二十七月日 これからの日々
この機会で無心でいられる時期はもう過ぎた……
あっという間に普段の日常がこれから非日常態勢に入り始めると溜息しか出ない。
「ただいま」
家の中にいる人に聞こえるよう、護熾はそう言って玄関から入ってきた。
すると奥から一樹と絵里から元気よく返事が返り、丁度コタツに入っているのか『うィ〜、お帰り護熾〜』と全ての力が抜けているユキナの声が聞こえ、この様子からイアルはまだ二階の自室にいると考え、階段を上り始めた。
今から一時間前に巻き戻る。
学校のあの騒動でまずイアルが一足先に早退したと伝え、急いでホームルームが終わるとダッシュで屋上で寝ているイアルをガシュナ達と回収し、それからイアルがまだ眠っているときのことである。
「ラバン…………って何だ?」
「貴様、相手が何者か解らずに戦っていたのか。まあ、先生の証言も交えて説明してやる。」
ガシュナが半ば呆れて言うが、知らないのは当然であり、五年間も居なかったユキナもおそらく知っているイアルも今は気を失っているのでそれは仕方のないことだった。
ミルナに護熾の机の上に載せられているノートをガシュナが取って貰っている間、シバから一通りの説明が行われる。
「奴らは虚名持と書いて【ラバンダス】と呼ばれるこちらが確認している怪物の中でおそらく究極体と指し示されていて、別名【使徒】とも呼ばれている。だが個体数は当然少なく、“13年前までは三体しか”確認されていなかった。」
今居る全員の中で実際大戦の記憶が残っているシバの証言に寄ると13年前までは三体、つまり“ゼロアス”を除く虚名持の姿が解っていたとのこと。
そして今回、新たに一体虚名持が増えていたことはあまりにも重要な事である。
「実際俺も見るのは初めてだが、奴らの階級を一纏めにしてみると…………」
ミルナから渡された護熾のノートにシバが説明している間ずっと何かを書き込んでおり、そしてノートが翻されて全員の前に白い紙面が露わになる。
「
『虚名持』 (現在確認されているのが4体。能力は不明)
『名前持』 (それぞれ名前が与えられ、最近では『封力解除』という解放状態を確認)
『知識持』 (知能はキャプチャーより優れ、戦闘能力も強化された怪物)
『キャプチャー(怪物)』 (雑兵。最も数が多く、主に人間を攫うのが仕事) 」
「虚名持の戦闘能力は解っているだけで名前持の数倍とされている。そして現在4体となっていることからあの鎧をつけた男の言っていることはおそらく真実だろうな」
あの鎧の男というのはその者のことである。
実際、シバを除く全員が今回初の目撃でこれも、それゆえ今回最も重要なのは怪物達の頂点に立つその人物が直接宣戦布告を告げてきたである。
相手が一体何の目的で直接来たかは不明だが、ワイトを三週間後に攻め落とすこと、そしてこの町にゼロアスを送り込むこと。
そう確かに言ってきたのだ。
「三週間もあれば世界全体での対策は十分に間に合う。だが相手の言ってきたことが全て事実であるかどうかは不鮮明。だから早急に中央へ、世界に発信する必要がある。」
あくまで敵の言うことは信用しない、そうガシュナは言う。
最も、彼自身が護りたいのは世界の平和などではなく、心配そうにイアルを看ている少女の安全なのだが。
そして今度はラルモが話す。珍しく真面目な顔で。
「…………何だかすんげー深刻なことになったな…………俺たち、その大戦に必ず参加だろ? なぁ? アルティ」
いつも通りそう問い掛けるような口調で顔を向けてラルモはアルティに言うが、アルティの態度は変わらず、ノー返事という返事が返って『ま、お前はいつも通りだな』と ははは と笑って顔を戻すが正直、今は笑える状況ではない。
今度はミルナからのお話。
「それで…………まだ確定ではないですけど……護熾さんは一体、どうするつもりなんですか?」
「………………そりゃ、俺だって――」
「貴様はこの場に留まれ、そう言われる。」
唐突に横からガシュナが口を挟み、ユキナがその言葉に反応して向く。
それはどういう意味なのか、その返答を待つと言われなくてもガシュナは続けてくれた。
「さっきの虚名持、ゼロアスと言ったか…………そいつがこの町にわざわざ送り込まれたと言うことはおそらく貴様狙いで来ると言うことだろう。」
「そ、それはどういうこと? ガシュナ」
「敵の狙いは“真理”、及びワイトなどの主要都市の壊滅。それを考えたら“一番強い部下”をここに送り込むのもおかしくはない」
また唐突に護熾に衝撃に似た何かが走り抜ける。
何でガシュナが真理のことを知って居るんだ?
