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逃走

 何かが近づいてくる。この異変にいち早く気づいたのは角狼だった。

獲物であったものに手酷い反撃を受け、今や自分だけとなってしまった状況で、その研ぎ澄まされた聴覚が遠くからこちらに近づいてくる異音を捉えた。

アオーーーン!

それは本能がそうさせたのか、角狼の遠吠えが森に響き渡った。

「こいつ、いきなりどうした?」

突然の遠吠えにガルドは疑問を口にした。

仲間がまだいるとでも言うのだろうか、角狼の不可解な行動に警戒を強める。

結果的に、角狼の遠吠えは功を奏した。

森の奥から木々の倒れる音が聞こえてくる。角狼にしか聞こえなかった異音はガルド達にも聞こえるほど近づいていたのだ。

「まさか!?」

木々を倒しながら移動するものがいる。ガルドがある考えに至る。

硬い樫の木を薙ぎ倒す力を持ち、人の身の丈以上の足跡を残したものがいる。

この森に来た理由だ。

木々の倒れる音は先ほどより大きくなっている。次第に地響きも加わってきた。

角狼はこの機に乗じて森の闇の中に姿を消した。

「カイル、いけるか。」

リュークの声が聞こえた。

「いけます。」

カイルは手を強く握りしめては開いてを繰り返し、まだ少し痺れの残る手で操縦桿を握った。

目前の森の木々が揺れている。

脅威は直ぐそこまで近づいている。

リュークとカイルは前面に立ち、ガルド達は後ろへと下がる。

けたたましい音を上げ、目前の森が開けた。

ついにそいつは姿を現した。

その目は赤く狂暴な光を湛え、その身は黒く硬質な輝きを放つ黒曜石の鎧を纏っているようだった。

「鎧熊か、それにしては大きすぎる。」

ガルドはその目を疑った。この森に巨大な魔獣が潜んでいたことはわかっていた。

わかっていたが、ここまで巨大だったとは想定していなかった。

リュークは眼前の脅威に対して盾を構えた。

並の魔物の攻撃であれば、レプリベラグの装甲を以てすれば耐える事は容易だろう。

だが、今目の前にいる巨大な鎧熊の攻撃はどうだ。この盾で受けたとして怪しいところだ。

鎧熊がゆっくりと近づいてくる。ゆっくり近づき、おもむろに後ろ足で立ち上がった。

「で、でかい……」

カイルは目の前で立ち上がった鎧熊をただ見上げていた。

「カイル、何を惚けている!」

リュークの声が聞こえたと思った次の瞬間、激しい衝撃がカイルを襲う。

「うわあー!」

一瞬、何が起こったのか分からなかった。

カイルの乗ったレプリベラグは地面に転がっていた。

「今どうなっている。」

「機体損傷率が30%を超えています。危険です。」

カイルは少女の報告に驚愕した。


 リュークはその瞬間を間近で見ていた。

立ち上がった鎧熊はゆっくりとカイルの方を向く。カイルは棒立ちのまま鎧熊を見上げていた。

「カイル、何を惚けている!」

リュークは思わず声を上げた。

その声に反応したのか、盾が持ち上がる。

鎧熊は構わずカイルの乗るレプリベラグに向かって一歩踏み込み、その右腕を力任せに振り抜いた。

鎧熊の鋭い鉤爪が盾に食い込む。その刹那、鉤爪は赤熱化し激しい火花を上げながら盾を切り裂いていく。

そして、その衝撃によりレプリベラグは大きく後ろに吹き飛ばされ、背中から激しく地面に叩きつけられた。


「30%?一体何が……」

 必死に機体を起こそうとするが左腕の反応がおかしい。なんとか上体を起こすと、目の前には切り落とされた盾の下半分が落ちている。

左腕を見れば持っていた盾は半分になり、左腕の装甲は大きく剥がれ、関節部分からは火花が散っていた。

カイルは冷たい汗が流れるのを感じた。

もし、あの時、リュークの声が無かったら、声に反応できず身構えることができなかったら。

切り落とされたのは、盾ではなく、自分だったかも知れない。

鎧熊と目が合った。次はお前だ。その目からそんな殺意を感じた瞬間、冷たいものがカイルの中を埋め尽くしていく。

死にたくない。死に対する恐怖が心を占める。呼吸は荒くなり、心臓は握りつぶされたような痛みを感じる。

逃げたい。どこへ?どこでもいい。とにかくここから離れなければ。

そんなカイルの心にレプリベラグは反応した。

鎧熊から逃げるように立ち上がり、逃走をはかる。

「ダメだ、ダメだ、ダメだ。」

頭ではわかっている。逃げるわけにはいかないと。だが、魔力同調により動くレプリベラグはより強い思いに反応する。

「カイル、お前はこのまま離脱しろ。」

リュークの声が聞こえてきた。

「わかってる。レプリベラグに乗ってれば、よくあることだ。」

「ですが……」

カイルは反論しようとするが、言葉が出ない。

「レプリカントの制御で同調を切ることはできるが、そんなことをしたら、動けなくなってしまう。こいつはな、動けないお前を庇いながら戦える相手じゃないんだ。だから、今はそれでいい。覚えているか、初陣で大事なことを。」

カイルは、リュークの言葉を思い出した。

「生きて帰ること……」

「そうだ、帰ったらまた鍛え直してやる。だから、このまま離脱しろ。」

そう言うと、リュークは鎧熊の前に立ちはだかった。

「分隊長、カイルは機体の損傷が激しいため、俺の指示で離脱させました。」

リュークはレプリベラグの拡声器を使ってガルドに報告した。

「ああ、わかってる。こいつは俺たちでなんとかする。」

カイルから言葉にならない嗚咽が漏れる。小刻みに震える肩を少女は黙って見ていた。


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