032
花の君。
それは大陸側に残されたデーモンの中の一体である。
正式な名を魔宮八業将華旺天蓋という名があるのだが、真名はあまり知られておらず、一般的には花の君として大陸の一地方に君臨していた。
そこは人の死骸にて彩られた花の都。悪意に塗れた悪夢の顕現した都。毒と魅了の業を使う邪悪なるデーモンの巣。
辺境と隔離され、チルド9の王と4騎士が喪失した混乱より生まれた悪鬼の都。しかし悲劇も長くは続かない。
討伐に向かった数多の英雄を飲み込んだ毒花の都市は、大陸に残された神秘で武装した数名の聖者たちによってその主ごと討伐された。
元々、花の君は七大魔王と呼ばれる強力なデーモンたちとは別に存在した領主級のデーモンの一体だった(大断絶後の混乱によって多くの神秘が失われた大陸では魔王級のデーモンを滅ぼすことはできず、七大魔王の討伐には辺境人との再接触を待つことになる)。
大断絶以前、辺境人が護る辺境の地を抜け、大陸で暴れていたデーモンはいくつか存在した。
その多くは最盛期の王国軍によって討伐されたが、討伐されずに生き延びた個体もまた多くいた。七大魔王、魔宮八業将、天魔九龍帝、廃都巡礼者、こういった者たちだ。
果たして、大陸が混沌とした様相から復帰し、人々が明日を知れぬ獣がごとき生活より文明的な日常を取り戻した時、こういった各地のデーモンたちが問題となった。
人間の上に君臨する不浄の王たち。人々は家畜として生かされ、生命や喜びを搾取される。魂から力を搾り取られ、怨嗟の声で地は満ちる。
そのときに立ち上がったのが、大陸各地に存在した英雄たちである。残る神秘は薄くとも人材武具問わず大陸全ての神秘がかき集められ、大陸の人類全体の問題として国境を超えて各地の領主級デーモンたちは討伐されたのだ。
英雄たちが七大魔王の一体に挑み、その消息が完全に途絶えるその時まで。
と、いうようなことを撤退途中でリリーに聞かされる。
リリーは肉体の変化で、俺は肉体の疲労でお互いに肩を貸し合ってのことだ。
「少し、休もう。私もこいつをなんとかしなければ……」
俺を回収した後に鎧の内側にしまいこんだ生い茂る茨。リリーは苦痛に顔をしかめながらそいつを収めていく。
「ぐ……うぅ……はぁ……糞ッ……この、じゃじゃ馬め」
俺も毒消しを飲み全身の苦痛を解消していく。とはいえ、体力の消耗が激しいので毒を抑えるだけのものだ。完全な解毒とはいかないが、苦痛に弱いわけでもない。動ける程度に苦痛が治まれば十分である。ついでになけなしのオーラを振り絞り全身の傷の治癒も始めた。
息を整えたリリーが話を再開する。
「花の君は少し特殊なデーモンでな。本当は、英雄たちは花の君を倒せなかったんだ。武器が足りなかったのか。奇跡を扱うことができなかったのか。どうやっても滅ぼすことができなかった。だからチルド9王族の傍系である我がテキサスの開祖は体内にデーモン『花の君』を封じて、血族の長子に引き継がせることにした。いつか倒せる方法が見つかることを信じてな」
鎧に身を包み、兜さえ閉じたリリー。全身はぴっちりと鎧で覆われ、皮膚の一部さえ見えなくなっている。想像しかできないが、きっと鎧の下はそうなのだろう。
――聖騎士第七位、花の騎士。
その名の意味を俺はここで知った。きっと大陸の人々は誰もそんな真実は知らないのだろう。
「デーモンと人との融合。辺境人からしたら滅ぼすべき対象だろう。なぁ?」
自嘲するようなリリーの言葉に俺はただ頷く。
「そうだな」
リリーが鎧の中で身を固くする。俺に攻撃されるとでも思ったのだろう。だが疲れきっているのか離れようとはしない。兜の奥で彼女がどんな顔をしているのか。想像などする必要はない。
俺にリリーを討伐する気などないのだから。
リリーが見知らぬ他人であったならば滅ぼした。人を基にしていようとデーモンはデーモンだ。辺境人にとってデーモンは永遠の敵である。
だが、リリーは俺の恩人だ。
俺は一端の侠者として、恩を必ず返さなければならない。
リリーには二度命を助けられている。一度は税で、二度は王妃から。
税を払えなければ俺は国民の義務を果たせず、チルド9の加護を失っていただろう。加護を失えばデーモンの呪いから身を守る術はなくなる。そうなれば俺は高位のデーモンと戦うことができなくなっていた。ここにいられなかった。
そして、単純に命を救われた。
