010
階段を降りると石レンガで作られた通路へと出る。
下水道だ。
足元には足首辺りまで穢れた水とヘドロのような泥が溜まっている。
辺境人の筋力ならば抵抗もなく歩けるが、大陸人ではきついだろうと思われる。リリーがここを攻略する際の困難を想い、心配になるが、あれは恩人とはいえ1人の騎士だ。あまり心配しすぎるのも侮辱だろう。
「しかし、臭いは遮断したが……視界は悪いな……」
下水の中は瘴気が濃い。ヒカリゴケで照らされてもそれは最低限だ。薄暗く、通路の奥までは見通しにくい。
「皮のブーツも買っておいてよかったな」
前のように素足ではこんな場所の攻略はできなかった。足に傷1つでもつければそこから病や毒が入ってきかねないのだ。
コンコンと壁を拳で殴る。こちらも素手ではない。対デーモン用の装備だ。辺境に棲む獣の皮から作られた指ぬきグローブで、オーラを通しやすく非常に丈夫なものだ。
ただこいつは消耗品に近い。割と安価で手に入るしな。もちろん、本格的な兵士用の装備が手に入るならそちらが欲しかったのだが、やはり金が足りないのだ。
「もうちょっと稼げりゃいいんだが……」
壁を殴った際の反響音でなかなかに下水が広いことを確認すると俺はじゃぶじゃぶと歩き出す、前に革紐を取り出してブーツの裾をぎゅっと縛っておく。水が入ったらコトだからな。
さて、探索開始だぜ、と歩みを再開しようとしたところで俺はやっぱりと立ち止まる。
「来ると思ってたが、早速か」
さっきの反響音を聞いてデーモンが来ると思ったのだが、案の定である。
視界の先、少しカーブしている辺りから敵がこちらを覗きこんでいた。キィキィと鳴く巨大な鼠。そいつは俺の腰ぐらいまでの体長をした巨大なドブネズミだ。
黒騎士から手に入れた黒鉄の剣を引き抜き、オーラを纏わせる。まずは全力で小手調べだ。弱いとわかれば纏う神聖で滅ぼせるメイスにチェンジする。
動物型であれ、人間を襲うデーモンの特徴は変わらない。己の領域に入ってきた俺に対して攻撃的な様相の溝鼠はキキィと一声なくと身体の半分が水に浸かっているというのにそれなりの速度で俺に突っ込んでくる。
そこに剣を一突きした。カウンター気味で、顔面を中心にするりと剣が入り込む。剣はバターを切るように滑らかに鼠を両断する。
……あっけないな。瘴気のカスを遺して鼠は消滅していた。
犬と同じく何も落とさない。いや、ここに落とされても拾うのにちょっと困るからそれはそれでいいのだが、少しの残念さと共に剣を袋に入れ、俺はメイスを取り出した。
とりあえずデーモンの強さを確認した俺はじゃぶじゃぶと水をかき分けながら先へと進むのだった。
「鼠ばっかりだな! 糞!」
飛びかかってきた鼠の頭にメイスを振るう。聖言によって『神聖』を付与されたメイスは俺がオーラを通さなくとも棘のついた頭部をぶち当てることでデーモンの瘴気を雲散霧消させる。
同時に貫手にオーラを纏い、逆の方向から突っ込んでくる鼠を消滅させる。
バックステップ。足元にするすると突っ込んできた鼠が噛み付いてくるところだった。噛まれないように躱し、旋回させ威力を込めたメイスをしっかりと叩き込む。
動物タイプのデーモンは病を持っていることが多い。不潔で腐れたデーモン特有の能力だ。対抗するには薬を飲んでおくか、病を感染させられた後に治療薬を飲むしかない。
ただ、薬にも限りがある。一式用意してはいるが、数は心もとないのだ。
血振りをするようにブンとメイスを振り、俺はゆっくりと辺りを見渡した。
だいぶ探索は進めたが、それなりに長い下水に見当たるものは何もない。時折壁にあるパイプから得体のしれない水が流れる程度。あとは鉄柵で封じられ、進むことの出来ない道や俺が通ることもできないが小さな動物なら通れそうなパイプなどしか見当たらなかった。
