三十六月日 見たことのない素晴らしいモノ
銃声と爆発音と怪物達の雄叫びが混じり合って耳に届く無人の町中を人が三人走る。
三人はまだ十代半ばほどの若者で体には首まで覆うスーツ状の服を着ており、一人は背中に飾るように鉄の棒を背負っており、一人もそれより大きな鉄棒を背中に背負っている。
そしてもう一人はアタッシュケースのような黒い物体を片手にぶら下げて二人の後を追うように走っているが重いのか、少しヘトヘトになっていた。
「うう〜〜〜重い〜〜〜どっちか持ってよ〜〜」
「そんなに持ってくるあなたが悪いのよ! それにさっきの扉のおかげで普段より何十倍も東門に着けるじゃない! ファイト!」
「な、何だか強い殺気を………」
東門を目的地としているらしい三人は一人の掛け声で足を止め、立ち止まって門の方向へ顔を向ける。見上げると曇天が三人を見下ろしているが、今から向かう場所がどうもより黒く、濃く重い気配が静電気のようにピリピリと伝わってくるのだ。
こんな場所にあの二人はいるの?
三人は固唾を呑んで互いに見合わせるが、ここで逃げたらどうにもならないことは頭では分かっていたので一人が一度大きく深呼吸してから強い眼差しで『大丈夫』と伝え、
「行きましょ。先生一人じゃ辛いだろうから」
「おっし!」
「ハイ!」
そして三人はシバの許へ、ユキナの許へと急ぎ始めた。
北大門、町外二・五キロ地点。
そこでいきなり地面が吹き上げたかのように噴火し、辺りに土石流を撒き散らす。そして一時的に視界が悪くなるがその茶色い煙の中から背中向きで後方に大きく跳びだし、ズザザッ! と四つん這いになってブレーキを掛け、黒いスーツに黄色い頭という不似合いな少年が飛び出してきた。
少年は態勢を立て直して立ち上がり、ふう〜 と額の汗を拭って煙の方を見る。
するとその中から煙を引き裂いて弾丸のように飛び出してきた何かに気が付き、思いっきり真横にステップして回避するとさっき少年がいた場所に拳が打ち下ろされ、地面が派手にめくれ上がり、爆発音に似た地響きが辺りを揺らす。
少年は地響きが来ない場所まで避難し、ようやく自分に攻撃してきた茶色のコートを羽織っている人物と10メートルほど離れて対峙する。
「怖ぇえええ〜〜!! バカンバカン地面壊しやがって、あんためっちゃパワフルなお方だね。」
「………………」
ラルモがビビリにビビリまくっている様子とは対照的にタイアントは無口で黙ってふざけているようにしか見えないラルモを見据える。
そしていきなり右手の掌底を突き出して見せつけるようにするとそこから急激に紅い球が作り出され、轟音を伴って烈風で地面を抉りながらラルモに向かって真っ直ぐ延びる。
が、突如直撃する前に自分と敵対する少年に右手に吸い込まれるように線が消えて無くなってしまう。
「………………!!」
「アッチチ! やっぱ虚名持は線の質が桁違いだ。」
バカな、とタイアントは思った。
この少年はマールシャ戦での認識同期で自分達にとっては雑魚に等しいマールシャの解放状態でギタギタにされ、満身創痍になるほどのさらなる雑魚のハズ。
なのに易々とこの少年は自らの線を右手に吸収してしまったのだ。
何なんだ? こんな巫山戯た奴に自分の攻撃が効かない。
それよか確実にあたる攻撃ハズの攻撃が突然この少年の体に当たるや否や衝撃を吸収されたかのように勢いを無くし、あまつは何故か同じほどの衝撃を自分に返してくるのだ。この少年の能力はおそらく敵の攻撃を吸収し、それを返すもの。
一見無敵な能力のように見えても必ず弱点があるはずである。
その弱点は観察していて分かっている。
“同じ箇所にはもう吸収能力がないことだ”
ラルモが防いだ箇所は腕、手、胴体、肩。簡単に言えばほぼ前面の部分。
ラルモはこの部分で攻撃を受けた後、意図的に当たらないように体の角度を調整し、上手く弾いていた。
……巫山戯ている割りには腕は確かだ。そして気で固められたこの皮膚でも衝撃波は中に響く。だが動きは直線的で読むのは容易い。つまり、隙を突くことも―――
「「「オオオオオオオオオオオッォオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」」」
