四十五月日 幸せを、彼方から願う
忘れない 静かに見守ってるから 今でも最高に愛してるから。
どうしても会いたくなったらそっと挨拶にいくから
ずっとずっと 見守ってますから どうか心配しないで
幸せを、遠く彼方から願っています。
親父は、相変わらずなのか? でも、今を精一杯生きているみたい。
まあきっと大丈夫だろうな、何たって母ちゃんが選んだ人だもんな。
一樹も絵里も、ちゃんと言うこと聞いて良い子に育ってるぜ。
ちゃんと立派に、生きてるから、安心してくれよ。
泣かないから、泣かない代わりに笑顔で送るから、何時か、親父と一緒に成仏してくれよ。
そう言い合い、二人は幻想の海を、後にした。
「………………はっ……どうやら…この現世は安泰…ってことか……」
「………ああ、そう見てえだな」
ズボッと護熾は血塗れの右手を引き抜き、倒れかかるゼロアスの体を支える。
もう彼には戦う力が残っていない。護熾が完全に圧倒して勝ったのだ。
なのでこれ以上戦闘態勢に入る必要がないと判断した護熾は、透き通るような純白の衣を空間に溶け込ませ、火花を散らせるのを止め、通常状態に戻ると元のボロボロの服装に戻る。
「ゼロアス、お前は一体誰なんだ?」
元の人間の意識があるならば今存在しているこのゼロアスは一体何者であろうか。
その疑問に、ゼロアスは首を軽く横に振る。
「分かんねえよ……気が付いた時、俺はあの人に従うべき存在だっていうことしか……分からなかった。」
「…………そうか」
生前の人間の記憶は本当に片鱗すらない。
従って戦うために生まれてきたもう一つの命とも言える存在。
「でも……時間が来ちまったみてェ……だな」
そう言い終え、ゼロアスの体が崩れ始めた。
まるで組み立てていたパズルが、ボロボロになって風に吹き消されるように散り始める。
護熾はただ、最期を見送る。
「この体、てめえの……母親の体なんだろ?」
突然ゼロアスがそう言い、護熾が何かを言う前に握り拳が目の前に来る。
そして、その拳が開かれると中には日光の光で虹色に輝く蒼い六角形の小さな結晶の塊が納まっていた。それを護熾の手に渡すとゼロアスは、
「一応、俺の身体の一部だ……てめえの母親の形見として持っとけ…………へっ、っかしいな………………何でこんなことすんだ俺? あの人に忠実なら……てめえを殺してるのにな……」
自分の行動に疑いを持つゼロアスは、弱々しく手を顔に当てて少し狼狽える素振りを見せる。何だか分からないが、とても悲しいのだ。
こうしておかないと、とても後悔するような、そんな気持ちに駆られているのだ。
そして手を顔から退かし、町の方に目を向ける。
すると目の倍率が上がっていき、ある三人が目に入る。
誰かを捜しているような、とても慌てていて、でも元気でいる。
一樹と絵里、そして武の姿が、ゼロアスの霞む瞳によく映っていた。
「……何だ、ちゃんと大きくなってんじゃねえか…………それにあの男も……元気で……いるじゃねえか……はっ…………これからも、元気で……」
ゼロアスの体の崩壊がついに顔まで届き、ピシピシと音を立てて最期に護熾の方に向ける。
そして顔が仮面のように割れ、光が辺りを一瞬包み込み、その光の中で護熾は、朔那の姿を見る。
そして――――――“彼女”は塵となって、消えていった。
護熾はやり切れない顔で、その塵を抱き締める。
腕から漏れ出ていく塵は、別れの挨拶をするように一度周りを取り巻き、それから風に流されるように遠く彼方へと消えていった。
暫く護熾は、抱き締めた形でそのままいた。
そしてやっと別れの気持ちを心に納め、顔をゆっくりと上げた。
「どうか……安らかに……」
ソッと握り拳を開き、中の結晶を見つめる。不思議な輝きを放ち、中で何かが回転しているように思える。
母親の唯一の形見、それを持って、護熾は下で見ている千鶴の方に顔を向ける。
千鶴は、護熾の顔を見て、少し驚く。顔を見られた護熾は慌てて目をゴシゴシと腕で拭き、それから階段を降りるように千鶴に近づいていく。
そして橋に足を付けるのと同時に結界から出てくると軽く微笑んでから後ろ頭を掻き
「終わった…………もう大丈夫だ…」
「……うん……そうだね」
すると千鶴が言い終えるのと同時に護熾は手を掴む。
そのことでびっくりした千鶴は慌てた表情でモジモジと護熾の顔を見て、
「ちょ、ちょっ海洞くん!? いきなり何を!?」
「え? だって斉藤、足が痛そうだからこのままで行った方が楽かと思って……」
