第3話 掘れば十年
王都商会の一行は、昼過ぎに到着した。
黒塗りの馬車が三台。護衛は軽装だが隙がない。山岳都市の荒削りな石畳の上を、静かに進んでくる。その姿は、鉱山の粉塵とは別の種類の匂いを街に残した。
市場の人々が足を止める。
誰もが知っている。王都商会は、この街の金脈だ。
領主邸の応接間には、暖炉が焚かれていた。
窓の外に大聖堂の尖塔が見える。
代表の男は四十代半ば、柔らかな口調の持ち主だった。手袋を外す仕草が整っている。彼は自らを「商会筆頭代理、アルトゥス」と名乗った。
「本日はお時間をいただき感謝します。グランディアは王都にとって重要な友人です」
友人、という言葉に、領主はわずかに表情を固くする。
「本題に入りましょう」
領主が促すと、アルトゥスは一枚の地図を広げた。新鉱脈の位置が赤い線で示されている。
「こちらが新鉱脈。王都の鑑定師も確認済みです。掘削を開始すれば、十年は安定供給が可能でしょう。街の税収は倍増します。雇用も増えます」
言葉は滑らかだ。否定しづらい事実が並ぶ。
カイルは黙って地図を見ていた。
赤線は、旧坑道の延長線上を正確に走っている。
「条件は」
領主が問う。
「初期投資の半分を商会が負担します。その代わり、産出量の一定割合を優先的に王都へ」
「封鎖区域の直下だ」
領主は言う。
アルトゥスは微笑んだ。
「承知しています。だからこそ、最新の補強技術を用いるのです。王都の技術官を派遣します。大聖堂の基礎も再補強可能です」
その言葉で、空気が変わった。
「大聖堂に手を入れるのか」
領主の声が低くなる。
「安全のためです。象徴が揺らぐことは、我々も望みません」
アルトゥスは落ち着いて答える。
だがその目は、計算をしている。
カイルが初めて口を開いた。
「補強は、重さを増やします」
部屋の視線が集まる。
アルトゥスは興味深そうにカイルを見る。
「あなたが現場監督の方ですか」
「はい」
「補強が問題だと?」
「補強は崩落を遅らせます。止めはしません」
アルトゥスは椅子に背を預けた。
「山は常に危険です。だからこそ、人は技術で制御してきました。崩れるなら、支える。それが文明でしょう」
言葉は穏やかだが、退かない。
カイルはゆっくりと応じた。
「支えるには、支えられるだけの地盤が必要です。この街の下は空洞です。補強は荷重を一点に集中させる」
「なら分散させる設計をすればいい」
「分散させる場所がありません」
短い沈黙。
アルトゥスは領主に向き直る。
「掘らなければ、どうなりますか」
領主は答えない。
アルトゥスは続ける。
「王都は他の鉱山を検討します。支援も再考されるでしょう。商会の融資も撤回される」
それは脅しではなく、現実の提示だった。
「街は衰退します」
静かに言い切る。
領主は大聖堂の尖塔を見つめた。
「掘れば」
「繁栄が続く」
アルトゥスは即答する。
「少なくとも十年」
十年。
その数字は、長いようで短い。
だが政治には十分だ。
カイルは言った。
「十年後は」
アルトゥスは微笑を崩さない。
「十年後のことは、その時考えればよい」
部屋の空気が冷える。
「その時、象徴が傾いていれば」
カイルは続ける。
「考える余地はありません」
アルトゥスは初めて視線を鋭くした。
「あなたは未来を断定する」
「断定ではありません。構造です」
アルトゥスは立ち上がり、窓際へ歩いた。大聖堂を見上げる。
「街は象徴とともに生きています。あれが立っている限り、人は安心する。安心は経済を生む」
振り返る。
「不安は、経済を殺す」
その言葉に、領主は目を伏せる。
沈黙が落ちる。
暖炉の火が揺れる。
やがて領主が口を開いた。
「掘削は即決しない」
アルトゥスは軽く頷いた。
「熟考を。ですが時間は有限です」
彼は地図を畳み、手袋をはめる。
「十年の繁栄を取るか、緩やかな縮小を取るか」
去り際に、静かに言った。
「王都は、選択を待っています」
扉が閉まる。
部屋に残ったのは、暖炉の音だけだ。
領主は椅子に座り直し、カイルを見た。
「十年あれば、街は変われるか」
カイルは答えない。
十年で、構造は変わらない。
空洞は埋まらない。
「掘れば」
彼は言う。
「沈みます」
「掘らなければ」
「縮みます」
領主は深く息を吐いた。
「どちらも、痛い」
カイルは静かに頷いた。
「はい」
窓の外で、鐘が鳴る。
その振動が、また地下へ落ちていく。
まだ、支柱は持っている。




