三十二月日 雪、この手をすり抜け――
「一週間切ったね。もうすぐか」
「めんどくさい~戦争なんてただ面倒なだけじゃない~?」
暗い空間の白い石でできた階段に二人の影があり、一人は立って、一人は座って互いに話し合っていた。
ヨークスとユニスは一週間後に起こる大戦に向けての感想をそれぞれ述べており、そしてふと、階段から誰かが下りてくるのが聞こえたのでそれに目をやるとタイアントとゼロアスがコートを靡かせながら一段一段下りてきていた。
「そちらの調子はいかがかい? タイアント、ゼロアス」
「あァ? この光景を見て調子を言われるのは心外だな先輩。今は気分が悪いぜ」
「いい光景じゃないかゼロアス」
「!! あんたか……」
ビクリと体を震わせ、階段の最上部に顔を向け、仰ぐとそこには鎧を纏った人物が満足そうにゼロアスの言った光景を見ていた。
その者はその光景を一瞥してからゼロアス達虚名持を見下ろし、仮面の下を覗いている口元を綻ばせて微笑みを見せると
「まさに世界の終焉を模っているようじゃないか」
ゼロアス達、そしてその者が見ている場所の階段の一番下の段。
そこには地面に通じるものがなく途中で切れており、白い絶壁が深く続いており、そして三十メートル下では影がたくさん、たくさん蠢いていた。
この広い空間の一番下、何万、何十万、何千万もの怪物が集結しており、それはまるで電車の混雑した光景に似ていた。
そしてそれぞれ呻き声や吠え声、雄叫びなどを開けて今か今かと多すぎて埋まってしまっている空間から抜け出るのを待っていた。
その者の言うとおり確かにこれだけの数だったら……
ゼロアスはそう思い、その光景をただひたすら眺めていた。
「………………ホントか?」
「えぇ、本当の話よ。 信じるも信じないのはあなたの勝手だけど、文字通り護熾の問題よ。」
「……それは、本番になってからじゃないと分かんねえけど、分かった。」
ユキナの話が済み、護熾は相当悩んだ。本当に、本当に相当悩んだ。
それ故に、やっと言葉が生まれてそう話すとユキナはコクンと頷いて即答し、護熾は表情を暗くしたがすぐに普段通りに戻り、一種の覚悟に近い誓いを心に刻む。
すると話し終えて安心したのか、ユキナは上半身を起こして体を起こし、壁に背中を付けるようにする。護熾は怪訝な顔をしながらも同じように起き、起きると同時にユキナは護熾の身体にその身を預けるように凭れ掛かった。ふわりと浮いた黒髪が護熾の頬を撫で、香水のような甘い香りが鼻腔を擽る。
ユキナが話し終えてから時計の針は既に12時を過ぎている。
このまま行けば護熾は意識を沈め、そして目覚めれば…………
「…………護熾、そんな悲しそうな顔はやめて」
ユキナが見上げた護熾の顔は確かにクヨクヨした彼にしては珍しい表情でどうやら心情が顔に浮き出てしまっていたらしい。呼びかけられた護熾はすぐに首をブンブンと振って誤魔化し、口を綻ばせた表情をユキナに見せるとユキナも笑顔でそれに応える。
「みんな、無事でいてくれって、向こうに戻ったら伝えてくれよ。」
「うん……護熾も……あなたもみんなも無事でいてよ?」
「あぁ、お前はお前の世界、俺はこの世界を護る。互いに当たり前のことだけどな。」
「そ、そういえば……護熾は……その…」
突然影が差すように元気のない声で、むしろ恥ずかしさを帯びた声で急にもじもじとし始めたユキナに護熾は不思議顔を向けているとさらに顔を赤くしたユキナは目を瞑りながら蚊の泣くような声で
「その……したい?」
「…………!!」
したい? この言葉の意味を解釈した途端、護熾はボンと顔を一気に赤くしてそれからガクガクと首を動かして見たときには既にユキナは纏っているジャンパーを脱ぎ終え、スカートも脱ぎ捨てて白い下着姿でいた。
チラチラとユキナは頬を朱に染めながら護熾の顔色を窺うかのように目をやり、そしてブルブルと小刻みに震えていた。当然寒がりの所為で余計寒くなったからである。
護熾はユキナのお誘い、ではなくそんな行動に呆れており、
「……ごほんっ、あのな、お前の彼氏彼女の関係のイメージってそれなのか? たくっ」
顔を赤くしながらも一度咳払いし、護熾は両手を伸ばして下着姿のユキナを包むように抱き締め、温もりを分けるようにすると途端、震えは止まるがユキナはどこか不満そうな顔で護熾を見上げ、少し潤ませた目で見つめながら
「でも……この方が互いに忘れないと思って……だって今日で最後だし……」
「……じゃあ約束しようぜ、俺とお前の誓いをここでさ……」
「護熾…………」
ここにいるよ 思い出して 思い出して ここにいるよ
ずっとこの前もあなたに愛されていた私
振り向いたとき、あなたと簡単に目が合った とても嬉しくて、くすぐったい
大丈夫 わたしは覚えたよ あなたと交わしたあの約束
『“きっと戻ってくるね”』
そしてあなたはこう言ってくれた
『“ずっとそばにいる”』
……離したく、ない…………!