護熾の敗北やゼロアスの睨みつきに千鶴は気が付かなかったのだが、浴衣姿という不利な服装でさらにサンダルを履いていてそれで山中を走り回ったのだから正直、ヒリヒリとして歩きづらくなっていたのだ。それを見かねた護熾はこうして結界で山を越えて町に戻ろうというのだがつまり、
「え? ってことは……って!? きゃあああああああああああああ!!!!!!!!」
結界に一緒に入った千鶴は護熾に引っ張られて一気に上空にまで体が持ち去られる。
上を見れば空、下を見れば広がる山林の緑の絨毯。そしてその間を護熾が余裕綽々の表情で宙を蹴って目的地へと向かい始める。
千鶴は青筋を顔に立てて護熾にしがみつくようにする。
するとそれに応えてか、護熾はヒョイッと持ち上げるとお姫様抱っこに移行する。
「うわっ! 海洞くん!? こんなことして大丈夫なの?」
「ああ平気平気。傷はほぼ治りかけてるから何も問題ねえ」
ドクドクドクドク
何故か護熾のお腹が紅くなっているのは気のせいであろうか。
それに気が付いた千鶴は当然、
「ちょっと!!? 海洞くんのお腹に血が!!?」
「え? あ〜〜ちょっとお腹の回復まだだったか……でも治るだろこれは」
「そんなことないって!! やっぱ無理しないでって!」
そしてそのまま、護熾と千鶴はみんなの元へ跳んでいった。
イアルはレンゴクとギバリと共に急いで他の三人の居る場所へと向かっていた。
理由は先程から自分達以外の怪物の断末魔を立てている音が聞こえなくなり、尚かつ連絡が取れなくなっていたからだ。
あそこには開眼状態のシバも隊長のロキもリルも居る。
普通の怪物でやられるはずはないのだ。っということは強力な敵が出現したという何よりの証拠であるか、連絡も取れないほどの窮地に追い込まれているのかのどちらかだと言うことである。
正解は前者と後者の間だった。
怪物達は一切その場から動かず銅像のように固まって同じ方向に顔を向けていた。
怪物達が円形に取り囲んでいる場所にシバが、額から血を流して残りの二人を護るようにしていた。リルは汗だくになり、意識が朦朧としており、完全に体の筋肉が弛緩しているらしく、ロキも余裕の表情は消え、リルを介抱してシバの背中を見ていた。
シバは鍔無刀を持ってそれに黒い影を螺旋状に巻き付かせ、威力とリーチの向上を試みている。そしてシバの数メートル先には片手に紅碧鎖状之太刀を携え、漆黒の凱甲と衣を纏い、仮面を付け、口元以外は素肌を一切見せない人物と対峙していた。
「うそ………先生が危ない……!」
イアルはそう言って動こうとするが、何か見えない壁でもあるかのように体がまったく進まなかった。まるで深海のような重圧が、自分の身体を取り押さえているような感覚。
ゼロアスに睨まれた時以上の恐怖が、自然と体の中に浮かび上がってくる。
そして気付く。遙か向こうの方で、黒い球体のようなものが目に入ったことを、
「おい! 何ボケッとしてんだお前!? 確かにあいつはやべえ! ここからでも何かビリビリ来やがる…………! でも助けに入らねえとシバさんやられちまうぞ!?」
「どうしたもんよイアル? 何だかイアルらしくないもんよ……」
突然レンゴクに肩を掴まれてイアルはハッと我に返る。
側にいたギバリも、心配そうに顔を伺っていた。イアルはブンブンと首を振って気をしっかりと持ち、鉛のように重くなっていた四肢に力を戻すとどうにかその者の気を振り払い、一つ深呼吸をする。
「ええ大丈夫よ。…………ねえギバリ。」
「何? イアル」
「……あいつ……勝ったかな?」
「…………絶対勝ったと思うもんよ。現世は……無事だ」
「そうね……あいつなら……きっと……」
何しろ私の一番最初に惚れさせた奴だもん。
それで、開眼することを羨ましがるなって言ってくれたっけ…………たくっ、私のファーストキス、あげたんだから絶対に向こうで元気に過ごしなさいよね、バカ。
そう思い、怖いはずの戦場の中、イアルはソッと微笑み、それから一気にシバ達の方に向かって走り始めた。続いてギバリも、レンゴクも、何も言わずに走り出す。
後悔はしない、護熾がユキナを愛したことも、今から命を捨てに行くような行為も、絶対に後悔しない。せめて助けにはなりたい、せめて…………
「ォオオオオおおおおおお――――っ!!!」
恐怖することを、力に変え、怪物を斬り伏せながら群衆から飛び出したイアルは鎌を精一杯握りしめて渾身の縦斬りを決行する。
その者は、微動だにしない。気が付いていないのか、それとも敢えて避けないのか。どっちにしろイアルは気にしない。こんな機会、二度とこないのだから。
そして刃先がその者の頭をかち割ろうと迫ったときだった。
ガチン!
