019
結局『道化師』に再び遭うことはなかった。
牢屋の前に佇む俺だが、給仕女や子供のデーモンが集まってくるにつれ、逃げるようにその場を後にする。集まってきた分は処分したが、料理人に複数集まってこられると苦戦を強いられるからだ。
あれの武技は話にならないほど低いが、力と耐久力は別である。囲まれ連戦ともなれば不覚を負いかねなかった。なにより、そろそろ疲労がまずい。
無理な戦いをして、このような瘴気の濃い地獄で倒れるわけにはいかないのだ。
「場所ぐらいは探しておきたかったが、一度地上に戻るか。どちらにせよスクロールがないと俺には聖域が作れない」
そうと決まれば話は早い。帰還の為に上階への道を戻ろうと身体を反転させる。
「道はわかっているから行きより楽だと思うが……」
デーモンの巣窟である以上は油断はできなかった。道化師も逃しているし、何が起こるかわからないのだ。
さて、戻るかと足を動かし始めたところで視界の端に銀色の光がちらりと入る。
なんだ、とそちらに顔を向ければ、少し下の階で料理人と誰かが見える。
「あれは、リリーか?」
レイピアを器用に突き刺し、料理人を穴だらけにしている。が、やはり魔法の武器とはいえ、神秘の残骸たる王国の品だ。一撃一撃が軽く、倒すには至っていない。
「1人でやると言われたが、ここで無視をするのは仁義にもとる、か」
俺は神聖なるメイスを手に持つと、下階へと向かう道を走りだすのであった。
とはいえ、リリーは大陸人とはいえ、王国七位の騎士である。俺がたどり着いた時には料理人のデーモンはレイピアによって穴だらけにされて消滅していた。
「キースか。こんなところで奇遇だな」
「リリー。お前の方が下の階にいたとはな」
レイピアを鞘に収め、やれやれと首を振るリリー。
「デーモンを避けながらなんとかといったところだ。もちろん倒せないこともないが、武具や肉体の疲労を考えるとな。あまり積極的に戦いたいわけではない」
大陸人であるリリーは辺境人と違い、スタミナがそこまでないのだろう。
だがいいところで会ったと俺は思う。
「なぁ、リリー。聖域のスクロールを持っていないか? 買わずに来ちまってな。ここ半日ぶっ続けでデーモンを相手にしていて多少だが疲労しているんだ。そろそろ拠点を作って休みたい」
ここからでも遠目にだが見える修道女のデーモンを指さし、あれも相手にしないといけないしな、と付け足す。
「半日飲まず食わずでか。辺境人というのは本当にすごいんだな」
とはいえ、私もスクロールはない、とリリーに返される。
「そうか。なら一緒に地上に戻らないか。お互いここに長居するにも拠点は必要だろう。先に進むのにあれを相手にするとなればなおさらだ」
周囲に興味がないのか、こちらに気づいていない修道女のデーモンの一団。屍肉を貪り続けるアレらはただただ醜悪である。
リリーにいくらか奥の手のようなものがあるとしても、万全ではない状態でアレを相手にすべきではない。
だがリリーはにこりと笑うと背後を示した。
「待て待て。スクロールはないと言ったが、聖域がないとは言ってないぞ。私は」
こっちだ。来てくれ、と歩き出すリリーの背後についていく俺。
迷いのない歩みは、リリーがそちらを既に探索しているのだということがわかる。
「俺が来た道とは違う道だな。これはどこに続いているんだ?」
「ああ、一方通行で戻ることはできないんだが、地上にあった時計台の施設、あそこの炊事場に繋がっているんだよ」
一方通行? その言葉に首を傾げる。何か罠か仕掛けでもあるのだろうか。
そんな俺の疑問にリリーはどうやったか方法は教えられないがと答えてくれる。
「炊事場にゴミを捨てる穴があってな。そこから落ちると下水道を飛ばしてこの牢屋だらけの場所に来られるんだ」
言われればそんなものがあった覚えがある。穴は深く、先が見えない上にゴミを捨てる場所だから関係ないと考えていたが、施設の元の構造を知っているリリーにとってはそんな些細な場所ですら攻略の糸口となるらしい。
「なるほどな。流石はリリーと言ったところか」
「あまり褒めるな。病を持つデーモン相手にかすり傷一つ負うことなく下水道を踏破した君の方が凄いと思うぞ」
それに、今だって、と呆れた視線を向けてくるリリー。
それは今、ばったり遭遇した料理人のデーモンを難なく秒殺した俺に対するものだ。
「疲労してなおそれか。辺境人というのは皆、化け物染みているのだな」
「俺は辺境でも弱い部類だがな」
