四十二月日 ラストラバンダス1
護熾の母、 海洞 朔那。
八年前に行方不明となり、消息を絶つ。
そのとき一緒に居た幼い護熾は、ちょうど自分の変わった名前について問い、それに答えてもらっていたところだった。綺麗な、黒髪の女性で身長は160cm。やや垂れ目。髪の長さは背中ほど。性格はどちらかと言うとユリアに似たおっとり系。
武はべた惚れで、護熾はよくもまああんな親父を選んだなと内心感心していた。
一樹と絵里はまだあまりにも幼かったので母のことをよく覚えていない。
料理も上手で武もそれに見習ったり、怒るときもあるが、それは全部怒り笑いで泣いたところは一度も見たことはない。
因みに一樹と絵里は母親似、護熾は唯一の父親似となっている。
墓は、空っぽ。家に仏壇はない。
まだどこかで生きていると信じているからだ。家庭を放棄するような人でないと知りながら………
ハッキリ言おう。
真理を宿した子の母体に何の影響もないというのはおかしい話である。
当時、開眼の会得も真理の発現もまだだった護熾に対し、圧倒的に朔那の方が生体エネルギーを多く持っていたに違いないのだ。真理という、超物質に踊らされた悲劇の運命によって怪物に攫われたのだ。
そしてそれが、眼の使い手以上の気を持っていたとしたら? 眼の使い手以上の気を内蔵していたとしたら?
確実に怪物に変貌したときの実力は己ずと驚異的になる。
そしてそれが、通常状態で第二解放以上の実力を持つ怪物、虚名持――――
ゼロアス
「てめえの母親の肉体? いきなり何かを聞いてきたと思ったら、くだらねえことを聞きやがって」
「……そういうお前はどうなんだ? 俺の気を探って何か違和感がなかったのか?」
「………………」
護熾が本気をまったく見せずやれ殺意が無い、やれ情けない奴と言われたのは気を探るのに集中力を使っていたからである。
この話は――――ユキナから聞いた。ゼロアスの正体=朔那であるという事実を。
何故ユキナがこのことを知っていたかについて護熾は特別追求はしなかったが彼もゼロアスに何かしらの違和感を持っていたのは間違いないようだった。
だからこそ護熾は、この五日間ユキナのいない世界と怪物化した母親の二つのことで悩んだ。
すごく悩んだ。その悩んだ表情は千鶴にも見られていた。
一方千鶴はというと着物とと言う走りづらいスタイルながらも高台に移動しており、追いかけてきている他の四人を置き去りにして先に見ていた。
少し目を離している間にボロボロになった戦闘用架空世界を見て少し驚いたが、何よりも護熾とゼロアスが少し離れて何かを喋っていることが気になった。
が、それはそう時間が掛からなかった。
ゼロアスは無言で護熾を見据え、下から上まで一度見てみる。
そして、気を探ってみて、それから自分の奥底に宿る気を比べてみる。
似ている、がゼロアスの答えだった。だが、
「はっ! てめえが本気を出さねえのが俺の体がてめえの母親だからか!? だが!! 俺の身体は俺のだ! 俺の意志もな! てめえの知っている奴の意志なんて片鱗すら残ってねえ!!」
怪物化すれば元の人間の人格など無意味。
確かにゼロアスの容貌には母朔那の面影など一つもない。
殺意を込めた眼差し、不良風に掻き上げた髪。凶暴な戦士としての顔立ち。
全てが母親という存在から何よりも遠かった。
だが一つだけ言えることがある。
ゼロアスの身体には、まだ朔那の魂が残っている。これだけは変えようがないのだ。
姿形も中身も変わろうが、生命だけはどうにかしても変えることはできないのだ。
だからこそ、だからこそ護熾は覚悟してきた。
「ああ、そうだ。でも……覚悟はできた」
