三十四月日 神との対峙
大戦の始まる二日前。一本の電話が海洞家に鳴り響いた。
今の時間は七時。この時間に掛けてくるのはいったい誰なのか。それを疑問に護熾が家族を代表してどうせ保険や新聞の勧誘だろうと思い、軽い気持ちで受話器を取って耳に当てたときだった。
『ザー ザー ザザー ザーーザ ザー』
「? 何じゃこりゃ。砂嵐が受話器の中で起こってやがる」
まるでテレビで見るような独特の電子音の嵐が受話器の音を聞き取る部分から派手に聞こえ、耳障りの物であった。護熾はいたずら電話かと思い、もし掛け主が出てきたら罵声でも食らわせてやろうかと思い、耳を当ててさあ一体どこの馬の骨だと待ちかまえていると
『ザー ご ザザー ザー おき? ごおき? 護熾聞こえる?」
「ああ、聞こえるって――――この声まさか、ユキナ!?」
「そうだよ!! やった! まだ繋がれるんだ!!」
電話越しから聞こえる聞いたことのある声、明るく元気な声。
護熾も相手がユキナだと理解するとその表情がみるみる嬉し楽しの驚きを混ぜたような笑顔になり、思わず受話器のコードを切りそうになる。因みに護熾は携帯を持っていない。理由は家計を圧迫するのと本人があまり機械が好きでないからである。(電子レンジとコンロは別)
「ホントに? ホントにユキナなのか!?」
「そうだよ、そうだよ護熾うぅ〜〜〜〜〜ぐすんっ、よかった、よかったまた会えずびびびびびィ!!!」
「感動しすぎて泣くなよ。鼻かめ、きちゃない」
「ずびびびびびびい!!!! ……………ごめんね。嬉しくて。それに何だか照れちゃう」
「……お、おぅ。…………あ〜と何から話せばいいんだ?」
あの日イアルと共に現世を去ってから三日。
二度と声も姿も確認できないと思われていた矢先にこのような出来事で互いに喜びと最愛の相手と声を交える嬉しさに二人とも最初はどこか照れを隠せずに頬を朱に染めて護熾はポリポリと頬を指でなぞり、ユキナは えへへ と照れ笑いを浮かべてもじもじとしているばかりであった。
そして会話開始から一分、最初に切り出したのは護熾であった。
「そっちは、どうなってる? そっちの世界の住民達は避難の準備はできてるのか?」
「うん、避難シェルターがいくつも設けられているから他の町のみんなもそこに避難できるよ。むしろ余りすぎるくらい」
「そうか。お前の母ちゃんもそこに行くんだな。」
「たぶん………そういえばそっちのみんなはどうしてる?」
「ああ、お前とイアルがいなくなって活気が無くなってる。教室がメチャクチャ入りづらいぞ」
具体的な入りにくさはまず男子達の目の保養であったチビキャラのユキナとお姉さんキャラのイアルがいなくなり、何かこう精力的な何かを吸い取られたみたいにヘナヘナになっており、女子の場合は妹のようにかわいがっていたユキナがいなくなり、気が合い、頼れる友達としていたイアルがいなくなったことにより、まるで病気にでも掛かったような、簡単に纏めてしまえば全員片思いをしていた誰かに振られたみたいな元気のなさになっているという。
そして海洞家。一樹と絵里は当然泣きじゃくって護熾が慰めに入り、武も泣きそうになったということを伝えた。
「何だかみんなに悪いな〜 急だったからね。」
「まあでも安心しろ。そのうち回復はするだろうから」
まああの中でダメージが深刻なのは木村だけどな そう思ったが口には出さずユキナに眼の使い手達は、イアル達は、と全員の安否と近況を訪ねると
「え〜とね。ガシュナとミルナはミルナが休暇を取っているから二人とも一日中そばにいるね。ラルモは相変わらずアルティにアタックしてアルティは好きな本を読み終えようとしているしイアルは何だか気合いをいれて鍛錬に取り組んでいるみたい。シバさんも鍛錬だよ。博士達は もうすこしで完成だ とか何とか難しい構造をしたスーツを作ってた。 あ、もちろんうちのお母さん元気だよ」
「そうか、みんな元気でいるのか。」
「そっちだってみんな元気じゃん」
