三十八月日 道化師(ピエロ)と魔術師 (タロット)
彼女は、物心が付いた直後に親を亡くした。
家は燃え上がり、親が燃え、血が目の前に広がっていた。トマトを地面に叩きつけたような、あの色。そして空を向けば鉛色とそれを照らす戦火の灯り。
そして今でも思い出す。あの臭い、あの触り心地。
彼女はボウッとしてただへたり込んでいた。親が死んだことを自覚したあの頃の彼女は本当に絶望に駆られていた。
そして思ってしまった。このまま一緒に燃えてしまおうと。
でも誰かがそうさせてくれなかった。いや、僅かに残っていた生きたいという願いを叶えてくれた人がいたのだ。その子は……その人は彼女の手を引いて一緒に逃げてくれた。彼女の意見など、事情も知らず、何も言わずに手を一生懸命引いて逃げてくれたのだ。
ありがとうと言いたかった…………でも彼女は、感情がその時なかった……
―――血の色……怖い……怖い……――――
手にへばり付いた自身の血が幼い頃の恐怖を掻き立て、思い出させてくる。
親を失った喪失感、そして側にあった火の存在。恐怖という鎖がアルティを締め上げ、巻き付いていく。
すると身体が突然後方に飛び――――ユニスの強烈な蹴りがアルティの胴体に入り、そのまま防御強化服を砕き割って思いっきり蹴っ飛ばしたのだ。
アルティは面白いように後ろにくの字に身体を曲げて吹き飛び、そして自身の作り上げた防壁に背中を打ち付けると顔を一瞬仰ぐように上空へ向ける。
「あ……ゴホ……」
叩きつけられた衝撃が服越しに伝わり、痛みで声を漏らすが、持ち上げた顔には続けて先程頬を抉った鉤爪が襲いかかって追撃を加えようとする。
相手に容赦という色合いは見られない。アルティは相手の残酷な笑みを浮かべた表情を感情のない眼で見つめながら背中にある防壁にコッと指でなぞるようにする。
そしてアルティに顔に爪が延び―――――鏡のように姿が映った空間が割れてその直後にアルティがユニスの背後に右手に左手を軽く添えた姿で出現する。
「なっ―――――!」
「〜〜幻の痛みは、やがて現実となる……嘘の空、これより敵の身体に交わる刃、それら出現の鼓動を謳歌する〜〜」
そして術名が告げられる。
『“一の陣 『夢刃』“』
呪文の詠唱のようにアルティは口ずさみ、コッ、とさらに右手の指をユニスの目の前の空間に押し当てると黒い帯のようなモノがユニスの背後から襲いかかり、囲むように包み込んで黒いドーム状の物体がそこにできあがる。
黒い空間にユニスは自身の体内で光る灯火で辺りを見渡す。
すると突然、自分を全方位に取り囲む刃の包囲陣が地面から生まれ、刃先が全て自分の方に向く。そして勢いよく刃がユニスの肉体に突き刺さろうとしたとき、余裕の笑みでクスッと笑い、
「バッカじゃないの? こんな幻覚、灼き付くせばいいのよ」
所詮相手の作った攻撃空間は容量が決まっている。
その容量の許容量を超えれば何も怖くはない。
ユニスはそう言い、翼を大きく開くとプラズマ現象をそこで引き起こし、黒い空間の代わりに赤い空間を入れ替えて虚空を浸食させていくと漆黒の空気に白いヒビが入り、そして弾けるように周りに飛び散り、元の光景が戻ってくる。そして五メートルほど離れた地点に空間の創造主を見つけ、そちらに顔を向ける。そしてすぐに少し驚いた表情になる。
アルティは眼を瞑ってユニスのいる位置に手を翳している。そしてその眼が開かれると右手の強化服の袖が落ちるのと同時に落ち着いた口調で
「〜〜〜動きを奪え、自由を奪え、行動を奪え、深淵の王の眼が、全てを蹂躙する〜〜〜」
再び詠唱が口から告げられ、そうはさせないとユニスはすぐに向かおうとするが僅かにアルティが言い終わるのが早かった。詠唱を言い終えたアルティの右手の二本指が振り向いてこちらに向かってくる鳥人に向けられる。
『“二の陣 『生縛の淵』“』
ユニスの足元にある地面に浮かび上がるさっきとは違う眼の形をした別の陣がアルティに呼応するように光りそしてその場から離れようとしたユニスの身体が突然停止する。