“容易い”
「なっ――――! なんて声だ――――!!」
何の前ぶれもなくタイアントは曇天の鉛の空に向かって口を大きく開け、常人が為しえないまるで近くで大砲を撃ったかのような轟音を喉の奥底から響かせると空気が文字通り震え、口を向けられた空の曇天が撃ち抜かれたかのように円を描いて晴れ渡る。
そして音圧が巨大なエネルギーとなって辺りに飛び交い、ラルモの鼓膜を刺激する。
そして地面が呼応するかのようにいきなり左右往生に揺れ始め、そこだけ大地震が起こっているかのような地響きが辺りを支配し始める。それは、二キロ先の城壁にも届き、兵士達を震え上がらせる。
そしてとうとう、地響きと音圧による挟み撃ちでラルモは耳を手で抑えながらペタンと座り込み、平衡感覚を奪い取られるとタイアントは自身の最強技を放つため、両掌底を胸の前に突き出して掲げる。
そして大気がさらに震えるのを感じさせると見た目は変わらないがさっきよりも威力を増した“閃”を放とうと身構え始める。
これを食らえば間違いなく奴でも受け切れはしない。
タイアントは表情を変えず、ペタンと座り込んでいるラルモに向かって己の最高の技を撃つ。残酷に赤みを増した閃は容赦なく辺りの大気を消し飛ばすように突き進み、そして殲滅すべき敵に直撃する。
直撃すると辺りが一瞬静寂を取り戻したような世界に戻り――――――――崩音を立てて爆発した。
「何だ? さっきの音は…………」
「方向からしてタイアントが閃を撃ったんだろう。撃つと言うことは割と苦戦を強いられているか、飽きて片づけたくなったか」
西大門から二キロ地点。
ガシュナは音の方向に顔を向けながら呟くとヨークスはその疑問に答えるように言葉を割り込ませる。
二人は――――今まさにぶつかり合いの途中で中断していた。
ガシュナの蒼い槍をヨークスがその矛先を掴んで止まっている。そんな状況だ。
だが二人は特にそんな状況を気にせず、ガシュナは顔を前に戻してヨークスを見ると
「まあ、後者の方だと思うけどね。でも君は安心するといい。僕は君に一切飽きを感じない。身のこなしも戦闘経験も実力も能力も全てが興味深い。君は良い観察対象だよ。」
「………………」
人を自分の好奇心でしか見てくれない眼差し、言動、態度。どこか、懐かしく腹が立ってくるこの視線。潰したくなる。
しかしこいつは確かに素手で槍を掴むほどの動体視力と実力を兼ね備えている。虚名持の名は伊達ではないということか……
そんな思いが、今のガシュナに渦巻き始める。
ガシュナがスッと、ヨークスの手元から槍の矛先を奪還しヨークスはそれに答えて一歩後ろに下がってすぐに反応できる距離を置く。
ガシュナは凍り付くような三白眼を向け、ヨークスは相変わらず余裕を帯びた目で見据える。
「おっと怖い顔だな。勘弁してくれよ。君みたいにそんな怖い顔な奴ほどよく弱いって――――」
言葉の続きが急に止まった。
ヨークスはジロリと目だけを動かして左頬を見下ろす。
すると赤い線が横に薄くピーッと引かれ、血が少し滲み出始める。それがやがて下に垂れ、口元まで来ると槍を横に神速に薙ぎ払ったガシュナが低い声で言う。
その姿は大海のよどみの如き露草色のロングコートを羽織り、波を宿らせた鋭槍を携え、体中に蒼い電撃を纏い、深い色の蒼き瞳でヨークスを睨んでいた。
第二解放。通常の第一解放では対等に渡り合えないと踏んだガシュナの判断である。
「貴様の好奇心とやらに便乗してやろう。但し、弱いと言う言動は撤回しろ。さもないと好奇心の他に恐怖心を植え付けることになるぞ」
「…………………はっ………」
ペロリと滴った血を舐め取るようにヨークスは舌を動かし、それから益々君に興味を持ったと言いた気な視線をガシュナに浴びせ、向けられた彼も獰猛な笑みを口元に浮かべて互いに凍り付かせる視線を浴びせた後、また激突していった。
「何だよ……さっきから人間が作った音じゃない音が飛び交ってるよ……」
「弱気になるな! 弱気になったらそこでお終いなんだぞ!? 気をもっとしっかり持て!」
