085
塔の4階。戦い方を覚えたなら、如何に敵が素早くなろうとも対処できないわけではなかった。
潜水用のマスクがなければ溺れ死ぬ程に水の属性が色濃く反映された瘴気の世界。次々と現れる水棲型デーモンを倒しつつ、先に進み続けることで順当に見つけられたこの階のボスがいるであろう場所。
「この先にボスがいる……のか?」
確証はない。しかし、この先からは肌にピリピリと来る程度に濃い瘴気の気配を感じた。
「だが……」
しかし先に進むことは戸惑われた。
「落ち、なきゃならんか?」
潜るとも言うのかもしれない。俺は壁に手をつきながら浮力でふわふわと流されそうな身体を支えつつそこを見下ろした。
目の前にあるのは巨大な穴だ。降りるには躊躇う程度の深さだが、幸いにも青い発光によって下の様子を伺うことができる。
「深いな……」
深さは、部屋2階分の高さだ。無論最初にこのダンジョンに入るために堕ちた穴よりは格段に浅いと言えば浅いが、あれと比べてはいけない。
(2階分の高さ、か。階は更に2階ある、のか? ……いや、そちらは置いておこう。まずはこの場をどうにかすることを考えるべきだ)
この穴は見た限りでは、この先は天井2つをぶち抜いて作られた空間のようで、穴としてはそこそこに深い。無論デーモンがぶち抜いて作ったわけではなく、元々この塔の設備のようだ。
3階分のスペースを利用した、なんだ? 物見台か何かの為の施設か? こういった施設はよくわからないな。
壁の内側には神を称える為の宗教画が描かれている。無論、神の顔は削られ、神を称える神聖言語は所々破壊されてもいるが、その名残ははっきりとわかる。
そして、壁側には手すりのついた螺旋階段も見える。もっとも浮力のある水に侵された場だ。階段を使って悠長に降りなくても良いだろう。
「ボスもいることだしな」
見下ろせば穴の底には石像がある。
肌にピリピリとくる瘴気はあれから溢れていた。
確信を持って断言できる。石像だ。持っているのは算盤に、金貨袋か? 頭に思い浮かぶ単語。商人。
なるほどボスデーモンに間違いはない。
「先手必勝……と行くか」
こちらに気づいているのかいないのか。石像はただただ静かに佇んでいるのみ。
この位置からの攻撃も考えたが、水の瘴気が問題だった。この距離からクロスボウや弓で攻撃しても水による威力の減衰が酷く、恐らくはまともな攻撃にはならない。
(速度も落ちるしな。相手は石像型のデーモンだ。通じないだろう)
炎剣を鞘に収めたまま袋よりメイスを取り出し、奴との距離を計りながら俺は飛び出す。
(くッ、やはり水の中では落ちるのが遅い!)
水による抵抗。デーモンへとふわふわと落ちていく。落下、というには遅い速度だ。それでも奇襲には違いないと、息を潜め、メイスを振り上げ、落ちていく。
鎧の重量のおかげで生身で落ちるよりかは幾分かはマシだが、それでもじりじりとした思いを抱きながらゆっくりと降下していく。
(デーモン! 死ねぃ!)
石像の頭上よりメイスを振り上げ、叩きつけようとした所で石像の頭がぐるりとこちらを向いた。
「気づかれていたか!!」
『ホッホッホー!』
メイスが石像の頭部に直撃する。落下に勢いがないせいでろくに威力が上がっていない。先制はとれたが、腕力のみでの打撃とそう変わらない。
『金貨。銀貨。金の価値は常に変動。然るに命の価値も変動』
石像が袋を振り上げる。そこに詰まっているのは金貨だ。メイスを叩きつける俺のことなど構わずに石像は口の開いた金貨袋から金貨をつかみとり、それを宙にばらまき始める。
「魔術!? いや、神術か!!」
全身が警戒に硬くなる。
商業神は善なる神でありながらデーモンとも取引を行える中立の神である。故に、完善なるゼウレの奇跡と異なり、その神威はデーモンが扱おうと衰えることはない。
金貨の奇跡。商人が身を守るための神術だろうか。商人の石像が宙にばらまいた金貨が水の中より追尾の弾丸となって俺へ突っ込んでくる。盾を慌てて振り回すもののそれらは盾の隙間を塗って俺の鎧に直撃する。
「ぐ、ぬぅ!!」
ガツンガツンと鎧に当たってくる金貨。……金貨かこれは? 金にしては硬すぎるぞ!!
ドワーフ鋼と金では金属としての強度が違う。故に水の中を高速で泳ぎまわるこれは金貨の形をした何かだ。
メイスで殴りつけつつ石像から離れ、一旦様子を見るために周囲を見回した。
「金じゃないなら……。そうか、硬い金属を硬貨に加工し、硬貨の属性を持たせてるのか」
鉄に金のメッキでもしてるのか。純粋な金貨でない分、神術の影響力は下がってそうだが、純粋な物理を考えればそちらの方が正解か。
最も、商業神の神術は商人が身を守るためのものでしかないので、わざわざ金メッキした偽硬貨なんてものを持ち歩く商人はいない。
デーモン特有の姑息な邪法である。
『天秤の片側に乗せるのは金貨。片側には汝が命』
「ちッ。支配の神術か! ちッ、通用すると思うなよ!!」
商人の石像の持つ袋から偽硬貨がごっそりと宙に溶けていく。同時に俺の身体に強力な負荷がかかる。辺境の奴隷契約に使われる金で魂の支配権を奪う等価交換の術式だ。
(に、偽硬貨で助かった。あれが純金だったら……)
命はなかったかもしれない。それでも神術の媒体にもできる程に精巧な偽硬貨だ。相当な負荷が身体に掛かっている。辺境人の俺が鎧が重いと感じる程度に。
(オーラの練りも下がっている。体力の上限を削られたか!!)
焦る俺の中で商人の石像はゆるゆると身体を震えさせる。でっぷりと出た腹は富の証だ。そこからざらざらと偽硬貨が生み出されていく。
『ほっほっほー!!』
宙に浮いた偽硬貨が次々と金貨袋に入っていく。
「硬貨を、生み出せるのか……!?」
純粋な硬貨を持っていないのはこれが理由か。
同時に俺の頬が引き攣る。まずい。何がまずいと言えば、このクラスのデーモンに賢く戦われると、俺に勝ち目がない。
一瞬、上に視線をやる。
「案の定、退路はないが」
リリーを想えば、逃げるという選択肢はない。それでも頭上を覆う黒い靄を見て俺は小さく首を振った。
商人の石像。奴が偽硬貨を生み出すのにも多少の瘴気を使っている筈だ。
「体力勝負なら、俺が勝てる……!」
勝利を信じる為の特に根拠もない思い込み。それでも全包囲から襲いかかってくる偽硬貨を弾きながら俺は小さく覚悟を決めるのだった。