見ると光のヒモがユニスの身体を拘束しており、完全に動きを封じていた。
「くっ―――! また厄介なの使ってきたわね!」
身体が動きを停止しても首から上は動くようでのんびりした口調を捨て、自身の体を見下ろしてこの束縛を解こうと藻掻き始める。凄まじい力がヒモの結合部分をドンドン引き裂いていく。
アルティは少しだけ眼を細め、このままでは10秒ほどしか保たないと読むと急いで三つ目の“陣”を張る場所を探し、そしてここから約50メートルほどの地面に狙いを定めて瞳にまた別の、梵字が書かれた陣を瞳に映し込んで指定した場所に全く同じの陣を張る。これで合計三つ目の陣。
そして敵が束縛を解く音、ヒモを身体から消し飛ばす音が聞こえると瞬時に自分の目の前に紅蓮の羽が踊る。
それは肩を掠め、強化服を熱であっさりと焼き切ると肉が刃物のような羽で斬られ、アルティは痛そうな表情を僅かに浮かべると急いで空間移動で距離を取る。
幻覚も束縛も効かないならば次はと思い、両手を組み合わせた印をユニスに向ける。
だが食らっているばかりが虚名持と言う名にふさわしくはない。二度も受けているのだ。三度も食らう方がおかしいのだ。
「二度と食らわないわよ! 手間を何度も掛けさせてさァ!!」
面倒なのは嫌い、さっさと終わらせるべきだった、こんな娘は一撃で終わらせられる。
思わぬ敵の翻弄で時間を食ってしまったユニスにとって決まらない勝負は退屈で痛々しいものの何ものでもなく、その怒りに共鳴するように体中の鱗と羽が鮮やかなオレンジを纏っていたのを止め、全て灼熱の紅蓮色へと変貌を変える。
それは冷静であるはずのアルティの詠唱を中止させ、絶句させるのに十分だった。
灼熱の紅蓮は空間を溶かし、先程より大きな揺らめきを起こしてその場にいるだけで肌が灼けるような感覚が辺りを包み込む。
「あんた、私を怒らせるとろくな事ないわよ? 時間だけ掛けさせて、あんたは一体何がしたいの? あたしは帰って寝たいの。もう次はないわよ。」
怒り、赤、炎の色、自身の血。そして疼く嫌な考え。
ここで死んだらきっと誰にも見られることなく死んでいくんだろうな、そんな事を思いながら自分の嫌いな色で埋め尽くされた辺り一辺を紫色の瞳に映し込ませる。
実は既にアルティはユニスに決定打を打てる“最終手段”の準備は整っていた。
しかし敵の攻撃能力が予想を遙かに上回り、そのための時間がどうにも作れなかったのだ。 その最終手段は今この場所の周辺でしか行えず、空間転移で思いっきり離れて行う、ということはできずしかもそれは膨大な気を消費するためおそらくそれを使った途端、第二解放は自身の意思に反して解ける。
そして空間転移も無駄に終わる電撃もあと残り二回くらいしか使用できない。
絶体絶命、そんな言葉が今の状況に似合っていた。
そして、ユニスの炎を纏った飛天翔がアルティに突っ込んでくる。
アルティは顔の前で両手を交差して、防壁を作り上げて防御に徹するが焔の羽根はあっさりとその防壁をチーズでも切るかのようにサクッと割れ、そして刃の塊とも言える気力硬度を誇った羽根の塊が身体を通り過ぎる。
すると防御服が完全に粉砕し、私服が露わになって腕、お腹、胸、から血が滲み出て服を染める。
パラパラと無惨にも散った強化服がガラス細工のように地面に降り立つ中、それに混じって数滴の血が断続的に重力の支配に従って大地に降り立ち、落ちる間にさらに細かくなって地面に染みこませる。
―――………痛い、とても……痛い……―――
口では決して言わず、痛みで震える肩を手で押さえ、押さえている腕から血を滴らせて指先で地面に向かって落ちていく。このままでは紅蓮の刃に身は灼かれ、なぶり殺しにされるだけ。強すぎる。ここで理解してしまう、一人では無理だったんだ。
死の恐怖など、アルティは無いと否定したかった。しかしそう言い返せない。死の恐怖を打ち消すように、いつも側で戦ってくれていた少年の存在が恋しくなっていた。
