058
やられた。
腹に矢が突き刺さっている。臓腑が……腐れていく。
矢を引き抜き、へし折り、射線の先を睨みつけた。
このダンジョンのデーモンの特徴。子供の落書きのような、滅茶苦茶な顔をした、黒い装束の狩人がそこにいる。
(火球は……無理か。届かない。クロスボウ……いや、それよりも治療が先だ)
気力で立っているものの、腹の傷は思ったよりも深い。
徹底して用心深かった狩人が、俺の前にああやって姿を見せているのは俺が死ぬとわかっているからだろう。
追撃もせず、奴は佇んでいたが、やがてふぃっと顔を背けて去っていく。
俺は動けず、それを眺めているだけだった。
「死んで……たまるかッ!!」
解毒の丸薬。それを纏めて傷口に叩き込む。
そうして俺は手袋を脱ぐと手を貫手の形状にし、傷口に突き込んだ。
「ぐ……おぉ……おぉおおお」
どこに毒を受けているのかは理解している。オーラの巡りが悪い部分。そこが毒で壊死し始めている場所だ。
全身にオーラを注ぎこみ、周囲の毒と瘴気から肉体を守り、同時に素早く該当箇所を抉り取る。
破いてはいけない血管がぶちぶちと千切れる嫌な音がする。口の中に血が溢れ出る。
しかし、このまま死ぬよりマシなことだった。
「があぁあああああああああああッッッ!!」
ぶちぶちぶちぶちと壊死していた内臓を自らの手で引きずり出す。自分の中身など初めてみたものだからこれが何の場所かはわからない。
ただ、俺の生命力ががくりと減ったことを考えればきっと重要な臓器だったのだろう。
「はッ、ざまあみろ。俺は、死なないぞ。殺されてなどやるものか」
矢によって貫かれ、俺に引きずり出され、地面に叩きつけられた臓器。それが黒く変色して縮んでいく。
間一髪という奴か……。周辺の肉も一応抉り、消毒や血止めを兼ねた軟膏を塗りつける。
最後に何かあるかと取っておいた上位聖水で傷を濯ぐ。マスクも脱ぎ、飲み干し、体内から瘴気の作用を取っていく。
毒消しの丸薬。更に痛みを取り、疲れを感じなくさせる戦士の薬を口に含む。
マスクを外している時間は短時間だが、橋の傍は木々の開かれている場とはいえ、森に近い側だ。毒花粉も当然舞っていた。
毒消しは必須だ。
(それでも戦士の薬と他の薬の併用はあまり良くはないんだが……仕方ない)
毒も問題だが、痛みで集中が切れるのが不味い。それに橋を踏破した際の疲労も無視できるものではなかった。
それに、と森の奥。狩人の消えた方向を睨みつける。
――もはや狩人を殺す他なくなった。
やはり俺とデーモンはぶつかる宿命にある。
奴を殺し、ソーマを手に入れる。それ以外に俺が生き残る道がない。
袋から取り出した補修用の布を傷口に当て、ベルトで硬く縛る。乱暴だが、これで月狼装備の穴も塞がる。
勿論完璧とは言えない。しかし、ゆっくりと補修を行う余裕はない。
「やるしかない」
地上に帰るという選択肢はない。
間近に死が迫っている以上、休息もできない。
狩人が追撃もせず俺を放置したことがその理由だ。
当てた場所で理解したのだろう。俺が毒をどうにかしても、生き残ることはできないと。
俺も自らの肉体の変調で理解している。
(抉り出したのは、失ったらまずい臓器だった)
地面で萎びた俺の臓器を見る。それがどんな機能を持っていたのか俺にはさっぱり理解できないが、肉体には不可欠なものだったことは確からしい。
オーラの生成量が愕然と下がっている。そして、この体調でならいつでもベルセルクが使えるとわかってしまう。
何もしなければ、俺は死ぬ。
そして、帰れない理由もこの傷だった。
村の司祭様にこのレベルの負傷を癒やす奇跡は使えない。あの人はゼウレの敬虔な信徒であり、滅びの奇跡には長けていても、癒やしの奇跡に長けているわけではない。
猫にも頼れない。奴の売っている道具の値段は覚えている。このレベルの負傷を癒やすには莫大なギュリシアが必要だ。そして俺はそれを持っていない。
