三十九月日 とあるミルナの とあるガシュナの とある出会い
「荒れ狂う嵐、超獣の断末魔、四指の向かう場所の中心に心臓を、北に鎧を、東に尾を、西に牙を、南に羽根を」
血の雫が重力の影響で小さな球体になる中、アルティは仕上げの詠唱を焔鳥人ユニスに言い渡す。ユニスは今まで見せたことのないくらいの驚愕の表情で立ち尽くす。
しかし長年生きてきたというプライドが僅かに行動を起こさせる切欠になり、ならばこの黄色の餓鬼だけでもと背中から血を流しているラルモに本当の断末魔を与えようと手を掛けたときだった。
一瞬、アルティの姿がラルモのすぐ側に現れ、抱き締める形で手を回すとユニスの鋭爪が届く前に消え、代わりに虚空を突き立てさせる。
空間転移、最後を振り絞ったアルティの得意技。そして去り際に聞いた詠唱の最後辺りの部分。
『温度のない凍結を、我が血と共に生みださん』
そして血の雫がラルモを運んだアルティが城壁の上に降り立つのと同時に大地に四方八方に小さく弾け、少しだけ地面を濡らすと四つの方角に刻まれた魔法陣が互いに共鳴し合うかのように光を増し、突如光の線が枝分かれに延びユニスと下にいる一部の怪物達を円柱に閉じこめる。
ただしその光は、毒々しい黒みがかった紫色。
そしてラルモを城壁の縁に凭りかからせるようにし、口から少し血を出しながらもアルティは掌を見ずにユニスの方に向け、そして最後の台詞を言う。
「ユニス・ティガ…………あなたは本当に強かった……でも―――」
顔を向け、仏頂面のままで、けれど眠そうな目を徐々に大きくしながらそして――。
「道化師が来てくれたおかげで、私達は勝てるわ。」
いつも半分閉じた眼が完全に開く。
すると眼に浮かんでいた魔法陣がユニスを捉えた円柱の空間全体に一斉に、たくさん張り付くように浮かび上がり、魔法陣の柱と急変する。そしてユニスが魔法陣で隠されているのでよくは分からなかったが、汚い言葉を吐いているのか、はたまた断末の声を上げているのかは結局二人の耳には届かず、トドメの術名が上げられた。
『“終陣 『存崩在絶』“』
開かれた眼の魔法陣が消え、閉じられる。
そして尖り帽子もボロボロの菖蒲色のコートも空間溶けるように消え、そして後ろに振り向いて第二解放を解き、既に普通の状態に戻っているラルモを見る。
ラルモは壁に凭れながらもアルティの向こうの景色を見つめる。
円柱の空間が一切の音もなく、氷の塊が壊れるように上から下までヒビが入って崩れ、中に入っていたモノまで一緒にダイヤモンドダストように散り散りになって瞳にその光景が映っていた。
そして最後は空間に混じるように消えていき、さっきまでの騒動が嘘のように跡形もなく、 ――――残されたのは多くのまだ残っている怪物と負傷した二人の若者のみとなった。
開戦から2時間16分。北、南の虚名持撃破。勝利者、ラルモ&アルティ
壁に凭れながら虚空に消えていったユニスを見送っていたラルモが素直な感想を述べる。
「すっげェー、さっきのがアルティの最高の技か〜」
「“空間凍結”。彼女は…………時空の狭間でバラバラになって死んだわ。」
空間凍結。
文字通り指定した空間を時間と事象、はたまた内部にある全ての生命を凍結させ、最後は別次元に送り込んで崩壊させるという空間陣である。
発動条件としてはアルティの行っていた指定の場所に魔法陣を敷き、計四つを作り上げ、尚かつ対象者を四つの陣の中心に誘き寄せなければならない。
だからこそ信頼を得られるパートナーに時間稼ぎと囮になってもらう必要があったのだ。
もちろん相手が自分一人で事足りるなら別だが、今回は虚名持というあまりにも強力な敵だったのでギリギリ成功することができたのだ。
四つの陣を敷き、そして一の陣、二の陣よりも長い詠唱し、最後は自身の血(気でも実はいいがラルモを助けるためにあえて血を選んだ)で魔法陣に発動を促し、そして最後に自身の目に刻まれた『“終身の陣”』を対象を閉じこめた円柱に刻み、対象を消滅させる。