もはやどうやって返せばいいのかわからないが、彼女に対して俺は命を掛けて恩を返さねばならなくなった。
リリーから一度離れる。そうして前を向いて構えた。
「安心しろ。俺がお前を害することはない。だから、下がってろ」
正面から料理人のデーモンが数体現れる。あの王妃の影響だろう。この階層の瘴気が明らかに濃くなっていた。
辺境人の俺ですら息苦しいと感じるほどに。
これでは転移のスクロールも使えないだろう。聖域に行けば別だろうが、それよりも昇降機を目指して逃げた方が安全に思えた。
それに、ケツが殺気でひりついている。あの王妃はきっと俺たちがここに居続けたら必ず殺しに来るだろう。デーモンが生者を生かす筈がないのだから。
だから一度地上に戻り、奴を諦めさせる必要があった。
本来の階層でないのなら王妃がここに長居することはないと思うのだが……。
現れたデーモンを見たリリーが隣で警戒も顕にレイピアを構える。
「前に出過ぎるなよ。俺が相手をする」
「ああ、わかった。だがキース、気をつけろ。異常に濃い瘴気を纏っている個体もいるぞ」
唯一残っているメイスを取り出した。そういえば暴走したときに黒鉄の剣をあの広間においてきてしまっていた。
(回収はできないな)
今後を考えれば無理をしててでも回収しておきたい。だが俺もリリーももはや余計な寄り道ができる状況ではない。俺は魂と肉体の消耗が激しいし、リリーに至ってはこの瘴気の濃度だ。油断すれば花の君側に主導権を取られかねなかった。
リリーのソレは、詳しくは分からないが、恐らくは辺境では禁呪に相当する技術で行われている封印だろうと思う。デーモンの力を使えるように改良が加えられているようだが、基礎はなんとなく知っているからその性質もなんとなくだが理解できる(使えるわけではないが知識だけは教えこまれているのだ)。
(早く地上に出なければ、な。俺もリリーも消耗しすぎた)
振り下ろされた肉斬り包丁を最小の力で往なし、メイスを叩き込む。もはや攻撃の為にオーラを練ることも辛い。肉体の治癒と強化に回さなければ身体を動かすこともできないかもしれなかった。
(このメイスには随分助けられているな。なかったら死んでいたかもしれん)
敵の先鋒を打撃で退けると、異常に瘴気を纏った個体が突撃してくる。その肉斬り包丁が纏う瘴気を見て背筋に悪寒が走る。
(糞、触れたらやばいな。あれは)
最小の動きなどと格好をつけていられない。多少大げさに包丁を避け、踏み込みとともにメイスを叩き込む。
「しかもッ、タフだな! リリー、絶対に俺より前に出るな! こいつはやばいぞ!」
動き自体は他の料理人と大差ない。だがボス格のデーモンにも似た威圧感を全身から放っている。それに近寄るだけで強い瘴気でじくじくと身体が痛む。魂の弱った今の身体ではただ近くにいるだけで全身に苦痛が走る。
「キース! だがッ、お前の身体は大丈夫なのか!?」
「いいから言うとおりにしろ! こいつの瘴気はヤバイぞ! お前の中のデーモンが刺激されかねん!」
「ッ……。わ、わかった! それでも援護はさせてもらうぞ!」
背後からナイフが投げられる。聖水でもかかっているのか、こちらに攻めかかろうとしていた料理人のデーモンたちにナイフが突き刺さると奴らはデーモンらしからぬ悲鳴を上げて後ずさる。
助かるぜ。俺は唇を舐めるとメイスと盾を構えて黒い瘴気を放つデーモンへと躍りかかった。
「あんな化物がいるとはな。キース、助かった。私一人では帰還することもできなかっただろう」
「そうか。少しでも恩が返せたならよかった。だが、そんな身体でなぜここに? ずっとここにいればデーモンに侵食されて死ぬぞ?」
昇降機の中、俺とリリーは疲労で壁に寄りかかりながら天井を見上げている。
先ほどの特別な料理人のデーモンを含め、道中には異様な濃い瘴気を纏ったデーモンがあちらこちらにいた。
どうしても倒さなければならないものだけを相手にしてきたが、異様なタフさ、近づくだけで身体が痛む強い瘴気と強敵ぞろいだった。
もちろん奴らはそれに見合うだけのものを所持していた。
なんと銀貨である。一枚でギュリシア銅貨20枚近くの価値だ。それが個体ごとに違うとはいえ、数枚ほど持っているのだ。
喪失した道具類を補充するにも貨幣は必要だった。半分ずつリリーと分け、俺たちはようやく一息ついたところだった。