互いの世界の人達は元気にやっている。そのことだけで二人は安心した。互いの世界は互いで護る。そう約束したからだ。二人は笑い声で相手の存在を感じ取り、目には見えなくともしっかりと相手を見た。
だが、終わりが来る。
突如ガガガガ!! ガー と雑音が入り乱れ始め、護熾は表情を一変して
「おい! ユキナ! 聞こえるか!?」
「ガー あ、もう時間 ガガー 来ちゃったみたいだね。護熾、相手はどうやら ガー 理を持ち出したみたい ガガー だから、この世界との繋がりが薄れて ガガガ! もう絶対会えないって博士が ガガ 」
「理が? 持ち出されて? 」
理とは世界の秩序を担っているのと同時に世界と世界を繋ぐ橋のような役割を果たしている。ユキナの話によるとその理が在るべき場所から動いたことで橋の役割が失われ、こうして電波障害が起き、最後には音信不通になるという。
だからこそ、これが最後のチャンスであったのだ。 最愛の人と声を交える最後の機会。
するとユキナはハッキリと聞こえるよう、最後のチャンスとして電波の送信の安定化、さらには電力の出力を上げて電波を強くし、一時的に雑音が入らない状態にする。
持って一分、これが二人が話せる時間。
「護熾、私が置いていった手紙があるでしょ? あの手紙の通り、私を忘れないで。例え忘れても、そばにずっといるからさ」
「お前だって、俺を忘れるなよ。死んでも、一生お前の側にいるからさ」
「うん――うん、でも私、死ぬんだったら護熾のそばがいい。お母さんでも友達でもなくて――護熾のそばで死にたい」
「バカなことは言うな。お前は生きる。絶対生きてまた俺と喋ろうぜ。で、会ったらまた飯を食わしてやるよ。」
ユキナが涙を流しながら話すのを護熾は目頭が熱くなるのを感じながら言う。ユキナは懸命に頷いて喋り続ける。
「うん、うん。 それでさ護熾……もし二人でまた会えたらさ――――結婚しよ。二人で結婚しよう、護熾」
「ああ、ああ。しよう。絶対しようぜ。だから絶対……」
「うん、護熾、大好き」
「ユキナ……俺も」
最後の瞬間は、二人は同時に察していた。
愛してる。
二人同時にそう言って、二人の間を雑音が引き裂いた。
護熾は静かに受話器を置き、ユキナはもう繋がらない携帯の電源を切った。
もう二度と会えない、それでも二人は確かに繋がっていた。
それでも切ないと思うのは―――二人を冒涜していることになるのだろうか。
誰もいないビルの建ち並んだ街中で激しく轟音が鳴り響き、次々とビルが倒壊していって下の建物を押しつぶしていく。
蒼い結晶がその降ってくる瓦礫を真っ二つに切り裂き、戦いに埋没していく。
護熾はゼロアスの追跡を逃れるため、わざと下の方に身体を急がせ、倒壊していったビルの砂煙に滑り込ませていく。そして思惑通り、ゼロアスは立ち止まって護熾の入っていった瓦礫の山が築かれている砂煙に目をくれてやり、それから凶悪な笑みを零すと
「そんなんで俺から逃げられると思ってんのか!! てめぇは!?」
砂煙に向かって吠え、それから弾丸のように身体を砂煙の中に突っ込ませていき、それから約十秒後、上空に向かって砂煙を撒き散らしながら護熾が飛び出し、そのあとゼロアスが追っていく光景が見えた。
どうやら簡単に見つかってしまったようである。
「逃げても無駄だ! 海洞 護熾!! てめえが何を企んでるかは知らねえが、そんなコソコソと動いてても俺を倒せねえ! いや、真正面から行っても絶対にてめえは勝てねえ!」
「………………」
狂喜を含んだ声で吠え叫ぶゼロアスを護熾は逃げながらただ顔を向けていた。
その顔はまる何かを憐れむような表情で、または何かを探っているかのような感じでとにかく一切手出しはせずに逃げていた。
…………まだ、分からない。
その短い一言を心に浮かべて護熾はゼロアスの青い結晶で作られた爪を紙一重でかわしていく。
鉛色の空の曇天がワイトを覆い尽くすかのように上空に延びきっている。
