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「はい? ええ、全然構いませんよ」
帰還した先の聖域でちょうど待っていた『聖撃の聖女』エリノーラ・D・リトルロックが、俺の説明と謝罪に対して返した言葉はそんなものであった。
「あ、え? いいんですか?」
「良いも悪いも、それで勝てたのですから良いと思いますが? それよりも」
聖域の傍に広げられていた敷布に座っていた聖女様は、背後に立っている枢機卿に向かって手のひらを向けた。
変わらず皺深い顔に疲れと呆れを滲ませた枢機卿は、聖女様の手に懐より取り出した巻物を置く。
なんだろうと疑問に思う俺に向かって、聖女様が巻物を差し出してくる。
「キース、四騎士を倒したのでしょう? 報酬を用意しておきました」
「……謹んでありがたく頂戴いたします」
なぜ知っている? 巻物を受け取りながらの疑問の答えは、考えればすぐに出る。
(いや、俺が考えたくなかっただけか……)
思い出すのは、前回の聖女様との会話だ。
――私は常にキースを見ていますが、直接会いたかった。
その柔らかな言葉の中は事実だった。肋骨を通して、聖女様は俺の戦いを見ていたのだ。
それに、と右腕を見下ろす。そこには戦闘の途中で干渉してきた月の聖女の刻印が刻まれている。
類感呪術を利用した遠隔地の監視だ。
口から、どうにも複雑な感情と共に言葉が漏れる。
「見ていた、のですか? いままでの全てを?」
俺の問いかけに聖女様は薄く微笑むだけだ。
人と精神の構造が違う。この方もまた、月の聖女と同じく、怪物の一種なのだ。
(だいたい地上とダンジョンでは時間の流れがかなり違うのに、よく脳が処理できるな……)
それこそが神の被造物たる聖女の能力の一つというものなのだろうか?
だが、これで理解する。帰還するときにいつもここにいた理由も。
そういえば肋骨をもらってからは予言だのなんだのと言わなくなっていた。俺が気づこうと思えば気づける要素はいくらでもあったのだ。
いや、そんなことはどうでもいい。心が少し重い。だけれど言わなければ。
「あー、聖女様、俺がダンジョンで見たことは、その……」
帝王の目的や、その王子たちの末路。なにより、エリザの物語の真実。神殿に報告していない、オーキッドにしか言っていないことは多くあった。
「ええ、無論誰にも言いませんよ。信じてもらっても困りますしね」
首をかしげる俺に対して「辺境人も、キースのような戦士だけではありませんからね」と聖女様は言う。
(どういう意味だ? 俺たち辺境人にも大陸人のような何かが?)
考える俺に対して、聖女様の傍らに立っていた枢機卿が俺へと進み、頭を下げてきた。
……? 頭を、下げ? 枢機卿ほどの方が? たかだか一騎士にすぎない俺に?
「セントラル卿、貴殿の活躍に心から感謝する。四騎士を倒した貴殿はもはやただの騎士とは言えないだろう。加えて、貴殿のおかげでこの方も最近は落ち着いている」
「まぁ、枢機卿! ちょっと失礼ですよあなた」
そして、枢機卿は、俺に向かって善き神に祈りを捧げるように言ってきた。
「では……帰還の報告も月神とゼウレに」
聖印片手に祈りを捧げれば、聖女様も立ち上がり、枢機卿と共に祝福と浄化の奇跡を願ってくれる。
「さて、セントラル卿。私も君の誉れある戦いを聞いてみたくもあるが、今日はこれまでだ。最前線では暗黒神の圧力が増している。軍は常に警戒しているが、万が一もある。この方は早く戻らなければならない」
「む、それは……」
そんな状況で、どうしてここまで俺に肩入れしてくるのかを聞いてみたくもあったが、俺はわかりました、と彼らに向かって頭を下げた。
どんな思惑があるのかわからないが、彼らは確かに俺を助力してくれていた。疑心を抱く余地はなかった。
「そういうわけです。聖女様、帰りますよ」
枢機卿はお堅いですね、と渋々と枢機卿に従った聖女様は、呪文を唱え始める枢機卿の傍らに立ち、そういえば、と周囲を見回した。
「やはり私が来るときはいませんね。キース、猫に気をつけなさい。けして心を許さないように」