護熾は、必死で、抱き締めている腕の力を抜かないようにする。
腕の中にいる、愛しい存在。
この腕の力を抜いてしまえば、もう、彼女には会えない。
ユキナは、一生懸命抱き締めている護熾の顔を見ながら、ソッと背中に手を回す。
……今まで、本当にありがとう
そう伝えるかのように、抱き締め返してくる。
……行くな! 行くなよユキナ!
此処で逃せば、彼女は出て行ってしまう。
戦場という名の故郷に、帰ってしまう。
必死に必死に必死に、抱き締めるが、眠気がその力を削ぎ、彼女を逃そうとする。
そしてとうとう、腕から彼女が抜け出てきた。
『大丈夫、私は、ずっとあなたの側にいるから……』
そして最後に、護熾が瞼を閉じる瞬間にユキナは口付けをし、そしてユキナの腕の中で護熾は眠った。ユキナは愛しそうに護熾の髪を撫で、一度顔を埋めるようにしてから情感をたっぷりと含んだ声で
「ありがとう、護熾」
そしてベットから抜けていった。
最初に彼女と会った日を思い出す。
裏路地で彼女が助けてくれて、それで家に帰ったら昼食食い散らかしてそこにいた。
それから護ったり、教えられたり、時々口喧嘩もしてきたけど、楽しい日々だった。
そう、だった、のだ。
朝、護熾は愕然とした。
彼女はもういなかった。
ゆったりと流れるこの空間内で、いつも見てきた少女の姿はどこにもなかった。
唇が濡れている。
きっと最後にユキナが接吻を残していたのだろう。
渇いていないことからまだそんなに時間が経っていないことが分かるが今更追いかけていったところで何にもならないことくらいは分かっていた。
それと、体に残された僅かな別の体温とベットのシーツに残された数滴の、涙。
フラフラと立ち上がって窓に手を掛けると簡単に開き、肌に射すような冷たい風が眠気を吹き飛ばしてきた。
護熾は窓を閉じ、改めて部屋全体を見渡し、それから大きく溜息を付いてガックリと両膝を付いた。
「…………今までありがとよ、ユキナ」
ふと、机の上に折りたたまれた紙に気が付く。
護熾はバッと立ち上がり、急いで紙を手に取って丁寧に開き、覗き込むように見るとただ一言だけ、少し大きくユキナの文字でこう書かれていた。
『“私を忘れないで”』
「誰が忘れるんだよ…………誰が……ちくしょぅ……」
最愛の人間が自分の元から離れ、残されたのは残留の念。
何なんだよ――もっと恋は幸せで甘いと思っていたのに
これじゃあ死んだも同然じゃねえか、と幾重も覚悟して固めた心が一気に揺れる。
静かに保とうとしていた心が、初めて揺らいだ。一度揺らいだら、揺れ幅を抑えることはもう不可能だった。
縮みきったバネが弾ける。
すると―――涙が溢れてきた。一生縁のないものと決めつけていた涙が、溢れ始める。
大の男がこんなに泣いて情けない。でも悲しいんだよ―――
何だよこれ、何だよこれ、こんなに泣く事って悲しいのか、こんなに胸が痛いのか。
護熾はしばらくの間、その手紙を胸に抱き締めて呻くように、悲しむように、初めて泣いた。 彼にとっては久々なので今まで溜めていた分が流れ出るようにどんどん目尻から溢れていく。この世界は二人に出会いをもたらし、別れをもたらした。
ただそれだけなのだ。
分かっていても今すぐにでも追いかければ間に合うかも知れない、しかしそれでは相手に失礼なのだ。互いの覚悟を踏みにじることにならないよう、護熾は静かに耐えていった。
ずっと、ずっと、泣き止むまで、ずっと。
「お、おお……ぅおおおう」
朝泣き止み、目尻に隈に似た模様を残した護熾は既に心が落ち着き、朝食を食べ終え、二人がいなくなったことに泣いている二人を慰め、ついでにマジで泣きそうになっている武に活を入れ、道路を歩き終えて校門をくぐり、校舎には行って上履きと靴を取り替えて1−2組の教室に到着して今、引き戸を開けて中を見て、思いっきり引いて入りにくさを実感しているところである。