このように威力は絶大だが、手順と時間が掛かりすぎるのだ。
「信頼を得るパートナーか……すっげェ嬉しいな〜」
「………………」
虚名持を二体倒し、とりあえず北と南は護られた。
南の城門のバリアの耐久力は持って五分、しかしこれだけあれば撤退した兵達を呼び戻すのには充分すぎるであろう。その安心を踏まえてか、ラルモは素直に嬉しそうな声で信頼を得られていることを喜んでいる。
そんなラルモをアルティは無言のまま見下ろし、そして近づく。
片膝を付くとラルモの両肩に手を置く。
そしてラルモが驚いて硬直している中、そっとオデコを合わせ、目を閉じ、無言でお礼を伝える。本人がびっくりして頬を朱に染めると顔を離し、今度は声で伝えようとする。
今なら言える。13年間も言ってこなかったのだ。
そして一緒に戦ってくれた事、護ってくれたこと、一緒に居てくれたこと、そして――――笑顔という、素晴らしいモノを教えてくれたことへの感謝の言葉を、今ここで――
「ありがとう、ラルモ」
とびきりの笑顔でアルティは言った。
その笑顔は、途轍もなく素敵な笑顔だった。とてもとても可愛い笑顔で、そしてどこか恥ずかしそうにしているところがまた好感度を上げる。
ラルモは思いっきり絶句した。絶対笑わないと過去13年間で心の中で密かにそう思っていたのだから今この状況で、この場所で、この少女は笑顔でお礼を言ってくれたのだ。
“やっべ……めちゃくちゃ可愛い………!”
今まで笑顔を見せてくれなかった気になる人の笑顔というモノはとんでもなく普段の他の笑顔より素敵に見えるものである、それが13年間見てこなかったのならなおさらである。
ラルモは照れに照れて暫しの間笑顔を見てしまったことが信じられなかったのか、顔を見ないように顔を横に逸らしていたのでアルティは不思議顔で見つめているとラルモの手が延び、頭の後ろに回されると胸に押しつけられるように引き寄せられ、ポフンと胸の中に納まると
「どういたしまして……」
笑顔で返事をし、両手で抱き締めるように包み込んだ。
アルティは無言のままラルモの胸の中に納まり何気ない優しさを求め、身を委ねる。
まだ大戦は終わっていないが、みんなは無事でいるだろうか、そして異世界の少年はどうなのか、そんな事を考え始めるとアルティの心の中を読んだのか
「護熾は……勝ったのかな? あとユキナと先生と、ガシュナは……」
南の空を仰ぎながらラルモは頭を撫でながら言う。
アルティは不安そうに顔を上げるとラルモはそれに気が付いて見つめ合い、そして安心させるかのような力強い口調で言う。
「大丈夫さ! オレ達が勝ったみたいに、きっといや、絶対勝つさ。」
「………………うん!」
また、アルティが笑う。
元々綺麗で可愛いのに、笑顔がさらにその魅力を引き出してくれる。
本当に幸せだな、オレ。 この笑顔を見るために今日まで戦ってきたんだ。そして、世界に感謝する。こんなご時世なのに、こんな素敵な出会いがもたらしてくれたのだから。
……ああ、やっぱオレは言えないかもな…………笑顔は見れたから………いいか
そう諦めたように思い、アルティを胸に押しつけたまま顔を俯かせた。静かに、ソッと。
アルティはそれに気が付いて、顔を伺うようにするがどこか様子が変だったので肩を揺さ振ってみる。
動かない。 何度揺さ振っても笑顔も反応も見せない。目は光を失ったように暗い。
まだ体温はあるのに、動かない。いや体温は徐々に下がってきている。
そしてラルモの背中を見てみると夥しい量の血を城壁の壁が吸っていた。ユニスの攻撃による急所の負傷。このままでは死んでしまうと頭が即座に理解する。
「え…………ラルモ?……ねえ……ねえってば…………」
目頭が熱くなって頬に温かい雫が流れる。
涙が出てくる。今度のは悲しいから、さっきの恐怖で泣いたのとはワケが違った。
何度も揺さ振るが、静寂のみが生きていない返事を返すばかりだった。