銃を撃ち続け、射抜いて射抜いても無限に思われる怪物達の群れに兵士達は誰しもが心に言いしれぬ不安を持っていた。これは仕方のないことなのだが人間誰しもゴールが見えないレースや出口のないトンネルには臆するモノである。
しかも相手が人外のものならなおさらである。
飛び交う人間が作った兵器の爆発音と銃撃。それに刃向かう怪物達の唸り声。
空は水に墨を流したような雲で覆われた曇天。
「13年前だって乗り越えられた! 人間の力を奴らに見せつけるんだ!!」
兵士の一人が叫び、金色の空薬莢を近くに撒き散らしながら奮闘する中、それに刺激されて周辺にいた兵士も気を少し持ち直して攻撃に回る。
撃っても撃っても黒い津波は水でできているのと同様に、開けられた箇所は再生するように埋められ、城壁に徐々に漆黒の闇が近づいてきていた。
開始から一時間、怪物達が押し始めていた。
逃げちゃいけない、自分達より若い子が一体で数千体くらいの戦闘能力を誇る虚名持と戦っているんだから。
ここで逃げたら最低だ! 自分の子に会わせる顔がない。
きっとあの子達が活路を見いだしてくれる! それまでに持ち堪えるんだ!
それぞれの思いを銃撃の一発に込め、放つ兵士達は自分の誇りと恐怖を合い嚼ませ、押しつぶされそうになりながらも城壁の上から覗き込むスコープの十字線を怪物に合わせながらただひたすら撃つ。
撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。
そして漆黒の絨毯の最前線の怪物が城壁から残り50メートルの地点を切ったときだった。
スパッ!! ズサンッ!
斬り捨てる音と直後に灰になって地面に落ちる音。
兵士達のほとんどはその音に気が付かなかったが背後から黒い影が勢いよく数十人分城壁を飛び越えて地面に降り立ち、事情を知らない兵士達は驚き呆けて一時銃撃を中断してしまう。
現れた数十人の人は全身黒い光沢を放つスーツに覆われ、顔も全体を覆うマスクが填められ、暗視ゴーグルが両目に光っていて一見、あまり味方のようには見えない。
「あれは……強化服シリーズの兵士達か………!」
兵長がそう叫び、その顔は驚愕から嬉しそうな笑みに変わり始める。
トーマとストラスが開発に勤しんでいた対怪物用の常人装着用強化服。
それを身に纏った兵士達が一糸乱れぬ行動で城壁の下に整列し始める。
そしてリーダーらしい男が兵長に向かって急ぎ敬礼をし、他の兵士達も敬礼を済ませると五十メートル以内に入ってきた怪物達に向かって近接ナイフを携えての攻撃に転じ始める。
その力は圧倒的で木の葉のようにドンドン城壁に一番近い怪物達が次々と灰になっていく。
「助かった………………! 全員! 味方を狙わず奥の怪物達に照準を向けて発砲しろ!! 近接戦闘の兵士達に遅れを取るな!!!」
兵長の指示通り銃を構えた兵士達は手前ではなく奥の怪物を狙い、次々と断続的に寸分違わず打ち始め、前線で戦っている兵士達の負担を少しでも減らそうと奮闘し始める。
博士達の今日までの努力が無駄で終わらなかった、感謝しますぞ。
兵長は心の中で密かに、博士達に兵士の不安を取り除いてくれる切欠を作ってくれたことに感謝し、自身もライフルのスコープを覗き込んで一発、放っていく。
黒い煙が辺りの空間を支配し始め、中がまったく見えなくなる。
空の空いた雲はもう塞ぎきり、元の姿に戻っている。そしてパラパラと砂沫が空から降ってきて通常の人ならば咳き込んで目にも入って長くいられない空間に仕上がっていた。
そんな中、タイアントは両手から白い煙をもやもやと吐き出しながらも自然体に垂らし、自分が敵と見なした人物がちゃんと駆逐されたかどうか険しい表情で目を細めて見据え待つ。
まさか線の強化バージョン、ユニスのように4本に分けず一本に収縮した“閃”までもが防がれたら自分に残っている手は一つしかなくなる。 人間ごときが虚名持と張り合うのは冗談なようなものであるからだ。
自分は虚名持の中では一番弱い。だがそれでも虚名持なので眼の使い手よりは強いという自信はあった。
その煙が晴れるまでそうだった。
「あぶねっ……ッ……何つー技持ってんだ! 死ぬかと思った!!」