ものの見事な活気のなさ、はっきりいえば鈍よりとした空気が教室内を支配していた。
護熾は覚悟を決め、その修羅場に身を進ませていくと誰も彼もが机に突っ伏して呻いたり、泣いたり、机に指を当ててぐるんぐるんと意味もない行動を取ったりして二人がいない寂しさを紛らわせていた。
そして護熾は勇気を出して教室に入り、自分の机に着き、鞄を置いて辺りを見渡すと机に一人、知っている人物の面影があった。
木村である。
護熾は声を掛けようとしたが止めた。 周りが何か水っぽいもので囲まれていたからだ。
「ぐすっ……ぐすっ…………」
きっと泣くために今日は早く来たんだろうな、護熾は特に何も言わず黙ってユキナの席とイアルを順に見る。
空っぽで座る人のいない机と椅子。 これが至極当たり前の理の定めた普通の世界。
相互点が無ければ出会うことの無かった二人の少女。 そして過去形で好き勝手話されていくだろう、二人のことは。
向こうで元気にやっているか? 髪がとても綺麗だった。 あんパンを食べているところが可愛かった。 大人っぽくてスタイルも良くて憧れた。 ああゆうひとは風紀員に絶対似合っていた。 みんな、“た”がつく過去形。
そして何時か、自分も……
「海洞!! 元気がないぞこんちくしょう!」
突然、背中に衝撃が奔り護熾の体が前に倒れる。
そして後ろを振り返ると千鶴を連れた近藤が手を振って護熾に朝の挨拶をしており、『まったく、男共はだらしないんだから』と自分だけ心が強いと自慢しているような口調でやれやれと首をふりふり、ついでに指をふりふりと振ってから鞄を自分の席の脇に置く。
しかしその目尻には護熾と同じようにくしゅくしゅとなっており、きっとこいつも朝めいいっぱい泣いてから来たんだろうなと護熾は思い、無理なことは聞かずあえて『おはよう』とだけ返事をした。
そして顔が千鶴を向く。
護熾は彼女が自分のことをどう思っているかはユキナから聞いていたので何だか気まずくなり、視線を逸らしてしまったが千鶴はしっかりと護熾を見据えながら
「あとで、屋上に来てくれないかな? 海洞くん」
護熾は黙ってそれを了承した。
昼休み、護熾は青空の下、冷たい風が吹く中で屋上に身を晒しており、緑のフェンスに凭りかかって待っていると千鶴が屋上の門扉を開けて姿を現した。
二人は無言で景色をしばらく眺めた。
「なあ斉藤、何で俺のこと好きだったんだ?」
突然護熾がそう訪ねてきた。
千鶴は一瞬焦ったが、すぐに落ち着いてふぅと軽く息を吐いて言う。
「ハッキリ、とは言えないけど、海洞くんがとても優しいからだと思うよ」
「…………イアルもそうなのか?」
「うん、多分そうだよ。」
「…………こんなにモテるなんて夢にも思わなかったけどな」
冗談ほのめかしたように護熾は軽く手を振って苦笑いでそう言い、千鶴は微笑みを浮かべて冬服のポケットからオレンジ色の御守りを取り出して護熾に渡してきた。
護熾は目を丸くして千鶴に回答を求めると
「それはね、私とユキちゃんと黒崎さんで作った御守り。海洞くんがその……無事でいるようにって……」
「…………変なとこで気遣いやがって……ありがとよ斉藤」
「……どういたしまして」
「さてと、ここ寒いから戻ろうぜ。 話したいことが在るんだったら中で話そうぜ」
護熾は笑顔でそう言いながら千鶴を先導し、元来たルートを辿って中に戻り始め、千鶴もそれに従って付いていく。しかしただ、ここでまた千鶴は見てしまう。
護熾の……あの悩んだ表情を。
翌日。
ある晴れた日の中央の図書館へ行く一人の少女は手に数冊の本を持って歩いていた。
アルティは先程ユキナに会いに行き、そしてミルナに会いに行った後自室の読み終えた本を返しに行っているところであった。(問答無用で全て空間転移による移動である)