もっと考えるべきだった。彼は一体虚名持を倒しているのだ。それで疲労などが溜まり、さらには駆けつけてユニスの渾身の一撃を背中で受けたのだ。
そして囮としてもう一回、背中に爪による攻撃を同じところに受けた。
それが今、最後の最後に命を奪おうと迫っているのだ。
「いやだ……死んじゃダメだよ…………何で…」
感情が自然に顔に出てくる。涙も止まらない。涙が落ちてラルモの服を濡らす。
病院へ運ぼうともそれだけの力を出せる気力はもう残っていない。
そうして最後まで彼はカッコつけて、最後は護って彼は死ぬ。そんなエゴを自分は見届けたくなかった。どうしてこう、男というのは自己犠牲が好きなのだろうか。
そして改めて感じる。大切な人を失おうとする感覚。
ユキナが護熾を失ったときの悲しみが、自分に起きようとしていることに。
すると遠くから声が掛けられた。
振り向くと戦いが治まったのに気が付いてやってきた兵士達が死にかけているラルモとアルティを発見して接近しているところだった。
アルティはすかさず叫んだ。初めて―――――好きな人を助けるために声を上げた。
「早く来て下さい!! 早く彼を、助けて下さい!!」
今から30分前に遡る。
トーマ達研究員が集う地下オペレーター室では強化服シリーズの兵達が各門に到着し、優勢を徐々に見せ始め、各司令部にこちらの情報と敵の動き、世界の情勢を知らせていたときだった。
ワイト全体を映したモニターの内、北に位置する真紅反応が突如消えたのだ。
これはつまり、ラルモが虚名持の一体を陥落させたという何よりの証拠になり、よく調べて見ると逃走したわけではなく、完全に消滅したという確信が得られた。
自然に研究員とオペレーターから喜びの声が上がる。
無敵と思われていた虚名持が倒されたのだ。しかし虚名持は二体。そしてその者も存在しているのですぐに浮かれるのはやめて自分達の仕事に打ち込み始める。
そこへ一人、訪問者がいた。
その訪問者を見た途端、研究員は一斉にお辞儀をし、トーマもユリアも軽く会釈して訪問者を迎え入れる。
その人物は朗らかな表情の好々爺。
ワイトの代表としての権限を持つ長老がわざわざ地下のオペレータ室に従者を二人脇に置いてやってきたのだ。
「ユリアさん、ですな。この度は…………」
五年間の特例長期現世在中任務からまだ帰ってきて四ヶ月。そして今の大戦。家族との時間が明らかに少ないのが長老の心に何よりも引っ掛かっていた。
表情を曇らせた長老にユリアは憂い顔で首を軽く横に振る。
「いいえ、長老さんの判断はご自身のではなくあの人の判断ですから悲観にならないで下さい。私だって、覚悟はしてましたから」
そしてモニターの方に目をやる。
長老も釣られて顔を上げるとそのモニターを見て少し驚いた。
画質は戦いによって電波のとびが悪くなっていたがちゃんと誰だがよく映っていた。
そこには日本刀を携え、漆黒の鎧を纏いし者と何度もぶつかり合う小柄な少女が全ての代表として戦っていた。
西大門から遠く離れたところで轟音が響いていた。
海神と呼ばれる波を催した鋭槍が頭部に向かって一撃必殺の突きを繰り出す。
ヨークスはあっさりと紙一重でかわす。だが槍から生み出される波濤が後から来るのですぐに行動を移し、ヒュンと風を切って瞬時に移動すると空気の波動がさっきいた場所に圧力を込めて通り過ぎる。
だがこれで終わるはずがない。
次に手首を軸にした舞を思わせる攻撃パターンに切り換え、こちらが行動を起こす前に一気に畳み掛けてくる。
だが、ヨークスは余裕の笑みを浮かべ、波濤を纏っていない槍を腕で防ぎ、鈍い金属音と火花を生み出すと相手を見据え
「どうやら五分五分って言ったところだね。随分と粘るじゃないか。」
「貴様の話に付き合っている暇はない。聞かせたかったら―――」
確かに解放状態でもないヨークスとは今は五分五分である。
しかしこちらも本気を出していないため、実際のところは分からない。