煙の中の陽気な声。その声が耳に届いたタイアントは驚愕の表情を浮かべて立ち尽くす。
やがて煙が晴れ、風で全てが持ち去られると閃を受けて尚立っている人物の姿が露わになる。そこには半分ほど掛けた薄い黄色の半透明状の盾があり、とうとう耐えられなくなったのか、バラバラとガラス細工のように崩れ去り、黄色いダイヤモンドダストを作り出す。
そして盾の向こうには掠ったのか額から血を頬に伝わらせているラルモが立っており、鬱陶しそうに腕で拭っているところであった。
「何だ? 今のは? 反応がもう少し遅ればめっちゃ危なかった。この盾が半分も持ってかれるなんて………」
いつもよりトーンを落とし、素直に目の前で起こった現実を目の当たりにして唖然とする。 彼自身もこの盾の防御力には自信がある。あれから修行したのだ、防御力は戦車の装甲以上にある、と彼は確信してるのだがそれが半分も持ち去られた日には少し自信をなくしてしまう。
タイアントは閃を受け、尚額から血を流している以外はほとんど支障のない少年に向かって表情を苦々しくし、奥歯を噛みしめ、下唇も嚼む。
そして、その表情は綻び、どこか嬉しそうな笑みに変わる。
「でももう! さっきの戦法と技は効かないぞ! 俺は一応、見たものにはある程度反応はできるようになってんだよ!」
ビシィ! と指を差して叫び、今度は片手にロングソードのような武具が手から直接精製されるように延びて手に納まる。そしてタイアントは綻んだ表情を見せつける。
その表情を見たラルモは途中で言葉を止め、片眉を少し上げての怪訝そうな表情で見据えると剣を握りしめ、何が来ても大丈夫なように構え始める。
そして、タイアントは顔の前に手を翳すように持ち上げ始める。
「……どうやら俺は……お前を見誤っていたらしいな…」
敵の攻撃の衝撃を吸収し、それを跳ね返す。
しかもいざとなればあの盾のようなもので防ぎ、あの武具でさらなる攻撃に転じてくる。長期戦なら確実に奴の方が上。敵の攻撃をそのまま返すなんて厄介な能力、初めから気付いて無駄な体力など消費するべきではなかった。
しかしそれとは別に、嬉しさみたいな感情も少し疼き始める。
すぐに買った物を使いたがるような感覚。それに大体近かった。
「お前のような奴なら、必要不要に解放して戦った方が有利に立てる。…………それに俺が解放して戦わなきゃ……他の連中も油断してしまうかもな。」
「…………………」
とうとう来るのか。ラルモはそう確信し、生唾を飲み込む。
今までのは単なる前振り。自分が死ぬとなったらこの瞬間の後から始まるであろう。
しかし相手が解放すると言うことは自分の力を認めた何よりの証拠。自分が有利に立つための解放。もう後には引けない。
剣を握った拳に力が掛かる。落ち着こう、相手をよく見ろ、まだまだ。
そう心に念じ、タイアントにとうとう真正面から見る決意をする。その目を見たタイアントは少しだけ感心の声を上げ、
「……いい目だ。これから見せる解放は……そこら凡百の名前持と訳が違う。」
覚悟が決まったラルモに賞賛の言葉を浴びせ、ドンドンドンドン気を上昇させていくタイアントはただただ嬉しそうにそう言う。
「そしてこれがもう一つの名。虚名持と言われているが故の理由だ。……よく耳に刻んどけ」
そして大気が暴れ始める。
とうとう来た。初めて見る虚名持の解放。これが終わったら果たして自分は生き残っているのだろう。数々の眼の使い手を討ち滅ぼしてきたと言われている虚名持に自分は勝てるのだろうか。
いや、今は考えるのは止そう。これが終わったらアルティを、みんなを助けに行こう。
「封力解除、震えろ『鎧霊玄亀』
玄武、伝説の四獣神の名前がラルモの耳に届くと辺りの空気が異様に重くなる。
そしてラルモの世界が暗くなっていく。
正確に言えばラルモに他の巨大な影が覆っていったのだ。
ラルモは目を見開いてその徐々に大きくなっていく影の頂上を目で追いながら順々に高さを上げていく。
それは、10メートルはくだらない巨大な黒い亀。
四つん這いで大地の上に降り立ち、大きな目、攻撃的かつシャープで恐ろしい顔、怪獣と言う言葉が何よりも似合っていた。