護熾は顔を俯かせながらも右手で左の腰に差してある黒い刀身の小刀を引き抜く。
「お前を倒せば、本当に母ちゃんの魂が解き放たれる。」
このために、眼の使い手として過ごしてきたのだ。
護熾の最高で最大の理由、ゼロアスを倒すことが、母朔那を本当に救うことになるならもう止まることはできない。
敵は強い、ならば全戦闘能力を持って、本気で戦う。
「お前を倒す……覚悟だ」
そして護熾はチラッと目だけを別の方向に向ける。
向けた先は、高台。そして丁度、千鶴がいる場所である。
見られた千鶴は、どきっとした。護熾の何かしら覚悟を決めた表情、少し笑っているようにも見える。 しかし戦闘のことについて解らない千鶴でも、護熾が本気で戦おうとしていることに気が付く。
そして眼差しで『絶対……勝ってね』と祈るように伝えると受け取ったのか、護熾は視線をゼロアスに戻す。
そして、顔の前に小刀の刃先を下にし、掲げるように持った。
『護れ、死纏』
小刀の刀身が、一気に膨れあがって護熾を包み込み、おぞましい黒い気を撒き散らしながら直後、漆黒の雨さながらの視覚化された気力が上から降ってくる。
大気が軋むような音が聞こえ、その場一体は一瞬黒い空間に染まる。
そして、一気に風と共に重い気をゼロアスと千鶴に運んでいく。
ゼロアスはピクッと眉を動かし、千鶴は一瞬アテられて朦朧とし、後ろにペタンと座りそうになると誰かが支えてくれた。
千鶴がゆっくり頭を動かすとそこには、
「はあ……はあ……思いっきり走らせたらと思ったら、何倒れようとしてんのよ!?」
近藤が、息を切らしながら少し怒った口調で千鶴の背中を手で支えながら、そう言う。
すると後ろから沢木、木村、宮崎の順でその場に到着する。
千鶴は四人を一度見、それから近藤の力を借りて体勢を元に戻すとまた上空を仰ぐように見る。四人はそれに釣られて空を仰ぐが、やっぱり何も見えない。
近藤は不思議顔で千鶴を見て、それから彼女にしか見えない何かが映っているのだと理解すると、千鶴の肩に手を置き、不安そうに振り向いた千鶴に何故この言葉が出たかは解らないが、真っ直ぐちゃんと言った。
「大丈夫…! そんなヤワじゃないハズだから!」
「……! うん!」
「はっははははははははははははははははははははははははははは!!」
とうとう本気を出してくれたことが嬉しいのか、ゼロアスは両腕を広げて天に顔を向け、大笑いを響かせる。そして黒いオーラが縦に切り裂かれて両面に割れ、姿が露わになる。
両目は翠の瞳を残して黒い眼球が覆い尽くし、髪の色も少し黒く掛かっている。
護熾の両眼から下は顎の骨を模った黒い仮面に覆われており、より強力になったのを主張するためか、牙が大きくむき出しにしており、威圧感が前よりも大きく全面に出ている。
そして一番は翠のコートの上にさらに背中から足にかけての延長戦がある漆黒のコートが重なるように纏い、ジッと睨むその様には人間を超越した存在でしか捉えることができない。
いや、言い換えればもうそれは人間と呼べる代物ではなく、神の領域に踏み込もうとしている超越した存在なのだ。
今の護熾の状態は、確実にゼロアスを超えている。
だからこそ、ゼロアスは本気で戦うことを此処に誓う。
三回目の激突、ゼロアスの目的はその者から伝えられた『真理の強奪』及び現世の破壊と侵攻。
その目的を両方成し遂げるためには目の前にいる死纏状態の護熾を倒すことなのだ。
そしてゼロアスの右腕が持ち上がり、顔の前に翳される。
指の隙間から見える眼は、爛々と妖しく光り、護熾を見据える。
「いいぜ……! このときを、待ってたんだ……!」