ワイトは半径八キロもある大規模な町である。
千キロを一瞬で行き来できるアルティにとっては数歩前に歩くだけで済む距離である。なのでどの人よりも何十倍も早く移動できるのだがアルティは“少し”遅れてユニスの許へ来ていた。多少の準備に時間を掛けていたからだ。
それは、他の眼の使い手達を体力万全で送るため。
しかし命の気遣いは相手の侮辱に繋がるのでアルティ本人が行くのではなく、指定した場所に移動空間を作っておいたのだ。
それを最初に見つけたのは、
「これは、アルティの気だな。あいつわざわざ俺たちのために……」
北の大門に向かって走っていたラルモが見つけたのは道路上に設置されていた大きな両開きの扉であった。しかも既に扉は開かれており、中に渦巻くように紫色の渦がラルモにここに入るよう促してきていた。
おそらくはこれに入れば北の大門のすぐちかくに来れるはず。しかしこれに入るか入らないかは本人次第である。ラルモは入ろうかどうか一瞬迷ったが、アルティの移動速度を考えると彼女は既に戦闘を開始しているだろうなと思い、ならばもし早く自分が決着をつけて早く援護に迎えることができるなら……
そう考えるとラルモの頭には一つしか浮かばなかった。
またみんなと会って、笑おうぜ。 そして彼は扉の中に入っていった。
同じ頃、ガシュナも西の大門へ向かう途中、建物の屋上に奇妙な扉を見つけてそれが何なのかを知るためにその許へ行き、近くによって気を探ったあとこれはアルティの作り出した通路だと捉え、これに入ればすぐに戦場に向かうことができると理解していた。
しかし入ってしまえば自分が死ぬまでの時間が早まってしまうかも知れない。この戦いは絶対眼の使い手はただの怪我を許されていない。生き延びるか、それとも死ぬか、そのどちらかなのだ。
第二解放の力を持ってしても、怖く感じるか、
自嘲気味にそう笑ったガシュナはふと既に戦っていると思われる少年の姿を思い出す。そう考えると何故自分は躊躇っているのか、逆に腹が立ってくる。
「……あのモズクに遅れを取るわけにはいかない。待ってろミルナ、必ず生きて帰ってみせる」
そう言い、その扉に向かって駆け抜け始めた。
同刻。同じくユキナとシバも二キロ走った地点で無人の街中の歩道で構えている扉を見つけていた。最初は敵の攻撃かと思い、警戒していた二人だがすぐにこれはアルティの作り出した空間であると認識すると彼女が何をしてくれたかは容易に考えつくことができた。
「アルティ、わざわざ私達のために……」
「……ありがとなアルティ、使わせてもらうよ」
この先には生きて戻れる保証が他のどの戦場区域よりも不透明だということは分かっている。それは二つ理由がある。
一つはこの先はその者が待ちかまえていること。
二つめは……
「シバさん……大丈夫?」
「……あぁ、ちょっとアテられただけだ。…………久々だな、この感覚は。13年振りだ。」
いつの間にか大して走っていないのに汗だくになっていたシバにユキナが心配そうに声を掛ける。
扉越しにでも分かるその者の気。相手は一切殺意を向けていないはずである。しかしまるで既に自分の許へ来ることを知っているかのような“視線”が槍が身体に突き刺さるが如く、身体から力を射抜いて奪っているような感覚なのだ。
決して強いワケではない。だが例えるならば海のような巨大な存在が扉の向こうにいるかのようなのだ。
シバはユキナの方に顔を向けて微笑んで大丈夫だよと答える。そして同時に気付く。
彼女はこの気にアテられることなく平然としている。過去の自分達、そしてアスタでさせ、この気に平然と冷静を保っていられなかったのだ。そのハズなのに彼女は別段無理なんかもせずにいつもと同じような様子で自分を見ている。
もしかしたら或いは……
少しの期待が生まれたとき、シバは顔を扉に戻し、扉から流れ出る異質な気に対して心を硬くし、呼吸を整え、
「よし、行くぞユキナ。ここから先は互いに生きている保証がない。それでも、いいのか?」