ガシュナは左手にもう一本、海神を瞬時に音もなく精製すると矛先をヨークスの胴体に向かって延ばす。
しかしあと一センチのところで矛先がもう片方の手で止められ、互いに力の小競り合いが始まる。
互いに冷静で息切れしていない表情で睨み合い、ガシュナは槍を手放し、ヨークスに二本持たせたまま後ろに下がる。
その謎の行動にヨークスは一瞬唖然とするがこの槍にはある仕掛けが施されていると気が付くと急いで手放そうとするが――――――瞬間、爆発が大きなうねりと共に起きる。
衝撃波が新たな風を生み、突風となって少し離れたところにいるガシュナのコートを靡かせ、相手が傷を負ったかどうか確認をする。
やがて煙が晴れ、白いコートが垣間見え、姿を現す。
無傷。コートが少し汚れたくらいであとは爆発前と何も変わらなかった。そして煙を風が全て運んでいき、涼しい顔をしている相手に向かってガシュナが言う。
「やはりか……こんな爆発程度ではどうにもならんか」
「あまり舐めないでくれ。このコートはある意味鎧なのだから活用しないことに越したことはない」
装飾品の眼鏡をクイッと指で上げながら余裕綽々の表情で言う。
そして何か思い出したような声で呟き、目だけをギョロンとガシュナに向けると
「そういえば――――僕たちのこのコートと君たちのコート、似てると思わないかい? “同胞”」
「…………確かに似てるが、何故貴様と俺たちが同胞と言いつけるんだ? 不快だ」
「まあまあ、そう焦るな。ちょっと僕の話を聞いてくれればいい」
相手が第二解放でも自分の話時間を取るヨークス。
それはきっと、長年生きていると言われている虚名持ならではの経験と貫禄、そして実力があるからこうしてどこか余裕を残した感じでいられるのだろう。
「僕の考えでは第二解放、つまり人間の進化の果ての君たちと怪物から進化した僕たちは互いに怪物や人間よりもより近い存在だと思うんだ。」
「………………」
眼の使い手は人間としては一線を画している。
虚名持は怪物として一閃を画している。
確かに外見の特徴は似ているかも知れない、だがそれがどうしたというのか? ガシュナは内心毒づきながら話を聞き続ける。
「そして君たちの第二解放は僕たちを模倣したような姿を……いや、これは間違いだな。同胞と言っても、僕たち似てるだけだし、僕たちも実は模倣しているらしいからね。さてここから本題だ」
眼鏡の縁から手を離し、ゆっくりと腕を持ち上げてガシュナに指を差す。
「僕たちの姿はある姿を真似した姿らしい。例え、僕たちのこの肉体が“元は眼の使い手”でも」
「…………!! 何? 貴様は眼の使い手の体でできているのか?」
ガシュナは突然の発言に驚いたが、確かに辻褄が合う。
怪物とは攫ってきた人間を理の力で存在をねじ曲げて作り出す言わば別の生命体。
そしてそれに内蔵される戦闘能力はその人間の内部に含まれる生体エネルギーの量で大体は決まっていくのだ。
眼の使い手ならば元々備わっている気の量は常人の何百倍にもなる。それが虚名持達の正体。過去の戦雄の肉体を使った敵対する存在。
“過去に大切な人間を護った眼の使い手が、今は俺たちと敵対か……皮肉だな”
「そうだ、まあどんな奴だったかは知らないがその話は置いておこう。結論を言うと僕たちはある存在の模倣、つまり真似事をしているらしいんだ。僕は長く生きているけど、長年生きていて君たちの第二解放を見てそんな仮説を思い浮かべたんだ。そして理と真理の存在、これらが一番関係している僕たちは――――」
一度言葉を止めてから、言った。
「理により近い姿をしているのさ。つまり世界の道理に僕たちがどんな生命体よりも近づいている。素晴らしいじゃないか、僕たちは世界を超える存在と言うことだ!」
熱弁を振るって感動に震えるヨークスは嬉しそうにそう言い終えた。
だが突如、言葉が切れる直後に小さな槍がヨークスの体を四方八方三百六十°絶対回避不可能の陣を取り、矛先を全て向けてからゆっくりと攻撃する方向を読みにくくするために合間を一定に保ちながら廻転を始める。