でも、それをどこか否定したかった。たった一人が怖いなんて、認めたくなかった。
こうして戦場に一人で来たのだ。誰にも頼らず、一人の戦士として紅蓮の虚名持と戦っているのだ。一人で倒す。そしてみんなの力添えに。それこそが自身の背中を押す心意気。でも全身に刻み込まれた傷、火傷の痛み、血の色。それらが全て、自身の恐怖の鎖に繋がる。幼い頃体験した恐怖と共に、絶望感が湧き上がってくる。
―――体が、動かない…………―――
恐怖に寄る、体の硬直で振り向くこともままならず、背中で敵が来る気配を感じながらもその場から逃げることもできず、そして目の前の空間が血のような色に変貌したとき―――――本物の血が辺りに飛び散って血雨を大地に降り注がせた。
――私だけの道化師は、くるくると私の笑いを誘おうとする。でも私は笑ってあげなかった。困ったピエロさんは何度も笑わそうとしたが、私は笑ってあげなかった。そんなやり取りの連続の果て、ピエロさんは行ってしまった。私も振り返らずに行ってしまった。命の恩人に礼を言わず、煉獄の底を一人歩く私の姿は―――
私は、気が付けば両脇に炎上する家の真ん中で、ラルモに腕を引かれていた。
そしてその後、彼も同じく親を戦火で失ったと言った。でも彼は笑っていた。
そんな何も分かっていないような笑顔が、私は嫌いだった。
何でこの人は笑っていられるの? 自分達子供を大切にしてくれる世界で二人しかいない親を失ったというのに、この人は前向きで笑っていられるのだろうか……
でも、そんな笑顔こそが、ひょっとしたら私の拠り所だったかも知れない。
最初に失っていた。心というものの――――。
六年前、紅葉が木の枝に生い茂り、現世では『読書の秋』と呼ばれる季節になった。
ある日のこと、それは私が開眼をしてから何ヶ月でいつもどおりの日常を過ごしていた。
私はいつものように本を読んでいた。通り過ぎる友人との挨拶を交わしながら、いつもの静かな場所を求めて磨かれた廊下の上を移動しているときだった。
一人の少年が誰かと一緒に走っていた。
それは少女で綺麗な艶のある髪、大きな目と黒い瞳、そして小さく小柄な体。制服が少し、違和感を感じるくらい幼い様に見える少女であった。
一緒に走っているその少女は開眼したてに一緒にいて、即座にそのほんわかさと和やかさで私と打ち解けてすぐに友達になってくれた『ユキナ』と言う名前の少女であった。
そしてその後にもすぐ『ミルナ』という可愛い女の子とも友達となって、二人とも、私より背が低くて、今でもそうで今でも可愛い。
「おおっ! いたいたいたいた!! アルティ! アルティ!!」
いつもの騒がしい声、その声を発している少年、ラルモはいつも通りの元気な口調でいつも通りの軽い態度で私の前に立ち止まり、一緒に来ていたユキナも軽く息切れをして少し小さく肩で息をしている。どうやら二人で私に何か用があるらしい。
最初にラルモが口を開く。
「オレ! 開眼を会得したんだよ! 夜に自分の小さい頃の姿が出てきて、それで何かいきなり『試練を課す』とか偉そうに言ってきて、わけの分からん内に『君は合格だ』とかこれまた偉そうに言ってどっか消えて目が覚めたら――――なってました!!」
「…………………!」
これには最初私は驚いた。
でも二人とも私の顔を見てそんなに驚いているように見えなかったのか、二人ともご機嫌を伺うような顔で顔を見ていた。
確か私とガシュナ、ユキナ、そしてラルモを合わせれば四人。これは現時点で開眼を使える人だけなのでシバさんと博士は入らない。そこで本当かどうか気を探ってみる。…………確かに昨日と比べると、かなり気力は上昇している。本当のようだ。
「アルティアルティ〜〜これで四人……じゃなくて6人だね〜これって今までで一番多いんじゃない?」
嬉しそうな声でユキナが私のお腹に抱きついてくる。私はユキナの頭に手を乗せてその柔らかい黒髪を撫でる。触り心地が良くて、撫でるごとにえへへと笑うユキナがとても可愛い。