「うん、ここで引き返したらみんなに悪いもん。シバさんだってそうでしょ?」
「…………さすがアスタとユリアさんの娘だな。覚悟上々、行くよ」
「ハイ!」
そして一歩踏み出して扉に近づく。一歩近づくごとに思い出のような走馬燈が頭に浮かんでくる。でも、もうそれを考えるのは止めよう。それが脆弱な弱い思いだから。
今から行くところは無情で残酷で、決して油断が許されない場 戦場。
みんな、さよなら。
それを最後に扉を潜り抜けていった。
南大門から一キロ時点。
互いに睨み合う中、ユニスは両眼の下の線を赤く光らせながらペロッと獲物を見つけたかのように唇を舐め、アルティはいつもの仏頂面で下手な動きなどをすればすぐに放てる態勢に入る。
敵が虚名持である以上、相手の能力も分からずに攻めるのは愚行の頂点。ならば先手を打って相手の能力の片鱗を垣間見せてもらおうと撃つ準備に入る。
そしてとうとうアルティは片手に溜めた電撃をユニスに放った。
電撃は遠くに響く雷鳴のような音を立てて真っ直ぐ、しかも速く突っ込んでいく。
そして――――異変は起きた。
「……………!」
電撃がユニスに直撃はしなかった。手前でバシュンと弾けるように飛び散ってしまったのだ。そしてその答えもすぐに見つかった。
ユニスの周りに何か、赤い球体が四つほど弧を描くように飛んでおり、ヒュンヒュンと風を切るような音を立てて惑星の巡回のような光景になっていた。
高エネルギーの気が凝縮されている……
それがアルティから見た感想でおそらくあれで電撃を防いだのであろう。つまりあの光球は自分の放った電撃よりも強い気が含まれている。
しかし問題はそこではない。問題なのは“あの光球”は一体何なのかである。
「早速攻撃ィ〜〜 でも防いじゃった〜。 あたしはね、自分で攻撃するのが面倒なの。 だ か ら この子達があなたの相手をしてあげてくれるよ。」
調子を崩さずのんびりとした声でユニスは“この子達”と呼んだ光球を眺めながら自分の周りを速度を変えたりしてアルティにそう言い、アルティは別段面白くもつまらなくもない表情で見据える。あくまで冷静で、これはまだ敵の能力の片鱗だ。そう言い聞かせるように佇む。
するとアルティのその冷静な態度を見たユニスは『ふ〜ん』と感心するような声を上げ、そして何を思ったのか、ゆっくりとした動作で右手を上空に突き出してきたのでアルティは警戒態勢を取ると
「あんたさぁ〜 わざわざ私にこの『躯護光』を出させたんだからさぁ〜 あんたも見せなさいよね。」
そしてユニスの周りを回転していた躯護光がピタッとまるで時を止められたかのように空中に停止し、そして急に膨らみを増大させるとその場の空気が振るえ始め、そして
「これがあたし達が撃つ“線”を超えた“閃”。受けきれるかしら〜?」
「!!」
キィイイイインと高い金属音を奏でながらユニスの躯護光から放たれる閃が4本、アルティに真っ直ぐ延びる。その死の閃光は空気を弾き飛ばしながら目標を殲滅すべく飛んでいき、アルティはその4本の閃を紫色の瞳に映し込ませた瞬間、核弾に似た爆発音が周囲に響いた。
「ふ〜ん、思ったよりやるようじゃない。」
自らが放った閃の着火地点を見ながらユニスはその濛々と黒煙を上げているの中を見るようにそう呟く。自分の単なる思い違いだった、そう言っているようにも聞こえる。
そして曇天の下で吹く風が黒煙を攫っていくように吹き、中が段々露わになっていく。
煙が薄れていくに連れ、黒ではない紫色の色が空間を染めていることに気が付く。
そして煙が完全に晴れたとき、そこには掌を自分の身体の前に突き出して前半を覆うように盾状のやや透明な紫色の防御壁がアルティを護るように精製されており、見事無傷で先程の閃×4から身を守っていた。
「大した防御力じゃない。どうやらあたしはあなたを弱く見過ぎていたのね〜 褒美としてさっきあたしの本当の名前を教えてあげるって言ったから教えてあげるね。」
