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「敵の姿は見えない……」

 岸壁に接続された、橋の始点。そこに俺は立っている。

 敵の姿は見えない。

 橋を装飾するように設置してあった石像が槍を持った翼持つ悪魔(デーモン)へと変じ、襲い掛かってくるという一幕があったがそれは別だ。

 メイスで叩き壊した為に、足元に散らばる石悪魔の破片を蹴り飛ばしながら周囲の確認を行う。

 傍にあるのは霧がうっすらと漂う森と得体の知れぬ橋だがそのどちらにも敵の姿は見えない。


 ――不自然なほどに。


「明らかに罠だが、ここを突破しないといけないのがな……」

 絶望した気分で橋を見る。

 渓谷を繋ぐ(それ)は植物の蔦と木の板で構成されている。少しだけ足を載せて強度を確かめれば、みしりと橋板は俺の体重を引き受けた。

 俺に橋の構造はわからない。だから感覚で判断を行うしかない。

 足を振り上げ、力いっぱいに足裏を叩きつける。ガツン、と音が響き、橋が揺れるものの分厚い木の板は割れるようなことはない。

 次は蔦。流石にショーテルで斬りかかるような真似はしないが、手で掴み、ギシギシと揺らしてみる。

「大丈夫そうだな……」

 しっかりとした作りだ。ここを歩いたり走ったりしても落ちないだろうという確信が得られる。

 それでもゆっくりと歩くような真似はできない。恐らくはここを進む間に必ず襲撃があるからだ。

「姿はないが、気配は……あるな」

 見られている気配。ここに入ってから感じているそれ。今もしっかりと感じている。

 狩人のデーモン。劣位の個体ではなく、この領域のボスデーモンだ。

 姿は見えないので、場所はわからないがそいつは今も俺を監視している。

 俺の癖や技を覚え、隙を探し、弱みを探し、そして死を齎そうとしている。

 隙は晒せない。殺意は常に照準と共に伸びている。

 最終確認だ。腕にベルトで括りつけた盾を確認する。拳を叩きつけて鳴らせばしっかりとした感触が返ってくる。

 ショーテルは腰の鞘に収まっている。袋に入れたメイスもいつでも取り出せる。クロスボウは太矢を装填して袋に入れた。

 指輪は病耐性の指輪とヤマの指輪をそれぞれの手に嵌めている。魔力も充実している。問題はない。

「行くぞ……」

 一呼吸して足を踏み出す。みしりと板が揺れた。

(しかし、この橋の上はまずいな。何が来るかわからんぞ……)

 真正面。橋の先を見て歯を噛みしめる。渋い顔をしている自覚はあった。

 橋の上、というより渓谷の上が問題なのだ。深く霧がかかっていて、極端に視界が悪い。

 元々この渓谷、森と違って霧も格段に濃く。対岸が薄っすら程度にしか見えないのだが、渓谷に架かっている橋の上は特に最悪だった。

 橋の上だけが霧につつまれ全容を見せていない。呪術でも使っているのか、渓谷の霧を集めたかのように真っ白な霧が橋を包み込んでいる。

 あれでは敵が橋の上にいてもわからない。いや、デーモンという存在の厭らしさを思えば十中八九霧中に潜んでいるだろう。

「ああ、糞。嫌だな。嫌だが……」

 拳を握る。怯懦に震える心に喝を入れた。

 選択肢は一つしかないのだ。退くなんて選択は存在しない。進むしかないのだ。

 俺は、覚悟を決めると駆け出した。足音軽く跳ねるように走りだす。

(付いてきてるな……)

 同時に、俺を狙う視線もしっかりと追随してくる。一体どこからか……。いや、ここの領域を支配しているのだ。何があろうとも不思議ではない。重要なのは、未だ狙われ続けているということだ。

 警戒は怠れない。同時に、走りだせばもはや止まれない。覚悟を決めて走る。走る。走る。

 ぐらぐらと橋は揺れる。それでも走る。体中に行き渡った呼気を消費して走り続ける。

(こんなにも、足が遅いと思ったのは初めてだ)

 狙われながら、不安定な場所を走るという異常事態に時間感覚がおかしくなる。

 極限の集中力が作用しているのだろう、一秒が引き伸ばされる感覚。

 それでも足を動かす。橋板と橋板の間には微かに隙間があり、それらには十分に気をつけねばならない。……ここから落ちれば命はないだろうという恐怖がある。

 しかし、ぐっと飲み込み、足元ではなく対岸を見据える。

 まだ三分の一も踏破していない。

 敵は……。走りながらマスク越しに目を(すが)めて確認するがわからない。足を動かしながら前を見据えれば目の前が敵の罠の中心なのだろう、霧が濃くなっており、指の先さえわからなくなる。

(霧に突入するぞ!!)

 橋の上。そこを支配する霧の領域に入り込む。

 全く前が見えなくなった。感覚だけを頼りに足を踏み出す。足を踏み出せばそこだけ板がなく、そのまま落ちて死ぬかもしれないという恐怖で頭がおかしくなりそうになるも、耐えて耐えて駆け続ける。

 同時に。

(くそ! 畜生! 鬱陶しい!!)