「……これはこれは、随分と乱暴な手段を執るね。こんなことをしてきた眼の使い手は過去に一人もいなかったな」
「かなり隙があったからな。存分に時間を掛けさせてもらったぞ。これなら多少はダメージは食らうだろう」
「…………君、体から“甘い匂い”がするね」
槍の包囲陣の中からヨークスがガシュナに静かに問い掛けてくる。
ガシュナはピクッと片眉を上げて反応し、三白眼の蒼い瞳に映し込んでいく。
「……僕はね、過去に色んなことをやってきた。眼の使い手も殺した。人々も殺した。街も村も破壊した。全てあの方の命令通りに。だけどね、僕は考えるときは考えるけど、攻撃するときはチマチマしないでやっちゃうから確認できない反応があるんだよね。さて問題、君の――――」
指をもう一度ガシュナの方に向け、まるで今の状況など無いに等しいような落ち着いた声で言った。
「大切な人を殺したら、どんな反応をするかな?」
「!!!!!!!」
激情を逆撫でするような言動にガシュナはとうとう完全にキレる。そして槍を掲げ、残酷な眼差しと矛先をヨークスに向けると途端、槍が全方向から中心へ向かって飛び立つ。
そして全槍が対象を貫こうと迫る中、ヨークスは眼鏡を外し、それを顔の前に翳してバキバキと簡単に砕いてしまうと、砕いた手を顔の前で開く。
そして、どこまでも落ち着いた声で告げた。
「封力解除 断ち切れ 『白漣王虎』」
その瞬間、斬撃のような疾風が全方位を取り囲んだ槍を弾き飛ばし、同時に今まで感じたことのない様な強大な気を風と共にガシュナの元へ運んでいく。
ガシュナは顔の前で腕を横にし、暫くは風が止むまでそうしていたがやがて、風が止み、腕を顔の前から退かして突風の発生地点に目をやると――――。
まず、輝く白い体毛と翠の縞模様を持つ虎が目に入る。そしてそれは二本脚で立ち、体長は二メートルほど。
そして一番目立つ特徴は何よりも緑と黒が螺旋状に絡みついた模様をしている日本刀の刀身のようなものが後ろに向かってまず両肩にそれぞれ一本ずつ。そして顔の横と後ろの方にまるで鬣のように生え、計五本でどれも不思議な光沢を放っていた。
「気を抜くな。」
炯々とした目で獲物を見つめながら、ヨークスは静かな口調で言う。その声には十分相手に威圧感を与え、ガシュナでさえも押されるような感覚を覚えた。
ガシュナはビクッと肩を竦め、自分と対峙している獣人を睨む。そして海神を精製し、両手でそれをしっかりと持つ。
「構えを崩すな。全ての方角に意識を張り巡らせろ、そして――――」
四つん這いになり、ググッと右足を少し後ろに下げると顔を前に向けて言った。
「油断するな」
そして駆ける。弾丸のように風を纏いながら、速く。
そして遠くの雷鳴が耳に届くような感覚が過ぎり、ガシュナは咄嗟に判断して右手の平を突き出して飛光を放つ。
そしてフッと残像が真横を通り過ぎる。
その残像が存在を濃くしていき、やがて本物の相手がガシュナの横を通り過ぎると、まったくその場から動けなかったガシュナの頬から血が一線、下に向かって線を引きながら落ちていく。
そして今度は腕が横に割け、胸が一文字に斬れ、脚が何カ所も斬れ、肩が斬れ―――――身体の前面ほぼ全てから血が滲みだし、刀傷が体中を覆い尽くすと防御強化服が何の働きもせずに簡単に破れ、同時にその場に血沫を散らしながら前のめりに体勢を崩し始めた。
常人では一生何が起こったかは分からないほどの速度であっさりと勝敗が決した。
ガシュナは明らかにあの刃の数で通り過ぎたあとにできる数ではない、別の何かも攻撃に加わったような傷跡をたくさん携え、斬り伏せられ、体が倒れ、体中に激痛を感じるとようやく自分の身に何が起きたか理解し、信じられないと言わんばかりに目を見開き、倒れながら思った。
“速すぎる………! 第二解放でもまったく反応が…………―――!”
