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ふと、気づいたとき……欲しがり妹に転生していたら、あなたならどうする?

掲載日:2026/06/17

ふと、思いつきました。

なんとなく変な作品ですが、お気に召していただければ幸いです。

 夜中、ふと目が覚めた。


 まだ頭は半分以上眠ったまま――

 慣れた足取りで部屋を出て、廊下をふらふらと歩く。


 やけにトイレまでが長く感じる。

 ようやくたどり着いて壁に手を当てる。


 あれっ?スイッチが無い……まあ、いいか、薄暗いままでも。


 扉を開け中へ進み、そして何も考えずに方向転換して、いつものように腰を下ろそうとした。


 ――次の瞬間、身体が宙に沈んだ。


「ひゃっ!?」


 眠気は一瞬で吹き飛んだ。


 咄嗟に床へ手をつき、空いた手で手当たり次第に掴めるものへしがみついた。

 足は穴の縁に引っ掛かり、どうにか身体を支えた。


 危なかった。あと少し反応が遅ければ、そのまま真っ逆さまだった。


 何とか体勢を立て直し、床の平らな部分に座り込む。

 激しく脈打つ心臓を押さえながら、恐る恐る足元を見る。


 そこにあるのは、白い陶器でも、丸い便座でもない。


 床にぽっかり開いた黒い穴だった。


「……なんで便器がないのよ」


 口から漏れたその一言と同時に、頭の奥で何かが弾けた。


『便器』という言葉をきっかけに、冬でも冷たくない座面や、ボタン一つで使えた温水洗浄機能、何気なく手を伸ばしていた壁のリモコン。


 ――そんな日本で当たり前だった快適な生活が、堰を切ったようによみがえった。


 そして、最も重大な事実へと思考が辿り着いた。


「◯ォシュレットが無い!?」


 静まり返った夜の屋敷に、悲鳴が響き渡る。


「どうやって生きていけばいいのよ~!!」


 その魂の叫びとともに、私はようやく思い出した。


 自分が日本という国で生まれ、ゲームと漫画にどっぷりハマることくらいは許される、そこそこ平和な家庭で育ったこと。


 そして――


『欲しがり妹へ捧ぐ〜ギロチン台に咲く真紅の薔薇〜』


 通称『欲しギロ』という、アニメ史に名を刻む珠玉の名作に登場する、あの『欲しがり妹』として自分が生きていることを。


 "私"の名前は、キャロライン・ユアコールド。


 ……名前も同じ、家名も年齢も同じ。極め付きは姉がいて、第四王子との婚約話まである。

 ここまで揃えば、偶然で済ませるには無理があった。

 

 混乱する頭を押さえながら、私は深呼吸を繰り返した。


 ヒッ・ヒッ・フー、ヒッ・ヒッ・フー


 なんか違う気もするが、とにかく落ち着こう。

 まずは状況整理が大切である。


 繰り返すが、私はキャロライン・ユアコールド。


 ユアコールド侯爵家の次女、十五歳。


 姉は二歳年上のジェーン。家督は彼女が継ぎ、第四王子ジョージ殿下を入婿に迎える予定になっている。


 そして私は、『欲しギロ』に登場する、あの欲しがり妹に間違いない。


 物語では、姉の持つものを何でも欲しがり、最後には婚約者であるジョージ殿下まで欲しがってしまう。


 妹に甘い両親は、王家に無断で姉との婚約者入れ替えを画策し、その結果、不敬を問われて失脚。


 さらに両親共々領地へ送られることになった私は、姉に毒を盛ろうとする。

 しかし、その場に居合わせた第四王子に見破られ、毒殺未遂の罪でギロチン台へ送られる。


 我ながら、何とも救いようがない話である。


 しかも、しかもよ!私の記憶が確かなら、その未来まで残された時間は一年余りしかない。


 とにかく、何か対策を練らなければ……まだ若いみそらで、さらなる転生の旅路に立ちたくない――そもそも次がある保証もないし。


 それでは、対策………


 欲しがりをやめる。      

 ジョージ殿下には近づかない。

 両親とも距離を置く。


 よし、方針は決まった! 


 ――えっ、適当に並べただけじゃないのか、ちゃんと考えたのかって?


 大丈夫だって!