どういうことかと目を見張る俺に対して。聖女様はいいですか、と口調を強くした。
「調べましたが、商業神にミー=ア=キャットなんて眷属は存在しないのですよ。そもそも、4000年前から商業神については、って、ちょ、待っ――」
聖女様と枢機卿の姿が消えていく。
枢機卿の転移が発動したのだ。
◇◆◇◆◇
いやもともと怪しかったし、商業神の眷属ゆえに警戒ぐらいはしていたが。
「猫が……怪しい?」
聖女様ほどの方が言うなら、それはもうあの猫は……。
「帝王の関係者、なのか?」
思えば、聖女様が現れたときに限ってあの糞猫はこの広場にいなかった。
それはきっと、あの猫は聖女様に顔を知られているからだ。聖女様と顔を合わせれば正体を知られてしまうから隠れているのだ。
ドワーフ鍛冶の槌の音が響く神殿前広場で俺はあの猫に関して、オーキッドの嫁取りのときのことも含め、もう一度問い詰めようかと考え……。
「ちッ、ダメだな……今抜けられても……」
そこまですればきっと猫は消える。俺に殺される恐れがある以上、猫もそこまで追い込まれれば隠れてしまうだろう。
猫の鑑定は生命線だ。無論、商業神の神官をここに呼ぶという方法もあるが、それは嫌だ。
(商業神の神官は基本大商人だ……商人は、苦手だ)
商人には爺のために金策をしたときに大分安値でいろいろなものを買い叩かれている。聖印まで手放すはめになった。
ゆえに、ここがここまで危険な場所だとわかった以上、奴らの鑑定に命を預けるのは危険だった。
最悪、道具の効果を隠して伝えられたり、道具の値段をふっかけられたりするかもしれない。
辺境人は基本的に嘘を悪徳と考えるが、商業神の信徒に限っては違うのだ。奴らにとっての功徳は金を稼ぐこと。だからデーモンとも取引ができる。誠実な取引など望むべくもない。
俺たち戦士が商人を嫌悪しながらも奴らが存在を許されているのは、一重にエリザの物語で商業の重要性が――。
「そうだ、俺たちの……常識は……」
エリザの物語を地上に向けて発していたのは、このためでもあったのか?
たとえ暗黒神の攻勢で地上の文明が滅んでも、戦士が一人でも生き残れば、あの猫を利用してここを攻略できるように?
俺はダンジョンの入り口を気分悪く眺めた。
ここを作った破壊神は、なにを考えている?
(なぁ、糞猫さんよ。お前を信じていいのか?)
拳を握る。俺も強くなった。殺すと決めたら、以前のように取り逃がすことはないだろう。
だが、なごなごと鳴きながら、猫が餓死しかけていた俺に向かって粥とワインを出してきた姿を思い出す。
(無理か)
拳に込めた力を緩めた。
俺に猫は殺せない。俺はあの猫に借りがあった。ここで殺しておこうと思うには、その借りは重すぎた。
◇◆◇◆◇
ドワーフの爺さんに破損した装備を預け、俺は息を吐いた。
まだ地上には戻らない。四騎士を倒したが、どうしてか体が重い。
「気疲れでもしてんのか? いや……」
ダンジョンに潜り足りないだけか? 四騎士を殺し、成果としては上々だが、今回の探索は短かった。
俺は、瘴気をもっと浴びたいのか。デーモンの悲鳴を聞きたいのか。闘争に耽溺したいのか。
「ダメだな。ダメだこれでは」
人を外れてしまう。よくない。よくないぞこれは。
呼吸を正しく行い。武術の型を行っていく。違和感があった。
こうしてしっかりと確かめたからわかったが、以前の俺とかなりずれていた。
「オーロラの死の影響か。これは」
今までと質の違う死が流れ込んだせい……。いや、月神の騎士であるオーロラは、俺に近い境遇の死だからか。
では、この身体の重さはオーロラの死に適合できていないからか?
(竜との同化のように種族自体が違えばもうズレでもなんでもどうでもよくなるが……生前のオーロラは俺と近い……)
この微妙な感覚は矯正しておかないと命取りになりそうだった。
帝国騎士団正式採用直剣を取り出し、構え、振るう。そして気づく。
ダンジョンの入り口に人がいる。
「おう、セントラル卿!!」
立派な鎧を着た、髭面の老剣士。
聖王国聖騎士序列第一位『剣聖』オルランド・セイント・シンシナティが気軽に、敵など周囲にいないかのように歩いてきていた。