そして後ろから声を掛けられるがそれを無視して中に入ろうとすると『おいおいおいおい!!!無視かよ!?』と元気な声が近づいてきて視界の中に現れる。
今日は長袖長ズボンの上が青、下が茶色の格好で来ているラルモ。
足を止めたアルティは眠そうな目をラルモに向けるとラルモはこの少女が何も言わないことは知っているのでさっさと言ってしまう。
「あのさ、もうすぐ大戦だからさ、言っておきたいんだよ。俺がお前を護るってさ!」
「………………」
今は図書館に人がおり、急にカッコイイことを言ったラルモに注目を浴びせている。
アルティはピクンと反応して見つめるが、仏頂面のままなのでかわいげはそんなにないがラルモは胸を張って言う。
「お前は強いからもしかしたらそんな必要はねえかもしれない。でもいざとなったら助けを呼べよな? お前は黙っているかも知れないけど俺はお前を家族だと思っている! 家族だからえっと兄妹? 双子? そんなことはどうでもいいか! じゃっ またな!」
言いたいことは言い終えたのか、ラルモはタタッとアルティの前から走り去ると窓からピョーンと放物線を描いて乗り越えていき、そして地面に足が着くと走り去り、それを目で追っていたアルティの視界から消えていった。
しばらくアルティは自分を護るやら家族やらと言った少年のことを考えていたが、すぐに自分が先に済ませておきたいことをしに行動に移すと小さな声で
「家族…………か」
久しく聞いた単語を口に出してそれから図書館のドアを潜っていった。
「う〜む、近藤さんの寄せ書き長いな〜〜〜〜」
むむむ、と眉間にシワを寄せて自室で1−2組全員からの寄せ書きを眺めていたユキナは近藤の書いたメッセージの長さに驚きながらもクラス全員のメッセージを読み始める。
中にはこの寄せ書きで告白している人や、同じクラスの女子からはユキナに猫耳と尻尾を付けたイラストで『←可愛い!!』と絶賛の言葉が添えてたりと見てて飽きないものだった。
そして最後にある場所に目をやり、そしてクスッと笑う。
『よく喰ってよく寝て大きくなって俺を驚かせろよ! チビ!』
こんなメッセージを書くのはこの世で一人しかいない。
ユキナは胸に白紙をギューッと抱き締め、そして机の上に置くと『ふにゅごおおお』と乙女らしからぬ声で伸びをし、そしてベットから飛び降りると一階に行く。
一階に着くとユリアがキッチンでお昼を作っているとこで、ユキナが来たことに気が付くと振り向いてニコッと笑う。それから顔を前に戻し、その状態から話しかける。
「ユキナ、本当によかったのですか? 護熾さんとは中央に申し込めばギリギリまで一緒に居たはずですよ? それなのに……」
「ううんお母さん、それだと互いに辛いから、こうするしかなかったの。」
「辛くても…私はあなたに幸せでいてほしいの……だってあなたは……」
鍋の火を止め、エプロンを外したユリアはユキナの前まで歩き、そして両手を伸ばして包み込むように抱き締めるとユキナの頭を自分の胸に押しつけた。
「どうして……あなたみたいな若い子達が戦争に行くの? 私には分からない……あなたには償いきれない苦労を掛けたのに今度は……私、親として失格だわ。娘一人さえも、幸せにしてあげられないなんて……」
「お母さん……」
両の目からこぼれ落ちる涙。力になれなくてごめんなさい、そう言ってきた。
ユリアは自分が非力であると分かった上で物事に関わってきた。13年前だってそうしてきた。しかし今度も自分の愛する人が戦場に駆け抜けていくのだ。
これが親としてどう受け止めればいいか分からなくなってきていた。
自分の大切な人が戦場に行く。どれほど自分の非力さを呪ったか、ユリアには分からなくなってきていた。ただ娘と過ごすこの日々が、どうしようもなく勿体ないのだ。
