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少女、灰色に立つ

作者: 平 田園

 

 今日も今日とて、俺は頭痛に悩まされ満員の電車に揺られていた。

 朝のラッシュなんてひと月もすれば慣れるというが、高校入学から電車通学となった俺はひと月と二週間経った今でも慣れないままだった。というのもそれは自分の特殊な体質に起因するのだから、まず、その説明をしなければならない。

 俺は赤ん坊の頃から物分かりが良くて手間のかからない子だと言われてきた。それも当然。何を隠そう、俺は他人の思考を読むことができるからである。俗っぽく言うなら、『サトリ』とも呼称される。

 勘違いをされる前に一つ断っておきたいのだが、この能力は決して手放しで喜べるモノではないということだ。なぜなら、読み取る思考を選択できないからである。つまり、勝手に頭の中に流れ込んでくるのだ。

 基本的には音声として相手の思考を読むのだが、たまに映像として読むこともあったりする。そこの所、規則性はわかっていないのだが、多分、思いの強さで音声か映像になるか決まるのではないかと考えている。

 まあ、そんな特殊な体質のせいで人ごみというものが心底苦手。特に満員電車。控えめにいって地獄だ。思考の流れはまさにナイアガラの滝。いちいち、読んでいたら俺の頭はパンクしてしまうだろう。そのため、こういう時の対処方として『寝る』ことが最善手なのだが(寝ている時はサトリの能力は発動しない)、あいにくといまは立っているので寝ることはできない。続いて、対処法2。もうこれは無我の境地に入るしかない。無心で目的地に着くのを待つ。通学1つ取っても俺からすれば民族大移動並みの心持ちで臨んでいるのだ。

 無我の境地に入り現実逃避をしていると、いつの間にか目的の駅に着いていた。俺は速足で改札を出る。

 通学路もそれなりに人がいるが、満員電車に比べればたいしたことはない。俺は学校への道を歩く。

 これは幼少期のトラウマからくるものなんだが、俺の目線は基本的に地面に固定されている。いわゆるコミュ障なのだ。

 また昔話になってしまうが、幼少の頃、俺はいじめられていた。お察しの通り、サトリの能力が原因である。話していないことを俺が知っている。そのことを友達たちは心底気味悪がった。現代の子供は霊能力とかオカルトをあまり信じないため、俺をストーカーまがいのことをする、変質者扱いという始末。すべて善意からくる行動を取っていた俺は心に深いダメージを負った。それからは人と目線を合わせるのが怖く、地面を見るようになってしまったのだ。

 それからというものサトリで読んだ情報は口にしないようにしている。


 地面ばかり見て歩いていたせいか、俺は突然なにかにぶつかった。とても軽く、俺は少しよろめいた程度ですんだが、相手は尻もちをついてしまった。

「ご、ごめん。大丈夫……ですか?」


「いたた……。う、うん。大丈夫だから気にしないで」

(どこ見て歩いてんのよ! 朝から最悪~)


 おわかりいただけただろうか。これがサトリの能力である。手を貸そうかと思ったがコミュ障の俺にはハードルが高い。謝罪を丁寧にしてその場を後にする。

 俺は無心を貫き、学校に到着した。


 1年の教室は3階にあるため階段を登り3階を目指す。学校内は割と人口が密集しているため、頭に流れ込んでくる情報量もそれなりだ。

 教室に入るが、挨拶はもちろんない。挨拶を交わすような仲の人もいないので当然だ。

 良く訓練された犬が投げたボールを取りに行くように、俺は自分の席に着く。席は中央で、本当に自分の運の悪さを嘆くしかない。端の席なら多少はサトリの影響も多少は変わったというのに。

 教室内はガヤガヤとうるさく、いつも通りの様子だった。

 しばらくすると担任の教師がよれたスーツを無理矢理伸ばしながらゾンビのようにのそりと教室に入ってきた。


「はーい、静かに。委員長。号令」

(はぁ。風俗行きたい)


(おいおい。しっかり頼むぜ、先生)


 先生の心の声はそっと流し、委員長の声に耳を傾ける。

 俺の唯一の癒し。委員長の森メメ。


「起立、礼。おはようございます」


 クラスメイトの適当な挨拶は、この時ばかりは耳に入らない。

 森さんの透き通った、優等生然とした声を一言一句聞き漏らさないよう神経を集中させる。

 今日も今日とて森さんは美しく、白い光の世界にいた。


 隠す必要もないので言うが、この森さんは俺の初恋である。

 森さんは見ての通り、美人で人当たりも良い。男子の憧れの的であった。

 しかし、俺が彼女を好きな理由は別にある。それは昼休みになればわかることなので退屈で騒がしい授業の話は割愛させていただくとしよう。


 昼休みのチャイムが鳴った。

 俺は駆け足で教室を出る。向かう先は屋上だ。

 階段を2つ飛ばしで昇り、屋上への扉の前に立つ。この扉は施錠されているが、扉の下の部分の格子が簡単に外れるのだ。これは俺とあと1人の人物しか知らないことだ。よって、屋上に来る人物は決まっている。