ふと、自分の周りにいる仲間を見るとガシュナの言葉にまったく驚いておらず、むしろ最初から知っているような雰囲気で護熾を見ていた。
ガシュナが続ける。
「……第二解放を会得したときのその前、“第二”から聞かされた。『真理を携えし少年と共に戦い、そして因縁を断ち切れ』とな。 正直驚いたが、何となくそれで全ての辻褄が合ってしまった。 …………だが、ゼロアスというあの怪物……悔しいが俺では勝てない。しかも奴はあまつさえ、封力解除まで行おうとしていたからゾッとする。 貴様が持っている真理の力で手に入れたかどうかは知らんが、あの黒いのなら少なくとも対抗できる。少なくともあの状態の貴様は遙かにその場にいた俺たちよりも超えていた。」
苦虫を噛み潰したような表情で、顔の横にギュッと拳を固めてそう言う。
あの虚名持の中で一番強いのはゼロアス、それ以外の三人ならどうにか相手ができるというのだが正直それもきついのだ。だが護熾には解っていた。
自分がゼロアスの相手をしなければならないことを、本能に似た宿命を感じながらそう考えていた。 あの夜 相討った時から? それとも自分の死纏を見てゼロアスが解放状態に切り替わろうとしたときから? どうでもいい、自分しかあの怪物を倒すことができないのだ。
「…………報告は世界の変動と状況によって伝えられるだろう、相手が戦争を仕掛けるならこの世界の怪物共は一斉に引き始めるだろう。その間までに……互いにせいぜい短い人生を送れ、ということになるだろうがな」
「「「「「………………」」」」」
そんな悲しいこと言わないでよ、そう誰もが言い返したかったであろう。だが言っている本人も辛いのはみんなはよく知っている。 それは何故かというとあのガシュナが微かに、冷静さを保った表情で淡々と機械のように喋っているのに肩が微かに震えているのを全員は見てしまったからである。
そして話は最初に戻る。
「よお、大丈夫か?」
「……えぇ、おかげさまで……ユキナから聞いたよ」
自室のドアノブを捻って中に入った護熾は上半身を起こして窓側をボーッと見つめていたイアルに声を掛け、声を掛けられたイアルはゆっくりと首を回して護熾と目を合わせ、小さく微笑んでからユキナからシバやガシュナが言っていたことを聞いた、と伝えた。
護熾はベットの横まで歩いてから片膝を立てて座った。
するとイアルは両手に拳を作るようにシーツを握り、表情を暗くする。
「…………ごめんね海洞……私の判断ミスで斉藤さん……そしてあなたに怪我をさせてしまって……」
「……確かにお前の判断ミスだな」
イアルの謝罪をまともに受け、そして正直に答える。
イアルはそれを聞いて、さらにションボリとして肩をがっくりと落とす。でも護熾はそれ以上は責めなかった。責めても仕方ない、というのが普通だが護熾の場合は何というか、女子を責め立てるのは好きではないからだ。
それを優しいと捉えるかどうかは人それぞれだがイアルの場合は少なくともそうは思わなかった。
「…そろそろ飯だけど、持ってこようか?」
「え? いや大丈夫。 怪我はミルナが治してくれてほとんど無いから……」
幸い護熾の護りで傷はそんなに無く、ミルナの開眼状態での治療で気分の不安定以外はほぼ完璧に治っていた。イアルは布団から足を出し、護熾とは反対側にベットから出るとゆっくりとした足取りで迂回を始める。
護熾はその様子を見ながら立ち上がり、心配そうに顔を向けるがどうにか大丈夫そうなのでそばまで寄っていざというときに備えて横に立った。
「へ、平気よ……あなたにこれ以上助けられたら何だか立つ瀬なくなるじゃない!」
イアルは少し顔を赤らめて護熾に 変なところで気を張るなよ、 と思わせながら少し足取りをよくしてドアまで歩いたので護熾は一歩先に出てドアを開け、イアルに余計な体への負担を減らそうと行動に移ったときだった。