料理人はこれまで散々狩ってきているから慣れてしまったのだ。ギュリシアを拾い、リリーへと半分差し出す。
「何もしてないが私も貰っていいのかい?」
「アンタを守るためとはいえ、獲物を奪う形になってるからな。俺の仁義を通すためにも半分貰ってくれ」
もちろん全て差し出してもいいが、それだと逆に受け取らないだろう。5枚のギュリシア銅貨をリリーは受け取ると懐の革袋にしまう。
「だいぶ膨らんでるな。猫から袋を貰わなかったのか?」
「私では貰えなかった」
……? 首を傾げる俺にリリーは苦笑する。
「君と私では扱いが違うということだ。ミー様が言うに、君からは回収は容易だが、私はいつ死ぬかわからないから物品の貸出は行えないらしい」
なんと言えばいいかわからない俺にリリーは付け加える。
「武器も防具もなしに素手でデーモンを殺せる君なら何があっても地上一階だけでミー様に返済はできる。だが、私のように装備で戦っている者は、装備が壊れてしまえば終わりだ。私などレイピアにオーラを灯せても他のものにはさっぱりだからな」
そこまで言われてようやく意味を理解する。猫は返済能力のない者に対しては如何に敬われても冷たいのだ。逆に言えば稼げると認められている俺などにはいかに無礼な態度を取られても甘くなるということである。
「そうか。いや、すまない。わざわざ説明させてしまったな」
「構わない。事実だからな」
とは言うものの気まずい空気が少しだけ発生する。無言でしばらく歩くとああそこだ、とリリーが牢屋とは雰囲気の違う部屋を指さした。石材で作られた部屋で、格子などは見当たらない。
「立場のある人間の私室を再現したものらしい。何の意図で再現したのかはわからないが、四方に聖言を刻み、浄化の文言を唱えて使えるようにした」
スクロールも設置してあると言われて入ってみれば、机と箪笥、それと長櫃のある部屋のようだった。
「瘴気もないな。ゆっくり休めそうだ」
ここまで清浄であればデーモンも迂闊には近寄らないだろう。
俺はようやく休めると息をつくと袋から毛布を取り出し、床に敷くとどっかりと腰を下ろす。
「あああああああああ、疲れたぁぁぁぁぁぁ」
毛布の上でごろごろとしたい衝動を抑え、ゴソゴソと袋を漁る。野営みたいなものだから火を焚きたいが、こんな狭い部屋で火を焚くなんて馬鹿な真似はできない。
取り出したのは武具の手入道具だ。このまま横になってしまえば寝てしまう自信が俺にはある。
「流石に辺境人といえどお疲れのようだな。キース」
くすくすと笑い、同じく毛布を床に敷いたリリー。ここを拠点としていたのか壁にそこそこの大きさの鎧櫃が置いてある。そこに道具が入っているのだろう。彼女は鎧櫃の中から俺と同じように武具の手入道具を取り出すとレイピアの整備にとりかかる。
俺も剣の錆や汚れを落とし、油を塗っていく。メイスも同様だ。柄などもきちんとチェックする。ついでに皮の服を脱ぎ、損傷を確認していく。戦闘でついた傷を見つけたら針と糸で縫い、また下水の汚れは布に水をつけて落とし、乾いた布で拭く。そして皮を保持するための油を付け過ぎないように軽く塗布していく。
「まだ皮の服なのか君は。ふむ……ああ、そうだキース。私には必要がないからあれは君が持って行くといい」
言われ、リリーが指差す先を見ればそこには長櫃がある。
何が入っているのかと首を傾げながらそれを開く。
見た瞬間、おお、と小さく感嘆の声が漏れた。
「こいつは、鎧か?」
「私には聖鎧があるからな。回収しようにも鎧はかさばって重い上に、ミー様に売っても二束三文だろう。だったら君が持って行くといいよ」
聖騎士の証である鎧を自慢気に叩くリリーを横目に、俺は長櫃に入っていた鎧を持って様々な確認を行っていく。
持ち上げればそこそこの重さ。拳をこつこつとぶつければ返ってくる丈夫な手応え。これから強力なデーモンとの戦いを控える俺には嬉しいものだ。
聖言の刻まれた皮をベースとし、金属で補強された鎧。
ただ、このまま着ていいものか。長櫃に入っている鎧は、おそらく持ち主に合わせて作られたものであり、俺の身体に合うとは思えなかった。
しかし俺のそんな不安さえもお見通しなのか。リリーが補足した。
「ああ、安心していいぞ。ダンジョンで手に入る鎧にはたいてい身体調整という聖言が刻まれていて、装備するものの身体に勝手にフィットするからな」
なるほどな、と篭手に手を通した俺は、身体にぴったりになった鎧を見て感心の吐息を漏らすのだった。




