁”と理を破壊したから、もう力はないの!!」


 その者に力は残っていない。 

 それは正解であり、既に鎧も膜も、気力も大幅に減少を開始している。残っているのは護熾と同様、白い衣を羽織っているだけ。

 その者はそう叫ぶユキナの背中を見て何か酷く懐かしい思いが胸に宿るのを感じた。

 護熾はトドメをさせようとはしないユキナに苛立ちを感じる。何を考えてこの少女は自分の前に立っているのか。あいつは、世界を揺るがす、拒む、絶対強者なのだ。それを今、人類がようやく平穏を手にする目の前で、この少女が自分を足止めしているのだ。


「どけって言ってんのが分かんねえのか!! そいつはお前の親父を殺した!! 俺の母ちゃんも死ぬことになった!! 俺たち眼の使い手の未来を、壊したんだぞ!!」

「分かってる!! 分かってる………! 分かってるよぉ……だけどもう護熾の勝ちだよ……彼は怪物じゃない……これでも人間なの……だから……だからぁ……」


 嗚咽を延ばしながら泣きそうな顔でユキナは第二解放を解き、翼を仕舞い込むと元の黒い髪と瞳に戻り、覚束ない足取りで護熾に近づく。そして護熾の前に立つと両手を伸ばし、護熾の首に抱きつき、頭を寄せる。

 

 護熾は何故か、ユキナを避けてその者にトドメを刺しに行けなかった。しようと思えば、できたのに、できなかった。今は、自分の首に小さく細い腕が巻き付き、心を落ち着かせるかのように、抱き締めてくる。


「私は……護熾は人殺しでいてほしくないの………もう充分だから……もう、大丈夫だから……」


 怪物は倒せば内蔵されている魂が解き放たれ、文字通り昇天して俗に言う『あの世』に行くことが可能になるのだ。だからこそ怪物を殺すことは本当の意味で殺すことにはならない。

 しかしその者は違う。その者は胸に理を宿しているだけで護熾達と何ら変わらない、ただの人間なのだ。それに護熾が1つ1つ力を潰したのでなおさらである。


「…………くっ…………」


 ユキナの率直な願いが、護熾に届く。

 しかしこのままでは、自分の内なる感情を発散させることはできない。

 殺してやりたい、今でもそう思っているのに、ユキナがそれをさせてくれない。

 しかし、ユキナもおそらく自分の感情を押し殺しているのであろう。それならば自分のやろうとしている行為が、何だか哀れに見えてくる。もう力は残っていない相手に、無慈悲で残酷なことをしようとしているのだ。

 

 護熾は体の中で渦巻く憎しみと怒りの感情にしばらく唸っていたが、やがてそれを静かに抑えつつ一度眼を閉じてから、ユキナの後ろ頭に手を当てて胸に軽く押しつけるようにするとユキナはそれに気が付いて顔を上げる。そして眼を開け、ユキナの顔を見ながら、


「…………分かった」


 それだけ言って、体から出てくる白い火花を止めた。

 そして顔の仮面も嘘のように砕け、体に羽織っていた白い衣も消え、通常状態に戻った護熾は、静かに負けを喫したその者に眼をやる。

 すると今度はユキナが護熾から体を離し、体を返してその者の方にゆっくりと歩み寄り始める。護熾は一瞬眼を丸くするが、すぐには止めようとしなかった。

 自分の攻撃を中断させたことに、何か意味があるからであると考えたからだ。


 



 ユキナが目の前に到着すると、その者は顔を上げて赤色の瞳にその姿を映し込ませる。


「何故だ……娘よ……何故お前の心を破壊しようとした私を……庇う?」

「ううん、庇ったんじゃないの……私はただ、護熾に手を汚して欲しくないだけ……」


 ユキナはそう言って軽く首を横に振り、仰向けで倒れている白い少年を見下ろす。

 少年はフッと微笑み、ユキナを見つめる。

 本当に似ている、あの少女と…… それから言う。

 

「……我が使徒も、全員死に、怪物達もその男に属した……もう私には何も残っていない……殺せ、お前達の勝ちだ……」


 護熾の出現で、この大戦の勝敗は決まった。

 少年は自分を殺すよう、そう頼むがユキナは腰を屈め、少年の頬に片手を添える。少年は久し振りの人の温もりが伝わり、眼を大きくして驚くが、ユキナは潤んだ目で、こう言った。


「もう終わりにしよ、“ソラ”。この名前を与えてくれた人が、待ってるから……」


 自分の名前を、何百年振りに呼ばれた。

 

 少年、ソラは頭の中にユキナの言葉が響く。

 もの凄く懐かしく、形容しがたい感情が湧き上がり始める。


「な…………なっ………なっ…………」


 自分の名前を呼ばれたことが、ソラの心に僅かな振れ幅を生み出す。

 それが段々と大きくなり、両手を持ち上げて顔に当て、震えながら声を漏らす。

 

 名前を呼ばれた 名前を呼ばれた 名前を呼ばれた 名前を呼ばれた


 その事実が、酷く心に突き刺さる。


「うあ……うあ……………………うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 本当にこの少女があの少女に見えた瞬間、僅かなきっかけでソラは突然立ち上がると顔を押さえるように手を当て、天に向かって獣の遠吠えをさらに延ばしたような声を上げる。護熾はその行動に警戒し、臨戦態勢に入るが、直後、ユキナがソラを抱き締める。

 