別に知りたいなどと一言も言っていないアルティだがユニスは気にせず自分の本当の名を告げる。
「『ユニス・ティガ』 これがあたしの本当の名前。この名前を知っている敵はみ〜んなあたしに殺されたのよ〜 まぁほとんど誰かと戦っていないけどね。」
「……ユニス・ティガ……覚えとくわ。」
敵に名を名乗るのは悪いことではない。ただどちらかがその人物の名前を覚えているかに掛かっている。まあユニスは自分の名前など勝っても忘れるであろう、アルティはそんなことを思いながらも相手をどうしたら解放状態に追い込むことができるのかを模索しながら、この戦いにさらなる強き意志を込めて、身を投じていくことにした。
自分がこの場に立ち残るため、アルティは今度は両手に電撃を溜めていく。
「他の隊と司令部からの近況報告は? それと各大門からの状況は?」
「今のところ、特に変わりはありませんね。ガシュナさんはまだ身を引いててもよろしいかと……」
城壁の見張り台で周囲の状況を窺うガシュナに若干年上の若い兵士が報告をする。
ここは西の大門エリアの城壁の上で先程アルティの作った通路を通ってきたガシュナが到着してきたところである。
ここも城壁から見下ろせば黒い塊が薄く此処を囲むように広がっており、景色の向こうと視界の端は全て黒一色で満たされていた。
もしここに鳥が飛んで見下ろせば、蟻が気持ち悪いほど蠢いている図が見えることであろう。
城壁の上は兵士達が支給された重火器を用いて怪物達に狙いを定めずに撃ち、灰に帰していくが灰に変わるたびにその上を踏みしめて怪物達が押し寄せてくる。それの繰り返しであるが弾は無限に近いほど貯蔵され、今なお補給兵達がトラックなどで運んできてくれているので問題は兵士達の心身の消耗にあった。
これだけの数の敵に兵士達は綺麗に城壁の上からの射撃で休むことなく撃ち続けている。体力だってあと持って二時間かそこらが限度である。なので兵長や司令部は二時間を過ぎた辺りから交代を始め、体力の持続を図る作戦を立てている。
この作戦は東門を除く各門に伝えられ、そしてそれしかないなと返事が来ていた。
そして頼みの綱はガシュナ達眼の使い手である。
彼らさえ怪物の殲滅に手を貸してくれれば事は早く済むのは誰が考えてもそうなのだが、生憎ガシュナには“お客”が来ていた。
「………………貴様、伏せてろ。」
「え? 今なんと…………?」
ガシュナが何かに気が付いたように怪物達の大群の向こうの景色を険しい顔で睨み、突然何の唐突もなく話してくれた兵士に静かに低い口調で声を掛ける。
だが兵士は怪訝な顔でガシュナの顔ばかりを見ていたので時間に少し余裕があったのか、ガシュナは兵士の横で立ち上がると掌底を険しい表情を向けた景色に突き出し、一度瞼を閉じると髪が一瞬で蒼く艶のある髪に変わる。
そして再び開けられた瞼から覗いた瞳はこれまた澄んだ青で近くで見ていた兵士は一種の感動を覚えて思わず声を漏らしていた。
そして力を込めてバシュンと軽快な音を立てて蒼い飛光を放たれた。
すると放ってから僅か20メートルの地点で――――飛行が突然風船が割れるかのように爆発した。
爆発した飛光は突風と衝撃波を運び、兵士達の頭に容赦なく響き、怪物達もその轟音に驚いて足を止めて上空を仰いだ。
兵士と怪物達が不思議顔と驚愕の表情を浮かべて立っている中、ガシュナは忌々しそうに舌打ちをし、
「奴か………! どうやら西は奴が担当していたらしいな……」
そして兵士達が視線で答えを求める中、ガシュナはそれを意に介さず城壁の縁を蹴って空中に身を投げ出し、怪物達が作っている黒い絨毯の上のさらに上空を常人では為しえない速さで駆け抜け、あっという間に兵士達から見えなくなってしまった。
「やぁ、ようやく来てくれたんだね。君が近づいてきていたことは“匂い”で分かったよ。」
「…………貴様か、先程“線”をこちらに向かって放ってきたのは」
「単なる挨拶代わりだよ。まあ君が避けていればあそこの城壁は壊れてたかもね。」