確かに史上初ではある。聞いた話では多くて五人だからだ。それが6人になるということは何か世界の変動が起きているんじゃないかと疑い、少し憂鬱な気持ちになる。するとラルモもユキナも会話を止め、ジーッと心配そうにこちらを見てきた。 どうやらこれは顔に出ているらしい。
「しゃっ! これでオレもアルティと同じ立場だ!! 見てろよアルティ!! お前より強くなって、護れるようにしてやっかんな!!」
ラルモの礼儀知らずが炸裂し、顔に指を差してくる。そしてどでかい声でいきなり御守り宣言である。
本当のこの人は羞恥心とか辨えがない。それ故にそのポシティブな姿勢に惹かれる人は男女問わず多い。そんな不思議な魅力を持った彼。私とは反対で対照的な性格と態度。こんなに違いがあるのに決して背反せず、彼はいつも私に構ってくる。
私はいつもどおり聞き流しユキナがラルモの肩を慌てて叩いて周りをキョロキョロとしながら
「ラルモ〜〜周りの人が見ているよ! ほらァ、そこの上級生『あいつ面白い下級生だな』なんて言って笑っているよ」
「ウケればよし!! ってかオレはマジで言ったんだけどな。」
そんな周りに流されず、自身の意志を貫いていく姿勢。
どんな事情かは知らないが、理は彼を戦士としての資質を与えたのだ。きっとこの性格から? この態度から? だとしたら彼はよほど好かれやすい性質なのかも知れない。
そんなわけないか……
私は開いていた本をパタンと閉じてポッケに仕舞い込んだ。こちらに走り寄ってくる足音が聞こえたからだ。足音は軽快にタタタタ…ッと走り、そして私の前を通り過ぎて
「ラルモーーーーーー!!!! 何恥ずかしいことを公衆面前で語っているワケーーー!?」
少女の凛々しく甲高い掛け声が響き、私の前を小さな影が通り過ぎるとドロップキックがラルモの脇腹に命中し、ぐらりとバランスを崩している中、蹴った反動で同年代とは思えない運動能力で綺麗に床の上で着地を決める。綺麗な腰まである髪がフワッと舞い、キチンと背中に沿うように垂れる。
そして床に平伏した今日なりたての新米眼の使い手を打ちのめした小さな少女はビシィ!と指を差してこう叫んだ。
「あんたって何で恥知らずなの!? 礼儀を知りなさい、礼儀を!!』
「いててっ……いきなりドロップはないよ〜イアル〜」
「ふん! 男がこんなか弱い女の子に負けるなんて! しかも眼の使い手でしょ!? 何であ ん た がなってるのよ〜〜!!!」
「いいじゃんか別に!! たくっ、お前と一緒にいるギバリが『語尾に『もんよ』って付けないといけない罰ゲームを受けてるんだ。悲しいもんよ』って見事な愚痴を零していたぞ!! あとリルも『イアルって時々人にきついよね〜』って言ってたぞ!!」
「なぬゥ!! あの二人ったら私に内緒で〜〜〜、ユキナ、アルティ、ちょっとこいつ借りていくからあとはよろしくね〜〜」
愚痴を漏らした相手がラルモなのは間違いだねあの二人は。
ラルモは秘密を隠すのがメチャクチャ下手だ。現にこうして恥知らずな言動が吐けるのだから。イアルは小さき体ながらも泣き叫ぶラルモの制服の襟を引っ張って引きずっていき、おそらくは三人に説教をしに出かけていったのだろう。
私とイアルは一年の頃からの友人である。そしてリルとも。
残された私達は今この場にいるのが二人だけだと分かると、私は図書館に行く予定だったことを思い出してユキナに自分が図書館に行くことを教えるとユキナは笑顔で『そういえばミルナも図書室にあとで行くから』って言ってたから付いていくよ』と言ってくれたので私達は図書室に行くことにした。
「何でアルティはいつもそんな顔してるの?」
「……そんな顔?」
「うん、いつも何かを考えているような顔立ちだからね〜〜 あ、当然可愛いよ」
歩いて二十ほどでユキナが唐突に私の表情について尋ねてきた。
私の顔はよく女子からは『何か神秘的』と言われ、男子からは『大人しい顔だよね?』と言われ、そして私に皮肉を言ってくる男子は『石みたい』と言ってきていた。
生まれつきこうだからだ……とは完全に言い切れない。