背中の甲羅はまるで成層火山のように盛り上がっており、もくもくと黒煙を上げて空に打ち上げている。そしてその巨体に見合った強大な気。
「こ…………これが虚名持の解放状態…………で、デケェ……」
全身から汗が噴き出すのを感じ、ラルモは完全に呆気に取られ、蛇に睨まれたカエルの如くその場から動くこともままならなかった。
確かにケタが外れている。しかもこんなにバカでかくなるなんて。
そう思うと逆に笑えてくる。一体どうしろと。でかければ良いなんて反則だぞ。持っている剣がただの棒きれに見える。
『ふぅ〜〜〜〜…………どうだ……これが俺の真の姿だ………あまり動けないのが厄介だが充分だ…………行くぞ』
地を這うような低い声をラルモに向けて放ってくる。
敵は一切の容赦はしてこない。戦場はそう言う場所だ。
ラルモは大きく息を吸い込み、額から流れ出る血と汗をもう一度腕で拭ったあと、両手で握り始める。相手にこんな剣は通用しない。
せめて亀なのだから打撃の方が有効のハズだ。ならばハンマーに武具を作り直して攻撃すればいい。
しかしそれにはどちらにせよ近づかなくてはならない。
相手は亀=鈍い。
そんな世界の常識に入っているような連中ではないことは承知済みだがそれでも行くしかない。
ラルモは剣を携え――――飛び出した。
そして期待通り、亀なので全体的な動きは鈍い。距離をドンドン縮めていくと不思議とこれは行けるんじゃないかという期待が胸に宿り始める。
理由は相手は動かず、ジーッとこちらを見ているだけなのだ。ただ見下ろして見ているだけ。
相手がどんなに素早く動こうともラルモはしっかりと解放状態の亀の化け物になっているタイアントを見ているので避けようと思えば避けられる。
ダメージが小さくとも先制は掛けられる。そう考え、手の長剣をスライム状に一旦戻し、巨大な槌を一瞬で作り上げるとそれを横に携えて突っ込んでいく。
ふと辺りが夜のように暗くなっているのに気が付いたのもその時だった。
そこで見てしまった。タイアントの背中から出る煙の行き先を。
煙はどこまでも黒く、空に上がっていき、終点は――――同じ曇天の雲。
よく天気が凄く悪い日に見るいかがわしいあの雲。
そして上空で自分達を見下ろしている雲が内部放電を起こし始めた最中、タイアントは口元少し上げて凶悪な笑みを浮かべる。それが何を意味するかは、すぐ後に起こった。
『間に合わない……光の速さを防げるものなど、この世には存在しない。』
タイアントが言い終えるのと辺りの暗い世界が一瞬で明るい、目を開けていられないような世界に切り替わり始め、そして自身の動きが体中に流れる衝撃と共に地面に倒れ伏す。
雷がラルモに直撃したのだ。
全身に刺すような痛みと取れない痺れ。常人に耐えきれるはずもない雷撃をいくら体を強化しても効くものは効く。口から血を吐き出し、地面を少し赤く濡らし始める。
一撃、一撃で倒れてしまったのだ。
完全に見当違いの方向からの攻撃。タイアントの言うとおり、武具変換に少々時間が掛かるラルモにとってこの攻撃は厄介極まりない。
あの背中から噴き出していた煙は、雷を誘発するものだったのだ。
しかも自分の意思で狙い通り撃てるものらしい。
『どうだ……直に味わう自然の力は。お前の能力は確かに厄介だ、だが今の状態では動けはしない』
お前では俺には勝てない、そう言いたげな目でラルモを見下した後、空から他の雲を弾いて放電現象を尋常じゃない回数を起こしている暗雲の球体がゆっくりと姿を現してくる。
そしてその落下ポイントが地面に電流で縫いつけられたかのように動けなくなったラルモに定まり始める。おそらくあの中は気流と電流の嵐。食らえばただでは済まない。
急いでその場から回避しようと試みるが生憎腕も僅かにしか動かず、あしは完全に言うことを聞かなくなっていた。
“足が……動かねえ……ホントにやべェ……”
『さらばだ眼の使い手。お前は何も護れない。ただ負けを噛みしめるだけだ。短い……間だったな』
そして雷球が地面にゆっくりとラルモに落下する。
全てが暗く、全てがゆっくりと見える世界の中でラルモは首を少し上げてタイアントを仰ぐ。
死んだかも知れない。