 狩人のデーモンは未だに俺を狙っている。

 俺が霧に飲み込まれても俺を狙う気配は途切れないのだ。


 正面――殺気。


「はッ!」

 バックステップ。すかさず一歩踏み込む。同時にメイスを引き抜き、振り下ろす。

 霧の中に気配を感じ、対処した。

 メイスから伝わるぐしゃりと何かを潰した感触。

 だが敵は死んだようには思えない。

「悪いがまともに相手をする暇がなくてな!」

 この場ではまともに止めを刺すことは不可能だ。

 龍眼を発動し、霧の中にいる何者かを凝視する。

 姿形はわからないが、弱所がはっきりと見え、俺はメイスを袋に仕舞うと逆手でショーテルを引き抜く。(弱所はメイスよりもショーテルの方が狙いやすいのだ)そして、逆手のまま、オーラを込めたショーテルをすかさず敵の弱所に叩き込んだ。

『ギェエエエエエエエエエ!!』

 断末魔から人蟲の類かと推察するも、よくわからない。


 背後――殺気。


 その場を飛び跳ね、さらに背後に向かって盾を向ける。

 一瞬前、俺がいた位置に矢が叩きこまれ、更に構えた盾にも矢が突き立っている。

 衝撃に腕がビリビリと震え、背筋が凍る。

(おいおい、龍眼を出し惜しみしていたら死んでたぞ)

 腰を落とし、警戒を更に密にする。……追撃はない。周囲に敵の気配も感じない。

 デーモンは恐らく銅貨を落としただろうが、拾っている精神的な余裕はなかった。

 俺はショーテルを鞘に収めると、足先の感覚で橋板を確認して駆け出す。

 未だ道筋は中途。

 こんなところで死ぬつもりはなかった。



 霧の中でもデーモンは俺の位置をしっかりと確認して襲い掛かってくる。奴らは通常、とんでもなく鈍かったりするのだが、感覚器官は人間を越えたものを備えている場合が多い。故に視覚的な障害に惑わされず、人間を捉えることができる。

 辺境人とて恐怖を感じることはある。感情を失えばそれは木偶だ。鈍いわけではない。ただ俺たちはそれを克服する術を知っているだけで、恐怖しないわけではない。

 だから俺は恐怖していた。このような場で戦うことが、ただただ恐ろしい。

 一歩足を踏み外せば落ちるような橋の上。戦闘を強要されるわ死角から矢は飛んで来るわ橋板は安定しないわ。

 少しでも気を抜けば俺は死ぬ。

 だから恐怖に震えるわけにもいかず、武具を構えて立ち向かうのだ。

「これで、半分ぐらいかッ!!」

 駆けていた身体を止めるために蔦を掴み、ぐっと耐え切れずに安堵の息を吐く。

 森を生き抜くには必須だが、マスクの呼吸のし難さが今はただただ憎かった。

 流石に、連戦と狙われ続ける緊張感で精神が疲弊していた。少しの休息が必要だ。それでも警戒は緩められない。この深い霧の中では敵がどこからか襲ってくるのかわからない。

 加えて龍眼の連続使用による疲労がじわりと俺を襲ってくる。こいつはかなりのスタミナを俺から奪うが、この極限の場では使わないという選択肢がなかった。

 即座に戦闘を終わらせないと飛んでくる矢に対処ができないのだ。

(アザムトに感謝すべきだな……盾がなければここは突破できなかった)

 盾なしでも森はなんとかなっただろう。しかしこの橋の上は盾がなければどうにもならなかった。

 相手が手錬れすぎるのだ。

 あのボスデーモンの矢。ショーテルや鋏ではどうやっても一発防ぐだけで精一杯になる。

 そして衝撃に震える腕では二の矢三の矢を防げず、更には盾と違い、このような不安定な場であの剛弓を武器で防げば体勢はかならず崩れる。矢を防いだせいで揺らげば、体勢を立て直す前に俺は必ず貫かれる。

 当然、矢を一発受けただけでは俺は死なない。だが一度でも受ければ毒が廻る。毒が回れば俺は弱る。弱れば追い打たれて俺は死ぬ。

 結論として、一度でも矢を受ければ終わりなのだ。

 心底恐怖に震える。

 盾に助けられている。その自覚は大事だ。ここを踏破したらしっかりと手入れをしてやると盾の表面を撫でながら囁く。

 これがなければ命を失っている。

 それに、これは酒呑のおかげと言ってよいが、盾の効能は防御だけではない。

 『集魔』の聖言による魔力回復。これが思いの外、役に立ちすぎている。

 龍眼は消費するスタミナと魔力が多い、スタミナは気合でどうにかできるが、流石に魔力はどうにもならない。

 その魔力を補充してくれる『集魔』の聖言には偉大なる神の力を感じて仕方がない。刻んでくれたヤマの眷属である酒呑。ひいてはその主であるヤマへ感謝の祈りを捧げた。

 龍眼は俺に多くの消費を強いる。

 が、使うことでタフなデーモンでも短時間で滅ぼすことができる。これはかなり大きい利点だ。

 戦いの途中で矢が飛んでくれば俺とて不覚をとる。

 それを龍眼は敵を手早く殲滅することで防いでくれる。龍眼がなければ橋の上で遭遇するデーモンどもを処理している間に矢に貫かれて俺の命は失われていただろう。

「……全く、何がどう作用するかわからんな」

 龍の魂に飲まれたことで俺は黒鉄の剣を失い、死ぬような目にあった。しかし龍の魂を得ることで俺は龍眼を手に入れた。

 酒呑を助けることでボス格のデーモンと戦うことになった。しかし、助けなければ『集魔』の力を得ることはできなかった。

 そして、あの場でアザムトと出会えなければ橋を進むことができなかった。

 どんな出会いにも意味はある。

「そもそも爺に助けられなければ……ここにいることもなかった、か」

 そうなれば俺はきっとどこかの山の中で野垂れ死んでいた。

 ふぅっと息を吐き、気を引き締める。

「もう半分、もうひと頑張りだ。行くぞ!!」

 拳を握り、気合を入れた。

 霧の中、先の見えない世界を俺は駆け出していく。



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