「ほら油断した……これだから人間は力を手に入れた途端、自惚れる。僕たちのこの解放状態の方が世界に近いというのに。」
倒れるガシュナの背中に向かって白虎は二本足に戻りながらそう語る。
そしていよいよ重力に引きずられて大地に落下を始めようとするときにどこまでも荒々しい笑みを浮かべ、楽しそうな口調で言った。
「でもまだ君は死んではいない。手加減したからね。そして僕はいいことを思いついた。君の体に付いている匂い、その匂いを持っている人物をここに連れてきて目の前で殺す。すると君はどうなるかな? 楽しみだ。それから反応を見て十分観察した後今度こそバラバラにする。それまで君との再会はお預けだ。では失礼するよ。」
そしてスタスタと西の大門へ向かって少し歩き始め、そして四つ足で駆け始めると周りの風を纏いながら一直線に向かって行き、ガシュナが頭から下に向かって落ちる頃にはもうその姿はどこにもなかった。
ガシュナは地上から20メートルを何の抵抗もなく落ち、そして何もない平らな大地に体を派手に落とすと土煙を上げ、それからうつ伏せに倒れると血が円形に広がり始め、その血を大地が吸いながら、ガシュナは西の大門の方に霞む目を向け、弱々しく手を伸ばしながら
「く………そ…………ミル…………ナ」
そして手を力なく落とし、それきり動かなくなった。
ワイト中央病院地下室。ここは対爆シャッターやシェルターで護られているため、弱い人達を護るには打って付けの場所である。
この病院の施設はいざとなったら患者の全てを地下室に移動させ、そこで療養するという施策がとられている。当然地下ではそれなりの施設や機械が十分に用意されており、ベットの数も運べばそれなりに揃う。空気洗浄機もあり、隅々に渡るように工夫されているので悪い空気が流れることはなく換気がよくなされている。
しかし度重なる爆音や爆撃は微かに聞こえ、それに呼応するように電気で付いているランプが時々点滅し、彼方此方から呻き声が聞こえ、看護婦のような白い神官服を来た世話役が数人ベッドの合間を行き来して、見るからに重症っぽい包帯ぐるぐる巻きの患者の包帯を換えたりしている。
場所によっては血と薬品が交わる匂いがするところもある。そして中には当然、負傷した兵士達がおり、痛そうに呻いていた。
「ミルナさん!! 205号室の患者さんの包帯を取り替えてきて!」
「ハイ! 急いでいきます!!」
そしてこういうときこそミルナの開眼の能力、非戦闘用の治癒能力が真価を発揮するのだ。
彼女の開眼状態で傷口に手を当てれば、当てた傷の箇所の細胞が活性化し、軽い傷なら全治。重傷なら軽傷。骨折等などは骨の接続を強化し、重体患者は半分ほどまで治せるが今のところ重体患者は一人もいない。全員軽傷か重傷のどちらかで済んでいるのだ。
そしてミルナは急いで廊下を小走りで駆け抜け、急いで向かう。
それから、病室で常備されている包帯を持って個人の大きさに揃え、丁寧に速く消毒と巻き直しを済ませる。
そして一段落を済ませ、立ち去ろうとするとふいに袖を誰かに引っ張られ、足を止めて振り返ると包帯の巻き直しをした怪我人の隣のベットで寝ていたまだ9歳くらいの男の子が不安そうな眼差しでミルナを見ていた。
「お姉ちゃん……外は大丈夫かな?」
子供の純粋な問い掛け。親はおそらくシェルターの方で別避難しているのであろう。
それは安全だが一人になっている子供にとってはやはり寂しいものなのであろう。その気持ちが痛いほど分かるミルナはソッと子供の頭を抱き寄せ、安心感を与える。
「大丈夫、きっと終わるよ。だから信じようね。お姉さんも信じるから君も」
「………………うん」
少し安心したのか、子供は軽く微笑んでそう返事をした。
その声を聞いたミルナは両肩に手を置いて『じゃ、また来るからね』と約束し、病室を男の子に見送られながらその場を立ち去っていた。
しかし一番、この病院内では彼女が不安だった。
夫ガシュナに対する何かいい知れない胸騒ぎがさっきから起きているのだ。でも彼は心配されるのが何よりも嫌いである。それは昔も今も変わらない。
ミルナは足を止め、天井を見つめる。
天井の向こうは本病棟が建ち並んでいる。そこは初めて彼と喋った場所。彼が自分を知ろうとしてくれた場所。そして彼が――――告白してくれた大切な思い出の場所である。
――どうしたのガシュナ………一体何が……―――
遡るは三年前の自分が13の時の、ユキナが立ってから二年を過ぎたあの日。
その日に彼と永遠の契りを交わしたのだ。
“彼女の始まりは病院からだった”
私には親がいません。気が付いたら病院にいて怪我の治療を受けていました。
幸い怪我は軽く、一週間で完治するもので周りには当時血で包帯を染めた人達がたくさんいました。
私はそのあと両親が亡くなったことに信じるに信じられませんでした。
そして児童施設を兼ねた子供教育育成学園、通称『F・G』に送られ、そこで出会ったラルモと当時は表情が分からなかったアルティとすぐにお友達になり、言い方は悪いですが、親のいない寂しさをお互いに背負い合って生きていきました。
それから三年後。
その後伝説の英雄の娘と言われているユキナがF・Gに入学してきて、一緒のクラスになってみんな何かお金持ちの財閥のお嬢さんを見ているような目で緊張してましたが本人が後ろ頭に手を当てて掻きながら
「あちゃー、何だか怖がられている? ん? 可愛い子発見!!」
と、私に抱きついていきなり頬擦りしたことが今の彼女との関係の始まりです。
彼女は可愛くて、どこでもいるような女の子でした。彼女の第一目標は『身長を160まで伸ばす!』と意気揚々に言ってたことは今でも思い出せます。
それから、さらに約三年後。
ラルモ、アルティ、ユキナが開眼者になったということには正直驚きました。
だって私のお友達が眼の使い手になるなんて何だか神様に弄ばれている気がしませんか?