 俺は急いで格子を外し、屋上の給水塔の物陰に座る。別に隠れているわけじゃない。これが定位置なのだ。

 途中コンビニで買ったパンをかじり、いつもの時間を過ごす。ここは人がいなくて思考が流れ込んでこない。学校で唯一俺が心安らげる場所だ。

 

 しばらくすると、ガコンと物音がした。あの人が来たようだった。

 物陰から顔を出し、その人を見る。

 もちろん森さんだ。


 彼女の思考はまだ流れ込んで来ない。

 彼女はゆっくりと手すりまで歩いていく。何度も見た光景。手すりの前で立ち止まる彼女の後ろ姿は現実か幻か。それすらわからなくなってしまうほど、か細く儚い。

 それでいて森さんの鼓動が伝わってくるような凜とした後ろ姿だった。彼女は今日もまた手すりの向こう、青く澄んだ空を眺めていた。でも、きっとそれは違う。俺やクラスメイトでは見えない、遠い世界を見ているのだと思う。

 徐々に思考が流れ込んでくる。それは映像。俺は意識を集中する。いつもこの瞬間がたまらない。喉元に冷たい刃を押し付けられているような。

 今日の彼女の死に方は。そうか、やはり飛び降りか。


 学校の優等生。そして、美人で人当たりの良い森さんは、昼休みになると決まって屋上に来る。そして、自分の死ぬ姿を夢想する。

 時には溺死。時には圧死。時には焼死。死に方は様々であったが、もっぱら飛び降りが多かった。多分、彼女のお気に入りなんだろう。

 その死に様はとてもリアルで森さんの死に対する真摯さがうかがえた。

 この屋上から飛び降りた森さんのイメージはとても鮮明で、何度か悲鳴を上げそうになったことがある。

 地面に落ちた彼女の顔は、悦楽に歪み、ヨダレをたらしていた。頭は電子レンジでチンした卵みたいに弾け、四肢はそれぞれがあらぬ方向に投げ出され、深い血溜まりの中に横たわっていた。

 それは決して気色悪いとか、グロいといったものではない。絵画のモナリザを見ているような、芸術品を見ている感覚に近かった。

 俺は毎日見る彼女の死に姿に魅入られていた。

 彼女の死に姿を見ると、次の日の朝必ず夢精する俺がいた。狂おしい程に魅入られていた。

 俺と彼女のささやかな秘密。もちろん彼女は俺が見ていることなど知らない。

 彼女の習慣を知ったのは入学して二週間した頃だった。俺は一時でも心安らぐ場所はないかと校内を探し回りやっと見つけた楽園がここ、屋上だ。

 同じくらいの時期に森さんも来ていたのだと思う。最初は楽園に邪魔者がやってきたと落胆していたが、そんな感情は一瞬で吹き飛んだ。

 そう、彼女は自分自身を殺し始めたからである。


 それからは森さんの虜になってしまった。

 彼女の圧倒的な破滅衝動。例えば、新興宗教に傾倒する信者のように。例えば、光に吸い寄せられる羽虫のように。

 俺は森さんが発する死の衝動に共感を覚え、自分勝手に崇拝し、彼女の思想を愛した。


 ふいに映像が途切れた。

 すると、ガシャ、と手すりを掴む音が聞こえてきた。森さんがフェンスの手すりを握った音だろう。

 こんなこと今までなかったことだ。


 とうとう、来たのかな。

 ――夢想が現実に。

 彼女は自分の理想に手を伸ばすんだ。フェンスの先、黒い闇の世界に。

 いつかはこうなることはわかっていた。

 彼女の夢想は日に日に克明に、そして色鮮やかになっていくのを感じていた。それが現実と重なる日。

 それは彼女が死ぬ日なのだ。

 彼女は落ちていくだろう。白い世界から黒い世界へと。

 

 俺は止めるべきなんだろうか。

 彼女はフェンスを乗り越え、生と死の狭間、灰色に立っている。


 ――逝ってしまう。


 ざざっ、と砂あらしの様な音声が聞こえた。

 それは彼女の最後の想い。


(やっと叶った)


 ゴシャ、と言う音が響いた。

 俺はフェンスに駆け寄り、地面を見下ろす。

 そこには森さんの夢想した姿が寸分違わぬ形であった。

 良かった。彼女は逝けたんだ。理想のままに。

 


 森さんが飛び降りてから、1月が経った。当時は騒がれていたが、いまでは誰も森さんについて思い出していなかった。サトリの能力で把握したので間違いはない。

 ここしばらく、先生たちの監視もあって屋上に近付けなかったがそろそろ大丈夫な頃合いだろう。

 再び俺は屋上に行った。久しぶりだったが、そこにはいつもと変わりない楽園があった。


 給水塔の裏でパンをかじる。実に静かだった。

 俺は思い立ち、フェンスに向かい歩く。森さんがいつも立っていた場所に。

 フェンスの向こう、青い空を見る。

 これが森さんの見ていた景色。とても綺麗だと思った。


 握っていたフェンスにザラついた感触。なにかと思い、見てみると文字が彫ってあった。

 最後かと思っていたけど、まだあったのか。それは森さんの置き土産。

 書いてある文字はこうだ。


『死を思え』


 彼女らしいと思った。

 それ以降、屋上には行っていない。

 


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