 パニックの時は、まず被害を増やさないことを最優先とする。

 そう、学校で習ったもん。私は今、とっても冷静だ。

 

 難しいことを考えるより、まずは目先の一つずつから片付けて行くことが大事なはずだ。


 下手な考え、休みの煮炊き……よ。


 ……いや、これも何か違う。


 ただ問題は、あの(・・)両親が今更私を放っておくとは思えないことである。


 頼んでもいないのに、「ジョージ殿下ともっと親しくなりなさい。あなたの幸せのためなのよ」と背中をぐいぐい押してくる姿が容易に想像できた。


 私一人ではどうにも対抗できない。


 そう考えた時、自然と一人の顔が浮かんだ。


 私の姉、ジェーン・ユアコールド。


 この家で唯一、常識という言葉が標準装備されている人物である。


 ……そこで私は、ふと首を傾げた。


 姉の顔を思い浮かべる――


 年齢の割に落ち着いて見えるのは、いつも背筋を伸ばしているからだろうか。 父や母を相手にしている時でさえ、姉様が感情的になったところを見たことがない。


 整った顔立ちと相まって、その姿はどこか近寄りがたい印象すら与える。


 そして、その顔に私は覚えがあった。


 いや、『欲しギロ』のジェーンなんだから、見覚えがあって当然なんだけど――


「あれ……?」


 何かがおかしい……もっと別の場所で見た気がする。


 何とも言えない奇妙な感触を覚えながら執務室へ向かうと、幸い扉の向こうから「どうぞ」と声が返ってきた。


 部屋に入ると、姉様は机いっぱいに広げられた書類へ羽根ペンを走らせていた。


「少し待っていて。もうすぐ区切りがつくから」


 私は内心ホッとして頷くと、向かいの椅子へ腰を下ろした。


 正直言って、ものすごく気まずいんだよ。

 欲しがり妹だった頃の記憶はバッチリ残っている。


 前世の記憶が戻った今となっては、恥ずかしいことこのうえない。

 よくもまあ、あんなみっともない真似を何年もやってきたもんだ。穴があったら自分で自分を蹴落としたい!


 だから、いったいどの面下げて会えばいいのか見当もつかない。


 相談の切り出し方を考えている間にも、姉様は迷いなく書類へ目を通し、次々と赤インクで修正を書き込んでいく。


 やがてゆっくりと羽根ペンを置くと、小さく息をついた。


「お待たせ、今日はなに?」


 そう言って顔を上げた姉を見た瞬間、私の中で膨らんでいた最後の違和感が繋がった。


「あ、悪役令嬢ジャンヌ!! なんであなたが姉をしているのよ!?」

 思わず立ち上がって、姉様を指差し叫ぶと、部屋の空気が止まった。


 姉様は目を丸くして、私を見ている。


 私は慌てて両手で口を押さえた。

 しまった――どう考えても説明不能である。


 さすがに悪役呼ばわりは不味過ぎた。訳の分からないことを叫ぶなんて、いよいよキタかと思われても仕方がない。


 とぼけようか、それとも笑って誤魔化そうか。


 そうだ、困った時は愛想笑い。


 日本人が弥生時代より数千年……いや、そこまでじゃないのかな?

