ポケモンGOと聖域
バーチャルゲームと現実の聖域の問題に関する考察です
京都大学の教授である藤井聡氏が関西の番組、正義のミカタに出演されたさい、
ポケモンGOが神社仏閣に迷惑をかけていることを非難した。
これに対して、番組のほかの出演者から非難轟々であった。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/08/02/fujii-207/
これらの記事を参照すると、楽屋裏では出演者たちの多くがポケモンGOを馬鹿にした言動を
していたようだが、テレビ画面に映ると急にポケモンGOの擁護をはじめたようだ。
それは、製作者がテレビ業界の巨大スポンサーである任天堂であることにも起因しているであろう。
私自身、任天堂のゲームは昔からかなりやりこんでおり、ポケモンGOも自分ではやっていないものの、
ゲームそのものはほがらかでいいものだと思っている。
しかし、実際にアウシュビッツ強制収容所にポケモンが出現してユダヤ人を傷つけたり、
アメリカでは人の家にポケモンが出現してそこに無断で入り込んだ人が家人から銃で射撃される事態も
発生している。
これは、ゲームの面白さ以外の、製作者サイドの怠慢である。
普通に地域自治体とタイアップして観光客が行ってほしい場所にレアポケモンを出現させるように
すればいい。この聖域にポケモンが発生する事態とは正反対に、
田舎ではポケモンがまったくいない現象の発生している。これもある意味、けしからぬ事である。
完全に製作者の怠慢だ。
これらは、ゲームの面白さとは別に、、「出現させてはいけない場所には出現させない」という
商業倫理を守っていれば何の問題もない事象である。
これは、社会道徳であり、このような怠慢に対して、発売した企業は即座に対応し、神社、仏閣、墓、
博物館、原爆ドームや教会などからポケモンを削除すべきである。
聖域にポケモンを出現させるなという非難は、極めて妥当な常識である。
にもかかわらず、藤井氏は番組の中で袋叩きにされた。
これこそ、社会に蔓延する全体主義でありファシズムではないだろうか。
結局、力の強いもの、世間の空気には、内面で反対だと思っていても、迎合して服従し、
正論を述べるものを袋叩きにする。
ゲームの面白さとは別に、企業が出来るにもかかわらず、怠慢でやってなかった事のために
発生した問題は、民衆が声をあげて非難し、修正させなければならない。
それを、世間の空気や多数への迎合によって、正論を言う人を集団で袋叩きにする行動は
極めて醜悪と言うしかない。
楽屋裏ではゲームをバカにし、罵倒していながら、テレビの前では世論の空気に迎合した人々は
心から反省すべきである。そして、世情の勢いにのって、調子に乗って藤井聡氏をバッシングした
共演者たちか心からその卑しさを心から恥じるべきである。
多数に迎合することなく、社会常識を守りましょうという話