ガシッと腕を掴まれてその場から動けなくなり、後ろに力が掛かり始める。
「…………バカ……あなたって何で私をもっと責めないの? 私の所為で斉藤さん、死にかけたのよ?」
「…………でもお前は命を張って助けたし、俺がお前を助けたから一件落着じゃねえか。とりあえず、生きててよかったと俺は思うよ」
するとコンッ、とイアルが護熾の背中におでこを当てて少し凭れ掛かるようにする。護熾はそれに大いに驚いてカチコチに固まってしまうがイアルは少し自嘲気味な口調で
「……何のために私ここに来たのかな? あなたたちのサポートに来たのにバルムディアの時だって、今回だって、結局はあなたは怪我ばっかして、私は役立たず…………私は一体、どうすればいいのかなぁ…………?」
そして腕にぎゅーっと力が籠もり、長い髪が腕に触れる。
そしてイアルは震える唇もぎゅっと噛みしめ、堪えても堪えても肩が震える。
ずっと思っていた悩みが、そういった事柄を明らかにすることで自覚と伴って溢れようとしていた。
護熾は振り返り、片手が伸び、イアルの頭を抱き寄せる。そのまま、自分の胸にイアルの頭を押しつけた。
イアルはそこで、この現世に来てから初めて、声を張り上げて泣いた。
泣き始めると、心がすうッと楽になっていくのが分かった。
「…………よかったよ……お前が助かってよ。お前の命が怪我で助かるなら充分だ。」
「う……うゥ……バカ……バカ……」
「でもお前はちゃんと人の命助けたじゃねえか、それだけでも勲章もんだよ」
穏やかで、優しく、温かい声がイアルの涙を拭っていく。
そして少しずつ、好意を持っている相手に抱きしめられていると気が付いたときには何か別の驚きが心を染め、スッと頭を護熾の胸から離すと顔を護熾に合わせ、涙ぐんでいる目でも柔らかな微笑みを向け、
「……海洞に励まされる……フフ……なんか意外ね。」
「なっ、人がせっかく励ましたのになにその存外な言い方!?」
「…でもありがとね。さあ、食べに行こ」
少し落ち着いたのか、イアルは元気よくいつもの口調で護熾の横を抜け、部屋から一足先に出て行った。護熾はその姿に後ろ頭を掻きながら『心の切り替えが速いな、さすが風紀委員長ってとこか?』とそういえばギバリとリルに最近会ってないなとふと過ぎり、大戦が始まる前に一度会っておこうと考え、イアルの背中を追いかけるように部屋を出て行った。
こたつの中で、今日はリンゴがあったのでそれを食べやすい大きさに切って、護熾はそれをフォークで刺して食べていた。少し渇いた喉に果汁が染み渡る。外は寒く、こたつは温かく、リンゴはいい水分補給とおやつになる。
今は夕飯を食べ終え、一樹は向かいの席で護熾と一緒にリンゴを食べながら今日のニュースを共に見ていた。イアルは絵里の要望で一緒にお風呂に入っており、ユキナは玄関の廊下で自分から千鶴に今日起こったことの概要の説明を自宅の電話を通じて話している。
『“今日の一時中頃、七つ橋高校のグランドにて謎の爆発事件がありました。警察によると人為的なものであるとという結論が出ていますが、今のところそれを裏付ける証拠や目撃情報が一切無いことから、先々週で起こった生徒消失事件に関連がないかと調べられています。”』
「護兄の学校……大変だね」
テレビの液晶画面で映し出される『立ち入り禁止』と書かれた帯がそこだけ囓り取られたような地面の周りに張られており、警察官が警備を行い、調査官達が現地調査に当たっている映像が流れていた。
「ん? まあそれなりには大変だわな。でもみんなは元気だから、安心しろ」
「うん!」
シャクッと響きのいい音を立ててリンゴを頬張った一樹が笑顔で答える。何も知らない無罪な笑顔は平和な証拠。この平穏ができれば長く続くことを祈りたい、護熾は少なくともそう思った。 因みに先程護熾の父、武からの電話が入り、それの説明に疲れていたことは一樹は知らない。
