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越えてきた死の数が、我らを強くする。
願わくば、君に善き死が訪れんことを。
――『辺境人について』善き魔術師ヴェルンノール
『ああ、ああああ、ああああああああ、うあああああああああ』
骨の巨人の嘆きには、いっそ死んでしまった方が楽だと言わんばかりの悲しみが籠められていた。
再生した肉体の感覚を確かめつつも警戒は解かない。中距離を維持し、奴の様子を観察してみるも俺に攻撃してくる様子は見えない。
月の聖女の血が刻まれた右腕が疼く。今がチャンスということだろう。わかっている。あれがとんでもない隙だってことぐらい。
――ああ、わかってんだよ。気に食わねぇがな。
オーロラを絶望させたそれは、いずれ俺を破滅させる言葉かもしれなかった。
だが、これは同時に俺に与えられた月の聖女からの支援でもあった。
今ならば殺せる。そうだ、あの無防備な骨の身体にハルバードを全力でぶち込んでやればいい。俺ならできる。
「オーロラ! てめぇ、戦いの最中だぞッッ!!」
踏み込む。オーラをハルバードに注ぎ込む。龍眼を発動させ、奴の瘴気のヴェールを見抜く。
「おぉぉぉおるぅぅぅッッッらぁッッッ!!」
振り抜く。悪滅の神秘の籠もった刃が奴の瘴気の複合膜を切り裂き、触手の筋肉を断ち切り、骨の身体を軋ませるほどの攻撃となる。
効いている。攻撃は通っている。自分でその威力に驚く。以前の比ではない。
(……俺の膂力が増している。怒りではない。俺は冷静だ。だが、そうか。……死か)
何度も、それこそ何度も経験していることだ。
神人計画。
死の記憶を見ることで、死を殺すことで俺は強くなってきた。
同時に俺は、戦いの中で死にかけ、それをソーマで癒やすことでも強くなってきた。
オーロラとの戦いで二度死にかけた経験は、俺の身体を強くした。そして、神に疑問を持とうとも、死闘の中で月神の奇跡を頼ったことで信仰に関しても強まった。月神の刃に籠められた神秘は以前よりも増している。俺は強くなった。強くなったのだ。
(だが、この感情は……この虚しさは……)
俺は、神の手のひらの上にいると感じている。それでも、それでもだ。
ハルバードを振るい、うずくまるオーロラに追撃を与えながら俺は叫んだ。叫んでいた。
「立て! 立てオーロラ! 貴様、それでいいのか! それでいいのか貴様は!! 聖女の言葉に絶望し、新しい月神の騎士たる俺に何もできずに滅ぼされてそれでいいのか! 月の聖女が見ているぞ! 俺を殺して、奴に一泡吹かせてやりてぇと――」
いっそ、死んでしまえとばかりに致死のオーラを込めたハルバードの一撃は、オーロラの骨を叩き折る。
「――てめぇは思わねぇのかッッ!!!!」
『おぉぉ? おぉぉぉぉおおお?』
ハルバードで痛撃を与え続ける俺を、鈍重な仕草でオーロラが見てくる。
「くそがッ!!」
ハルバードを床に叩きつける。呼吸が荒い。息を整えるために俺は、オーロラの前で、無防備にも動きを止めていた。
「はぁッはぁッはぁッはぁッ!! クソがッ!! くそったれだ! ダンジョンも、お前も、俺も、神も、聖女も、何もかも!!」
例外はある。死んだ者、我が妻、我が息子、我が娘……。
それでもだ。ここは全てが腐っている。
俺は攻撃を止めている。棒立ちだ。だがそんな俺へ反撃することもなく、震えるように、骨のデーモンが言葉を発する。
『騎士、キースよ。な、なぜ、我をこのまま滅ぼさぬのだ?』
「ああ? 知るか。うるせぇ。死ね。死ね。デーモンなんぞ滅びればいい。だが、だがよぅ。嫌なら立て。立てよ。立ってくれよ」
騎士よ。四騎士よ。お前は俺たちの憧れだったのだ。辺境の戦士の憧れだったのだ。
右腕が抗議するように俺にハルバードでの追撃を命じてくる。だが干渉は弱い。右腕も含めて俺の肉体だ。当然、俺がまともであれば、俺の意思の方が優先される。
先のあれは、俺と右腕の思惑が生存するという方向で一致したから動いたにすぎない。