 まあ、とにかく長い年月をかけて磨き上げた万能スキルである。


 曖昧スマイルを浮かべていると、姉様は私をじっと見つめ、小さく息を吐いた。


 そして、小さな声でボソリと呟く。


「……『悪役令嬢は台風(タイフーン)とともに去りぬ』」


 私は固まった。決して聞き間違いではない。


 その題名は、悪役令嬢作品の金字塔。

 アニメ化され全世界で放映された累計発行部数一億部超えの超人気作だ。


 もちろん前世の話だ。この世界に存在するはずがない。


「え……?」


 頭の中が盛大に空回りしている。理解が現実に追いつかない。


 姉様は椅子に深くもたれ、腕を組んだ。


「その反応を見る限り、あなたも転生者みたいね」


 私は無意識に、ガックンガックンと何度もうなずいていた。


 説明しようと、頭の中で必死にシュミレートしていたことが、一瞬で全部不要になってしまった。


「うわ〜、よかったよぉ……」


 思わず本音が漏れる。言葉遣いがすっかり前世に戻っている。

 足の力が抜けへなへなと座り込んでしまう。


「ギロチンを回避する方法なんて、一人じゃ何にも思いつかなかったのよ……」


 へたり込んでうるうると涙目で見上げる私を見て、姉様は少しだけ目を細めた。


「なるほど。あなたは(・・・・)そっちの方なのね」


「そっち……?」


「欲しがり妹の世界」


 私は勢いよく立ち上がり、執務机へ身を乗り出した。


「え? ということは……本当に!? 姉様って、『悪タイ』のジャンヌ様なの!?」


「ええ、『欲しギロ』のジェーンとして生まれ育ち、作品の知識も持っているけど、見た目も中身も『悪タイ』のジャンヌだわ」


 姉様は向かいの椅子を軽く示し、私に座るよう促してから、あっさりと答えた。


「ちなみに、知識があるのは、『欲しギロ』の連載をリアルで読んでた世代だからよ」


 そう、懐かしむように『欲しギロ』初期の裏話なんぞを語る姉様。

 これは、私と同類…いや、上を行く愛好者(ヲタク)と見た。


 ハッと我に返り、咳払いを一つした姉様は気を取り直して説明を始める。


「私は十歳の夏に思い出したわ」


「もう、記録的な暑さでね。寝苦しくて半分寝ぼけながら部屋の床を、涼を求めて転がり回っていたわ」


 ……いや、侯爵家令嬢が床を転がるなよ。


 呆れてジト目を送るが、姉様は気付かない――というか、無視してる?


「そうしている内に、いつの間にか無意識にネックレスケースを持って、壁に向かって親指でポチポチしていたの」


 何やら分かるような分からないような情景が浮かび、私は親指を動かしながら首を傾げた。


「ポチポチ…?」


「冷房をつけようとしていたのよ」


 数秒、沈黙が流れる。


「……」


「……」


「――当然つくわけがないわね」


 姉様は遠い目になった。


「その時、絶望に胸が満たされ、叫んでしまったの。

『NO Cooler, NO LIFE』って――」


 私は顔を伏せて、歯を食いしばった。


 笑ってはいけない。


 決して笑ってはいけないのに、肩が小刻みに震える。


 『アウト〜!』という間の抜けた声が、どこからともなく聞こえた気がした。


「その瞬間よ、前世の記憶が全部戻ったのは……」


 真面目な顔で語る姉を見ながら、私は心の底から思った。


 この人も、だいぶ駄目だ。仲間、仲間……と。


 そして同時に、心の底から安心していた。


 どうやら私は、とんでもない安心材料を見つけてしまったらしい。

 この世界には、くだらない理由で前世を思い出した転生者が、私以外にも存在した。


「ということは……」


 私はようやく息を整えた。


「姉様としては、この世界が『欲しギロ』だと思っているの? それとも……」


「どちらであり、どちらでもない……」


 姉様は紅茶を一口飲み、少し思わせぶりに話を続けた。


「今のところ、そう考えているわ」


「……?」


 首を傾げる私に、姉様は静かに言った。


「ジョージ殿下よ――」


 唐突な名前に、私は目をぱちくりさせた。


「殿下がどうかしたの?」


「あなたの知っている『欲しギロ』のジョージ殿下は、どんな人?」


「えっと……」


 私は前世の記憶を探った。


「常に王族としての立場を忘れずに、物事に冷静沈着にあたる人。

 あとは、事前の調査と根回しを周到に行って石橋を叩き割る人?」


 まあだからこそ、毒殺をあっさり見抜き、何のためらいもなしに私をギロチン台までノンストップで送り込めたんだろう。


「そうね――最後の例えが意味不明だけど、言いたいことは分かるわ」


 でもね、と姉様は続けた。


「この世界での殿下は違ってるの」


 そう言って姉様は、両手を胸の前で組み、乙女のポーズでうっとりと語り始めた。


「結構情に流されやすくてお人好しで、好奇心旺盛で新しもの好き。

 仕事は早いし、人の話は最後まで聞くけど、つまらないことで悩んで落ち込みやすいの。

 要するに、私がついていてあげないと、駄目な人なのよ……」


 いや、おい……姉様。あんた悪役令嬢だろ?それじゃあまるで、おバカなヒロインみたいじゃないか……

 

