第八話 今夜から、私が『公爵殿下の恋人』です
馬車止めには、既に大勢の貴族が集まってきていた。
エミール公爵家の人間が、次々とホールへ案内している。
思い思いに華やかなドレスを身に纏い、男性にエスコートされる姿を久しぶりに見た。
「何か気になることでも?」
「いえ、こういう場に出るのが久しいものですので、目で楽しんでおりました」
「そう言われれば、君の姿を見かけなくなったな」
アレクシス様の答えに、私の視線は馬車の外から即座に彼へと切り替わる。
「えぇ。我が家の噂が回っているのか、招待状が送られてこなくなりましたので」
送って貰っても、着ていく服もないのだが。
しかし、アレクシス様が私の姿を気にかけてくれているとは思わなかった。
瞳が合っても、お互い素知らぬフリをしてきたのに。
「そろそろ馬車を降りる頃合いのようです」
「そうか。では後はよろしく頼むよ、リュシエラ」
「他人事みたいに仰らないで。私の方こそ、アレクシス様を頼りにしているのですから」
リナリー嬢と一人でやり合うのは分が悪い。
イルミナ侯爵令嬢やロイトン伯爵夫人だって、招待を受けているかもしれない。
あの三人は、互いに蹴落とすライバルではあるが、他者への牽制に対しては協力的なのだ。
おかげで、夜会などでアレクシス様に話しかけるハードルはものすごく高い。
「もう少し、ご自身の魅力を自覚なさってくださいませ」
私の言葉に、目の前の男性の片眉が上がる。
同時に、口角も上がっていた。
「リュシエラの口からそんな言葉が出るとはね。嬉しいよ」
「誤解なさらないでください。私、はじめからアレクシス様の魅力を疑ったことはございません」
「……そうだったかな」
あくまで主役は彼。
私は、そこに添えられるアクセサリーのようなもの。
この関係は、最初に提示したはずだ。
エルヴァイン公爵家の馬車が停まった。
扉が開き、アレクシス様が先に降りる。
周囲がざわつく中、彼は私に手を差し出した。
「お手をどうぞ」
「ありがとうございます」
彼のエスコートを受けて、私は馬車を降りる。
周囲の視線を一身に浴びつつ、アレクシス様だけを瞳に映す。
腕を組んでも、視線はそのまま。
口元を和らげて、彼しか目に入れない。
「リュシエラ。そんなに熱っぽく見つめられては困ってしまうね。ここから離れられなくなってしまう」
「申し訳ありません。はしたない真似をしてしまいました。アレクシス様にエスコートしていただけることが嬉しくて、つい」
彼の腕にしがみつき、目を伏せ気味にする。
さらに注目が集まっていることに、胸の内で笑いながら。
「ようやく君をエスコートすることを許されたんだ。嬉しいのは私も同じ。さぁ、行こう」
「はい」
もう一度、アレクシス様を見て頷く。
彼にもたれかかるようにして、体を密着させる。
彼の微笑みを受けて、私は安堵した表情の『リュシエラ』を見せつける。
息を呑む紳士。
扇の内で、唇を噛む淑女。
そのどれもが、今の私たちに必要な舞台装置だった。
* * *
音楽隊が静かに調べを奏でるホールに入ると、一瞬、人のざわめきが消えた。
皆が私たちの様子を伺っており、それでもあからさまな目線を向ける者はいない。
広いダンスホールに、その隣に配置された数々の軽食やデザート。
談笑を楽しむ人の数が、エミール公爵家の持つ力としてこの場に明示されていた。
本当に、頭が痛い。
「まずは、主催者に挨拶に行こうか」
「そうですわね。私、緊張してしまいますわ。アレクシス様に正式に紹介していただけるのですもの」
組んだ腕に縋ったまま、ホールの中心にいるエミール公爵の元へ向かう。
王弟であるアレクシス様の登場に、ホールにいた人たちは波のように道を空けていく。
