第5話 象徴の亀裂
王都商会は、静かに動いた。
正式な通達ではない。
だが封鎖区域の周辺に、新しい資材が運び込まれた。石柱、鉄製補強具、魔法刻印の施された支え板。
“安全対策の準備”という名目。
市場では噂が広がる。
「掘削は決まったらしい」
「王都が本気だ」
「補強するなら問題ない」
不安は、希望に塗り替えられていく。
人は危険よりも、約束された繁栄を信じたがる。
その日の午後、大聖堂で集会が開かれた。
市民、鉱夫、商人、商会の代表アルトゥス、そして領主。
高い天井の下、光がステンドグラスを通して床に落ちる。
象徴は、まだ揺れていない。
アルトゥスが前に出た。
「グランディアは選ばれた都市です。新鉱脈は天恵だ。王都は支援を惜しみません」
静かな拍手が起きる。
「大聖堂の基礎は再補強できます。王都の技術で、より強く、より安定した街にできる」
“より強く”。その言葉に、人々は頷く。
カイルは中央の床に立った。わずかな沈みが、足裏に伝わる。
彼は声を上げた。
「補強は、重さを増やします」
広間がざわめく。
「下は空洞です。支える力には限界がある」
アルトゥスが穏やかに返す。
「限界は、技術で押し上げられる」
「押し上げた分だけ、他が沈みます」
短い沈黙。群衆の中から声が上がる。
「十年だぞ!」
「子どもに未来をやりたい!」
「今を守れ!」
カイルは振り返らない。
「十年後、ここが傾いてもいいのか」
言葉は届くが、刺さらない。
その瞬間だった。
低い音が、床の下から走った。
最初は誰も気づかなかった。
だが足元の石が、わずかに震えた。
ステンドグラスがかすかに鳴る。
天井の梁が、微かに軋む。
カイルは中央へ一歩踏み出した。
床の石に、細い線が走っている。亀裂だ。
広間に静寂が落ちる。誰かが囁く。
「揺れたか?」
アルトゥスが言いかける。
「問題ありません。構造上――」
言葉の途中で、再び低い振動。今度ははっきりと。
床の中央が、目に見えないほど、沈む。
崩れない。だが戻らない。
カイルは膝をつき、石の継ぎ目に触れた。
冷たい。だが内部は、動いている。
「掘削を始めたな」
彼は振り向かずに言った。
領主の顔色が変わる。
「封鎖区域の北側だ」
外から駆け込む兵士。
「旧坑道で支柱が一本折れました!」
広間が騒然とする。
アルトゥスは即座に答える。
「だから補強が必要だ! 今すぐ追加の支柱を――」
カイルが立ち上がる。
「今補強すれば、荷重はこの真下に集中する」
大聖堂の中央を指差す。
「象徴を守りたいなら、今すぐ掘削を止めろ」
群衆は揺れる。
「止めれば終わる!」
「続ければ持つかもしれない!」
領主が中央に立つ。
その足元に、細い亀裂。
象徴が、揺れている。
彼はアルトゥスを見る。
「止めれば、支援は」
「縮小される」
「続ければ」
「十年の繁栄」
領主は床を見下ろす。
再び、低い振動。今度ははっきりと、中央がわずかに沈む。
大聖堂は立っている。だが、限界は近い。
カイルは静かに言う。
「今なら、戻れる」
それは嘘ではない。
支柱はまだ一本折れただけ。亀裂も浅い。
だが掘削を続ければ、戻れない。
領主の拳が震える。
広間のすべての視線が、彼に集まる。
王都か。山か。繁栄か。存続か。
鐘が鳴る。その振動が、地下へ落ちる。
今度は、返ってくる音が重い。
領主は、口を開いた。