リリーは最初は言いにくそうにしていたが、俺がじっと見つめると兜の奥からため息と共に言葉を吐き出す。
「探しものがあるのだ。ミー様が持っていると思ったが、そうではなかった。だがここにあるという言葉を頂けたのだ。それがあれば、私は人として死ねるのだ……」
リリーが下を見る。それはまだ見ぬ階層を見ているように見えた。
「そいつは一体?」
「神酒ネクタル。あらゆる呪いに効くとされる神の酒だ。それがあれば、私の身体に巣食う花の君を分離できる。分離できればあとは辺境人に任せればいい。デーモンと4000年戦い続けた辺境人には花の君を殺せる神秘が残っている。そうすれば、私は私の子や孫にデーモンを伝えることなく」
――人間として死ねるのだ。
「そうか……」
「キース。悪いとは思うが見つけたら譲ってくれないか。もちろん私に払える対価ならなんでも払おう。頼む」
「わかった。見つけたら必ずお前に譲ろう」
「そうか。よかった。……本当に、よかった」
そんなリリーの呟きと共に昇降機は神殿へとたどり着く。
襲ってきた犬のデーモンを蹴散らした俺たちは、ようやくの無事に一息ついたのだった。
「さて、キース。ここで一度別れよう。私はそこの聖域で休んでいく」
「猫のところまであと一息だが、いいのか?」
「お前はこのまま地上に戻るんだろう?」
言われ、頷く。辺境製の解毒薬を俺は使い果たしていた。あれは猫は売っていないため地上で補給しなければならない。また、瘴気に汚染された身体を休める為に一度地上に戻りたかったのだ。猫のところの聖域でもいいが、地上の神殿で一度体内の瘴気を浄化してもらった方が治りも早かろうと思う。
「そうだが、リリーは戻らないのか?」
「いや、私は……。たぶん一度でも地上に戻ればここに戻りたくなくなるだろう。私には一度地上に戻ってここにまた戻る心の強さはない」
俺は沈黙するしかない。
「ふふ、太陽の光を見てしまえば、こんな地獄に戻る気も失せるというものだ。さぁ行ってくれキース。私をこれ以上惑わせるな」
お前と一緒にいるとうっかり戻ってしまいそうだからな。なんて言われてしまえばこれ以上誘うこともできない。
だが地下があの様子なのだ。一度別れれば二度と会えない気がした俺は手持ちの道具からいくつか道具を渡しておくことにする。
「リリー。これで恩が返せるとは思わないが、貰ってくれ」
一度地上に戻る俺には必要がない薬類や食料。手持ちの聖印。聖域のスクロール。それと料理人のボスデーモンから手に入れた日誌とソーマだ。
「……いいのか?」
「俺には辺境が育んだ肉体があるからな。それに、特別惜しいとも思っていない」
ソーマや書物はこのダンジョンに持たされたものだ。あるなら使うが譲って惜しいと思うようなものでもない。
リリーへの恩をこれで少しでも返せるのならば、そちらの方が俺にとっては大切になる。
「それならありがたく頂戴する。この借りはいずれ」
「俺の借りなんだがな。まぁいい。武運を祈る」
「私もだ。地上に戻ったら兵士によろしく伝えておいてくれ」
俺たちは拳を突き合わせ、そうして別れるのだった。
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所持品データ
武器
ナイフ(そこそこ):痩身のデーモンもどきが落としたもの。そこそこ鋭い。
神聖のメイス+2:聖言の刻まれたメイス。『頑丈』『神聖』の聖言が刻まれている。
ショーテル:調理場で入手したドワーフ鋼製のショーテル。『鋭さ』の聖言が2つ刻まれている。
盾
神殿の木盾:歯車の部屋で手に入れた小盾。『頑丈』『硬化』の聖言が刻まれている。神殿縁の品だが神聖なる力などはない。
追加:『集魔』の聖言が鬼である酒呑によって焼き込まれている。
鎧
ハードレザーアーマー:特殊加工された魔獣の革とドワーフ鋼で作られた品。『頑丈』『硬化』の聖言が刻まれている。神殿の下級兵士の持ち物のようだ。
指輪
ベルセルクの指輪:傷を負うと力が増強される指輪。
病耐性の指輪:肉体の病に対する耐性を高める。
炎獄の指輪:ヤマの奇跡である『浄化の炎』が扱えるようになる。
道具
水溶エーテル*1:飲むことで体内の魔力を回復できる。
駒
黒ポーン:黒騎士
黒ビショップ:神官
黒ポーン:給仕女
黒ポーン:料理人