可笑しくなりそうな激痛の中、ラルモは地面に拳を置いてそれから土を握りしめる。
何のために此処に来たのか、死にに来た訳ではないことは重々承知している。相手が強すぎたのだ。雷を操る亀に負けるなんて………だが少し引っ掛かる言葉が耳に残っていた。
それはタイアントが最後に吐いた台詞
“お前は何も護れない”
ブツン
――頭の中で、何かが弾けた――
『全っ然笑わん! 何であいつは表情の変化が乏しいんだ?』
一人の少年が悪態を付くように個室にたどり着き、ドアを開け、ベットにゴロリと寝転がって頭の後ろで腕を組んで天井を見つめる。
笑わないというのはいつも気に掛けている少女のこと。
女子には何度か見せ、自分や男子には決して見せない。
でも見てみたい。明日こそ、そう思い、眠りにつき始める。
昔の話だ。
ラルモは幼い頃、本当に幼い頃一人の少女と一緒に命からがら大戦を生き延びた。
しかしその少女は特に少年に礼を言わず、どちらも両親が亡くなったということで児童施設を兼ねたF・Gに送られ、そこで読み書きの知識と何が起こったのかを学んでいった。
少女は笑わなかった。まるで石のように、決して笑わなかった。
まるで大戦が喜怒哀楽を取り去ったように、少女から表情を奪ったのだ。
ラルモは懸命になって笑わそうとしたり、語り合おうとしたり、喋り合おうとした。
例え何も言わなくても、例え会話になっていなくても、ラルモは周りからからストーカーか? と言われても懸命に努力した。
すると自分は見なかったのだが、周りの友達が『あの子が笑ったよ』と伝えてくれたが周りに女子しかいないときにしか表情の変化が表れないということもそれから気が付いた。
だがそれからは自分の言ったおふざけ言葉にはちゃんと反応するようになり、反撃をしてくることが多くなった。それが何より嬉しかった。自分のおかげがどうか知らなかったがとにかく彼女は感情を取り戻したようなのだ。
それから、口数は少ないがそのキャラが立ってユキナやミルナ、イアルのようなお友達もでき、F・Gでその妖艶美な物静かな美しさが男子や女子に受け、友達も増えていった。
もちろん彼自身もかなり居る。いや、ほぼ全ての生徒が彼の友人と言っても過言ではない。
それでも彼女は、まだ自分に礼を言っていない。でもそれでもいい、彼女は幸せでいるのだ。それでも、笑顔が見てみたいのはどうも治まらない。きっとあの子が笑ったらさぞ可愛くて綺麗なんだろうな。
そう思ったのが最初。
でも見せてはくれない。分かってる。あれだけしつこくまとわりつけば嫌でも見せないのは。自分はどうもそう言うのが下手だ。何か空回りして気が付けば知らない場所、気が付けば黒こげ、気が付けばいない。
でも絶対俺、あの子のことが好きだ。
それだけは分かっていた。そしてその想いと同じく家族を亡くしたという親近感が親の居ない寂しさを紛らわせてくれていたのだろう。自分は自覚しているとおりバカだ。決して頭ではなく、そういう風に表現するのを考えないで居ることがバカなのだ。
だけどあの子に伝えられない。でも笑っているとこは見てみたい。
そうだ、もしこっちが笑っていたらあの子は笑ってくれるだろうか。
それからだ、あの子には笑顔でしかほとんど見せなくなったのは。向こうは仏頂面のお手本。こっちは笑顔のお手本。
大戦の時に手を引いて助けたのは偶然だけど、オレはあんたのことが好きだ。
でもあの子は女の子だ。友達はたくさんいるけど所詮オレと同じ独り身だ。誰かが護ってあげなくちゃいけない。
オレには分かる。付き合いが長いから。あの子は誰かに護って欲しいってことが。
もちろん、確実にそうじゃない。だって開眼の能力は向こうの方が強いことくらい知っている。でも物理的にそうじゃなくてこう、心と心の触れあい? ああ、何かくさいこと言ってんなオレ! 兎に角あの子は外見は石のように硬そうだけど中身はめちゃくちゃ脆い。
そしてあの子は一人で初めて戦っている。いつもは誰かと一緒にいるのに、一人で戦っているのだ。
でもあの子はみんなのためにたった一人で戦っているんだ。
孤独はあの子にとって一番辛いハズなんだ。だからオレが行かなくちゃ!