私たちを好奇の目で。あるいは嫉妬を含んだ目で見つめながら。
「今宵の招待に感謝する。エミール公爵」
あえてだろう。
それまで私たちの方へ見向きもしなかったエミール公爵が、アレクシス様の呼びかけに応えてようやくこちらを向いた。
立ち姿の美しい厳格そうな男性だが、王弟相手には愛想笑いくらいはするらしい。
「ようこそおいで下さいました、アレクシス殿下。今宵はお一人ではないとのことでしたが、そちらの女性は?」
「あぁ、彼女がようやく私のエスコートを受け入れてくれてね。リュシエラだ。ヴァンロート伯爵家の令嬢だよ」
エミール公爵と私は、初対面ではない。
だが、わざわざ尋ねることで、眼中にないと示威したのだ。
「大変ご無沙汰しております。エミール公爵。リュシエラ・ヴァンロートでございます」
私はアレクシス様の腕を離し、カーテシーを披露する。
腰を折っても傷の見えない、胸元を覆い隠したワンショルダーのドレスは、本当に心強かった。
「久しいな。ヴァンロート伯爵のご令嬢。まさか、アレクシス殿下と来訪されるとは予想外でしたな」
すぐに腕をアレクシス様に絡ませ、私は彼へ視線を向ける。
アレクシス様が私を見つめ返し、軽くイヤリングに触れた。
彼の瞳の色の、それに。
「私など場違いだと何度もお伝えしたのですが、聞き届けていただけず、こうして参った次第ですの」
エミール公爵にたっぷりとアピールした後、私は再び向き直り答える。
困り切ったように、眉を下げながら。
「今夜の夜会の品位を落としていなければ良いのですが」
「私の隣には、君しか考えられない。単身で参加し続けるしかなかった私のことも、もう少し考えておくれ」
「アレクシス様……」
「リュシエラ。私の可愛い人」
見つめ合う私たちに、またも周囲が騒然とする。
もっと騒いでくれればいい。
明日以降、口の端に乗せて社交界をかけめぐればいい。
「まさか、アレクシス殿下にこのような方がいらっしゃったとは。しかし、陛下が何と言われるか」
エミール公爵が、さらりと牽制してくる。
一番重要なのは、そこなのだ。
私たちがいくら愛し合っていたとしても、陛下が許可しない限り王族の妻になどなり得はしない。
眉をひそめつつも、口の端を上げるなんとも器用な表情に老獪さを感じる。
「そうですわ、アレクシス様。今日は私のエスコートをしてくださるのではなかったのですか?」
父親の後ろから、リナリー嬢が姿を現す。
私と異なり鮮やかな金色の髪をハーフアップにし、華奢な肢体を包むドレスは夜空に似た濃い青。
リナリー嬢の瞳と同じ色だった。
薄手のショールが淡い緑色で、アレクシス様を意識していることがわかる。
笑えば、花が咲くかのような美少女。
私とは真逆に立つ女性である。
「私は君とそのような約束はしていないよ、リナリー嬢。『約束』は、履行責任を伴うからね」
頭上から聞こえるアレクシス様の声は、穏やかだ。
目の前のリナリー嬢の表情とは対照的に。
「私はただ、雰囲気を楽しむために夜会に参加していると、前にも話さなかったかな?」
「それは……」
言葉に詰まるリナリー嬢に、さらに追い打ちを掛けるようにアレクシス様が私の肩を抱く。
「私には、ずっとエスコートしたくてもできない女性がいた。今日、君にも紹介できて嬉しいよ」
私に柔らかな笑みを向けてくるアレクシス様に、私も嬉しそうに返す。
そうせねばならないからだ。
ですが、アレクシス様。
私、露払いはするとお伝えしましたが、喧嘩をふっかけて欲しいとはお願いしていませんわ。
「まぁ、アレクシス様ったら」
恥ずかしげにアレクシス様の胸に顔を埋めつつ、周囲から見えないように彼の体をつねる。
この程度で、柔和な笑みが崩れることはないと知りながら。




