第九話 公爵令嬢を折る夜
「言いたいことがないわけではないが、夜会の挨拶をせねばならない。アレクシス殿下にもお言葉をいただきたい」
エミール公爵の言葉に、私のこめかみがひきつる。
この場で、リナリー嬢と二人になれと。
そう彼は言っているのだ。
「リュシエラも一緒で構わないだろう? 私は今後、リュシエラの腕しか取らない」
「それは早計かと。陛下のご判断を仰いでからになさいませ。エスコートをなさるのは構いませんが、挨拶での同席までは私としても了承いたしかねますな」
「あなたに私の喜びは伝わるまい。だが、一理あるのは認めよう」
アレクシス様が私の両肩に触れ、距離を取った。
「すまない、リュシエラ。しばしの間離れるが、ここにはリナリー嬢がいる。彼女がいれば安心だろう。リナリー嬢、リュシエラを頼みたい」
「もちろんですわ、アレクシス様」
リナリー嬢が、にこやかに返事をする。
私は縋るようにアレクシス様を見つめる。
「どうか、お早くお戻りくださいませ」
「わかっているよ。私だって、本当は片時も離れたくないのだから」
私の頬を撫で、背を向ける。
リナリー嬢の前で、そこまでやる必要はない。
わざと加減を知らないフリをする、男の背が憎らしい。
こっちは、大した後ろ盾のない女だというのに。
エミール公爵と並んで去って行くアレクシス様を見送る。
リナリー嬢の方へ顔を向けたくはない。
暫く、沈黙が続いていた。
ホールの壇上では、エミール公爵の開会の挨拶が終わり、アレクシス様が祝辞を述べている。
「リュシエラ……だったかしら?」
背後から、鈴の音のような声が聞こえる。
だが、涼やかさはなく、代わりに氷のような冷たさを感じさせた。
「何でしょう? エミール公爵令嬢」
いくら公爵令嬢だからって、いきなり呼び捨てされる覚えはないんですけれどね。
私は、唇に微笑みを貼り付けたまま振り返る。
周囲の目があるため、リナリー嬢も笑顔ではいるが可憐さはない。
ドス黒いオーラが見えるようだ。
もっとも、それだけのことをしたと私が自覚しているからそう感じるのだろうが。
「あなた、身を引きなさい。アレクシス様とは私が婚約するの。陛下にもお父様から働きかけていただいているわ」
直球だった。
もう少し駆け引きするタイプかと思っていたが、私相手には不要だと判断したのか。
「落ちぶれた伯爵家の娘が、本当に彼の隣に立てるなんて夢を見る年頃でもないでしょう」
リナリー嬢の言うことは、もっともだ。
私に傷さえなければ、私は最初からアレクシス様には近づかなかっただろうし、もっと家格の近い貴族同士の婚姻を結べただろう。
「エミール公爵令嬢のお言葉はもっともですわ。ですから、私もこのような場ではアレクシス様に一人で参加してくださるようお願いし続けていたのです」
あくまで、私はここに仕方なく現れた娘。
場違いなのも身分違いなのも全て心得ている――という設定だ。
家格の部分に関しては、正直そこまで大きな問題はないと思うのだけれど。
ヴァンロート伯爵家は、歴史だけはある。
「アレクシス様はお優しい方。お前の家の窮状も考えて同情しているのでしょう。借金は、我が家が一度肩代わりします。ゆっくりと返済なさいな」
あら?