例え笑ってくれなくたって、一生見ることが無くたって、オレはあの子を護りたい。
それを護れないだと!? 巫山戯るな!! あの黒亀野郎が!! ……まんまか……
…………いや、ちょい頭を冷やそう。相手は雷を使ってくる……雷……そうか!!
待ってろアルティ!! 今から行くぜ!!!!
「ふざけんじゃねえぞ……お前、オレに向かって何も護れないって……?」
雷球が頭上に僅か三メートル、近くで痛いほどの耳障りな轟音が聞こえる中、両手を地面に付き、ゆっくりと立ち上がる。まだ体に電気が残っているらしくそれが神経を侵して感覚が見え隠れするがそれでもしっかりと立ち上がった。
そして顔を仰ぎ、タイアントを見上げる。その顔には笑顔はなく、睨み付けた、戦士としての顔立ち。その眼差しにタイアントは ふむ と呟き
『雷の一撃を受け尚立つか……だが遅い、お前のその足では逃げ場はない』
「ぜーんぜん………逃げる必要なんて……ねえし……むしろ動く方が間違ってるし」
吹っ切れたように言うラルモにタイアントは目を細め、そして別れを告げるように閉じると―――雷球が辺りを包んでいった。
『終わったか、解放状態ならこうもあっさり………他愛もなかったな……」
雷球を放ち終え、見下ろしたその先には何もなかった。正確に言えば音もなく、ゆっくりとそこに何かがあったのを消していった後のような大きな穴が地下深く抉られており、空が暗いのもあるが底がまったく見えなかった。
それでもあの少年は終わった。
タイアントはそう確信し、この解放状態であの城壁と門を壊してあの方に尽くそうとゆっくり、体の向きを門の方に変えようとしたときだった。
湧き上がる何者かの気が耳を劈く。
まさか、これは………
「やっぱ早くなるべきだったか? 『第二解放』。でもこれすっげえ時間が短いからぱっぱとやらねえと」
気の所在地は先程の大穴の底、声もそこからする。
バカな、あの傷からどうやって。その答えが穴の底から飛び出してくる。
線香花火のようにパチパチと火花を上げる稲妻が体中を散っている。
黄色い山吹色のコートが風を孕んで靡く。そして目の前に、タイアントの前に降りたって見上げた顔の右目の方には星マークがへばり付くように浮き出ており、まるで『道化師』のような風貌になっていた。
「亀!! 今度はお前がオレの話を聞け!!」
ラルモが叫ぶと思わずタイアントはビクッと震える。
何だこいつは? あの窮地からどうやって? しかもさっきまでの傷が嘘のように消えてやがる……
だがそんな疑問に答えず、ラルモは口に付いている自身の血をコートで拭き取ってから続ける。
「ヒーローっつうのはな! 鉄則があるんだよ! 一つ、三分間しか戦えない。二つ、凄い力を持っている。そして三つ目は――――――」
人差し指を顔の横に置き、いつもの笑顔で静かに答えた。
「誰かを、護れることだ」