刃先が、鎧に触れる数センチ前で突如、弾かれた。弾いた正体は分からず、まるで鉄並みの硬度を持った空気の膜が、張り巡らされているようだった。
イアルは弾かれて両腕が上に跳ね上がるが、すぐに手元に戻して横に滑り込むように地面の上を滑走するとシバの隣に立ってその者と改めて対峙する。
「イアル……! なんて無茶を……!」
「先生こそ随分無茶してるじゃないですか!? …………攻撃が、届かなかったです」
そして今度は遅れてギバリとレンゴクが到着する。
ギバリはすぐにリルの方に駆け寄って片膝を付いて腰を落とし、片手を頬に添えて様子を窺いながら言う。
「リル、リル! 大丈夫かもんよ……?」
「う……うん……ちょっと……アテられただけだから……」
スーツを着用してでもリルは一般人。きっとその者に視線を向けられてしまったのだろう。
それほどその者の全身から寒気がするような気が放出されているのだ。
続いてレンゴクがリルを介抱しているロキに近づき、茶化すような口調で言う。
「よう第一部隊隊長さん、随分苦労しているようだな?」
「ははっ、自分もちょっとアテられ気味です…………やっぱりスーツだけじゃ克服できないとこもあるみたいで……」
「そうだな……俺も……今にも体が崩れそうだぜ……でもまだ動ける。お前は少しそのガキ見守ってやんな。俺がお前の分もその間頑張るから」
「……恩に着ます」
「着んな気色悪い。とっとと回復して協力しやがれ」
そう吐き捨てるように言い、ギバリに立つように言いつけて立たせると二人とも、イアルとシバの横に体を移す。シバは、自分の周りにいる三人に顔を向けてから不安げな表情で言う。
「おいお前達、無茶なことはしないで俺の後ろにいてくれ。今戦っている相手は普通の人間じゃ絶対に適わない。攻撃も“届かない”。俺が時間を稼いでいる間に…………ユキナを助け出してくれ……」
イアルは目を丸くして驚き、先程見た黒い球体の方へ顔を向ける。
じゃあ、あの中に………?