「――――うん、だから三週間後、たぶん私とイアルは学校を転校するという形でいなくなると思うの……」
『…………そっか……そうだよね……』
「だからさ、護熾がゼロアスっていう怪物に勝ったらそのときは………お願いね。じゃあ」
『え? ちょっとユキちゃん! ユキちゃんは海洞くんに!』
ガチャン、ツー ツー ツー
「…………どうしよう……あと三週間……」
無理矢理切った電話の受話器を置き、
何事も決意するのに短い三週間、力を蓄えるのはさらに短い三週間。
三週間後に、三週間までに、ユキナは自分の気持ちを果たして護熾に伝えることができるのか、不安だった。
何故なら、護熾の人生を変えてしまったのは自分なのだから……
「……今考えても仕方ない、リンゴ食べいこ。」
だが今は喋り疲れて喉はカラカラであった。
なのでユキナはデザートと水分補給を兼ねたリンゴと温もりを求め、歩き始め、そして居間に到着して護熾が声を掛ける前に腰を落として一樹の横からこたつに潜入開始。
もぞもぞと動き、護熾の足に当たり、それから『ぷは』と言いながら護熾の横から顔を出すと体を起こし、向きを変え、定位置に着く。
「…………普通に迂回して来いよ」
「だって寒いからこの方が無駄なく暖まって一石二鳥よ、分かる?」
「…………チビだから体が冷えやすいだけだろ」
ボソッと久々に護熾からのユキナに対する悪口。
ピクンとユキナは反応し、ガシッとリンゴを掴むとそのまま護熾の口へダストシュート。
一度にリンゴが三つも入ったので当然護熾は口の拒絶反応でべっと吐き出して三つとも落とさないように手で受け止め
「くっ……! リンゴで攻撃とか、まったく想像してなかった。」
「ふっ、その場に合わせた攻撃で行くのが得策なのよ」
単にこたつから出て蹴るのが面倒なだけだろ、と言いたかったがそれを言ってしまうとセカンドアタックを招かねないのであえて口は噤み、手に持ったリンゴをシャリシャリと食べ始める。
そんな護熾を見ながら、ユキナは少々お行儀が悪くともリンゴを素手で摘んで取り、口に運んで噛みしめると果汁が喉に凍みる。
果たして、どう伝えるべきなのか……
恋心を初めて知った少女にとって、同じ年頃の女子が知っているような恋愛感情の客観的な見方は知らなかった。キスすることが、実は告白なのでは? という実に恥ずかしい余念が過ぎるがこの三週間、護熾と修行をとその合間にミルナや近藤、それに母のユリアにヒントを聞いてみようと心に決め、ジーッと決心を固めた眼差しを護熾に向けていると
「何だよ、まだ文句あんのか?」
護熾が気が付き、振り向いて見合う形になるとユキナは少し恥ずかしそうに顔を前に向けて照れ隠しからか、リンゴが猛烈な勢いで胃の中へと消えていったので護熾から『そんなに喰ったらイアルと絵里の分がなくなるだろうが!?』とドクターストップが掛けられてしまった。
ユキナと護熾は互いに風呂に入る前だったのでどうせなら修行をしよう、と簡単に言葉を交わし、絵里と一樹には内緒で外に出て行った。
月が綺麗な夜だった。
二人は互いに距離を保ち、宙に体を留めさせる。そして互いの目を見据えた瞬間、ほぼ同時に二人の眼の色が変わり、ユキナはオレンジ、護熾は翠へと変わり、瞬間。
「うぉらぁああ!!」
ダンッと地を蹴り一気に間合いを詰め、護熾の右拳が風を切って、ユキナの顔に延びる。
ユキナは護熾をモノともせずにあっさりと体を左に向け、拳がオレンジの髪を掠めたと思ったら護熾の顔面に蹴りが飛んでくる。
こちらが攻撃した瞬間のカウンター、うおっ! と護熾は背中を仰け反って蹴りをギリギリ回避。だがこんな程度でユキナの攻撃が終わるはずがない。
続いてトンと軸足を持ち上げ、蹴り上げた足を軸足にしての続けざまの回転蹴りが護熾を支えている足に延び、見事ヒットして護熾のバランスが崩れる。
そして速さを生かした敵に態勢を立て直させる暇も攻撃させる暇も与えず、足が持ち上がり、踵落としを決めようとする。