するとゼロアスの体内に宿る気力がいきなり上昇を開始する。
それは激流のような、雪崩のような上昇力。それに伴ってゼロアスの身体から蒼いオーラが噴き出し、蜷局を巻き始める。護熾は翠の瞳でゼロアスを冷静に睨み、千鶴は胸がどこか痛く、潰されないように不安そうに拳を胸に当ててその姿を見る。
避けられない最強同士の戦い。
もうここに戦う理由など存在しないかもしれない。
ここから先は護熾は母親を成仏する、ゼロアスの真理の奪還ではなく、本能の道筋に従っての戦い。
護熾は眼の使い手、ゼロアスは怪物。
何百年も前から決まっている相容れない存在同士の戦い。
最後まで立っていた方が、生きて戻れる。
そしてゼロアスの蒼いオーラが全身に巻き付くようになると叫んだ。
決着をつけようと言わんばかりの、護熾の耳に新しい、虚名持の解放名を吠えながら。
「封力解除 漑げ! 『青晶崩竜』!!」
解号名が告げられ、蒼いオーラが暴走したさながらにゼロアスを包み込み、途端爆風が起きる。
爆風は周りにあった住宅街や100メートル先にあった辛うじて建っている五階建てのビルをも瓦礫の塵に変え、護熾はその風の中、コートと髪を撫でられながら瞼を閉じ、覚悟をさらに固める。
もう、自分は後には戻れない。このゼロアスを倒すまで、呼吸の一つも勝負になる。
そして風が段々と勢いを無くし、ゼロアスの解放状態が露わになり始める。
護熾は、自身の戦いに望み始める。
「よぉ、待たせたな、」
姿を現したゼロアスの顔に入れ墨はなく、額に仮面のようなモノが形成されていた。
そして身体は蒼い結晶のような服に変化しており、鋭い尾も生え、両肩から背中かけて、尖った水晶様の大きな結晶体が2つあり、背びれと尻尾の先端も結晶化している。
顔つきも鋭い牙や獰猛な笑み、さながら龍を思わせる容貌へと姿を変えていた。
「どうだ……! 海洞護熾!! てめえのその力と俺の力―――」
目の前にいる獲物に自身の鬼迫を飛ばすように叫び、炯々と光る眼差しを見せた後、風と同化したような速度で一気に二人の間の距離を詰める。
「どっちが強えかハッキリさせようぜ!!」
ゼロアスは護熾を殺すべく右手に形成された結晶の鋭い爪を音速の速さで繰り出した。
その刺突を護熾は少し仮面に触れさせる程度で避け、ゼロアスの穿突の余韻が頬を撫でようとも気にせずに右手に飛光を溜めるとゼロアスの胴体に延ばす。
ゼロアスは即座に反応し、一瞬で後方に跳躍して距離を取ると瞬時に護熾が後ろから残像を交えた姿を現し、ゼロアスはそれに気が付くと振り向き様に蹴りを入れ、護熾の繰り出した拳をそれで相殺させ、二人ともぶつかった衝撃で互いに離れることを余儀なくされ、衝撃波がその後に奔る。
護熾は足に作った気の地面と、壁のように掴んだ手に気を作ってそれを掴み、無理矢理身体を留まらせると直後、下の方から驚異的な悪寒を感じ、止まるのを中断しさらに10メートル下がると突然結晶の針がいた場所から上に向かって突き上げ、そのあと役目を終えたかのように砕け散り、空間に溶けていく。
そして蒼い針に気を取られていた護熾は後ろを振り向くと―――両手で拳を作り上げたゼロアスがそれを頭の上に掲げ、一気に振り下ろす。
それが護熾に命中し、凄い速さで地面に向かって打ち下ろされる。
そして護熾が地上30メートルから急降下を始めるとゼロアスはその場から掻き消え、一瞬で護熾の落下地点に移動するとタイミングを合わせ、落ちてきた護熾を蹴り上げる。
「「く……! くっ…そ……!」」
不思議な響きを持った声が痛みで歪んだ声で呟く。