西の大門から約二キロ地点の地上から20メートルほどの上空。
そこでガシュナを待ち伏せていたのは風で靡く白い光沢のある不思議な皮のようなものに翠のラインが入ったコートを羽織り、眼鏡のような装飾品を掛けているヨークスであった。
この会話からさっきガシュナが周りから見れば単に無鉄砲に撃った飛光が何故爆四散かという理由はこの二キロの地点からヨークスの放った線をガシュナが感じ取って相殺したに過ぎないということが分かった。
ただ二人にはそんな説明がいらないのは明白である。
「貴様の名は差し違いがなければヨークスと言う名だったな。」
「ご名答、よく覚えててくれたね。あ、因みに君の名は?」
「ガシュナ」
「ガシュナか、やっぱり何度も聞いた名だな。あ、気にしなくていい、単なる確認さ。では君の実力はある程度の報告から知っているからね。たぶん楽しめそうだから本当の名を言うよ。」
ガシュナと対面したときに『………………気に入らない目をしているね。ゼロアスが言ってなければ真っ先に君をバラバラにしているとこだけどね』と言ったヨークスから名が告げられる。
「『ヨークス・ドゥア』 よろしければ覚えていてくれガシュナ。」
「………さあな、覚える価値があるかどうかだな。」
「…………随分僕に強気なことを言うね。それじゃぁ――――」
静かなる殺意が段々露わになっていく。
空気が、大地が、軋みと悲鳴を上げるかのように震えに似た気力がガシュナに降り注ぐ。
それでもガシュナはニヤリと獰猛な笑みを浮かべて自分が食らうべき相手を睨み付けながら臨戦態勢に入り、そんな様子のガシュナを見据えながらヨークスは目で『いい顔だ』と伝えるかのようにし、
「前言ったみたいに、バラバラにして持ち帰ってしまおうか。」
「上等だ。――――いくぞ」
そしてガシュナは瞬時に右手から槍を精製すると神速でヨークスに飛び掛かっていった。
北エリア、北大門の城壁では兵士達があれは何だと不思議顔で口々に話していた。
何故なら兵士達の視線の先には黒い怪物達に紛れ、茶色のコートを羽織ったしかめっ面の大男が直立不動で立っており、特に何かをするわけでもなくただジーッと城壁の兵士達を瞳に映し込ませているだけだからであった。
そして司令部が『あれは虚名持だ。手を出したら殺されるぞ』と、兵士達に無駄な挑発を掛けさせないように注意を言い、兵士達は青ざめてもう一度茶色のコートを着ている大男に目をやる。
下唇を嚼んで何かを待っているかのようにしている大男はふと、ピクンと眉を少し動かして首を少し右の方に向ける。
周りで銃撃が怪物達を射抜こうと関係なく、周りで地面が弾丸で削られようとも動じず。
大男が向けた視線の先には何もないが視線はやがて上空を向き、そして頭がこれ以上上げられなくなると大男は何かを解釈したように身を翻してタタッと怪物達が侵攻している方向とはまったく逆に疾走し始め、応戦している兵士達は最後まで怪訝そうな顔で大男の背中が黒い絨毯で見えなくなるまで見送っていた。
大男は走り続けて約二キロ半、ようやく立ち止まってムッとした顔で視線の先の相手を睨み付ける。
それは兵士達にバレないよう、怪物達にバレないよう、唯一自分にだけバレるようにしてきたこの人物は一体何者なのか? わざわざ自分が一対一に仕向けることなく自ら仕向けてきたこの人物は一体何者なのか? そしてその人物が胸の前で腕を組み、それから口を開いて何か喋ろうとしてきたので、大男は少し身構えて言葉を待った。
「うおおおう! この前会った『ハース』よりは小さいけどあんた人間にしたら大きいね。あんたが虚名持で間違いないんだよな!? てか一度会ってるよね俺たち!?」
…………何だこの男は?
戦士にあるまじき軽率な態度、まるで周囲の状況を読めていないかのような、理解していないような陽気な口調。これが本当に眼の使い手なのか? 上空を跳んで誘導してきたところからそれは認めざる終えないが、この男強いのか?