だからこそ謝る。そばにいてあげられなくてごめんね。一般人の自分が言うのはこれくらいしかない。
「お母さんが謝る必要はないよ。だって私が、私達がこの町を必ず護るもの。必ず勝って、必ず笑って帰るからさ。護熾と約束したもん、絶対生きるって」
決意を込めた眼差しを向けながら、ユキナはユリアの背中に手を回す。
そう、この町のいや、この世界の命運はまだ20もいかない若い子供達に託されているのだ。ユリアはギューッとユキナを抱き締め、ただ延々と泣き続けた。
この子はもう、私よりも遙かに強くなっている。そして願う、何時か必ずもう一度、もう一度だけ護熾とユキナが一緒に、自分に会いにくることをただひたすらいるかもしれないしいないかもしれない神に。
「ミルナ」
「ん? どうしたのガシュナ」
お昼を盛ったお皿を持ってきてくれたミルナにガシュナが声を掛け、ミルナはお皿をテーブルの上に置いてからガシュナの元へ行く。ガシュナはミルナがそばに来るやいなや徐に肩に手を置いて、彼女にだけ見せる穏やかな眼差しで、
「その……聞くタイミングを失っていたが……この前の旅行どうだったんだ?」
「え?…………ああ楽しかったよ!! 見たことがない世界が広がってて興奮しました!」
「そうか……じゃあもっと見て回れるようにしなきゃな」
ガシュナはもう片方の肩にも手を置き、ミルナがハテナ顔でガシュナの顔を見ると体が引き寄せられ、包み込むように抱き締められる。ミルナは息を呑んで驚き、そして同時に顔を赤くするとガシュナは低く、しっかり聞こえる声で、
「必ずお前を護る。約束する。指一本、奴らに触れさせないから安心しろ」
「…………ガシュナ、好きだよ。分かってるよ。だから……怪我しないでね」
「…………ああ」
このときガシュナは思った。
このまま二人で、逃げてしまいたいと。
この大切な彼女を、失いたくないと、そう願った上での邪なる考え。
だが、どうせ彼女はそれを否定するだろうし、この町の主戦力である自分が抜けてしまっては虚名持とは張り合えなくなるであろう。
(だったら……俺が道を作るしかないな。こいつと生きていく道を)
きっと大戦のあとは幸せに、そう願う若夫婦はしばらくの間抱き合っていた。
「おらおらおらおらおら!!! 掛かってきなさい!! どうしたの!? 私がいない間に腕がだいぶ鈍ってない!?」
F・G三階戦闘訓練施設ではただいま貸し切りでガーディアン達が集まって稽古を行っていた。通常、戦闘への参加はワイトの正規兵や他の町の兵が戦闘を担当するのでガーディアン達はあくまでサポートという役回りになる。これは当然、若い子達を考慮してのことである。
だがここに一人、そんなことで納まるような人物が一人、気合いを込めてこの稽古に臨んでいた。
それぞれ非戦闘用の刃が付いていない武器を携えており、円陣を組むようにしており、二人の稽古を傍観する形で見ていたが、一人を除いて全員青ざめていた。
何故ならイアルが戻ってきており、ウザ晴らしのようにたった今男子のガーディアンを背負い投げで円陣の外部へ投げ飛ばしてしまっているからである。
次は自分なのか、そんな残念そうな溜息の中、ギバリとリルはコソコソと
『あれってやっぱり失恋を晴らすための無理矢理な稽古だもんよ。イアルめっちゃ怖いもんよ』
『だねー、大戦がもうすぐだからいい機会だとは思うけどあれはやりすぎよね。」
キラン、
「ちょっとギバリ!! あなたなら私に投げ飛ばされないから次はあなたよ!!」
「ええええええ!!!! か、勘弁して欲しいもんよ!! 」
「ほほお〜? リルと喋る余裕があったのなら少しは私を倒す計画でも立てなさいよ!」
目が猫のように輝き、お喋りを展開していた二人の行動を逃さなかったイアルは指でギバリにこっちに来るように呼びかけ、それからボキボキと腕を鳴らして臨戦態勢に入る。
