第2話 封鎖区域の下
旧坑道の入口は、大聖堂の裏手にあった。
普段は誰も通らない石段の先、苔の付いた鉄格子。
立入禁止の札は古く角が丸まっている。封鎖されたまま、時間だけが積もった場所だ。カイルは格子に手を触れた。
「開けるのか」
背後から声がした。振り返ると、領主が立っていた。
「見るだけです」
カイルは答える。
「見ることで、何が分かる」
「掘れるかどうか」
領主はしばらく格子を見つめ、やがて腰の鍵束を差し出した。
「二十年前、崩落があった」
低い声だった。
「死者は七名。記録ではそうなっている」
「実際は十二名だ」
鍵が回り、鉄格子が軋む。中から、冷たい空気が流れ出す。
松明を灯し、二人は坑道へ足を踏み入れた。
内部は思ったより広い。天井は高く、壁面には古い掘削跡が残っている。
木製支柱は黒く変色し、一部は石柱に置き換えられていた。
足元に、白い粉が積もっている。
「これは岩粉だ」
領主が答える。
「上の振動で落ちてくる」
カイルは黙って歩いた。
天井の亀裂をなぞり、支柱の根元を確かめる。古い木は乾き、内部が空洞化している。石柱は強そうに見えるが、重い。
やがて、広い空洞に出た。そこは不自然なほど広い。
人為的に掘り広げられた跡がある。
中央には、太い石柱が一本、天井を支えていた。
カイルは立ち止まる。
「……これが、崩落箇所ですか」
「そうだ」
領主は答える。
「崩れた天井を補強し、その上に大聖堂を建てた」
カイルはゆっくりと見上げた。
天井はわずかに湾曲し、ひびが走っている。新旧の補修跡が交錯している。
「なぜ、大聖堂を」
領主は沈黙した。
坑道の奥で、水滴が落ちる音が響く。
やがて、彼は言った。
「崩落の後、街は動揺した。鉱山を閉じろという声も出た」
足元の岩粉を踏みしめながら、続ける。
「だが閉じれば、街は終わる。だから象徴を建てた。“ここは安全だ”と示すために」
「安全ではなかった」
「そうだ」
あっさりと認めた。
「だが、誰も死ななくなった。少なくとも表では」
カイルは石柱に近づき、手を当てた。
振動が伝わる。
地上の生活の重さが、ここに集まっている。
「新鉱脈は、この延長線上ですね」
「そうだ」
「掘れば、この柱の荷重が変わる」
領主は問い返す。
「崩れるか」
「すぐには」
それが、再び重く落ちる。
「数年かけて、沈みます。大聖堂が傾き始めた時には、もう止められない」
領主は柱を見上げた。
「王都の商会は、この鉱脈に融資を決めている」
「知っています」
「なぜだ」
「到着前に、街道で会いました」
領主が眉をひそめる。
カイルは思い出す。
街道の宿で出会った男。滑らかな衣服、手入れの行き届いた指先。鉱石の値を語るときだけ、目が鋭くなった。
彼はこう言った。
「山は削るものだ。削らなければ価値は出ない」
その言葉に、疑問はなかった。
彼にとって山は資産だ。
「商会は、ここを“安定した鉱床”と見ています」
カイルは続ける。
「大聖堂があるから、安心だと」
領主の口元が歪んだ。
「皮肉だな」
「ええ」
二人はしばらく沈黙した。
坑道の奥から、微かな音がする。
木がきしむ音。
領主が言った。
「掘らなければ、商会は撤退する。王都の支援も縮小する」
「でしょう」
「街は衰退する」
「ええ」
領主は振り返った。
「それでも、掘らないのか」
カイルは答える前に、足元の岩粉を拾った。
白い粉は、指の間から静かに落ちる。
「この街は、もう限界まで削っています」
視線を上げる。
「掘れば、繁栄は続く。だが、終わりが早まる」
「掘らなければ」
「静かに縮む。だが、終わらない」
領主の目に、迷いが浮かぶ。
「象徴が残る」
「はい」
「だが誇りは」
カイルは一瞬だけ考えた。
「誇りは、立っている建物ではありません」
坑道の暗闇が、その言葉を吸い込む。
「崩れない選択をしたという記憶です」
領主は何も言わなかった。
地上へ戻る階段を上がる。大聖堂の床が、夕日に染まっている。
人々は祈り、市場は賑わい、子どもが走る。
誰も、この下が空洞だと知らない。領主は静かに言った。
「王都の商会は、明日ここへ来る」
「交渉ですか」
「圧力だ」
カイルは大聖堂の中央に立った。足裏に、わずかな遅れ。
まだ崩れない。だが支えているのは、一本の柱と、いくつもの判断だ。
「掘らない線を引きます」
領主は問う。
「王都と戦うことになるぞ」
カイルは大聖堂を見上げた。
「山と戦うよりは、ましです」
鐘が鳴る。その振動が、地下へ落ちていく。
空洞が、それを返す。
まだ、持っている。だが時間は、味方ではない。




