過去と未来と現在と
突如として社長から呼び出しを受けた俺は、その指令を聞いた時、いよいよかと腹をくくった。
「…やってくれるね」
「分かりました。この命に替えても、成し遂げて見せます」
「うむ、その心意気だ」
兵仗システムという会社ではあるが、実際は天下り法人だということは公然の秘密。
俺自身も、とある省の官僚だったが、ここへ転出した。
いや、させられた。
元々あまり仕事も回されていなかったから、本庁から見れば迷惑だったのだろう。
そんな俺が、こんど命じられたのは、タイムスリップを行うということだ。
目的地は10年前。
目標は、首相暗殺。
「この国が疲弊し始めたのは、10年前になる。当時の首相が行った経済対策が全て失敗した。以後、我が会社は仕事もなく、赤字を垂れ流し続けている」
社長の説明はここから始まった。
「このまま行けば、清算させられるのは明らか。そのため、この会社のために、首相を暗殺せよ」
それが全ての説明だった。
詳しくは書類に書かれていると言われ、A4サイズの紙を一枚受け取ると、社長室から出る。
「今度はお前が辞令を手交されたのか」
社長室から出ると、廊下で腕組みして待っている同僚がいた。
「ああ、いよいよ行かなければならないようだ」
「10年前の首相暗殺未遂事件は知ってるだろ。数十人に襲われたが、怪我ひとつなかったっていう話。きっとそれらが俺らが送った人らだぜ」
「なに、世界がここだけしかないっていうことは証明されてないわけだし。俺が成功する未来というのも、きっと存在するはずさ」
ため息をついて同僚が言った。
「それ、よく聞くセリフだけどさ。それがちゃんとその通りになったの、聞いたためしがないぜ」
「並行世界って、そんなものだろうさ」
俺は、同僚に言ってから、必要な残務業務の整理などを行った上で、1週間後、過去へと向かった。
過去へと向かうためには、強力なマイクロブラックホールを形成する必要があるらしく、そのための研究所へと連れて来られた。
「君はここからブラックホールを逆回りして、過去へと向かってもらう。体の異変を感じるだろうが、それら全てはすぐに治まるはずだ」
研究所長に説明を受けながら、通路を歩き続ける。
部屋を3つほど通り、数々の検査を受け続けて、目眩すら覚え始めたころ、やっと時間飛行の為の部屋にたどり着く事が出来た。
「アイマスクをして、5秒経ったら取ってください。あとは、指示通りに」
「わかりました」
研究所長から渡されたアイマスクを、所定の位置についてから目につけた。
どこにでも売っていそうな何の変哲もないアイマスクである。
そして、心の中でカウントダウンを行い、5秒経った時にはずしてみた。
周りは、空き地になっていた。
「…どこなんだここは」
「今回は君かい」
その声に、俺は振り返る。
「兵仗システムの社員だろ」
男の声だ。
「あなたは誰ですか」
「ああ、君たちを、毎回迎えに来ている人さ。決行時間はもう来ているから、早めに事を運ぼう」
男に言われるまま、混乱した頭を置き去りにして俺は歩き出した。
「君には、国家観兵式のさなかに、首相を撃ってもらう。銃の取り扱いは」
男に、急ぎ足でとせかされながら聞かれる。
「ええ、一通りは」
よくわからないままにしていた銃器訓練だったが、これがどうやら目的のようだ。
「では、これを使いたまえ。あとは指示書の通りに」
男が案内してくれたのは、小高い丘のようなところだ。
観兵官を務めた首相がこの道を通って、官邸へと帰るそうだ。
挨拶もせずに、気づくと男は消えていた。
「…そうかい」
その場に置いてあったカバンの中にあったライフルを受け取った俺は、すぐに射撃準備を整えた。
弾は3発しか入らないようになっていた。
あとは、首相が来るのを待つばかりだ。
15分ほどたったころ。
俺の胸は急に高鳴った。
「…来た」
目標が射程圏内へと入るのを待つ。
引き金に人差し指をかける。
照準器から、向こうの風景を覗き込むと、これから起こるであろう惨禍など、誰一人として気にしていないようだ。
「すまんな」
俺はそれだけ言うと、言葉と弾を、風に乗せて運ばせた。
何も見ずに、その場をすぐに片づけて、撤収する。
10分ほど離れたところに、あの男がいた。
「成功したのか」
「知らんな。とにかく、明日の新聞でも見てればわかるだろ」
「それもそうだな」
そういって、男に連れられ、俺は隠れ家へと身をひそめることになった。
翌日の新聞一面に、首相暗殺されるという文字が、どの新聞にも踊っていた。
「いやあ、まさか成功するなんてね」
「よかった」
男にテレビやネットでも、大騒ぎだよと言われて、俺はうれしくなった。
「とはいうものの、ね。君がここで英雄になることはないんだよ」
朝ごはんを食べている俺に、男はアイマスクを差し出した。
「そのままつけたらいい。ご飯を食べ終わってからでも問題はない。ただ、これを着けないというのは問題だ」
どうやら、無理にでもつけさせようとしているらしい。
もうすぐご飯も終わるわけだから、それからつけることにする。
朝ごはんが終わると、俺は男に言われた通りに、そのアイマスクを付けた。
「じゃあな」
それが男の最後の言葉となった。
もういいかと思い、俺はアイマスクを外した。
「おめでとう」
社長が目の前に立っている。
「…え?」
「暗殺成功、おめでとう。この世界では君は英雄だ。だが、このことを会社外で漏らすでないぞ」
社長直々のあいさつだ。
「ええ、それは承知しています」
突然のパーティーだ。
だが、そこに同僚の姿はない。
「今日ばかりは、仕事も忘れて、好きにしてくれ」
社長からの温かい言葉に、おれは思わず泣いてしまいそうだ。
翌日、何事もなかったかのように出社して、テレビを何気なく見た。
そこには、施政方針演説をしている同僚の姿があった。