何故なら意図的にあまり表情は浮かべないようにしているからだ。別にキャラ保持とかそういうためではなく、ちょっとした約束を自分の中で立てていたからだ。それは、言ったらたぶん誰でも突っ込む言動であろう。
「……ありがとユキナ」
私は笑ってみせる。するとユキナはポーッと立ち止まって私の顔を見つめ、そして何だか照れたようにモジモジとする。この仕種も可愛い。
「……どうしたの? ユキナ?」
「え!? ……ああ〜何かさ〜〜、アルティが笑うと照れちゃうんだよね。普段あまり笑わないからその分何だか特別に感じて、すっごく可愛いから………………あ、あ、そういえば何でアルティは男子と付き合い苦手なの?」
「…………苦手ではないんだ……ただちょっと決まりがあって、それができたら上手くなると思うよ」
そう、私には決まりがある。
これを成し遂げねばたぶん男子達は私のことを石のような表情しか持っていないと思うだろう。現に私のお友達の子のさらにお友達が『君笑うらしいね。笑って見せて』と迫ってきたくらいなのだから私は相当、無愛想だと思われているであろう。
でもこれだけは護りたい。
「決まりってなあに?」
ユキナはラルモと違って誰かの秘密を聞くのが上手い。
その証拠に彼女は色々と知っている。あんパンを売っている売店はあのダクトに繋がっているや、園長の銅像の中には誰かのラブレターがぎっしり入っているやミルナの気になっている人のことを暴いたり(本人が押しに弱いというのがあるが)と、とにかく色々知っていた。
そしてその武器はその可愛い潤目を見せつけて魅了してくるところだ。
悪意のない、無意識の強制力。これを直視したら私でも簡単に吐いてしまうので視線を逸らしながら
「さっさといこ、ミルナが待ってるかも知れないから」
「あ〜〜話逸らした〜〜〜、ぶ〜〜」
悪態を付いたユキナはプンプンと可愛く頬を膨らませて怒り、話を逸らした私の背中に付いてくる。今呼んでいるお話風で言うなら『今は話せないのだよ、ユキナ』ってことになる。
…………やっぱ私自身が言うのは変か……ラルモだったら爆笑するだろうけど。
私が私に約束したこと、それは男子に見せる初めての笑顔の相手が“ラルモ”であるということだ。
ハッキリ言う。変な約束だ。自分でもわかっている。でも決めたんだ。
あの人は私を助けてくれた。だからこそ、そのお礼と笑顔を彼に言いたいのだ。
だがチャンスは無限にあったのに、どうも彼は空気を壊してくるのだ。このことを学園内では『エアーブレイカー』と言っているらしい。
因みに学校内で流行る言葉は毎年変わる。例えばフニフニして触り心地がいい人のことを『ムヨい』と言ったり
(これはユキナとミルナだと思う。イアルは撫でさせてくれないので触り心地は計測不可。使用例『ム、ムヨいぜミルナ!!』親指を立てて誇らしげにミルナの頭を撫でながら言うユキナ談)
何かしらの悪い前兆が起きると感じると『フラグ立ってる』と言ったりする。(これはさっきのラルモの悲劇に合う言葉である)
まあどちらにせよ誰が作ったか分からないこの造語はハッキリ言ってワケが分からない。
さて話を戻すが彼は、ラルモに礼を言うタイミングを彼自身がぶち壊しにするのだ。落ち着くという行動を知らないのか? そう思えるほどな元気っぷりでこれは一緒にどこか連れて行って言うべきなのかと考えたがそこまでするべきなのかという葛藤も内にはあった。
しかしそうでもして言えばよかったということは今後悔している。
結局大戦のこの日を迎えても私は最後まで言えなかった。せっかくラルモが自分から来て私のことを『家族だ』って言ってきてくれたのに私は言えなかった。
それからあっという間に日は過ぎ、全員で円陣を組んで各担当の門の守護に当たった時、彼は1回も振り返らずに行ってしまった。
これでもう二度会えなくなるかも知れないのに、私は任務を優先して行ってしまった。
途中でみんなの移動が楽になるようにとゲートを作って置いた。ちゃんと全員入ったかな?