だが、俺の身体を動かそうとしてくるのはそれだけではない。
大敵たるオーロラの前で動きを止めている俺を、辺境人の魂は、辺境人の挟持は、殺せ殺せと喚き散らしていた。
――それを、ただ侠者の意地だけで押し留めている。
「騎士オーロラ、剣をとれ」
……俺の手がハルバードを握った。
『わ、我はも、もう……』
「戦士オーロラ、剣をとれ!!」
踏み込む。俺の全身は継続再生の『月光纏い』に覆われている。その再生の力は肉体の傷だけでなく、体力にも及ぶ。自力でのベルセルクの発動。全身の気力体力を消費し、ドワーフ鋼で造られたハルバードの柄が軋むほどの膂力を込める。失った体力を、『月光纏い』が癒やしていく。
『我は……!!』
散々に痛めつけたせいだろう。もはやオーロラの骨の身体はボロボロだった。それは、あと数撃で滅びかねないほどの致命傷だった。
そのオーロラが垂れ流す瘴気は、並の辺境人なら発狂しているぐらいに濃く、邪悪だ。
――弱っていようとも、この敵は、辺境人が、俺が、命を賭してでも必ず滅ぼさなければならない大敵であった。
(だが、気に食わねぇ! 月の聖女に俺は救われた。俺は死ぬところだった。月神に救われた。信仰に恩恵は返された! だが! だが!!)
――俺は、善き戦いを願ったのだ!!
ハルバードにオーラを全力で流す。必滅の意思を込めて、この哀れなデーモンを殺すことを願って。
「……剣を」
ハルバードを振り上げる。もう限界だ。全力だ。全力でやる。滅ぼす。この一撃で、必ず殺す。
「とれぇええええええいいいいいいい!!!」
踏み込み、溜め込んでいた力を解き放った。
金属音。腕がはね上がる。ハルバードが弾かれた。触手が動いている。その先には大剣の光が瞬いている。
「はッ……!!」
『もはや我は月神の騎士ではない。だが』
大剣の煌めき。返しの剣だ。羽根のように大剣を扱う、化け物の力だ。
(だが、俺も負けてねぇぞ)
ベルセルクの膂力がそれを可能にする。『月光纏い』の回復力がそれを可能にする。
今のやり取りが不満だったのだろう。右腕に宿る聖女の血が抗議するように微かな痛みを発し、左腕に宿るリリーが微笑んだように俺に温かさをくれた。
胸の奥の謎の温かさがどうしてか、仕方がないと、笑っているような気配がした。
「るあああああああああああああッッ!!」
そうして弾かれたハルバードに力を込める。足に力をいれ、全身の力を込めて踏み込んだ。
金属音。腕に衝撃が走る。打ち合いによって筋肉が破壊された感触だ。だが『月光纏い』がある。継続回復が俺の肉体を再生していく。だが規格外の打ち合いによって、ハルバードも軋んでいた。
(くそッ、やはり打ち合いは不利。俺の武器が壊れちまう)
だが相手が待ってくれるわけもない。大剣を握るデーモンの触手は再び動こうとしている。
打ち合いは諦める。
俺は片手をハルバードから離し、腰に吊るした触媒に触れ、武具修復の奇跡『満ち欠け』を願った。
(この奇跡。本当は、奴の大剣にも使えるが……)
俺はやらない。あの大剣は奴に残された最後の月光だ。それを月神の奇跡で破壊するのは悪意がすぎた。
『死ぃ――』
大剣が動いた。俺の身体は半歩動く。
二回の打ち合いによって、『月の外套』による幻惑越しでも把握された位置を変えるための動きだ。
音を置き去りにして、大剣が来襲する。
(これを防ぐことはできない)
奇跡の行使によって、俺の動きは遅れている。迎撃のためのハルバードは振れない。
そして回避に徹してわかることもある。戦意が戻っても、オーロラは本調子ではなかった。あれだけ正確だった剣筋は乱れに乱れていた。
あれでは『月の外套』の欺瞞は貫けまい。
しかし奴もまた一流の戦士だ。無策ではなかった。
剣が俺の側面を通った衝撃が俺の身体を揺らす。「ぐ」そこに束ねた触手によるなぎ払いが放たれる。
学習されている。線ではなく、面の攻撃。『月の外套』ごと俺を殺すならその手段が正解だ。
(だが、それが肉であるならばッ!!)