護熾は激しく廻転しながら上空に戻され、そして落とされた高度とほぼ同じ高さになるとやっとのことで廻転を止め、下にいるゼロアスを見下ろす。
ゼロアスは侮辱するように、しかし今の戦いを楽しんでいるような口調で両手を広げて叫ぶ。
「どうしたァ!? まだ本気に見えないぜ!?」
「「…………」」
すると護熾の姿が掻き消え、ゼロアスの真横に五メートルほどの緑色と黒色を混ぜたような球体を手に溜めながら現れるとそれをアンダスローの体勢で地面を抉りながらゼロアスに下からぶつけるようにし、叫びながら放つ。
ゼロアスは自身の顎が何かに照らされたことに気が付き、直ぐさま腕をクロスさせて防御態勢に入る。
「「オォオオオオオオオオオオオオオ!!」」
「ぬぉっ………!」
護熾の両眼から下を覆った黒い骨の仮面が気合いを込めた吠え声と共にガバッと開き、ゼロアスは驚愕の表情でそれを両手で受け止めるが、勢いに負けてそのまま斜め上に球体と共に撃ち放たれ、周りのコンクリートを巻き込みながら今度は逆に上空に運ばれる。
「かっ……! やりゃあできるじゃねえか……!!」
ビリビリと両手に来る衝撃を感じながら、ニタァと笑ったゼロアスは受けきれないと判断し、球体の軌道を少しズラして身体の脇を通らせるとそのまま球体は虚空へと消えていく。
それから、少し傷ついた両手を見た後、見たことがある攻撃を放った護熾を睨む。
「今の……オレンジの女が使った技だな?」
ゼロアスが聞き、護熾が軽く頷く。
今の護熾の技はユキナがマールシャ戦で使った大技である。
みんなを護るために使った、飛光を最大限に大きくして相手にぶつける技。ゼロアスはマールシャの認識同期でそれを知っていた。
ユキナは接近戦専門の護熾に、三週間の間に修得させたのだ。気の多い護熾なら、自然とユキナよりも威力も強大になるからだ。
そう、これはユキナとの修行で得た技と、思い出の日々の賜。
だが、試しに使ってみたはいいが弾かれたということはこれを決定打に使うことは難しいという判断を余儀なくされる。
ゼロアスの解放状態は第二解放を超える死纏状態の護熾と対等に戦っている。
やはり、簡単には行かない。だがこれだけは言える。
それは――――――――この戦いは長くそんなに続かないということである。
ゼロアスは顔を護熾に向けたまま逆立ちをするように身体の上下を入れ替えると壁のように蹴り、もうスピードで護熾に迫る。護熾は静かに佇み、そして地面を砕き割るほどの勢いで突然飛び出し、そして互いに衝突する。何度も、何度も、互いに蹴りや拳の攻撃と防御で衝突し合い、そしてとうとうゼロアスの右手に作り出した蒼い結晶の爪が、護熾の肩を抉る。
血が噴き出し、痛みで護熾は目を細めるが、逆にゼロアスの鳩尾に渾身の一撃を入れ、ゼロアスは喉から湧き上がるモノ、唾を思いっきり吐き出させると互いに蹈鞴を踏んで後退していった。
「はっは、ははははっははははははははははははははは!!」
ゼロアスが馬鹿声でまた笑う。口から唾が出ようが関係なく。
こんなに楽しい戦いになるとは、やっぱりお前は最高だ!! そう言いたげに兎に角笑う。
自分の解放状態とここまで渡り合えるのは世界でも護熾ただ一人であろう。虚名持を超えた虚名持、眼の使い手を超えた理解者。
目的と思考は差し違え、本能に似た宿命感で戦う。
そんな戦いこそが、ゼロアスの求める最高の戦い。
「いいぜ! いいぜ! いいぜ! いいぜいいぜいいぜ、いいぜ!! 海洞護熾ぃぃぃぃぃ!!」
「「くっ…………!」」
苦悶の表情の中、後ろに下がる護熾に対し追いかけるゼロアス。
「なんだぁ!? また追いかけっこかぁ? んなつまらねえ時間稼ぎなんかさせねえよ!!」