いち早く気が付いたイアルにシバがこくんと頷いてそれに答える。
「徐々に、ユキナの気が弱まっている。早くあそこから出さないと……おそらく衰弱死をしてしまう……イアル……頼めるか?」
「え? でも私が離れたら……」
「イアル! 行ってくれもんよ! 俺、イアルほど強くないけど頑張るから!」
おおよそロキが動けなくなっている状態で一番機動力があるのはイアルのみである。そして無事、あそこにたどり着ける可能性も一番高いのも、イアルなのである。
ギバリは堪えてみせるとそう叫び、ユキナの許へ急ぐように促す。
レンゴクも状況をすぐに理解して顔を軽く動かし『行け』とイアルに伝える。
「分かった……分かったから……みんな、どうか無事で……すぐ戻るから!」
そして、イアルは走り出した。そしてその者を囲んでいる怪物の円陣から抜けた瞬間、怪物達が一斉にイアルに襲いかかり始める。
イアルは一度鎌を持って一回転させて飛び掛かってきた怪物達を一瞬塵に変えてから、第二波が来る前にその場から逃げ出す。
ユキナの許へ、イアルはただ走っていった。
近藤達と海洞一家が千鶴と護熾を発見したとき、とりあえず無事でいたことにホッと胸を撫で下ろした。
しかし問題は護熾の見てられないくらい、まるで竜巻にそのまま遭ったようなボロボロの服装でいたのですぐに武が、替えのシャツを買ってくれてそれを今護熾は着用していた。護熾のお腹の傷は、回復したようである。
そして至極当たり前なのだが、近藤達が護熾に質問攻めを開始する。
「おい海洞、お前、血吐いたよな? 大丈夫なのか?」
「あ? ああ気にするな。」
「き、気にするなってあんたどんだけあたし達があんたを探して!! てか何であんたは消えたり出たりしてたのよ!? 千鶴! ワケを話しなさい!!」
「え? あ、あの〜〜これには深い事情が……」
「ハイハイ斉藤を責めるな、いいじゃねえかこうして俺無事なんだし、結果オーライだ。祭りの続きを楽しんで行こうぜ」
「ああっ!! 話をはぐらかすなよ海洞!! てめえに何が起こったか俺たちは情報公開して欲しいんだよ!」
「本人不在のため、質問と返答は一切受け付けません。」
「だから誤魔化すなって言ってんだよ!!」
コントのような、会話が続く。
護熾は家族と友人達の一時の不在とあの事件について問われまくったが上手く話を逸らしたりして『気にするな』を連呼して一切真実を明かさなかった。
もう、明かしたところでこの世界は怪物の魔の手から離れて安泰なのだ。
それがこの世界に溶けていった、朔那の願いなのだ。
「ああ、親父。そういえば渡したいもんがある。」
「何だい? 護熾………………………………これは、随分綺麗なモノだね。」
屋台が立ち並ぶ歩行者専用となっている一般道路を歩いていた護熾はポッケからあのゼロアスが残していった蒼い七色の六角形の結晶を武に手渡し、武はそれを見て驚く。
一樹と絵里も武の手に納まっている結晶を見て『わ〜綺麗だね〜』と素直な感想を述べる。
「これは……どうしたんだい護熾?」
「まあ、その、買ったモノっていうか……とりあえず持ってて欲しい。絶対になくさないでくれよ?」
「? それだったら護熾が持てばいいじゃないか?」
「ああっと、俺じゃ壊しちまいそうだから。とにかく親父が持っててくれ、いいな?」
護熾は少し疑い気味の武に何とか言いくるめて結晶を持っててもらい、それから千鶴の方に顔を向ける。これでいいんだ、そう伝えるかのようにコクンッと頷いた。
千鶴はそれを見て、返事をするように軽く頷いた。
するとそのやり取りを見ていた近藤達が護熾と千鶴の肩をド付いて軽く茶化してきた。
それから、一通り屋台を見回り、めぼしいもの
〔水玉ヨーヨー、綿飴リンゴ飴、チョコバナナ、焼きトウモロコシ、護熾が商品を突き破るほどの威力で投げたタマ当てで貰った文房具セットのなれの果て、沢木が撃ち落としたゲームカセット、近藤がみくじで当てた大きなぬいぐるみなど〕を買い、そして特等席に戻ろうとしたときだった。
「あ、ちょっと斉藤と二人っきりにしてくんねえか?」
護熾の突然の発言に、一樹と絵里以外はものすごく驚いて有り得ないと言っているような視線を護熾に投げかける。護熾は若干不機嫌そうな顔で『さっさと行け』と言うと千鶴をその場に残してニヤニヤとしながらその場からこそこそと去り、『千鶴〜頑張れ〜』と近藤が手を振ってそう言い、千鶴も苦笑いでそれに答えて手を振る。