あ、ギバリ死んだな 全ガーディアン一致の意見だった。
そして日は過ぎ、七つ橋町の方から見ていくとする。
土曜日 11時30分。 大戦開始まで三十分。
護熾は七つ橋秋花火祭りの主な舞台となる街中へと来ていた。
突然、海洞家全員来ており、護熾以外は全員浴衣姿で先取りで青いシートで花火を見る場所も広く取った後であった。街中はかなりの人で賑わっており、浴衣姿の人も多い。
沢木達や近藤達は事前に決めていた待ち合わせに時間通り来ていた。全員見事な浴衣姿。
既に手には綿飴やリンゴ飴などが握られており、それをパク付いて待ち侘びていた。
「お〜〜〜〜い!! 待ったか〜〜〜〜!!」
「「「「「「ハ〜〜イ!! 全然です!!」」」」」」
「よし! じゃあ朝確保してきた特等席にみんなで移動しないか!?」
「マジッスか!?」
「やったーーーーーー!!」
武の呼びかけにあっさりと全員付いてきて荷物を置くために海洞家の確保した場所へと踵を返し始める。 しかし一人だけ心配そうに護熾の顔を見つめる人物、千鶴は不安そうな眼差しで見ていたが護熾は少し口を綻ばせて小声で
「心配すんな、必ず俺がみんなを護る」
そう言って前を行くテンションに上限がない集団を追いかけるように歩き始め、千鶴は黙ってコクンと頷いて付いていった。
震えはない、恐怖心もない。ただ自分が進むべき道だと理解している。
千鶴が追いかける背中からは微かにそんな思いが感じ取れた。
道の脇は屋台で並びきっており、子供達がわいわいと遊んだりカップルがこの日を待ち侘びたかのように楽しそうな笑顔を互いに向けている。
七つ橋秋花火大会の本領は5時から行われる花火大会で何万発もの花火が冬で早く暗くなる夜空に光の華を咲かせ、そして創作花火なども毎年出てくる。そして年々派手にもなっている。
人は甘く見積もって今のところ五千人くらい来ている。これからもっと増えるであろう。
護熾達は武の確保していた大きなシートに到着するとそこは確かに特等席中の特等席で町全体が見下ろせる高台であった。すぐ下には屋台、喉が渇いたりお腹が減ってもすぐに買いに行けるベストポジションであった。
「うわ〜〜〜〜 良い場所ですねお父さん!!」
「でしょ!? 毎年この場所を連続五年は取っているんだぞ!」
そんなことを自慢げに胸を張って言う武。 すげえと初めてそのことを知る木村と宮崎。
そしてもうすぐお昼なので弁当だけじゃ足りないと考えた武は一樹と絵里と宮崎を連れて何か美味しいものを全員分買ってこようと動き、その場に五人が残される。
「何かな〜 海洞と沢木と一緒にここで花火を見たことが何だか昨日の事みたい」
「そうか、近藤と海洞と沢木は中学一緒だもんな」
「そう、そして今年はユキちゃんと黒崎さんがいれば…………」
「ん? 雨か?」
紙コップに入れたお茶を啜っていた護熾は頭に水滴が当たる感触を感じ、上空を見上げるが空は雲一つ無い青空。変だなと思い、首を回してみると空気がそこだけ暗くなっており、見ると近藤が沈みに沈んでそこだけ水たまりができており、木村も木村で横に倒れて優勝を逃した直後の選手みたいに同じく水たまりを作っており、それぞれ千鶴と沢木が慰めに乗していた。
――やれやれ、こいつらにしばらくはユキナとイアルは禁句だな
そう呆れながらも飲み終えた紙コップをシートの上に置き、少しの間だけ瞼を閉じる。
それから眼を開けると立ち上がり、シートの端に移動して靴を履く。それを不思議と思った千鶴は僅かに表情を歪ませた。
護熾はきちんと掃き終えてから振り返り、四人を見渡すとまず近藤と沢木に
「近藤、沢木、お前ら中学の時から友達でいてくれてありがとな」
急に何だか、お葬式にでもいるかのような口調でそう言った護熾に近藤は泣き顔を向け、沢木は驚愕の表情で護熾を見る。