そして笑うのを止めたゼロアスは右掌底を護熾の向ける。
護熾も同じくすぐその仕草に反応し、相対するように右掌底をゼロアスに向けると―――
飛光と閃が同時に発射され、周りに白い爆発的な衝撃波を撒き散らしながら衝突する。
だが、貫通力で勝る閃の方が上回り、護熾の強力な飛光を打ち破ると護熾に向かって放電を起こしている紅い閃光が延びる。
護熾は「!」とすぐに反応し、身体を横に移動させて避けるとすぐ真横で紅い閃が通り過ぎ――――ゼロアスが背後から回転しながら現れ、護熾は気が付いて振り向こうとするが先に結晶の付いた尻尾が打ち下ろされる。
「動きが遅せえぞ」
それは、護熾の頬を掠め、黒い仮面を壊し、同時に頬を抉る。
血沫が少し飛ぶ中、護熾は冷静に見切って回転する尻尾を掴み、それを引き寄せると引き寄せられたゼロアスに頭突きをお見舞いし、痛み分けをする。
頭突きをされたショックでゼロアスは一瞬怯むが、すぐに目を開くと護熾の拳が伸びてきていたので、それを回し蹴りで返す。
力と力の衝突でその場がまた、白煙で包み込まれる。
「…………海洞くん……」
四人の友に囲まれ、千鶴はただ見上げていた。
護熾の姿が自分の知っているモノと離れ、遠い存在になりつつあったが、あの少年は傷つきながらもこの町の人達を、この世界を護るために戦っている。
こんなことをしても、誰も感謝や褒めの言葉などくれない。
それでも、そんなのを目的に動く男ではないため、せめて見守ることしかできないのだ。
今、護熾とゼロアスがまた激突し、離れ際にまた互いに飛光と閃を撃ち、護熾はまた閃を避け、瞬時に攻撃を仕掛けてきたゼロアスの攻撃を受け止めた。
「あの〜斉藤さん? 何が見えて……るの? 幽霊?」
唯一状況が飲み込めていない宮崎が恐る恐ると手を挙げ、周りに返事を求めるが、全員無視し、何だかへこむ気分になる。全員、何もない、花火も打ち上げられていない蒼い空を眺めているだけなのだ。
千鶴以外の三人には、当然護熾の姿は見えていない。
しかし護熾の突然の消滅、そして何かしら知っている千鶴の謎の行動。そしてその視線の先に護熾がいるのであると信じて。
護熾がゼロアスの結晶を砕くとゼロアスは護熾の仮面を破壊する。
護熾が腹に拳を入れるとゼロアスも蹴りを護熾の鳩尾に決める。
護熾がユキナの技をぶつけようとするとゼロアスは手に作った結晶をぶつけて相殺させ、宙にダイヤモンドダストの光景を作り出す。
「どうやら!! 前みたいに一瞬で終わらないようだな!? やっぱ修行はしてたらしい…………な!!」
地面を蹴り、神速の膝蹴りを護熾の顎に喰らわせると護熾は一瞬天を仰ぐ形になり、意識が吹き飛びそうになると顔面をゼロアスの手が捉える。
ガッシリと掴んだゼロアスは、そのまま駆け出して地面におろすように引きずり、そしてビルの一角に埋めるように叩きつけると護熾がビルの反対側から飛び出す。
…………強い
自身と変わらない実力、しかし圧され始めている。
だが、だからと云って退き下がるわけにはいかない。約束された勝利など無い、例え相手が、肉親であっても。
すると大気が震える感覚が届き、護熾は急いで上空へと飛び立つと直後、太いビルを貫く死の紅い閃光がコンクリートの地面を抉り消し、さっきいた場所を無に帰す。
そしてビルは護熾側に倒れ始め、護熾はお構いなく7階部分に突っ込むと反対側から出てきてビルを二等分に割る。
そしてズズズズズズズン!! と鈍く大きな音が地面に埋もれるのと白煙を生み出しながら奏でられ、そして崩音と共に周りの建て物も崩れ、一帯がペシャンコになっていく。
そして護熾は周りを見渡す。
…………どこにもいない?