そして、一旦二つのグループに分かれてから、その場を後にした。
護熾と千鶴は文字通り二人きりになって歩いていた。
最初は微妙な距離だったが、段々とその距離が縮まる。そして祭りの騒音の中を歩き始め、横に並んだ千鶴が先に言う。
「…………やっぱり、行くの?」
「…………ああ、……やっぱ俺、ユキナのとこへ、行きたいんだ。」
「そう…………」
もう隣に並んでいるのは護熾ではなく、護熾という人間の形をした真理という物体なのだ。
もう、ここには居られない。人間を捨ててしまったのだから。
しかし護熾は決して後悔はしてはいない。そこまでしなければ、失うモノも多々あったからだ。それが護れたのだから、文句はない。
「…………海洞くんは……怖くないの?」
千鶴がソッと訊く。
「怖えさ、でも…………見捨てることなんて、できねえよ……」
護熾はそうポツリと答え、視線を少し落とす。
二人は人気がなくなるところまで歩いてきた。住宅街は祭りで人が出払っているおかげか、人の気配はまったくしない。
そして護熾は歩みを止めて、千鶴の方に向いた。
穏やかな微笑み。 びくりと、千鶴は肩を震わせる。
もう、覚悟はしてきたのだ。恋する少年が、ここまで吹っ切れると自分の命なんてどうでも良くなるのだろう。
それを伝えるような、眉間にシワを寄せていない穏やかな顔。
「―――――泣かなくていいよ斉藤。俺、こんな結末だけど、毎日が幸せだったよ。」
「ごめん―――――」
千鶴は必死に嗚咽を飲み込もうとする。何もしてあげられなくてごめんなさい、そう謝っているのだ。謝る理由など、どこにもないのに。
護熾は優しく肩に手を乗せ、唇を少し噛んで頷いてから言う。
「親父に、遠くに行くって言っといてくれ。たぶん、二度と戻れないけど……な」
例え戻れたとしても、人間としての生活は望めない。それを承知してでの、出発なのだ。
自身の体内に内蔵されている真理を使えばそれを一時的に橋として利用して向こうの世界に行ける、そうすればきっと、みんなの助けにはなれる。
全てを終わらせるために、こっちの世界を救い、今度は向こうを救う。
しかし彼は、世界のためなんかに動いてはいない。
自分の大切なモノを護るために動いているだけなのだ。
「そういえばこれ、効果があるっぽいな」
ふと思い出したようにそう言いながら護熾は徐にポケットからあるモノを取り出して千鶴に見せつける。
ユキナ、イアル、千鶴の三人で少しずつ作ったオレンジ色の御守り。
「あ、それ持っててくれてたんだ……」
「当たり前だろ? でも、もう1回くらい、この御守りの効果が欲しいとこだな」
そう護熾は言い、そして再びポッケに仕舞い込んだ。
「………こんな冴えない俺に、こんな気遣いするなんてな……お前らってホントよく分かんねえな」
お前ら、それは千鶴を含めて四人を指して言ったのであろうか。
無邪気に笑う護熾は本当に人間そのもので、とても楽しそうで、とても、悲しかった。
千鶴はソッと近づき、護熾の胸に体を預ける。
心臓の鼓動が、聞こえる。
「どうか、ユキちゃんも、黒崎さんも……ティアラちゃんって子も……海洞くんも無事で…………」
“また、一緒に居られるよね?”
ずっと欲しかった、彼の体温が伝わる。
しかし彼は、彼女を抱き締めることはなかった。
“だから、もう一度会おうね、海洞くん……”
そして一歩退いて少年を見据える。
もう少年は、そこにはいなかった。
静かに吹く風が少し長い髪を撫で、ずっと、千鶴はその場に佇んでいた。
「東大門にて、烈眼のユキナの生体反応完全に遮断、モニターからの視覚による確認で黒い球体状の物体が門から約一キロ時点に放置。及び玄眼のシバ、その他バルムディアの隊長格も二人、交戦していますが…………」
ワイト中央の地下オペレーター室で情報の整理と各戦況の確認を行っている研究員から不安げな声が流れる。
「何でしょう……時間が……ずれてる? それに徐々に電磁波等などの波長の反応も消えてきています…………攻撃が、一切通用しない?」
モニターに映っているその者の映像は他の物体の動く速さとまるでずれているように映っており、シバが繰り出した影を纏わせた突きが、鎧に触れることもなく弾かれる。