次に護熾は木村を見て
「木村、ちょいと短い間だったけどありがとな。お前ならすぐにまた好きな人ができるって」
「え? ちょい海洞、何が言いたいんだお前――?」
何故、クラスメイトがこんなことを言うのか分からない木村はそう混乱する。しかし護熾はその答えを教えることもなく、最後に千鶴を見る。
穏やかな微笑み。見られた千鶴はビクリと肩を震わせた。
分かっている、千鶴には分かってるが声には出せない。でも、それでもちゃんと言おうと、最後まで見ようと決意し、コクンとさっきのように無言で頷いてから
「親父と一樹と絵里にはどっか行くって言っといてくれ。頼んだぞ」
「海洞くん、どうか怪我だけは……必ず勝って」
「……ああ、じゃ、行ってくる」
そして全員の目の前で――――護熾は掻き消えた。
まるで瞬間移動のように跡形もなく。
それを目撃してしまった近藤、沢木、木村は暫しの間、今起きたことの理解ができなかったがやがて千鶴の方に顔を向ける。あなたは何か知っているの? そんな質問を込めた眼差しに千鶴は悲しそうな目で、しかし何も答えず、ただ、上空を仰いで手を祈るような形にする。
すると地面を砕いて上空へ真っ直ぐ跳び、後ろを振り返ることなく跳び上がった護熾の姿があり、砕けたコンクリートの破片は千鶴の体をすり抜けて、周辺の空間に散っていく。
そして、遙か上空に佇んでいる水色のコートを羽織り、不良風の若い男へと護熾は移動していく。
「よぉ、覚悟はできたのか? 海洞 護熾」
「……あぁ、お前はどうなんだゼロアス」
七つ橋町上空。地上から五十メートル。下の道路には人がいっぱい賑わっているはずなのに今は誰もいない。そして、風も一切吹かず気温も感じ取れない。
まさにゴーストタウン、と言いたいところだがそんな風に呼ぶには雰囲気が違った。
静電気のような感覚が体中を駆けめぐり、大気が軋むように震える。
そして、その人物が喋るごとにガンガンと気迫が吐き出されていく。
「こっちはいつでも、てめえの真理を貰いに来たんだから時間なんて関係ねえ」
「そうか、…………向こうはどうなっている?」
その言葉にゼロアスは一瞬ピクンと反応する。
向こうというのは当然異世界の話であり、既に全世界が戦闘態勢に入っているはずである。ゼロアスはにやりと笑い、入れ墨を歪ませる。
「既に展開を終えている頃だ。だが時間は正午ではない。だから一足先に俺たちで殺し合いを始めようと思ってな」
どこまでも残酷な笑み。どこまでも獰猛な笑み。
最初に会ったときから変わらない、三度目の対峙。そしてもう二人の戦闘は避けられない。
護熾は目を瞑り、まるで瞑想でもするかのように深呼吸し、それから目を開けると既に目は翠色に変わっていた。
そして同時にバリバリと響くような雷鳴が轟き、体全体に一瞬、火花のような電撃が走り、それから常磐色の不思議な光沢を放つ袖無しコートが羽織られて腰に黒い小刀が添えられる。
その姿をゼロアスはヒューッと口笛を吹いて囃し立て、このときを待ち侘びたかのような炯々とした眼差しで護熾を見やる。
中途半端な力で決して勝てる相手ではない。それは互いに承知済みである。
だからこそ、しかし互いの目的を成し遂げるためには相手という壁を打ち砕かなければならない。
そして一瞬の静寂の後、千鶴が見守る中で二人は、激突した。
はい、これにて最終章前編は終了です! そして次章からはラスト! 全ての謎をここで解き明かしたと思います!
さあてと、いきなり先に言いますけど戦争描写、全くできませんよ私(笑)
なのでできなくても、責めないで下さい。これ、私からの精一杯の願いです。
では皆様、皆様のおかげでようやく此処まで来ることができました。これはもう感謝しても感謝しきれません。では次回、最終章後半でお会いしましょう!
ではでは〜〜