 ちなみに、私はまだ殿下とそれほど話したことはない。

 家で時折見かける姿は、『欲しギロ』の王子そのものだけど、言われてみると確かにその印象は少し違っていた気がする。


 姉様の言うとおりなのだとすれば、確かに『悪タイ』の第三王子の方に似ているかもしれない。


「それだけじゃないわ」


 姉様は机の上に置かれた地図を指さした。


「欲しがり妹の舞台なら、この辺りは穀倉地帯の広がる豊かな土地のはずなのよ」


 指さす先には、ユアコールド領の名前がある。


「でも実際は港町との交易が盛んな、内陸の交易都市で侯爵家の収入源が違うわ」


 地図上の我が領からは、たくさんの主要街道が描かれているが、耕作地の面積はそれほど大きなものではない。


「だから税制も違うし、領地運営の仕組みも違う――」


 そこで、私は思わず口を挟んだ。


「姉様、そんな細かいところまで覚えてるの!?」


 私の問いかけに対して、姉様はその豊かな胸をこれでもかと張り、自慢げに返した。


「まだまだ甘いわね……作品の真の理解者を気取るなら、設定資料集の隅々どころか、重箱の隅をほじくり返してでも、すべての情報を己の魂に刻み込むものよ」


「ぐはっ!!」


 なんか、大きな敗北感を覚えて思わず胸を押さえる。


 しかし同時に妙に納得してしまい、私はそのまま腕を組んで考え込んだ。


「つまり……この世界は欲しがり妹だけど、『悪タイ』も混じっていて、単なる欲しがり妹じゃない……ってことよね?」


「おそらく、そういうことになるんだと思うわ」


 しばらく沈黙が流れた。

 う〜ん……なにがなんだかよく分からんわ。


 あっ、でもそれなら――


「私のギロチンも回避できるかも」


 希望が見えて胸を膨らませる私に、姉様は首を横に振る。


「残念だけど、そう簡単でもなさそうよ」


「はっ? どうして……?」


「ほかにもね、色んな作品と一致している出来事があるからよ」


 そう言って引き出しから一冊の手帳を取り出した。


 そこには几帳面な文字で、


『婚約破棄王子、薔薇の道を走る』と一致する点。


『魔法の聖女プリンキーモンモン』と一致する点。


『ドアマット王女は静かに扉を……ぶっ飛ばした!』と一致する点。


 BLゲーム、魔法ロリモノ、ドアマットモノ………それぞれ、分野の垣根を越えて、社会現象すら生み出した、知らぬ者すらない名作揃い。


 まだまだ作品名の見出しが並び、それに対する一致記録や考察がビッシリ書き込んでいる。


 ……これ、調査記録じゃないわ。限界突破オタクの研究ノートである


 私はその記録を見つめたまま固まった。どうも、嫌な予感しかしない。


「キャロライン――」


 姉様は静かに紅茶を置いた。


「たぶん、この世界……最低でも十以上の物語が混じってる」


「な、な、なんやそれ〜〜!?」


 もう、訳わかんない!


「王立学園では婚約破棄騒動が起き、神殿には聖女まで現れているというわ。

 先月は、王宮で忘れられてしまっていた第十三王女が見つかったって新聞にすっぱ抜かれてたし……」


 いずれの件にも転生者が関わっているようだ、と淡々と続ける姉をよそに、私は頭を抱えていた。


 さっきまで、自分は欲しがり妹の世界に転生したのだと思っていた。

 ところが目の前には悪役令嬢そのものの姉がいて、他にもごろごろ主人公(ヒロイン)級の転生者が存在しているんじゃないかという。


 そんな世界、前世の小説や漫画でも聞いたことがない。


 一つなら分かる――

 二つでも、まだ偶然と言い張れるかもしれない。

 

 でも、まったく別の作品の出来事が、同じ時代に当たり前のように、いくつもいくつも混在しているなんて。


「なんで、こんなわやくちゃになってんのよ〜〜」


 頭を抱えたまま執務机へ突っ伏す私に、姉様は妙に落ち着いた声で切り出した。


「ずっと考えていたの――

 

 どうして、こんな無茶なことが起きるのか……」


 その真剣な口調に、私は思わず姿勢を正す。


「答えは一つしか思いつかなかったわ」


 ごくりと唾を飲み込み、続きを待った。


 姉様は一切表情を崩さず、静かに告げる。


「神様が間違えたのよ」


「……は?」


「世界と作品が多くなりすぎて、ついうっかり間違えたんだわ」


 あまりにも真面目な顔だった。


 だから、一瞬だけ信じかけた。


 でも、次の瞬間には勢いよく首を振る。


「いや、いや、いや! さすがにそれはないでしょー!」


 姉様は不思議そうに首を傾げた。


「なんでそう言い切れるの……?」


「だって、神様だよー。その程度のことで間違えやしないでしょー」


 ――グサッ。


 ……ん?


