第4話 揺れる誇り
王都商会の馬車が去ってから三日で、街の空気は変わった。
市場の端では、鉱夫たちが声を荒げている。
「掘れば十年だ」「子どもを都会に出せる」「何が悪い」
反対側では、古い住民たちが集まり、小さな声で囁く。
「また崩れる」「二十年前を忘れたのか」
大聖堂の前の広場は、祈りの場から議論の場に変わっていた。
カイルはその中央を横切る。足裏に伝わるわずかな遅れは、前よりもはっきりしている。地面は、議論に関係なく動き続けている。
旧坑道の封鎖区域では、監視が強化された。だが夜になると、松明の火が遠くに揺れる。封鎖されたはずの横坑に、人の気配がある。
「勝手に掘り進めている連中がいる」
領主は重い声で告げた。領主邸の執務室、机の上には抗議書と賛同書が山のように積まれている。
「商会の指示ではないと、アルトゥスは言っている。だが融資の話が出てから、動きが早すぎる」
カイルは地図を広げた。
封鎖区域の北側に、小さな印を付ける。
「ここが怪しい。旧支柱の列に沿っている」
「崩れるか」
「崩れないでしょう」
領主が眉をひそめる。
「崩れないのか」
「小さく沈むだけです。誰も気づかない」
それが一番厄介だ。
翌朝、最初の異変が起きた。
市場の一角で、石畳が不自然に傾いた。
倒れた荷車から鉱石が転がり、粉塵が舞う。怪我人はいない。崩落と呼ぶほどでもない。
だが人々は集まり、石畳を囲む。
「ほら、耐えているじゃないか」
若い鉱夫が声を上げる。
「これくらい、いつもの揺れだ」
反対側から、年配の女が言い返す。
「二十年前も、最初は小さかった」
議論は熱を帯びる。
小さな沈みは、意見を強くする材料になる。
その夜、カイルは旧坑道の北側へ向かった。松明の火が揺れている。岩壁の影に、三人の男がいた。
「誰だ」
一人が警戒する。
カイルは松明を掲げ、支柱を照らした。新しい木材が打ち込まれている。粗い補強だ。
「掘っているのか」
男たちは顔を見合わせる。
「街のためだ」
一人が言った。
「掘らなきゃ終わる。商会は支援を約束している。十年だぞ」
「十年後は」
カイルが問う。
男は黙る。
「十年あれば、子どもを独立させられる」
別の男が吐き出すように言った。
「十年あれば、借金を返せる」
松明の火が揺れ、支柱の影が伸びる。
カイルは支柱に手を当てた。湿っている。まだ固まりきっていない。
「ここは、一本で支えている」
「だから補強してる」
「補強は重さを増やす」
男たちは苛立つ。
「じゃあどうしろって言うんだ。何もするなってのか」
カイルはしばらく黙った。
山の奥で、微かな音が響く。
「掘らない代わりに、他を探す」
「どこだ」
「街の上だ」
男たちは怪訝な顔をする。
「上?」
「加工だ。付加価値を付ける。鉱石をそのまま出すのではなく、街で仕上げる」
笑いが起きた。
「そんなの時間がかかる」
「今は無理だ」
「十年のほうが早い」
その通りだった。十年は、甘い。
地上へ戻ると、大聖堂の鐘が鳴っていた。
夜の静寂を裂く音が、地下へ落ちていく。
その振動に混じって、微かな崩れの気配。
翌朝、封鎖区域の端で小規模な陥没が起きた。直径は人一人分。
深さは浅い。怪我人はいない。
人々はそれを見て、二つに割れた。
「ほら、これくらいだ」
「これが始まりだ」
領主は現場に立ち、沈んだ穴を見下ろす。
カイルも横に立つ。
「商会は動くだろう」
領主が言う。
「“だから補強が必要だ”と」
カイルは頷いた。
「そして補強が、さらに重くする」
大聖堂の床は、今日も立っている。
尖塔は空を刺し、何も起きていないように見える。
だが地下では、一本の支柱にかかる力が増えている。
街は、まだ崩れていない。
だからこそ、決断が遅れる。
風が強まり、山の影が広場に落ちる。
誇りは、揺れていない。
だが地面は、確実に揺れている。