様々な思いが大男の頭の中で流れるが、当の本人はまったく気にせずに さあて と言いながら静かに臨戦態勢に入り始め、ゆっくりと髪を黄色に染めていき、瞳も同じく鮮やかな山吹色に変えていく。
すると大男もそれなりの迎撃態勢に入り、やはり油断は禁物か と静かに呟きながら拳を作り、ファイティングポーズを取るとラルモから声が掛けられる。
「あんた! そう言えば名前なんて言うの?」
「…………タイアントだ、眼の使い手」
「オレの名前は眼の使い手じゃねえ! ラルモって言うんだ覚えとけ!」
するとタイアントが突然地面がめり込んで跳ね上がるくらいの速さでラルモに突っこみ、ラルモは目を丸くして驚愕するがタイアントからラルモの胴体に向かって繰り出された巨拳を両手で防ぐ。
すると不思議なことに繰り出した拳が何かゴム状の物でも殴ったかのように勢いを無くし、拳を止められたタイアントが今度は目を丸くすると途端、まるでパンチを返されたかのように拳が弾き飛ばされ、思わず蹈鞴を踏んで後ろに後退し、突然のことで何が起こったか理解できないタイアントは手を抑えてその元凶を睨み付け、睨み付けられたラルモは指を突き出すと
「舐めて掛かんな! オレだって立派な戦士だ! 覚悟してろよぉ!?」
怒った口調でそう叫んだ。
これで初めて、タイアントはようやく改めてこのラルモという男が自分の敵だと認識し、気を持って戦闘にあたろうと覚悟を決めた。
ユキナとシバは城壁に向かって疾走していた。
先に言っておくが各町には見えない防壁が張られているのを覚えているであろうか? この防壁は電磁バリアと別名呼ばれ、空中からの怪物の侵入を防いでいるものである。
そして13年前の大戦でこの防壁がいとも簡単に破られて町中に甚大な被害をもたらしたので今はさらに数段階強化されている。なのでこの防壁が空いている場所は特定の場所に限られてくる。
その場所は上空の特定の場所(今は閉じている)と大門に繋がる道路の最端の場所である。
大門の場合は簡単に言えば城壁の内側は防壁が張られているのである。つまり兵士達は撤退すれば普通の怪物からは攻撃を受けなくなるのである。
しかし城壁はこの防壁を作り出す装置が埋め込まれているため一つ破壊されるとその部分の防壁が破壊されてしまうのである。
シバとユキナは城壁が視界で段々大きくなっていくのを見るのと同時に異質の気に敏感に反応するようになっていた。それは軽い電気ショックのようなものでピリピリと強化服越しに身体に空気が打ち付けるように運んでくる。
「……? 随分静かだな。確かここにはG班からK班が担当しているはずだが……」
「………! シバさん! あれを見て!」
東門にも当然兵士達は城壁を護るために銃器を持って戦闘に臨んでいるはずなのである。
だが今の此処の場所はまるで深い森の奥のような静寂が支配していた。銃撃は爆撃の音も怪物達の吠え声や奇声も聞こえない。
まるで、水の奥底のような静けさ。
何が今ここで起こっているのか、二人は考えずとも身体が震えた。
でも行くしかない。そして二人は歩き出した。
人がいた。
全員城壁の見張り台や高台や、すぐ裏の補給車にも人がいた。
だが全員気を失っている。死んでいるわけではないが口からアワを吹いて横に倒れていた。
まるで何か見てはいけないモノを見てしまい、その結果がこうだと物語るように。
二人は逃げ出したくなるくらいの恐怖に駆られていた。近づけば近づくほどその気が大きくなり、二人の身体を蝕んでいく。
そして城壁を上がりきり、東門の向こう、町の外に目をやる。
そして見つける。触れずとも、何もせずとも兵士達を気絶させた張本人が。
まるで海が目の前に広がっているかのような感覚、そう呼べる存在が空中で静かに佇んでいる。
頭に長髪のような漆黒の龍尾を生やし、篭手を填め、凱甲と衣を纏い、顔は口から上が仮面で覆われている。
神との対峙、それが今の状況に似合う表現だった。
「ユキナ…………! 」
「シバさん……!」
現世で会った時はこんな感覚はなかった。
むしろそれを抑え込んで来ていたかのような。相手は一切合切何もしてきていないのだ。なのにこの気迫、圧力、尋常じゃない気配。
『漆黒の雨』 『太陽の陥落』 『空に海が在るが如く』 『全てを飲み込む恐怖の土砂崩れ』
言葉に無理矢理変換するならこう言うであろう。
ここに来てシバは全身が汗だくになり、ガックリと石造りの城壁の上に両手両膝をついて倒れ、頭を項垂れて激しく呼吸を乱してしまう。すぐにユキナが駆け寄って肩に手を置いて介抱する。