確かに羨ましかったです。でも何だか……他の人達は誇りに思えることだと言っていましたが、彼らは戦いを義務づけられた可哀想な感じがしたのは不思議でした。
でも全員、笑顔で『大丈夫だよ』と言ってくれました。
そしてそこで改めて知ります。当時学園内で唯一この三人が開眼者になる前に一人だけ、傭兵として大きな戦果を上げたとても若く、同年代の男の子がいるという話で初めてその子と喋ったそうです。
彼は、どうやらプライドが高く。何だか相手を拒絶するような言動が見られたそうです。
でもラルモやアルティ、そしてユキナにそれが通じるか逆に心配でした。
彼は、最年少で開眼を会得したいわば天才でした。頭も良く、当然運動能力も並外れており、普通で一般兵を大きく凌ぐほどの実力を持っていたそうです。
それに惹かれる生徒達はたくさんいましたが、彼の性格の非社交性から問題児の一人と見なされているのが大人達の意見でした。
そんな彼と私がどうやって出会ったか、それは三年前のあの日になるのです。
ある晩、夢を見た。
それは地面から光が漏れている場所で、彼女はポツンと一人、キョロキョロしながら歩いていた。そこはどこまで歩いても同じ光景が続き、最初は不思議で面白いなと思っていた彼女も、段々その場所が怖くなってきていた。
そして人の気配を感じ取り、振り返って見るとそこには自分より背が少し小さな女の子が立っていた。
そしてその女の子が自分だと理解するとその女の子が喋る直後に
『あなたはどう―――――』
「わぁあああああああ〜〜〜!!! ドッペルゲンガー〜〜!! 死ぬ〜〜〜!!!」
涙を流した表情で思いっきり逃げ、先日アルティに教えて貰った架空の怪物のことを知っているミルナは走りに走り、そして見事に五メートル先でズッ転けた。
いててっ、と顔に手を当てて体を起こすと目の前に足が見え、顔を上げると無表情の自分が自分を見下ろしていた。
『あなたは、どうありたい? 戦うか、護るか。」
「え? どういう……ことですか? あなたは誰……? でも戦うのは私向いてないしな〜」
『では、護る方の力を。確かにそちらの方があなたの性には合っている。これはあなたという存在を具象化した力、どうか忘れないように』
「あっ、ちょっとどこ行くの私のドッペルゲンガーさん! ここはあの世ですか!!?」
そして周りが黒い空間から白い空間に入れ替わっていくと、もうそこはベットの上で寝ている自分だということに気が付いた。
それから寝付けが悪かったので朝早くっていうのは少し危ないが、気分転換に外のお散歩に出かけていった。朝早く見る光景は普段見ている光景とひと味違い、わあ〜 と驚きながらまだ昇ってから刻が少ない太陽を見つめ、オレンジ色に染まる地平線を見ながらふと、ユキナを思い出し、何だか心配になるが気を取り直して戻ろうとしたときだった。
チュンチュンと芝生の上で鳥の鳴き声がした。
近寄ってみると羽が折れた小鳥が地面を這いずっており、動くこともままならないくらいの怪我を負っていた。おそらくは鷹などの天敵に襲われたのであろう。
ミルナは不安げにキョロキョロと辺りを見渡すがこんな早朝に人は折らず、しかし見逃せない状況で彼女はすごく狼狽えた。
「え〜と、どうしよう、どうしよう」
そして決意し、両手ですくい上げるように小鳥を拾い上げると怖がっているのか、純粋な瞳でミルナを見上げる。彼女は一瞬ビクッとなるが、その愛らしさに思わず顔が綻び、微笑むが急に小鳥はぐったりとして胸を軽く上下させ始めた。このままでは小鳥は死んでしまうのだ。
彼女は泣きそうだった。こんなに可愛いのに救えないなんて。