護熾は気を張り巡らせるが、ゼロアスの気配は完全に消え、何も感じない。
そしていきなり空の色と同化していた結晶の塊が姿を現し、中からゼロアスが飛び出してくる。そして手には結晶で作り上げた爪と拳。
そして突き出されると空気が一瞬波打ち、放たれる。
「「ぬあっ!!」」
一瞬反応が遅れ、背中を爪と拳によって抉られるのと殴られるので斜め下に弾き飛ばされる。その落下地点は―――千鶴達のいる高台の方向。
護熾は為す術もなく高台の方へ突っこみ、千鶴達のすぐ真横のコンクリートを派手に壊して止まる。すると千鶴がそちらにすぐ駆け寄って、そして見る。
仮面は半分ほど割られ、そこから見える口からは血が流れ出、何も映していないような黒い眼球。
黒いコートも下地の常磐のコートの引き裂かれたようにボロボロになり、息が荒く、ガラガラと体に付いた瓦礫を除けながら立ち上がり、千鶴の方に向く。
その顔の両眼から透明な雫が流れていた―――泣いていた。
今の護熾は、徐々に情緒不安定になっていた。
本当に自身の手で親を殺めて良いのか、解らなかった。
こんなに気持ちが辛い状態で戦ったのは初めてであった。
何故こんな悲しい運命なのか、どうして親があんな人間と離れた存在になり、自分と戦っているのか、しかし、絶対に退くわけにはいかなかった。
護熾は黒い目から流れ出る温かい液体を手で拭い取ると立ち上がった。
護熾からは死纏のおかげなのか、命の鼓動に似たイメージが見えていた。
これは斉藤のだな、周りにいるのは、沢木と近藤と、木村と宮崎か、と。
そして千鶴の方に向き、と微笑む。『大丈夫だ』と伝えるように。
「…………うん」
千鶴は頷く。この状態の護熾は知らない誰かになってしまったと感じていたが、この優しさだけは変わらない。でも彼は辛いのだ。あの怪物と戦うことが。
全てを押し殺し、護熾は一度目を閉じ、それから開けようとした刹那―――。
突然離れてきたところから大気の地震と呼べるほどの揺れが、二人を襲う。
そして二人は同時にその方向へ、護熾が飛んできた方向へ向けると200メートルほど先にゼロアスが両手を前に突き出して、こちらを見ていた。
「すまねえな、ここで遊んでいるとあの方が怒るんでな。最後だ……見せてやる。全虚名持最高の閃をな」
ゼロアスの両手に赤黒い球体が作り出される。それは、音もなく大きくなり、そして音もなく発射される。
そして何より驚いたのが、千鶴からの視点だった。
千鶴の視点からは、200メートルほど先の場所から紅い巨大な閃が発射されたのだ。
結界を突き抜けての閃、架空世界をも超える閃。
虚名持達が最初に襲来してきたときのグランドのあの謎の穴。あれはゼロアスによって為されたものだったのだ。
ならばあれを止めなければ、ここら一帯の人が一瞬で消え去る。
護熾は結界の世界から消えた閃を迎え撃つために前へ急いで走り、駆け抜け始める。
「あ、あれなに!?」
同じく閃に気が付いた近藤が驚きの声を上げ、他の三人もそちらに向く。
無音で迫る赤黒い光がその場を飲み込もうとしている光景。それはさながら、四人の終焉を思わせるように見え、そして護熾が丁度四人から10メートル先で結界から飛び出し――――。
ドォオオオオオオオオォオオオオォオオ――――――!!
巨大な爆音が、そこら一帯を包み込んでいった。