神に祈る。成功することを約束し、自らを鼓舞する。
絶望的だが、完全に終わってはいない。
(どうか、神よ。俺が途中で死なず。デーモンを必ず討ち滅ぼすことを信じて下さい)
ゼウレの加護は望まない。祈るだけだ。必死に加護を祈れば慈悲深いゼウレは俺に加護を授けてくれるかもしれないが、このような些事にゼウレの加護を賜る訳にはいかない。
俺の不始末だ。俺が、俺だけの力でデーモンを滅ぼさなければならない。
俺たちは神に祈るが神に縋らない。俺達がデーモンを滅ぼすのはいつだって俺たちの為だからだ。
「なぁに、死んでも相打ちに持ち込んでやる。そうすれば……ッ。いや、無駄口叩いてる暇はない……」
重要な臓器が失われているのだ。猶予はない。失敗も許されない。ソーマ云々は置いておいても、報復の為に絶対に滅ぼさなければならない。
狩人は俺を放置し、逃げていった。
そう、逃げていったのだ。
放置すれば死ぬ、だ? 放っておけば俺が死ぬだと。
違う。全くもって違う。狩人は恐れた。俺を恐れた。
死兵となった辺境人の逆襲を恐れ、止めを刺さずに逃げ出したんだ。
報復の気炎は腹の中で燃えている。それを力に俺は探索を開始する。
限界は近い。しかし目算は立っていた。
指輪を変える。ヤマからベルセルクに。
ベルセルク。戦神が眷属。狂戦士の血族。
「デーモン……デーモン……デーモンか……」
ベルセルクで身体能力を増強する。
一撃に全てを掛ければ消滅する儚い力でも、持続的に使えば長く保つ。
「臭うぞ……奴らの腐れた気配は……わかっているぞ……」
犬が如く四肢を地面にこすりつける。擬態の呪術。こいつも最古の呪術の一つだ。力あるものの振りをしてその権能を願う。
俺に呪術の適正はないが、こうして世界に記録されている呪術を用いることはできる。適正がない為に完全な力を得ることはできないが、全く得られないというわけではない。
そして、そういったほんの少しが俺を後押ししてくれる。
獣の仕草で獣の嗅覚を得る。
マスク越しで感覚は遮断されるが、ベルセルクの増加分を加えれば、獣の真似でデーモンの気配をなんとか判別する。
それにだ。あの濃い霧の橋、奴に狙われ続けたという経験が助かっていた。あの蓄積があったからこそ俺はこうして奴の薄い気配を辿ることができる。
あの霧の中、俺だけがやられ続けたわけではない。
奴の情報も相応に手に入れている。
「……この先か……」
俺の視線の先には森がある。
そして森の先には神殿がある。
狩人の気配はその中途で留まっていた。視界に入っているわけでもない。ただ狙われ続けた気配がそこにあることを俺は識ったのだ。
(……そうか、そういうことか)
奴の狙い。
俺の目的。
それはお互いを滅ぼすことだ。しかし、それだけではない。
俺はこのダンジョンを踏破し、神を殺すことが目的であり。
奴はダンジョンに潜むデーモンとして、俺を殺し、俺の目的を阻まなければならない。
(考えたくはないが……これだけ登場人物がデーモン化しているなら……)
首を振る。まだそうと決まったわけではない。
それでも、必然として、いるのは確かなのだろう。
だからこそ直感する。それは奴の物語を知っているからこそたどり着いた結論だ。
――狩人は騎士になりたがっていた。
俺が狩人のし掛けた攻撃の数々を打ち破ったならそれは奴の狩人としての敗北にほかならず。
ならば、奴は俺を滅ぼす為に騎士として戦うしかなくなる。
だから奴の気配が動かないのはそういうことだ。
先に待つのは、きっと正面からの戦いだ。
「『ならば貴方は私の騎士なのね』か……。姫も罪なことをする」
戦士の心を持つ男が高貴な姫君にそんなことを言われれば、男は果たさなければならなくなる。
それは重荷と同時に名誉なことだ。
「ふん……デーモンのくせに、なんとも羨ましいことだな」
俺は小さく呼吸をすると、森の中へと踏み込むのだった。