「へっ! そう来るか!!」
すぐに護熾は空に手をついて体を無理矢理そちらに転がすように回避し、瞬間ユキナの蹴りが空間を切り裂く。護熾はそのままバックステップでユキナとの距離を大きく取り、滑りながらやがて止まり、集中を利かせた表情で見据える。
「……護熾、成長したね。でももう少し本気が見てみたい」
親しい人間が強くなることはユキナにとってはこの上ない喜びである。
その表情は誰が見ても嬉しそうで、可愛らしい微笑み。
それを見て護熾も軽く微笑んで『よしっ、来いや!』と叫んだ瞬間、バシュンと周囲が一瞬蒼白い閃光に照らされ、もう一度ユキナの姿を見てみると、緋色のコートを羽織り、腰に鎖で力を抑えているような日本刀、紅碧鎖状之太刀を携えたユキナの第二解放がそこにあり、護熾は一瞬呆気に取られるが、そのあと楽しそうに笑うと
「まさか、第二解放同士で組み手とは、こりゃいい汗掻けそうだぜ。」
そして護熾もバシュンと音を立てて常磐色のノースリーブコートを羽織り、火花を全身に立てると『この姿で結界からは出たくねえな』と呟いた刹那、さっきと逆の順で今度はユキナが一気に間合いを詰め、鯉口を切って刀身を滑らせ、護熾から一歩手前で踏み込むと一閃の居合い抜きがそこで生まれる。
護熾も瞬間、腰に差してあった小刀を逆手で途中まで抜き、黒い刀身で斬撃を受け止めると続いてユキナの体を捻っての回転を加えた斬撃。
護熾も即座に短い刀身で器用に攻撃の矛先を変え、打ち払う。
しかし直ぐにユキナの剣撃が護熾を襲う。何度も何度も、とてもリズミカルに、しかし連撃はどんどん速くなっていく。刀身がぶつかり合い、火花が何度も散って護熾は苦悶の表情になるが心の奥底は決して苦しいなどとは感じない。
…………ユキナ、楽しいな! どうだ? 少しは俺だって強くなってるだろ?
ほくそ笑むようにユキナの斬撃を躱した護熾はユキナに飛び込んでその表情を見せる。するとユキナは心を読んだのか、同じく笑ってシュンとその場から残像を残して掻き消えるといつの間にか距離を大きく取って対峙するように刀を持った手をぶら下げて、佇んでいた。
「護熾、次で決めるよ。」
「…………ああ、いいぜ」
次に一撃で二人の修行のケリをつける。
ユキナは片手で振っていた刀を両手で握りしめ、一撃で決める態勢に入る。
護熾は刀身に手を当てて、ふうと深呼吸をして集中力を高めてから瞼を開け、右足を少し引く。
剣術では確実にユキナが上。まともに行ったところで勝てる見込みはない。しかも護熾が持っている刀は決して相手を“斬る”ものではないということをユキナは知らない。
それでも行こう、良い思い出になるはずだ。
覚悟を決めた両者は、さっきまで雲に隠れていた月光が射した瞬間、その場から姿を消した。
「護熾〜〜、あの刀は斬れないって始めに言ってくれればいいのに〜」
「いいじゃねえか別に、てかドアの前で座るなよ。」
「だって〜〜」
風呂に浸かりながら護熾はドアの方に目をやる。
スモークガラスに何か黒いぼやけた物体が座り込んでおり、そこからユキナの声がするのでおそらくユキナなのであろう。
護熾はふと自分の右手の甲を見る。
見ると赤い線が浮き出ており、小さな傷ではあったが、それが刀傷であることはすぐに分かる。
あの修行での激突後、ユキナは護熾の刀が斬れると買い被っていたため遠慮無く力を込めて斬撃を放ったのだが、そこで予想もしなかった出来事が起こった。
護熾の小刀が折れた。
本来死纏の力を封じ込めているものなので形状は実は見せかけ。
何故小刀かというとユキナの刀の形をイメージしているからだという。なので当然紅碧鎖状之太刀ほどの強力な硬度は誇っておらず、今回のように激しい斬り合いではこのような結果になってしまったのだ。
だが幸い、小刀のおかげで護熾は手の甲に小さな傷を作る程度で済んだのだ。