相手はレーダー等から見ると何もしていない。別に目にとまらぬ速さで動いているワケでも、特殊能力を使っている節は見あたらない。それから、その者は軽々とシバを刀の峰で弾き飛ばし、ツカツカと歩いて姿を消していった。
「娘は? 皆さんは大丈夫なんですか?」
「ユリアさん……今のところユキナさんの安否は………」
「そ、そうですか………」
研究員の報告を聞き終え、ユリアは静かに椅子に座る。
その者の攻撃でユキナが黒い触手に捕まり、そのあと黒い球体に変わってそこへ閉じこめられたのをしっかりとモニターから見てしまったのだ。
そしてそれ以来、その者はユキナを閉じこめた檻を触れずに移動させ、どこかへ持ち去っていってしまったのだ。幸い、レーダーでの表示はできたが反応は薄い。
ユリアはただ無事を祈って胸の前で手を組んで目を瞑って祈ることしかできなかった。
「ぶ……無事か……? ギバリ……!」
「せ、先生こそ……」
「な、何なんだよ……攻撃が……“届かない”?」
斧を杖代わりにしているギバリに顔から血を流しているシバが、心配そうに尋ねる。
レンゴクは先程吹き飛ばされたのか、仰向けの状態で顔を少し起こして前を睨み付けていた。三人をあっさりと捻ったその者は、無表情で見据え、刀を地面に刺して傍観するように見る。まるでどこからでも来てみるがいい、と言わんばかりに。
「はっ、随分と舐められたもんだな…………そうだな、お言葉に甘えさせてもらうぞ……!」
シバは立ち上がり、渾身の気を含めた一撃を込め、影が鋭い刃先となって信じられない速さでその者に向かって放たれる。すると影の刃はやはり、鎧に触れる数センチ前辺りで急に勢いを無くしたかのように止め、衝撃波だけが地面を軽く抉る。
「…………! やっぱり……ダメか……」
ゾワリ、と背筋が凍り、そしてガックリと両膝を付いて戦意喪失を示す。
するとその者の気が、シバに思いっきり襲いかかり、頭が割れるような痛みを送り込んでくる。相手は何もしていない、ただ立っているだけなのに。
「くっ………そっ…………!」
「愚かだな、人間達よ。この世の主に傷を付けるなど、永劫叶わぬ。」
両手を地面に付け、汗だくで必死に強大な気に押し負けないように踏ん張っているシバにその者が静かな口調でそう言い放つ。
ロキはゴクンと固唾を呑んで立ち上がる。
そして両銃を気取られないようにして銃口を向けるが、それよりも先にその者がこちらに向いてきた。そんな玩具、無駄だ。 そう伝えて気の矛先をロキに変える。
顔を向けられただけで両手から銃が滑り落ちる。顔中汗まみれで、歯を食いしばってただ堪えるしか、できなかった。
イアルはとにかく走っていた。
怪物達が背後から迫ってくる中、時に飛び掛かってくるものを一刀両断にして数を減らしながら、兎に角突き進んでいた。
体中のあちこちが軋みと悲鳴を上げている。そろそろスーツの強度も危うい。
それでも、希望を持ってユキナが閉じこめられている黒い球体の許へ向かい始める。
しかしここでまたしても背後から咆哮をあげた怪物達が全力疾走でイアルに迫る。
イアルは背後から来た怪物を迎え撃とうと、鎌を握りしめ、一度立ち止まって踏み込んでから、一回転してそれから再び出発しようと考え、立ち止まって踏み込み、鎌を振ろうとした時だった。
バキンッ!
鈍い音が、自分の手元から聞こえ、頬を何かが抉って行く。
鎌の刃、それは激しく弧を描いて適当な場所へと落ちていってしまった。
その者を攻撃したとき、おそらくヒビが入ってしまったのであろう。そして怪物の爪による攻撃で強度が押し負け、鎌が折れてしまったのだ。
――まずい! すぐに持ち替えないと―――
イアルは即座に鎌の柄を投げ捨て、背中に飾るように背負っていた超高速震動剣に手を掛けるが、刹那、鎌を壊した怪物の牙が、目の前に映る。
間に合わない、あと少しだったのに…………
目を閉じ、みんなの希望に答えられなかった自分を悔やみ、ギリッと奥歯を噛みしめたその時だった。
バキガキゴシャシャシャゴゴゴゴゴゴ!!!
何かを割る音。
その音にイアルを襲っていた怪物が驚いて途中で口を閉じ、イアルに体当たりするだけに終わってしまい、弾き飛ばされイアルはズサササ!と地面に上を滑り、そして上手く体勢を立て直して即座に立ち上がるとすぐ後ろにある黒い球体の方に顔を向ける。
そして目を丸くし、その光景に驚きを隠せずに固まった。
黒い球体の頂点辺りから全てにヒビが入り、そこから手が一つ、上空に向かって突き出されていた。