「らぁッ!!」
ハルバードを振るう。螺旋のごとき極太の触手がハルバードによって千切れ飛ぶ。瘴気が大量に噴出し、黒い体液が周囲に飛び散った。
その、暗黒の中を月光のごとき大剣が迫る。
「ちぃッ!!」
回転させたハルバードの柄によって、大剣の刃を防ぐも、一瞬でドワーフ鋼が粘土でも斬るように斬り込まれる。「ッ」『おおぉ!!』だが勢いには逆らわない。そのままだ! そのままハルバードを回転させる。奴の大剣の威力を利用して、ハルバードを回転させ攻撃を俺に当たらないように流す!!
凄まじい勢いで、大剣が俺の脇を通過していく。地面に直撃し、土の塊が上空へと吹き飛んでいった。
「はぁッはぁッはぁッ!!」
『く、くは、くはははは!!』
心臓が激しく脈打つ。今の一瞬の攻防で汗が大量に吹き出ている。
だがデーモンは、オーロラは笑っていた。
俺もなんだかおかしくなってくる。
「は、はは、はははははは」
『わはははははははははは』
俺はハルバードを振り上げていた。
オーロラは大剣を振り上げていた。
お互いの気合の声。お互いの全力での打ち合い。刃と刃のぶつかる金属音。
――大剣『冷たき月光』はその刀身の半ばから、折れ飛んでいた。
そして俺のハルバードが、オーロラの身体を両断する。
『……なんとも、楽しき……』
その声には寂しさと、悔しさと、悲しみが混ざっていた。
『……一騎打ちであったな……』
それでもどこか楽しさの混じった声。
「ああ、俺もだ。楽しかった」
それが四騎士『山脈断ちのオーロラ』の最期だった。
◇◆◇◆◇
記憶は混線していた。雑音と共に風景が切り替わっていく。
湖。騎士。女神。授けられる騎士としての人生。
地下。帝王。四騎士。引きずられていく王女。
豪華な衣装を着た女が帝王に反抗する姿が見えるが、四騎士の一人によって無数の剣で串刺しにされる。
まだ息はあるが、無力化したからだろう。無視して全員は先へと進んでいく。
やがて賢者が現れる。さらなる地下へと皇帝は導かれる。
そして景色は暗転し――
――さらなる過去、オーロラの原風景。
美しい湖の傍で、月の女神が騎士を聖女と引き合わせていた。
「シズカ。これがお前の騎士です。大陸での活動の際は頼りにしなさい」
相手が男だと知り、嫌そうな顔をした聖女に向かって騎士オーロラは大きく頷きながら大剣の柄を叩いてみせた。
「我が生。我が剣。全ては帝国と月神のために」
その言葉に込められた感情には、真摯以外のなにものもなく。
その後の長き時を、デーモンとの戦いを、二人は共に駆け抜けていくことになる。
混線。暗転。神殿の地下。そこに潜む、もっとも恐ろしき――断裂。
「最期までこんな記憶を抱えて――」
右腕から呆れたような、悲しんだような、どうにもならないものを見たようなそんな声が聞こえた気がした。
「――馬鹿な男。せいぜい来世で私に尽くしなさい」
――そうして、全ての記憶は閉じていく。