壁際に這う謎の蟲から視線を逸らして俺はため息をついた。
身体の内側が汚れそうな空気。嗅覚殺しの果実で鼻を殺しているが、こんなところ一時間もいれば気が狂いそうである。
「せめて小部屋でもあればいいんだが……」
ここらで聖印による休憩所を作っておきたかった。もちろんスクロールはまだ猫から買ってはいないが、予定地を見つけておくだけでも心の平穏になるのであるが……。
「そうか。まずいな。銅貨を稼げてないぞ……」
疲れ損という奴かこれは……。頭を掻きかけて、自分の手が戦闘などでついたヘドロで汚れていることを思い出し、触らないように気をつける。
「さっさと進もう。規模がわかれば気分的に楽になるさ」
これ以降の探索もここを何度も通らなければならないのかと考えて憂鬱になるのだった。
「鼠以外も出てこいとは思ったが、ゴキブリのデーモンかよ!!」
ざぶざぶと煉瓦造りの下水道を進むと、人の頭ほどの大きさのゴキブリが一箇所に集まっている。見れば鼠のデーモンに群がっていたらしく、肉を削ぎ落とされた真っ白な鼠のデーモンがキィキィと悲しそうに鳴いていた。
「デーモン同士で食い合うなよ……」
俺が近づいたことで人間の気配に気付いたのだろう。ガサガサと鼠のデーモンを食っていたそいつらが俺へと視線を向けてくる。
感情のないデーモン特有の視線。また蟲特有の何を考えているかわからない視線。2つが合わさってなんともいえない感覚を味わいながらも俺はメイスを構える。
虫型の厄介なところは動きが三次元的なところだ。たいていが羽根を持っているため空を――。
「おらぁ!」
――いきなり飛びかかってきた御器囓にメイスを打ち込む。鼠並に弱いようで一撃で消滅するが、その背後にも大量のゴキブリデーモンがまだいる。そしてやはり何も落とさない。
「糞が! せめて銅貨の一枚でも落としやがれ!!」
脆弱な蟲の牙だ。筋肉で防げば通らないだろうが、やはり病気が怖い。触れないようにブーツの先で頭を蹴り砕きつつも慎重にメイスと小盾を駆使して撃破していった。
「しかし弱い。地下に行くほど強いんじゃないのか? やはり糞猫さんは糞猫さんでしかないのか?」
そして銅貨が手にはいらないのが問題だ。なにしろ手持ちの金がないとスクロールが買えない。買えないと小部屋を見つけても聖域が作れない。作れないと休めないのだ。
ゴキブリを全て倒し、さて、移動しようと歩き出そうとしたところでゴキブリが貪っていた鼠に気づく。足がなくなっているために動けないそいつはキィキィと鳴いている。
「始末しとくか」
ごつん、とメイスを振り下ろす。あっさりとデーモンの頭蓋を砕くと鼠は瘴気を散らして消滅するのだった。
「何も落とさな――落としたか、今?」
ぽちゃりと音を立てて落ちた先を見る。そこは今殺した鼠のデーモンがいた場所。今そこにあるのはヘドロと穢れた下水で、デーモンが落とした物品はそこに転がっていると思われた。
手を差し込むのは躊躇するが、有用な品である場合、後悔してもしたりないだろう。
「ぐぬぬ、ナムサン!」
放浪の神ヘレオスがどこかからか伝えてきた言葉を叫びながら俺は手をオーラで包むと下水の中をごそごそと探す。
(ああ、なんかぬめぬめするし、くそ、くだらないものだったらキレるぞ俺は)
手にこつんと何かが当たる。この感触は、指輪か?
「……もったいないが、仕方ない」
水を取り出し、手とヘドロに塗れた指輪らしきものを洗浄する。ベルセルクの指輪にも似たそいつは特殊な効果を持っていそうだったが、俺の拙い聖言解読技術ではわからないものだった。
「一度地上に戻りたいが……」
体力は残っているし、収穫が指輪ひとつだけというのはよくないだろう。
メイスをぎしっと握った俺は、未だ続く下水道をじっと睨み。
ため息をひとつ吐くと奥へと歩を進めるのだった。