 何か聞こえたような気がした。


 私は姉様と顔を見合わせる。


「今、聞こえた?」


「ええ……」


 二人そろって窓の外を覗き込む。


 庭にも空にも、人影らしきものは見当たらない。


「……気のせい、かな」


 私は小さく咳払いをして話を戻した。


「百歩譲って神様のせいだとしても、間違えたんじゃなくて、面倒くさくなって、この世界に適当にまとめて放り込んだんじゃないの?」


 冗談半分で肩をすくめる――どう考えてもあり得ない話だ。


 そうやって笑い飛ばして終わりにするつもりだった。


 その時だった。


 ドキン!!


 心臓とは違う、世界そのものが脈打ったような感覚が全身を走る。


「……え?」


 部屋の空気が、ほんの一瞬だけ震えた気がした。


 地震じゃないよね。

 窓もカーテンも揺れていないし――


 前世では地震大国で生まれ育った私達。地震なんて、嫌と言うほど体験しぷている。


 姉様と目を合わせたまま、しばらく言葉を失う。


 やがて私は額ににじんだ汗を袖で拭い、小さく咳払いをした。


「……こ、答えの出ない不毛な話はここまでにしようか……」


 触らぬ神になんとやら。


 クワバラクワバラ……


 私たちは互いに目を逸らし、無言で何度もうなずきあって、この話題だけは二度と口にしないことを固く心に誓った。


 コホン、と一つ咳払いをし、姉様は話題を変えた。


「いくらたくさんの話が混じっていても、私達はその答えを知っている――これは、最大の強みよ。


「……やり方次第では、どんな未来でも選び放題?」


 少し考え込んでから、私は推論を告げる。


 姉様は静かに微笑んだ。


「そう、だから私たちは自分で好きに生きればいいのよ」


 確かにその理屈なら、ギロチンも確定ではない。


 少しだけ気持ちが軽くなったような気がする。


「じゃあ私は、もうジョージ殿下を欲しがらなければいいのかな?」


「ええ――」


「それだけでいいの?」


「それだけでいいのよ」


 あまりにも簡単な答えだった。


 けれど、おそらくそれが正解なのだろう。


「でも、欲しがり妹って、タイトルからして欲しがることが仕事みたいなものじゃない?」


 姉様はすっかり冷めた紅茶を一口飲むと、


「なによ、それ……」


 と、小さく笑った。


「だいたい、そこが勘違いなのよ」


「勘違い?」


「欲しいと思うこと自体は、少しも悪いことではないわ」


「ええっ?」


「問題は、他人のものを欲しがることよ」


 私は黙り込んだ――

 言われてみれば、確かにその通りだった。


 物語のキャロラインは、姉の服を欲しがり、宝石を欲しがり、婚約者まで欲しがった。


 だから破滅した。――


 最後に手に入れたものは、ギロチンの刃だけだった。


 私は椅子にもたれ、大きく天井を見上げた。


 そして真剣に考える――


 私が本当に欲しいものってなんだろう。


 ジョージ殿下? 奪ったら姉様から殺されるわ。


 侯爵夫人の地位? いらんわ、そんな面倒臭そうなもの。


 豪華な宝石? あれば嬉しいけれど、命を懸けるほどじゃない。


 何も思いつかないまま、思考はさまよい前世で当たり前だった暮らしを思い浮かべる。


 冬でも冷たくないトイレ――必須だね。


 暑い日に部屋を冷やしてくれる機械――今までのお詫びに姉様にプレゼントしよう。


 泡立ちのいい石鹸に、お湯をかければ手軽に食べられる食べ物。

 世界中の情報を一瞬で見られる端末。


 ――便利で快適な生活。


「あ……」


 思わず声が漏れた。


 その小さな呟きに、姉様が不思議そうにこちらを見る。


 胸の中で散らばっていた考えが、一つに繋がった。


「今の私が心の底から欲しいものは――快適な生活だったみたい」


 その瞬間、姉様は満面の笑みを浮かべた。


「それなら話は簡単だわ――作ればいいのよ」


 私は目を丸くした。


「作る?」


「そうよ――」


 姉様は当たり前のように頷く。


「ないなら作ればいい。足りないなら考えればいい。誰かから奪う理由なんて、どこにもないでしょう?」


 私はしばらく、放心したように姉の顔を見つめていた。