なかなかの好条件じゃないの。
これをエミール公爵の口から聞けたのなら、私はリナリー嬢の提案を素直に受けたことだろう。
「エミール公爵令嬢。私はアレクシス様の隣がふさわしいとは思っておりません。ですが、影ながらお支えする覚悟はございます」
「どういう意味かしら?」
「あの方のお側にいられるのなら、日陰の身でも構わないのです。ですから、私は今までこのような場を避けてきたのです」
リナリー嬢の目が据わった。
顔にも笑みはない。
それはそうだろう。
私は、一度も正妻を望んでいるとは言っていない。
むしろ、表舞台に出ることを避けてきたのだと、この場で伝え続けてきた。
要するに、
『愛人つきだけどそれもでもいい?』
と、リナリー嬢に聞いているようなものだ。
「馬鹿にしないで! そんなもの認められるわけがないでしょう!!」
私は扇を広げ、思わず浮かんでしまう笑みを隠す。
主催者の娘が、声を荒げ周囲の注目を浴びた。
それも、男絡みで。
手を上げなかったところは、褒めてもいい。
少なくとも損得勘定を優先させるエミール公爵にとって、これは喜ばしい場面ではない。
また、お優しいアレクシス様にとっても、看過できない事態のはずだ。
「リナリー、騒がしいぞ」
今や、私並みに注目の的になっているリナリー嬢に、エミール公爵が叱責する。
挨拶はいつの間にか終わっていたらしく、アレクシス様も私の隣に来て腰を抱く。
「リナリー嬢。君にはリュシエラを預けたはずだが、これは一体どういうことかな?」
周囲を見回してから、アレクシス様がリナリー嬢に尋ねる。
その声音に優しさはなく、目は冷めている。
「私は、何も……」
リナリー嬢は俯いていた。
私に責任をなすりつけるかと思ったが、周囲に聞かれていることは承知していたようだ。
アレクシス様に溺れていなければ、聡明な令嬢だったろうに。
「リナリーは、気分が優れないようだ。お前は部屋で休んでいなさい」
「……はい」
家人に付き添われ、リナリー嬢がホールから去る。
私はその姿を扇で口元を隠したまま、黙って見送る。
「当家の娘が失礼いたしました。アレクシス殿下をご不快にさせたこと、お詫びいたします」
「いや、私は気にしていない。あなたの判断に満足している」
目の前で、娘の婿にと狙っていた公爵が眼中にもない女の腰を抱いている姿は、さぞ耐えがたい屈辱だろう。
それを抑えて詫びるエミール公爵は、なかなかの傑物なのではないだろうか。
元々は、煽りすぎるアレクシス様に非がある。
私の様子を見て、楽しんでいるのだとしたら悪趣味だ。
「そのように言っていただき感謝いたします。どうか、今宵の夜会を存分にお楽しみください」
「ありがとう。そうするよ」
腰を抱かれたままの私は、黙礼だけしてアレクシス様に付き従う。
周囲の視線から逃れるように、彼は庭園に降りた。
「アレクシス様?」
もっと、ホールで見せつける約束では?
夜会が始まったばかりの庭園は、人気も無く気は許せるが、目的を果せない。
「随分うまいことやったな」
「お褒めにあずかり光栄です」
一番の大物の露払いをしてやったのだ。
あとは誰に邪魔されることもなく、私たちの仲を見せつけるだけ。
これからが本番だ。
「日陰の身でも構わない……か」
ぽつりと、隣人の口から漏れる。
顔を上げると、アレクシス様と瞳が合う。
「お耳に入ってしまいましたか」
「あぁ。あれは本音かな?」
まさか、と。
言おうとしたのに声が出なかった。
私の瞳の奥を覗き込むように、彼の顔が近づいて来たからだ。
私は身じろぎして距離を取ろうとしたが、腰を抱く腕の力が強くてうまくいかない。
「私の要求はご存じでしょう? 正妻以外に興味はございません」
「また、こんな猿芝居に付き合わされるのか」
「アレクシス様が煽るのがいけないのです。わかっていて、やっていらっしゃいますね?」
「君がどう対処するのか見てみたくてね、つい」
「悪趣味でしてよ」
彼の視線を浴びたまま、私は何とか言葉を返す。
なぜ、こんな風に見つめられるのか、わからないまま。
アレクシス様にとって、私は厄介であり彼の自由を奪った女だ。
人目のない場所で、こんなに密着する理由もない。
「顔が、赤いようだが?」
「それは!」
それは、なんと言えばいいのだろう。
男性に耐性がないから?
それとも、アレクシス様だから?
――そんなこと、口にできるはずもないのに。