誰か、誰か……
その時だった。自分の中で何かが弾けたのは。
するとバシュンと放電が手に起き、思わずビックリして手を離してしまうと
バサバサバサバサッ
元気な羽ばたき音が聞こえ、見上げるとさっきまで死にかけてきた小鳥が元気よくまるで傷など無かったように遠くの空へと飛んでいってしまった。
彼女は何が起こったか分からず、何だか体が軽い気がするけど、とりあえずよかった〜、と自室に戻るために歩き出すと
「むむっ!?」
窓に映った自分の姿がいつもと違うことに気が付き、急いで波の掛かった波を手元にたぐって目の前に引き寄せた。
白く、輝く髪。
そして窓を見つめると目もプリズムのように様々な色合いを含んだ、大きな目が映り込んでおり、暫く彼女は思いっきりみんなが起き始める頃まで大いに驚き、そしてユキナの開眼会得前の話、外見的特徴からやっと自分が七人目の“開眼者”だと理解した。
『ミルナ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 開眼おめでとう!! グッジョブ!!!』
まず最初に祝いを言ってくれたのは現世で動いているユキナのメールだった。
ラルモが開眼してから約半年。これほどの速さで開眼者が増えるなんて、それが大人の意見、一方子供の意見では わあ〜すげえ! や 羨ましい〜 や『眼の使い手の女の子って可愛いよな』などの表面的な言動が目立っていた。
しかし彼女の開眼の能力はかなり異質だった。
通常、眼の使い手とは人智を超えた力を用い、人々を護るために戦う対怪物肉弾戦士なので戦闘に秀でた能力を持っていることが100%今までそうだったのに対し、彼女は治す、つまり治癒能力に秀でた言わば『サポート役』に徹した能力なのだ。
攻撃ができるわけでも無ければ防御ができるわけでもない。
飛光は当たるとダメージを与えるのではなく傷が回復する回復弾のようになっている。(実験対象はユキナに男なんだからやれと言われたラルモ)
そんな、何もかもが反対のような能力を持っていた彼女は廊下を歩いていた。
すると廊下に誰かが倒れていた。その人物は少年らしく、汗だくで背中から血が滲み出ていた。何故そうなっているのか、彼女は分からずパニックになり、慌てて他の生徒や先生達を呼ぶと案の定その人達も狼狽えて行動がおろそかになっていた。
「もしもし? 大丈夫ですか!?」
「うう…………くっ……」
ミルナはその少年の上体を一生懸命抱き起こして返事を求めるが帰ってきたのは苦痛で歪む表情と痛そうな呻き声。
どうしよう、どうしよう。無理に動かせば出血が激しくなって今よりも酷くなるかも知れない。かと言ってこのままだと何が起こるか分からない。
先生達は保健室ではなく病院の人達に来てもらうという方法をとり、保健室の先生も呼んで応急処置だけは済まそうと懸命な判断を執るが時間が足りない。
……この傷だったら私でも……
彼女は傷の具合をよく見て、小鳥の時を思い出し、そして生徒達の目を気にせず瞳と髪の色を一気に変えると両手を背中に押し当て、今度はポウッと身体全体を光らせるように少し水色掛かった光で包み込むとみるみる出血が止まり、みんなが驚いている中、傷口の具合をもう一度見る。まあ少し出ているがほぼ完治に近く、命に別状はなくなっていた。
そして今まで唸っていた少年は歪んだ顔を元に戻し、やがて目を開けた。
そこで目があった白い澄んだ髪をしている彼女は顔を覗き込みながら嬉しそうな笑顔で言った。
「よかった……! 治りました!」
それが彼との初めての出会いだった。