「ごめんね護熾、あの時楽しくて、力加減忘れてた。」
「それだったらこっちもだ。…………楽しかったか、よかった」
残された三週間、一つ、良い思い出ができた。
それは貴重なもので、日常(?)を感じさせるかけがえのない出来事。
護熾は風呂から上がり、タオルで体を拭くと
「おい、出るからそこどけ、っていうか部屋から出ろ。」
「あえ? あ、分かった分かった!」
状況を理解したユキナはそそくさと立ち上がり、洗面場から姿を消す。
ユキナがいなくなったのを確認した護熾はタオルを肩に掛け、文字通り素っ裸で風呂場から出ると肌寒い空気が素肌に突き刺さるような感覚をプレゼントしてくる。
「うっ、やっべ寒! ううう〜」
急いで籠に入っている下着を取り、それを瞬速で履き、続いて寒期用のパジャマを着て、少しモコモコしている服装へ着替えると体から湯気をだし、『良いお湯だった』と呟いて洗面場から出て行ったときだった。
「ううううううう!! 寒い〜〜〜!!」
何故かユキナが寒い廊下で待っており、ぶるぶると肩を振るわせてドアの横の壁に凭れ掛かるように座っていた。護熾はてっきりまた猫のようにこたつに非難しているかと思っていたので少し唖然とし、それから腰を屈める。
「……何してんだお前?」
「え? ……いやだってまだちゃんと謝っていないから言おうと思って待っていたの」
そこまでして俺に傷を付けたことを謝りたいのか。
護熾はやれやれと思い、少しの暖にと思い、ユキナの両手を取ってほかほかの温もりを分ける。すると互いの体温が溶け合って丁度よくなる。
そしてユキナはちらっと護熾の方を見る。今の護熾はほかほかに暖まっていたのでこたつとは違う別の魅力が垣間見え、何を思ったのか、そっと体を寄せてきた。
「お、うぉい。何だよいきなり」
「う〜温かい〜。…………ホントに温かい」
ギュッと護熾の胸ぐらの服を掴み、それを顔に引き寄せる。
暖まった体から伝わってくる温もりは、大切な何かを持っている。
ユキナはそれをますます欲し、体を委ねるように護熾の胸の中に預けてきた。
「…………! おいおいおい、何がしたいんだお前!?」
「護熾……ごめんね…………怪我させちゃって。」
「……ああ……別にいいよ。謝ろうが謝らんだろうが俺は気にしねえし、こんな傷、今日中に治っちまうぜ」
護熾は手を持ち上げ、ポンとユキナの頭に手を乗せる。
そしてゆっくりと子を安心させる母親のように撫でる。ユキナは寒さからではない別のもので頬を朱に染め、この機会に是非ともう少し強く身を預ける。
「……あと三週間……何もかもが変わっていくね。」
「大丈夫、俺は変わりはしねえよ。…………誰も死なせない、そう決めた」
「…………護熾はホントに強い。ホントに、強いね。」
そしてユキナは顔を上げ、目を合わせる。
少し潤んでいるように見えたが、それを確認する前にユキナはパッと立ち上がってゴシゴシと目を擦ると『じゃ、お風呂入ってくるね!』と言い、そのままスタスタとお風呂場に入っていった。しかしこのあと着替えを忘れてしまい、少し騒動になったのは秘密である。
ユキナがお風呂に入り、二階へ向かおうすると居間の方からイアルが
「あんた達、修行はほどほどにしたら?」
とこんな声が掛かったので護熾は少し苦笑いして
「そうだな、第二解放状態でやると既に修行のレベルじゃなかったからな」
今振り返れば、あれは鍛錬ではなく戦闘の領域である。
なので今度修行をするときは第一解放で、これを合い言葉に今後も鍛錬に勤しむと決め、先に寝ると伝えて階段を上り始めた。
階段を上って丁度中頃、護熾は何の拍子もなく立ち止まって、自分の両手の掌を見るようにしてそして少しだけ、ユキナがもたれ掛かった自分の胸に手を当てる。
「…………ユキナ」
それからギュッと服を掴んで何か悔しそうな顔をして、そしてまた登り始め、部屋に入っていった。