『13年前と変わらない』
この超気力、異質すぎて人間が平常心を保つ方が難しい。だからこそ兵士達は存在を見せつけられるだけで戦闘不能に追い込まれたのだ。
「………………」
勝てない、とそう悟ってしまう自分がいた。大の大人なのにそんな情けないことが第一に浮かぶなんて、情けない。シバは自嘲するように笑い、ユキナを見る。
一方ユキナは、ここへ来る前と同じように冷静でいた。何故か冷静でいられるのだ。
その理由は謎だがユキナはしっかりとその者を見据え、そして覚悟したように立ち上がってシバから手を離した。
「シバさん…………後のことは頼みます。私、行ってくる」
「…………!! 待つんだユキナ、いくら君でもこれは――――」
そしてユキナは振り向く、その顔には恐怖で強ばった顔でも悲しそうな顔でもなく、ただ、ただこの場に似合わない、気遣いを思わせるような―――花が咲いたような笑顔だった。
「シバさん、お母さんにどうか――――」
「ユキナ!! 待つんだ!! 」
シバが顔中汗だくになりながら懸命に叫んでも、ユキナは止まらなかった。
城壁の縁を蹴り、町外の空中へ身を投げ出した少女の背中に手を伸ばしても、届かなかった。いくら引きつけ役だとしても、いくらユキナが全眼の使い手の中で最速でも、敵わないと、そう悟ったのにそれを知ってかユキナは身を堕としていった。
その者はユキナがこちらに接近してくるのが分かると顔を僅かにそちらに向け、ニコッと口元を綻ばせるとゆっくりと胸の前に手を置いた。そして目の前の空間を薙ぐように腕を動かすと突如、その者の両脇の空間から墨汁を落としたような染みが広がり、それが空間を押し広げるようにすると溢れ出すように怪物達がユキナに真っ直ぐ飛び掛かり始めた。
その数は少ないが甘く見積もって五百体。
一人に対しては膨大な量の怪物達がユキナに迫る中、ユキナはゆっくりと瞼を閉じ、腰の刀の鯉口を切る。
彼女の脳裏に浮かんだのは、彼女にとっての最愛の少年だった。
「護熾、私は、此処にいるから……」
呟くようにそう言い、抜刀直後に朱と蒼の混じった斬撃が群れとなって上から襲いかかってくる怪物達を薙ぎ払う。そして疾火はその者に向かって真っ直ぐ飛び、襲いかかってくる怪物達を弾き飛ばしながらその者へ通じる道を造り出す。
ユキナは疾火の後を追うように空を蹴り上げ、真っ直ぐ飛びだしていく。
疾火はその者の横を通り過ぎていった。
怪物達は気を操る能力がないため弾き飛ばされるたびにどんどんどんどん地へ落ちていき、先に落ちていった怪物達は悔しげに、忌々しげに自分達の創造主に刃向かう人間の娘を仰ぎ、劈くような雄叫びを上げる。
と、そこで一匹の怪物が真っ二つに上から下まで斬られ、灰になって崩れた。
怪物の群れは吠え声を上げ、同胞を斬った人物を見る。
「……ユキナ、護熾、何で君たちは、こんなに辛い運命を背負っているんだ……」
憂い顔で佇む一人の男。その手には超高速震動ブレードが握られており、細かい震動が腕に伝わっている。
シバはその者がユキナのみに注意を向けたおかげで全体を覆うような呪縛はなくなり、こうして動けるようになっていた。しかし彼にとってはそれは問題ではない。
問題なのは自分がどれほど非力なのか、どうして自分達より若い世代の子が自分より辛いモノを背負っているかなのだ。
何もできない。
それが心を突くが今から手助けをしては、あの覚悟を仕切った笑顔を見せたユキナに申し訳が立たない。自分を護るためにその者と対峙していったユキナの気遣いが無駄になる。
ならば自分はほっておくと気絶してしまった兵士達を殺しかねないこの怪物の大群と戦おう。ならば此処にいる全ての怪物を倒してから、ユキナに加勢しよう。
様々な思いが駆けめぐる今の時間、シバはブレードを構えて、怪物の群れに突っ込んでいった。
「ようこそ、橙色の娘よ。私に何か用か?」
「私はユキナ、話がしたくてここに来たの。」
ユキナは紅碧鎖状之太刀を手からぶら下げて、その者と同じ高さの高度で五メートル離れた地点で対峙していた。その者は容赦なくユキナに自分が自然体で流している気を差し向けるが、顔色一つ変えないユキナに内心、感心していた。
それにこの人間の娘の話というのにも興味がある。
そう考えたその者は『話とは何だ?』と尋ねるとユキナはハッキリした声で言った。
「あなたが何故、『ツバサ』の許から離れたかを」