「大丈夫……大丈夫だよ……怖くない……怖くないよ……」

「うあ…………うあ…………お前は……ツバサ……ツバサなのか……お前は……?」

「落ち着いて……あなたは混乱してるだけ……」

「ツバサ……ツバサ………」


 ソラの顔から涙が零れ落ちる。

 そしてソラはユキナの背中に手を回し、ギュッと抱き締める。まるでずっと会いたかった人を見つけたかのように、愛しく抱き締める。

 

 すると、突然ソラの胸に宿っていた理が、その感情に共鳴するように小刻みに震え、甲高い音を立て始めると途端、星型正二十面体に変化した理がソラとユキナをすっぽりと覆い尽くす。


「!! おい!! 待て!!!」


 その光景に即座に反応した護熾はダッシュで形状の変化した理に飛び込むと何の妨げもなくすんなりと侵入ができた。

 三人を中に入れ、理はゆっくりと回転し、上空に向かって飛び、そして高さ五十メートルほどの高度で止まったかと思えば急に膨らみ始め―――――



 ―――大きなトゲを無数にもつ、ウニのような形となり、高さ五百メートルほどの結晶の塔がその場に出現し、辺りは沈黙に包まれていった。








「何よ……あれ……海洞とユキナは? …………どうなったのよ?」


 その光景を遠くから見ていたイアルは唖然として、持っている剣を地面に落とした。

 あの水晶の塊は、突如現れたのだ。それは不思議な輝きを持ち、曇天下ではひどく不釣り合いな光景なのだ。あそこには護熾もユキナもいた。

 ここからでは二人の安否は分からない。

 イアルは生存を確認しようと走り出そうとすると、突然誰かに肩を掴まれる。

 振り向くと、そこにはアルティが肩に手を置いて自分を止めていた。


「―――二人は生きてる………微かに、気を感じ取れる……」

「二人は、生きてるのね?」

「ええ、でも、もう私達ができることはない。今は、見守ることしか、できない。」


 護熾がソラに勝ったことも、あれが一体何なのかを見ていたアルティの言葉に、イアルは安堵の溜息を付く。それから、あることに気が付く。

 怪物達の姿が、ないのだ。

 思えばあの水晶の塔ができた瞬間、怪物達は体が突如液体化し、空間に溶け込むようにして消えていったのだ。

 おそらく他の場所でも同様、そうであろう。

 原因は理の支配力が急速に低下し、怪物達の姿を留めることができなくなったのであろう。


「……そうらしいね……世界の命運は……あの二人に掛かっているのか……」


 もう、世界に怪物の軍勢はない。

 今、目に映っているこの七色の光る塔が、人類存亡の手綱を握っているのだ。


「戻ろ、みんなが待ってる……それに、みんなで待たなくちゃ。二人の、姿を見るために……」

「……そうね……分かった」

「じゃ、行くよ」


 そう言ってアルティはイアルの肩に手を置き、それから瞬時にその場から二人は姿を消していった。





「反応、消滅。両者、及びユキナの所在不明。突如出現した謎の物体の構成物質解析不可能。沈黙を続けています」

「パターン白、高さはおよそ五百、広さはおよそ二百メートルほどと考えられています。」


 オペレーター室でこのような報告や、やり取りが行われ、さらには世界情勢で怪物達が突如消えていったという報告も入っている。それを知ったトーマは一度ユリアの方に顔を向け、それから長老の方にも顔を向け、言った。


「向かいましょう、東大門の方へ。外のガシュナ達も連れて行きます。おそらく結末を見届けたいでしょうし」

「ハイ、行きましょう博士。」

「では長老、お連れしますので同伴を」

「うむ」


 長老がそう返事をし、トーマは軽く頷いて承諾を得るとすぐに車の手配を行うために、マイクに向かって要請をした。








 


 


 ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ  

 ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ



 心臓のような鼓動が、耳に届く。

 風の音も聞こえ、そよ風が肌を撫でる。澄んだ空気も、肺に入ってくる。


(護熾……いる?)

(ああ、いる。でも姿が見えないな……それに何だこの光景?)


 互いに声は聞こえる。

 しかし姿は確認できず、今二人の目の前にあったのはまるで自分達を映画の観客席で座っているかのような視点で、緑の葉を生い茂らせた木々が立ち上る山に囲まれた村の光景だった。

 その村は木で作った家がところどころに建ち、全ての家の近くには川が流れている。耕された田んぼも広がっており、棚状に広がっているのも見えた。


 さらに人々も桑を真似て作ったような道具を使って畑を耕したり、水を汲みにいったりなど、やや原始的な生活をしていた。大凡まだ機械的な発展にはほど遠い時代なのであろう。


(ここは…………昔の時代みてえだな)

(そうみたい…………たぶん、ここはソラの生まれた場所だと思うよ……)


 そう言うユキナの根拠は、すぐに分かった。


 一番奥の方の家の引き戸が開けられ、中から布と毛皮を組み合わせて巻きつけたような格好をしている白い髪をした少年が外に出てくる。手には葦を編んで作った籠のようなものを持っており、おそらくは木の実等などの食べられるモノを取ってくるつもりなのであろう。

 だが彼は、少し表情が辛そうに見えた。そして少年の姿を見た村人達は、どこか嫌そうな顔を少年に向ける。

 理由は簡単、見た目が他の村人とは、かけ離れているからだ。

 少年はあまり顔を合わせないようにし、そそくさと山の方へ向かっていった。


(…………ソラの、昔の姿だね。)

(……何で俺たちが、あいつの過去なんて見てるんだ?)


 護熾は疑問を述べるが、ユキナは分からない、と答えた。

 

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