ちゃんと生きて合おうと全員に約束した。
でも私は……どうやら最後の最後でやられるみたい、体中が灼けるように痛くて、嫌いな色をした私の血が体中を染めている。
兵士さん達は無事逃げ切れたかな? だったら私は――――。
背中に気配を感じる。灼熱の焔を纏った翼がアルティを切り刻んと迫り、死の刃が体を穿とうと迫ってくる。体は動かない。死ぬほどの怖さで目から熱い液体が出てくる。
私は礼も言えず、ただ死んでしまう。
ああきっと、私は、ただの頑固な女の子だったのか―――。
私は死ぬけど……せめてみんなは……明るい未来へ……私がいなくても……どうか元気で……
天国には本があるかもしれない……私はお話を読むのも好きだけど……書くのも実はやってみたかった……だからそこで書けるかも知れない。
こんな私に、みんな、ありがとね。
灼熱の温度が背中を熱し、迫る。
そして―――――背中に温かい液体がへばり付き顔にも少し掛かっており、私に攻撃は届かなかった。
すると遠い雷鳴のような音が聞こえた。私はゆっくりと振り向いた。
黄色いコートで、右目には星マークが付いている。そして笑顔。
いつも私に笑ってくれと頼むその人の姿は……
―――ピエロ――?
「よ、よぉアルティ……泣いてんのか? お前らしくないな全っ然!」
ユニスが驚愕の表情で炎を羽根を弾いた何ものかを睨みながら二人の向こうへと通り過ぎる。
アルティが恐る恐る自分のではない血の付いた顔を上げるとそこには背中にユニスの一撃を受け、血を滲ませながら護るようにアルティの背中を護っていたのは――――ラルモだった。
16キロも離れている北と南を体を気による強化でジェット機並のスピ−ドで急いで跳んできてここに駆けつけてきてくれたのだ。そこでユニスのトドメの一撃を二人の間に割り込んで入ってきて、ダメージの軽減は何とかできたがそれでも大きいらしく今にも倒れそうになっていた。
ピエロが助けに来てくれた。
「ほらほらどうしたァ!!? いつもの冷静なお前はどこへ消えた!? 泣くな泣くなオレが見たいのはお前の泣き顔じゃなくて笑顔だよ!」
涙を流しているアルティにラルモが優しく指で拭ってあげる。
アルティは首をブンブンと振って泣いてなんかいないと否定するが、どうやら助けられたのが二度だと自覚するとまた涙が出てくる。
自分のために、駆けつけてくれたのだ。この人は、私のために……
ある口伝には表情無き者には強い感情で刺激を与えるべしと言われている。
つまり本人が経験したことのない様な恐怖、悲しみを与えたのならば本人の心の堤防が壊れ、自然と感情が溢れ出すという意味である。
ピシッと胸の中で何かが壊れようとしていた。それが素直に生きたいと、もう一度あの感情が溢れ出してくる。
一方、攻撃をラルモに軽減され、しかもアルティに当てられなかったユニスは突然自分の邪魔をしてくれたこの少年に苛立ちを覚えていた。こっちは早く終わらせたいのに、次から次へと邪魔が入る。
「あんた誰よ? 眼の使い手…………?」
ここでふと違和感を覚える。
確かこの少年は北の方から僅かだが、感じ取っていた気である。そして北はタイアントが担当している地区。
まさかと思い、急いで探索能力を開くとタイアントの気力はゼロ。
そして自分の攻撃の身代わりとなった少年に顔をやり、驚愕する。
この少年がタイアントを倒してしまったのだ。信じがたいが、どうやら少年から感じられる気にタイアントの気の名残が感じられる。しかもこの少年、自分の攻撃を受ける以前にあまり傷を負っていなかったことからある程度の実力が伺えた。
「……あんた、タイアントを倒したのね?」
「ああ、お前も虚名持みてえだな。アルティに散々痛い目に遭わせたみたいだな?」