 そして、ゆっくりと笑いが込み上げてくる。


 欲しがり妹――


 その言葉を心の中で繰り返す。

 前世を思い出してから、私はずっと勘違いしていた。


 欲しがること自体が悪いんじゃない。

 誰かのものを欲しがり、奪おうとすることが間違っていたのだ。


 欲しいものがあるなら、自分で手に入れればいい。


 作れるものなら作ればいい。

 ――いや、作れるようになるまで頑張ればいいんだ。


 きっと、その方がずっと楽しいに違いない。


 ギロチンを避ける方法を相談しに来たはずなのに――


 気が付けば今、姉と一緒にトイレや冷風機の開発計画を立てている。


 転生というのは、本当に何が起こるか分からない。


 ギロチンに怯えていた私は、もういない。


 これから欲しがるのは、姉の婚約者ではない。


 もっと実用的で、


 もっと切実で、


 そして、人生を少しだけ幸せにしてくれるものばかりだ。


 その第一号が、冬でも冷たくない便座になることだけは、誰にも覆せない未来だった。




 そして、その日からユアコールド侯爵家では、二人の令嬢が毎日のように工房へ出入りするようになった。


 後に「生活革命の始まり」と呼ばれる産業構造の大転換の、記念すべき第一歩であることを、この時の私はまだ知らない。





エピローグ


 扉が軽く叩かれた。


「失礼するよ」


 聞き慣れた落ち着いた声とともに、ジョージ殿下が執務室へ入ってきた。


「二人とも揃っていたのか」


 いつもどおり穏やかな笑み。キラン!と白い歯まで輝いて見える。


……なんだろう、この主人公補正は。


 書類を抱えた姿は、相変わらず真面目そのものだった。


「ジェーン、準備していた書類がすべて整ったよ」


 そう言って殿下は、代替わりに必要な書類や、両親の領地への移動届などを次々と机へ並べていく。


 実はこの二人、両親を引退させて領地で隠遁生活を送らせるべく、水面下で着々と準備を進めていたらしい。


 要するに、領主としての責務を姉様一人に押しつけ、好き勝手していた両親には、領地から二度と出ることなく静かに余生を過ごしていただこうという計画である。


 キャロラインが欲しがりを発動し、殿下に絡みだしたら実行する予定だったとのこと。


 もう少し前世の記憶が目覚めるのが遅ければ、私もご一緒させられるところだった。


 ……あぶねー、あぶねー。



 そういえば――不意に気になっていたことが頭をよぎる。


 ほぼ同時に私と姉様は顔を上げた。


 視線が合う――


 考えていることは、おそらく同じだった。


 そのまま無言で、殿下に聞く役を押し付け合った。


 ……そして、なんとなく押し負けた。


 私は恐る恐る口を開く。


「殿下……」


「なんだい?」


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「もちろんいいよ」


 私は小さく深呼吸した。


「殿下は……転生者ですか?」


 数秒の沈黙。


 ジョージ殿下は、不思議そうに首を傾げた。


「転生者? なんだい、それは……」


 私は大きく息を吐く。

 隣では姉様も、ほっとしたように肩の力を抜いていた。


 よかった――

 これ以上増えたら、本当に収拾がつかなくなるわ。


 そう思った、その時だった。


 ジョージ殿下は、何かを思い出したように視線を上へ向ける。


「そういえば……」


 嫌な予感しかしなかった。


「会議の書類を用意するときに、『Ctrl+C』と『Ctrl+V』という魔法があれば便利なのにって頭に浮かぶことがあるね」


 部屋が静まり返る。


 私はギギギ…とジェーンに首を巡らせる。

 ジェーンも固まった笑顔で私を見る。


 そして、二人同時に息を吸った。


「「お前もかーーーっ!!」」


 私たちの叫び声は、『ドキン!』には到底及ばなかったものの、ユアコールド侯爵邸の廊下を突き抜け、「すわ、何事か」とたくさんの家臣が執務室に飛び込んできた。 


 庭で昼寝をしていた猫が、ものすごく迷惑そうにこちらを見ていたという。

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