背中が激痛で覆われながらも、ラルモは決して顔を歪めず、平然とユニスとの会話の受け答えをする。そしてアルティの少しずれた三角帽子を手で直してからポンと叩き、アルティはそれに反応して振り向く。
ラルモはいつも通り笑っていた。アルティはその表情を見ながら、手を貸してもらって立ち上がると涙を手で拭い、同じようにユニスと対峙してラルモに静かに尋ねる。
「ラルモ…………相手を何秒足止めできる?」
「さあな、オレの第二解放は一分切ってるから長くて三十秒じゃん」
「……十分。お願いできる?」
「あったぼうよ! おおっ初めてアルティに頼りにされた!! 行くぞアルティ!!」
「……ええ………行くよラルモ」
「何二人でコソコソしてるのよ!!! あたしの怒り、頂点に達したからね!!!」
ラルモが飛び出す。アルティは手を組んで印を結び、詠唱を始める。
ユニスは怒りで染まった鳳凰の如く轟音が起き立つほどの羽ばたきで先陣を切り出してきたラルモに向かって突っ込んでくる。アルティの力では自分を倒せないという確信とタイアントを倒したというこの少年の方が危険だと判断したからである。なのでアルティの行動の全てが無駄だと分かり切っているので今は無視している。
ラルモはユニスが突っ込んでくる最中、少しだけ羽根に触れ、そしてギリギリで横に転がって回避する。
そして何がしたいのか、体勢を立て直すと即座にユニスが飛んでいった方向とは左に直角で動き、逃げるように走り去る。ユニスは一度翻してまたラルモの方に炎の揺らめきの如く空間を歪めながら突き進んでいく。
そして追いつく。ラルモは一瞬の判断で避けようとするが脚の鉤爪で肩を引き裂かれ、同時に先程の背中の傷にも一撃を加えられ、体勢が崩れて倒れ込んでしまう。
「っ…………!!」
赤い血を撒き散らせ、不思議な光景を作りながら倒れ込むラルモにユニスは羽根と熱の渾身の一撃を繰り出そうと迫り、そして加えようとする最中、ラルモの笑みがユニスの目に届く。
「バーカ、食らいやがれ、オレ達二人の連携プレイを」
そう呟いた刹那、ラルモの触れた羽根が勢いよくユニスの体を横に弾き飛ばし、ユニスは何が起こったのか理解できず、鉤爪を虚空に引っ掛からせて急ブレーキを掛け、そして攻撃を受けたと思われる羽根の部分を見るとヒビが入り、勢いよく弾けてバラバラになってしまった。
「あの餓鬼……私の羽根をよくも……壊したわねェ〜〜〜!!!!!!!」
そう吠えるユニスは本当のトドメを刺そうと爆発的なスピードでラルモに突進を加える。これで終わりだ、そう思ったときに炎を纏った鉤爪がラルモの顔の前でギリギリピタッと止められた。何かが湧き起こるような胸騒ぎ。
そしてユニスは異変に気が付く。
宙を梵字が書かれた光の帯が幾つも駆け抜ける。……そして周辺の空気と気配が変わり、その場は暗く、広く、見える範囲全てが静けさに支配されて動きと音が遮断される。
「な、何なのよ………………!!」
突然の変わりようで慌てたユニスはプラズマの万物を一瞬で燃やす炎を空間に向かって放つが全くと言っていいほど何も起きず、むしろ吸い込まれるように跡形もなく消えていく。
こんなことができるのは……
そしてふと、下に広がる大地に目をやるとそこで不思議なモノを見る。
何かの大きな魔法陣のようなモノが四つ、東西南北に位置するように地面に浮き出ており、自分はその真ん中に位置しているのだと気が付く。
そして背後の気配に気が付き、振り向くと柴眼菫髪の魔術師が腕を横に突き出すようにしており、血がその腕を伝って指先に集まると大きな赤い雫を作り出し、
「あなたは終わった。ここが――――墓場よ」
そして指先から血の雫が落ちていった。